走り抜けても『英雄』がいない 作:天高くウマ娘肥ゆる秋
今後、『原作』の設定が公開された場合は手直しするかもしれません。ご容赦下さい。
──長距離の芝は、メジロがいる。
そう謳われるようになったのは、現当主がメジロ家に初めて天皇賞の盾を飾った頃からだろう。
メジロ家は日本に古くから続く名家である。
建設を生業として端を発し、現在では財閥として大きく成長した家名は、時代と共に変化する日本のエンターテインメントの歴史にもその名を刻み込んで来た。
日本の文化に寄り添って来た旧家。数多くのアスリートや文化人を世に送り出した一族。世情の移り変わりと共に、人々の心に寄り添って来た存在。
まるで
そんなメジロ家であるからこそ。URAの前身にあたる団体が設立された当初に、花形を飾る家門としての役割を、大いに期待される事となったのだ。
時に輝かしく、時に痛ましい……そんな日本の歴史の中でも、いつまでも変わらずに人々の心へと華を添える存在──つまりは、レースの主役としての役割を、メジロ家のウマ娘は求められたのである。
メジロ家にとって、正に誇りであった。新たな時代の人々の希望──その顔役の一つとして、期待された事は。未来に向けて、幾多の夢を託されるという事は。
期待を裏切らない。それこそが、メジロ家のウマ娘に課せられた責務。であれば、寄せられた新たな期待にも、応えて然るべきである。それがメジロ家としての総意であった。
……だからこそ。長い不振の末に、現当主が『天皇賞・春』を勝ち取った日──その日の日本で一番強いウマ娘が、メジロ家から生まれた日。メジロ家は、勝つ事への執念を更に燃やし始めた。
人々の希望となる為に、負けてはならない。日本のウマ娘を導く立場に立って、勝たなければならない。そして、自分達の誇りを取り戻す切っ掛けとなった栄光──天皇賞の盾を、易々と誰かに譲ってはならない。
その想いを継いだメジロ家のウマ娘達は血の滲む様な努力を重ねて……そして、現当主の愛娘が『天皇賞・秋』の盾をメジロ家に飾る事となる。
メジロ家に並んだ二枚の盾。そこに込められた、数多くの夢……即ち、日本のウマ娘の歴史そのもの。
これこそをメジロの誇りと呼ばずして、何を誇りと呼べば良いだろうか。人々に夢を魅せたのだ。心に華を添えたのだ。幾人もが涙を浮かべて祝福する、天皇賞の親子制覇である。偉業なんて言葉でも生温い。そう感じざるを得ない栄光だった。
──だからこそ。
それは、メジロ家による天皇賞の
誰もがかつてない期待を寄せるであろう、その奇跡の実現。それこそが、新たなメジロ家の悲願。
そんな期待を一身に背負って……前当主の亡き後に、現当主の孫娘の一人が、確かにメジロ家としての誇りを示してみせたのだ。
破天荒な道を行く、同世代のメジロを倒し。主役という言葉が服を着たような、不屈の好敵手を倒し……そして、なったのだ。
それは、人々に夢を魅せる存在。レースを通じて、人々の心に華を添える存在。メジロ家の集大成にして、目指した形──主役を務めるに足る『名優』に。
それこそが、メジロマックイーン。
『史上最強のステイヤー』と呼び声の高い、当代きっての名ウマ娘である。
■□■
「──ぃよぉうっ、マックイーン! 愛しのゴールドシップ様が今日も遊びに来てやったぜー! オセロにする? バックギャモンにする? それともぉ……茶、わ、ん、蒸、し?」
「もうっ、意味がわかりませんわよ!?」
メジロ家が所有する療養所に、少女の声が木霊した。和風建築に見合った庭園へと声が抜けていく。外の寒さに凍ったのか、外気に触れたそれは直ぐ様霧散した。
庭の一角にある小さな池では、
この調子では、今年の有馬は芝が凍るかもしれない……そんな本心か冗談か分からないような予感が鎌首を
「いやぁ。そう言われてもよ、マックイーン。ぶっちゃけ、毎日お前にちょっかい掛けるネタ考えるのも大変なんだよ。たまにはゴルシちゃんもお休みが欲しいでゴルシ」
「なんで私が我儘言ってるみたいな顔してますの!? そもそも、ゴールドシップさんが私を揶揄うのを止めれば良いだけではありませんか!」
「……おいおい、お前正気か? そんな事したら、酸欠起こして死んじまうぞ。マックイーンが」
「死にませんわよ!?」
歴史を感じさせる邸宅に反して、底冷えをまるで感じさせない室内。長身の少女と小柄な少女の間で、息の合った掛け合いが飛び交った。二人とも同じチームに所属するウマ娘で、何かと付き合いの多い間柄である。
長身の少女──ゴールドシップが、やれやれと言いたげな顔を浮かべた。
「でもお前さ、息つく間もねぇですわー……みたいな勢いで運動しようとするじゃん。リハビリのせいで体調崩したとあっちゃ、流石のゴルシちゃんでも笑えねぇんだよな、これが」
「……分かってますわよ。ですので、きちんと主治医と相談した範囲内に収めてますわ」
「本当かぁ?」
小柄な少女──メジロマックイーンへと懐疑的な目を向けながら、ゴールドシップはメジロ家のお抱え医師を脳裏に思い浮かべる。
元々、メジロマックイーンはトレーニングに関してかなりストイックなウマ娘だ。しかし、ゴールドシップの見立てでは、ここ二ヶ月程は輪をかけてトレーニングジャンキーと化している様に感じる。
メジロマックイーンは、一度は重い病で選手生命を絶たれたウマ娘である。だからこそ、努力の果てであってもここまでの快復を見せたのは、奇跡のようなものであった。
余程無謀な事をやらかしさえしなければ、彼女はあと数ヶ月程で一先ずの競技者生活復帰が可能なのだ。ゴールドシップとしては、今は彼女に無茶をして欲しくない。
本当に彼女の主治医が許可を出した範囲なら安心出来るのだが……残念ながら、確認しようにもこの場にメジロマックイーンの主治医はいない。
代わりに、今し方入って来た扉の傍に控える、メジロマックイーン専属の執事であるじいや──メジロマックイーンが常々そう呼んでおり、ゴールドシップも本名を知らない──へと目を向けた。静かに微笑みが返って来たので、恐らく大丈夫なのだろう。
「で? お前、今日は何するつもりだったんだ? ほれほれ、このゴールドシップ様に言ってみなって。遠洋漁業?」
「……はぁ。ゴールドシップさんのはちゃめちゃっぷりは、毎日見ていても慣れませんわね。今日もいつも通りリハビリですわよ」
「おっ、サンキューな。ほれ、これ手土産の人参サブレ」
「褒めてませんわよ! ……ゴールドシップさんがお菓子を持ってくるなんて珍しいですわね? 何かありましたの?」
受け取った紙袋をじいやへと渡しながら、メジロマックイーンは頭上に綺麗な疑問符を浮かべた。ゴールドシップは、そんな彼女に改まって向き合う。
「ああ……実はさ、アタシがマックイーンに会いに来られるの、今日で最後なんだ……」
憂いを帯びた顔で、ゴールドシップは告げる。心底口惜しいと言いたげで──まるで、竹バの友へと永遠の別れを切り出すかのように。
メジロマックイーンは、そんな決意を秘めた顔の友へと向けて……実に普段通りの調子で、「合宿、ようやく参加しますのね」と、口を開く。
メジロマックイーンが
「私に付き合わずとも、最初から参加なされば宜しかったのに。私としては……正直、とても助かりましたので、感謝しておりますが。しかし、皆さんはそろそろ学園へとお戻りになる頃ではありませんの?」
「あのマックイーンがでれた……? いや、騙されるなアタシ、これは宇宙ウマ娘世紀に名高いトロイのウマ娘、パターンメジロ、罠だ……!」
「あら、合宿所まで送って差し上げようかと思いましたのに。必要ないようですわね?」
「おっと、流石はマックイーン! いやー、いつもマックイーンの仲間思いな所は見習わないとなと思ってたんだよアタシ! よっ、千両役者! ……ま、あれだ。合宿終了間際だからこそ、あいつらにはスーパーウマ娘ゴッド粒子をチャージしてやろうと思ってよ。トレーナーからもしつけぇくらい頼まれちまってるし、新顔も慣れないなりに色々と頑張ってるみたいだしな」
ほらこれ。そう言って、ゴールドシップは自身の携帯端末を取り出した。そこに映っていたのは、幾つもの動画のサムネイルだ。投稿された日付はどれもここ数日のもので、動画のトップ画像を飾る小窓には、トレーニングに励むウマ娘達が映っている。
中心に撮られたウマ娘は、明らかに顔見知りの者──と言うより、チームスピカ所属のウマ娘が多い。
「これは?」
「ファンがネットに上げてる合宿の動画。どうも今年は後輩連中の合同合宿と日程が被ってるらしくてよ、ちょっとしたお祭り騒ぎになってるらしいぜ」
後輩連中の。その一言にメジロマックイーンの耳がぴくぴく動いたのを、ゴールドシップは見落とさなかった。
これ見よがしに画像をスライドさせ、目星を付けていた動画へとページを飛ばした。
「ちなみに、こんなのもあるんだぜ」
「『スピカ特別菊花賞リベンジレース有馬記念直前杯』……? なんですの、これ」
「合宿に参加した、今年の菊花賞出走ウマ娘全員で模擬レースしたんだってよ。で、スピカメンバーでそのレースの振り返りをして、後輩らにフィードバックする……って企画。観る?」
「いえ、私は別に……」
興味ない素振りをするにしては、ちら見し過ぎだろ……そう、ゴールドシップは苦笑した。
『スピカ特別菊花賞リベンジレース有馬記念直前杯』。
これはあくまで動画投稿者が便宜上付けた呼称であり、この模擬レース自体には正式名称は存在せず──そもそも、模擬レースにいちいち名前なんて付けていられない──クラシックを彷彿とさせる呼称に反して、チームスピカにとってのメリットが大きい練習メニューであった。
実の所、後輩の入って来ていないチームスピカでは、後進を指導する機会が酷く乏しい。しかし、後輩の指導という経験の中で培われる替えのきかない知見は、スピカに所属するウマ娘達のまだまだ先が長いアスリート生活を考えれば大切なものである。
元々、チームリギルの後輩ウマ娘──アフターマスをスピカで預かるという計画が立ち上がった理由の一端こそが、これであった。
その貴重な経験を幾らか得られて、更には、同世代と自身との比較が全く出来ていないあるウマ娘のスランプ改善策にもなる……正にいい事尽くめな絶好の機会だと判断した沖野により、急遽提案されたのが動画内の大規模な模擬レースである。チームスピカのメンバー、後輩ウマ娘達、そしてそれぞれの担当トレーナーの全員が乗り気であった為に実現と相成った企画は、結果として全員に大きな利益を齎していた。
とどめとばかりに、菊花賞に出走しなかったウマ娘も含む、合宿に参加した全クラシッククラスのウマ娘達による直接対決も開催されたりなど、クラシック戦線を熱心に追っていたウマ娘ファンからしても、夢のような模擬レースであった。
正しくファン垂涎のレースであり──レースに真剣に向き合うメジロマックイーンのようなウマ娘にとっては、一見の価値ありと言える催しだ。
はっきり言ってしまえば、メジロマックイーンがレース映像を観ないと言う方が不自然である。しかし、メジロマックイーンがそんな態度を取る理由にゴールドシップは心当たりがあった。
「なーに何時までも意地張ってんだよ。何があったのか知らねぇけどよ、別に動画観るくらい問題ねぇじゃねえか。誰とは言わねぇが、可愛い教え子なんだろ?」
「可愛くなんてありませんし教え子でもありませんっ、あんな未熟者!」
「……ちなみにゴルシちゃん、誰とは言ってねぇからな?」
「えっ? あっ……ごっ、ゴールドシップさん! 嵌めましたわねっ!?」
ゴールドシップは友人のあまりのちょろさに、少しばかり心配になる。しっかり者ではあるのだが、随所がちょろい。大人ぶっていても、やっぱりちょろい。
特に、スイーツやスポーツ観戦、仲間をはじめとした好きなものが絡んだ時は。
そんな愛すべき性格をした親友に生暖かい目を向けて、動画を勝手に再生し始める。押し問答に時間を費やしても、ゴールドシップ的には何の得もない。
「みっ……観ませんわよ!」
「おっ、そうだな。……うーわ。全員、本当にすっげぇ目付きしてんな。肉食動物かよ……あ、レース始まったぜ」
「こっちに向けても、観ませんってば……観ませんわよ……本当に……」
「まあまあ、ちょっとしたリハビリだって。勝負勘取り戻さなきゃなんねぇんだろ? おっ。流石は
「えっ……どっ、何処に着きましたの?」
何だよ、やっぱり気になるんじゃねぇか。ゴールドシップはそうにやけながら親友の様子を観察する。
メジロ家の療養所に来る前に、実は既に一度、ゴールドシップは動画を観終えている。それでもわざわざ一芝居打ったのは、
携帯端末の小さな液晶画面の中では、ウマ娘達が位置取りを終えた。今年の菊花賞の
「あの子は……またこんな走りをして……」
「……そういや、最初にアフターマスに走り方仕込んだの、マックイーンなんだろ? なんでこんな姿勢なんだ? 忍者アニメにでも嵌ってたのか?」
「姿勢? あ、いえ。
動画の中で走る一人のウマ娘を通じて、幼い頃の思い出を懐かしむメジロマックイーンへ、ゴールドシップはつい優しい目を向けそうになった。
幼少期の思い出というものは大切なものだと思うし、ゴールドシップ自身大切にしているものでもある。そもそも、自身の在り方だって幼少期の影響が強いかもしれないのだ。
思い出を軽視する気は起きないし、それに浸る人間には親近感が湧いてしまう。それが特に仲の良い友人であれば、尚のことだ。
メジロマックイーンが動画に集中し、そんな様子をゴールドシップが観察する。そんな時間が僅かばかり過ぎて、動画内のレースは終わりを迎えた。
結果は、今年の『菊花賞』本番と殆ど同様だった。やはり、今年の三冠の締め括りは、彼女達の世代の総決算だったのだろう。タイムに変動こそあれど、上位五人──掲示板に乗る人数──の順位に変化なし……全員が常にベストを尽くしていなければ、こんな結果にはならない。
再生の終わった画面を数瞬ばかりじっと見詰めた後、メジロマックイーンは口を開いた。
「……ゴールドシップさん。今から並走出来まして?」
「出来るっちゃ出来るが……
動画のウマ娘達に触発されたのか、それ以外に思う所があったのか。急に並走を願い出たメジロマックイーンへと、ゴールドシップは残酷なまでの事実を告げた。
メジロマックイーンの目はリハビリの為に付き添う走り──ではなく、ゴールドシップの全力の走りを求めている。
しかし、ゴールドシップはGIウマ娘の中でも突出したウマ娘の一人である。いくらメジロマックイーンが冗談のように強いウマ娘と言えど、病気療養中にまともな勝負が成立する道理はない。GIウマ娘とは、そんな生易しい存在ではないのだ。
「ええ、わかってます。私はそれでも、本気で一度走っておきたいのです。メジロ家のウマ娘として、一日でも早く私自身の走りを取り戻す為に」
「うーん……まあ、構わねぇんだけどよ、体に障るくらいの全力はなしだぜ?」
本番レース直前のような目で頷いたメジロマックイーンへと、ゴールドシップは肩を落とした。
ずっと療養所に篭もりっぱなしの友人の、良い気晴らしになるかな……そう思って観せた動画は、想像以上に友人に火を着けてしまったらしい。やっちまったなぁ……と思いながら、走る量の調整が大変そうだと内心で愚痴る。
勿論、ゴールドシップは友人の為に手を抜く気はない。それにそもそも、今のメジロマックイーンでは体に障る程の全力は出せないだろう。リハビリを必死に続けていても、筋力と体力の低下は著しい。
それでも、ゴールドシップとしては判断を誤ったなと思わざるを得ないのだ。
メジロマックイーンが沖野からの頼み──迷走しているアフターマスへのアドバイスを断り続ける理由。
それは、一度は走る事そのものを諦めてしまった情けない自分自身ではなく、メジロ家としての自分で、幼い頃に懐へと入れた少女と向き合う為。自分を見失っている少女へ、見本となるべき姿で再会する為。
メジロマックイーンは、生来のリーダー気質を持ったウマ娘である。
その意味の重さを、ゴールドシップは測り間違えてしまったのだった。
「しゃーねーなー。でもさ、おめぇ……多分、今んままでも伝わるもん色々とあると思うぜ? テイオーだって寂しがってたしよ。なんなら今からでもアタシと合宿参加しねぇか? あと二、三日しかねぇけど、きっと楽しいぜ?」
「止めておきますわ。今の私が参加しても、練習のお邪魔になるだけですし。……そう言えば、ゴールドシップさんはどうして合宿に参加なさらなかったんですの? 私のリハビリに付き合って下さる為……だけではありませんよね?」
「どうしてって、そりゃおめぇ……このゴールドシップ様が
マックイーンの顔だって見たかったしな。そう宣ったゴールドシップへと、メジロマックイーンは呆れ顔を返す。お調子者のこの友人は、眉目が整っているので、
恐らく、煙に巻こうとしているのだろう。特に追求するような話でもないので、メジロマックイーンは釣られておく事にした。大丈夫だとは思うが、臍を曲げられて並走の約束を反故にされたくはない。
「まあ、ゴールドシップさんにはゴールドシップさんの考えがありますわよね。でも、あまり皆さんを困らせるものではありませんよ?」
「大丈夫大丈夫。ゴルシちゃんは最善の未来へ向けて日夜邁進してっからよ。敬愛するどじっ子系堅物お嬢様のマックイーンみたいに、トレーニング前にスイーツ食い過ぎて腹痛起こしたり、体重増え過ぎて絶叫したりはしないぜ。信頼と実績のゴルマークは安心の証ってな。あっ、今はあんまカロリー消費出来ねぇんだから、甘いもん食いすぎんなよ?」
「ご心配下さり有難うございますっ、でもそんなキャラになった覚えはありませんし、そんな事した覚えもありませんわ!」
小さく角を立ててみせたメジロマックイーンだが、実際は笑いながら悪びれるゴールドシップへと不快感を感じていない。
ゴールドシップが、悪戯小僧のような憎めなさをしているせいだ。或いは、何故か自分よりも遥かに幼い少女と相対している錯覚に陥るからか。
これだけ付き合いがあって厳密な学年を知らないのは不思議な話だが、メジロマックイーンからすればゴールドシップは殆ど歳の変わらない相手である。間違えても、自分よりゴールドシップの方が遥かに年下である……なんて事はない。
「……お? 動画のコメント結構あんじゃん。アタシが観た時はこんなになかったぜ。並走、ちょっとこれ見てからで良いか?」
「それは構いませんが……さてはゴールドシップさん、また私を嵌めましたわね? 本当は貴方、先に動画を観ていたでしょう」
「ゴルシちゃん、ちょっと何言ってるのかわかんなーい! 合宿に遅刻したお詫びに、スピカの皆にファンの声を届けなきゃだからぁ、真面目にコメント読まなきゃだしね!」
「……悪い事は言いませんので、その話し方やめた方が良いですわよ。似合ってる似合ってないではなく、純粋に怖いですわ」
「ひっでぇ」
ゴールドシップは笑いながら、動画のコメント欄を開いた。一人で見るのは気が咎めたのか、メジロマックイーンにも見えるよう端末が傾けられている。
黒地に白の文字は、動画投稿サイトを初めとしたメディア媒体に疎いメジロマックイーンには、少し見難かった。
「こういったものには、どんな事が載ってますの?」
「ん? マックイーン、もしかしてこういうの見んの初めて?」
「初めて……という訳ではありませんが、あまり見た事ありませんわね。必要な映像資料等は、学園やメジロの資料室で大体事足りますし」
「……学園の資料室と
ゴールドシップは顔を引き攣らせながら、メジロマックイーンにちょっと待ってくれよ……と言いながら携帯端末を自分だけに向け直した。
メジロマックイーンがこう言った物を殆ど見た事がない……という事は、彼女はネットのあれこれに耐性の低い
もし見せた動画コメントに誹謗中傷の類があった場合、色々と取り返しのつかない事になるだろう。そうあっては、何だかんだでメジロマックイーンを溺愛しているメジロ家の現当主に殺されかねない。
ゴールドシップは自身の身の安全と友人の心の健康の為、そう言ったコメントが載っていないかを先に確認する事にした。自分だけで見て終えても良いのだが……それでは、締りが悪い。
無言で画面をスクロールして行く。概ね好意的なコメントばかりで、たまに『最弱世代』を嘲るようなコメントが散見されたので、後で通報しておく事にする。
メジロマックイーンに見せるのは、好意的なコメントばかりが集まった辺りだけで良いだろう。そう思いながら、コメント欄の最下部へと指を走らせて──ゴールドシップは、動きを止めた。思わず、真顔になる。
「どっ……どうしましたの?」
「わっりぃ、マックイーン。アタシ、トレーナーから割と大事な用事頼まれてたの、思いっ切り忘れてたわ。並走、やっぱりなしにして貰って良いか?」
「えっ、ええ。それは勿論構いませんが……大丈夫ですの?」
「大丈夫大丈夫……って言いたいんだけど、今から車回して貰えたりしねぇかな? ゴルシちゃん、ちょっと焦ってますわ」
「よくわかりませんが……じいや、ゴールドシップさんに車を手配して頂けるかしら?」
「畏まりました、お嬢様」
「……どうしてゴールドシップさんが返事してますの?」
へへっ、ついな。それじゃ、また遊ぼうぜ。そう言って、ゴールドシップはじいやに案内されながら部屋を出て行った。
車の手配と言っても、メジロ家の療養所には専属の運転手が常に待機している。ゴールドシップが療養所を出るまで、時間は一切掛からないだろう。
何時会っても、本当に嵐のような少女である。『黄金の不沈艦』と渾名される少女であるが……どちらかと言えば、船を沈める側の存在ではないだろうか。そう思わずには居られない。
こくこくこくと、部屋の壁掛け時計の音が時を刻む。
リハビリに向かうのは、じいやが帰って来てからで良いだろう。ほんの少しだけ出来た、空白の時間。
基本的にスケジュールを組んで動くメジロマックイーンにとって、珍しいひと時だった。それ故に、こんな場合の時間の潰し方が特に思い付かないのだ──普段ならば。
メジロマックイーンは自身の携帯端末を取り出して、検索アプリを覚束ない手で立ち上げる。そのまま検索窓へと先程覚えた検索ワードを打ち込んだ。文字列は勿論、『スピカ特別菊花賞リベンジレース有馬記念直前杯』。
先程観た動画のコメント欄を見てから、ゴールドシップの態度があからさまに変化したのだ。その原因は恐らく、そこにあるのだろう。
普段のメジロマックイーンなら、そんな人を探る様な事はしないのだが……この時ばかりは、ゴールドシップに影響されたのか、悪戯心がふつふつと込み上げていた。中途半端に仲間の話をしたせいで、仲間達を感じられる何かが恋しくなったのかもしれない。
目的の動画ページが開き、コメント欄を開くバナーを見付けた。ほんのちょっぴりの背徳感を感じながら、メジロマックイーンはそれをクリックした。
表示された文字列は、スピカの仲間達のファンだと思われる人々の好意的なコメントばかりだ。まるで自分の事のように誇らしくなる。
……これを下にスクロールすれば、ゴールドシップが見た何かがあるのだろうか。そう思って、画面に指を添え──。
「──きゃっ!? な、なんですの……?」
画面が、急激に下に向けて動いた。うっかり端にある大きな矢印に触れてしまったが、それがいけなかったのだろうか。
慣れない操作に少しだけびくつきながら、メジロマックイーンは画面を確認する。
しかし、新しく表示されたコメントもやはり、好意的なものばかりだ。他の視聴者に話を聞こうとするコメントまであった……が、ゴールドシップが顔を変えるような、特別変わった内容のものは見受けられなかった。自分の思い過ごしだろうか。
部屋の扉がノックされ、ゴールドシップを送りに行ったじいやの声がした。携帯端末の画面を閉じて、入室を促す。
「失礼致します、お嬢様。ゴールドシップ様をお送りして参りました」
「有難う、じいや。ゴールドシップさんは何か仰ってたかしら?」
「はい。感謝のお言葉を言伝かっております。それと、この数日間、楽しかったとの旨を」
「ふふっ……早く日常を取り戻す為にも、リハビリを頑張りませんとね。じいや」
「はい、お嬢様。準備は出来ております」
老齢な従者に連れられて、今度はメジロマックイーンが部屋を後にした。扉が締まる音に締め付けられて、壁掛け時計の音が遠ざかる。
一日でも早く日常へと戻る為に、メジロマックイーンは今日も努力を惜しまない。肉体ではなく精神をくたくたにしながら、前に進むのだ。
昨日までは親友の一人が付き添ってくれたが、ここから暫くは一人の戦いだ。しかし、メジロ家としての誇りを思えば、そんなもの苦にもならない。
ウマ娘にとって本当に辛いのは、自分らしく走れない事だから。先程、動画で観た未熟者がやっていた様に。
……ふと、メジロマックイーンは思い立って口を開いた。
「じいや、そう言えば知っているかしら? 最近の出版社というのは、個人の動画にまで取材を行うみたいですわよ」
「そうで御座いましたか。時代は移り行くものですね。私のような古い人間には、考えも及びませんでした」
「じいやはまだまだ若いですわよ。ずっと私を支えて下さいね? 頼りにしていますわよ」
「畏まりました。老骨には勿体ないお言葉ですが、一日でも長くお嬢様を支えるよう精進致します」
幼い頃から付き合いのあった従者の返事に、メジロマックイーンは人知れず胸を撫で下ろした。子供っぽい感情だとは自覚があるので、表には出さない。
移り変わるもの。不変であるもの。メジロ家はその両方を見詰め続ける一族だ。何方が良い悪いではなく、何方も人々の血が通い、成立しているものだ。メジロ家のウマ娘たるもの、その両方へと寄り添い続けるのみである。
……しかし、自身はメディア関連に疎いと改めて気付く、一日の始まり方であった。
ゴールドシップが見せてくれるまで、あんな風に一つの動画を通じてファン同士が活発なやり取り行っているとは思いもしなかった。
ましてや、そこに出版社という経済活動が絡む存在も参加しているなんて考えも及ばなかったし、先程見た編集部の名前だって、まるで聞き覚えのない雑誌のものだった。大手なら粗方覚えているつもりだったが……アフターマスを未熟者と評した癖に、自分だってまだまだ精進が足りない。
──恐れ入ります。『週刊現代ターフ』編集部です。ご投稿された動画に関して、お伺いしたい点が御座います。お時間を頂く事は可能でしょうか。
スピカへと興味を持ってくれたらしい出版社のコメントを一瞬だけ脳裏に浮かべてから、メジロマックイーンは自身のスイッチを切り替えた。いつまでも、気を抜いた時間を続ける訳にはいかない。
スイッチを切り替えれば、自分はメジロのウマ娘である。常に人々の期待に応え続ける、誇り高きウマ娘である。差し当っては、自身の復帰を期待してくれる人々の為に全力を尽くす。
メジロ家足るもの、常に優雅に……人々へ夢を魅せる存在でなければならないのだから。