漆黒の鋼鉄   作:うづうづ

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第五十話 イップス

 今日は2月の第4週の土曜日。東京レース場で行われるGⅢ、ダイヤモンドステークスの日だ。今日は俺の担当ウマ娘、ブラックプロテウスがこのレースに出走している。

 今日はチームの皆でその応援に東京レース場まで来ているところだ。皆心配そうに、そのスタートを見守っている。

 

 ダイヤモンドステークスは東京レース場で行われる3400mのレースだ。バックストレッチの中間から始まって、コースを一周半する。上り下りが多いコースで、何よりもスタミナが問われるレースだ。

 

 2700mを超える超長距離レースは、テウスの独壇場だ。今まで彼女は、超長距離レースでは最終的に大差、他のウマ娘を全く相手にしないほどの強さを見せていた。

 

『あっと今日も出遅れましたブラックプロテウス! 今日は集団の中ごろからのレースになっています! 完全に包囲されています! これは苦しいか!?』

 

 ──彼女が、本調子であったなら、今日のレースもそうなっただろう。

 

 彼女の『出遅れ癖』が始まったのは、今年の初め、万葉ステークスからだった。

 

 そのレースでテウスは勝った。3000mのレースで出遅れた後、最初の1000mを過ぎるまでに大外から先頭まで一気に駆け抜け、その後もずっと掛かったまま残り2000mも走り抜いて大差勝ちを収めて見せた。

 

 二回目は日経新春杯。多少マシにはなったが出遅れて、先行のウマ娘たちの真ん中でレースを進める形になった。

 完全に囲まれた形になったが、京都レース場外回りの最終コーナーを過ぎたところ、丁度内ラチがなくなるところで内に入り抜け出して先頭を奪い、そのまま加速し5バ身差をつけて勝ってみせた。

 まるでスーパークリークの菊花賞の時のようだ、と周りには言われたが、複雑な気分だった。

 

 三回目は川崎記念。この時の出遅れは最小で済んだ。2番手につけたホクトベガの真後ろをぴったりマークして、向こう正面で先頭に立った彼女を外から捲って、最終直線で再加速してきたホクトベガに競り合いを掛けられるも競り勝ち、1バ身と1/2差で勝利した。

 

 そして四回目がこのレースだ。

 

 一回や二回であれば、油断や慢心によるものだと言えるだろう。三回なら、まだそう言うこともあると言えるかもしれない。

 

 だがこれで四回目、しかも連続して四回だ。何かしら故障が発生しているわけでもなく、ゲート練習ではたとえ隣でゴルシがバイオリンを弾き鳴らそうが出遅れずにスタート出来ていた。

 

 それが、本番になる度に出遅れるようになってしまった。おそらくは、精神的な要因によるものだろう。

 

 中央・地方全国指定交流競走GⅠ、川崎記念ではあまり出遅れなかったあたり、押さえるところはきちんと押さえている。

 

 だが出遅れて先行や差しの位置になろうと、その戦法でも問題なく熟せている。おそらく、『ブラックプロテウス』というウマ娘本来が持つ脚質が先行・差しだからだ。強いて言うならばそれに加えて逃げもこなせる自在先行型、と言うべき脚質だろうか。

 彼女が逃げを選んでいるのは、彼女自身の性格によるものだ。それが彼女の持つ高いスピード、それを維持しても走り切れるスタミナ、坂を苦にしないパワー、最後の最後で粘り強く競り合う根性。そして何よりもウマ娘の限界を超えた出力を出したとしても揺るがない耐久性。それが合わさって高い逃げ適性を出している。

 勿論、コース取りだって悪くない。日経新春杯では冷静に抜け出していたし、変に掛かりさえしなければ問題ない水準だと言えるだろう。

 

 それだけのものが揃っていれば、結果も伴う。それが無敗の三冠、そして秋シニア三冠という結果で表れている。そんな自慢の担当ウマ娘だ。

 

 その担当ウマ娘が、今こうして苦しんでいる。レース中は表に出さないが、終わってトレセン学園に帰った直後に何度も何度もゲート練習を繰り返している姿は、見ていて少し辛いほどだ。

 

『一周目のホームストレッチ、ブラックプロテウス、坂で外から抜け出した! 坂で止まったと見えるくらい急減速したと思ったところを急加速、完全に囲われていましたが包囲を翻弄、抜け出して一気に先頭に踊り出ました!』

 

 ホームストレッチの坂で、テウスが仕掛けた。押上、押圧、斜行したのであれば走行妨害を取られるだろう。だが、左右に動かずに減速した場合については取られない。垂れウマに引っかかっても走行妨害にはならないのと同じ理屈だ。

 かなりダーティープレイではあるが、現状であればセーフだろう。もしかしたら今後ルール改正されるかもしれないが、現行のレースの規則に『レース中、急に減速してはならない』という規則は存在しないからだ。

 まあ、全力で走ってるところにいきなりここまでの減速ができるウマ娘は居なかった、と言うことでもある。通常スピードが乗ったところで急に減速すると良くて転倒、最悪故障するからだ。

 実際、後ろの娘たちはすわ転倒か、すわ故障かと全員が避けようとして体勢を少し崩していた程の急減速だった。ぶつからなかったのが奇跡とも言える。

 ハンドルを切らずにブレーキとアクセルだけで包囲に穴をこじ開けて見せたテウスは妨害にならない範囲で外に出て加速、外から3人ほどぶち抜いて先頭に躍り出た。

 

 

 

 抜け出してしまえば、そこからもうテウスのペースだった。今まで何度か戦ったウマ娘もこのダイヤモンドステークスには出走しているが、それでも実力差が開きすぎている。

 外を走っているというのに内を走っていた逃げウマ娘のポライトサルートをコーナーで楽々抜かして先頭に立ち、その後もぐんぐんと引き離していく。

 今回は掛かっているわけではない。ただ普通に走っているだけで、それだけの差が開いていく。

 後ろを走るウマ娘たちの焦燥と絶望が入り混じったような表情が、彼女たちの実力の開きをはっきりと表している。

 

「やあやあ、チームスピカのトレーナーくん。久しぶりだねえ」

 

 バックストレッチに入り、後続とは既に10バ身以上離れたところを見て一息ついていると後ろから声を掛けられた。

 振り返るとそこには栗毛のふわふわボブの髪、右耳に銀と水色のイヤリングを付けたウマ娘。本当に時折チームスピカの部室に現れてはテウスやスズカのデータを取って行くウマ娘、アグネスタキオンの姿があった。

 

「誰かと思えば、アグネスタキオンか。お前さんも来てたのか?」

 

「ちょうど実験も一段落して暇だったからねえ。スカーレット君に良ければ来てくれとも言われていたし」

 

 そう言って嬉しそうに近寄ってくるスカーレットに微笑みを浮かべている。かなり気分屋なところがあるウマ娘だが、何故だかスカーレットにはとても甘い。それこそ彼女が飲む紅茶くらい激甘な対応だ。

 

「アグネスタキオンから見て、テウスの出遅れ癖はどう思う?」

 

 彼女から見て今のテウスがどう映るのか。少し気になって聞いてみた。

 

「故障とかはなかったんだろう? なら答えは一つだ。所謂『イップス』と呼ばれているものに近い症状だろうね。原因はおそらく万葉ステークスの出遅れからだろう。良いスタートを切らなければと思えば思う程上手く出来なくなる。本番でしかそれが出ないというのなら、観客が居ることによるプレッシャーによるものが大きいのだろう。そうだね、例えるならメジロドーベル君の症状と似たものといえばわかりやすいかな?」

 

 既に原因に気付いていたのか、それとも今それを考えたのかはわからないが彼女からはすぐに返答が返ってきた。

 イップス。スポーツ選手などに表れる症状の1つで、突然自分の思うような動きができなくなる症状だ。

 場合によってはそれで引退に追い込まれることもあるくらい、スポーツ選手にとっては厄介な病になる。

 

「やっぱりそう言うことか……治療法は?」

 

「まずイップスを治そうという考えを改めた方がいい。イップスは『治す』のではなく、『克服』するものだ。自分を受け入れて、もう一度自信を取り戻す必要がある。それとあまりムキになってスタートの練習を繰り返すのは逆効果になる可能性が高い。練習方法を見直したり、環境をガラッと変えてみるのも良いかもしれないね。そういう点では川崎記念は悪くなかった。実際彼女は川崎記念では最小の出遅れで済んでいたんだろう?」

 

 思ったより具体的な返答が返ってきた。こういった知識に関して、アグネスタキオンはトレーナー顔負けの知識を持っている。

 

「そうか……心の病ってのは厄介だな」

 

「おやトレーナー君。最近ではイップスは心の病ではなく脳の構造変化、同じ動作を過剰に繰り返すことによって発症し得るという研究結果が出ているんだよ。実際、イップスを発症したアスリートはヒト、ウマ娘問わず特徴的な脳活動が見られるというレポートが上がっている。私は精神科医ではないから心の病なら協力できないが、肉体的なものであるならある程度私も協力できるだろう。次の出走予定は3月の金鯱賞だったかな? 完治とまではいかなくても可能な限り手は尽くそうじゃないか」

 

「タキオンさんが診てくれるなら安心ですね!」

 

 アグネスタキオンが協力をしてくれると言うと、スカーレットが喜びの声を上げた。俺としても心強いが、後で何を求められるのか心配なところがある。

 

「それで、返礼はどうすればいい?」

 

「なあに、それほど無理難題な事は言わないさ。ほんの三つだけだ。まず一つは彼女、ブラックプロテウスについてのデータを君公認で詳しく取らせてほしい。彼女は受け入れてくれていたし、今までもたまに取ってはいたが、詳細データに関しては流石に君の許可なしで取るわけにはいかないからねえ。出来れば他の娘のデータも欲しいが、それは都度相談ということで」

 

 まあそれは妥当な要求だろう。データがなくては流石のアグネスタキオンとはいえども対処のしようがない。頷くことで次を促す。

 

「二つ目は、彼女の治療によって得たデータに関して他の研究への利用許可だ。勿論プロテウス君の個人情報は守るが、得たデータによっては私の研究が進歩する可能性が大いにあるからね」

 

「俺は構わないが、それに関してはテウスが許可したらだな。テウスに関してのデータだ、テウスが許可しない限りは受け入れられない。まあアイツなら大丈夫だろうが」

 

 テウスはそこのところはあまり頓着しないタイプだ。自分のデータが役に立つなら、とか言って軽く許可しそうではある。

 

「そうだね、その点はプロテウス君を交えてもう一度話すとしようか。最後の三つ目なんだが、私を君のチームに入れてくれ」

 

「それは……俺として願ってもないことだが。どういう風の吹き回しだ?」

 

「いやあ、模擬レースや授業をすっぽかしていたら生徒会長にお叱りを受けてしまってねえ。近日中に担当トレーナーを見つけるか何処かのチームに入らないと退学だと言われてしまったから、丁度いい所属先を探していたんだよ。君のチームなら好き放題やらせてもらえそうだし」

 

 そう言いながらゴルシを見ている。隠れ蓑にしようということか? どういう魂胆かはわからないが、答えは一つである。

 

「そのくらいでいいなら迷う必要はない。よろしく頼む、アグネスタキオン」

 

 ゴルシとアグネスタキオンが合わさると何が起こるかわからないが、そんなことは些事だ。始末書なんて慣れている。

 それに、よっぽどなことはしないだろう。何せ俺のチームには彼女を慕うスカーレットが在籍している。

 

「タキオンさんがスピカに来てくれるんですか!? やったぁ!」

 

「スカーレット君には以前から誘われていたからねえ。いい機会だしお誘いに乗ることにしたよ」

 

 そう言って優しい眼差しでスカーレットを眺めている。本当にスカーレットには甘い娘だ。スカーレットが困るような事態には何が起こってもしないだろうという確信がある。

 

 

 

『ブラックプロテウス、大差で今ゴールイン! 勝ち時計は3:28.5、レコード勝ちだ! 24戦24勝無敗! 連勝記録を更新し、次の舞台は金鯱賞。かつてサイレンスズカが見せた逃亡劇がもう一度、金鯱賞で見られるのか、今から楽しみです!』

 

 そうこう話しているうちにテウスが後続を15バ身くらい引き離して勝っていた。タイムは3:28.5だった。

 余裕をもって3000mを3分切って走れる彼女にとっては少し遅いタイム。だがそれでも、後続は全くついていけない。本調子であれば後5秒は早いタイムでゴールしていた可能性すらある。

 その証拠に、ゴールした後だというのにテウスの表情は少し厳しいものがあった。自分の走りに不満があったのか、耳を絞っているし、いつもの笑顔がない。

 だが、観客から大きな拍手を送られるとすぐに表情が柔らかくなり、嬉しそうに手を振っている。

 出遅れてなおこの結果だ。観客からすれば圧倒的なパフォーマンスだと思われているだろう。その証拠に、レース場は大盛り上がりを見せている。

 まさに熱狂的、という言葉がピッタリなくらいで、歓声でレース場が揺れているように感じるくらいだ。ウマ娘には少し辛い音量だろう。ゴルシは平然としているし、キタサンブラックも大きな音には慣れているのかケロッとしているが、他のメンツは自分の耳を手で塞いでいるくらいだ。

 何故かアグネスタキオンだけは自分の耳を塞がずにスカーレットの耳を塞いでいるが、甘やかしすぎではなかろうか?

 

「おっと、そろそろテウスのところに行かないとな。少し行ってくる。先にステージに行っててくれ」

 

 スピカの面子に一言かけてから、地下バ道へ向かう。彼女自身は満足してなかろうが勝ちは勝ち。労って、褒めてやるべきだ。

 

 

 

 

 

 駆け足で地下バ道へ向かうと、続々とウマ娘たちが帰ってきた。テウスは最後まで観客たちに手を振っていたのか、一番最後に帰ってきた。

 

「お疲れ、テウス。良いレースだったな」

 

「あ、トレーナーさん……すみません、今日も出遅れちゃいました」

 

 耳を力なく垂れさせて落ち込んだ表情を見せる。とてもレースの勝者が見せる表情ではない。

 

「そんなに気に病むな。今後はアグネスタキオンも協力してくれるし、一緒に克服していこう」

 

「はい……って、タキオンさんがですか? それはありがたいんですが……一体どういう事なんですか?」

 

「まあ、その件は学園に帰ってからな。今はウイニングライブの準備をしてこい。ファンの人たちに感謝しないとな」

 

「はい! 精一杯頑張ってきますね!」

 

 しばらく頭を撫でてやると気を取り直したのか、笑顔で控室に戻っていく。それを見送ったのち、俺もステージに向かう。

 

 

 

 ライブ自体は何の問題もなかった。テイオーには及ばないが、それでもチームスピカの中ではトップクラスに歌もダンスも出来る娘だ。全く心配はしていなかった。

 

 観客からのアンコールに応えて、今日のレースで一着を取ったウマ娘12人による『うまぴょい伝説』が始まる。センターは今日のメインレースの一着のテウスで始まったそれに大盛り上がりになったアンコールライブで、今日の全日程は完了するのだった。




エル知っているか、二つのレースを全カットしたがカットした期間は2ヶ月弱だけなんだぜ?
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