令和6年能登半島地震の影響を鑑み、新年のご挨拶は控えさせていただきたく思います。皆さんのご無事を心よりお祈り申し上げます。
『小雨が降る中、中京芝2000左回り金鯱賞、今スタートしました! 大外ブラックプロテウス、少し出遅れたか?』
『最近あまりスタートが上手く行っていないように見えますね。それでも問題無くレース運びができる器用さがあるので、あまり心配はないでしょう』
レースが始まった。私は内枠、彼女は外枠。逃げの彼女にとって外枠は不利。けれど、囲まれにくいということは彼女にとってはとても有利に働く。
『ブラボーアールとエクセレンシーがいいスタート、少し広がりながら前に出ます。ブラックプロテウス、無理に前には出ずに3番目の位置をキープしている。その後ろにぴったりとリボンマンボ。その後ろはウマ娘が入り乱れ混戦状態。今日は第1、第2コーナーの内側が禿げ上がるほど荒れていますが、全体的に広がった印象ですね』
『後方のウマ娘たちもじりじり広がって、ブラックプロテウスを中心に広がっているような態勢です。まだ外は空いていますが、コース取りを間違えるとすぐに囲まれてしまいそうですね』
彼女のいるレースは、良くも悪くも彼女を中心にして展開される。
スタートが上手く行けば先頭で全体をハイペースに引きずり込み、上手く行かなくても彼女を前に出さないための位置取りを強制させられる。
それでいて急な加減速だけで簡単に振り切ってしまうのだから、彼女の走りは反則だ。スタミナで磨り潰すのも、パワーで振り切るのもどっちもどっちだが、前者になると彼女に勝てるウマ娘は存在しないだろう。
だから当然、皆彼女を囲って彼女に自分のレースをさせようとしない。長距離のレースであればいずれ隙が出来てしまうが、2000mくらいであれば囲い切れる可能性は十分にある。
けれど、多分今日も上手く行かないだろう。どんな方法を使うかは想像が出来ないが、どんな無茶をしたって驚かない。10mくらいならワープできそうだし。
なので、私は気にせずに彼女の後ろをぴったりマークし続ける。私はそんな器用なウマ娘じゃないから、彼女を揺さぶるなんて出来やしない。
『先頭のウマ娘が第1コーナーに差し掛かります。今日の中京は小雨が降ってはいますが良バ場発表。しかし第1、第2コーナーのあたりは芝が剥げるほどに荒れに荒れています。ですが、内側ブラボーアールは気にせず内を突き進み、エクセレンシーは壁を作るようにその隣を走っています』
『内側を明け渡してしまえばこれ幸いとブラックプロテウスが抜け出してくるでしょうからね。どれだけ荒れていようと走らざるを得ないというところでしょう。5番手あたりにいたルンバステップがブラックプロテウスの外側に出て大回りするのを封じていますが、はたして彼女自身のスタミナは大丈夫でしょうか?』
まだ序盤だが、包囲網が完成されつつある。けれど、多分最後までは持たない。皆余計な気を遣って、無理している感じがある。
それに引き換え、彼女はいつも通りだ。スタート前は少し緊張していたみたいだけれど、走り出すとそんな素振りは一切見せない。多分だけど、走ってるうちに楽しくなってきてそんなこと気にならなくなっているのだろう。
『ウマ娘たちが第2コーナーを回って向こう正面、残り1000mの標識を通過。通過タイムは58.7! スローペースになりやすい中京芝2000にしてはかなりのハイペースで進んでいます。先頭は相変わらずブラボーアールとエクセレンシーが横並び。だが、少しペースが落ちてきたか。ブラックプロテウス、その後ろで虎視眈々と前を狙っている。その外ルンバステップが4番手まで上がってきた。2番人気リボンマンボはブラックプロテウスの後ろをぴったりとマーク。その後ろクラースナヤ。少し離れてサラサーテオペラ。逃げも出来ますが今日は差しの位置で先頭を窺っています』
かなりペースが早い。彼女が居るレースではよくあることだが、ハナを切っていないにもかかわらずかなりのハイペースだ。
周りの娘たちはかなりきつそうな感じがする。彼女は……多分、いつも通り。
彼女と沢山走ってきて、いくつかわかってきたことがある。
まず彼女は、何よりも走ることが好きなウマ娘だ。好きが高じてここまでの強さを出せるのは、それだけ彼女が努力しているから。
そして、その努力を支えるのは、彼女の尋常ではない程の耐久性だ。
耐久性が高いから、誰よりも強度の高いトレーニングが出来る。
耐久性が高いから、同じくらいのスタミナを持つウマ娘よりも長く走れる。
耐久性が高いから、どれだけ身体に負担が掛かろうが問題無く走り続けられる。
私もスピードには少し自信があるが、全力が出せる距離には制限がある。当然だ。生き物は常にフルパワーを出せるように作られていない。
身体が出来上がっていないから、脚に不安があるから、身体が全力に耐えられないから。様々な理由で出せる力が制限されるのは普通の事だ。
だが、彼女にはそれがない。だから、彼女は強いのだ。羨ましくないと言えば嘘になるが、決して口には出せない。身体が負担に耐えられると言っても、全力を出せば疲れるし、身体に負担を掛ければ痛みが走るものだ。
普通のウマ娘では壊れてしまうくらいの出力を出したとしても、彼女は耐えられてしまう。全力で強く踏みこめば、反動でどこかしらは痛むはず。日本の硬い芝なら尚の事。私だって、全力を出せば結構な反動が来る。
正直、尊敬する。私は有馬記念の時、脚が痛んで脚を緩めてしまったから。痛みに耐えて最後まで全力を振り絞れる根性を彼女は備えている。だから、彼女は強いのだ。
『向こう正面を回って各ウマ娘が第3コーナーに差し掛かります。なだらかな下り坂を進みながらスパイラルカーブへ突っ込んでいく! 最前方逃げ二人は明らかに苦しそうだ! おっと、ここでルンバステップも失速! 抑えに行ったルンバステップ、スタミナが持たなかったか! これ幸いと外からブラックプロテウスが差しに行った! あっという間に先頭に並びスリーワイドで第4コーナーへ! だが真後ろにはぴったりリボンマンボがくっついている!』
スパイラルカーブ、入口は緩く、出口はキツいカーブ。基本的にバラけやすいコーナーだ。そんなコーナーで周りを抑えようとすれば、当然普段よりスタミナを使う。何だかんだでハイペースになっていた為か、私の前に居た彼女以外のウマ娘はあきらかにスタミナが尽きている。後は根性がどこまで続くか、と言ったところだろうけれど、スタミナが残っていないウマ娘が楽に勝てるような甘いレースじゃない。
最終直線は距離412.5m、高低差3.5m。中央の芝レースレイアウトの中で4番目に長く、3番目に高低差が大きい。高低差2mくらいのキツイ坂を上り切っても緩い坂が240mくらい続く。坂を上ってもスタミナが残ることもあるが、それでもキツイものはキツイ。中山や阪神よりはマシだけど。
でも、仕掛けるなら──此処しかない。急坂を上りながら加速。正直どの程度身体に負担がかかるかわからない。トレーナーからは残り240の緩い坂からと言われていたが、多分そこからじゃ間に合わない。
『さあ、最後の直線に入り満を持して先頭に立つのはブラックプロテウス! だがそのすぐ後ろ、リボンマンボがここで外から差しに行く! 他のウマ娘は追ってこない! 最後はこの二人の一騎討ちだ!』
残り、400と少し。私たちウマ娘にとっては、たった30秒にも満たないくらいの距離。
それでも、私も彼女も、この30秒に全てを注ぎ込む。だって、私たちはウマ娘だから。
強い相手が隣を走っていて、加減なんて──出来るわけがない!
『二人のウマ娘が横に並んで坂を上る! 速い、速い! 二人とも前半のハイペースが嘘のような凄まじい末脚だ! 信じられない、何処にそんな余力が残っていたのか! まるで短距離戦のようなスピードで駆け抜けていきます!』
脚が重い、身体が軋む、息なんてとうに切れてる。私は頑丈なウマ娘ではないから、1600くらいハイペースで進んだ後に全力のスパートは、正直とてもつらい。
でも、それでも、譲れない。今日だけは、絶対に。
『熾烈なデッドヒート! 坂を駆け上りながらここからもまだ伸びる! 急坂を登り切れば残りの勾配は緩やかになります。そこからが意地の見せ所だ!』
さらに脚に力を込める。周りの景色が変わっていく。これは彼女の世界。音も光もなく、ただ走る感覚だけを味わう、静かな彼女のためだけの世界。
そんな世界を走る彼女の隣を、私は飛んでいく。誰よりも高く、誰よりも速く飛ぶことが出来る、白い蝋細工の翼。ダービーの時から私に許された、私だけの翼。
この翼ならまだ、スピードは上がる。有馬の時で分かったけれど、最高速度は私やマヤノトップガンの方が速い。それを維持できる時間は圧倒的に負けているけれど、瞬間的になら彼女を超えられる。
それが1秒にも満たない時間なのか、十数秒持つのかは正直わからない。
マヤノトップガンは300m位なら持つと思うと言っていたし、トレーナーも同じ意見だった。
そこから100m位の延長。どうなるかは正直わからない。中山よりは楽な最終直線だから、持つ算段の方が高いと思うが、後は今までやってきたことを信じるしかない。
『坂を上りきって今残り200の標識を通過します! 未だ横並び! 王者の矜持か、追跡者の執念か。冬の中京に灼熱の争いが未だ続く!』
残り200。私が少し前に出た。ほんの少しだ。彼女は私と競り合って、更に速度を一段上げてくる。
トレーナーに言われていた。『彼女と競り合ってはいけない』と。『競り合えば競り合う程彼女は強くなる』からだと。
けれど、競り合わずに彼女に勝つなんてそれこそ不可能だ。オグリキャップやタマモクロス位の脚があれば可能かもしれないが、逆にいえばそれくらいのウマ娘でないと彼女と戦うなら競り合いに勝つしかない。
残り150。今度は彼女が前に出た。引き離されないように、脚に力を込める。限界を訴える身体を、闘争……いや、闘走本能で無理矢理動かして、この直線を、彼女よりも早く駆け抜けるために、残った力を振り絞っていく。
『残り100! 未だ勝負は続く、続いている! どちらも一歩も譲らない! はたしてどちらが勝つのか──!』
そうして、残り100を過ぎたあたり。その時は訪れた。訪れて、しまった。
聞きたくなかった音が左脚から聞こえて、燃えるように熱くなった。今まで掻いたことの無いような汗が身体中から噴き出した。
脚全体が熱くて何処を壊したのかわからないが、どこかしらがイカれている。すぐに転倒するような壊れ方ではないようだからまだ走れているが、このまま全力で走るのは危険だ。
蝋細工の翼では、空高く飛び続けることは出来なかったということか。太陽を目指して飛んだイカロスが、その翼を溶かして地に墜ちたように。言いつけを破った傲慢で無謀な愚者は、どこまでも落ちていくだけ。
私のレースは、ここで終わった──
──ここで終わった? 本当に?
だって、私はまだ走れているじゃないか。この脚はまだ、繋がっているじゃないか。彼女はまだ、私の隣で走っているじゃないか。
何よりも、ゴールを目の前にして──諦められるわけが、ないじゃないか!!
『ッ、一瞬失速したかと思われたリボンマンボ、此処で凄まじい加速! だが走り方がおかしい! 何処か痛めてしまったか!? だが、走りはさらに鋭くなった! 残り50、最後の最後、燃えるようなデッドヒートが続いている!』
たとえここで全てを燃やし尽くしても、私は、私は──!!
「ここで、勝つんだああああ!!!」
私の翼が、燃えていく。後は燃え尽きていくだけ。けれど、まだ、前に進める。
ただ墜ちていっただけのイカロスとは、私は違う。翼で羽搏けなくても、脚で大地を駆けることが出来る、だって、まだこの脚は繋がっているのだから。
最後まで、前に進んでいくことだけは、今の私にだって許されているのだから──!
『大接戦でゴール! ここからではどちらが勝ったのか全く分かりませんでした! 結果は写真判定に──』
並んだまま、ゴールを通り過ぎた。途端に、左脚の感覚がなくなって、ぐらりと身体が左に倒れていく。ラストスパートの、速度を保ったまま。
意識が遠退いていく。もう、受け身だってとれない。結果がどうなったのか、それだけは確かめたかったが、目を開ける力だって残っていない。
私が最後に感じた感覚は、地面に墜ちた時の衝撃と、何か暖かいものの感触だけだった。