走り抜けても『英雄』がいない 作:天高くウマ娘肥ゆる秋
ジャパンカップに間に合ったので初投稿です。
「感っ動がっ! 足りないよぉぉぉおおおおおおっ!」
枯葉が舞う街路樹の隙間に、少女の声が響いた。
すわ何事かと、周囲のウマ娘達は一斉に目を向ける。しかし、大樹のウロに顔を突っ込む少女を見て、全員が苦笑いを浮かべながら視線を逸らした。
大樹のウロは、レースで負けたウマ娘の鬱憤を一身に受け止めてくれる、深い切り株の穴だ。どうしていつまでも撤去されないのかは不明だが、極々一部のウマ娘を除けば、殆どの学園生が卒業までに一度はお世話になる。
彼処で叫んでいるという事は──叫び声の内容は別として──つまりは
自分達だって負ければ
「ああああああああぁぁぁっ! 一着取りたいよぉぉぉおおおお! なんかすっごく格好良い感じで勝ちたいよぉぉぉおおおおおおっ! レースで皆を感動させたいよぉぉぉおおおおおおっ!」
心の底から震えを絞り出すように、大樹のウロに顔を突っ込んだ少女が叫ぶ。
勝利への純粋な想いと言うには俗っぽい願いが僅かばかり含まれているが、年頃の少女の願いとしては健全なものだろう。
レースで誰かを感動させたい。それは、ウマ娘ならば誰しもが多かれ少なかれ持っている欲求だった。
そんな願いを素直に叫ぶ友人へと、ゼンノロブロイは先程の周囲と同じような苦笑いを浮かべ、慣れた様子で声を掛けた。
「ハーツクライさん、そろそろその辺にしておこう? 喉を痛めて風邪を引いたら、有馬記念に出走出来なくなってしまいますよ?」
「それは分かってるけどぉぉおおおおおおっ! ジャパンカップで負けた悔しさとかぁぁああああああああっ!
ゼンノロブロイは相変わらずな友人の姿に、眉尻を下げながら頬を掻いた。
前回のジャパンカップで負けたのは自分もであるが、自分は私生活の中で負けを飲み込んで、もうとっくに昇華した口だった。
それに対してこの友人は、ジャパンカップから今日に至るまで一ヶ月近くもの間、快活な仮面の下に悔しさを隠しながら日々を過ごしていたらしい。
事ある毎に心が強いと評価される友人は、やはり掛け値なしに心が強い。諦めて開き直るのでもなく、喉元の熱さを忘れる為に飲み下すのでもなく。ずっと悔しさを鈍らせずに抱え続けられる事は、その何よりもの証明だった。
「急に予定空けられてもぉっ! 何すれば良いか分かんないよぉぉぉおおおおおおっ!」
ハーツクライさん、最近ずっとスケジュール通りの生活でしたもんね……と、ゼンノロブロイは心の中で合掌する。
本来なら、本日は『有馬記念』出走ウマ娘の直前会見が執り行われる予定であった。
目立ちたがり屋……と言うより、誰かを感動させたいという欲求が人の十倍くらい強いこの友人は、どうやらジャパンカップの敗北を今日で
記者会見を好むウマ娘は特別多いという訳ではない。多いという訳ではないが、好きなウマ娘はとことん好きだし、それでレースのモチベーションが上がるウマ娘だって実際に居る。そして、友人であるハーツクライは紛れもなくその顕著な例であった。
ハーツクライは最後に「せっかく心から泣けるスピーチ考えてたのにぃぃいいいいいっ!」と叫んだ後、すっきりした顔で大樹のウロから顔を上げた。
「ふう、少しだけすっきりした!」
「あはは……あれだけ叫んで少しなんですね……」
「だってすっごく気合い入れて準備してたしさぁ! だって有馬記念だよ、有馬記念! ファンに選ばれたウマ娘だけが走れる夢のレース……言い換えれば、ファンを心から感動させたウマ娘だけが走る最高のレース! そんなのもう、二回目だって会見から決めまくるしかないじゃん!」
『有馬記念』について楽しそうに語るハーツクライだが、どうやら話してる途中からまた悔しさが込み上げて来たらしい。大樹のウロへと再びちらちら視線を送り始めた。
大声で叫ぶのはそんなにすっきりするのだろうか……と一瞬考えたが、自分だって負けた直後は爽快な英雄譚をやけくそのように読み耽ったりするのだ。それと似た感覚なのだろうと何となく納得する。
「でも、安全上の問題なら仕方がないですよ。あくまでも本番は年末のレースですし」
「そうだけどさぁ……! 海外挑戦前の最後の国内レースだから、もう伝説に残るくらい格好良い記者会見にしたかったんだよね……!」
滅多に見る事がないくらい本気で落ち込むハーツクライへと、ゼンノロブロイは少し同情を抱く。
『有馬記念』のみならず、どのトゥインクル・シリーズのレースでも、仕上がりのお披露目を兼ねた記者会見が直前に行われる。
GIレースでは数え切れないくらい多くの記者を集めて会見を開くのが定番だが、ファン投票で選ばれたウマ娘だけが出走出来る『宝塚記念』と『有馬記念』の場合、GIレースの中でも格別華やかに会見を執り行うのが通例だった。
特に『有馬記念』は年末最後に行われる事から、トゥインクル・シリーズの一年の締め括りという意味でも特別なGIレースである。
『有馬記念』の出走表が公表されると同時に、街からはウマ娘以外の話題が消える……そう謳われる光景が、日本の年末の風物詩だった。
年明けに開催されるドリームトロフィーリーグの世界的レース、『ウィンタードリームトロフィー』と併せて、この二つのレースを観なければ冬を越せないと言うウマ娘ファンも多い。
それ程に特別なレースであるからこそ、少し特別な事情が絡む今年の『有馬記念』は、例年のそれよりも更に世間の注目を集めていたのだ。
シンボリルドルフ以来の無敗の三冠ウマ娘による、
果たして、新しい時代の風が勝つのか、積み重なった歴史の意地が勝つのか。今後のウマ娘の未来を占うような世紀の一戦。
それこそが今年の暮れの中山で行われるメインレース。夢だけが走り、夢だけが栄光を飾る『有馬記念』。
だからこそ各社報道機関は、それはそれは盛大で華やかに『有馬記念』の報道を行う予定であったのだ。
気の早い企業であれば、自社の雑誌やテレビ番組に出走ウマ娘達の枠を用意してまで、翌年の年間スケジュールを組む程の入れ込みようだった。
今年の『有馬記念』関連のあれこれは、レースの結果がどうであれ好調な数字を叩き出すのが目に見えていた。その実入りを踏まえた上で、来年上半期の予算案を組む企業だって少なくはなかった。
報道機関をはじめ、ウマ娘が関わる企業にとって、今年の中山は正しく夢の大一番であったのだ。
──ウマ娘達の心身の安全確保を目的として、『有馬記念』出走ウマ娘のメディア出演を当面停止する……そう、中央トレセン学園とURAが声明を出さなければ、であったが。
同時に、各種メディアが学園へ立ち入る事まで制限──実態は事実上の禁止である──された事も、各方面への大きな痛手となった。
とある出版社の
多額の機会損失を生み出した怨敵に、必ず報いを受けさせる……そんな決心を、多くの大人達に抱かせる程には。
「そんなに落ち込まないで下さい。ほら、レースはきちんと放送されるみたいですし……取材こそないですが、私達の意気込みはURA経由でテレビや新聞に載りますよ?」
「……意気込みって、さっき書いたメッセージカードみたいなやつだよね? あれはあれで楽しかった! でもきっと、ファンの皆に直接声を届けられたらもっと楽しかったよ! ようやく噂のアフターマスさんにも会える筈だったしさ!」
心底口惜しい! ……と顔に書いてある友人へと、ゼンノロブロイは首を傾げた。
ファンに直接声を届けるのは難しいかもしれないが、アフターマスに関してはそんなに会いたいなら会いに行けば良いのではないだろうか。直接会いに行けない事情でも何かしらあるのだろうか……割と頻繁に図書室でアフターマスと遭遇する少女からすれば、妙な事で落ち込む友人に対してそんな感想しか出なかった。
アフターマスはチームリギル所属のウマ娘ではあるが、冬季合宿はチームリギルではなくチームスピカと一緒に行っていた筈である。チームリギルは今でも合宿で不在だが、アフターマスとチームスピカならば合宿を終えて、昨夜に学園へと戻って来ているのだ。
そもそも、本来行われる筈だった直前会見の開催予定日自体、出走ウマ娘全員の都合を鑑みての本日だった。
海外挑戦の準備で忙しいハーツクライや、トゥインクル・シリーズからドリームトロフィーリーグへの転向を視野に入れたゼンノロブロイ、アフターマスのように合宿に参加するウマ娘達の都合を上手く勘案して、唯一空いている日がこの日だったのである。
つまり逆に言えば、アフターマスに会おうと思えば、本日ならば普通に会える。
「えっと……ファンの人に声を届けるのは難しいけど、あの子に会いたいなら会いに行けば良いんじゃないかな?」
「え、誰に?」
「アフターマスさん。昨日、合宿から帰って来てるよね?」
ぽく、ぽく、ぽく……と時間が過ぎる。
急に凍り付いたように動きの止まった友人を訝しく思いながら、ゼンノロブロイは再度友人へと声を掛けようとして──「それだっ!」という音の爆発に耳をへたらせた。
「そうだよそうだよ! ロブロイさん天才っ! 今日なら会えるじゃん! うわ、完っ全にうっかりしてたよ! アフターマスさん、チームスピカじゃなくてチームリギルだけど、合宿はスピカとだった!」
アフターマスはチームスピカではなくチームリギルである……そう強く自身へと刷り込んだ結果、アフターマスがスピカと一緒に合宿へ参加したと知っていた筈なのに、アフターマスはリギルの合宿に参加していて不在だと思い込んでいたのである。
不在なら前々から予定されていた事前記者会見に参加出来ない……そう分かっていた筈なのに、だ。
『有馬記念』と夢の海外挑戦に心を持って行かれ過ぎたなと、ハーツクライは内心で恥じた。
「よし、そうと決まればこんな事してる場合じゃない! 行動あるのみ!」
「あはは……ハーツクライさん、本当に元気だねー……」
「元気もないのに人を感動させられますか! さあ、いざスターの下へレッツゴー!」
好奇心旺盛だなぁ……と、ゼンノロブロイは心の中で小さく呟いた。
そしてハーツクライが勢い良く駆け出そうとして──急ブレーキを掛けた。
はて? と思いゼンノロブロイは首を傾げる。
ぎぎぎ……と音が聞こえそうな動きで友人が振り向く。これはもしや……と思ったが、次の瞬間には、
「……ロブロイさん。そういやアフターマスさんが今、何処に居るか知ってる? 多分、今の時間だとスピカの部室には居ないよね?」
やっぱり居場所の見当なく動こうとしてたんだねー……と、ゼンノロブロイは頬を掻いた。
何でも取り敢えず動いてみる。それが真っ直ぐ過ぎる友人の長所であり短所でもあった。
しかし、それを補ってこその友人だろう。
「心当たりはあるけど、合ってるかわかりませんよ?」
「大丈夫! その時はその時で、あちこち探し回るから順番が入れ替わるだけだよ! 何の問題もない!」
「そっか。じゃあ、その時は私も付き合うね。多分、アフターマスさんなら今は──」
■□■
「よしっ、悪くないタイムだ。そんじゃ、一回インターバルを挟んで──」
「──すいません、もう一本お願いします!」
「……本当に、次の一本で休憩入れるからな」
「はいっ!」
返事の音を置き去りにして、アフターマスが再び学園の芝を踏み締めた。
自身が最初に休憩の音頭をとってから、延長はこれで三本目だ。次で本当に休憩を取らせよう。沖野は固く決意した。
体感で
合宿終了間際まで、恐らく猫を被っていたのだろう。上手く誘導しなければ、とにかく静止を振り切って走ろうとする。まるでブレーキが壊れているようなその姿に、同僚の東条の苦労を感じ取った。
風を置き去りにするように、小さなウマ娘が駆けて行く。
町内会で開かれるようなちびっ子レースに出走していても可笑しくない……そんな風貌で、世界最高峰の
突風に吹かれた落ち葉のように、飛ぶように……大きな焦りを滲ませながら。
どうしてこうなったのだろうか。先日の雑誌記者は、本当にろくでもない事をしてくれた。
本当ならば今頃、アフターマスはこんなに鬼気迫る焦り方で走ってはいない筈だったのだ。
「……速いなぁ、あいつ」
休養を装ったチームスピカによるアフターマスの
アフターマスの目下の弱点は、フィジカルではなくメンタルにこそ存在する……それが、沖野と東条の共通の見解だった。
だから、本人にとって新しい環境だからこそ出来る遠回りを、このタイミングだからこそ行った。
ゴールドシップに誘拐紛いなエスコートをさせて、型に嵌らないウマ娘の姿を見せた。その中で、
ウオッカとダイワスカーレットと共に外出させて、買い出しの名目で時間を共有させた。その中で、自分を貫き通す意義と、仲間であり敵であるという関係性を学ばせた。
トウカイテイオーがこそこそとアフターマスの様子を伺っていたので、大体の思惑を察した上で接触させた。その中で、自身の在り方を理解した者の強さを学ばせた。
駄目押しとばかりに、模擬レースに
アフターマスが気付いていない、速くなる為のヒント。
それを存分にちらつかせて、まだ見ぬ可能性という希望を、自発的に見付けさせたのだ。そして日常生活を通じて、スピカの中で得た
本来ならば、後はスペシャルウィークに頼んで、個性豊かな黄金世代やハルウララ達と遊びにでも行かせて、多様性ある強さの在り方を感じさせるだけで良かった。それだけで、アフターマスは自分らしさを見付けて、精神的な成長を遂げて、円熟した強さの土台を身に付ける筈だったのだ。
そうなるように、合宿前から東条とずっと計画を練っていたのだから。
──それを、悪意ある人間の声が全て叩き壊した。
現代ターフの記者から奪ったボイスレコーダーを聴いて、愕然とする思いだった。
アフターマスがスピカとの生活の中で学んだものが、丁寧に否定されていたのだ。アフターマスがようやく見付けかけた小さな希望は、見るも無惨に踏み躙られていた。
視線の先で、必死にウマ娘が走る。風に吹き飛ばされそうな程に、立ち姿が頼りない。自分に嘘を吐くのが上手すぎる少女の、不器用な在り方だ。恐らく、彼女は彼女の本心からすらも目を逸らしている。二ヶ月そこらの付き合いだが、それで十分判断出来るくらいには、アフターマスというウマ娘は判り易かった。
強さとは何なのか。栄光とは何なのか。長くトレーナーを続けている沖野だからこそ、背伸びし続ける無敗の三冠ウマ娘を見ると、そう思わずには居られない。
アフターマスが、ラスト1ハロンをロケットのように駆け抜けた。殆ど捨て身の走りだ。いつも以上に前傾姿勢で、途中で躓こうものならそのまま大惨事だろう。
沖野は無意識に止めたタイマーを覗いた。
タイムは……合宿中に計った時計より、ずっと悪い。疲労が溜まっているのだから、当然と言えば当然だったが……それを勘案しても、正直──。
「……
「もう一本お願いします!」
「……駄目だ。レース前に脚を痛めては──」
「お願いします!」
お願いします。そう言いながらも、アフターマスは此方に背を向けて、既に走ろうとしている。
こんなに頑固なウマ娘は初めて見たかもしれない。そう感心するが、それはそれ、これはこれだ。体を張ってでも、絶対に走らせない。
こんな事なら、誰かしらスピカのウマ娘を連れて来れば良かったかと思う……が、今アフターマスが行っているのは『有馬記念』の為の調整メニューだ。正直、他のウマ娘を付き合わせるのは良い手とは言えない。他のウマ娘の為にもならないし、露骨過ぎてアフターマスに色々と察されてしまう。そうなってしまっては、今度こそ本当に、全てが水の泡だ。
沖野は、体を張る覚悟を決めて、アフターマスの前へと駆け出そうとして──。
「──御免っ下さぁいっ! 此方にアフターマスさんがいらっしゃるとお伺いしたのですがっ! 此方にいらっしゃいますでしょうっ!? いらっしゃったぁっ! やった、やったよロブロイさん! あちこち回って、ようやくアフターマスさんに会えたよぉぉおおおっ!」
誰かが、賑やかな空気を纏って、ターフに現れた。
一つ纏めの長い髪。綺麗な青色のイヤーカバー。そして、中央トレセン学園指定の制服──は、何処かを走り回って来たのか、少し乱れている。
服装こそ違えど、最近のレース映像で何度も見るウマ娘だ。それも、ただのレースでは無い。強さを証明したウマ娘だけが出走するGIレース……その入着常連者である。
「お前さんは──」
「──ハーツクライ、先輩」
ぼそりと、アフターマスが呟いた声が微かに聞こえた。
今にも走り出そうとしていたアフターマスが、此方へと──と言うより、ハーツクライへと──振り向いていた。
その目にはいつも以上に判り易い、警戒心のようなものが見て取れる。
走りの偵察に来た……なんて、思っている訳ではないだろう。アフターマスはそんな事を気にする性格ではない。
では何を警戒しているのだろうか。これは……どうしてか、全く読めない。
「ま……待って下さいぃ……! 幾ら何でも、置いて行くのは酷いですよぅー……」
か細い声を震わせながら、再び新しいウマ娘が現れた。此方も……と言うより、此方の方がハーツクライよりも有名人だ。
秋シニア三冠ウマ娘にして、前回の『有馬記念』でレースレコードを叩き出した怪物、ゼンノロブロイ。大人しそうな見た目をしているが、世間からはアフターマスのシニア挑戦最大の壁と謳われるウマ娘である。
沖野は、ちらりとアフターマスを覗いた。
すると今度は、何故か少しだけ怖がっているように見えた……が。それも一瞬の事で、特に動じた様子がないようにも見える。怯えたように見えたのは、自身の勘違いかもしれない。
アフターマスはぺこりと二人へ向けて会釈した。
「ロブロイ先輩、ご無沙汰してます。ハーツクライ先輩は初めましてですよね。宜しくお願い致します」
本当に第一印象だけは優等生だよなぁ、こいつ。
アフターマスのじゃじゃウマ娘っぷりに慣れてきた沖野は一瞬そう思うも、敢えて言う必要もないので口を
そうこうしている内に、ずんずんとハーツクライはアフターマスへと歩み寄った。
「はい! ハーツクライです! お噂はかねがね! こちらこそ宜しくお願いしま──す?」
そしてそのまま、ハーツクライは握手を求める様に手を差し出そうとして──何故か動きを止める。
元気溌剌と言った様子のハーツクライは、笑顔のまま困惑するという器用な事をやってのけた。そして何を思ったのか、アフターマスの方を向きながら、観察するようにくるくると周りを回り始める。
「ハーツクライさん! いきなりそんな事したらアフターマスさんが吃驚してしまいます! ……えっ、というか本当に何をしてるんですか?」
ハーツクライに遅れて、ゼンノロブロイも駆け寄る。
突然の友人の奇行にゼンノロブロイが慌てて声を掛けるも、ハーツクライは至って真剣な眼差しでアフターマスを観察し続けている。生返事すらしないあたり、今のハーツクライに友人の声は届いていないようだった。
「……あの、ごめんね、アフターマスさん。ハーツクライさん、本当に悪い人じゃないんだけど……なんて言うか、猪突猛進な所があって」
「あ、いえ。大丈夫です。
ゼンノロブロイが頭上にはてなマークを浮かべた。アフターマスの台詞に違和感を感じたのか、小首を傾げる。
だが、そんな友人が違和感の正体を探り当てる前に、ハーツクライが「あのっ!」と、口を開いた。ハーツクライの視線の先は、相変わらずアフターマスだった。
「間違えてたらすいません! というか、多分間違えてると思うので先に謝らせて下さい! 本当にすいません!」
「あの、何がですか?」
「はい! えっと……アフターマスさん、何処かで私と会った事ありませんか!?」
間違えている……と言った割には、ハーツクライは自信ありげに口を開いた。
しかし、困惑した様子が滲んでいるあたり、本人も心当たりなく言っているのかもしれない。
第三者である沖野からすれば、全く意味の分からない状況だった。アフターマスが数瞬無言になったのも、状況に拍車を掛けている。
沖野は、仕方がないな……と、三人に歩み寄って口を挟んだ。
「アフタ、何処かで会った事あるのか? もしくは、ハーツクライのレース見に行って目が合ったとか」
「あ……すいません、ちょっと心当たりを探してました。多分、
すいません。基本的に学園から出ないんですよ、俺。レース場どころか、買い物だって割とネット頼りですし……。
そう口をもごもごと動かしながら、アフターマスはハーツクライへ向けて申し訳なさそうにしている。少し伝え方を間違えれば、「俺、貴方なんてこれっぽっちも眼中にないんですよ」と誤って伝わりかねないからかもしれない。
しかし、ハーツクライは全く気にした様子なく、あははと笑いながら頬を掻いた。
そうですよね……と口にして、少し恥ずかしそうにしている。
「ごめんなさい! 正直、私も心当たりがなくて困ってたんですよね! 私も忙しくて、アフターマスさんのレースを見に行った事ないですし!」
「……ハーツクライさん。その言い方だと、『私、アフターマスさんに興味ないから』って言ってるように聞こえちゃいますよ……?」
「へっ? あっ、え、違っ……興味ありますっ! 私、アフターマスさんにすっごく興味津々ですよ!」
それはそれで、何か意味が違うんじゃないかなぁ……ゼンノロブロイは苦笑いを浮かべた。
ハーツクライという少女は、アフターマスとは違う形で判り易い少女のようだ。
それはそれとして、万が一空気が変な方向に流れては居た堪れないので、沖野は再度口を挟んだ。
内心では、突然現れた少女達に感謝しながら。
二人が急に乱入してくれたお陰で、暴走機関車じみていたアフターマスは、もう完全に走り出すタイミングを失っている。
「で、お前さん達は何の用で来たんだ? アフターマスの偵察に来た……って訳じゃないんだろ?」
「はい、偵察じゃないです! 今日は会ってみたくてお伺いしました!」
「……それだけか?」
「はい、それだけです!」
堂々と胸を張ったハーツクライに、沖野はぽかんとした。アフターマスに横目を向けてみれば、見事なほど目をまん丸くしている。
不屈の闘志で知られる現在のシニア戦線最強候補の一角が、ここまで純粋で明快な性格だとは思っていなかったのだろう。常に何かに追い詰められている顔をするアフターマスであるからこそ、特に。
沖野としても、何かしらの返答をし難い間が生まれた。
ハーツクライの友人であるゼンノロブロイが、しょうがないなぁと言いたげに口を開く。何かしらの補足を行うようであった。
「えっと……本当は、もっと前にアフターマスさんと会ってお話がしてみたかったみたいなんですよ。でももう有馬記念間際だから、作戦や準備に差し障りがないように会うだけにしておこう……って考えみたいです」
「ですです! だから此処に来た時、丁度練習の真っ最中だったので『うわぁ……やっちゃったなぁ……』って正直思いました! だから今のテンションは半分やけくそです! 本当にごめんなさい!」
本当に凄いあけすけだな、こいつ。これが若さか。
沖野はそう頬をひくつかせた。自分が時間と共に置いて来たものを存分に見せ付けられている気がしたのだ。
「でも、会いに来て正解でした! なんでかは分からないんですけど、すっごくやる気が湧いてきますので!」
それはそれとして、練習を邪魔して本当にごめんなさい!
重ねるようにそう謝罪するハーツクライに対して、沖野はにやりと笑った。
「いいや、全然大丈夫だ。丁度、練習に一区切り付いた所だったからな。一度、スピカの部室に帰ろうと思ってたんだよ。なっ、アフタ」
「えっ。いや、あの……はい。そうですね」
よし、言質取った。沖野はアフターマスを見ながらそう思った。アフターマスの性格上、此方の面子が潰れるような事はしないだろう。
それに……。
「良い仕上がりだな。ハーツクライ、所属はカノープスだっけ」
「はい! トレーナーさんやチームの皆に、日々ご指導ご鞭撻を頂いてます!」
制服の上からでも分かる程の、最高の仕上がり。ゼンノロブロイも中々
チームリギルの東条と同様に同僚である、チームカノープスのトレーナー南坂の手腕に沖野は感服する。
最近はチームスピカとチームリギルの二強時代と呼ばれているが、他のチームだってやはり侮れない。特に、人畜無害な顔で躊躇なく奇策を弄してくる南坂の、今乗りに乗っている担当ウマ娘であれば。
ハーツクライと軽いやり取りを交わしながら、沖野はちらりとアフターマスを盗み見た。珍しく、好戦的なような、悔しがるような……何とも形容しがたい、そんな不思議な顔だった。
ウマ娘の仕上がりを見る目に乏しいアフターマスからしても、やはり今のハーツクライは良く見えるらしい。
「さて。そんじゃあ俺達は、部室に帰って有馬の対策を練り直すとするよ。お前さん達、想像以上に強そうだしな」
「はい、光栄です! 私も帰ったらアフターマスさんの研究をやり直しますね! 実際に見てみると、やっぱり
ぴくりと、アフターマスの尾が揺れたのを沖野は見た。
先輩に褒められたのが嬉しかったのだろうか。アフターマスは判り易いウマ娘であるが、チームリギルが言うように何でも筒抜け……とまでは、沖野はまだ言えない。
ハーツクライが、アフターマスへと向き直った。
「アフターマスさん! 私ね、絶対に今度の
そろそろ解散しようか。そんな空気の中で、ハーツクライはアフターマスへと宣誓布告を言い放った。
お互いに初めて会ったと言っていたが、初めて会った相手へ向けるにしては、ハーツクライの目はやる気に満ち溢れている。アフターマスも、珍しく競争相手を意識しているようだった。
「……ハーツクライさん。ジャパンカップはこの前終わったでしょ? 今度走るのは有馬記念だからね?」
「へっ? 私、なんて言ってた? もしかして、言い間違えてたりとか……」
ハーツクライが沖野とアフターマスを交互に見た。二人揃って、居た堪れない顔をしている。
ただ無言を返す二人を見て、ハーツクライは徐々に顔を朱で染めた。
「えっと! とにかく! ジャパン……じゃなくて有馬ぁ! 有馬記念で勝ちますから! 絶対に、観客全員が感動するような全力の一戦にしましょうね!」
顔を真っ赤に染めながらも、ハーツクライは逃げずに言い切った。
メンタルすげぇなこいつ……そう沖野が感心する傍で、アフターマスが頷きを返す。
「絶対に……絶対に、俺が勝ちます。皆の誇りになるのは、俺です」
意気軒昂──台詞だけを見れば間違いなくそう感じる応答だった。
しかし、何故だか沖野はアフターマスが遠くに居る様な錯覚を覚えた。
錯覚を共有した訳ではない筈だが、ハーツクライは一瞬だけ寂しそうな顔をして……先輩らしい、強気な笑みを浮かべた。ゼンノロブロイも、口角を上げて好戦的な笑みを浮かべている。
「私達に勝てるものなら勝ってみて下さい、スーパースター! 中央トレセンの先輩ウマ娘は、強いですよっ!」
青い空に、少女達の熱が立ち上った。冬真っ只中であっても、青春に
この少女達が描く軌跡は、きっと美しいものだろうな。沖野はそう感じる。泣いても笑っても、来週には今年最後のトゥインクル・シリーズ最強ウマ娘が決する。
沖野としては、可能なら隣に立つ小さいウマ娘に勝って欲しいが……それよりも、本人達にとって実りの多い日になる事を祈った。
少女達の人生は、まだ始まったばかりなのだから。
【ハーツクライ】
・主な勝ち鞍
2005年 有馬記念(二着:■■■■■■)
2006年 ドバイシーマクラシック(二着:コリアーヒル)
・引退レース
2006年 ジャパンカップ(一着:■■■■■■)
レース直前に喘鳴症が発覚。不安が残る中で奮闘するも、■■■■■■に敗れ馬群に沈む。陣営の協議の結果、同馬の体調を優先し、11月28日、このレースを最後にターフを去る事が発表された。
次回、有馬記念。