漆黒の鋼鉄   作:うづうづ

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暫く投稿はないと思った? 残念だったな、トリックだよ


第三十八話 淀の夢

 

 

『各ウマ娘綺麗なスタートを切りました。先頭を行くはやはりこの娘、ブラックプロテウスだ! 逃げる逃げる、早くも先頭! 2番手以降は若干固まり気味か!』

 

 いつも通り最初から全力で飛ばし、先頭を確保する。

 

『大きく離れて二番手以降は団子状態、タヴァティムサ、リボンカプリチオ、ポルカステップの三人がやや前に出たか。ライスシャワーは中段後方、無理には行きません。第1コーナーから第2コーナー辺りを回って、ナリタタイシンは後方から二番手あたりを追走しています』

 

 スタートダッシュに成功し、第1コーナーまでに後続を引き離すことに成功した。

 恐らくライスシャワー先輩が仕掛けてくるとしたら坂の手前あたりだろう。そこまでになるべくリードを付けて、差し切られないようにしたい。

 

 いつも通りコーナーは最内を速度を落とさずに曲がる。

 今日のシューズは今までとは違ってヒールタイプのものだが、今回のシューズは重量を度外視して耐久性能にのみ特化させたものだ。

 通常のシューズよりかなり重さがあるが、これでも規定限界ギリギリの重量なのでルール上は問題ない。

 本当はデザイン上ハイヒールにする予定だったそうなのだが、耐久性重視でお願いしたところローヒールになってしまったのだけはデザイナーさんには申し訳なく思っているのだけれど。

 

『向こう正面に入って先頭は変わらず、ブラックプロテウス。後続とは既に4バ身以上の差が開いています。二番手以下は混戦状態ですが、若干リボンカプリチオが前に出ているか。ライスシャワーも外から上がってきます。ナリタタイシンは後方からまだ仕掛けない!』

 

 今日はとても調子がいい。いつも以上に脚は回るし、とても走りやすい。

 早くも周りから音と色が消えて行って、自分だけの世界に入っていくような感覚になる。

 トレーナーさんは『領域』がどうの言っていたけれど、仕組みはよくわからなかった。正直、気持ちよく走れるならそれほど深く気にするようなことじゃないと思うけれど、何やら大事なものらしい。

 

 じりじりと後ろから迫ってくるのを感じながら、坂に向けて加速する。淀の坂はゆっくり登ってゆっくり降りるのがセオリーらしいけれど、そんなこと気に出来るほど私は器用じゃない。

 最初から最後まで全力で。最終的に先頭でゴールできればそれで勝ちなんだから、深い事なんて考えず、自分の思うままに走ればいいんだ。

 

『外からライスシャワー! 坂を手前にライスシャワー早くも仕掛けた!  外から集団をごぼう抜きにして前方に迫る! 他の娘たちも負けじと加速して中団は纏まったまま!』

 

 ちらりと後ろを振り向くと、色を失った私の世界に、小さな蒼い炎が移り込んだ。やはりライスシャワー先輩が来ているようだ。

 

 前を向いて、目の前のレースにさらに集中する。自慢の聴力でいつもなら聞こえる実況さんの声すら途切れ途切れになって、ただ自分の呼吸と、足音だけが響く。

 

 後ろは見ない。私に出来るのはいつだって、ただ全力で走り続けることだけなんだ。

 もしそれで追い付かれるというのであれば、それは私が遅くて、相手の方が速いだけ。それだけの単純なことだ。

 だからもう後ろは気にしない。どんなことがあったって、前に進み続けられるならそれでいい。

 

 第3コーナーを前に坂に入る。ここから第3コーナー半ばまで登り、そこから一気に降るのがこの淀のコースだ。仕掛けてくるとしたら、きっとここしかない。

 だから私も、脚を鈍らせることなく坂を駆け上っていく。坂の練習量であるならば、私は誰にだって負けない。一日中坂路を走っていることだってある私にとっては、坂道なんて得意中の得意だ。

 

 

 

『大歓声が、ライスシャワーどうしたライスシャワーどうした!! 転倒、転倒している! 大波乱! 大波乱! 第3コーナーの下りであの、あの天皇賞では先行でわたったライスシャワーが転倒しています!!』 

 

 坂を登り終えて駆け下りていると、不意に、軽く、高く。パキッだとか、パンッだとか。そんな、まるで竹が割れた時のような。そんな音が私の世界に響き渡ってきた。

 

 何か踏んでしまっただろうか。少しだけ足元を見るが、特に何もなさそうだ。辺りがざわつき実況さんが何か言っているようだが、良く聞こえない。

 特にレースが続行できないような状態になったわけでもなさそうだし、気にせず前に進む。結構なハイペースになっていると思うが、まだまだスタミナは持ちそうだ。

 

 坂を降り終えて、第4コーナーに入る。ここからはほぼ平坦。そして直線は400m超ある。

 

 重心を思いっきり低くしてコーナーを曲がり切り、一気に加速する体勢を取る。靴も丈夫なものを手配したし、多分全力で加速したって耐えきれると思う。

 

 後ろから他のウマ娘が迫ってきているような感覚を感じているし、出し惜しみなんてしない。

 骨がミシッと軋むような感覚を覚えるが、気にせず脚に力を籠めてただひたすらに前に進むことだけに力を使う。

 

『最終直線に入ってもブラックプロテウス先頭! 外からタヴァティムサ、ポルカステップも追いすがるが、ちょっとこれは差が縮まりそうにありません! 私の夢、ブラックプロテウスが内から更に伸びていく!  これは決まったか!』

 

 前には誰もいない。このまま何処まででも駆け抜けていけそうな、そんな感覚を感じながら、先頭を駆け続ける。

 

『外からタヴァティムサ差を詰める、差を詰める! 差を詰めるが──1着はプロテウス! ブラックプロテウス1着! 最内を駆け続けたブラックプロテウスが先頭を守りきり1着! あっと審議審議、このレースは審議の青ランプが点いていますが、1着は変わりないでしょう! ブラックプロテウス、クラシック級のウマ娘として初めて、宝塚記念を制しました!』

 

 音と色が戻ってくるのを感じながら、ゴール板を駆け抜ける。結構後ろは迫ってきていたみたいだが、それでも3バ身くらいはリードしていたようだ。少しずつ減速しながら周りを見てみる。

 

 ──だがそこには、ライスシャワー先輩の姿はなかった。最後方あたりにナリタタイシン先輩の姿は見えたけれど、どうしてもあの黒い小さな姿を見つけることが出来ない。

 

 周りも歓声はいつもより小さく、どちらかというとどよめきの方が大きい気がする。

 

 不思議に思いつつも、第1、第2コーナーを回り、ウイニングランを始めようとすると──

 

 

 

 第3コーナーの半ば、降り坂が始まる辺りに、小さな黒い姿を見つけた。

 

 ──内ラチに掴まって、必死に立ち上がって、前に進もうとするその姿を。

 

 なんで彼女は、まだあんな所にいるんだろう。

 何で彼女の脚は、あんなにプラプラと、まるで折れたかのようになっているんだろう。

 

 ──それなのにどうして、彼女は、まだ前に進もうとするんだろう。

 

 

 頭で答えが出るよりも早く、脚は前に進んでいた。

 

 彼女の周りには係員さんたちが居て、彼女を止めようとしている。それでも彼女の脚は止まっていない。ただひたすらに、一歩ずつ前へ進んでいっている。

 

 あのまま彼女を歩かせると、取り返しがつかないことになる。そんな予感がして、再加速して彼女のところへ向かう。

 

 

 

 

 だいたい800mくらいを一気に駆け抜けて、彼女の元へ辿り着いた。今にも倒れてしまいそうで、だがそれでも係員さんの制止を振りほどいてまで、前へ、前へ進もうとしている。

 係員さんたちもこの状態の彼女を無理矢理止めることには躊躇っているのか、何とか説得を試みようとしているが、多分彼女が止まることはないだろう。

 

「ライスシャワー先輩!」

 

 必死に彼女の名前を呼び、彼女を引き留めようとする。一瞬こちらを見てくれたと思ったが、すぐ前に向き直って前へ歩こうとする。

 

 彼女を、これ以上歩かせてはいけない。ウマ娘としての本能か何かが、これ以上歩かせてはいけないと警鐘を鳴らす。

 彼女を後ろから抱きしめて、そのままゆっくり後ろに倒れ込む。なるべく彼女の折れている左脚に衝撃が掛からないように、細心の注意を払う。

 

 この小さな、ボロボロの身体の何処にそんな力があるのかと思うくらいの力で抵抗されたが、力勝負ならそうそう私は負けない。何とか彼女を抑え込んで、ターフに寝かせる。このまま救急隊員さんがストレッチャーを持ってくるまで抑え込めば流石に大人しくなってくれるだろう。

 

「離して、離して、テウスちゃん……ライスは、ライスはゴールしなきゃいけないの……」

 

「その脚では無理です、ライスシャワー先輩。これ以上その脚に負担を掛けたら二度と走れなくなりますよ!」

 

 現状でも彼女の脚は酷い状態だ。あの時のスズカさんと同等、またはそれ以上の状態だろうと思う。

 こんな状態でこれ以上走れるわけがない。走れたとしても、ただでは済まない事態になる。

 

 それこそ──命を脅かす状態になったっておかしくない。

 

「ライスは、ライスを信じてくれた、ファンの人たちの為にも、そして、トレーナーさんの為にも、ライスは、ゴールしたいの……だから、離してっ! 二度と走れなくなったって、ライスは、ライスは──!!」

 

 だけど、同じウマ娘としてライスシャワー先輩の言うことも、分かってしまう。

 

 誰かの夢を、誰かの希望を、誰かの期待を背負って走っているのに、応えたいという気持ちは、痛いほどわかる。

 私が同じ立場だったとしても、迷わず走ることを選択するだろう。たとえその後がどうなってしまったって、構わない。そう考える気持ちも、よくわかる。

 

 だけど──

 

「……ごめんなさい。ライスシャワー先輩、恨んでくれていいですから。貴女をこのまま、走らせることは、出来ません」

 

 腕に力を籠めて、彼女をしっかりと抱きしめる。

 

 今ここで彼女を走らせても、きっとファンの人たちは喜ばない。

 それよりこの怪我を最小限で留めて、後に復帰してくれた方が、きっとファンにとっては嬉しいと思う。

 

 ライスシャワー先輩当人にとっては、傍迷惑なことだろう。余計なお世話だと怒られたって仕方がないことを私はしている。

 

 それでも──二度と走れなくなってしまうよりは、ずっといい。

 

「……なら、お願い、テウスちゃん。ライスを……ゴールまで、連れて行って」

 

 その言葉を聞いて、彼女を瞳を見る。しっかりとした意思を感じる瞳だ。何を言って聞かせたって、彼女が折れることはないだろう。

 そう感じて彼女を抱きかかえる。なるべく脚に負担がかからないように、ゆっくりゆっくりゴールまで歩いていく。

 

「ブ、ブラックプロテウスさん! やめてください! 今ライスシャワーさんを動かしていい状態じゃないのはわかるでしょう!」

 

 係員さんが私を引き留める。彼の言っていることは、確かに全面的に正しい。あのまま彼女をあそこから動かさない方がいいのだということも、頭ではわかっている。

 

「ごめんなさい。責めは後で私が全て負います。だから今は、引き留めないでください」

 

 だけど、これは理屈じゃないんだ。ライスシャワー先輩だって、こんな形でゴールしたって意味がないことくらいはわかっているだろう。

 

 それでも。今この宝塚記念のこの舞台で、彼女がゴール板をくぐることに、何か意味があると思うから。

 

 

 

 

 

 周りの制止をすべて振り切って、ゴールへ一歩ずつ進んでいく。

 ライスシャワー先輩に負担を掛けないように進んでいるから、普通の徒歩より遅い。ここからゴールまで残り600もないのに、15分くらいだろうか、今回のレース時間の6倍以上の時間をかけて、ようやくゴール前に辿り着く。

 周りは異様なほどに静かで、ファンの人たちが息を呑む音だけが聞こえてくる。

 

 ゴール前残り数歩までたどり着くと不意にライスシャワー先輩が服を引っ張る。

 

 言葉を交わすことなく、彼女をゆっくりその場に降ろす。

 

 歩かせてはいけない、頭ではそうわかっている。でも、最後の数歩くらいは、自分の脚でゴールしたいんだろう。彼女の脚に負担がかからないように支えて、二人で一緒にゴール板をくぐる。

 

「ありがと……テウスちゃん」

 

 そういって微笑んで、糸が切れたかのように意識を失い倒れ込んだライスシャワー先輩を咄嗟に受け止める。

 相当痛むだろうに、よく頑張ったと思う。

 

 意識を失ったライスシャワー先輩を抱きかかえて救急車の方へ歩いていく。

 

 多分、今日の宝塚記念の真の勝者は彼女だ。

 だって、きっと今日のことは、私より彼女の方が皆の心に残っただろう。

 どんなになっても諦めずに、最後までゴールへ向かうその姿勢は、誰の瞼にも焼き付いたことだろう。

 

「隊員さん。見守ってくれてありがとうございました。ライスシャワー先輩を、よろしくお願いします」

 

「あ、は、はい!」

 

 用意されていたストレッチャーにライスシャワー先輩を寝かせて、頭を深く下げる。彼らには迷惑を掛けてしまった。彼らに何かお咎めがなければいいのだが……

 

「えっと……ブラックプロテウスさん。後で検量室に来ていただいても……?」

 

「ええ、わかっています。後でと言わず、今すぐ伺います。どんな処分でもお受けします」

 

 遠慮がちに係員さんが声を掛けてくる。覚悟の上で起こした行動なので、致し方のないことだ。

 

 レースには関わらないことなのでレース結果が変わることはないだろうが、数週間ほどの出走停止処分や罰金くらいは受けてしまってもまあ仕方のないことだろう。

 

 当然それも覚悟の上だったのだが、トレーナーさんに迷惑が掛かってしまうことだけは何とか避けるようにしないといけないな。

 

 

 

 そう思いつつ、係員さんの後をついていくのだった。




本来予定していた展開とは全く違うのですが、本来予想していた展開には史実補正的にはならないだろうな……と思ったのでお蔵入りにしました。
機会があれば番外編か何かで投稿します。

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