無慙無愧が巡る怒りの日   作:ヘルシーテツオ

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いろいろあって更新が遅れました。
そして今回の更新で、書き溜めてた分は無くなりました。
今後は不定期になるかもですが、大体隔週ペースを目安にやっていきたいと思います。


第七章『黒の不変』

 

 気が付いた時には、総てが気に入らなかった。

 

 連中が語る、善と悪。

 我らは善だから素晴らしい。奴らは悪だから許せない。

 そんなお題目を疑いもせずに、嬉々と奉じて戦いに向かっていく様が気持ち悪い。

 こいつらが言うところの理想だの、絆だの、どれもこれも空虚な妄言に聞こえてしょうがない。

 そんな者たちを同胞だと認識する本能(アヴェスター)が度し難く不愉快だった。

 

 白の奴らばかりじゃない。黒の連中とて同じ。

 変わらない。こいつらは何も変わらない。

 白としての本能は黒に対する殺意を与えてくるが、そもそも次元違いの殺意を有した彼には関係ない。

 たとえば億や兆といった桁の数があったとして、そこに十か百そこらを加えたところで、総量からすれば誤差にしかならないだろう。

 率直に言って、どいつもこいつも糞に見える。根絶したいと思うのは、単に衛生上の欲求だった。

 

 呼吸をするのも億劫で、手を取り合うなど以ての外。

 中には積極的に関わろうとしてくる屑もいたが、総じて余計な真似でしかない。

 当初は確かな理屈では表せなかったが、感覚的に理解していたこともある。

 この世界は致命的に間違っている。総ては踊らされる人形のような有り様で、汚濁にも等しき不快な天地。

 

 ただ、その理解は同時に、己の異質さを彼自身に気付かせてもいた。

 世界において異端なのは自分。誰も疑問に思っていないことを、自分だけが不快に感じる。

 そもそも事の正否とは相対的なものだ。皆が正しいと思うことを一人だけが間違っていると言ったところで誰も聞かない。

 普通ならば、間違っているのは自分なのではと疑問を持つところだろう。しかし彼は確信していた。この世界は間違っていると、森羅万象の総意さえ凌駕する域で断言できる。

 だが、その理由が分からない。結果の確信はあれど、前提の理解が欠落していた。故に理屈として表すことが出来ず、異端の子はただ押し黙るより術を持たなかった。

 

 自閉の中で、繰り返された自問自答。

 たてられた予測は、これは己の内から生じた感情ではないということ。

 恐らくは誕生以前、母の腹にいた頃に仕掛けられた。総てを呪う鬼子は、そのように望まれたからこそ生まれてきたのだと。

 

 自覚すれば、甚だ不愉快な事実。

 理解したからと、だからどうなる話でもない。

 世界は変わらず汚濁のままで、晴れやかさとは程遠い。

 いっそこの殺意のままに、不快な塵どもを抹殺し尽くしてやればと、数えきれないほど思ったことだろう。

 

 だがそれは、この仕掛けを施した奴を嗤わせることである。

 森羅万象へと向けられた呪詛。つまりはそいつにとって、世界とは終わってほしいものであり。

 定められた殺意に従って動くのでは、屑どもと変わらない。それは断固として認め難いことだったから。

 少なくとも理解の無いまま走り出すことは憚られて、やり場を失った憤怒は燻りながらも心奥にて溜まっていく。

 

 ならばいっそのこと、自刃でもして果ててしまえば良かったのか。

 どうせ総てが不快で、未来に希望も見出せないのなら、それも手だろう。

 誰に恥じ入るわけでもない。そんな相手はそもそも一人もいないのだから。

 せいぜい奴らの興でも削いでやって、この忌々しい世界からさっさと消え失せる。彼個人の選択肢としては十分にありだったはず。

 

 だがそれも、結局のところ果たされることはなかった。

 消えることを恐れたわけではない。ただ残される(クズ)たちを見捨てることが出来なかった。

 世界は悲惨で、そこに住まう民草は憐れである。ならばこそ救ってやりたいと、そんな衝動が沸き上がってくる。

 道理に合わない。どう考えてもおかしいだろう。人々を屑と断じ、世界を呪う鬼子の心に、何故こんな感情が現れている?

 みんなを救いたい。ともすれば世界への呪詛以上に強烈な衝動(アイ)。それが彼に自死を選ばせない。

 

 これもまた、他所の誰かの手による仕掛けなのは明白で、その嚇怒と凶念は奈落の底を突き抜ける。

 

 よって彼は無視することにした。

 その内部では超常の憤怒と呪詛が渦巻いていたが、決して表に出すことはなく。

 不機嫌そうな顔として表れていたが、もしも内心を垣間見れば、その程度で済んでいることがとても信じられなかっただろう。

 冥府魔道を走るのも、みんなを救うのも、ただそのまま従ってやるのは癪であり、だからこそ何もしない。

 誰とも関わりを持たない。目にも入れず、口も利かない。何をされたとて、拒絶の反応さえ返さない。

 当然だろう。そんな程度で腹を立てるくらいなら、彼の怒りはとうに総てを滅ぼしている。

 滅尽滅相。彼の激情を言い表すなら、そんな言葉が思い浮かぶ。今さら常人の言葉や態度くらいでは、彼の憎悪は目減りも目増しもしない。

 

 当時の彼の眼に映る世界、そこで確かな価値を持っていたのは、たった一つ。

 彼の兄。みんなに慕われ、その期待と信頼を一心に受ける、常勝不敗の勇者。

 まさしく善の理想像。誰もがそう思って疑わないのに、彼だけには異質に見えた。

 これは違うと。みんなの括りに当て嵌められる存在ではない。では何なのかと問われれば、その答えは分からない。

 そう分からないのだ。善なのか悪なのか、いいやそんな二者択一ではなく、もっと深い部分から異なっているように思える。

 自分が彼をどう思っているのかさえ定かではない。憎んでいるのか、恐れているのか、自己の心すら判然としない。

 自分はこの(ひと)をどうしたい?この兄に、どうなってほしいと願っているのだ?

 

 分からない。分からなかったが、当時の彼の世界において、唯一の色褪せない存在だったのは間違いなく。

 

 顔を合わせれば罵声を浴びせた。

 負け犬だと。他人に心臓を握らせていると。

 だがそれらの言葉も、無理解が故に相手の芯には届かず、無為な空回りを続ける始末。

 何度も何度も失敗して、だが次こそはと再戦への熱を燃やす。ある意味で、これが彼にとって唯一の人間らしい行動だったのかもしれない。

 だからこそ後の不覚もあったのだろう。出陣する勇者(あに)の背を、いつしか不変のものと捉えて疑うことを失念していたのだから。

 

 ――総てへと向けられた殺意。

 

 ――定まらないものに対する忌諱感。

 

 ――そして兄への無理解と、それが招いた事態への慚愧の念。

 

 これが後に凶剣となって冥府魔道を完遂する男の原点だった。

 

 

 

 

Tod! Sterben Einz'ge Gnade!(死よ 死の幕引きこそ唯一の救い)

 

 黒き鋼の男に慢心の二文字はない。

 初手から全力。容赦無用の幕引きが抜き放たれる。

 

Die schreckliche Wunde, das Gift, ersterbe,(この毒に穢れ蝕まれた心臓が動きを止め)

 das es zernagt(忌まわしき毒も傷も), erstarre das Herz!(跡形もなく消え去るように)

 Hier bin ich, die off'ne Wunde hier!(この開いた傷口 癒えぬ病巣を見るがいい)

 

 漆黒の闇が両腕を覆う。

 他を寄せ付けない黒騎士(ニグレド)。その色すら呑み込み消し去る極深の黒。

 彼は願っているのだ。自分という存在を消し去ることを。生命の前提を破綻させる渇望は、彼が既に死者であるゆえに。

 死んだ者が動き出す醜悪。それを正すために、彼は安息の終焉へと疾走する。

 

Das mich vergiftet(滴り落ちる血のしずくを), hier fliesst mein Blut:( 全身に巡る呪詛の毒を)

 Heraus die Waffe! Taucht eure Schwerte.(武器を執れ 剣を突き刺せ)

 tief, tief bis ans Heft!(深く 深く 柄まで通れと)

 

 現れたのは闇色に染まる機械腕。

 材質などはっきりしない。いいや、恐らくは鋼なのだろう。元より彼はそのように出来ている。

 かつて人だった頃に搭乗し、終わりを共有した愛機(ティーガー)。その成れ果てが今ならば、現れた本質もまた鋼。

 ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲンは鉄機人。歯車細工の動く死者は、取り零した終焉だけを渇望している。

 

Auf! lhr Helden:(さあ 騎士達よ)

 Totet den Sunder mit seiner Qual,(罪人にその苦悩もろとも止めを刺せば)

 von selbst dann leuchtet(至高の光はおのずからその上に) euch wohl der Gral!(照り輝いて降りるだろう)

 

 自己の終わりを希求する渇望。

 故にその鉄拳は、あらゆるものに死をもたらす幕引きと化す。

 

Briah(創造)――Miðgarðr Völsunga Saga(人世界・終焉変生)

 

 神威さえも打ち砕く終焉のご都合主義(デウス・エクス・マキナ)が、不変の凶戦士へと向けられた。

 

 マキナに与えられた“(ズィーベン)”の席位。

 その数が意味するところは天秤。十三(ドライツェーン)の中心に置かれた七の数字。つまりは物語を左右する位置にある。

 総ての舞台をひっくり返す番狂わせ。即ち、マキナの拳はラインハルトとて殺せるということ。

 団員たちより畏怖を集める幕引きの一撃。対峙するなら、絶対に当てられるわけにはいかず、ならばこそ立ち回りにも逃げが意識されるだろう。

 当たれば終わり。もはや否応もなしに意識は拳へと向けられる。防ぐことは不可能で避けるより他になく、ただそこにあるだけで敵は行動を制限されるのだ。

 

 被弾を恐れる、逃げを意識した立ち回り。

 臆病とはいえず、マキナの猛悪さを知ればこそ常道としか言えなかったが。

 ここに在る凶戦士に、常道なんて言葉は最も縁遠いもの。凶剣たる男が選んだのは、あろうことか更なる攻撃への極振りだった。

 

「オオオオォォオオオオオオォォォ――――!!」

 

 斬る。斬る。斬る。

 攻めて、攻めて、攻めて、その回転が止まらない。

 獰猛に、凶々しく、破滅も辞さず、後退など片隅にも考えない。

 剣閃の全てが全身全霊を込めた殺意の結晶。技はなくとも、そんな常識など粉砕して余りある凶念の一閃は、如何なる存在とて斬殺の結末を免れまい。

 真っ当な生命の尊厳など置き去りにした無慚無愧。怒涛の凶刃はマキナをして、攻めに転じることを許していなかった。

 

 マグサリオンの第一戒律『絶し不変なる殺戮の地平(サオシュヤント・アウシェーダル)』。

 縛りは自他の殺意以外による接触不可。引き換えに得るのは自他の殺意の総和と比例した攻撃力だ。

 神威にも伍するマグサリオンの殺意。そして神すらも殺す幕引き(マキナ)

 絶対の死をもたらすその猛悪さ故に、マグサリオンの剣にも無限の鋭さを与えている。その刃はもはや、幕引きと対を為す終わりの具現だ。

 当たれば終わりなのはマキナも同じ。迂闊な攻め手は斬死に直結し、ならばこそ逃げを意識せざるを得ないのも同様だった。

 

 されど、マキナとて黒円卓が誇る英雄である。

 単に条件が対等ならば、臆する道理もありはしない。手段を逆手に取られた程度で、動じる未熟さなど持ち合わせない。

 凶剣の脅威がこれだけのものであったのならば、とうに反撃に打って出ていただろう。言ったようにマグサリオンの剣は拙く、武錬を極めたマキナにとっては見切るのも容易い。

 だがそうはなっていない。現に凶剣の刃はマキナを追い詰めている。それは魔人にとっても異質と見える、異形の理が働いているがためだった。

 

 マグサリオンの第二戒律『絶し不変なる凶剣の冷徹(サオシュヤント・マーフ)』。

 縛りは常態としての常在戦場の精神の維持。引き換えに得るのは戦いにおける第六感の向上。

 言葉だけを見れば大したことがないように感じるだろう。だが常軌を逸しているのは、マグサリオンが行う常在戦場の徹底ぶりだった。

 眠らないし瞬きもしない。モノは食べない。排泄もしない。常に剣を握らねばならず、殺しに関わらない思考はそれ自体が禁忌である。

 それを常態として、常日頃から維持しなければならない。そして戒律とは、生き方と引き換えに手に入れる力だから、オンオフも当然できない。

 つまり、マグサリオンはこれまでも、そしてこれからも、眠れず食べられず女も抱けない。人が持つ三大欲求の完全否定、それは人としての喜びの放棄に等しかった。

 

 思考を途切れさせれば屑を見失う。

 休みを挟めば、その分だけ奴らの跳梁跋扈を許すことになる。

 故にその身は殺戮のための機械と化す。余分なものを削ぎ落し、冥府魔道を征く一振りの剣となれ。

 

 まさしく狂気の沙汰だろう。

 たとえ外道をいく魔人たちとて、ここまでの壊滅した在り方は眼にした事があるまい。

 人の精神で為せる所業だとは思えない。無理を通せば道理が引っ込むとは言うが、いくら何でも無道を行き過ぎだろう。

 憧憬なんて感情とは最も遠い。共感不可能な孤高の道は、何人にもその影を踏むことさえ叶うまい。

 

 だからこそ、実現の見返りも凄まじい。

 戦場における第六感とは、敵の致命に至る隙を見出だし、同時に自らの生存の可能性を掴み分ける感覚。

 魔道の域にて磨き抜かれた超感覚は、もはや実現性の有無さえ問わない。たとえ絶無の可能性でも、マグサリオンはあり得ない隙を捩じ込むのだ。

 如何なる達人であろうとも、認識外からの刃が命脈を断つ。致死の間合いであっても、必ずや敵の一撃は急所を外す。

 技の才覚など関係ない。無才の身という現実を、そんな強引極まるやり方で捩じ伏せた。同じ才覚無き者が見たら心を折られる、努力家なんて表現はまるで適さない破滅の魔技。

 

 剣筋そのものは我武者羅なもの。

 されどその刃は常に致命の隙をついてくる。当たれば終わりと称するべき凶刃が、慮外の領域から何度も何度も。

 捩じ込んだ隙に、更に別の隙を捩じ込んで。攻撃の連続にあるべき間隙さえ、そこからは抹消されていた。

 そんな凶剣に晒されて、むしろここまで直撃を避け続けているマキナこそ異常だった。マグサリオンが第二戒律によって研ぎ澄ませた第六感を、彼は自力の修練によって実現している。

 敵を殺し、自らは生き残る。戦場での戦士の価値とはそれであり、弁えればこそ進むのに惑うことはない。

 マグサリオンの在り方が異形なら、対峙するマキナもまた異形。事実、冥府魔道の在り方を前にしても、マキナの心には小波ひとつ立ってはいない。

 血肉は容赦なく削られているが、命に達する傷だけは決してもらわない。静かだが、立ち昇る確かな戦意が、反撃の機を狙っていると伝えていた。

 

 そしてマグサリオンにとっても、この状況は優勢とは言い難い。

 傍から見れば、怒涛の攻勢で追い詰めていると見えるのだろうが、それを以て流石の武威だと謳うのは浅はかである。

 そもそも、マグサリオンの剣は未だに真価を発揮しているとは言えなかった。彼の本領とは、相手の理解に至った時に解放される滅尽の剣。

 第二戒律を発展させ、理解の深さに応じた特効能力を得る異能。彼我の格差、相対的な存在規模さえ凌駕して、凶剣の刃は斬滅へと至らせる。

 そんな真髄が、マキナに対しては発揮されていない。捩じ込み続ける怒涛の剣閃は、同時にそれしか手立てがないことの証左であった。

 

「チィ――!」

 

 常ならば、相手に対して罵倒の一つでも投げ掛けているところ。

 それをしないのは、無意味であると悟っているからだ。今さら何を言ったところで、この男は揺らがない。

 不動。その在り方を一言にて表すならそれだろう。同じ求道でも、ことに安定度の一点ではバフラヴァーンすら上回っている。

 かける意味のない言葉ならば無用。黙殺を貫き、己が持てる機能の全てを斬滅と理解に注いでいる。

 

 マグサリオンの理解において、相手の迷いは関係ない。

 悟りを開いた覚者でも、不動の精神を持つ鉄人でも、理解に至れば殺せるのだ。

 総てを呪い、果てに総てを理解すると定めた凶眼は、ただ向きあうだけでも相手の真実を解体する。

 たとえ相手が自覚していない事であっても。遍く森羅万象を呑み込んで、その眼光に見抜けないものは存在しないと言える。

 

 だが、そんなマグサリオンをして、この相手の理解にはあと一歩のところで及んでいなかった。

 

 あの顔を覆った鉄仮面。

 真実を見抜くためには、あの仮面の下を暴かねばならない。

 無骨な鋼の下にある素顔こそが謎の核たる部分であるのに疑いはなく、ならば実行するのに何の躊躇いも要らなかったが。

 直感が囁く。無謬の死地に身を置く戒律によって研ぎ澄まされた第六感、それが最大限の警告を発しているのだ。

 あの仮面を暴くのは鬼門だと。その深淵を覗きこんだ時、こちらを覗き返した深淵によって“殺される”。

 それは神格であっても逃れることが出来ない絶対の終焉だと。マグサリオンをして戦慄させたが故に手が出ない。

 

 よって出来上がったのが今の構図。

 間隙なく捻じ込まれ続ける致死の斬撃に打って出れないマキナ。

 理解に至るあと一歩のところが踏み込めず、真価を発揮し得ないマグサリオン。

 その実態は膠着。優劣定まらず、どちらの側にも天秤が傾き得る状態にあった。

 

「その強さ――」

 

 そんな膠着の中で、沈黙を破ったのは意外なことにマキナだった。

 黒円卓の中でも特に口数の少なさで知られる男。必要最低限の事しか話さないのが常であり、そうでなければ何年でも何十年でも沈黙を貫く鋼の男。

 

 そんな男が、自ら口を開いて話しかけるという。

 それ自体が奇跡にも等しい慮外。己の宿命以外のことで、彼の関心が向くなど信じ難いことであった。

 

「いいや、強さなどとは呼べんか。

 魂だの、渇望だのと、そんなところで話をする俺たちとは、その刃は別域にある。

 徹底しているな。誰であれ、殺すために。己がどう在りたいかすら二の次だ」

 

 第一戒律も、第二戒律にしてもそう。

 どちらも殺すこと以外の生き方を縛っている。人間の喜怒哀楽を不要と断じ、自らを不変の凶剣へと置き換えている。

 元より戒律とはそういう力。生きる上でのひとつの道を閉ざす代わりに、別の道をより進むための力を得る。

 マグサリオンの徹底ぶりは、凶剣以外の一切の生き方を絶無と断じている。後戻りは絶対に不可能で、それを惜しむ気持ちなど微塵も持っていない。

 

 ではこれがマグサリオンにとっての望みなのかと、そう言い切るのは判断に窮するだろう。

 

「お前の刃に凶念はあっても、愉悦はない。

 誰よりも殺しに長けてはいるが、殺しを愉しんでいるわけではない。

 ああ、その心理は理解できる。不本意なことだからこそ、速やかに終わらせたいんだろう。

 嘆いて退いたところで、改善される現状などありはしない。ならば踏破を目指して前のめり駆け抜ける」

 

 マグサリオンの冥府魔道の一端に、マキナは同意する。

 誰よりも死闘を重ねた魔城最強の拳闘士。されどその望みは闘いの愉悦などでは断じてない。

 殺し合いを愉しんだ事はない。血の赤も、骨の白も、焼け爛れる肉の黒も、腹から噴き出る臓腑の灰も。

 それらの残滓(きおく)は総じて、思考に腐臭を生じさせる。総てが“無”に還ればいいと、その魂は渇望しているから。

 

 愉悦も、苦悩も、絶望も。

 焦りも、怒りも、興奮も。

 皆、すべからく不要であるべし。避けられぬなら、全霊をもって殺戮するより術はない。

 刹那に魂を燃焼させて、果てに焼き切れる終焉こそ、マキナが望んだ唯一無二(ヴァルハラ)

 

「だが求道ではない。そして覇道とは、猶更に異なる。

 お前はなんだ?何がしたい?何を求めている?

 総てを屑と断じて殺すのならば、あるべきでない外道と何が違う?」

 

 鋭く研いだ刃のようなマキナの言葉にも、マグサリオンは黙殺で応じる。

 相互理解など最初から求めてはいない。その殺戮を糾弾されるのも慣れたものだ。

 向けられるのが憎悪だろうが感謝だろうが、常に殺意で応じるのがマグサリオン。

 彼は殺す。この宇宙のありとあらゆる生命を殺し尽くし、殺戮の荒野に独り立つ。定めた不変の在り方は、余人が何を言おうが変わらない。

 

「おい」

 

 だから口にするとしたら、それは全て殺戮のためにある言葉。

 より効率よく構造を把握し、理解して殺すために。その用途以外の言葉など、全てが無駄でしかないのだから。

 

「貴様、いったいどこから喋っているんだよ」

 

 たったそれだけの、短い問い掛け。

 されどマグサリオンの口より発せられた言霊(ソレ)は、魂の芯にも迫る鋭さを有していた。

 故に、ほんの一瞬。他の者ならば見逃すどころか気付くことも出来ない、僅かな停滞。マキナに生じたその隙をマグサリオンは逃さない。

 上から重ねて隙を捻じ込み、押し広げられた刹那は必殺の急所と化す。そこに目掛けて絶死に至る剣閃を叩き込んだ。

 

 そして、凶剣の刃は遂にマキナを捉えた。

 肉を断ち、骨を断ち、侵入した刃は瞬く間に命へと到達する。

 両者の殺意の総和たる凶剣は、死を具現した終わりそのもの。如何なる存在であろうと斬死を免れることは叶わない。

 

 だが、ここに唯一人の例外が存在した。

 

「捉えたぞ」

 

 見えぬ鎧の内側で、マグサリオンは口元を歪めた。

 この必殺は必殺ではなく、間合いへ呼び込むための撒き餌だったと悟ったために。

 

 マグサリオンの凶剣は、線をなぞるようなものだと例えられる。

 モノが壊れやすい弛緩した箇所。その一線をなぞることによって存在強度を無視した斬滅を可能とする。

 あるいは刃を入れた先に、そうした死線が具現しているのかもしれなかったが。第二戒律に由来する、あり得ない隙を見出す異能の恩恵。

 

 だがこの場に限り、その研ぎ澄まされ過ぎた殺意が仇となる。

 殺害のための最大効率を求めたがために、その軌跡は必然として限定される。

 何処でもいい、とはならなかったのだ。凶行をひた走りながら、理屈を解そうとするその姿勢故に。

 他の者ならば何の問題もなかった。しかし此度の相手は、死という終焉を希求し続けてきた鉄心の鋼である。

 誰より終わりを求めてきたからこそ、誰よりも(それ)を知る。蟲毒の死闘で研ぎ澄まされた第六感は、マグサリオンとも同域で死の気配を嗅ぎ分ける。

 凶剣が剣閃を走らせた刹那、心技体を総括させた神懸かり的な技量でもって、剣が向かう軌跡を僅かにズラした。

 無論、無事では済まない。あくまで致命を逸らしたまでであり、凶剣を受けたその身が瀕死であるのは間違いなく。

 

 されど、一撃。

 ただ一撃にて幕を引く黒腕を、繰り出すだけの余力は十分に残されている。

 そして必殺を期して踏み込んだが故に、今のマグサリオンはまさしく完全な隙を晒している。

 必ずや急所を外させる第二戒律の護りでも、覆しようがないほどに。マキナの一撃を生き延びる可能性など、絶無の先にも一片だとて存在しない。

 

 炸裂した鉄拳の一撃、死を具現させる英雄譚の終焉が、マグサリオンを捉えていた。

 

 受けた拳から、その渇望(いのり)が流れ込んでくる。

 不変など認めぬ。遍く命としての終焉を受け入れろ、と。

 死とは唯一無二。絶対に覆ってはならない結末なのだから。不変とは本来、(それ)であるべきだろう。

 如何に飽き果て、飢えていようとも。救い難く、運命を度し難く呪っても。失われたものが取り戻せるなどと思ってはならない。

 そんなものは至高の価値を貶める愚行。あるべきを外れた紛い物に、誉れの光など降りてこない。

 

 だから要らない。故に認めない。

 己こそを不変として、終わりに抗おうとするマグサリオンを、幕引きの拳は否定する。

 不変を誓ったマグサリオン。唯一の死を求めたマキナ。両者の渇望が生み出す異形の理が、真っ向から衝突して軋みをあげている。

 

 それが臨界に達した瞬間、身を覆う孔雀王(マラク・タウス)が爆せて、その中身を晒していた。

 

 

 

 

 幕引き(マキナ)の拳を受けて、生き延びた例はこれまでに三つある。

 

 内の一つは、まるで参考にならない。

 理屈の一切を無視して踏み潰す無量大数(しつりょう)。そんな規格外など後にも先にも一柱だけだ。

 

 二つ目はもたらされる死に対し、まったく同質の概念で対抗できる者。

 死をもって死を殺す。果たして理屈になっているかも怪しい荒唐無稽を、確かな理として落とし込める夜摩。そんな力量の持ち主ならば終わりの後でも復活が可能である。

 つまりは術理の領分。論ずるまでもなく難易度は天理に達し得る神才でなくば不可能だったが、それでも最も真っ当だといえるのはその方法だろう。

 目には目を、歯には歯を。そういう道理に則っていればこそ分かりやすい。技術を磨き、未知を暴いて危険要素を解体する。規模こそ違えど、人としての正しい道筋ともいえる。

 

 そして三つ目の手段こそ、中で最も際立つ特異なもの。

 それはゼロで停止した新世界。発生した刹那(ゼロ)故に歴史を持たず、終わるべき歴史を持たないから殺せない。

 疾走する停滞。それ即ち刹那の法。他の誰にも真似できるものではなく、またそのような相関性となったのも、刹那との間の複雑怪奇な奇縁あればこそだろう。

 

 幕引き(マキナ)の拳は、歴史を持たない者を殺せない。

 無論、それを以て終焉の法に空いた陥穽だとはとても言えまい。

 歴史とは、万物が誕生より共通して内包した時間。たとえコンマ百秒以下でも、ゼロから進んだ時間は歴史となる。

 生物無生物の区別なく。普遍的な知識や概念であっても、積み上げた歩みそのものを崩してしまう幕引きは必殺となる。

 

 それが認識に収まる範疇である限り、たとえ神威であろうと殺してみせるご都合主義(デウス・エクス・マキナ)

 その理が如何に容赦なく、恐ろしいものであるか。担い手であるマキナこそ、それを誰よりも承知している。

 

 

  であるなら“アレ”はなんだ?

 

 

 これまで不動を貫いていたマキナが、驚愕を露わにする。

 それも無理からぬことであろう。修羅場で呆けるなど自殺に等しい愚行だと知ってはいたが、彼だとて“人間”だ。

 まったくの未知数、既存として知り得る常識の一切が通用しない正体不明を前にして、無感なままでいられるのは人の構造的にあり得ない。

 

 繰り出した幕引きの一撃は、その狙いを過たずに直撃した。

 確信がある。間違えるなどあり得ない。誰より破滅をもたらす技に長けるマキナが、その手応えを見誤るなど天地がひっくり返ってもないことだろう。

 ならば相手は死なねばならない。もはや絶対に変わらない結果のはずで、事実今この時もそうなっていると腕の感覚は捉えているのに。

 

 爆ぜた鎧の中身、もはや物言わぬ骸があるべきそこには“無”があった。

 

 そうとしか形容できる言葉が思いつかない。

 肉体が何処にも無い。血肉の欠片、細胞の一片とて、あるべき器を持たない無形の何か。

 紛れもなく無としか言いようがないのだが、同時に虚無だとも言えなかった。マキナが抱くような虚ろな暗黒、それとは対極の位置にあると感覚は捉えている。

 無いはずなのに、そこには質量があった。爛々と燃え尽きぬ熱量があった。何一つとして存在しないのに、あらゆる総てが存在しているような矛盾の塊。

 それはまるで、闇の炎とでも言い表せばいいのか。奈落の底より胎動する存在感が圧を発し続けて止まらない。

 

 それが何なのか、答えを出すことはマキナには出来なかったが。

 それでも、近いところでの推測は立てることが出来た。物理的な存在ではなく、恐らくは概念と呼べるものだと。

 たとえば光。たとえば闇。それ以外の何物でもなく、故に普遍として存在し続ける現象そのもの。それに類するものだとマキナの認識は当たりをつける。

 ああだがしかし、ならば何故その存在は塵となって消えていない?述べたように幕引き(マキナ)の一撃は概念だとて例外ではない必殺。

 それが普遍としてある現象だとしても、幕を引かれたならば終わっていなければならないのだ。

 

 されど、ここにあるものはそんな結果を否定する。

 終焉という摂理。神でさえ逃れられない結末。その真理を断固拒み、真っ向から反発するエネルギーがあった。

 

 マグサリオンにとっての戦いとは、常に己を削りながらのものであった。

 才には恵まれず、汚濁に染まった世界に味方なんて一人もいない。

 いるのは敵と、敵の敵。孤独の中で頼りと出来るのは己自身。故にそれだけを依り辺にして駆け抜けた。

 無駄だ、無意味だと言われようが耳など貸さない。どうか休んでと言われても、ああ五月蠅い余計なお世話だ。

 戒律の縛りは狂死に至る苦痛を科して、安らぎの一切を排した道に正気であれた時間など無かっただろう。

 それでも彼は躊躇わない。格上の敵などいくらでもいたし、己の器の不足も重々承知。だというのにひた走る脚は一直線に、破滅と絶望へ臆さずに向かっていく。

 マグサリオンは生涯を通じて不敗だったが、そこに楽な戦いなんて一度もなかった。勝利を重ねるたびに何かを削り、削り削って削り続けて、死に物狂いに貫き通した冥府魔道。

 果てに肉体すら喪失したのは悲劇としか呼べない。されど嘆く思いは微塵もなく、むしろ何もかもを失った先で初めて、マグサリオンは晴れやかさと呼べるものを感じたのだ。

 

 絶し不変なる魔道の誓い(サオシュヤント・アストワトウルタ)

 それはマグサリオンの第三戒律。兄との決別を誓った魔道の始まり。

 勇者たる兄の生き様を踏襲せず、その足跡の全てを否定して、定められた筋書きから脱却すること。

 結果、血筋として受け継がれた面影は長い年月をかけて喪失していき、ついには血肉の一片までもかき消して、無という不壊の肉体として完成する。

 それこそがマグサリオンの正体。無形の概念体とでも呼ぶべきものが、その鎧の中身なのだ。

 

 無ではあるが、虚ろではない。

 むしろマグサリオンという超級の凶念を動力とするそれは、度し難いまでの熱と重さを持っている。

 『無名』として打ち棄てられた者。知らず運命を弄ばされた『無知』と『無様』。力及ばず倒れし者の『無力』。

 それら一切を『無情』に切り捨て、糾弾を『無視』して『無頼』を貫く。その『無謀』に理由などなく、恥も悔いも感じない『無慚無愧』。

 それは否定の概念の集合体。あらゆるルールを駆逐するのに特化した、単純明快にして複雑怪奇な『無法』の法則。

 誰にでもあり、何処にでもある。『無貌』であり『無形』であるが故に、『無限』に広がりそして『無敵』。

 そんな不壊の肉体を支えるのは、マグサリオンの意志の力。彼が無慚無愧を貫く限り、不変なる無は終焉にも甘んじることなく逆らい続ける。

 

 さて、ここで少し話を変えさせていただこう。

 マグサリオンが纏う鎧。その銘を孔雀王(マラク・タウス)

 その機能とは、本来我力を持ちえない義者が我力の使用を可能とするための生成器。あるいは不義者の我力を強化する増幅器だ。

 燃料となるのは使用者の感情。マグサリオンという例外中の例外でなければ、一度か二度の全力戦闘で燃え尽きて廃人となってしまうのが仕様である。

 そんな“彼女”には、複製品である“弟”がある。無体な主のために狂い果てた姉を教訓にしてか、彼の方が燃料として選んだのは使用者の記憶であった。

 我力を燃やせば、薪となった記憶はその分だけ消失していく。その仕様は姉同様、僅かな時間で己を燃やし尽くして倒れ伏すもの。

 記憶の全てが消え失せた先に待つのは精神の死。それは自己という歴史の喪失とも言い換えられる。感情の起点になるのも過去なのだから、姉のようになる心配はない。

 

 では、ここで仮の話であるが、もしもマグサリオンが纏っていたのが弟の方だったら、どうなったか。

 鎧が目算した通り、感情の源泉たる記憶を奪い獲ることで、マグサリオンという主を使い潰すことが出来ただろうか?

 

 ――否、であろう。

 

 小賢しい対策一つでどうにかなるほど、マグサリオンはまともではない。

 もしもそんな仮の事態があり得たならば、賢しげな弟は姉同様に分からされたことだろう。

 凶念一つで無理も無謀も抉じ開けてきた凶戦士。鎧が己を喰い潰そうとするのなら、更なる無法で喰らい返すに違いない。

 

 神威すら粉砕する死の終焉に抗う、無。

 だが、如何に不壊の肉体が無敵でも、それを支えるのはマグサリオンの意志である。

 意志が折れれば、あるいは失われれば、不変の無とて虚無に消えるのが必定だ。

 マキナの無とは、総てを消失させた空虚の具現。幕を引かれた歴史は、その記述を急速に喪失させている。

 猛悪な勢いで虚ろとなっていく己自身。このまま全ての歴史が塵となれば、不変はその在り方を見失って霧散していくのが道理。

 だがそうはならない。何故ならそうはさせじと、マグサリオンは失われていく自己の再定義を繰り返しているのだから。

 その凶眼はあらゆる真実を見破る。たとえ己自身の事でも、マグサリオンは余さず見抜いて今ある自己の何たるかを理解できる。

 故に挫けず、故に消えない。無慙の意志は今も不変を貫いて、死に抗う無法のエネルギーとして止まらない。

 

「あり得ん、あり得んぞなんだそれは!?

 お前が集めているものは残骸だ。砕けた絵図を繋ぎ合わせて、体裁だけを取り繕った張り子だろう。

 元の価値など何処にもない。ガラクタ同然のものを寄せ集めて、それで取り戻したとどうして言える!?」

 

 そんな無体極まる在り様が理解できない。

 死の希求という、およそ生物としての道理を外れたマキナ。その彼をして、眼前の相手は怪物としか映らなかった。

 

 人の歴史とは、思い出の積み重ねだ。

 好ましいことも、疎ましいことも。等しく生きていく中にはあって、果ての結果として今の自分がいる。

 不本意なことが多く、決して幸に恵まれた生涯でなかったとしても。振り返った己をしかと確かめて、迎える終わりに理解と納得があればいい。

 

 ある日、ふと目を覚ましてみれば、マキナという個我は魔城にいた。

 己がどうして死んだのか。その瞬間のことがどうしてかさっぱり分からない。

 その事実に憤り、故にこそ希求したのが死のやり直し。絶対に逃してはならない唯一無二を、今度こそ取り零すことがないように。

 

 それは即ち、取り戻したいという願いである。

 容易く取り戻せるものなど塵だと知っている。逆説的だが、それは取り戻す価値の重さを知るが故に。

 マキナは過去を失ったが、その価値を棒に振ったわけではない。むしろそれこそを穢すまいとして、彼の誓いはあるのだから。

 

「そんな様になってまで、お前はいったい何処に還るという!?」

 

 マグサリオンが走る道は、マキナとは真逆の方を向いている。

 いいや、むしろこれは、同じ方向の道をより突き抜けたというべきか。

 

 怪物の毛皮を被ったまま怪物に成り果てる。

 それは地獄を駆ける一つの方策。グラズヘイムの黒騎士(ニグレド)を端的に表した言葉。

 今のマキナに人間らしさはほとんど残っていない。たとえ世界の半分が無くなろうとも、終わるものなら今終わったところで不都合などありはしない。

 そう憚りなく言い切ってしまえることが、怪物の証明だ。一つの事しか見えていない自分は人ではないと、自覚しながら止める気がないのだから始末に負えない。

 

 それに対してこの男は、己という色の総てを怪物の色に塗り潰している。

 安息の衣など自ら脱ぎ棄てて、その身が纏うのは地獄を行くための寸鉄のみ。

 人間性と呼べる一切を不純だと断じ、それらを削ぎ落すことで凶剣の刃を無双の領域へと高めているのだ。

 

 

  もう、兄者の心臓の音は、聞こえない

 

 

 無慚無愧。

 その言葉が意味するのは、己の悪を恥と思わず、一片の悔いも抱かない孤高の精神。

 始まりに定めた戒律。ただ兄のことだけを想った誓いは、マグサリオンにとって意志の骨子と言っても過言ではない。

 彼の生涯は、ある意味で兄のためだけにあったといえる。その存在がどれだけの重さを占めていたのか、彼を知る者ならば語るまでもないだろう。

 果てに辿りついた結末。ついに対峙した兄をこの手で■■たことは、マグサリオンの人生の集大成と言うべきもののはずで。

 

 それすらも、過ぎ去った今となっては等しく不変へと呑んだ轍に過ぎない。

 彼は凶剣。あらゆる法則に反旗を翻して、その外圧を駆逐するのに誰よりも長ける者。

 骨子となる理由を失って、それでも凶戦士は決してその手から剣を手放さない。

 理由は無い。どんな未来へ向かおうとしているのかも不明瞭。だというのに不変と貫く冥府魔道の決意は無限の熱量で燃えている。

 あまりにも異形なその心象は、もはや人間としての定義を用いるほうが不適切だろう。

 マグサリオンという究極の異端者。それはマキナにとっても理解不能な怪物としか映らなかった。

 

「一緒にするな。貴様と俺は違う」

 

 だからこそ、マグサリオンとマキナは違う。

 共に無という概念を体現した者同士、しかしその質には決定的な差異があった。

 

「どうやら貴様にとって“無い”というのは、安らぎに繋がるらしい。

 余計なものが削ぎ落ちて、純粋に還っていく己。そういうものを望ましいと思うから、死という終わりをある種の理想だと捉えていた。

 極点へと向かう疾走。貴様にとっては唯一無二の、不変でなくてはならない死の終焉。だがそいつは奪われた。

 故に、やり直す。零した水が盆に返らんのならば、次こそは掴み損ねることがないように。

 元より死に惹かれていたからこそ、渇望もその域にまで達したのだろう。ああ、確かに似通う部分もある」

 

 冥府魔道を征く凶戦士と、ただ終焉のみを希求する鉄機兵。

 どちらも人としての安らぎを排している。食うも寝るも、女と語らう愛も、我が身には無用だと。

 人間として持てる可能性を捨てて、唯一無二の道の果てを目指している。極点しか眼に入らない無骨者たち。その意味では、彼らは同類だと言えるのだろうが。

 

「だが同じではない。俺が目指す極点とは、そんなところにはないのだ」

 

 植え付けられた呪詛も、忌々しい宿命の数々も、そして愛も。

 どれも捨てはしないさ。余さずこの無慙の中へ呑んでやろう。

 不快極まる森羅万象、あらゆるものを火に焚べる薪にして、この凶剣を鍛造する溶鉱炉と成す。

 取り零さず、あらゆるものを殺すために。半端な理解で間違えることがないように、今度こそ定めた掟を貫こう。

 ああ、望んでやっているわけでは断じてない。だが嫌々ながらやっているつもりも決してない。

 生涯不敗の誓い。それは即ち、走り出した道をやり遂げる決意。恥じも後悔も捨てた先で、彼は確かな“正義”を見ているのだから。

 

 深まる理解に呼応して、真の斬れ味を開帳する禍つ刃。

 終焉の虚無と拮抗していたが故の束縛は、ここに来て一方への傾きを見せだした。

 縛鎖を断ち斬り、停止させられていた無法のエネルギーが脈動を再開する。

 鎧の腕には、未だに剣が握り締められている。貫かれる常在戦場の戒律が、死の淵でも武器を手放すことを許さないから。

 

 振り下ろされる黒い剣閃。

 宿るのは無謬にして無尽の殺意。理解と呼応し、別次元の威力と化したその刃は、もはや如何なる護りも技も通用しない。

 ありとあらゆる道理を捻じ伏せる無理無法の斬撃が、マキナを捉えていた。

 

 

 

 崩れかける鎧の器を、剣を杖代わりにして何とか支える。

 再生は遅々として進まない。不変の無という不壊の身体にも、幕引きがどれだけ重い痛撃だったかを如実に示していた。

 

 いつだってそうだ。

 何時の戦いも死に物狂い。楽だった戦いなんて覚えがない。

 無才の身で無謀を押し通し無法を極めて無双に至った。

 まともな感性なんて始まりから壊れている。その凶念さえ健在なら、彼に停滞はあり得ない。

 

 よって、今だって即座に動き出す。

 万全には程遠く、得策とはいえない選択肢も、マグサリオンには関係ない。

 まだ何も終わっていない。足を止めればその分だけ見落としが増えると思えば、座して待つ時間こそが苦渋である。

 

「貴様の仮面の下――――」

 

 殺す相手を知り尽くして、理解の上で殺す。第二戒律の発展として定めた掟。

 その縛りこそが、マグサリオンの剣を天衣無縫の威力に変える何よりの要因。猛悪な鋭さは、故に代償として強いるものも重くなる。

 理解が深まるほどに捻じ込む隙が大きくなる。不変の強度も盤石となり、如何なる強さにも砕かれない不壊の身体となる。

 反面、理解が及ばない相手には隙が捻じ込めず、不変の無にもあるべきでない急所が浮き出てしまうのだ。

 そして曖昧なままにやり過ごせば、それは破戒へ繋がる。マグサリオンにとっては破滅であり、故に追求すべきがあるなら退くわけにはいかない。

 

 マキナの首から上を覆う鉄仮面。

 それは中身の様子を包み隠し、視認の一切を拒絶した鉄の帳だ。

 窺い知ろうとした時、マグサリオンでさえ戦慄したあの感覚。触れてはならない禁忌だと、根拠もなく確信する予感。

 暴くべきではない。しかし暴かねば破戒となる。ならばたとえ奈落の断崖でも、臆さず踏み出すのがマグサリオンである。

 

「中身は、()()()()()()()()

 

 その瞬間、世界が恐れ慄いたと錯覚した。

 凶剣の斬滅を受けて、マキナの身は既に死に体。何をせずともやがては崩れ落ちる。

 そのはずである。そのはずなのに、その存在圧力が何千倍にも跳ね上がったように思えるのは何なのか。

 まるで、今この時こそが本領だと言わんが如く。凶戦士の無とは真逆の、奈落の底まで呑み込む虚無が、そこにあるような。

 

「貴様は死を奪われた。取り零したものはどうにもならず、故にやり直すことを求めていた。

 そしてどうやら、貴様は死に直せたようだな。本来ならその首の上には何も無いんだろう。

 誰かと戦い、首を断たれた。それこそが貴様の終わり。ここにこうして存在していること自体、貴様にとっては不本意極まるものであるわけか」

 

 マグサリオンに動揺はなく、看破は続く。

 それは余人が聞けば意味不明な言葉。されどマグサリオンは確信を以て断言していく。

 

 三騎士は黄金に連なる原色。

 グラズヘイムと魂を同化させた彼らは、霊的な意味においてラインハルトと等しい存在。

 つまりは舞台の本質と繋がっている。その存在を凶眼に収め、理解に至った今のマグサリオンは舞台の全容までほぼ把握していた。

 

「だが、それはこの舞台と矛盾する。貴様の首は断たれておらず、胴の上には変わらず貌がなければならん。それがこの宇宙にとっての道理なのだろう。

 それが気に食わんと、貴様は言いたいわけか。世界にとっての道理など知らん、我が終焉は不変であると。

 貌を隠したのはそのためか。事実を秘して、有るか無しかを明らかにしないことで、己の真実を穢すまいとした。

 己は傀儡ではないと、つまりはそういう意地だろう。神が何を言ってこようが、(それ)だけは譲らぬと」

 

 あの終焉(せつな)を覚えている。

 確かな記憶ではない。己は神の器ではなく、色に染まれば抗う術を持たない。

 だがそれでも、譲れないものがあったのだ。たとえこの頭から消却され、世界が否だと宣おうが、魂はあの刹那を刻んでいた。

 それだけを求めて、求めて、求め続けた道だったから。他の雑事など目にも入らぬ。不都合ならば砕いてでも押し通す。

 ただ、自分がどう在りたいかを追求した在り方。神威を除けば最上級の純度を誇る求道の渇望、意地の一つも見せねば名が廃るというものだろう。

 極奥に座す神威だろうと知ったことではない。己の首はくれてやったのだから、この胴の上には何も“無い”のだと。

 

 まるでシュレディンガーの猫である。

 観測されるまで、箱の中の状態は確定しない。両方の事象が重ね合わさっている。

 どちらでもあるが、どちらでもない。道理に基づけばマキナの首は“有る”はずだが、彼の信念は“無い”としている。

 確認するまでは、事象は決定されない。黙して従えとは言わせない、それほどまでにマキナの祈りの深度は頭抜けていた。

 

 もしも、彼の矜持を解さずに、無体にその中身を暴こうとしたならば。

 その時こそマキナの渇望は究極にまで高まるだろう。祈りは狂気に振り切れて、彼という世界を塗り替える。

 黒鉄の虎。命なき死世界の大獄へと。あらゆる矛盾を覆して、完全なる虚無へとこの舞台を堕とすかもしれない。

 彼は“七位(ズィーベン)”。十三(ドライツェーン)の天秤を担う者。物語の筋書きを左右する権利を持つのだから。

 

「やるではないか。気に入った。屑には珍しい、なかなか見上げた胆力だ」

 

 マグサリオンを知る者ならばあり得ないと目を剥くだろう、賛辞の言葉。

 裏があってのことではない。彼は純粋に、マキナという在り方の不変を認めていた。

 同じではない。しかし似通う部分が多いのも事実。ならば好ましいと思える所もまた多いということ。

 

「阿呆はよく勘違いをする。力と見れば、やれ強度がどうだと、まるで便利な道具でも扱うが如く」

 

 祈りによって世界を塗り替える。神座の宇宙は怒りで支配されている。

 猛りし渇望(おもい)こそが強さの尺度。狂った者ほど強いのがこの宇宙の道理。

 我が心象は華々しいと、臆面もなく宣える者こそが強者の上座に座ることを許される。

 

「莫迦げた話だ。想いはただの想いであり、振りかざして使うものではなかろうに。

 黒円卓の者たちは、いいや、この宇宙に演者として立つ者は皆、大なり小なりそうした(サガ)を抱いている。

 どれも総じて自愛の類いだ。俺含め、そんな弁えない莫迦者だけが、見なくてもいいものを見る破目になる」

 

 マグサリオンの無と、マキナの虚無。

 共に本領で臨んだならば、さて勝ったのはどちらだったかと、そんな疑問はあげるだけで見当を外れている。

 隠されたマキナの貌は、矜持の証。上か下かを競い合わせるための道具ではないのだから。

 

「お前は危険だ」

 

 死する身体で、マキナは告げる。

 

「その凶剣、使い方を誤れば“波旬”の二の舞となるだろう」

 

 それはこの舞台において、紡がれてはならない神咒(かじり)

 己の身に、より致命的な亀裂が生じたのを感じながら、しかしマキナは言葉を止めない。

 

「だが、少なくともお前という男は、矜持を解する男ではあるらしい」

 

 まさしく死力を振り絞って紡がれたその言葉には、どんな意味が含まれていたのか。

 不本意な事といえど、曲がりなりにも剣と拳を交えて、互いを認め合った男たち。

 その本心は窺い知れないが、通じ合うものが何もなかったと、そう言い切ることは出来ないだろう。

 

「ならばこれ以上、俺が果たすべき役目は無い。

 ハイドリヒのために、ここから更に骨を折ってやる義理も、また無い」

 

 ならばこそ、疾く退場すべしと。

 弁えたようにそう言った、崩壊しかけるマキナという器に、マグサリオンの剣が刺し込まれた。

 

 それはまるで、終わり逝く者へ捧げた手向けのような。

 殺意という名の愛。万人へと向けられたそれは、凄絶であり奇形化しながらも、紛れもなく真実で。

 棄てるのではなく、持てるものを発展させていくと決めた彼だから。そんな不器用な男の振る舞いに、鉄仮面の中の顔が僅かに緩んだように思えて。

 

 ここに英雄と呼ばれた男は舞台を降りて、凶戦士の勝利を以て幕を下ろした。

 

 

 




今回の話を書いてて思ったのですが、改めてマグサリオンというキャラって難しいですね。
本編が終了した今になっても、人物像が人間性と真逆の無道を行き過ぎてて分からなくなります。
書いてる途中でも、本当にこれで合ってるのかなって何度も疑問に思いました。

今回の話、結構キャラクターを掘り下げて書いたつもりですが、違和感が生じたなら指摘してくださると助かります。
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