走り抜けても『英雄』がいない   作:天高くウマ娘肥ゆる秋

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第3話 菊花賞

 黄金世代の再来と呼ばれるはずだった。

 申し子や神童と呼ばれるウマ娘達が揃った世代だった。

 

 まだトレセン学園に進学出来ない(よわい)のウマ娘が競い合うリトルリーグ。そこでは、自分達の世代が幾つもの記録を塗り替えた。

 自分達こそが日本のウマ娘業界を牽引し、(いず)れは『日本のウマ娘のレベルは低い』という世界の偏見を覆す。そう信じて疑わなかった。

 

 ──アフターマス以外が弱い世代。

 

 どうして、そう呼ばれるようになってしまったのだろうか。気が付けば、そう囁かれていた。

 アフターマスが強いのではなく、同世代のウマ娘が全員弱いだけなんじゃないか。そう、したり顔で語るファンも居た。それくらい、バ鹿げた話だった。

 

 無敗の三冠は、夢物語。

 シンボリルドルフの時代だから起きた、再現出来ない神話。

 

 ミホノブルボンやトウカイテイオーが夢敗れ、無敗の三冠が露と消えた時から、そんな声が流れ始めた。

 

 セントライトとシンザンだけの物だった三冠を、自分の物にもしてみせたミスターシービー。

 ミスターシービーから玉座を勝ち取り、最強となったシンボリルドルフ。

 シンボリルドルフの伝説に挑むように、圧巻の走りで新時代の到来を告げたナリタブライアン。

 

 三冠ウマ娘とは、最強の証明だった。

 そして、()()()()()()()()とは、シンボリルドルフだけが起こした奇跡だった。

 今後、どれだけ強いウマ娘が現れても、無敗の三冠ウマ娘だけは現れない。そう言われていた。

 自分達も、そんなの当たり前だろう……そう言って、当然の事として受け入れた。

 無敗の三冠ウマ娘が自分の目標である、そう言ったクラスメイトを笑った事だってある。そんな夢を語るのは、もっと小さい子供だけだ、と。

 

 シンボリルドルフが無敗の三冠を達成して以来、世の中では様々な変革が起きた。

 走法の新しい理論、栄養学の発展、科学的な裏付けのあるトレーニング方法、エトセトラ。

 僅か数年で、多くの常識が覆り、新説が提唱され、『ウマ娘』全体のレベルが押し上げられた。それを証明するように、レースレコードやコースレコードの更新が起き、ワールドレコードさえも更新された。

 

 日本のレースに出走するウマ娘のレベルが、かつてシンボリルドルフが無敗の三冠を戴いた時よりも、高くなっている。

 それが顕著なのは、ワールドレコードを更新したセイウンスカイや、凱旋門賞覇者でヨーロッパ王者でもあったブロワイエに勝利したスペシャルウィーク……そして、彼女達と同格の怪物達が名を連ねた()()()()だろう。

 もし、別の世代に生まれていれば、三冠ウマ娘だった。黄金世代と称されたウマ娘達は、全員そう謳われていた。

 

 三冠でも可笑しくなかったレベルの、ウマ娘達の競い合い。ある時は勝ち、ある時は負ける。こいつだけには勝ちたい、お前だけには負けるもんか。そういう想いを抱えて、接戦する同格の強者達。

 黄金世代程に極端ではなくても、近年のレースはそういった傾向が強くなって行った。それは、自分達の世代でもそうなるはずだった。

 

 次から次へと生まれるドラマ。熱い接戦。甲乙付け難い、華やかなレースの数々。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 ……初めはそれらに熱狂していた観衆達が、少しずつ、少しずつ、その()に慣れて行った。

 今日こそは此方が勝つ。次こそは、其方が勝つ。最初はそうやって興奮していた人々は、何時しか一つの存在へと、再び鮮烈な夢を見た。

 

 ──無敗の三冠ウマ娘。

 

 不可能だ、と誰しもが思っていた。けれど、その光を諦め切れなかった。

 無敗の三冠。傷のない三つの冠。たったそれだけの存在が、多くの人を狂わせる魅力を持ってしまっていた。

 例え本心では、誰もが『不可能である』という現実に、理由を付けて納得していても。

 

 無敗の三冠ウマ娘。次のシンボリルドルフ。唯一抜きん出て、並ぶ者なき絶対王者。

 

 気が付けば、観客達は全員がそれを求めていた。無敗の三冠ウマ娘が生まれる事だけに注視して、数多くの名勝負を軽んじるようになった。

 

 ──出来る訳がない!

 

 それを求められた、多くの若いウマ娘達が口を揃えた。

 だって、そうだろう? 自分達は、強いのだ。歴代の名ウマ娘達にも引けを取らない程、強いのだ。

 友がいた。好敵手がいた。目標がいた。それら全てが強かった。

 例え、()のシンボリルドルフであっても、自分達と同じ世代で三冠を目指せば、無敗の三冠ウマ娘にはなれない。そう確信出来る程に。

 

 ──それなのに、彼奴は現れた。

 

 アフターマス。小さなウマ娘。名家生まれの味噌っ滓。

 自分達の世代でも、一際有名だったヴァーミリアンやカネヒキリ達と、同じ家門出身のウマ娘。

 一応は、彼奴と同門のウマ娘から話は聞いた事があった。

 

 何か、速い奴がいる。でも走法はへんてこで、レースの定石も知らないし、家の人達からも全く期待されていない。体も頑丈じゃなさそうだから、その内勝手に潰れて、将来は大成出来そうにない奴。

 そういう評判。

 だから、気にもしていなかった。彼奴が初めて同じレースに出走した時、同期達は誰も目を向けていなかった。

 

 ──なのに、レースが終わる時。彼奴は何故か悔しがった顔で、誰よりも最初にターフを駆け抜けた。

 

 ……ああ、アフターマス。私達の時代の名前と呼ばれるお前。お前が初めて私達の前に現れてから、何度私達は負けただろう。

 私達を見ないまま、お前は何度、ゴールラインを駆け抜けた?

 遂に菊花賞になってしまった。私達はお前に負けたまま、とうとうこの日を迎えてしまった。

 私達の知らない所から飛んで来た、翼の生えた怪物。

 多くの仲間達の心を折り、輝かしい未来を摘んだ、たった一人のお前。

 お前だけは、必ず倒す。今日だけは、お前に前を譲らない。

 無敗の三冠ウマ娘だけは、今日は誕生させてやらない。お前のような奴がいるのなら、いつかは生まれるだろうけれど。だけど、それは今日ではない。

 何があっても、お前にだけは『無敗の三冠ウマ娘』を名乗らせない。最弱の世代と呼ばれてしまった、仲間達との誇りに賭けて。

 だから──。

 

『──注目の一番人気、4枠7番アフターマス』

『──素晴らしい仕上がりですね。これは会場に集まった14万人と、テレビを観ている全てのウマ娘ファンの夢を叶える走りを、見せてくれるのではないでしょうか』

 

 ──そんなに遠くに、行かないで。

 

 

■□■

 

 

 蹄鉄の確認をする。落鉄なんかされては、堪ったものでは無い。

 勝負服を軽く整え直す。両肩を覆うマントを引きちぎりたい欲求が湧くも、ぐっと堪える。レースが始まれば、邪魔な長いマントも何故かしっくり来る。それを知っているから。

 脚部の関節、腰、背骨の節。レースで特に必要な場所へと一つ一つ意識を向け、異常がない事を改めて確認する。ミホノブルボン先輩なら、システムオールグリーンとでも言うのだろうか? 取り敢えず、俺の今のコンディションはそんな感じだった。

 

 パドックでのお披露目を終え、今はレース場へと続く通路の途中。道の先に見える光の中へと飛び出せば、もうそこは戦場である。一々、服の事を気にしている余裕はない。

 この菊花賞で、ディープインパクトを地に落とす。先にゴールへ駆け込むまで、一瞬足りとも油断は出来ない。

 服が風で纏わり着きましたー……蹄鉄の収まりが悪くて踏ん張れなかったー……だから走りに(かげ)りがありましたー……なんて言い訳は通用しない。

 それで負けたなら、『そっか。で? でも負けは負けでしょ?』と、たった一つの真実だけが事実となる。()に勝つ為の準備だけは、何一つ怠る気はない。

 

 かったかった(勝った勝った)と蹄鉄を鳴らしながら、ターフへと躍り出た。

 暗闇から光の中への移り変わりが、俺をぴりぴりとした緊張感へと引き摺り込む。

 

 ──幾許(いくばく)だけの、静寂。

 ──次いで、空気が叫んだ。音だけで、京都レース場が揺れる。

 

『来ました、アフターマスです! 歴代のウマ娘達の夢を一身に背負い、今っ、入場です!』

『いやぁ……パドックでも感じましたが、今日の仕上がりは他のウマ娘達と比べても、頭一つ以上抜けていますね。ファンからの声援が鳴り止みません』

 

 実況さんや解説さんって大変だなぁ、と。ふと、走る為の脳とは違う所で、ぼんやりと感じた。

 こちとら、誰かの夢を背負ったつもりなんて一度もなくて。()ならともかく、他の()()()の仕上がりがどうとか、そもそも何処をどう見れば判断出来るとか、あんまり分からない。

 それを知識と経験だけで、多くの人へと盛り上がるように伝えなければならないお仕事。成程、俺では確実に務まらない。やっぱり実況さんと解説さんは、凄いなぁ……と思う。

 

 ぼんやりと会場を見回すと、腕組みをしている東条さんを柵越しに見付けた。隣には、ルドルフ先輩とブライアン先輩の三冠コンビが控えている。他の皆はどうしたんだろう。

 取り敢えず、東条さんの下へと近付く。

 

「東条さーん! なんか今日のお客さん、こう……凄いですね。耳もげそう」

「それだけ、貴方の走りが期待されてるって事よ。観客動員数約14万人。加えて、事前人気投票で八割以上のファンが貴方を支持したらしいわ。どちらも快挙ね、おめでとう」

「あ、ありがとうございます……? まあ、だからといって何かが変わる訳でもないんですけど。今日の俺はとっくに好調()で快調()な絶好調()ですし。ね、会()

「……ネタの()()は滑るんじゃなかったのかい?」

「え、なんの事です?」

「お前なぁ……」

 

 ブライアン先輩が呆れたような目をした。

 

「所で、他の先輩方は?」

「……貴方。昨日のミーティング、聞いてなかったわね?」

「えっ。いや、決してそんな事はないんですけども──」

「アフタなら涎食って寝てたぞ」

 

 予想外の弾丸に、目を見開く。

 東条さんの目がすっ……と細まった。

 ブライアン先輩がやれやれと言いたげに眉尻を下げている。昨日のミーティング中に、こっそり起こしてくれた優しさは何処に消えたのだろうか。

 

 ──その直後にまた寝始めた罰だ。ちょっとは反省しろ。

 

 そういう事らしかった。

 目は口ほどに物を言うらしいけれど、ブライアン先輩の場合は、口よりも目の方が雄弁に語るし、饒舌だ。

 

「……まあ、良いわ。大舞台でもいつも通りなのは、貴方の持ち味だとでも思っておくわ」

「……以後、気を付けます。はい」

「思ってもない事は口にしない方が良いわよ。……それで他のメンバーだけど、マスコミが()()()()()だから、私達も入れて三つのグループに別れて観戦する予定よ」

 

 東条さんが軽く後ろを示せば、成程。何処ぞのカメラマンやリポーター達が押し寄せようとするのを、かなり後ろの方でURA職員と思しき人達が抑え込んでくれていた。

 ……男性職員よりも女性職員の方が活躍してるように見えるが、あの女性職員さん達はウマ娘なのだろうか。帽子でどちらの耳も見えないので何とも言えないが、多分そうだろう。

 

「……ああ。そう言えばダービーの時もごった返してましたもんね。あの時はレース後でしたけど」

 

 勝っても負けても、今日のレース後はもっと凄いわよ。そう言う東条さんへと、本気で嫌な顔を返した。

 マスコミが既に準備万端で集まっているのは、俺がレースの前後にチームの所へ寄ると考えたからだろう。全く以て正解である。俺のルーティンでもあるから、考えるまでもないのかもしれないが。

 そしてそれを見越した東条さん達によって、チームリギルの三分割作戦が実行され、功を奏した。恐らくはそんな感じだろう。

 

 会場内でも少し()()()場所を探す。すると案の定、幾つものカメラマンやリポーターに囲まれた先輩方を見付けた。

 レースを走る俺がいないからか、向こうのマスコミ達は比較的大人しかった。URA職員が抑え込まなくとも、片方はテイエムオペラオー先輩が、もう片方はマルゼンスキー先輩が上手くいなしているようだった。

 先輩方の方向へと一度ずつお辞儀をすると、気付いた先輩を皮切りにして、全員が代わる代わる手を振ってくれた。

 迷惑を掛けているにも関わらず、それがどうしたと言わんばかりに送ってくれたエールへと、申し訳なさと嬉しさが込み上げた。

 ……そして、カメラが一斉に動き、そのやり取りを大勢で捉えていた。流石にマスコミの数が多過ぎるなぁ……と感じつつ、先輩方への申し訳なさが増した。

 

 普通ならこんな事態は起きないらしいが、例外というものは何にでも存在する。

 無敗の三冠ウマ娘の誕生。それは普段ならウマ娘のニュースを大々的に取り扱わない報道社であっても、(こぞ)って取り上げるものらしい。そういった報道社は暗黙の了解やマナー等に疎く──要するに、専門誌の記者達に言わせれば、()()()()()()人間が多い。

 実際、『無敗の三冠ウマ娘確実』等という他のウマ娘を軽んじる記事を喜んで書いたのは、そういった報道社ばかりだった。

 

「全く困ったものね。自分達のせいで出走するウマ娘に負担が掛かるって分からないのかしら」

 

 呆れた様子の東条さんに、ルドルフ先輩が苦笑する。ブライアン先輩は、やっぱり呆れた様な顔で口を開いた。

 

「久し振りの三冠……それも、会長以来の無傷の()()だ。テイオーやブルボンが達成していたらこうはならなかっただろうが」

「ブライアン」

 

 ルドルフ先輩がブライアン先輩を窘める。ブライアン先輩は、すっくと肩を竦めた。

 

「……だが、事実だろう。彼奴らは必死に走り抜いて──そして、夢破れた。その意味を分かっていないバ鹿共が多過ぎる」

 

 ブライアン先輩の三冠。その後に無敗の二冠を獲得した、トウカイテイオー先輩とミホノブルボン先輩。稀代の天才と、緻密な努力家。

 彼女達は何方(どちら)も圧倒的強者でありながら、夢の道を踏破出来なかった。

 無敗の三冠ウマ娘は夢物語。そう言われるように至るまでには、それ相応の物語があった。

 

 ──トウカイテイオー先輩は、天稟の才を持つが故に、運命が敵になった。

 ──ミホノブルボン先輩は、不断の努力の果てに、好敵手と巡り会った。

 

 もし、トウカイテイオー先輩に運があったら。もし、ミホノブルボン先輩がその日に好敵手と巡り会わなかったら。

 ファンが競い合うように語るif(もしかして)。けれど、本人達が聞いたら煙たがる可能性。

 彼女達は自分の手で掴み取った現在がある。だから、誰かにぶら下げられた栄光なんてお呼びではないのだろう。

 

 そんなif(もしかして)を語るファン達だからこそ、『無敗の三冠』はもう不可能だと結論付けていた。そしてそれは、前々世でも同様だった。

 ……だが、ディープインパクトは可能性を示した。圧倒的強さという、シンプルな方法を以てして。そして、その()()()()に揺れた人間達が『無敗の三冠馬確実』と囃し立て、狂乱が起きた。

 東京優駿(日本ダービー)で既に立っていた等身大像。配当一倍の当選馬券。諸々の事情が絡み合い、レース主催者側すらも特別扱いせざるを得なかった異常事態。

 俺の場合は、()の尻を追っている内に、結果的に奴と似た状況になった。今世も前世も、それだけの話だった。

 冠なんて、一つも被っちゃいないのに。

 

「……アフターマス。そろそろ時間よ。準備は──聞くまでもないわね」

 

 きりりとした勇ましい顔で東条さんへと頷く。何故か優しい目をされた。

 直後、レース開始間際の案内が流れる。もうゲートに向かわなければならない。俺が運命を変える瞬間が、目前に迫っていた。

 

「……行ってこい、アフタ。バスで切った啖呵が虚勢ではないと、証明してみせろ」

 

 ブライアン先輩は、真っ直ぐに此方を見据える。

 最後に三冠を取った()()()()()()()()には、何が見えているのだろうか。

 

「唯一抜きん出て並ぶ者なし。学園のウマ娘であれば、本来は目指すべき地平。それは夢物語ではないと、見せつけて来い」

 

 ルドルフ先輩の激励に込められた、色々な想い。

 重いなぁ……と思うと同時に、あの()()()()()()()()に期待を寄せられたと思うと、気が引き締められた。

 無敗の三冠ウマ娘は現れない。実はその風潮を一番気にしていたのは、唯一それを成し遂げたルドルフ先輩だったりする。

 本当に『ウマ娘』というものが大好きな先輩は、日本中を覆ってしまい、払拭出来なくなった諦観を何よりも疎ましがっていた。

 

「……それじゃ、行ってき──じゃないや。()()()きます」

 

 ディープインパクトに。歴史に残る、英雄の末脚に。

 蓄積された色んな想いを抱えながら、くるりと皆に背を向ける。次に皆の顔を見るのは、勝ち()になった時。そう決めて。

 

「──()()()()()()!」

 

 ルドルフ先輩からの、珍しい大きな声。驚いて振り向きそうになるのを、我慢する。

 何です? と脱力しながらの、背中越しの返事。何故か、ルドルフ先輩からの応答には、少しの間が存在した。

 俺は何を言われるのだろうか。レース前だから、無茶振りはされないと思うが、明朗闊達なルドルフ先輩が言い淀むなら、心配になる。

 

「……今日()、勝ってこい!」

 

 けれど、飛んで来たのはあんまりにも単純で、しかし()()()()達成出来ないとんだ無茶振り。

 だけど、それの応えは当然、たった一つに決まっている。

 

 ──今日()、俺が一着です。

 

 そんな意味を込めて。

 右手を掲げて、指を一本。空に向かって、ぴんっ……と、伸ばした。

 ルドルフ先輩には、それで通じる。

 

 

 

 ゲート前。勝負服で(めか)し込んだウマ娘と、URAの職員さん達が芝の上に集まっている。あと少しで職員さんに誘導されて、俺達ウマ娘はゲート入りを果たす。

 空は相変わらずの曇り空。即ち、願い通りの良バ場だ。今から少々の雨が降ったとしても、レースが終わるまでならば、バ場の状態はほとんど変わらないだろう。

 勝ったな。青草食ってくる。後は飼料。流石にウマ娘になってからは食べてないが、たまにあの青臭さともそもそ感が恋しくなる。

 

「──今日は、絶対に負けないから。アフターマス」

 

 ゲートの近くでぼんやりと集中力を高めていると、声を掛けられた。重なり合った雲の断面を目で追うのに忙しかったが、目線をずらす。その先には、一人のウマ娘。

 見覚えは……有る気がするが、名前が思い出せない。もしかしたら、トレセン学園の中で擦れ違ったのかもしれない。

 藍染色の勝負服に、俺が右耳に着けてるのとは違って大きいリボン。けれど、そんな可愛らしい勝負服とは対象的な、鋭い目付き。服装と表情があまりにもアンマッチな、明るい髪色のウマ娘。

 せめてゼッケンがあれば出走表から名前を思い出せたかもしれないが、残念ながら勝負服の時はゼッケンを着けない(なら)わしだ。

 思い出せない以上、何かを聞かれても上手く誤魔化すしかないだろう。

 

「あ……えっと、そうですね。良いレースにしましょう」

 

 無難にそう返す。すると何故か、とても不愉快そうな顔をされた。

 

「……無理に何か言い返そうとする必要なんてないわよ。そもそもアンタ、()()の名前、覚えてないでしょ」

 

 そして何故か、俺が目の前の少女を思い出せていないと見抜かれていた。

 ……そんなに、俺は考えが顔に出やすいのだろうか。なかなかのポーカーフェイスだと思っていたのだが。

 手で汗を拭くふりをして、顔に触れてみる。やっぱり、特に表情筋が動いている様子もない。

 

「本っ当に憎たらしい奴……どうせ、この世に自分よりも速いものなんてないとか考えてるんでしょ。アンタなんかよりも新幹線の方がよっぽど速いわよ、バーカ!」

 

 絶対に三冠なんて取らせないから!死ね!

 

 そう言って、彼女はさっさと去って行った。

 なんというか、口の悪い少女だなぁ……と思うも、やっぱり名前が思い出せない。

 かなり特徴的な性格をしていたので、会っていれば忘れやしないと思うのだが……ひょっとすると、彼女の人違いだろうか。もしかしたら、彼女の前にも()が現れた事があるのかもしれない。それなら、あの反応も納得出来た。

 俺と()はそれくらい似ているし、()()なので、()が俺以外のウマ娘から恨みを買っていても驚かない。

 やっぱりそうなんじゃないか。いや、きっとそうだろう。俺は確信した。

 

 

 

『生憎の曇り空が広がる京都レース場。バ場状態は良の発表です』

『雨雲が心配ですが、バ場は各ウマ娘が存分に競い合える舞台へと整いましたね。今年のクラシックは重バ場でも関係なく走るウマ娘が多いですが、やはり今年の菊花は全身全霊の競い合いを観たいファンが多いでしょう』

『シンボリルドルフ以来の無敗の三冠ウマ娘が誕生するかどうかのこの一戦。出走するウマ娘達からは、何がなんでも勝つという気迫が感じ取れますね』

『今年のクラシック戦線を振り返ると、ほとんどのウマ娘にとっては()()()なんて言葉じゃ言い表せないでしょうからね。今年は出走見送りが相次ぎ、残念ながらフルゲートではなく8枠16人での開催。しかし逆に言えば、出走するウマ娘達は勝つ為の準備を万端に整え、この場に立ったという事です。泣いても笑っても最後の大一番、悔いのない走りに期待したい所ですね』

 

 ゲートの暗がりの中で、ぼんやりと実況を聞いていた。俺は内枠の奇数番だから、最初の方にゲート入りする。他のウマ娘がゲート入りを終えるまで、有り体に言えば暇だった。

 そう言えば、ゲート訓練なんてほぼした事ないなぁ……と、気が付く。ゲートは前世から得意だった。馬の前は人間だったんだから、当たり前といえば当たり前だが。

 前世で子馬だった時から負けん気が強くて、他の馬に負けるのが嫌いだった。人間様が畜生なんぞに負けてたまるか……というよりも、俺より速い奴を受け入れ難いという、不思議な感覚。

 放牧地では何度先頭の馬に競い合いを仕掛けて、どれだけ勝った負けたを繰り返したか、もはや覚えちゃいない。

 脚がずたぼろになっていても、関係なく走った。走るのが楽しくて、『楽しい』という感情を識別する理性だけが、自分が人間だったという証明みたいに感じたから。

 

『各ウマ娘のゲート入りが続きます。皐月賞、東京優駿と続き、クラシックの最後を飾る菊花賞。一番強いウマ娘が勝つこのレースで、最後に笑うのは()()()()()()()()か、()()()()()()()()か!』

 

 ディープインパクト。俺の中に有った、人間であるという自尊心。それを跡形も無く消し飛ばした、恐ろしく深い衝撃よ。

 お前に成り代わってしまったと気付いた俺の恐怖心。それすらも、俺の中の人間性諸共葬り去った鹿毛(かげ)の怪物よ。

 お前は世間様じゃ『英雄』なんて呼ばれちゃいたが、俺からしたら単なる化け物だぞ。

 だって、そうだろう? お前は何処から現れて、どうやって俺を置いて行く。お前みたいな馬が、存在して良い訳がない。

 俺にしか見えていない最強馬。俺しか知らない新しい伝説。

 なあ、教えてくれ。奇跡に限りなく近いお前なのに、どうして誰にも知られていない?

 なあ、『英雄』。教えてくれよ。奇跡に一番近い馬がお前なら、お前に一番近い馬だった俺は、一体何なんだ?

 

 ──頭の中で、かちりと。世界が切り替わる音がした。

 

『駆け抜けた先に栄光の瞬間が待っています。今、新しい歴史の扉が開かれようとしています。固唾を飲んで見守る貴方も歴史の目撃者です。各ウマ娘、ゲートインが終わりました──』

 

 ──緑の芝、白い空、楕円形の世界。そこから、音が消える。

 ()()という走る為の機能からは、感傷という余分な物が削ぎ落とされた。

 ……それでも、最後まで未練たらしく残るのは。

 

『──いざ、菊花賞スタートです!』

 

 ディープインパクトに勝ちたい。ただ、それだけだった。




本当はレース終了まで書き切りたかったです(小声)

諸事情により、次回の更新は遅くなります。多分。
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