走り抜けても『英雄』がいない   作:天高くウマ娘肥ゆる秋

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前話からの続きです。
本作はアニメ版とアプリ版を足したものに手を加えた世界線として設定しております。ウマ娘の出走レースが史実と少し異なる点がございますが、展開上必要なものなんだなぁ……程度で受け止めて頂ければ幸いです。


第9話 戦友

「ありがとうございます。()()()()()()先輩、ウオッカ先輩」

 

 ポップコーンの匂いと、赤いカーペットの床。そして感情が緩やかに溶けるような、間接照明の薄暗さ。

 映画館に来たのなんて前々世振りで、最後に観た映画が何だったかは、もう覚えちゃいない。けれど、何だか懐かしさに襲われるのは、何時の時代でも同じようにわくわく感が館内に満ちているからかも知れない。

 興奮。感動。悲しみ。驚き。

 レース場を包む雰囲気と少し似ていて──しかし、ずっと静かで穏やかな時間の流れる場所。

 前々世振りという事は、そういえば今世で映画館に来たの、初めてなんだなぁ……なんて、意味もなく一瞬だけ思った。()()()()()は映画が好きだった様な気もするが、もしかしたら気の所為かもしれない。好きだったと言い切るには、余りにも記憶から欠落し過ぎている。

 

 映画鑑賞後のぼうっとした頭で無意味な思考をぐるぐると巡らせながら、さっきまで観ていた映画作品のPRポスターの前で、スカーレット先輩とウオッカ先輩に頭を下げた。

 スカーレット先輩は東条さんへの定時報告に添える写真を撮ってくれて、ウオッカ先輩はその間わざわざ買った荷物を預かってくれていた。

 同じチームでもないのにこうも気を使ってくれるのは、少し申し訳なかった。

 

「別にいいわよ、それぐらい。そんな事より、リギルって案外過保護なのね? てっきり、プライベートには関知せず! ……みたいな感じなんだと思ってたわ」

「あー、それ俺も。うちのチームとか、定時報告なんて発想すらなかったしな」

「……それは、うちのトレーナーが()()()なだけじゃないかしら?」

 

 スピカのウオダスコンビ……と俗に呼ばれる二人の先輩は、何故かむず痒そうな顔をしながら俺へとスマートフォンと手荷物──スピカとリギル、生徒会や理事長室に差し入れる菓子折りの入った紙袋──を返してくれる。

 もう一度ぺこりと頭を下げれば、何故か先輩方は更にむず痒そう──というより、照れくさそう?──な表情を深めた。

 

 そのまま手早く東条さんへと定時報告のメッセージを送って、ポケットへとスマートフォンを仕舞い込む。

 外出の定時報告こそほとんどした事ないものの、似たような事は良くしている。一連の流れを終えるまで、三十秒も掛からなかった。

 

「東条さん、あれでかなりの心配性ですからね。前にプロレス観戦に夢中で丸一日連絡の取れなかった先輩が居たらしくて、それから始まったらしいです」

 

 東条さんと、その先輩の同級生からかなり怒られたらしいです。

 そう付け加えると、何故かスピカの先輩方は得心行ったと言うように曖昧に笑った。先輩方の知っている人なのだろうか。

 プロレス観戦と言えば俺にはエル先輩しか思い付かないが、エル先輩は()()()()()()()()()だから、件のウマ娘は別の誰かだろう。他にプロレス好きな先輩が、俺の入学前に在籍していたのだろう。プロレス好きの同志が離れて、エル先輩はさぞかし残念がっただろうなと思う。

 

「……まあ。チームに歴史あり、よね。うん」

「……うちに負けず劣らず、癖強いからなぁ。あ、ちょっと本屋に行きたいんだけど、いいか?」

 

 俺とスカーレット先輩は、ウオッカ先輩へと了承を返した。何となく話を誤魔化されたような不思議な感覚があったが、用の済んだ映画館から移動するのに、特に否はない。

 

 現在、俺達が居るのはトレセン学園最寄りの複合商業施設……その一角にある映画館だった。

 電車を使って十数分で来れるこの施設には、映画館をはじめとして、スポーツショップや各種雑貨屋、本屋にゲームセンター等といった、娯楽や目新しさに飢えた若者にとって有難いお店が何でも揃っている。

 それこそ、普段から放課後に訪れればトレセン学園の制服を着たウマ娘をちらほらと見掛ける程で、まさに学生にとっての憩いの場だ。勿論、薬局やスーパーなんかの生活必需品を扱う店だって完備している。

 

 俺達が今日ここに来たのは、話題の新作映画を観る為……ではなく、年末前に行われる予定らしいチームスピカの合宿で使う物資を買い出す為だった。映画はあくまでおまけである。

 実は映画前には既に買い出しを終えており、荷物は量が量なので、全て学園へと送って貰うよう依頼済みだった。

 

 チームリギルが普段使っている宿泊施設では、追加料金を払えば施設側がアメニティの一環として消耗品等を全て用意してくれるのだが、チームスピカが使っている宿泊施設ではそれらの用意を全て自分達で行うらしい。スカーレット先輩は「うちは節約しないとやっていけないのよ」なんて言っていたが、きっとそれは建前なんだろうなぁ……と思う。

 チームスピカには、実績的にリギルに次ぐ額の部費が学園から下りている筈である。だから、本当にお金がない……というよりは、表面上はそういう理由にして、自主性やチームワークを育む練習の一環として、沖野トレーナーがそういう風に仕向けているのだろうなと感じる。

 

 事実、お金がないと言う割には宿泊する予定の旅館はかなりの老舗で、特に温泉の効能が高い事で有名な場所であった。立地的にも、すぐ近くにウマ娘のトレーニング施設が存在しており、アクセスだって悪くない為、見てくれこそぼろくとも色々とかなり()()()筈なのだ。

 先輩方ならその事に気付かない訳ないのだが、それでも誰一人としてそこに突っ込まないのは、沖野トレーナーが掲げるその方針が先輩方にとって余程魅力的なのだろう。

 リギルとはまた違った集団生活を思い浮かべれば、確かに少し楽しそうだ。時期的に俺もお邪魔する事になる為、粗相のないように気を付けなければならないが、同時に少し楽しみでもあった。

 

 映画館と本屋はすぐ近くに存在しており、移動時間はほとんど掛からない。長々と話しながら歩くまでもなく、直ぐに目的地へと辿り着いた。豊富な品揃えとトレンドに対するフットワークの軽さが売りの、全国に展開している大型書店だ。

 店舗の入り口には映画とのタイアップ作品が目立つ様に並んでおり、映画の上映時間までの暇潰しがしたい客もメインターゲットにしているのだろうと伺い知れる。

 先程まで俺が先輩方と観ていた作品『パーフエクト〜謎の超高速ウマ娘〜』の小説版も、当然のようにタワー積みされている。

 

「いやー、悪いな。毎月買ってる雑誌の今月号、ちょうど昨日が発売日だったんだ。大きい書店じゃなきゃ売ってないからさ、どうしても寄りたかったんだよな」

「毎月って事は……ああ、あのバイクのやつね。アタシも参考書が見たかったから別に良いわよ。でもアフタには悪い事するわね、付き合わせちゃって」

「いえ、大丈夫です。俺も本は嫌いじゃないですから、眺めてるだけでも結構楽しいので」

 

 先輩方は俺が気を使っていると思ったのだろうか、少し申し訳なさそうな顔をしている。だけど俺は本当に本が好きなので、特に問題はない。読む時間こそ余りないものの、本がずらりと並んでいる様は、見ているだけでも楽しい気分になる。読書が好き……と言うよりも、本を眺めるのが好きな部類である。だが、本好きには間違いなかった。

 

 目的の区画へと向かった先輩方と別れて、適当な本棚の前に立つ。ウマ娘関連のコーナーのようで、先程店頭で見掛けたタイアップ作品も平積みされている。折角なので、思い出として購入する事にして、手に取る。

 文庫本なので、バスでの移動時等に読もうと思う。前までは寝たり、スマートフォンで調べ事をして遊んだりしていたが、最近は少し、ネットから離れたい気分だった。

 ついでに棚を見てみても、ずっと前からある定番の本か、学園の図書室にあるような本。もしくは最近出たらしい俺に関しての本ばかりが目立つ様に並んでいて、些かげんなりとした。自分の顔写真が印刷された本の群を見るのはちょっと勘弁して欲しいので、移動する。

 

 手に取った小説の紙の厚さを楽しみながら、ふらりと雑誌コーナーへと脚を伸ばす。

 移動して来た場所から少し遠い所に、ウオッカ先輩の姿が見えた。ホビー雑誌のコーナーだろうか。革ジャンやスーツを着た小父さん達と並んで熱心に雑誌を物色しており、きっと俺の知らない()()()()が彼処にはあるんだろうなぁ……と思う。

 

 ずっと直視していては失礼だなと思い、視線を逸らす。

 

 すると今度は、ホビー雑誌コーナーの斜め向こう側に見える参考書関連の区画で、ちらりとスカーレット先輩の尻尾が見えた。下を向いてゆらゆらと揺れており、かなり集中しているのが伺い知れる。レースも勉強も一番を目指していると公言してはばからない先輩は、きっと参考書選びにもかなり頭を使っているのだろう。

 

 先輩方の邪魔をしてはいけないので、取り敢えず今居る情報雑誌のコーナーに引き篭っておく事にした。

 少しだけ覗いてみたかった漫画コーナーは参考書コーナーのすぐ傍にあるようなので、行ってしまってはスカーレット先輩の邪魔になるかもしれない。今回は諦めて、またいつか来た時に見てみようと思う。

 

 俺は雑誌の本棚のプレートを見ながら、ウマ娘関連の情報誌を探す。特に愛読している物はないので、それらしい雑誌の見出しを見て行く。

 面白そうなもの──出来れば有名なウマ娘の特集とか──は有るだろうか。期待しながら、誌面を目で撫でる。

 

 ──証明された可能性! 今期クラシックを振り返る!『ウマムスメ・デイズ』

 ──無敗の三冠はシニアでも勝てるか!? 専門家から見た新時代最強の課題!『月刊蹄鉄の友』

 ──宿命のライバル特集第3弾! ウオッカ VS ダイワスカーレット!──。

 

 ……おや。と思い、ウオッカ先輩とスカーレット先輩の写真が載った雑誌を手に取る。誌名は『月刊トゥインクル』となっている。そういえば少し変わった記者さんが居る出版社さんだったっけな……と少しだけ思い出した。

 行儀は悪いが、手に持っていた小説を小脇に挟んで、雑誌を開いてみる。時事を取り扱う頁を飛ばして、丁度真ん中辺りの頁に、目当ての記事は載っていた。

 どうやらウオッカ先輩とスカーレット先輩の直接対決について総まとめ的に書いてあるようで、ライターさんがかなりのウマ娘ファンだと分かる面白そうな内容だった。この分なら、他に掲載されている記事にも期待していいかもしれない。

 雑誌を閉じて、持っていた小説と重ねる。此方も購入する事にした。読む時間は……トレーニングを禁止されている以上、沢山あるだろうから、問題はない。本音を言えば、今すぐにでも練習したいが仕方がない。

 むしろ、もう一冊くらい、何か買った方が良いだろうか。雑誌の類は、学園の図書室には余り並ばないし。そう思い、再び誌面へと目を走らせ──。

 

 ──アフターマスの呪い! 同期を壊す三冠の影『週刊現代ターフ』

 

 ……見付けた本へと、手を伸ばす──。

 

「──はい、ストーップ! それは読まなくていい本よ!」

 

 伸ばした腕を横から掴まれた。少しひんやりとした手だ。持ち主へと目を逸らせば、スカーレット先輩が少し目を怒らせている。

 

「アフタ……お前、一瞬目を離したら凄い事しようとするのな……」

 

 吐き捨てる様に、横からウオッカ先輩が現れて、俺が手に取ろうとしていた雑誌を睥睨する。

 どうやら先輩方は既に本を選び終わったようで、それぞれ2冊ずつ本を抱えている。

 俺は先輩方へとすっとぼけようとして……どうしてか、声が出なかった。マスクの下で、ぱくぱくと口だけが動いている。

 

「現代ターフの編集は今のウマ娘を目の敵にしてるから、読んでもろくな事が書いてないわよ。どうしても読みたいなら、もっと大人になってからにしなさい」

「本っ当に懲りないなぁ、ここの出版社も。()()()日本ダービーの時もめちゃくちゃな事ばっかり書いてやがったし、ウマ娘に何の恨みがあるんだよ……」

 

 顰めっ面を隠す事なく、先輩方はそう言う。

 成程、先輩方がそう言うならそうなのだろう。俺は納得して──しかし、何故か俺は、雑誌へと緩慢に手を伸ばしていた。それをまたしてもスカーレット先輩が阻む。

 

「だから駄目だってば。ウオッカ!」

「はいよー。んじゃ、二人の本も纏めて会計通してくるぜ。レジ混んでそうだから、終わるまで本屋の前で待っててくれな」

 

 ウオッカ先輩がするりと俺の持っていた2冊を取り、スカーレット先輩からも本を受け取った。そしてそのままレジの方向へと向かう。

 俺はスカーレット先輩に腕を引っ張られながら店の外へと連れ出された。そのまま、書店の前に並んだ背もたれのない薄緑のソファへと座らされる。スカーレット先輩は続いて俺の隣に座った。傍に生気のない観葉植物があるせいか、赤い髪色のスカーレット先輩はまるで造花のように見える。

 

「あんた、意外とやんちゃね。あんなの読むくらいなら、絵本でも読んでた方がよっぽど勉強になるわよ」

 

 そもそもあの雑誌、過激過ぎて前に理事長とURAに廃刊させられた週刊誌の後継よ。百害しかないわよ、あれ。

 スカーレット先輩はそう言って溜め息を零した。先程、ウオッカ先輩が()()()の『日本ダービー』の時にめちゃくちゃな事を書いたと言っていたので、あの雑誌には何かしら思う所があるのだろう。

 

 声が出るかの確認を、小さく喉を鳴らして行う。今度はいつも通りに声帯が震えて、音が出た。さっきは急に腕を掴まれた驚きで、声が出なくなっただけだろう。それ以外に理由なんてないはずだから。

 

「……ご迷惑お掛けしてすいません」

「そう思うなら、もうちょっとましな本を読みなさい……まさかとは思うけど、持ってた他の2冊もあんなんじゃないわよね?」

「あ、いえ。持ってたのはさっき観た映画の小説版と、月刊トゥインクルって雑誌です。ウオッカ先輩とスカーレット先輩の特集が組まれてたもので」

「へ、へー……?」

 

 ぴこぴことスカーレット先輩の耳が動いた。尻尾も椅子の上で波打つように動いている。意外と耳や尻尾に感情が出にくいウオッカ先輩とは対照的に、スカーレット先輩は分かりやすい。勝手に滲み出ている喜びや照れが、先輩が必死に取り繕った澄まし顔を台無しにしている。

 

 ──あいつら、後輩らしい後輩って持った事ないんだよ。だから少し構いたがり過ぎるかもしれないが……まあ、大目に見てやってくれ。

 

 ふと、沖野トレーナーから聞いていた言葉を思い出す。先輩方が良くしてくれる理由に何となく気がついた。それでも、気にかけてくれる申し訳なさは、これっぽっちも薄れないが。

 

 そういえば……と、『月刊トゥインクル』の特集記事に引っ張られるようにして、以前気になった事を思い出した。

 当事者であるスカーレット先輩がいるのだから、聞いてみてもいいかも知れない。

 

「先輩先輩。すいません、突拍子のない質問をしても良いですか?」

 

 目をまん丸くして、頭に()()()を浮かべながら、先輩は続きを促した。

 

「いや、スカーレット先輩はどうしてオークスじゃなくて日本ダービーに出走したのかな、と。先輩ってトリプルティアラを目標にしてたんですよね?」

 

 一瞬、きょとんとした顔をした後、スカーレット先輩は書店の──厳密に言うとレジの──方向へと顔を向けた。店舗と通路を隔てる硝子の壁越しに、レジ待ちの列に並ぶウオッカ先輩の背中が見えた。

 

「……あいつに言わないって約束出来る?」

「あ、はい。勿論」

「じゃあ……うん、教えてあげるわ」

 

 スカーレット先輩は殊更に声を小さくして呟いた──ウオッカ(あいつ)に勝つ為よ……と。

 

「あいつ、桜花賞の後に捨て台詞吐いて行ったんだけど……アタシはどうしてもそれが気に食わなくてね。あいつにアタシが()()だって分からせてやろうと思って、ダービーに出たのよ」

 

 まあ、ダービーは負けちゃったんだけどね。そう続けた先輩に目が点になった。

 

 スカーレット先輩は、トリプルティアラ路線で目覚しい活躍をしたウマ娘だ。出走しなかった『オークス』を除いた二つのティアラを勝ち取り、幻のトリプルティアラウマ娘なんて呼ばれ方もしている優等生。

 しかし、トリプルティアラである二つ目のレース、『オークス』に出走しなかった理由は、何とも優等生らしからぬものだった。

 

「あいつとアタシのトゥインクル・シリーズでの戦績、知ってる?」

「えっと、3()()3()()ですよね。有名な噂だと、模擬レースもほとんど互角だって聞きました。眉唾ですけど」

「……悔しいけど、正解よ、その噂。あいつとアタシって、どうしてか昔から勝ち負けに差が付かないのよね」

 

 先輩は後ろへ両腕をつっかえさせて、体重を掛けた。

 

「最初はアタシが負けたのよ。チューリップ賞でね。それが悔しくって悔しくって。だから次走の桜花賞まで時間がないなりに必死に努力して。それであいつにリベンジして……それで、桜花賞ではアタシが勝ったの。そしたらあいつ、なんて言ったと思う?」

 

 暫し、考えてみる。お約束のように「次は勝つ」ではなかったのだろう。だとしたら、「流石は俺のライバル」とかだろうか……いや、しっくり来ないので違うだろう。

 うんうん頭を捻った結果答えが思い付かなかったので、スカーレット先輩に降参を告げた。

 先輩はこんなの分かる訳ないわよね、と言いたげな顔で答えを口にする。

 お前の()()に意味はない、適当で空っぽだ……と。

 

「先輩の一番に意味はない……?」

「そう! めちゃくちゃ腹立つわよね!? そりゃあ突っかかって行ったのは私だけど、そんな事普通言う!?」

 

 思い出して怒りが込み上げたのか、先輩は少しボルテージが上がったようだった。少しの間怒りを見せた後、先輩はぽつりと呟いた。

 

「……まあ、アタシ自身、ウオッカにそう言われて、アタシが本当になりたい()()の意味に気付けたんだけどね」

 

 それは何ですか……そう聞きかけて、口を噤む。答えは自分で見付けなければならない。誰かにそう言われた気がしたのだ。

 

「それから、色々あって。アタシが()()になるには、あいつに勝たなきゃなんないって気が付いて、色んなレースであいつとぶつかって……そして、今があるのよね。だから、まあ……アタシがオークスじゃなくてダービーに出た理由って、あいつに勝って正真正銘の()()になる為よ。あいつに勝たなきゃ、アタシは()()になれないからね」

「……じゃあ、スカーレット先輩にとって、ウオッカ先輩は目標って事ですか?」

 

 『桜花賞』を勝利した後に『オークス』を無視して『日本ダービー』を駆け抜け、どうしてウオッカを追わず王道を貫かなかったと叫ばれながらも、我関せずで二つ目以外のティアラを堂々と勝ち取った『ミスパーフェクト』ダイワスカーレット。

 『桜花賞』を敗北した後に『オークス』ではなく『日本ダービー』を駆け抜け、どうしてダイワスカーレットから逃げずに正道を突き抜けなかったと(そし)りを受けながらも、府中最強の呼び声を上げさせてみせた『常識破りの女帝』ウオッカ。

 二人がクラシックに挑戦した年は、二人の内のどちらかがトリプルティアラを獲得するか、もしくは二人で三つのティアラを分け合うだろうと言われていた。

 

 そんな二人の関係は余りにも有名過ぎて、どちらかが語られる時には、必ずもう片方の名も語られる。時には王道の中で、時には理屈の外で。いつまでも一進一退の争いを続ける二人を指して、気付けば人々は『永遠の宿敵』なんて呼び方をしていた。

 トリプルティアラ路線にも関わらず、『日本ダービー』で競い合った二人。伝説にすらなっているシニアの『天皇賞・秋』では、他のウマ娘を置き去りにして、レコードタイムの中で競り合った二人だ。

 その差は、どちらもまさかのハナ差決着。2000mで……或いは2000mを超える長旅の果てで、付いた差はたったの2cm。奇跡的なくらい同格の好敵手同士。

 

 好敵手同士であれば、お互いが俺にとってのディープインパクトに似たものなのだろうかと思い、口にした素朴な疑問だった。

 俺はそんな関係を経験した事がないから、推測でしか分からない。そもそも、気にした事すらなかった。ディープインパクトに一生──()()片思いしてる俺には、気にしている余裕がなかったから。ディープインパクトには、生涯の好敵手なんていなかった。だったら、俺にも居てはいけない。俺に()以外の好敵手が居ては、俺は()にはなれないから。

 ……だが、そんな俺の疑問が面白かったようで、スカーレット先輩は虚をつかれたような顔をしてから、思い切り笑った。

 

「違うわよ、ウオッカが目標? ……ないない! 有り得ないわよ、そんなの! 変な事言うのね」

 

 勝ちたいとは思うけど、別に憧れはしないし、そもそも走り方が全く違うから、参考にしたら痛い目を見る。別にお互い、目標だなんて思った事もない。

 そう笑いながら告げられて、サングラスの下で目が丸くなる。

 

「えっと……じゃあ、先輩にとって、ウオッカ先輩って何なんですか?」

「うん? アタシにとってあいつは……敵であり、仲間ね。それも同世代で、一番近くに居る。癪だけど、あいつが居るからアタシはもっと強くなれる。()()なんて気にしていられないと思えるの。あいつにとってのアタシも似たようなものじゃないかしら。言ってしまえば、ウオッカはアタシの──」

「──おう、俺がどうしたって?」

「戦ゆ──って、ウオッカ!? 戻って来たなら先に言いなさいよ!」

「な、なに怒ってるんだよお前……」

 

 急に立ち上がって詰め寄ったスカーレット先輩に、ウオッカ先輩は顔を引き攣らせた。

 

「……あんた、何処から聞いてた?」

「いや、何処からも何も、たった今戻って来た所だって。なあ?」

 

 そう言って、ウオッカ先輩は俺へと賛同を促す。正直、俺もスカーレット先輩と同じで話に集中していた為、よく見ていなかったので分からない。だが、ウオッカ先輩が困ったように眉根を寄せていたので、おずおずと頷いた。

 

「ならいいわ……それじゃあ、もう帰りましょうか。一度部室に戻って買い出しの領収書とか置いておきたいから、あんまり遅くなっても駄目だしね。本代の精算は……学園に帰ってからやりましょう。良いわね、ウオッカ」

「……なんっか釈然としねぇなぁ」

「いいから行くわよ、二人とも!」

 

 赤い造花のように見えていたスカーレット先輩は、いつの間にか大輪の花のようだった。つんっ……と先へ進むスカーレット先輩を追う為に、俺も立ち上がる。

 ……と同時に、ウオッカ先輩が俺の帽子を軽く持ち上げて、耳元に顔を寄せた。何かを伝えたいらしい。先輩の息が耳に掛かり、少し擽ったかった。

 

「庇ってくれてサンキューな──ちなみに俺は、自分らしさを貫く為だぜ」

 

 驚いて、ウオッカ先輩の顔を直視する。

 先輩は悪戯(いたずら)小僧のような顔で、茶目っ気たっぷりにウインクを一つしてから、スカーレット先輩の後を追って歩き始めた。

 

 てらてらと艶やかに蛍光灯を照り返す通路の上で、俺は顔を引き攣らせる。

 ウマ娘の聴覚でも、最初から全部聞いていたという事は流石にないだろう。だが、ウオッカ先輩は何処から何処までを聞いていたのだろうか。それはウオッカ先輩にしか分からないし、恐らく聞いてもすっとぼけられるだけだろう。さっきのスカーレット先輩のように。

 ダイワスカーレットが先行で、ウオッカが後方。まるでレース中の位置取りみたいな先輩方の後ろから、俺は続く。結局は、疑問が増えただけだなぁ……なんて思いながら。そして──。

 

 ──リギルよりも、よっぽど癖が強いです。スピカ。

 

 そんな事を考えて、十二月の中二週間で行われる合宿に、少しの不安を抱いた。

 俺がスランプを脱却出来るかどうかが懸かった合宿は、もうすぐそこまで迫っている。勝手に家出じみた事をした癖に、妙に寂寥感を覚えて……何となく、リギルの先輩方に会いたいなと思った。

 それがあんまりにも俺らしくなくて、何だか一日中空回りしていたような錯覚を覚えた。

 

 ……ふと、足を止めて書店へと振り返る。忘れ物があるような気がして、手荷物を確認する。貴重品も、小物も、大きめの荷物も。何一つとして忘れ物なんてないはずで──そして、はたと気付く。

 

 アフターマスの呪い、同期を壊す三冠の影。

 

 ……ネットニュースで散々見たお題目そっくりな雑誌の見出しが、まるで逃げるなと言うように、俺の後ろ髪に纏わり付いている……そんな気がした。

 俺は心に蓋をして、自分の影を踏み付けて……忙しく、帰路へと就いた。先を行く先輩方の背中は、遠い。




相変わらずスランプがどうしようもないので、次回分からは1話ずつゆっくりと時間を掛ける方針に切り替えようと思います。
スランプが治ってクオリティを取り戻せたら、前のような投稿ペースに戻そうと思います。
完結まで先はかなり長いですが、今後とも気長にお付き合い頂ければ幸いです。

2021/10/7 追記:
誤字報告を頂きましたが、作中の『パーフエクト』は誤字ではありません。

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