漆黒の鋼鉄   作:うづうづ

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明けましておめでとうございます。

今年度もどうぞよろしくお願いいたします。


第三十話 報知杯弥生賞

『弥生三月、クラシックの香り仄かに弥生賞! GⅡだとは思えないほどの人数が詰め掛けた超満員の中山レース場で、いよいよ二人のジュニア王者、フジキセキとブラックプロテウスが激突します!』

 

 返しウマを終えてゲート入りを待つ。肌にピリピリとしたものを感じるのは、三月の寒さだけが原因じゃないだろう。

 

『先ほどまで不良バ場でしたが、最新情報では重バ場となっています。12人のウマ娘たちが鎬を削る皐月賞トライアル弥生賞、まもなく出走です!』

 

 ファンファーレが鳴るまでの間に、芝の柔らかさを確かめておく。不良寄りの重バ場なようで、とても柔らかいターフになっている。

 トレセンの田んぼを走り回って重バ場には慣れたつもりだけれど、どれくらい相手になるか、ちょっと不安なところである。

 

『3番人気はこの娘です、リボンマンボ。諦めずに王者へ食らいついていくその姿に惹かれるファンも多いです。果たして下克上なるか!』

 

 ファンファーレが鳴り、奇数番の娘たちからゲートに入る。その途中リボンマンボ先輩が立ち止まりじっとこちらを見ていた。真剣なその眼差しに負けないようにじっと見つめ返すと、つい吹き出してしまった。

 

「何で笑うのよ……まったく、緊張感ないわねえ」

「あはは、ごめんなさい。なんだかおかしくなっちゃって」

 

 そのまま二人で笑ってしまい、それを見た係員さんが困ったように笑っている。

 

「あの、そろそろゲートに入ってくれませんか……?」

「ああ、ごめんなさい。今入るわ。じゃあ、お互いに良いレースをしましょ」

 

 ひらひらと手を振ってゲートに入るリボンマンボ先輩に手を振り返してゲート入りを見送る。最近遠巻きに見られることも多くなった中で、リボンマンボ先輩だけは以前と変わらず接してくれる。結構助かっているんだよね……

 

『2番人気はこの娘です。ここまで無敗、ジュニア王者フジキセキ。ですが決して実力は劣っていません!』

 

 フジキセキ先輩はこちらを見ることはなく綺麗にゲートに入っている。威圧感すら感じられるような佇まいで私が入る予定のゲートの隣に収まり、深呼吸している。

 

『今日の1番人気、ブラックプロテウス。ここまで無敗、7戦7勝。果たして8勝目は成るのか! それとも他の娘たちが彼女の独走を阻止するのか!』

 

 偶数番のゲート順になり、順番に入っていく。両脇はフジキセキ先輩とミントドロップ先輩だ。ミントドロップ先輩とは今まで何度か走ったことがあるが、フジキセキ先輩は初めてだ。確か先行が得意なウマ娘で、逃げも差しも出来なくはない程度には出来たはずだ。

 とはいえ、チームリギルの東条トレーナーは堅実で、かつウマ娘の負担の少ない走り方を指導している筈、今回も先行で来るだろうとトレーナーさんは言っていた。

 

『各ウマ娘、ゲート入り完了。体勢が整いました』

 

 ゲートに入っていつものように肩に力を入れて、ゆっくり抜く。やることはいつもと同じだ。最初から最後まで、全力で逃げ切るだけ。

 

『今スタートしました! 各ウマ娘綺麗なスタートを切りました。今日もハナを切るのはこのウマ娘、ブラックプロテウスだ! 既に2バ身ほど離れてカジュアルスナップ、その横並んでユイイツムニ。少し離れてフジキセキとリボンマンボが行く。1バ身離れてサンセットグルームとサコッシュ。そこから3バ身ほど離れてタイムティッキング、そのすぐ後ろにタイドアンドフロウ。最後尾にデュオエキュとミントドロップと言う形になりました』

 

 何とか出遅れずにスタートを切って、いつも通り先頭を駆ける。後ろからピリピリとした圧を感じながら坂を上っていく。中山の芝2000は2度ゴール前の急坂を越える構成になっていて、タフさが求められるコースだ。

 

『ブラックプロテウス、坂を跳ぶように駆け上っていく! 他のウマ娘たちも負けじと彼女の後を追っていくぞ。重バ場のこの中山で、ハイペースなレースが展開されていく!』

 

 踏み込みは重いが、練習の時ほどじゃない。この重バ場で大逃げすれば誰も追いつけないはずだ。ぐんぐんと加速して第1コーナーを回り、第2コーナーも駆け抜ける。

 

『第2コーナーを回って向こう正面。1000m通過タイム、59秒8! 重バ場だぞ! 相当なハイペースだブラックプロテウス! 後ろの娘たちは食らいつくだけで精一杯か? 二番手はするすると上がってきてフジキセキ。その後ろすぐにリボンマンボが何とかついていっています。他は大きく離れた!』

 

 直線に入っても足は緩めず、全力で突っ走る。駆け引きなんて私にはわからないし、トレーナーさんも何も考えずに好きに走れと言っていたので問題ないだろう。

 

 ちらりと後ろを見ると、結構近くにフジキセキ先輩が迫ってきている。マイルを得意とする彼女の瞬発力には目を見張るものがある。スズカ先輩と同じか、それくらいのものは持っているだろう。

 

『フジキセキ並んだ! 並びかけてきましたフジキセキ! ついにブラックプロテウスを捉えるか!』

 

 第3コーナーに差し掛かったあたりでフジキセキ先輩が並びかけてくる。歯を食いしばって足に力を込めて、負けじと加速する。

 周りの音が聞こえなくなって、周りが白黒に見えていく。どれだけでも加速できるような万能感に包まれて行くのを感じながら、先頭を守り切るべく加速する。

 

『だがブラックプロテウス譲らない! コーナーで加速して先頭を守る! さあ最終コーナーを回って最終直線! 293mのこの短い直線、ラスト200mから高低差約2mの坂が待ち受ける! この中山は坂の強いウマ娘が勝つ! 果たしてブラックプロテウスか! フジキセキか!』

 

 最後の直線になって、今まで以上の全力で芝を蹴り、先頭でゴールを駆け抜けるべく加速する。重バ場に速度は少し吸われるけれど、それでも決して遅くはない速度のはずだ。

 

『フジキセキ此処で再加速! 外からブラックプロテウスをかわしにかかる! 並んで坂を登る! 内ブラックプロテウス! 外フジキセキ! 最後はやはりこの二人の決戦だ! もうこの二人以外どうでもいい!』

 

 外からぐん、とフジキセキ先輩が伸びてくる。色のなくなった私だけの世界に、くっきりとその青鹿毛が映る。

 負けられない、負けたくないという気迫がひしひしと伝わってくる。

 だけど、私だって譲れない。誰にだって負けない、負けたくない。いや──

 

 

 

 ──勝つんだ! 私は、この強いウマ娘に勝ちたい! 私こそが最強で、最高のウマ娘だと、私を応援してくれる人たちに証明するんだ! 

 

『残り100m! 此処から更に二人とも加速する! このウマ娘達にはいくつロケットが搭載されているんだ!? 二人とも一歩も譲らない!』

 

「負ける、ものかああああああ!!!」

 

 不思議と、そんな叫びが漏れていた。フジキセキ先輩も負けじと何か声を上げているようだけれど、私には聞こえない。だけど、きっと同じような叫びをあげているのだろう。

 既に限界の速度だ。踏み込むたびに足がミシリと軋む。だけど、それを無視してもう一歩、もう二歩と踏み込む。

 

 私の脚は、この程度じゃ砕けない。私の心は、この程度じゃ折れやしない。抜かされたって、何度だって食らいついていくだけだ。

 

『今、二人の王者が並んでゴールイン! どちらが有利か、全くここからではわかりません! 3着は3バ身ほど離れてリボンマンボ、4着に入ったのはミントドロップ、5着はタイムティッキングとなっています。写真判定の結果が出るまで、しばらくお待ちください』

 

 ゴール板を駆け抜けてもしばらく止まれず、そのまま走り続ける。フジキセキ先輩は全てを出し切ったのかフラフラとしていたが、それでも膝は折らず掲示板を眺めている。

 

 掲示板には、写真の文字が点灯している。落ち着かなくて、掲示板をチラチラ見ながら走り続けていたが、第2コーナーを回ったあたりで係員さんが出てきて止められてしまい、仕方なく引き返す。

 

『ブラックプロテウスもフジキセキも、よく頑張りました。どちらが勝者でもおかしくない、そんな戦いでした! 果たして勝利の女神のキスを得るのはどちらか!』

 

 そわそわとしながら、じっと掲示板を見つめる。他の娘たちも掲示板を見ていて、ターフには不気味なほどの静寂が訪れている。

 

 5分、10分だろうか。長い長い時間、判定の結果を待つ。会場は静寂に包まれていて、私とフジキセキ先輩、どちらが勝ったのかを見守っている。

 

 勝ち負けが付くとしたら、踏み込みのタイミングだとか、身体の位置だとか、そんな些細な差で決まるだろう。私も、勝てたという確信は持てない。フジキセキ先輩も同じようで、肩で息をしながらただただじっと掲示板を見つめている。

 

『出ました! 皐月賞トライアル、報知杯弥生賞。無敗のジュニア王者同士の大激突、その結果は──』

 

 写真の文字が消え、1着の枠に5番、2着の枠に6番が表示される。負けてしまったか、と思って天を仰ぐと、会場から大きな歓声が聞こえてくる。

 

 

 

 

 

『──同着! 同着です! 無敗のジュニア王者同士の決戦はクラシック第1戦、皐月賞に持ち越された!』

 

 その声に掲示板を見直すと、着差表示のところには『同着』の2文字が点灯していた。

 同着。スペ先輩とエルコンドルパサー先輩の日本ダービーの時のように、1cmの差もなく写真判定でも判断できない時にされるものだ。

 

 呆然と、その結果を眺める。負けたと、そう思っていただけに、頭では理解しているのに、心が追い付いてこない。

 

「──ふう。勝ったと思ったんだけどな。やっぱりキミは強いね、ブラックプロテウス」

「あ、はい……ありがとうございます。えっと、フジキセキ先輩も……おめでとうございます?」

 

 こういう時なんて言えばいいのかわからない。ひとまず手を差し出されたので握り返し握手をする。

 

『王者同士握手を交わしています! 二人の無敗王者に万雷の拍手を! そして皐月賞での決着を期待しましょう!』

 

 二人で少し笑いあった後、並んでターフを後にする。決着は1か月後、皐月賞で。そんな思いを込めて、二人でウイナーズサークルに立ちパフォーマンスを行った後、控室に戻る。

 

 軽く二人センターでの立ち位置を確認しつつ、ライブ衣装に着替える。このへそ出しの衣装にも慣れたものだ……

 

「んっ、あれ……ちょっときつい……?」

 

 胸周りが少しきつくって衣装の担当さんを捕まえて手直ししてもらう。そろそろまた替え時だろうか。後で申請しておこう。

 

 軽く手直ししてもらってから衣装を確かめ、ライブに向かう。ライブではフジキセキ先輩のファンサービスに付いていけず、ダンス中に抱き寄せられたりして翻弄されてしまった。

 ファンの人たちは喜んでいたけど、身体中燃え上がるくらいに熱くて、ライブが終わると早々に逃げ出してしまったのだった。

 

 

 

 

 

 激戦を終えた三週間後、3月の24日。今日はトレーナーさんと、先行ウマ娘相手のレース展開についての勉強をしていると、トレーナーさんのスマホが鳴った。

 

「悪い、テウス。仕事の電話だからちょっと出るわ」

「大丈夫ですよ。気にせず出てください」

 

 ホワイトボードに書かれていることをまとめつつ、会話を盗み聞きする。『屈腱炎』だとか『復帰には一年以上かかる』だとか、何だか物騒な会話が聞こえてきて、ちょっと気が気じゃない。

 

「……テウス。落ち着いて聞いてくれ」

「え、どうしたんですか急に……」

 

 トレーナーさんが真剣な顔になってこちらを向いてくる。かなり真剣なその眼差しに背筋がピンと伸びる。

 

「フジキセキなんだが……左足屈腱炎、だそうだ。復帰には一年以上、クラシックは絶望的だそうだ」

 

 その言葉を聞いて、手に持っていたシャープペンシルを取り落してしまうのだった。

 




いつも感想、評価、お気に入り登録ありがとうございます。毎度励みになっています。

更新頻度自体はそれほど変わらないと思いますが、今年度も精進していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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