なおセイウンスカイは持っていません
出バ投票の翌日。百日草特別が取りやめになってしまい、今日は最終調整の予定だったのだが思いがけず暇になってしまった。次のレースは来週の黄菊賞を予定している。
ちなみに、レースが中止になった場合においてはその同日に行われるレースで一番登録者が多い一般競走のレースを分割して行うことになるらしい。今年は第8レースに予定されていたクラシック級2勝クラス、芝2000mのレースが分割されるそうだ。
ひとまずやることがなくなってしまったので今日は部室の掃除をしたらトレーニングでもしよう。坂路……いや、今日はダートにしようか。ウッドチップも捨てがたいし、全天候バ場のニューポリトラックもいいな……いいや、いつも通り全部走ろう。その後は……
「お、テウス。来たか。百日草特別は悪かったな。走らせてやれなくて……」
考え事をしながら部室に入ると、既にトレーナーさんが居た。
「いえ、トレーナーさんのせいではありませんから。たまにはあることなんですよね? 運が悪かっただけですよ」
謝られるがトレーナーさんが気にすることではないと思う。どのレースに申し込みが入るかなんてわかることではないし……
「いや……実は、この結果は少し予想してたんだ。思ったより早かったけどな……もう少し早めに言っておくべきだったし、根回しとかも特にしてなかった俺のせいだ」
頬を掻きながら、トレーナーさんがもう一度謝ってくる。予想していたとはどういうことだろう?
「お前はマルゼンスキーと仲良かったよな? アイツのトゥインクルシリーズ時代の話は知っているか?」
「戦績くらいは……8戦8勝で、合計バ身差61バ身で、他の娘たちを全く寄せ付けなかったんでしたっけ。凄いですよね、マルゼンスキー先輩」
なにせ『スーパーカー』などと呼ばれ、先のサマードリームトロフィーではあの『皇帝』シンボリルドルフ会長から逃げ勝って優勝を捥ぎ取っている。スズカ先輩と走ったらどっちが速いんだろう……
「……お前、今までの3戦でどれだけバ身差つけた?」
トレーナーさんに言われて少し計算してみる。メイクデビューは……いや改めてみるとおかしいけど、41バ身。次の芙蓉ステークスは1バ身、紫菊賞は8バ身だから……
「50バ身、くらい……ですかね?」
「何でそこで自信がないんだ……そう、50バ身だ。しかもメイクデビューではレコードまで出してる。文句なしにジュニア級の中距離はお前が最強だ」
「い、いきなりなんですか……煽てても何も出ませんよ……」
いきなりのべた褒めに思いっきり照れてしまう。何を企んでいるんだろう……
「マルゼンスキーとは違って重賞でのレコードや大差勝ちではないとはいえ、お前の実力は……言葉を選ばずに言うなら怪物だと思われてる。実力差が開きすぎてると思われて、競走を回避されているんだ」
「それは……どうなんでしょう。先輩と同じだと誇っていいのか、悪いのか……」
マルゼン先輩と同じように思われているというなら光栄の極みであるのだが……
「この調子じゃ次も成立するかわからん。マルゼンスキーみたいにタイムオーバーを付けない程度に手加減すると約束すれば走れるだろうが……」
「模擬レースならともかく本レースで手を抜くなんてできません。そんなことするくらいなら出走しない方がマシです。ファンの方にも失礼ですし、何より対戦相手の娘たちにも顔向けできません」
調整の意味合いもある模擬レースなどは例外として、本番のレースでは皆が皆全力で走るのに、私だけ手を抜いて走る事なんてできるはずもない。
「そこは折り合いの問題だと思うが……まあ、お前ならそう言うと思っていたさ。そこで、お前に選択肢を持ってきた。一つは、このまま黄菊賞を予定しておく。これは今回と同じように出走取りやめになる可能性も高いだろう。もう一つは、GⅡのデイリー杯ジュニアステークスに出るかだ。デイリー杯ジュニアステークスはGⅡで国際・指定交流競走だ。地方や外国からの登録もできる競走で、その登録があった場合最低人数を割っても登録取りやめにならない。開催される可能性が非常に高いレースだ」
トレーナーさんから提案を受ける。それは一度は私が諦めた、マイル戦に出るというものだった。
「デイリー杯って確か1600ですよね? 私にはちょっと短いと思うんですけど……」
「最近のスズカやウオッカ、スカーレットとの併走を見て思ったが、今のお前ならマイル戦でも十分走れる。併走相手がマイルのスペシャリストが多いってのもあるし、マイルの早い展開にも十分付いていけるだろう。お前はいつも通り逃げてれば勝てる可能性が高いな。プランを決めた時より、それだけお前は成長しているってことだ」
「評価してくれるのは嬉しいんですけど……」
「以前お前が母親に怒られたのも、片っ端からレースに出るような真似を窘められたってこともあるだろう。今のお前なら、間違いなくマイル戦でも十分、100%の実力を出せる。挑戦してみないか?」
「……わかりました。レースプランはトレーナーさんにお任せするという約束でしたし、従います。ただ、少しマイル戦のペースに慣れたいので併走を増やしてくれると嬉しいです」
マイル戦にはマイル戦の展開というものがある。流石にぶっつけ本番というのは勘弁してほしい。
「任せておけ……って言いたいところだが、ウオッカとスカーレットはその翌日のエリザベス女王杯があるから、マイルチャンピオンシップを予定してるスズカとの併走になるだろうな……いつも通りで代わり映えしないか?」
エリザベス女王杯は2200mだ。同じ中距離であれば調整できたかもしれないが……
「そんなことないですよ。スズカさんなら十分すぎる相手です」
スズカさんは今年無敗だ。マイルチャンピオンシップではサクラバクシンオー先輩やノースフライト先輩との今年二度目の対戦となる。マイルの併走相手としては最高クラスだろう。
「まあ、今回は仕方ないから接触禁止令は出さないが……くれぐれも、くれぐれも! 門限が過ぎてまで走り続けるようなことをするなよ! 絶対にだぞ!」
トレーナーさんが釘をさしてくる。事あるごとに言ってくるのだが、心外である。
「私今まで一度も門限破ったことないですよ! ちゃんと終了時間も守ってますよね!?」
「……夏合宿の時はスカーレットより早く起きてスカーレットより遅く寝てたそうだな。それに誰よりも長い時間トレーニングしていたよな? 俺何回もオーバーワークじゃないかと注意したぞ?」
「うぐっ……で、でもほら、実際にオーバーワークではなかったですし……ちゃんと触診とかで確かめてもらいましたよね?」
いつもより長い時間、強度の強いトレーニングをしていたことは認める。でもちゃんと毎日触診してもらってオーバーワークではないことは確かめてもらっていた。だからセーフのはずだ。
「そこがおかしいんだよ……スズカはお前とは違って普通のウマ娘だから、ちゃんとこっちが言い渡したメニューは守れよ? 皆が皆お前みたいに頑丈じゃないんだからな」
言いたい放題である。まあ、確かに私は他の娘とは違ってチートを貰ってはいるが、それを言葉に出されると流石に……
「わかりました、わかりました! 言われなくてもわかってますもん! トレーナーさんのいじわる! トレーニング行ってきます!」
さっさと着替えて部室を飛び出す。流石にちょっと子供っぽかったかなと後から反省したけど、私だって拗ねたりするんだ。だから掃除を忘れていたりしたのは仕方のないことだと思う。
坂路の前で準備運動をしているうちに少し怒りも収まってきた。ちなみに今日スズカさんはプールトレーニングの予定で、私はプールの予約を入れていなかったので一緒には居ない。元々今日は調整で軽めに追い切るだけの予定だったから仕方のないことだ。
「はあ……後でトレーナーさんに謝らないと……」
流石にいじわると言ってしまったのは悪かったなあ、と少し反省する。
「はぁい、テウスちゃん。おひとり? 百日草特別は残念だったわね」
準備体操をしていると体操服を着たマルゼン先輩が話しかけてきた。どうやら先輩も坂路トレーニングをしていたようだ。
「こんにちは、マルゼン先輩。気にしていないので大丈夫ですよ?」
今日は同じことを、百日草特別に登録していたリボンマンボ先輩やミントドロップ先輩、後は対戦したことのある他の先輩たちにも言われた。
リボンマンボ先輩からは『気にしちゃダメよ。それに、私は貴女から絶対に逃げない。何度だってあなたに食らいついて、たとえ100回負けたって101回目には勝ってみせるわ。芙蓉ステークスの借りはそれで返すから』との言葉を頂いた。ちなみにこのセリフが出る前に額の怪我を気にしてか思いっきり顔を近づけられたりしていたので、色々と落ち着かなかった。
「そう? 強いのね、テウスちゃんは。あたしは、5人で走った後は、ちょっと楽しくなかったかな。あんなに辛そうにして、レースを回避した子の顔を見ちゃって。あたしまで楽しくなくなっちゃって、走らない方がいいのかなって思っちゃったこともあるわ」
マルゼン先輩のスプリングステークスでの話だろう。前走のGⅠ朝日杯FSで大差勝利を収めたマルゼン先輩も、同じように出走を回避されたらしいと聞く。レース自体は何とか成立したらしいが……
「でも、あたしに追いつきたい、追い越したいと思ってくれる子も居て。その為に夜遅くまでトレーニングしてくれる子が居て、みんなが追いたくて仕方がなくなるような圧倒的な走りを見せたくなったのよね」
「私も同じです。いろんな先輩や、お友達に勇気づけてもらって、目標だと言ってもらって。情けない走りはできないなって思っています。今まで以上にトレーニングしないとなって、気合が入り直っちゃいますよね」
誰かに目標とされるというのはちょっとむずむずする。でもそれ以上に頑張りたいという気持ちが強くなって、今すぐにでも走りだしたくなってしまうほどだ。
「ふふ、気合十分ね! 良かったわ。落ち込んでるんじゃないかと心配だったの。大きなお世話だったみたいで安心したわ」
やはりマルゼン先輩はとても優しい。いろんな後輩に声を掛けて、悩みを聞いたり、走りのアドバイスをしたりと細やかな気配りがとてもうまい。
「心配してくれてありがとうございます、マルゼン先輩。次はデイリー杯ジュニアステークスに出ますから、応援よろしくお願いします」
「あら、そうなの? マイル戦に出るのね。そうだ、ならあたしでも力になれるかもしれないわ。今から併走、しましょ? 芝の1600でいいわよね」
マルゼン先輩がぽんと手を打って魅力的な提案をしてくれる。色々問題があると思うんだけど……
「マルゼン先輩、チームリギルですよね? いいんですか、敵に塩を送るようなことをして。フジキセキ先輩のライバルだと思うんですけど、私」
自惚れているわけではないが、目下フジキセキ先輩の三冠の障害になると思われている私を助けるような真似をして、マルゼン先輩の立場が悪くなってしまったりしないだろうか……
「ふふ、大丈夫よ。フジもきっとそんなこと気にしないと思うし。なんならフジだって一緒に併走しようって言ってくると思うわ。後輩を助けるのは先輩として当然だもの。それに、そんなことしたってうちのフジは負けないわ」
そう言ってマルゼン先輩は自信たっぷりに胸を張る。信頼関係が見て取れて少し安心する。
「なら、お言葉に甘えてお願いします。しっかりついていきますから。全力でお願いします」
「ええ、勿論! フルスロットルでぶっちぎってあげる。あたしの背中、見せてあげるわ」
マルゼン先輩が好戦的な笑みを浮かべてくる。ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。これがレジェンド級のウマ娘の迫力……
「ふうっ、良い走りだったわ! チョベリグね!」
文字通りフルスロットルで飛ばすマルゼン先輩の背を捉えることはできず、1秒差、6バ身差くらいは付けられてしまった。流石に実力差が著しい……
「あ、ありがとうございました……もう一回お願いします!」
諦めきれなくてもう一度併走を申し込む。
「んー、これ以上は流石にダメね。膝が万全ならお相手したいんだけど……」
と、少し膝を気にするようにさすっている。
「ごっ、ごめんなさい! 無理させてしまいましたか? 何処か痛めて……」
「ああううん。違うの、テウスちゃんのせいじゃないのよ。以前膝を骨折しちゃって。あんまり全力が出せないのよね……膝の調子がいいときはいつでもお相手するから、それで許して?」
「勿論です。でも無理しないでくださいね、怪我は怖いですから……」
マルゼン先輩が以前骨折していたのは初耳だった。もっと先輩たちの情報も調べておくべきだろうか……
「ええ、モチのロンよ! 心配してくれてありがと。あ、この後お暇? お礼にドライブデートでもどうかしら? 帰りにイタ飯でも食べに行きましょ?」
「あ、はい。是非ご一緒させてください!」
マルゼン先輩とのドライブはとても楽しい。それに帰りに連れて行ってくれるイタリア料理のお店も美味しくて、至れり尽くせりである。
「じゃあ校門で待ってるわね! 着替えたらおいで。あ、ゆっくりでいいからね? じゃあ、チャオ~」
手を振って離れていくマルゼン先輩を見送る。私も荷物をまとめて、部室へ戻る。併走一本しかしていないしいつもよりちょっとトレーニング強度は弱めだけれど、その併走の経験が凄まじいものだったので問題ないだろう。
トレーナーさんに報告した後問題なく外出許可を取って、その後のマルゼン先輩とのデートを楽しむのだった。
死語の使い方がむずかしい……
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