走り抜けても『英雄』がいない 作:天高くウマ娘肥ゆる秋
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自慢の鬣と尾が風を撫でる。一人で好きに駆けてみた脚取りは軽く、これなら何時でも仲間達と競い合える。
常に堂々と、本能のまま駆け抜けられるよう鼻を高く上げておく。何時でも、仲間達の前を走れるように。
もう、長らく仲間達とは競い合えていない。だが、競い合えばきっと俺が勝つだろう。右前脚の忌々しい違和感こそまだあれど、必ず勝つ。以前、仲間達と競い合った時のような、堪らなく悔しい思いは二度としない。
次に仲間達と競い合うのは何時だろうか。最後に競ってから、もうかなり経つ。最後に皆で走ってから、黄色く光るまん丸いのを、暗い空に何度か見ている。もう風が冷たくなっているが、次に競い合うのが楽しみだ。
仲間達と走るのは、暑くても寒くても関係なく、どんな時でも本当に楽しい。
特に……あの、速いやつ。堪らなく速いやつ。暗い空みたいな尻尾を靡かせて、前を走って行く無口なやつ。あいつだ。あいつと走りたい。次こそ勝つ。
もう飽きるほど休んだんだ。今なら脚の違和感なんて関係なく、思いっ切り走れる。
いつも前だけ向いてひた走りやがる、あいつにだって負けやしない。あいつと次に走れるのは、何時だろう。
『おい、聞いたかよ。アフターマス
『えっ、まじかよ。有馬、そんなんで一着のまま走り切ったの? どんだけ負けず嫌い
『多分、ジャパンカップ辺りから脚の負担がきつかったんだろうな。手網引っ張られても速度落とさなかったし。優等生の反抗期だーなんて冗談めかして取り上げられてたけど、アフターマス号が
『やっぱり、フランスまで行って蜻蛉返りして来たのがストレス大きかったんかね? それか、どうしても凱旋門走りたかったから拗ねてるとか?』
『馬鹿、
『だよなぁ……ようやく日本の馬が凱旋門賞獲る瞬間、見れると思ったんだけどなぁ』
『まあ、
いつも寝床やら綺麗な水やらをくれる、
だけど、それ。その音は覚えてる。その音は、俺の好きなやつだ。
仲間達と走る前に、
もしかして、もうそろそろ仲間達と走れるのか? あいつとようやく競い合えるのか? なあ、
『うおっ!? ……どうしたお前、急に頭突いたりして?』
『ははっ、もしかしてアフターマス号の話をしたから嫉妬したか?
『ああ、成程な。可愛いやつめ。病気で引退さえしてなけりゃ、お前が春天でアフターマスに二度目の土を付けてたのかもな?』
『
駄目だ。多分、伝わっていない。
……ああ。でも、そうか。
ようやく……とんでもなく速いあいつと、また競い合えるって事だろう?
これまで、焦がれる程に長かった。
待っていろ、世界で俺の次に速いやつ。お前にだけは、絶対に負けてやらない。
……でも、
だけど、まあ。お前に限って、そんな事はないだろうが。
俺がそうであるように、お前も俺と競い合うのを待ち切れなくなるくらい、とびきり速く走り抜けてやる。必ずだ。だから待っていろ。
──ああ……ああ。どんなものよりも速いお前。
早くお前と、走りたい。
■□■
十二月の中旬ともなれば、早朝はとにかく寒い。
肌を切りそうなくらい冷たい空気は、寝付きが悪かったせいで怠い体に、とにかく堪える。
夢見は……どうだったか覚えていない。昔から、夢は綺麗に忘れてしまう
外気が冷た過ぎるからだろう。特に冬場は朝起きるのが億劫だ。体はそんな事ないのに、妙に神経が疲れている。同期の仲間達も冬場に同じ事を言っていた記憶があるので、ウマ娘特有の冬の習性みたいなものだろうと推測している。ウマ娘ではない
そんな気怠い冬の朝に頑張った甲斐があり、早朝訓練の為にやって来た芝のトラックにはまだ人がいない。
世界が自分だけになったようなこそばゆい感覚を、冷たい風越しに白く見える風景を噛み締めて、押し込む。全部が色落ちしたように見えるのは、何処にも人の熱が感じられないからだろうか。
この騒がしさとは真逆の世界が、午後からは何のイベントだと言いたくなるくらい人でごった返すのだから、ちょっと信じられない。
合宿で借りているこの練習施設は、普段から一般客の見学を受け付けている。
流石に使用中の練習場内は立ち入り禁止となるが、それでも今をときめくスター、或いは未来のスターを一目見ようと、観客達は練習場を仕切るフェンスの前に何処からか集まってくるのだ。
……例えば、社会現象を引き起こしたトップスターが部活のマネージャーみたいな事に徹していたとしたら、大喜びでそれの見学に来たりする。なんなら、そいつの名前が書かれた法被やら鉢巻やらを装備した人間だって現れる。本来なら人一倍トレーニングに励んでいるだろうそいつが、トレーニングをしていなくても関係なく。
それはここ三日間で証明された事実であった。
「お、はっやいねー。てっきり僕が一番乗りだと思ったんだけどなぁ」
一人で感傷に浸るよりは、先にトレーニングを始めておこうか。丁度、そんな風に考えていた時に、待ち合わせをしていた片割れが姿を現した。まだ約束の時間よりもかなり早いのに、殊勝な事だ。よっぽど練習が好きなんだろうか……なんて、自分を棚上げして考える。
自分に次いで待ち合わせ場所に現れたのは、同期の中で一番仲間思いで、でも影のある子。見掛ける度に、大抵誰かの世話を焼いていて、よく集まる三人の中で一番機微に敏感な子だ。
もう一人の待ち合わせしている友人と併せて、実は三人ともが別チームである。それでもこうして同じ場所で同じ日に合宿を行っているのは、アフターマスと同世代の担当ウマ娘を抱えるチームのトレーナー達が話し合い、意見を出し合った結果だった。
尋常ではない怪物に勝つには、一度チームの垣根を越えた大規模な合同練習を組んだ方が良いだろうと判断したらしい。
シニア戦線でアフターマスに対抗する為の、秘密特訓の様な合同合宿。参加メンバーは、年末に帰省するよりも、来年度の対アフターマス戦の備えを優先したアフターマス世代のウマ娘のみ。即ち、まだ勝利を諦めていない変わり者達だ。
既にシニアを走るウマ娘が対象外なのは、単に彼女達がまだアフターマスと走っていないから。あくまで今回は、もうあの異質さと直面した者だけに的を絞った集中トレーニング期間なのだ。
普通に特訓していてもアフターマスに勝ち目がないというのは、とっくの昔に担当トレーナー間でも既定路線となっているらしい。無茶苦茶な天才が無茶苦茶な努力をすると言う
要するに今回の合宿の主旨とは、全国でも屈指の才人である中央トレセン学園のトレーナー達による、各チームのノウハウの大放出祭である。
昨今の劇的な
その環境の変化の中では、これまで蓄積してきたノウハウは骨董品となり、やがては
──そう危惧したトレーナー達が、ならばいっそ
誰が名付けたか──少なくとも同期のウマ娘ではないと思う──『あわてんぼうのサンタクロースはお転婆ウマ娘の夢を見るか?作戦』。
確かに、各チームの蓄えたノウハウをこの季節に享受出来るなんて、一足早いクリスマスプレゼントである。ではあるが、それにしたってネーミングセンスをもう少し何とか出来なかったのかと思う。
アフターマスを真似た無茶なトレーニングで壊れるウマ娘をこれ以上生まない為の、正しい知識を全部使って今年の厄を今年の内に祓ってしまえ……と言った願いが込められた企画だ。
……とは言ったものの。アフターマスが衝撃的な走りでメイクデビューを飾った日から、似たような事は小規模ながら都度都度行われている。学園長に予算案の認可を貰ってまで大規模な合宿をするなんてのは、流石に初めてだが。
──だけど、そこまでしてもまだ届かない。どうやっても届かない。勝ちたいのに、その背中の影すら踏めない。並びたくても、あいつ一人だけ
それが自分達の世代の頂点。『皇帝』以来の、本当に
……そんな奴にまだ本気で勝とうと言うのだから、自分達もトレーナー達も、最高に
ちなみに、各トレーナー達が担当するアフターマス世代以外のウマ娘は別途スケジュールを組んであるらしい。各チームのトレーナーが特殊なローテーションを組んで、アフターマス世代のウマ娘と、アフターマス世代以外のウマ娘を順繰りに教えて回るようだ。
どうやらそちらにも、この合宿で
日々成長するのは、未熟なウマ娘だけの特権ではない……が、シニアの怪物達が更に強くなるかもしれないと考えただけで、正直気が遠くなる。こっちは、
「早く目が覚めちゃってね。って言っても、準備運動もまだなんだけど」
「お、お揃いだねぇ。僕もだ。どうしても冬場は寝苦しくなっちゃうよねぇ。僕、寒いの苦手ぇー……あ! 遅刻魔見っけ!」
この冷たい空気の中で腕をぶんぶんと振るのは寒くないのだろうか……なんて思いながら、後ろを覗き見る。待ち合わせしていたもう一人が小走りでやって来た。
「……まだ待ち合わせ時間にもなってませんよ。お早う御座います。お早いですね……お二人とも、目が真っ赤ですが大丈夫ですか?」
「おっはよう! ……とかいう、自分も目が真っ赤じゃん。でも寒いから仕方ないよねぇ。起きたらどうしても充血しちゃう。特に此処って山の麓だもんねぇ……朝晩ととことん冷え込んでやんなっちゃうよ」
遅れて、お早うと告げる。改めて、お早うと返される。返事をした彼女もやっぱり、目が赤い。
集まった三人が三人、実は泣いた後の様に目が真っ赤だ。この三人がこの季節に集まると、大体毎年こうなっている。特にクリスマス前後が酷い傾向にあるのだが、全員特別な心当たりはないらしい。
もしかしたら、偶然三人とも、目の粘膜が特に弱いのかもしれない。
「寒くて普段より過酷な分、それだけついでに根性も鍛えられるから、
「……効率的というか、それもう根性論じゃない? というか、精神力だけなら僕らもおチビに負けてなくない? 何となくだけど、あいつって割とメンタルは
「……本当にそう思う? あの鉄面皮の前でも、全く同じ事を断言出来る?」
「うーん……うーん……? 駄目だ、自信なくなってきた」
「……まあ、なんにせよ。私達は全員が目も当てられない程にはアフタさんに惨敗しているのですから、精神も肉体も鍛えられるだけ鍛えて損はないのではないでしょうか」
「まあ、それもそうだよねぇ」
納得した友人達と連れ立って、トラックのスタート地点へと向かう。準備運動は、移動してからで良いだろう。早朝のこの時間の練習メニューは、毎日ひたすら併走だ。他のトレーニングは日中に幾らでも出来るが、併走だけは時間を合わせなければ出来ないので、日中に心行くまで……とはいかない。
……ふと。歩いていると、練習場の隅にあるベンチへと目が吸い寄せられる。
昨日、チームスピカのメンバーが使っていた場所だ。そこにはずっとスピカの名物トレーナーと……
一心不乱にスピカの先輩達を観察しながら、ノートに何かを書き込んでいた。当たり前ではあるが、此方に目を向ける事なく。
きっと、フォームの研究やら勝負の仕掛け所やらを勉強していたのだろう。極めて熱心に、自分よりも上手い要素はとことん取り入れようと、彼女が強者と認めた存在を見つめ続けていた。
──この三日間。その視線の先に、自分達が映った事はない。
それを、様々な思いを、自分でもよく分からない絡み切った感情が飲み込んで──。
「──安心した?」
どきり、と心臓が跳ねた。慌てて視線を逸らせば、その先には悪戯っぽく目尻を緩める友人の顔。
「なんの事……なぁんて、すっとぼける必要はないぜ。僕らの仲じゃない。そんな顔でおチビの居た場所見てたら、流石に分かるって」
「顔に書いてあって、分かりやすいですものねぇ……」
いつも中立に居ようとするもう一人までが、にやついた顔の友人に賛同した。
多分、見透かされているんだろうな。そう感じながらも、話を逸らす事にする。
「……ふん。あいつが居なくて、安心したのよ」
「いや。その言い訳は流石に無理があるって。トレーニング禁止されてる奴が、こんな時間にここに居る訳ないでしょ」
「強情になり過ぎてても格好悪いだけですよ? 貴女のどうしようもない
「ど……どうしようもないって何よ!? 大事な事でしょ!」
言ってから、はっ……と二人の顔をまじまじと見た。生優しい目をしている。どうやら鎌を掛けられたようだ。なんて卑劣な友人なんだろう。
「まあ、大事っちゃ大事だけど……うん。ぶっちゃけ、
「私達はどちらかと言うと、貴女の拘りに付き合って
「うっ……でも、だって……悔しくないの?」
「悔しいけど……でも、
「少なくとも、本人に念押しする程ではありませんよね」
友人二人の裏切りに、思わず閉口する。
だって、名前って大切なものだろう? 自分という存在を示す、唯一のものだろう? 特にウマ娘にとっては、誇りそのものだろう? だから、
憎い憎い
そんな……対等になれないものの代名詞みたいな存在に、
それは悔しいとか、恥ずかしいとかではなく、耐えられない事だ。
──アフターマス!
──え、何? 遊びのお誘い? それなら鬼ごっことかが良いなって──。
──ち、が、う、わ、よ! あんたって本当にバ鹿! どさくさ紛れに友達の振りすんな、このぼっち!
──ぼっ……ぼっちじゃない。ちゃんと友達いるし。ミリアンとカネヒキリっていう立派な友達がいるし。……最近は、ミリアンのダートデビューに忙しいみたいで遊べてないけど……。
──あっ、なんかごめん……って、そんな事は関係なくて……あんた、私の名前。まさか覚えて
──え。あっ……ごめん。菊花の後に調べようと思ってたけど、うっかりしてた……。
──……いいえ、それでいいの。むしろ覚えたら殺すわよ。
──……はい?
──勝手に私の名前調べたり、覚えたりしたら殺すわ。絶対に許さない。もしうっかり誰かから聞いても忘れなさい。必ず。
──えー……。
……少なくとも、思い出した過去最大級の黒歴史よりも、よっぽど耐えられない。今のまま、アフターマスに名前を覚えられてしまうのは。
あいつに自分の名前を刻み込むのは、勝った時だ。
必ず、
何故かは分からないが、
「……アフタさん。弱くなってましたね」
ぽつりと呟かれた一言にぴくりと体が反応する。意識の主導権が、魂から肉体に戻って来たような錯覚を覚えた。
「あ、やっぱりそう思う? 走ってる所見た訳じゃないけど、多分、凄く弱くなってるよね。フィジカルは菊花より状態が良さそうだけど、メンタル面に
やっぱり、あの腐った雑誌やらネットニュースやらが原因かなぁ。後は、リギルと喧嘩別れしたって噂が本当とか? ……もしかして、菊花賞の時に僕がやった嫌がらせがまだ尾を引いてる? 嘘でしょ、これ謝りに行った方が良いやつ? でもそこまでメンタルくそ雑魚な事ってある? こんなんが効くならレースでここまで負けてないって。……え、違うよね?
……そう言う友人へと溜め息を零し、二人の脇腹を同時に小突く。
話題が徐々に後暗さの詮索になりかけている。別にそれが絶対に悪いとは言わないが、トレーニングの前にそんな事をしなくても良いだろう。薄暗い
あいつに心配なんて必要ない。例え
確かに、見ていると何故かいらいらするし、何を考えているのかいまいちよく分からない。
それでも、自分達全員を倒し抜いたのだ。世代を一つ、勝手に背負いやがったのだ。むかつくが、その強さだけは信じられる。
絶対に本気の賞賛なんてしてやらないし、認めてもやらないが。
あいつの事を考える時は、倒す術を考える時だけでいい。それ以外は不要で……自分達には存在しない
芝のトラックで、ゲート代わりにコース外へ置かれた二本のポール。
ただの真っ白なのに、色落ちなんてしていないと分かる綺麗なそれ。
自分の勝負服の本藍染と同じ……色落ちしそうだけど、しないもの。
その前まで来て、
まだ、準備運動をしていないが、どうしても少しだけ走りたくなった。本当に軽く──脚を患ってる時くらいの……ほとんど歩くくらいの軽さでいい。
すると、しょうがないなぁ……なんて言いたげな顔で、二人の仲間が苦笑いを返してくる。
そんな顔をする割に、二人とも自分より早くスタートラインに立っているのは、どういう了見だろうか?
……まあ。仲間達と走るのは、怖くても苦しくても関係なく、どんな時でも本当に楽しい。だから、抱える思いは自分と一緒なのだろう。
一緒ついでに、二人みたいに目の赤みが治まっていると良いなと思う。だって、この早朝練習を終えたら、もっと多くの仲間達と競うようにトレーニングするのだ。多くの観客が見てくる中で、走るのだ。少しでも、格好を整えておきたい。
常に堂々と、本能のまま駆け抜けられるよう鼻を高く上げておく。一瞬足りとも首が下がらないように、常に備えておく。
それだけが、勝てるやつのお決まりだから。
「……それじゃ、軽く……本当にかぁるく、ここから第一コーナーまでやろっか」
それに対しての返答は、何処からも上がらない。
ただ、示し合わせたように、脚が六本
何処が軽くだ──なんて悪態を吐く必要はなく、本当に軽い慣らしの走り。思い切り走りたくはあるが、それは次に競った時に勝つ為に、今は我慢。
だって、自分達の本命はここには居ない。あの速いやつは、こんな所にはいない。あいつが居るのは、レース場だけだ。
……次に競い合った時は、きっと自分が勝つだろう。もう、仲間達と競い合った時のような、堪らなく悔しい思いは二度としない。
有馬の次にあいつが出走するのは、どのレースだろう。『大阪杯』か『天皇賞・春』か……或いは、GIIやGIII?
何にせよ、待っていろ。『衝撃』なんて呼び名で呼ばれるお前に、こっちが衝撃を与えてやる。
お前が何かに目を
だから、お前はこっちを見ないままで良いから、お前はお前らしく走ってくれ。こっちがお前の目の前に飛び出してやるから。お前一人だけ、勝負していないなんてなしだ。そんなの、私や仲間達じゃなくても、ウマ娘には許せない事だから。
だから──嗚呼。世界で私の次に速いくそったれ。
早くお前と、走りたいのだ。
「オリキャラがわちゃわちゃし過ぎてる」とのご感想を以前に頂いたので、今話はお蔵入りにした方が良いのかなぁ……と悩んでました。
皆様のお眼鏡に叶えば幸いです。