選抜レースが終わってすぐ、私は学園内を駆け回っていた。あの後トレーナーたちに囲まれた私はその勢いに怯えてしまい、ついその場から逃げ出してしまったのだ。
まあ、それだけではなく、飴を咥えたトレーナーに後ろからいきなり脚を触られたのにびっくりして蹴り飛ばしてしまった、ということもあるのだが……
「あああ……やっちゃった……」
つい頭を抱える。レースを走るため、チームに所属するために選抜レースを走ったというのに、そこから逃げてどうするのだ。
駆け回った先にあった、穴の開いた大きな切り株の近くにある木を背もたれにして座り込む。
春先の陽気に中てられて、少しうとうとしながら、目を閉じて考え事をする。
勧誘から逃げ出してしまったとはいえ、選抜レースでは結果を出せた。
二着のスノーフロストさんに3バ身差ほど付けてゴールした。マヤさんはそこからハナ差だ。
何時もより最終直線での脚が軽かったのはフロックなだけかもしれないが、圧勝は圧勝である。
見ていてくれたトレーナー達には好印象を与えられたとは思っていたが、まさかあそこまで注目されるとは思わなかった。
でも、それも仕方ないのかもしれない。なぜなら、今年のジュニア級は注目されているウマ娘が少ないから。
私が軽く情報収集をした感じだと、今年のジュニア級はクラシック路線だとフジキセキ先輩、ジェニュイン先輩とタヤスツヨシ先輩くらいだった。
その中でもフジキセキ先輩が頭一つどころか二つ三つは抜け出ているといったところだろうか。
そのフジキセキ先輩はすでにチームリギルに所属している。ただ、そこまで長距離が得意だとは思えなかった。どちらかというとマイラーだろう。とするとティアラ路線に行くかもしれない。
同じようにジェニュインさんも長距離は苦手そうであった。タヤスツヨシさんも2400くらいまでなら好走しそうだが、それ以上となると厳しそうだ。
だが、
クラシック路線は今のままならフジキセキ先輩が制するだろう。そう思うのだが、一番わからないのがマヤさんだ。選抜レースで一緒に走っていたが、彼女はどうにもわからない。
こちらの走りをじっと観察されていたような気がするし、全力も出されていない気がする。
変幻自在というのだろうか、そんな感じのするウマ娘だ。対策も立てられない、一番相手にしたくないタイプだと思う。
見た目はすっごく可愛くて、小さいのもあってか彼女が年上だということを忘れてしまいそうなくらいなのに。
「あ、やっぱりここにいた! テウスちゃん、みーっけ!」
そう、こんな感じでとても人懐っこい声で、こちらの懐にするすると入り込んでくるような。明るいウマ娘だったなぁ……
「……おーい? テウスちゃーん? 寝てるの? 風邪引いちゃうよ?」
考えをやめて目を開けると、相当近い距離にマヤさんの顔があった。心配そうにこちらをのぞき込んでいる。
ひゃあ、と情けない悲鳴を上げて後ずさろうとする。木を背もたれにしていたので頭を思いっきり打つだけの結果に終わった。
「テ、テウスちゃん。だいじょーぶ? すっごい音がしたけど……保健室行く?」
痛みに頭を押さえて蹲っているとマヤさんが心配そうに頭をなでてくれる。故障しない身体とは言え、痛いものは痛いのだ。
「だ、大丈夫です……昔から身体は頑丈なので。マヤさんはどうしてここに?」
「テウスちゃんが急に走り出しちゃったのを見たから、何かあったかと思って追ってきたの。どうしちゃったの?」
「その……急に囲まれて驚いてしまって。つい逃げてしまいました。心配お掛けして申し訳ないです……その、ありがとう、ございます」
どうやら、心配をかけていたようだ。素直に謝る。申し訳なくなるとともに、気遣ってくれたことがとても嬉しく感じる。
「いーよいーよ! 変なことされたり言われたりしちゃったのかなとか思っちゃったけど、何にもなかったなら良かった。テウスちゃん、それにしてもすっごい走りだったね。マヤ、追いつけると思ったんだけど、いい感じの時にビューンって飛び出そうと思ったらスノーちゃんに牽制されちゃって。スノーちゃんも速かったし、そのまま追い付くかなって思ってたら、あそこからさらに伸びるなんて。まるでスズカ先輩みたいだった!」
べた褒めされる。好意100%どころか200%くらいのその態度に恥ずかしくなって顔が赤くなるのがわかる。
変なことか……いきなり脚を触られるのは変なことなんだろうか? トレーナーの常識はよくわからないので何とも言えない。セクハラ……ではあるのかな?
「い、いえそのそんな……そんなすごい走りじゃ……サイレンススズカ先輩の様なスピードは出せませんし……」
彼女が言ったスズカ先輩とは、サイレンススズカ先輩のことだろう。黄金世代たちが戦った年、世代最強と評されたウマ娘たちがクラシック級を戦った年。その年負けなしだったエルコンドルパサー先輩に、日本のウマ娘で唯一土をつけたウマ娘。それがサイレンススズカ先輩だ。
影すら踏ませぬその大逃げ。そして大きく逃げた後に、差す。圧倒的な逃げで、『異次元の逃亡者』だなんて呼ばれている。
トレーニングにしか興味がなかった私も、彼女が本格化してからのレースはすべて見た。金鯱賞での11バ身差での大勝は心が躍ったものである。
秋の天皇賞は東京レース場で見た。あの悲劇も、すべてリアルタイムで。やはり故障は怖い。そう思い知った日だった。でも、転倒しなくてよかったとも思った。
時速60㎞以上で走るウマ娘が転倒してしまえば、命に係わる。頭からターフに沈もうものなら、猶更だ。私なら擦り傷か打撲程度で済むだろうが、普通なら頸椎が損傷したっておかしくない。
その悲劇から1年1ヶ月、リハビリを終えて復帰したオープン特別。出遅れて最後尾についてしまったけれど、最終直線で全員抜いて完勝して。レースで泣いたのはあの時が初めてだった。
「あ、そうだ。それだけじゃなかったんだった! ね、あんなに走って脚は大丈夫なの? カーブでも全然減速しなかったし、あんな末脚も使ってたし……」
心配かけっぱなしだったようだ。うん、非常に申し訳ない。土下座でもするべきだろうか?
あの飴のトレーナーさんも、私の脚を心配するがあまり触ってしまったのだろうか。そういうことにしておこう、私の精神安定のためにも。
「はい。全然大丈夫です。鍛えてますから! 後8000mくらいなら走れますよ!」
「もう、テウスちゃん、大げさだよー。流石にそんなには走れない……よね? え、本当に走れるの? マヤさすがにそれはわかんないよ?」
ちょっと引いている気がする。実際走れてしまうのだが言わない方がいいのだろうか。この後も折角なので坂路を10本くらい走ってみようかと思っていたのだが……
「テ、テウスちゃん? なんか顔に『この後坂路10本走ろうかな』って書いてあるけど、本気?」
「あ、よくわかりましたね! 走り足りないので……あ、この後一緒にどうですか?」
「うん、マヤわかんない。2000m全力で走った後だよね? そんなに走ったらマヤ倒れちゃうよ? マヤじゃなくてもブルボンちゃんとかでも倒れちゃうよ?」
うん、これドン引きだ。友達にウマ娘はいなかったし、お爺ちゃんは私のするトレーニングに口を挟んだりしなかったので、よくわからないがこれは異常なんだろうか……?
「じゃあ5本……3本だけでも……折角だし……」
「そういうことじゃないよ? 休んだ方がいいよテウスちゃん! ウマ娘の脚ってガラスの脚って言われるくらい脆いんだよ? 壊れちゃうよテウスちゃん!」
肩をつかんでがっくがっく揺さぶられる。あ、酔う、酔っちゃう!故障しない身体でも酔いはするんですよ!?
「わ、わか、わかりました。わかりました! 走りませんから! あ、揺すっちゃダメ。お、乙女としての尊厳が失われちゃいますから! お嫁に行けなくなっちゃいますからぁ!!」
トレーニングにしか興味がない私だって衰えたら結婚したいとは思うのだ。両親に初孫を抱かせてやりたいとも思っている。吐いてしまったとしても胃液が出る程度だろうが、それでも乙女の尊厳には係わる。
その後、何とか解放してもらって一つ二つ話してから別れる。ただ、解放してもらう前に今日のトレーニングは全面的に禁止されてしまった。ほっと一息ついた後、この後どうするか考える。
トレーニングはできないし、今日はトレーニング用のコースの下見をする程度に済ませよう。……その時に各コースを軽く走ってしまっても、トレーニングとは言えないだろう、うん。きっとそうだ。
言い訳をしつつ、下を向いて考え事をしながらコースのほうへ向かう。どう走ろうか考えていたところ、前に居るウマ娘に気付かずぶつかってしまう。ぽよん、と額あたりに柔らかい感触が伝わり、顔を見上げる。
そこには、サングラスとマスクをつけた葦毛で長身のウマ娘がいた。多分170cmはある。
傍らには同じく葦毛で身長は私と同じくらいだが華奢な感じのするウマ娘と、私より10㎝低い、流星が特徴的な鹿毛のウマ娘。それと三つ編みハーフアップ、華奢な葦毛の子と同じくらいの身長の黒鹿毛のウマ娘……ちょっと太り気味なのかお腹が出ているのが気になる。その四人のウマ娘が私の目の前にいた。全員そろってマスクとサングラスをつけているのが少し怖い。
「あ、ご、ごめんなさい。前を見ていなくて……あの、何ですか?」
無言でじり、じりと距離を詰められる。まさかカツアゲか何かだろうか。お財布は部屋に置いてきたのだが……
「スペ、テイオー、マックイーン。やーっておしまい!」
「はい、ゴールドシップさん」
黒鹿毛のウマ娘にいきなりズタ袋を被せられ、三人がかりで抱えあげられる。
「名乗ったら変装の意味がなうわあああぁぁ……」
すっかり身動きが取れなくなった私は、情けない悲鳴を上げて、そのまま拉致されていくのであった……
ブラックプロテウス
同じ逃げウマ娘としてサイレンススズカに憧れを抱いている。
10000mくらいは全力で走れるらしい。スタミナおばけってレベルじゃねーぞ!
マヤノトップガン
ブラックプロテウスがレース場から逃げ出すのを見て追いかけてきた。一時見失ったが勘で見つけ出した。
あまりのトレーニング狂にドン引きしたのと同時に、放っておいたらヤバイと危機感を抱いた。
フジキセキ先輩
既に次期クラシック三冠候補として名を馳せている。既にチームリギル所属。
ジェニュイン先輩、タヤスツヨシ先輩
未実装ウマ娘だがライバル枠として登場。目下打倒フジキセキを掲げている。所属チーム未定
飴のトレーナー
例のトレーナー。スズカと同じような走り方をする彼女を見て少し心配になってつい脚を触ってしまった。あの後ブラックプロテウスを勧誘しようとしていたトレーナーたちに睨まれたうえ、とある女性トレーナーにボコボコにされた。
マスクとサングラスのウマ娘たち
担当トレーナーの指示を受けて恒例の勧誘方法を行った。全員結構ノリノリである。
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