会見が終わった日の夜。日付が変わるまで後1時間と言ったあたり。様々な書類を作成し終え、俺は伸びをした。
テウスの次走、阪神大賞典に向けてのトレーニングメニュー。4月からチームカペラに移る予定のサトノダイヤモンドに関する引き継ぎ書類等だ。
元々サトノダイヤモンドは俺の教育方針とはあまり合っていないタイプのウマ娘だ。
今まで彼女が所属していたのは、ブラックプロテウスという距離適性がかなり似通ったウマ娘がトゥインクルシリーズ現役で居たことが大きい。
だがそれも、脚質や性格の違いからやはり彼女には合っていない。というかテウスに合わせると殆どのウマ娘はぶっ壊れる。何とかついていけているキタサンブラックがおかしいだけだ。
チームカペラはサトノ家のウマ娘が集まって出来たチームだ。彼女にとってもカペラの方がやりやすいところはあるだろう。
これからは手強いライバルになるとはいえ、少しでも関わった以上、チームカペラのトレーナーとは連携を密にして行くつもりだ。彼女たちが望むならトレーニングを一緒にしたって問題ない。
チーム同士は切磋琢磨していく仲だ。時に競い、時に協力して強くなる。俺はそれでいいと思っているし、ライバルだからと全ての関係を断るトレーナーはそう多くないだろう。
「さて、そろそろ帰るか……っと、その前にちょっと落ち着いてから行くか」
帰る前にアグネスタキオンから分けてもらった紅茶を飲もうと思い至り、湯を沸かす。電気ケトルはとても便利だ。茶こし付きのケトルで淹れればティーポットすら要らない。
万年金欠の俺にはちょっとお高い買い物だったがこの買い物は正解だった。紅茶はマックイーンやテイオーもよく飲むし、決して有って困るものではないしな。
湯が沸くのを待っていると、部屋の扉が軽くノックされた。たづなさんあたりが釘を刺しに来たのかもしれない。彼女は遅くまで残業しているトレーナーを見つけると強制的に帰らせたりお説教したりしている。俺も今まで何十回か忠告されたことがある。
「やべ……あ、開いてるから入っていいですよ」
「失礼します」
扉を静かに開けて入ってきたのは、俺が予想していなかった人物だった。
「お? 何だ、お前か……びっくりした。何か用か、
「こんばんは、沖野先輩。今日はうちのマンボがご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
そこに居たのはリボンマンボのトレーナー、
実際身体能力もかなり高い。何度かコイツ実はウマ娘なのでは? と思ったことがあるが、トレーニング用のプールではち合わせた時の水着姿を見た限り、間違いなく人間だ。
「いや、こっちこそ助かった。あそこでリボンマンボが乱入してなかったら流血沙汰になるところだった。俺がぶん殴ってたからな」
「私がその場に居たらあらゆる手段を使って物理的にも社会的にも抹殺していたでしょうからその気持ちはわかります」
今まで浮かべていた申し訳なさそうな表情がすっと消えて無表情になる。怖い。
入った当初は良くも悪くも普通の新人トレーナーだったはずなんだが……時折こういうトレーナーはいる。一番最初の担当に入れ込み過ぎて何処か狂っていくのだ。そういうトレーナー程有能だったりするのが手に負えない。
「それで? こんな時間に何の用だ? 夜食にラーメンでも食いに行くか? 流石に密会しに来たってわけじゃないだろうけど」
冗談を交えてみるが、反応は冷静なものだ。やっぱり女性の扱いはよくわからんなあ、セクハラだと思われていなければいいんだが……
「あ、いえ。この時間に食べると太っちゃうので、また今度お昼にでもご一緒させてください。あまり他人に聞かせられないお願いをしに来たという点では、密会というのは正しいのかもしれませんが」
「他人に聞かせられないお願いだあ? あ、ちょっと待て。今丁度紅茶入れてたから、それを飲みながら話そうぜ」
一杯だけじゃ物足りなくなることが多いのでいつも二杯分沸かしていたのが功を奏した。休憩用のソファーに案内し、二人分の紅茶を淹れて持っていく。
塩飽トレーナーのは……テウスのでいいか。あいつ、どちらかというと緑茶派だからティーカップあんまり使わないし。
「ほれ。アグネスタキオンが持ってきた茶葉だからそれなりに美味いと思うぞ。淹れ方が本格的なのじゃないのは勘弁してくれ。砂糖はその容器にいっぱい入ってるから好きなだけ使っていいぞ」
「あ、いえ、大丈夫です。私はインスタントのとかしか飲まないので……では遠慮なく」
そういって容器から角砂糖を2つ程取り出して紅茶に入れる。普通はそうだよなあ。タキオンは大量に砂糖を入れるから感覚が狂う。マックイーンも時々大量に入れているけどそれは見ないことにしてやった。
「それで? 頼み事って? 俺に協力できることならどーんと言ってこい。これでも経験はそれなりに豊富だからな」
「あ、はい……それでは」
そういって席を立ったかと思うとソファーの横に移動し、両膝をついて正座したのち、手の平を地面についてそのまま額も地につけた。見事な土下座である。
「って、感心してる場合じゃないな。土下座される謂れはないから頭を上げてほしいんだが……」
「いえ、今からする頼み事は他のトレーナーに軽々しく頼んでいい事ではないので……」
つまり担当ウマ娘に関する事か? とりあえずどんな頼み事かわからないのではどうしようもないので、続きを促す。
「どうか、どうか私に骨折したウマ娘のリハビリ方法についてご指南ください! データをすべて開示してほしいとは言いません。マンボが、リボンマンボがまた無理なく走れるようになるためにご協力をお願いしたいのです!」
ああ、そういうことか。こういうリハビリについては確かに、一つの財産だ。トレーナーによっては開示しなかったり、情報を小出しにしたりするだろう。
「ああ、いいぞ。少しと言わず全部持っていけ。PCにスズカとテイオー、ライスシャワーのリハビリについて纏めたデータが入ってる。USBにコピーしてやるから、少し待っててくれ」
「難しいお願いなのはわかっています! 私に出来ることなら何でもしますから……え?」
こっちの言ったことが理解できなかったのか、顔を上げて呆けた顔をしている。美人はどんな顔をしていても絵になるな。
こんな事口にした日には担当のウマ娘たちにプロレス技を掛けられることになるだろうから決して口にはしないが。
「いや、だからOKだって。わからないことがあるならいつでも聞きに来て良いし、なんならリハビリにも協力してやるし、ライスシャワーと一緒にリハビリしたって良い。まあ、ライスシャワーはもう回復していて今は怪我前の水準に戻してる段階だから、そう上手くはいかないかもだが」
「いいん、ですか……?」
「勿論。というかお前が頼んできたことだろうが。とりあえず立ってソファーに座ってくれ。こんな光景他の奴らに見られたら明日から学園に来れなくなる。紅茶も冷めるしな」
とりあえずソファーに座らせる。万一理事長に見られたりしたら首が飛びかねない。たづなさんだった場合はどうだろう、朝までお説教で済むだろうか?
「その……本当に良いんですか? リボンマンボはブラックプロテウスのライバルです。敵に塩を送ることになりますよ?」
「こっちが先に塩を送られてるからな。塩留めの太刀を送らないと面目が立たない。それに、俺はトレセン学園のトレーナーだ。担当だろうが担当じゃなかろうが、ウマ娘が十全に走れるための協力は惜しまない。実際ライスシャワーも面倒見てるしな」
ライスシャワーの担当トレーナー、彼女は今休職中だ。理由に関してはメンタルヘルス、つまり、精神的な問題での休職だ。
菊花賞後のライスシャワーへの非難はトレーナーにも及んだ。トレーナーとしてファンレターを全て確認していた彼女は、ライスシャワーに対しての罵詈雑言とも言えるほどの手紙を全て読んでいた。
それもあって、彼女は有馬記念の前あたりから部屋の外に出れなくなってしまった。
数か月してよくなってきたところに、春の天皇賞。そこでもまた非難され、その頃には彼女のSNSも特定され、良くなるどころか悪化した。
そこから勝てなくなってまた非難され、二度目の春天の勝利で風当たりはよくなって……と、快方と悪化を繰り返して今に至っている。
トレセン学園の休職期間は一応1年半までだが、その辺りは理事長裁量で簡単に調整が利く。彼女は辞職を申し出たようだが、理事長が直々に出向いて慰留したようだ。
その間は見れる範囲で周りがライスシャワーを見るようにしていたが、目の届かないところもあった。その点で、宝塚記念は痛恨の極みだった。
この内容は、ウマ娘側には公開されていない。家庭の事情で已むを得ず休職しているということにしている。
ライスシャワーは薄々感づいているようだが……仕方ない。あの娘は人の心の機微に聡い娘だ。そのことでもきっと心を痛めていただろう。それが、あの時の宝塚でどうしてもゴールしたかった理由なのかもしれない。
「それに、リボンマンボには戻ってきてもらわないと俺たちが困る。勝ち逃げなんて許さないぜ? それに、テウスからも頼まれてたしな。力になってあげてほしいって」
「ブラックプロテウスがそんなことを……ありがとうございます。彼女は……優しい娘ですね」
「走ることに関しては一切退かないけど、それ以外は穏やかな奴だよ。まあ、走ることが関わると周りが見えなくなるんだが……」
どれだけメンタルトレーニングをさせても治らないから、もうあれは不治の病だ。一度テウスのご両親とテレビ通話で話をしたことがあるが、走り疲れて外で眠っていたことすらあったらしい。しかも隣の県の山頂でだ。良く見つかったものである。
テウスは山の方に走りに行くことが多いから見つけるのは簡単だと言っていたが。山は周りに人がいないか確認しなくてもいいから楽だとかなんとか。相変わらずよくわからない思考回路をしていると思う。
「まあ、そういうことだ。ほれ、コピーし終わったから持っていけ。いつでも聞きに来て良いが、一応後でリボンマンボの症状だけ聞かせてくれ。ヒビ程度で済んだと聞いていたが……」
「あ、はい。左の脛と第三中足骨、及び踵骨疲労骨折ですね。全部ヒビ程度だったみたいですけど……正直、最低でもどこかは粉砕骨折していると思っていました。思ったより、とても軽かったです」
「俺もヒビ程度で済んだのは不思議に思ったがな……三女神様のご加護、いや、お前のトレーニングが良かったんだろうな。大分歪にトレーニングをしていたみたいだが、それでも故障のリスクは最低限。新人とは思えない鍛え方だと思ったよ」
「……どんなトレーニングをしていたか、わかるんですか? 内緒のトレーニングだったんですが」
「トモを見れば大体わかる。詳細まではわからなかったが大分最高速に偏ってたな。触ればもっとわかるんだが」
「……先輩ってやっぱり変態ですよね」
酷い言われようだ。俺以外も数人出来るやつはいるんだがな。
「……ウマ娘の脚って、硝子の脚だっていうじゃないですか。あれ、私は違うと思うんですよね」
そういって、彼女は懐から手帳を、正確には手帳に刺さっていた一本の鉛筆を取り出した。
「ウマ娘の脚は、鉛筆だと思うんです。ウマ娘それぞれ、長さも太さも、濃さも色も違う。私たちトレーナーは、必要に応じて鉛筆を削って、必要な長さの線を書けるようにする」
「……まあ、そういう見方もできる……のか?」
珍しい見方だと思う。あまり聞かない見方だが……
「ウマ娘は鉛筆で、トレーナーは鉛筆削り。でも、先輩方がストッパー付きの電動鉛筆削りなら、私は精々カッターナイフです。粗く削ることしかできない」
彼女はテーブルの上の筆記用具入れに入れてあった安物のカッターナイフを手に取った。
「でも、カッターナイフにはカッターナイフにしかできない削り方があります。こんな風に……長く、鋭く、削ることが出来る」
そういって鉛筆をカッターナイフで削り始めた。まるでデッサンで使う時のように、芯を長く出し、先端は針のように鋭くなるまで。
「当然、こうすればウマ娘の寿命は短くなるし、途中で折れてしまう可能性も大きくなる。それでも……こうすれば、格上相手だろうと立ち向かうことが出来る。私はトレーナーとしては失格かもしれない。でも、リボンマンボのパートナーとして、彼女の目的を果たすためには必要なことだった」
「思い切ったな。聞く奴が聞けば大変なことになるぞ」
故障覚悟で追い込む、というのは相当な覚悟が必要だ。本当に故障してしまえば、かなりの非難が予想される。
「覚悟の上です。既に理事長には辞表を出しました。慰留の後に目の前で破り捨てられましたが、この件で処罰があるなら甘んじて受けます」
完全に覚悟が決まっている。こうなった時のトレーナーという人種はウマ娘でも動かせない。動かせるのは担当ウマ娘だけだ。
「そうか、わかった。なら俺から言うことは何もない。一応明日リボンマンボをここに連れて来てもらえるか? リハビリメニューについて話し合おう」
「わかりました。重ね重ねになりますが、本当にありがとうございました」
「おう、まあ困ったときはお互い様だ。気にすんな。あ、そうだ。さっきウマ娘を鉛筆に例えていたが、テウスはどんな鉛筆だ? 10H位か?」
帰ろうとしていた塩飽トレーナーを呼び止め、ふと気になったことを聞いてみた。
俺に問われた塩飽トレーナーは、少し考えてから口を開いた。
「完全に私見になっちゃいますけど、絶対に擦り減らないメタルペンシルですかね? それでいて普通の鉛筆より色が濃くて太い線が書ける。擦り減らないから、それこそ無限に走らせ続けることが出来る、そんな夢の鉛筆。トレーナーだったら一度は担当してみたいと思うんじゃないでしょうか」
「それだと俺たちトレーナーは削れないと思うんだが……」
「普通のトレーナーならそうですね。でも、沖野先輩は彼女を鋭く出来ています。担当していたのが私なら先に私が折れてしまっていたでしょうね。間違いなく、クラシック三冠は菊花賞しか取らせてあげられなかったでしょう。宝塚や秋三冠は言わずもがなです」
「……菊花賞は取れるんだな?」
思ったより自信家なんだろうか? 最も強いウマ娘が勝てる菊花賞は取れると断言するあたり、凄いと思うのだが……
「彼女のスペックで超長距離レースを落とすことはまず有り得ません。トレーナー養成学校の一年生でも彼女に菊花賞は取らせられるでしょう。それだけ、彼女のスタミナは前代未聞ですよ。何なんですか、3000m3分切りって。ウマ娘の限界を超えてますよ」
最後の方はもう愚痴になっている。しかもあのレース、テウスはいつものスパートを切っていない。位置取り争いもない、ただの一人旅。誰もテウスに競り合いを仕掛けるどころか影を踏むことも、全力を出させることすらできなかった。
はたして一緒に走っていたウマ娘は、どう感じていたのだろうか……?
「おっと、呼び止めて悪かったな。んじゃ、また明日。おやすみ」
「はい、ありがとうございました。紅茶も美味しかったです。では、また明日」
彼女はぺこりと一礼して、トレーナー室を出ていった。やっぱり礼儀正しい淑女然とした人物だ。
「さて、俺も帰るか……」
紅茶を飲みほしてから荷物を纏めはじめた。今日はいろいろなことがあって疲れた。帰ったら風呂入ってさっさと寝よう。そう思っていたら、懐から着信音が鳴った。
「こんな時間に誰だよ……ん? この電話番号は……」
画面を見ればあまり見慣れない番号が表示されている。知っている番号ではあるのだが……
『こんばんは~。栗東寮の寮長代理スーパークリークです~。夜分遅くにすみません、テウスちゃんはそこに居ますか~?』
相手は栗東寮寮長代理、スーパークリークだ。フジキセキは次の安田記念に向けて最終調整を行っているそうで、フジキセキが万全に走れるようになるまでは臨時で務めるらしい。
なし崩し的にそのまま寮長ポジションに収まりそうだな……なんか似合うし。
「スーパークリークか、居ないけど……もしかしてまだ帰ってないのか?」
『そうなんですよ~。今まで一度もこんなことはなかったんですけど~』
確か会見が終わった後ちょっと走ってくると言って別れたはず。ということは……
「多分まだ走ってるわ、あいつ。コースに居るだろうから連れ戻してくる。悪いが受け入れの準備を頼む」
『は~い、タオルを用意して待っていますね~』
電話が切れた。今まで一度もなかっただけにちょっと驚いた。走って時間を忘れるのはスズカ位だと思っていたが……まあ、今までなかったのがおかしいか。スズカと同じタイプだしな、テウスは。
トレーナー室を出ると、まだ雨が降っていた。随分小降りにはなっているが、こんな中をまだ走っているのか?
練習用コースを覗きに行く。まだライトは点いていたから、彼女はすぐ見つかった。いつもよく走っている芝のコース。彼女はそこを走っていた。
ずっと同じコース取りで走っていたのか、ある一定の位置に走って芝が剥げた跡がベルトのように残っていた。多分、別れてから今までずっと走っていたのだろう。
「ブラックプロテウス!」
コース外から叫ぶ。ビクッとテウスが反応し、こちらを見た後腕時計を見て顔を青褪めさせている。どうやら全く時間を気にしていなかったようだ。慌ててこちらに駆け寄ってきた。
「えっ、あ、と、トレーナーさん……ご、ごめんなさい! 考え事してたら時間を忘れてしまって……」
かなり動揺している。今まで門限を破ったことがなかった娘だ。それも仕方ないだろう。
「珍しいな、テウスが門限破りとは。それにそんなびしょびしょになって……レインコートはどうした?」
「暑くなって途中で脱いじゃいました。あはは……」
シューズは泥だらけ、体操服はかなり雨を吸っているのか水か滴り落ちている。
「まあ、とりあえず帰りながら話そうか。寮の方でスーパークリークがタオルを用意してくれてるみたいだから、大きな泥だけ落として細かいのは向こうで拭いてもらおう」
「はい、ごめんなさい……」
泥や芝を拭ってやって、脱ぎ捨てたレインコートを回収してからコースを後にする。傘は俺が持ってきたビニール傘しかないので、一緒に入って行く。
「改めて……どうしたんだ、テウス。今まで一度も門限破りなんてしたことなかったのに」
「さっきも言いましたけど、考え事をしていて。昨日のこととか、今日の事とか。スズカさんが『考え事を纏めたいときは走ればいいわ』って言っていたので、纏まるまで走っていようかなって」
「それで、今まで走ってたってわけか。考え事は纏まったのか?」
テウスが少し考えている。まだ纏まりきってはいないようだが、大体の答えは出ているようだ。
「私、インタビューでも言いましたけど、金鯱賞はとっても楽しかったんです。全力を尽くして、走り切ったレース。100点満点のレースではなかったけど……秋天や有馬記念と同じくらい。ううん、それ以上に楽しかった」
彼女の顔は晴れやかだ。思い悩むウマ娘の顔だとは到底思えない。
「ただ……私が負けたことで、トレーナーさん。貴方が非難されてしまうんじゃないか。ファンの人たちが失望してしまうんじゃないかと思って、それだけが不安だったんです」
「そんなことは……」
あるわけがない。あったとしても、俺への非難は甘んじて受け入れるつもりだった。
「トレーナーさんなら、そう言ってくれるってわかっていました。でも、どうしても心の中では整理がつかなかった。失望されたくない、そんな気持ちが多分、私を縛っていたんだと思います」
彼女の言葉を聞いていて、一つ気付いた。
「過去形、なんだな? 今はそう思わないと?」
「はい。あの会見を経て、そして考えを纏めていて、思ったんです。どんな風に言われたって、ファンの人たちからどう思われたって、私は走ることが好きなんです。たとえ私のファンが一人も居なくなっても、私は走ることは止められない。だから、トレーナーさんには悪いんですけど、もう気にしないことにしたんです」
吹っ切れたような顔をしている。今まで彼女に伸し掛かっていた重荷が、全て解かれたように、今まで入っていた余計な力が抜けていったような、そんな感覚がする。
「俺のことは気にすんなって。大体、スペのメイクデビューから散々な言われようだぞ俺は。
メイクデビューのウイニングライブに関してはともかく、あの発言に関しては完全に濡れ衣なんだが、エルコンドルパサーへのお仕置きはグラスワンダーがやっていたのでもう水に流した。
「ふふっ、じゃあこれからもたくさん迷惑かけちゃいますね?」
こちらを見て、優しく微笑んできた。入った当初はまだまだ子供だったが、最近は結構大人びて見える事が多い。身長は一ミリも伸びてないが、内面は確実に成長している。
「あ、メッセージ来てる……わあ、クリークさんからこんなに……あれ、お姉さんからも来てる。ちょっとだけ確認して良いですか?」
「まあ、手短にな。スーパークリークには後で謝っておくように。かなり心配してたからな」
「はーい……あ、ふふっ……」
画面を確認したテウスが、優しく笑っている。お姉さんとは確か、テウスの友人で学園OGのウマ娘だったはずだ。
「どうした? 励ましのメッセージか?」
「まあ、そうですね。これ、お姉さんがURLを送ってくれたんです」
そう言ってテウスが見せた画面には、何処かのサイトが映っていた。そこには金鯱賞の感想や、一部で生放送されていた今日のインタビューの内容に関する感想が纏められたものが表示されていた。いわゆるまとめサイト、というやつだろうか?
否定的な意見も確かにあれど、肯定的な意見が圧倒的に多い。それだけ、彼女達には根強い人気がある。
テウスが一度や二度敗北したくらいでは、ファンが離れない程度には、テウスは人気があるということだ。
「うん、これでもう、何も悩むことはなくなりました」
「そっか、良い友人を持ったな」
「はい!」
やっぱり、三冠という称号はそれなりにプレッシャーを感じていたのだろう。負けて、一皮剥けた。そんな印象を強く感じる。今後も、テウスは強くなるだろう。
トレーナーとして、楽しみで仕方ない。担当ウマ娘をどれだけ活躍させられるか。それを想像して楽しくなってしまうのはトレーナーの性というやつだろう。
「あ、もう着いちゃいましたね。うわ、寮の前でクリークさんが待ってる……」
しばらく歩いて寮に着く。少し前から雨は止んだので、相合傘状態は既に解消されている。
「ほれ、早く行って謝って来い。んで、ちゃんと風呂に入って身体を温めてから休むように!」
「はい、わかりました! トレーナーさんも、ゆっくり休んでくださいね!」
笑顔でこちらに手を振るスーパークリークの下にテウスを送り出し、二人で寮に入るのを見てから帰路につく。
流石にもう眠気が限界だ。紅茶のカフェインで少しは耐えられると思ったが、家に着いたらすぐに寝てしまいそうだ。
まあ、朝シャワー浴びれば問題ないだろ……そんなことを思いつつ、この眠気では自転車も自動車も運転は難しいと思い歩いて帰宅したのだった。
そうして翌朝。俺は見事に風邪を引いてダウンした。