第四十九話 シニア級突入
有馬記念が終われば学校は本格的に冬休み。次走に関しては万葉ステークスか日経新春杯かで悩んだ結果、折角だから両方に出ることにした。
万葉ステークスはオープン特別、日経新春杯はGⅡであり、レースの格としては日経新春杯の方が高い。普通に判断するなら、私の戦績であれば日経新春杯だけに絞るべきだろう。常識的に考えて。
でも、万葉ステークスは3000m。日本の中央で開催される3000m以上のレースは、これを含めて6つ。一生に一度しか出走できない菊花賞を除けばたった5つしか存在しない。
なので、万葉ステークスはどうしても走りたい。もしこれが条件戦などであったのなら諦めざるを得なかったが、そうでないならたとえ大阪杯とかに出られなくなったとしても絶対に走りたいレースだ。
それに両方とも京都開催のレースだ。距離が大幅に変わるわけでもないし、連闘になるが私にはあまり関係ない。
トレーナーさんに出走希望を伝えたら既に両方エントリーしてあると言っていた。もう長い付き合いだし、私の考えることはお見通しということだろう。
今年は一度実家に帰るか迷い、一応帰省届は出したのだが、帰らないことにした。
年末年始で地元に人が多いであろう時期に帰省したら近所がお祭り騒ぎになる可能性が高いので、年末年始に帰るのは逆にハードルが高い。天皇賞(春)が終わったら、少し休みを貰って一度帰る予定だから、そこまで我慢することにした。
それまでは学園に残ってトレーニング漬けの日々を送るつもりだ。今年はスピカの皆は殆どが里帰りした。残っているのは私とスズカさんとゴルシさん、それとトレーナーさんだけだ。
ゴルシさんは『ちょっとルルイエで年越ししてくるぜ!』と言って何処かに行ってしまったけど、学園のどこかには居るだろう。多分。
私は正月休みが終わったら万葉ステークスなどのレース予定は勿論、URA賞、つまり年度代表ウマ娘や各クラスの最優秀ウマ娘の発表があるし、1月末あたりにはその表彰式があったりするので案外忙しい。今年は去年とは違って、既に私に対して年度代表ウマ娘と最優秀クラシック級ウマ娘の表彰がある事は知らされている。
戦績的に間違いないだろうと菊花賞に勝ったときから言われていたから、既に勝負服の色について等の要望については聞かれたりしてもいる。
トレーナーさんも帰省できない程度には忙しいのだろうと思って一度謝ったら、『この歳で一人で実家に帰るとな、早く嫁さん連れて来いってうるさいんだよ……』と死んだ魚のような目をして笑っていた。
その時は丁度スズカさんがトレーナーさんの隣にいたので『一人で帰るの嫌なんですか? トレーナーさんさえ良ければ私が一緒に行きましょうか?』と言っていた。
トレーナーさんは気持ちだけ受け取っておくと言っていたが、どこまで本気だったのだろう? スズカさんは時々天然だから、何処まで考えてこの発言をしたのかは不明だ。
トレーナーさんは教育者としては真面目な人だ。学生とどうのこうのなることはないだろう。卒業した後のことは当人同士の問題なので私は与り知らないが……
まあ、そんなことはどうでもいいんだ、重要なことじゃない。今の私に重要なことは、殆どのウマ娘が帰省するこの冬休みはトレーニングコースがほぼ使い放題ということだ。
この時期だけは各種設備を使用申請を出さなくても使用して良いことになっている。コースやトレーニングルームに学園に残ったトレーナーが最低一人居て、そのトレーナーに報告さえすれば問題なく使用できる。
勿論担当トレーナーがついている場合はそのトレーナーに付き添って貰ってトレーニングを見て貰ってもいい。
時折順番待ちは発生するが、まあその辺りはウマ娘同士で話し合うか付き添いのトレーナーさんによる調整で何とかすることになっているし、実際何とかなっている。
トレーナーさんにコースで暫く走っているとメッセージを送ってから、コースへ向かう。
ちなみに、今日は大晦日。そして時刻は午前5時半である。今日の日の出は午前7時くらいなので、まだまだ真っ暗だ。学園内には街灯があるし、ウマ娘は人間より暗視能力に優れているので明かりがなくてもまあ何とかなる。
とりあえずまだ日も出ていないし、正直とても寒い。なので最初は軽く芝を走って身体を温めよう。
芝コースに向かうと、緑色のトレセン学園指定体操服を着たウマ娘が準備運動をしていた。
大晦日の午前五時に私以外にコースに出てくるウマ娘はそうそう居ないと思うのだが、そのウマ娘には見覚えがあった。
「おはようございます、トキノ先輩!」
「うぇっ!!? あ、て、テウスちゃん! おはようございます!」
あの夜に出会ってから、早朝や夜の人が少ない時間帯に稀にエンカウントするようになったウマ娘、トキノ先輩だ。
色々忙しいらしく、どうしてもあまり人がいない時間に走るようになってしまうと言っていた。
私と偶然出会うまでは殆ど一人で走っていたそうで、流石にそれじゃあんまりだから彼女の姿を見かけたら一緒に走ることにしている。
「え、えーっと、テウスちゃん。貴女帰省届出していませんでしたっけ? 帰らなかったんですか? スピカの皆さんは全員帰省したと思っていたんですが……」
「悩んだんですけれど、この時期に帰ると色々大変そうなので。一応学園にはトレーナーさん経由で報告してもらっていますけれど……」
「あ、ああ、そうなんですね。後で確認しておきますね」
トキノ先輩は事務員さんたちのお手伝いをすることが多いらしく、申請された内容を把握しているらしい。卒業後はそのまま事務員になると言っていた。
学生の内からそういった仕事をしているのは純粋に尊敬する。私は自分自身の目的のために生徒会役員の席を蹴っ飛ばしたウマ娘だ。お世辞にも優等生なウマ娘ではない。
その事務員さんたちは確か、冬休みに入った際に理事長が自宅勤務を命じていたはずだ。もしかしたらそのあたりの関係で連絡が上手くいっていなかったのかもしれない。
「ところで、よろしければ一緒に走ってもらえませんか? お邪魔でなければですけれど」
「あー……はい。勿論構わないんですけど、今日はちょっと連れが居まして」
「あ、そうなんですね。なら遠慮した方がいいのかな……」
非常に残念だが、いきなり併走相手が増えてしまってはトキノ先輩の友人に迷惑が掛かってしまうかもしれない。大人しく引き下がったほうがいいだろう。
「いえ、テウスちゃんなら大丈夫でしょう。テウスちゃんの知り合いでもありますし」
「え? それってどういう……」
「めんごめんご! 待たせちゃったわねー、って、あれ、テウスちゃん? おはよっ。随分早起きね?」
後ろから聞き覚えのある声が聞こえて振り返ると、マルゼンさんが居た。トキノ先輩の併走相手とはマルゼンさんだったのか。
マルゼンさんも高等部だし、知り合いでもおかしくないか。もしかしたらクラスメイトだったのかもしれない。それなら邪魔するのも悪いかな?
「おはようございます、マルゼンさん。ごめんなさい、お邪魔ですよね?」
「ううん、そんなことないわよ~。折角だしご一緒にどう? 貴女もそれでいいわよね?」
「はい。今を時めく三冠ウマ娘とご一緒できるのは光栄なことですしね」
受け入れてもらえたようなので、軽く併走して身体を温めてから、折角なので模擬レース形式で併走をすることにした。
距離は1600m。コースは東京レース場を模したコースの左回りだ。私には少々短い距離だが、トキノ先輩もマルゼンさんも脚部に不安がある。あまり長い距離を走れない。
それに、レースと言っても私たちは三人ともどちらかと言えば逃げに近い脚質だ。本気でやりあうとかなり消耗してしまうだろう。
本気でやらなければいいと思うだろうが、たぶんマルゼンさんとトキノ先輩が相手だと走ってる途中でスイッチが入ってしまうだろう。超一流のウマ娘を相手にして手加減できると思えない。なので最初から軽めに、という事を打ち合わせてから併走を始める。
「よし、準備出来ました。いつでもどうぞ」
「じゃあ行くわよー! よーい、ドン!」
「あ、ちょっとまっ……ああもう!」
大雑把なスタートで始めたせいか、少しトキノ先輩が出遅れた。元々スタートは苦手だと言っていたし、多少不意打ち気味だったのも原因だろう。
それでも、彼女はすぐに立て直してくるだろう。トキノ先輩はスピードの絶対値が違う。これでもし脚部不安がなければ、私以上の戦績を残せていただろう。
気になってトキノというウマ娘について少し調べてみたのだが、地方のウマ娘に該当するウマ娘が居たのだが、彼女は私と同じ黒鹿毛なようなのでトキノ先輩とは違うだろう。
ウマ娘の中には全く同じ名前を持っているウマ娘も存在する。その場合は産まれてくる時代が違うことが殆どだが。
ウマ娘の命名法則についてはあまりよくわかっていない。私の『ブラック』のように毛色にちなんだ名前がつけられることがあるので、何らかの法則で付けられているのだろうというのが定説だが、その辺りは三女神様のみぞ知るといったところだろうか。
そんなトキノ先輩は出遅れてなお、コーナーに差し掛かるころには私とマルゼンさんに並びかけてきた。
全力ではないとはいえ私はトゥインクルシリーズ、マルゼンさんはドリームシリーズで最前線にいるウマ娘だ。その私たち二人についてこれるだけでもこのウマ娘がただ者ではないことがわかる。
やっぱりこのウマ娘達は強い。心の奥の方で燃え上がるものを感じるが、それを抑える。今コースで見ているトレーナーさんはブルボンさんやタヤスツヨシ先輩のトレーナーさんだったはずだ。たしかレリックアースさんも担当していたと思う。
優しい人だが、あんまり彼に怒られるようなことはしたくない。スパルタなトレーニングなら望むところだがお説教はご勘弁である。後やっぱり顔が怖いし。
少し抑え気味に走って、三人並んでゴール地点を通り過ぎる。誰かが抜け出るということもない、揃ったゴールだ。
「ふう……もう、スタートするならもっとしっかり合図してくださいよ!」
「めんごめんご! でも、ちゃんとついてこれてたじゃない?」
「そうですね、流石はトキノ先輩です」
正直今でも現役で通用すると思う。中距離以上だと脚が痛むらしいが、短距離やマイルなら大丈夫だと思うし。今から高松宮記念に登録してもいいところに行けると思う。
高松宮記念は同期だと出走するウマ娘は短距離だとヒシアケボノ先輩、後はチームアケルナーのフラワーパーク先輩だろうか。同期でないならビコーペガサス先輩も出ると聞いた。
そういえば、ブライアンさんも高松宮記念に出るという噂を聞いたことがある。私は同週の土曜日に行われる日経賞に出る予定なので、高松宮記念に出ることはないだろう。
何といっても高松宮記念は短距離。走れなくはないが、わざわざ短いレースに出る理由はない。2500でも私にはちょっと短いけれど、1200よりは長い。なので私的には高松宮記念に出るということはないと思う。
調子次第では高松宮記念に行ってもいいんじゃないかとトレーナーさんが言っていたので、一応選択肢としては持っておいてある。
走った後暫くストレッチをしてから水分を取ろうとコース外に置いた手荷物の方に向かうと、丁度誰かから連絡が入ったようで通知音が鳴った。誰かから通話が掛かってきたようだ。
慌てて電話に出ると、とても聞き覚えのある声がした。というかスズカさんである。
「テウスちゃんおはよう。少し頼みたいことがあるのだけれど……」
「わかりました! 今お部屋ですか? すぐ行きますね!」
「うん、ありがとう。待ってるわね」
荷物を纏めてから、とりあえず先輩二人に挨拶をしてからスズカさんのところへ向かうことにする。
アイサツは大事、古事記にもそう書かれているってゴルシさんが言ってたし、何も言わずに立ち去るのは流石に不義理に過ぎるだろう。
「ごめんなさい先輩。スズカさんに呼ばれたので今日は私は切り上げますね」
「気にしないでください。私たちももう少し走ったら切り上げる予定でしたし」
「そうそう、今日はこの後予定もないし、問題ナッシングよ! それじゃテウスちゃん。また来年ね♪」
「はい、マルゼンさん、トキノ先輩。今日はありがとうございました。良いお年を」
幸いにも二人とも気分を悪くした様子はなさそうだ。駆け足で寮の方へ帰ろう。それにしても、スズカさんが頼み事とは珍しい。一体どんなことなんだろうか?
スズカさんだし、あまり変な頼み事ではないだろうけど……
「……ところで貴女、テウスちゃんにカミングアウトしたの?」
「いやー、なんか気付いてないみたいですし、この際何処まで気付かないか気になっちゃって」
「……確かにそれは気になるわね」
あの後スズカさんのところに行くとフクキタル先輩の神社に連れていかれることになった。前日の夜と正月の朝からのお手伝いをするらしい。どうにも巫女さんたちがインフルエンザでダウンしてしまったようで、人手に困っているそうだ。
夜は泊めてくれるそうなので、荷物を持って二人で途中商店街で買い食いをしつつのんびり向かい、夜のお手伝いものんびりと行い、その後スズカさんと同じ部屋でお布団を並べて休んだ。
フクキタル先輩曰く、『うちの神社は人で溢れるほどに参拝客が来ることはない』とか言っていた。それでいいのか神社の娘。
まあ、都内は大きな神社仏閣も多いし、有名どころに行く人が多そうなのは確かではあるのだが。
朝の手伝いは5時からと少し早い時間だったが、私もスズカさんもそれほど朝は弱くないので問題なくお手伝いが出来ている。
時折私とスズカさんが授与所の中で御守や御神籤を渡しているのに驚いた顔をする人が居たが、あまり騒ぎにはならなかった。
どうやら以前にも他のウマ娘がお手伝いをしたことがあるみたいだ。それに一応今はマスクをつけているから、私たちに気付かない人も多い。
神社内でインフルエンザが流行ってしまったことに対する対策で渡されたものだが、それが変装の役割も果たしてしまっているわけだ。
「御神籤一つくれ!」
「あ、はい。どうぞ……って、ゴルシさん。あけましておめでとうございます」
「お? 何だテっちゃんとスズカじゃねーか。今年はおめーらが手伝ってんのか? まあいい。今年こそアタシの時代が来る! イクゾー! デッデッデデデデ!」
初詣に来ていたらしいゴルシさんが丁度授与所に来て御神籤を引きに来た。今年は珍しく振袖を着ている。
ゴルシさんが気合を入れて謎の掛け声とともに勢いよくガラガラと御神籤箱を振る。暫くしてカランと音を立て、一本の棒が台の上に落ちた。結果は──
「大凶ね」
「はい、大凶ですね」
「見りゃわかるわ! チクショー! 今に見てろよ!」
私とスズカさんの無慈悲な宣告にゴルシさんが泣き真似をしながら走り去っていく。途中石段を一気に飛び降りて周りの注目を集めていた。正月早々ゴルシさんはゴルシさんだった。
「ん? なんだ、お前ら。こんな所にいたのか。あけましておめでとう」
「あ、トレーナーさん。あけましておめでとうございます」
また見知った顔が来た。トレーナーさんだ。いつもの格好の上にコートを着ただけの適当な格好だ。男一人だとこんなものなんだろうか?
「あけましておめでとうございます、トレーナーさん。御神籤どうですか?」
「じゃあ折角だし……お、大吉か。今年はいいことありそうだ」
トレーナーさんに御神籤を勧めてみると大吉を引き当てていた。結構嬉しそうだ。その後トレーナーさんは健康祈願の御守を何個も買っていった。スピカの全員に渡すつもりらしい。
本当はサプライズで渡すつもりだったようだが、私たち二人にはバレてしまったと苦笑いしていた。ちょっと申し訳ない。
その後も時折来る知り合いに驚かれたりしながらも、特に騒ぎになることもなくお手伝いをこなすのだった。
そうして時が流れて、万葉ステークス当日。フルゲートは18人だが、今年は10人だけのレースになった。
ステイヤーには逃せないレースだと思ったのだが、思ったより人数が少ないし、見知った顔もほぼ居ない。出走表を見て首を傾げていたのだが、それを見たテイオーさんには『3000mを3分切ってくるウマ娘を相手にしたい娘はそうそう居ないと思うけど?』とか言われてしまった。
まあ、菊花賞の時はかなり調子が良かった。条件はほぼ菊花賞と同じこのレースで同じくらいの走りができるならまあ負けないだろうと言われているし、それが今日の人気にも出て来ているらしい。
今は本バ場入場も済ませて、ゲート入りを待っているところだ。今日の私は1枠1番。一番内側だ。ゲート入りも一番最初にすることになる。逃げの私には内側が有利かというとまあ、そうでもない。
短距離であれば最内が有利なのは確かだが、長距離は最内より真ん中付近の方が成績が良い。
なので枠順はあまり気にしない方がいいだろう。結局は菊花賞と同じ、一番強いウマ娘が勝つだけだ。
『京都レース場、第10レース。万葉ステークス。オープン特別のこの競走ですが、既にレース場は大賑わい。勿論皆の目的は一つ、ブラックプロテウスでしょう。勿論彼女はこれがシニア級初戦です。菊花賞のあの伝説の走りがまた見られるでしょうか!』
ファンファーレが鳴り、ゲートに入る。いつものプレッシャーとはまた違うようなプレッシャーが掛かってくる。
菊花賞の時はあんまり気にしていなかったのだが、期待というのは結構重いものだ。走り出してしまえばもう気にならないが、それまでがとてももどかしい。
『大外、フリルドオレンジがゲートに入りました。万葉ステークス、今スタートしました!』
早くゲートが開かないかな……そう思いながらボーっとしていると、いつの間にかゲートが開いていた。
「……あっ、やばっ!」
『あーっとブラックプロテウス、とんでもない出遅れ! 2秒近く出遅れましたブラックプロテウス! 会場からは悲鳴が上がっています!』
咄嗟にゲートから飛び出すも相当出遅れた。やばいやばい、とりあえず前に出ないと! 最後尾なんて走ったことない! ダービーの時も最後尾まではいかなかったのに!
『ブラックプロテウス大外に出てぐんぐん上がって行きます。これは完全に掛かっている! 大丈夫かブラックプロテウス!』
『何処かで冷静になれると良いのですが。彼女が最後方からのスタートになったレースは今までありませんでした。ここまで出遅れてしまっては厳しいかもしれませんが、これは長距離レース。まだ何とかなるかもしれませんね』
とりあえず一番内側だったスタート位置から一気に外に出て大回りで上がって行く。今日が良バ場で本当に良かった。不良バ場ならどうなっていたことか……
『先頭からレースを振り返っていきましょう。先頭は9番フリルドオレンジ、その後すぐにデュオスヴェル。少し離れてアバブリニ、並んでギガントグレンデル。そこから3バ身ほど離れて差しウマ娘勢が固まっています、前からリボンオーバードとマイトリート、そこに大外からグングンとブラックプロテウス、まだ掛かっている様子。その後ろにプライムシーズンとアレイキャット、最後方にフリルドグレープといった具合です。おっとブラックプロテウスまだ上がって行く。差しウマ娘勢をかわしきってギガントグレンデルに並んだ!』
まだ先頭までは離れている、もっともっと上がって行かないとダメだ。
横を見るとギガントグレンデル先輩が『ウソだろこいつ』みたいな顔をしていた。だが今はそんなことはいい。とりあえずもっと前に行かないと。
ここから先頭まではそれほど離れていない。このまま一気に行ってしまおう。
『何とビックリそのまま先頭まで駆け抜けていきましたブラックプロテウス! ホームストレッチ、1000m通過時点で先頭に躍り出た! 通過タイムこそ61.5と万葉ステークスとしては平均ペースですが彼女は2秒出遅れています! だがまだ掛かったまま! 普通のウマ娘ならこれは逆噴射パターンだが果たしてどうなる!?』
『周りのウマ娘は冷静にペースを維持していますね。流石に彼女のペースに付き合ってはいけないことがわかっているようです』
1回目のホームストレッチの真ん中あたりでやっと先頭に出ることができた。でもあまりリードがない。もうちょっと前に出ないと。もっと逃げないと!
『ブラックプロテウスまだ掛かっているか。少しペースは落ちましたがどんどん上がって行きます。第1コーナーを回って第2コーナーに入って行きます』
『丁度レースの半分くらいが経過しましたね。順番としてはブラックプロテウスが先頭に出た以外は動きがありません。レースが動くとしたら坂を越えたあたりでしょう。皆冷静にレース運びをしています』
向こう正面の直線に入った。少し後ろを見る。まだ近い。ジリジリと他のウマ娘たちが迫ってくる。
こちらを見てニヤリと不敵に笑っているウマ娘も居る。これは行けるとでも思っているのだろうか。
随分甘く見られたものだ。少しペースを落とそうかと思ったがもっともっと行こう。影すら踏ませないくらいにもっと前に。
『おおっとブラックプロテウス。少しペースを落としたかと思いましたがここで更に前に出ていきます。まだまだ掛かっている。どうせならこのまま最後まで行ってほしいものです』
『流石の彼女でも最初から最後まで掛かったままということは……いえ、前例が一回ありますが、あれは1600mです。まあすでにその1600m地点は通り過ぎて坂に入っていますが』
観客席の方からどよめきが聞こえてくる気がするけどとりあえずはいい。もっともっと前に行こう。こうやって上っていくと淀の坂は結構きつい。でも下りの方が急なんだよね、淀の坂。もし左回りになったら今以上にハードなコースになるんだろうか?
下る前にもう一度後ろを見る。大分離れた。でもここからはスパートだ。ペースを落とすわけにはいかない。追い付かれてしまっては意味がない。
流石に少し疲れてきたけれど、坂を上り終えたらもう800mくらいしかない。これくらいならまだ、行けると思う。
『ブラックプロテウス坂の下りで何とスパートを掛けてきた! 何処にそんなスタミナがあるのかブラックプロテウス! まさに無尽のスタミナです!』
『後方のウマ娘もそれぞれ釣られてペースを上げていきます。現在二番手はデュオスヴェルだが、流石に坂で減速しましたね。三番手フリルドオレンジもここまでのようです。虎視眈々と狙いをつけていたギガントグレンデルが上がってきました。マイトリート、プライムシーズンも仕掛けているがはたして届くのか。もしブラックプロテウスが垂れてくるなら届くと思いますが……』
坂を下りきってそのままのスピードで第3、第4コーナーを回っていく。コーナリングに関しては今更もう何も言うことはない。
少し疲れてはいるが、まだ走れる。最後の直線は確か400mくらいだったはずだ。それくらいなら多分逃げ切れる。
『最終コーナーを回って最初に駆け抜けてきたのはブラックプロテウス! ギガントグレンデルが食らい付いていくが、差が縮まらない! 速い速い、最早独走状態! これはセーフティリード!』
『まさか3000mで最初から最後まで掛かってスタミナが切れないとは、素直に脱帽です。これが菊花賞ウマ娘、世界で最も3000mを速く駆け抜けることができるウマ娘ということでしょう』
残り200の標識を過ぎる。まだ脚は動く。もう後ろは見ない。これで追いつかれるのならば、それまでだし。
今の私にこれ以上のスピードを今出すことは出来ないし、少し脚が鈍ってきた。だからもう後ろは気にしない。気にしたところでどうしようもない。
『先頭は変わらずブラックプロテウス! 約2秒出遅れたこのレース、だがこのウマ娘にはその出遅れもハンデキャップにしかならない! 流石に少し垂れてきましたがもうゴールは目の前! そして今大差でゴールイン! 圧倒的! 圧倒的! 圧倒的な実力差を見せつけレースを制した!』
ゴール板を駆け抜ける。流石にこれ以上走るスタミナはあまり残っていない。すぐに減速して、立ち止まる。
掲示板に書かれているタイムを確認する。3:02.8。私のベストタイムには全然及ばない。2秒くらい出遅れたし、掛かって最後の方は結局少し垂れた。もしこれが菊花賞であったなら、私はマヤさんに負けていただろう。
慢心していたわけではないが、少し集中力を欠いていたことは事実だ。観客の皆は今私に拍手を送ってくれているけれど、流石に恥ずかしいレースだった。
今更になって恥ずかしくなってきた。早々に退散しよう。ファンサービスもそこそこに、すぐに地下バ道に引っ込んでいくのだった。
「おかえり、ブラックプロテウス」
地下バ道に入ってすぐ、トレーナーさんが仁王立ちで待っていた。満面の笑顔だ。
「た、ただいま戻りました。それじゃ、ライブ衣装に着替えないといけないんで……」
その脇をすり抜けて通り抜けようとする私の肩をがっしりとトレーナーさんが掴む。変わらずに満面の笑みを浮かべている。
「その前に、テウス。お前、帰ったらゲート練習やり直しな。ゴルシと一緒に」
「何故ぇ!?」
「言わなくてもわかるだろーが! あんなに出遅れやがって! 勝ったからいいものの、負けてたら笑いもんじゃすまないぞ! この調子だと高松宮記念は見送りだな……」
そんな無慈悲な宣告が、私を待っていたのだった。
1996年当初、万葉ステークスは3勝クラス(1600万下)のレースでしたが、ウマ娘の世界観的には既にオープン特別だということにしました。
まあ、そんなこと言い始めたら過去に走ったレースにいくつかテウスの戦績では走れないレースも出てきますし……