トライアルが終わり、ついにクラシック最終戦、菊花賞の日を迎えた。
その前にあったスプリンターズステークスやマイルチャンピオンシップ南部杯に出ようかと思ったのだが、距離があまりにも違うということでトレーナーさんに止められて仕方なく見送ることにした。
菊花賞は私が待ちに待った長距離、3,000mの長丁場のレースだ。長距離のレースなら丹頂ステークスで経験済みだが、その丹頂ステークスでも2,600m。そこから更に400mの延長となる。
京都レース場の高低差4.3mの坂を二度越え先頭で駆け抜けることが出来る、スピードとスタミナを兼ね備えた『最も強いウマ娘』が勝つと言われている。それがクラシック最終戦、菊花賞だ。
修繕から戻ってきて初めて、クラシックを共に戦い抜いた
黒い着物に、黒い袴。私の黒い長髪も相まって、こうして見てみると全身真っ黒だ。薄い桜模様の入った耳カバーの純白が目立つ。
きっとこの姿は緑のターフの上でも目立つだろう。何処に居たって私の姿を、見せつけることが出来る。
「テウス、準備できたか? 入るぞ?」
扉が控えめにノックされて、その向こうからトレーナーさんの声が聞こえる。その声に応え返事をすると、いつも通り無精髭を蓄えて、口にはいつものキャンディを咥えたトレーナーさんが入ってくる。
いつもよりちょっとしっかりとした格好をしているのは、先ほどまでインタビューに答えていたからだろう。それでも無精髭は何とかした方がいいと思うのだが、トレードマークであるのでそのままでもいいと思っている自分も居る。
「……緊張してたら解してやろうと思ってたんだが、必要ないみたいだな?」
「これでも緊張はしていますよ? でも、それより楽しみで楽しみで。ずっと待ち望んでいた菊花賞ですから」
日本に数少ない、2,700mを超えるGⅠレース。私がずっと待ち望んでいた長距離のレースだ。
どれだけ長くて、そして走ったらどれだけ気持ちがいいんだろう。考えるだけでワクワクが止まらない。
「言いたいことはいっぱい有ったんだが……無粋だな。よし! 目一杯楽しんで来い、ブラックプロテウス!」
「はい、トレーナーさん。貴方の愛バの実力。一番近くで見ていてくださいね」
いつも私を力強く、一番そばで見守ってくれるトレーナーさんに、自信をもってそう答える。
さあ、私のクラシック戦線、その集大成だ。培った全てをぶつけてこよう──
『誰もが未知の距離、本日のメインレース、菊花賞! 泣いても笑っても、これがクラシックでの最終戦です。天候は晴れ、少し出た雲が掛かって、少し涼し気。バ場は良バ場。まさに絶好の決戦日和と言えるでしょう!』
涼しくなって肌寒さを感じることも多くなった10月後半。堅いターフを踏みしめ、その感触を確かめる。
何度も走ってきた京都レース場だが、今日に限ってはまるで走ったことのないレース場に感じる。それだけ周りの熱気が凄くて、涼しい10月なのにここだけが8月の真夏になってしまったかのような、そんな感覚を覚える。
『何といっても今回は三冠、それも無敗の三冠ウマ娘の誕生が期待されます! トウカイテイオーが、ミホノブルボンが届かなかったその頂。シンボリルドルフ以来史上二人目の無敗三冠。果たして偉業は達成されるのか。それとも並み居るライバルたちがその意地を見せるのか!』
ターフを見回す。今日は、見知った顔が二人ほど居ない。リボンマンボ先輩とジェニュイン先輩だ。
二人とも距離不安ということで、天皇賞秋、そしてマイルCSへの挑戦ということで、今回の菊花賞は見送った。
リボンマンボ先輩は最後まで悩んだようだが、彼女のトレーナーと話し合ったうえで決めたことだそうだ。
貴女から逃げないと言っておきながら、見送る形になってしまって申し訳ないと頭を下げられたが、誰にだって適性距離があるんだから、仕方のないことだと思う。
むしろ、菊花賞が終わった後、天皇賞秋、そしてマイルCSと、私が出る可能性もある。
そこで戦う彼女たちは、この菊花賞で戦うより強いだろう。それならば、それでいい。やはり万全の状態の彼女たちと戦いたいというものだ。
見知った顔が二人抜けた周りを見回す。皆が皆強敵揃いで、万全に仕上げてきている。今日の彼女たちは当然、今までで最高の仕上がりだと思っていいだろう。
そんな中、少し緊張した様子を見せる、フライトジャケットを着た小さい栗毛のウマ娘を見つけ、声を掛けに行く。
「こんにちは、マヤノさん。今日はよろしくお願いしますね」
「あ、テウスちゃん。うん、よろしくね♪」
彼女は私に声を掛けられるといつも通り、明るく元気な姿を見せた。緊張していると思ったのだが、気のせいだっただろうか?
「……えへへ、あの時とは逆になっちゃったね。選抜レースの時はあんなに緊張してたのに、今では逆の立場になっちゃった」
「そう、ですね。あの時みたいに、始まるまでお喋りしますか?」
「そうだね~、それもいいんだけど……うん、やっぱり、エンリョしとくね?」
少し考えた様子を見せた後、にこやかに断られた。
「だってこれから──マヤが、無敗の二冠ウマ娘を撃墜するんだから。その撃墜する相手に掛ける言葉は、
そう言って、彼女が微笑む。いつもの天真爛漫な仕草なんだけれど、その奥に強い闘争心を感じて、つい口角が吊り上がってしまうのを感じる。
「どれだけ追撃してきても、振り切ってあげますよ。確か、『我ニ追イツク敵機無シ』でしたっけ?」
あんまり戦闘機には詳しくないが、そんな電文があったと聞いたことがある。いつの時代かも私にはわからないけれど……
『さあ、熱気高まる秋の京都。18人のウマ娘が雌雄を決す菊花賞。ついにファンファーレです!』
言い終わると丁度、ファンファーレが鳴り響く。今日の私は1枠2番。マヤノトップガン先輩は5枠10番、かなり離れた位置のゲートに入る。
いつも通り、ゲートに入る前に一呼吸置き、意識を切り替える。
『2番人気はマヤノトップガン。果たして下克上はなりうるのか!』
奇数番のウマ娘が入り終わり、偶数番である私もゲートに入る。いつもは狭くて少し嫌なゲートも、その狭さが今は集中を高めるのにちょうどいい。
『そして1番人気、ここまで15戦15勝無敗! 二冠ウマ娘ブラックプロテウス! 鍛え抜かれた鋼鉄のウマ娘がここ京都に決して消えない伝説を刻むのか!』
いつも走ってる途中に感じるような、音がなくなっていく感覚。その感覚に包まれて、自分の呼吸と鼓動だけが感じられる。
『泣いても笑ってもこれが最後。クラシック最終戦菊花賞。今──スタートしました!』
ゲートがゆっくりと開く。ゲートはこんなにゆっくり開くものだったのかと思いつつ、そこから抜け出すように外へ飛び出す。
『出遅れはありません! そしてブラックプロテウス、まさしくロケットスタート! 誰よりも早くゲートを飛び出し、早くも先頭を奪いました!』
第3コーナーの手前、上り坂の途中からスタートして、200mくらい走ったところでコーナー。この菊花賞はコーナーを6回回る。内をロスなく立ち回れるかが重要だ。内枠だったお陰で悠々と先頭を確保できたようで、いつも通りのペースで駆け抜ける。
周りは付いてきているのだろうか。まあ、別にそんなこと気にしなくたっていいか。いつも通り、私は私の好きなように走るだけだ。
『ブ、ブラックプロテウス、殺人的ハイペース! 上り坂を突っ切り単身独走! 下り坂に差し掛かっても足を緩めず突っ込んでいきます! これは暴走か、はたまた作戦通りか!?』
下って、コーナーに入る。速度があればあるほど、曲がることは難しい。身体にかかる負担を無視して、いつも通り無理矢理に曲がる。
一人分の隙間も空けずにコーナーを曲がり切り、最初の正面スタンド前。ここ京都レース場は淀の坂と呼ばれる向こう正面から第3コーナーへかけての急坂以外はほぼ平坦。走りやすい直線を、下りでついた速度を維持しながら駆け抜ける。
『やはり先頭はこのウマ娘、ブラックプロテウス! 他の逃げウマ娘に早くも5バ身以上の差をつけて一回目の正面スタンド前を駆けていきます! タヤスツヨシは後方から、マヤノトップガンは虎視眈々と5番手辺りの好位に着けています』
400mくらいの直線を駆け抜けてコーナーに入る。後ろがどれだけついてきているかはわからない。
『1000m通過タイムは……59.5! 後ろを1秒以上突き放す凄まじいハイペース! 果たして最後まで持つのか!? だが最後まで持つならばこれは圧勝でしょう!』
第1コーナーを駆けて、そのまま第2コーナーを回り、向こう正面に戻ってくる。平坦な道を駆け抜けていく、目の前には坂が見えてきた。背中にチリチリとした圧を感じる。まるでロックオンされたかのような冷たさが背筋を這い、戦闘機が迫ってくるような音が聞こえてくる気すらしてくる。
『マヤノトップガンここで仕掛けてきた! ブラックプロテウスが坂に入ったそのタイミングで早めの仕掛け! 坂を上り差を詰め──』
──それならば、どこまでも振り切ってしまえばいいだけだ。
『差が、詰まらない! 差が詰まらない! ブラックプロテウス、ここから更に伸びる! 上り坂でスパートして、下り坂をまるで落ちていくかのように駆けていく!』
色を無くした世界が、高速で流れていく。追撃してくる戦闘機を振り切り、その音が聞こえなくなるまで突き放す。
『彩雲棚引く空の下! 瑞相現れたここ京都! ブラックプロテウス、最後の直線一人旅!』
最後の直線、長かった菊花賞も、これで終わりなのか。そう思えば、少し寂しい気もする。
せめて、今までで一番速く。最後を駆け抜けよう。
太陽が掛かっていた空から陽の光が漏れ出て、ゴールまでの道を照らしていく。
その光の道を、ただひたすらに全力で駆け抜けていく。
『後ろにはもう誰もついてきていない! 誰も届かず、影すら踏ませない! ひたすらに錬り上げ、鍛え抜かれた漆黒の鋼鉄が、その切れ味を以て今、この国のウマ娘史にその名を刻む! ブラックプロテウス──無敗クラシック三冠達成!!』
ゴール板を駆け抜けた後、その余韻に浸るように暫く駆け続ける。名残惜しくて、ゆっくりゆっくりとだけペースを落とす。向こう正面に入ったあたりで係員さんと目が合い、先に行っていいと合図を出される。
『掲示板に刻まれるレコードの4文字! 表示された勝ち時計は何と、2:59.8! 物凄いレコード! そして掲示板に刻まれる大差の文字! 2着マヤノトップガンのタイムは手元では3:01.9です! これも決して遅いタイムではなく、以前までならレコードです! ですが、それを上回る衝撃的レコードタイム!』
勝者だけに許される特権、ウイニングランとして、軽く駆け足で淀の坂をもう一度上って下り、もう一度第4コーナーを回りスタンド前へ戻ってくると、スタンドからは拍手と歓声が私を祝福してくれた。
『京都レース場に巻き起こるテウスコール! 菊花賞での大差勝ちは伝説のウマ娘、クリフジ以来二人目の快挙! クラシック無敗三冠は、シンボリルドルフ以来二人目の快挙! そして3,000m3分切りは、世界初の大快挙!』
そしてウイナーズサークルに向かう。全体を見渡せる位置に陣取り、周りを見渡す。
一番見やすい位置に、トレーナーさんや、スピカの皆を見つける。あのゴルシ先輩ですら、今は真面目に祝ってくれている。
それなら、それに応えよう。今望まれている、一番のパフォーマンスで!
『そして今、天に三本指が立てられた! 全ての常識を、全ての限界をぶち壊して、今ここに、最強のウマ娘が誕生した!』
大歓声に包まれながら、ウイナーズサークルを後にする。いつまでも余韻に浸っていたかったが、そうもいっていられない。
これから後に控えるは、私を応援してくれた全ての人たちに、感謝を伝えるための舞台なのだから。
『輝くウマ娘達のステージ、ウイニングライブ! 今年最後の『winning the soul』も、このウマ娘がセンターを飾ります!』
ライブ衣装に着替え、ステージの真ん中に立つ。まだレースの熱が冷めやらない中──
『そのウマ娘の名は──ブラックプロテウス! 無敗の三冠ウマ娘、ブラックプロテウスです!』
スポットライトに照らされたステージに堂々と立つ。私が好きだと言ってから照らされるようになった、青一色に染まった観客席を見つめ、歌い出す。
私は全てのウマ娘にとっての憧れに、なれただろうか──
その答えは、このライブが終わった後に、わかるのだろうか。
込み上げてくる熱いものを、胸で留める。せめて、これが終わるまでは泣かないようにしよう。全ての人たちに、感謝を伝えるために、パフォーマンスに専念していった。
多分次回は掲示板回にします
参考タイム
中央競馬3000mレコードタイム 3:01.0 (トーホウジャッカル 2014年10月26日 京都競馬場)(世界レコード)
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