無慙無愧が巡る怒りの日   作:ヘルシーテツオ

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第十章『美の覇道』

 輝ける光輪の御業、それは十万億土に建ち並ぶ荘厳なる“都”であった。

 

 ヴァレリアの知る中では創造位階に似ている。

 エイヴィヒカイトを操る魔人たちの奥技。己の渇望をルールに変えて現実を侵す業。

 覇道型の創造とは、位相の異なる結界の構築。自分が理想とする世界の姿を世界に上書きするものだ。

 クワルナフが築き上げたものも、分類するならそれに近いと言えるだろう。病院という本来の光景は何処にも無く、この美しき都こそヴァレリアとクワルナフの決戦の場。

 

 とはいえ、同じ次元で語ってよい代物ではないことも、ヴァレリアは承知していた。

 彼が知る同胞たちの業など、これと比べたら児戯に等しい。まさしく神の御業と評するべき奇跡の具現。

 

 まず光があり、そこから大地が沸き立ち、天には蒼穹の空が広がる。

 輝ける貌に導かれ、さながら聖書に記される創世の七日間。一から全まで創造された環境は、果たして何処まで拡がっているのかヴァレリアの知覚では測り切れない。

 そうして創られた環境の上に、無数の建造物が調和をもって築かれていくのだ。家があり塔がある。神殿があり城がある。大小様々なモニュメントは都市の景観を彩ってその美しさを向上させている。

 創られる一つ一つが黄金比率を構成し、さらに互いの美観が連立することにより、都市そのものを一個の芸術作品として完成させていた。

 

満たし万象を救い給え(ローカパーラ・ヴィシュヴァカルマン)我が不変なる美よ(・ヴァーストゥ)

 

 ここはまさしく無窮の百塔(ローカパーラ)

 人々が夢見た理想郷。安寧と幸福が約束された永劫楽土。

 悪意は要らない。人が負と見る要素など無用である。奪わず、貶めず、威を誇るために他者を傷つける必要もない。

 ましてや殺意など、ここでは最も縁遠いものだった。闘争の概念に類するもの、その悉くが意味を喪失して霧散していく。

 

「おぉ……!」

 

 人の世では到底あり得ない光景に、ヴァレリアは心から感嘆していた。

 なんという神聖。穢れなき光の天地。かつて求めた美しいもの、安らぎはここにあると。

 

「素晴らしい。本心からそう思います。こんなにも美しいものは目にしたことがない。

 いいえ、人の世で実現できるわけがない。まさしく人の業を超える天上楽土に相違なし」

 

 この“醜さ”を排除した世界は、彼にとってまさしく安息の地。

 ヴァレリアン・トリファであった頃の彼であったなら、是が非でも求めずにはいられなかったに違いない。

 救世主の膝元に縋りつき、犬畜生のようにみっともなく、どうか私に救いをと。

 

「だが無用だ。もはや私にこれは必要ない。

 救いなどいらぬ。安らぎなどいらぬ。私は永劫に償い続ける罪人なれば」

 

 言いながらヴァレリアは、近くにあった像の一つを掴み、そのまま無造作に握り砕いた。

 

 調和と美の世界にあって、それはあり得ないはずの破壊。

 天と地が逆さに返ることがないように、あるべきでない事象を放置すれば世界が狂うのだ。

 よって自浄作用が働く。壊されたはずの像は元に戻り、破壊の痕跡は何処にも無い。魔人の眼にも認識すらさせなかったその超常にヴァレリアは瞠目しかけるが。

 

「なるほど。これがあなたの世界のルールというわけですか。

 お互いに荒事は向かない性質(タチ)であるようですが、これもまた闘争の一種であるわけですね」

 

 創造位階以上同士による戦いとは、ルールとルールの鬩ぎ合い。

 己が絶対と信じる想いの心象をぶつけ合わせて、より強い想いが凌駕する。強弱が勝敗を分かつ相関は、本来の闘争と何ら変わりはない。

 クワルナフとヴァレリアの特性は、エイヴィヒカイトの法則に照らすなら覇道と求道。己の色で他者を染めるか。何者にも染まらない己であるのか。

 質こそ違えど、互いに相容れない法則には違いなく、接触すれば反発は不可避。現状はクワルナフの世界に混ざり込んだヴァレリアという異物の図式。

 

 どちらが優位とは、一概には言い切れまい。

 ヴァレリアはクワルナフの美に染まらず、破壊を否定する世界であり得ない破壊を実行してみせた。

 それはこの世界にとっての明確な害悪。痛撃となる一因であったのは確かだが、言い換えるならその程度。

 僅かなさざ波が生じた程度の話。総体として見た世界は依然揺るがず、爪痕の一つさえ残せてはいない。

 

「あぁ辛いですねぇ嘆かわしいですねぇ。こんなにも美しいものが無為に壊されていく。これが悲劇でなくて何だと言うのか。

 心が痛みます。本当に、ええ、嘆かわしいと思えてならない。私こそが邪悪であるのに疑いの余地はありません」

 

 歩みを進める道中で、そこにあるものを壊していく。

 そして破壊を行いながら、ヴァレリアは哭いていた。

 

 この世界は美しい。

 ここにある総て、どれも人が心を震わす芸術ばかり。

 破壊とは否定である。至宝だと認める価値を貶めて、心が悲鳴を上げないはずがない。

 冗談でもなく、人は美しさのためなら命だって投げ出す。尊いと信じるもののためなら身を挺してでも護ろうとするのが人だから。

 たとえ悪鬼羅刹と罵られる外道であれ、美しさを醜さと取り違えたりはしない。それは善悪の問題ではなく、感受性の方が狂っている。

 如何に魔人と称される黒円卓といえど、根本的には人間だ。その感受性まで人を外れ切っているわけではない。

 ならば当然、クワルナフの美は彼らに対しても覿面の効果を発揮するだろう。美を引き裂くことに心が張り裂ける痛みを覚え、嫌悪と絶望で憤死してもおかしくなかった。

 

「しかし、しかしそれでも、私は退かぬ!

 この苦渋の咎を受け入れて、我が聖道の轍としよう。

 安息とは愛し子らのためにあるもの。私にあってよいものではない。そんなたわけた願いなど持ち合わせてはいないのだ。

 私に必要なのはこの器、この聖餐杯さえあればいい。これさえあれば、私は総てを救えるのだから!」

 

 しかしヴァレリアは笑っていた。

 壊して、嘆き、そして笑う。泣き笑いながら浮かべるのは、取り繕いようもない愉悦の念。

 見れば誰の目にも明らかだろう。辛い悲しいと宣巻くこの神父は、破壊を愉しんでいる。

 聖餐杯という器の渇望に毒されている証左。そんな自らの有り様に、他ならない神父だけが気付いていない。

 別人となることを渇望した男。自分に絶望した男が、己自身を見ようとしないのは至極当然と言えることだった。

 

「さて、威勢よく宣してみせたはいいですが、これはどうしたものでしょうねえ。

 少々壊してみせたところで、痛手となっている様子もなし。時を稼いだところで崩れるとも限りません。ハイドリヒ卿のように何十年でも持続可能ということもあり得る。

 安直かもしれませんが、やはり狙うとするなら本体の方ですかね?」

 

 覇道の業は、求道と比べて強度と持続の面で劣る。

 その性質上、個としての密度で求道型に分があるのは必然。しかしその分、支配領域内での万能性は覇道型が圧倒する。

 例えば、代表的な覇道としてヴィルヘルムの夜があげられる。己の支配領域と化した夜の闇では、ヴィルヘルムは如何様にでも我が身を隠蔽できる。

 床や壁、あるいは見えない空間に潜んで気配を殺す。暗夜に浮かんだ朱い月とて、彼の覇道(セカイ)の一部なのだ。

 覇道の創造とは、言わば術者の腹の中である。もしも本気で隠れ潜まれたなら打つ手はない。それこそ腹ごと引き裂いてやった方が現実的である。

 

 ヴィルヘルムなら必要もないのに隠れるような真似はすまい。夜の不死鳥となった彼は真性の修羅。

 されどクワルナフはどうか?闘争を拒む彼のこと、戦いを避けて矢面に立たないのはむしろ自然だと言えはすまいか。

 この広大すぎる世界で、何処にどうやって隠れているかも分からない本体を探す。言ってはみたものの、それは不可能と断言しても差し支えない難易度ではないか。

 

「それには及ばない」

 

 どうしたものかとヴァレリアが悩んでいると、世界全土に一定の音響で鳴り渡る美声が届く。

 

「私に隠れる意図はない。私自身と相対する意志があるならば、そちらから出向いてくるがいい」

 

 声は聞こえているが、相変わらず姿は見えない。

 しかし当人が言ったように、ヴァレリアは既にクワルナフの存在を掴んでいた。神々しすぎる聖気、隠さなければ常人であっても感じ取れるだろう存在感。

 そこに向かえばいい。真っ直ぐと向かった先にクワルナフは居る。騙し討ちの可能性もなくはないが、そんな卑屈な手を打ってくる相手だとは信じられない。

 

「これはこれは、意外と言うべきでしょうか。まさかそちらから出てきてくださるとは。

 よければ理由を伺いたいですな。あえて有利を捨ててまで、己の身を晒す意図とは何なのかと」

 

「愚問だな。これより導きを授けようというのに、その姿を見せずして何とする」

 

「なるほど、確かに。

 ですがそれなら、直接姿を見せてもよかったのではありませんか?

 なにも勿体ぶらずとも、まさか私に嫌がらせをしているわけでもありますまいに」

 

 気配に向かって進みながら、その場にいない相手と言葉を交わすヴァレリア。

 もはやその程度のことは、互いにとって気に留めるにも値しない。空間の隔たり程度、容易く無視して相手に告げる。

 

「些か準備に手こずった。百塔と同じようにとは流石にいかん。

 なにせ、私にとっても()()()()()()なのでな。慣れぬ作業は流石に手間取る」

 

 それは理路整然を常とするクワルナフにしては、いまいち不明瞭な言葉。

 その言葉が何を指したものか、含みを持たせた返答にヴァレリアも訝しむ。

 

「既に告げたはず。もはや言葉をもってお前の陥穽を暴くことはしないと。

 理ではお前の狂信には届かない。これよりお前にもたらすのは理屈にあらず」

 

 クワルナフとは、不変なる美を宿した救いの光。彼が民草にもたらすべきは救済以外にあり得ない。

 長い長い迷道を抜けて、本来のあるべき自分に立ち返った彼。ならばもう、自らの在り方を間違えることはしない。

 

 ヴァレリア・トリファもまた、彼にとっては救うべき民の一人なのだから。

 

「壊れてしまったお前の在り様にも、想いの絶対値では見るべきものがあると認めよう。

 歪ながらも貫き通した今日(これ)までに敬意を表し、私もまた本腰をもって臨もう」

 

 深く刻まれた罪の意識。暗く濁った汚泥のような慚愧に囚われて、正しい道の見据え方を忘れてしまった憐れな男。

 そうして被ったものが別人の顔。愛憎入り混ざった妄執の果て、ここにある壊人の姿こそ答えである。

 救ってやらねばならない。かつては破滅だけをもたらした木偶の如き男が、今度こそ人々に光をもたらすのだ。

 

(あがな)うがいい。これがお前の断罪だ」

 

 ヴァレリアの歩みが止まった。

 辿り着いた気配の終着。そこには過たずクワルナフの姿がある。

 

 そしてヴァレリアは、己へと向けて示された“救済(ヒカリ)”を目の当たりにしていた。

 

 

 

 ヴァレリアン・トリファという男には、常人とは異なる特異な力があった。

 無機物はラジオのように、他人は人生という物語を書き記した本のように。

 言わば霊感。あらゆるものから五感以上の情報を獲得する感応能力。それも当人にさえ制御困難なほどに強力で無差別な。

 彼は超能力者であり、世が世なら異端の悪魔として火炙りか、奇跡の体現として教祖に祀り上げられていたか。

 時代は神秘の黄昏時。幻想が科学へと置き換わる黎明期であったから、男は市井の一員として生きることが許されていた。

 

 ただ、それは男にとって本当に幸運であったのか。

 雑多な民衆の中で生きること。それはまるで情報の洪水。

 善いも悪いも区別なく、拾い上げてしまうのが男の異能。望む望まざるとに関わらず、知らされる諸々は男を追い詰めていく。

 男自身は超人でも何でもない。凡庸な俗人であり、己の異能を完全に持て余して痛風のようにその心を苛まれた。

 

 神父の道を選んだのも、ただ安らぎを求めたため。

 聖職(そこ)になら美しいものがあると期待して。その期待は裏切られる。

 所詮は宗教(そこ)も人の営みの一部。その醜悪さの総てを拭い去れるわけもなし。

 絶対的なものが必要だった。この世の何事にも揺るがない不変。人の雑念など超越した在り方。人ならざる力に苦しむ男が欲したのは、皮肉にも人を超える何かだった。

 

 そして男はめぐり逢う。人を超越した真なる破格、凡夫如きでは感じ取ることも出来ない黄金を。

 それは歓喜であり、同時に恐怖でもあった。自分が求めていたものが、何かとてつもなくおぞましいものなのではと。

 それでも餓えた望みを捨てられない。破格たる獣に触れて、彼の色に魂が染められていくのが分かる。

 自分がではない。周りにいた誰もが、明らかに狂っていた。昔と同じ人物だとはとても言えない。本物の魔人へと変貌していく。

 そしていずれは、自分も。その怖れは、秘かに希望を抱いていたベアトリス・キルヒアイゼン中尉までが、力の渇望に堕ちた時に決定的となる。

 

 そしてヴァレリアン・トリファは逃げ出した。

 率直に愚行でしかない。最初の行方をくらますまでは上手くいったが、そこから先が杜撰の一言。

 実際、自棄に等しい行為だったのだろう。彼自身、成功するとは信じてもいなかったはずだ。

 

 このままではいられない。

 どうすればいいのか分からないが、とにかくここから逃げなくてはと。

 当時の思いを言葉にすれば、そんなところ。仮に失敗しても、少なくとも人間のままで終わることは出来る。

 つまりは逃避。恐怖に負けて、立ち向かうことから逃げた末路。その選択を、彼は永遠に後悔し続けることになる。

 

 しばらくの間、彼にとって穏やかな時間が過ぎた。

 追手の姿もなく、叶わないと思っていた自由が図らずも手に入った。

 まさか騙し果せたとは、あの超越者たちを知る凡夫にはとても信じられない。かといって確かめる勇気も持てず、不安を抱えながらも時間は過ぎていく。

 孤児院を建て、子供たちに尽くして、それは彼の人生の中でも最も充実した平穏。もしや本当に騙せて、このまま穏やかな余生を生きていけるのではと、淡い期待を抱いてしまったのもやむを得ないだろう。

 

 そして愚行の代償を支払う時がやってくる。

 日常の中に、突如としてやって来た黄金の獣と、三人の大隊長。

 一目で心は絶望に支配された。淡い期待は粉々に砕け散った。

 せめて子供たちだけはと、そう言えたのは彼の精一杯の人間性だったが。しかしそんな彼に黄金が告げたのは、この世で最も残酷な言葉。

 

「十人。選び、指差せ」

 

 黄金が求めたのは、彼の命ではなかった。

 代価として求めたのは、彼が愛した子供たち。その内の十の花。

 等しく愛した子供たちの中から、生かす者と殺す者を。誓って子らを区別したことはなく、しかし選び出す理由ならば確かにあって。

 

 きっとこの時ほど神の救いを求めた時は無い。

 都合の良い奇跡でも何でもいい。不思議な何事かが起きて、どうか子供たちを救ってくれと。

 狂えるほどに天に向かって懇願し、十人目を指し終えるまで何も起きない現実に、慟哭しながら理解した。

 この世に神はいない。救いの手を差し伸べる主などおらず、己の手で掬い取らなければ叶う望みなど何も無いと。

 罪悪感の楔と共に、彼の道はそこで決した。黄金の玉体を授かる聖餐杯、黒円卓の指揮を預かった首領代行として。

 

 ここまでが、ヴァレリアン・トリファという男にとっての真実。

 ならば別の視点からの真実では?例えばそう、もう一方の当事者である、生贄とされた十人の子供たちにとっての真実とは。

 

 彼らは不幸に慣れた子供だった。

 人種、国籍、肌の色や政治背景。そんなどうしようもない理由で迫害を受けてきた子たち。

 時代が悪かったとしか言えない。そんな時に最も被害を被るのは、いつだって立場の弱い者たち。

 国家という大局視点は彼らの犠牲を容認する。それで世界に復讐しようなんて考えるのは、極一部の例外にしか持ちえないエネルギーだ。

 大抵は、どうにもならない現実に、ただただ膝を折って諦める。彼らは当たり前の子供だったから、未来に希望なんて持っていなかった。

 

 そんな中で、手を差し伸べられたのだ。

 誰からも見限られる中で、あなたたちは何も変わらないと、奇跡のような救いの手を。

 自罰的な男は、その行為を自らのためだと言うだろう。しかし男のような異能を持たない子供たちには、そんな心の裏側を知る術はない。

 子供たちにとってその男は、世界に光をくれた真実の救いだった。男が彼らを愛するのと同じように、子供たちも男を心から愛していたのだ。

 

 あえて多くを語ることはすまい。

 彼らは犠牲に選ばれた。裏切られたというのも一つの事実。

 希望を与えた上でそれを奪うのは、あるいは何も与えないよりも残酷かもしれない。

 故に、事実のみを記そう。彼らは男のことを許していた。自分たちのために苦しみ続ける姿に、憐れみと共に救われることを願っていた。

 

 その事実を、ヴァレリア・トリファは知らない。

 知らないからこそ、彼は贖罪の道を進む。己は許されざる罪人と信じるが故に。

 それこそ陥穽。自らの救いを求めない男が、救うべき相手から救われることを求められている。

 今のままでは、己の罪を転嫁して“最強(べつじん)”になりたいという渇望に浸るだけの邪道に過ぎない。それに気づき、真に為すべきを見出さなければ、彼はいつまでも迷い続ける。

 

 ここにいるヴァレリア・トリファに、その機会は訪れなかったから。

 このままでは何も変わらず、変化をもたらすためにはあり得なかった介入が必要である。

 

 人をより美しきへと導く救世主は、男の救いに必要なものを既に承知していた。

 

 

 

 

「お、おお、おおおおぉぉぉぉぉぉ……!」

 

 その時、ヴァレリアの中にある思考も、狂信もその意味を失った。

 

 なんだこれはなんだこれはなんだこれは!?

 分からないいいや分かる。知っては駄目だ否刻みつけろ。

 これぞ我が罪の証。贖うべき罰の在り処。選択するべき真なる聖道なのだと。

 

 魂が震える。

 頭の中は漂白し、まともな働きをしてくれない。

 恐怖ではない。ヴァレリアを動けなくさせた、その感情の名は“感動”。

 感動のあまり動けない。表現としてはありきたり、されど実際に受けた者にとってはこれ以上の衝撃もありはしない。

 

 あえて形容詞で表すなら、それは“彫像”なのだろう。

 材質や、用いられた技術などは不明。きっと人で測れるものではないのだろう。実際のところ、そんな話はどうでもいい。

 極論、美というものに技術や理論なんて不要なのだ。ただ、人がそれを美しいと感じること。それ自体が万の論理を凌駕する美の真理。

 

 磔刑に架けられた、痩せた男。

 その男に寄り添い、労わるように身を支える、天使を模した童の像。

 その彫像がいったい何を、誰をモチーフとしているのか。

 神威の美しさは、あらゆる詭弁を許さない。心に打ち付けられた感動が、もはや否応なしに真実を悟らせていた。

 

 当たり前の話であろう。

 人が、何を最も美しいと思うのか。その美観とは人の数だけ存在する。

 誰もが数値にして、まったくの同値の感動を訴えるはずもなし。同じ美術品を取っても、その印象は千差万別。

 大衆から支持される名作があっても、それの何処か美しいか分からないという少数もいる。万人向けのテーマであろうが、理解できない少数もいるだろう。

 美とは、理論による証明が難しい概念だ。時代や人種によって定義は変わり、また状況一つにも左右される。何も知らない童の拙い作品が、至高の芸術より胸を打つこともあるように。

 美に方程式は無い。肝要なのは作品と、それを観る者との関連性。作品に込められたテーマと、その者の人生とが噛み合った時にこそ、相乗効果的に美の感動は激変する。

 

 クワルナフの世界に築かれた無窮の百塔(ローカパーラ)

 それらは確かに美しい。人の俗世では実現不可能な美の結晶であるのは間違いない。

 しかし、ヴァレリアにとってはこれといった関連性もない代物だ。美しいことは美しくとも、それだけでは彼の混沌の心には届かない。

 

 この“作品”はクワルナフ御自らの手によって、他の誰でもないヴァレリア・トリファのために創られたもの。

 その慚愧を拭い、迷道の闇の中の心に光を射す。想いを汲み取った神の力作が、壊れないはずの聖餐杯の器に途方もない衝撃をもたらす。

 

『泣かないで』

 

 言うまでもないことだが、ヴァレリアが救わんとする愛児たちがこの場に甦ったわけではない。

 ここにあるのはただの芸術(もの)。どれだけ素晴らしくとも、それで現実は変わらない。

 感動はした。ああだから?それが何になると返答するのが真っ当な反応だろう。少なくとも、何かを諦める理由にはならない。

 

 されど、これもまた言うまでもないが、クワルナフが創造した美とは人の領域など超越した神域の美。 

 真っ当な常識など、彼の作品に通用するはずもない。至高さえも凌駕した究極の美が与えるインスピレーションは、もはや現実以上のものをもたらしている。

 

 かつて滅びをもたらす絶滅星団として銀河中を席捲し、理論と計算によってあらゆる物事の観察と検証を行っていたクワルナフ。

 それは彼が、本来あるべき美への理解の一切を消失していたからだ。転墜によって、美の化身であるはずのクワルナフは、本来とは真逆の姿となって進み始めた。

 数字的な無情の解釈など、美の理解からは最も遠い。人の善悪に喜怒哀楽、それらの情感の総てを無視して、明確な根拠だけを信奉する姿勢は人の内面を考慮しないのと同じ。

 それが真逆であった破滅工房(クワルナフ)の姿。ならば本来の己に立ち還った美の覇道(クワルナフ)は、真逆の逆である正道の理解を以て人の内面を洞察する。

 

「お前の在り様、その邪なる聖道には、深い慚愧に根差した狂信の色があった。

 深く後悔したことがあり、故にお前は自身の自由を許していない。されどその行いの総てが邪道であったわけもなし。

 そうであるが故の後悔だ。お前の善行に救われた者らもいただろう。救われた者にとっては、お前はまぎれもない光であるはずだ。

 お前の生き様、そこに垣間見える生涯の辛苦。それらを総括し、我が美観をもって断言しよう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それはマグサリオンの凶眼とも異なる理解力。

 その者が持つ人間性、物事の美醜、それらを合わせて観察し結論を出す審美眼。

 人生を物語と例えるなら、クワルナフは最初の一行から後の文章まで導き出すことが可能なのだ。理屈や計算ではなく、心がそうと感じる情動によって真実へと至る。

 言わば芸術家としての眼力であり、理屈を以て答えを見出すマグサリオンとは真逆。しかし行き着くところは同じである。

 殺すためではなく救うために、クワルナフは“理解”する。

 

「わ、私は……私、は……ッ!」

 

 ヴァレリアが揺れる。聖餐杯としての自己がブレ始める。

 我もまた黄金なりという狂信。それなくして玉体を預かる資格はない。

 名分は既に砕かれた。誰よりも贖うべき相手が贖罪(それ)を望まないのであれば、そこに道理などありはしない。

 所詮、他人に理由を転嫁していた男。ならばその理由も、他人次第で剥ぎ取られるのは当然としか言えず。

 己は独り。いるのは敵と、敵の敵。孤高の冥府魔道を進み抜いた凶戦士には及ぶべくもなかった。

 

 これは何だ?どうすればいい?

 生じたものは憤怒であり、そして安らぎでもあった。

 叶えるべしと信じてきた願いを否定された憤り。自分は愛児たちに許されていたのだという安堵。

 これまでの自分が間違えていたのは分かった。だが、だからといってどうすればいいのだ。

 自分はラインハルト・ハイドリヒがいなければ何も出来ない。それは明白な事実であり、今さらどうしたところで覆りようがない。

 黄金に立ち向かうという選択も、この舞台では意味があるとは思えない。過ぎた世界の再現に過ぎないという、この舞台では。

 もはや何を悟ったところで手遅れであり、ならばこんな答えに何の意味があるというのか。

 

「この宇宙は怒りによって支配されている」

 

 激しく懊悩するヴァレリアへと、クワルナフが導くように声をかける。

 

「世界の在り方について怒り、それを認めないと渇望して、既存の法を覆して新たな法で世界を染める。そして新たに敷かれた法に、同じように誰かが憤激を抱く。宇宙はそれの繰り返しだ。

 つまりは狂人の道理なのだ。民草の意向など黙殺されて、正しさよりも強く強く、狂えるほどに強く願った想いこそが真理を為す。

 だが狂人であるが故に、我らは自らの歩みを止められない。どれだけ憤ろうが、宇宙は善悪二元の如くに流転の歴史を繰り返す」

 

 ああそれは、ヴァレリアにとってもよく聞かされてきた言葉。

 正気にては大業ならず。身の丈に合わぬ望みへと手を伸ばすなら、狂気を以てこそ道は開かれる。

 尊い理想なんて綺麗事に価値はなく、人間らしさに拘っても掴める願いなどありはしない。

 そう思い知らされたし、今も異論を唱えようとは思わない。しかしそれでも、そんな綺麗事こそが大切なのではと、淡く信じていた頃もあったのは確かであり。

 

「具体的な力でなければならないか?物理的な質量があり、密度があり、熱量をもって誰かを害せなければ想いとはただの虚構か?

 無理からぬことではあるだろう。差し迫った危機にあって、人々が欲するのは具体的な力だ。それに縋るまいとする姿勢は尊くとも、あえなく滅ぼされれば単なる自己満足と同義だろう。

 ああ、私もそれは承知している。異論など形にすることも出来ないが、()()()()()()()

 

 クワルナフもまた、強大な力を有した神格の一柱。

 つまり彼が言うところの狂人の側。無力な人々を蹂躙する超越者であり、そんな彼から語られる言葉ではただの絵空事にしかならないだろうが。

 

「絵空事であり綺麗事。取るに足らぬ矮小な意地でしかない、そんな人間としての当たり前こそが、これからの宇宙には必要なのではと思えてならない。

 前へ前へと、進む足しか持たぬ狂気の宇宙に、何処かで終止符を打つために。それを為せるのは神ではない」

 

 座の支配より脱却し、如何なる法にも囚われない“人”として立つこと。

 今はまだ、ずっとずっと先の話なのだろうけど。いずれ必要となる時が必ずや訪れると。

 

「お前の気付きも無駄にはならない。所詮、再現であり偽物であると、徒労に終わるだけでは決してないと断じよう。

 怒りがこれほどの力を持つのは、始まりの者が抱いた憤りの深さであると見ている。想いの価値を無為に堕とすのを容認せず、激しく憤慨したことが最初の開闢だと。

 それは即ち、人の想いこそを真と見ていることの証左である。そんな者が始まりとなった世界で、示した想いを無にする真似はすまい」

 

 すべては人の心が織り成す綾模様。それを美しいと私は思った。

 かつてそう言った女がいる。座という宇宙に終わらない闘争という悲劇を強いた女がいる。

 ひどい女である。最悪とさえ言っていい。支持する者なんて、きっと一人だっていないだろう。

 

 だが、人が持つ想いの価値を、彼女が誰より尊んでいたことは間違いない。

 善にも悪にも肩入れしない。どちらも等しく人の想いと認めればこその二元論。

 善が弱く、悪が強いのにも他意はない。ただ単に、善悪とはそういうものだという話。

 踏み躙られる想いはあれど、それを軽んじたことは一度もない。それもまた美しき綾模様(しきさい)だと、褒め称える気持ちに嘘はなかっただろう。

 甚だ悪趣味で、当事者からすれば堪ったものではない。度し難い邪神としか言えないが、想いを無駄にはしないという一点では信用できる。

 

「この手を取るがいい。そして己を許すのだ。

 苦悩は理解する。今さら己だけで道を違えられないのも考慮しよう。

 ならばこそ、私の覇道に染まるがいい。それを以て、此度の迷走を終わりとしろ」

 

「私、は……」

 

 それはあまりにも優しい救いの手。

 その手を取れば“美しく”なれる。矛盾は取り払われて、健やかな気持ちで歩き出せることだろう。

 だがそれは、ヴァレリア・トリファという個の否定とも捉えられる。どれだけ度し難い邪道でも、歩いてきた道筋こそ人が人足る骨子。

 そんな過去を無視して変質させられるのなら、もはや別人にも等しいだろう。クワルナフ自身が言ったように、それでいいのかと疑問符が残る。

 

 けれど決して悪いものではない。

 人は簡単には変われないから。気付きと共に全てを改められるのなら、人に苦悩などありはしない。

 過ちを認めても、素直にそれを受け入れられないからこその人のやるせなさ。いっそそんなものごと洗い流してしまえればと思うのは何も不思議ではないだろう。

 強い選択ではない。だがそれを罪だというなら、いったい弱者の居場所とは何処にある?

 そもそも強い選択とは正しい者が行うべきこと。間違いを重ねてきた敗者にその資格はない。

 

 全てを諦めるように、差し出された救いの手をヴァレリアは取ろうとして――――

 

 

『――――然り。卿が抱く宿業、果てに爛熟させし渇望とその矛盾。聖餐杯の何たるかを示すがいい』

 

 

 その身に刻んだ聖痕より、黄金の言霊を聞いたのだ。

 

「――ッ!?」

 

『邪なる聖者。カールが言い渡した言葉だったな。

 愛する者に破滅を呼び込む。救いたいと願う者ほどその手で壊す。

 望むところは真逆だろうが、そもそも卿と私はよく似た業を抱いている。

 故に、私への変身を可能とした。首領代行クリストフ・ローエングリーン。卿が聖餐杯たる由縁』

 

 美に染まろうとしていた心が、その恐怖を思い出す。

 魂魄が震える。抗えない畏怖と昂揚。おぞましくも惹かれてやまない輝きに背を向けることが出来ない。

 彼に触れると、魂の根幹にある渇望を呼び覚まされる。それは真っ当な条理から外れることであり、解放だとも言えた。

 誰しも、実現し得ないものと諦めた想いがある。誇大妄想に浸る時分を過ぎて、器に見合った己を見定めていく内に心の奥へと仕舞い込む夢や欲。

 それらを引き摺り出されて、常識の殻を纏っていた自分を壊されるのだ。獣の覇道に染まった者もまた獣となり、喝采をあげるように己の想い(ルール)を吼えるのだ。

 

『私を崇拝し、そして同時に蔑視する。逆徒であり、そして忠臣でもある。救済と破壊。相反する属性を内包しながら進む道。

 あるいは卿の巡礼が、私に新たな未知を見せるやもと期待もしたが、今となってはそれも無用。

 誓いを果たせよ、神父。魂か、肉体か、卿にとっての主体とはいったいどちらだったのか、その不明に答えを示せ』

 

 ああ、分かっていたことだった。

 この宇宙は残酷で、甘えた戯れ言など通用しない。

 カール・クラフトの呪いは今も生きているのだから。逃避の果てに楽になるなど、そんな話は通らない。

 

 我は聖餐杯。黒円卓の首領代行たる“神を運ぶ者(クリストフ・ローエングリーン)”。過日の誓いを胸に、為すべき役目を果たすのみ。

 

「これは……!」

 

 ヴァレリアの内部にて生じている異変に、クワルナフも気づいた。

 彼の覇道。その光がもたらす慰撫と浄化。それらと真っ向から相反する霊性が器を支配していくのを。

 慰撫ではなく破壊。浄化ではなく侵食。民草を壊し、その魂を呑み込んで、無限に拡がり続ける覇軍の気炎。

 強く、激しく、そして美しい。灼熱の威光に焼かれるのは祝福であり、そこに醜い悪意は存在していなかった。

 それもまた不変なる“美”だと言える。極限的に美しいからこそ、その威光は総てを征服する。怒りも嘆きも超越し、狂喜の果てに万象を率いる修羅の覇道。

 

 自らと同質で、そして正逆。決して相容れない黄金色、己を砕かんとする破壊の光を、クワルナフは目の当たりにした。

 

 

 

 

 仮の話をしよう。

 もしもクワルナフが、その覇道に何の瑕疵もなかった時、彼の理を攻略する者とはいったいどのような者だろう。

 

 言うまでもなく、容易なことではない。

 破戒によって不全を抱えた状態でも、あのマグサリオンを取り込みかけるほどだ。

 生粋の殺人鬼といえど、不変なる美に抗う術はない。およそ人間では染まらないのは不可能だといっていい。 

 美とは尊く、そして心地良いものだから。基本的に拒む理由がなく、ことの影響力の一点でクワルナフの覇道は他の神格を圧倒している。

 

 たとえば、神威を極めて歴代最高位の武を誇る夜刀神であっても、正面から破ることは困難だろう。

 戦闘力の問題ではない。大切な者との日常という刹那を愛した彼は、根本的に攻撃には向いていない。

 本来の彼は防衛向きの神格。クワルナフの示す美を強く否定する理由がなく、よって彼では崩せない。

 誰だって美しいものを壊したくはないのだから。終わらせまいと願って時よ止まれと渇望した刹那に、クワルナフの世界は否定できない。

 

 そして他の神格にも、大なり小なり同じ理屈が当て嵌められる。

 言った通り、美しさとは誰にとっても不変なもの。それを否定したくない感情は誰にだってあるものだ。

 人としての真っ当な善性を持てばこそ、美の覇道は対処不可能。神子の祈りは穢れなき善性に満たされている。

 唯我の渇望。滅尽滅相の理。邪神が慈母の天地を踏み躙ったように、善なる祈りを穢すのなら極限の邪悪性が求められる。

 

 だからもし、その価値を貶めることなく、彼の覇道を砕ける者がいるとするならば。

 愛と破壊が矛盾しない者、本来の意味である否定が反転し、破綻なく両者を結びつけることを可能とする者。

 美しさを寿ぎながら、それを壊したいと思う外れた美観。破壊の慕情を謳う者であれば至上の美を砕くことも躊躇うまい。

 

 ラインハルト・ハイドリヒ。

 彼こそが救世の美を破壊できる唯一無二の存在。

 まがりなりにも人間の域にあったはずのヴァレリアが、ここまでクワルナフの美に染まらなかった理由もそこにある。

 彼もまた不変であり、対極の美なのだから。そして己に伍する美しさに対し、獣の美学が取るべき行いも決まっていた。

 

 

 

 

Mein lieber Schwan,(親愛なる白鳥よ)

 dies Horn, dies Schwert, den Ring sollst du ihm geben.(この角笛とこの剣と指輪を彼に与えたまえ)

 

 詠唱が紡がれる。

 それは絶対への祈り。卑小な男が信ずる完全無欠の証明。

 

Dies Horn soll in Gefahr ihm Hilfe schenken,(この角笛は危険に際して救いをもたらし)

 in wildem Kampf dies Schwert(この剣は恐怖の修羅場で) ihm Sieg verleiht(勝利を与える物なれど)

 doch bei dem Ringe(この指輪はかつておまえを) soll er mein gedenken,(恥辱と苦しみから救い出した)

 

 自己変成・黄金化。

 究極の器への変身願望。その果てに発現したのは黄金の神威の行使。

 限定的ながらも、それは間違いなくこの宇宙における究極の一つ。奔る神槍の一撃は万象を破壊し、地獄(グラズヘイム)への祝福をもたらす。

 

der einst auch dich aus(この私のことをゴットフリート) Schmach und Not befreit!(が偲ぶよすがとなればいい)

 

 礼賛せよ。涙を流して讃えるがいい。

 この怒りの日(ディエス・イレ)を。世界が終わる瞬間を。

 私は総てを愛しているから。老若男女、美しきも醜きも、等しく抱きしめ破壊する。

 

「待て、違う。私は――!」

 

 そしてそんな器に囚われた貧者の魂は、黄金の狂愛を認めることが出来なかった。

 

 こんなことは望んでいない。

 尊いものを壊したくない。零したくないからこそ力を求めた。

 彼は凡人だ。故に、当たり前の価値にこそ重きをおく。闘争も破壊も求めておらず、ただただ愛する者との平穏が欲しい。

 ならばどうして頷けよう。総てを壊し、死の果てに地獄へ繋ぎ、それをもって救いと宣う思想になど。

 人間的な善悪など超越した当人にとっての絶対的な王道。人を超えた道であればこそ、人の身で完遂するのは絶対に不可能。

 人は誰だって他者との繋がりを求めているものだから。自分一人の我を押し通すのではなく、共存のための機能が自然と身についているはずなのだ。

 

 この世界における神とは、狂人の代名詞。

 覇道も求道も、他者との共存ができずに我を押し通すばかりの者たち。

 人間としては致命的すぎる欠陥である。そんな己の思想への陶酔者が、究極の域にまで至った者が神なのだ。

 クワルナフのように、人々にとって受け入れ易い形をしていても、その本質は変わらない。結局は常人には理解不能で、天を満たした思想に染められるしかないのだ。

 

Briah(創造)――」

 

 故に、儚い者の抵抗で起きる奇跡など、この宇宙にはあり得ない。

 魂からの叫びは無視されて、器は黄金の輝きを放ち出す。“城”へと通じる異界の門を開き、破壊の神威が召喚される。

 その双眸は元の色からかけ離れた黄金に染まっている。解けた長髪は逆立ち、獅子の(タテガミ)の如くに靡かせている。

 もはやその姿、その覇気は、ヴァレリア・トリファのものではあり得ない。乖離した玉体を制御するなど、凡夫の身では到底叶わず。

 

Vanaheimr(神世界へ)――Goldene Schwan Lohengrin(翔けよ黄金化する白鳥の騎士)

 

 ラインハルトが所持する運命の神槍。絢爛なる黄金の破壊が美しき世界に迸った。

 

 天地が震撼する。

 それは自らの終焉を悟った世界があげた断末魔。

 ここは調和と安寧の世界。戦争とは最も相容れない概念だろう。

 反発し合う磁性の如く、衝突すれば弾かれる。それでも接触を強いるのなら、どちらかが微塵と砕けるしかない。

 

 そうして放たれた神槍の矛先が、まず眼前にあった愛児たちの象徴を破壊した。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおォォッッ!!?」

 

 本物ではない。ここにあるのはただの芸術(もの)

 されど神域の美を備えた作品は、現実以上に観る者の心に刺さる楔となる。

 ああ、またしても。この手から愛しい子らは零れ落ちた。かつてと同じく、いいや尚ひどい。

 彼らは許していたのに。私は彼らの魂の安らぎのために動かなければならなかった。

 その想いを踏み躙り、果てに愛しき者を破壊する。それはまさしく、私が理想と定めた者の姿で、だからこそ恐ろしい。

 

「ああ、本当に、駄目ですねぇ、私は……」

 

 今こそはっきりと気づく。

 我もまた黄金なり?なんと分不相応な願いを抱いていたことか。

 強さなど、ハイドリヒ卿を語る上での一要素に過ぎず、本質には程遠い。

 そればかりに目がいっていた私は、最初から何も分かっていなかった。優れた感応であらゆる人間を読み解いてきたのに、そこだけを履き違えた。

 よく分からないから醜くない?馬鹿な。私にも分からないとはつまり、人間の価値基準からかけ離れているということではないか。

 怪物の(アギト)の下で、何を勘違いしたのか安堵して座っている。そんな途方もない愚か者こそ、今までの私の姿だったのだ。

 

 この救い難い愚かしさで、きっと多くの者に災難を振りまいていたのだろう。

 生きていた時ばかりではない。たとえ心優しき女神の慈悲で救われても、間違いのツケは払わされる。

 不思議な思いと、確信があるのだ。私は私が積み上げたものを取り零し、深い悲嘆の坩堝に陥ってしまう。

 その結果、ただ一人だけ醜態を晒す羽目になる。誰もが悲しみを怒りに変えて、強大でおぞましい邪神へと立ち向かう中、私だけが無力だった。

 存在しないはずの記憶。しかしまぎれもなく有ったことだと分かる。自分が何一つとして貢献しないまま、無為に消え去ったのみであったことも。

 あまりにも情けないだろう。これでは本当に無意味な愚昧そのもので、改めようとしない怠惰こそが最大の罪悪だ。

 

「己の弱さから逃げてきた報いですか。そうですねぇ、私はあの頃から何も償えてはいない。

 愛児たちに許されても、私が彼らのために何が出来たというのか。その魂の安寧を祈ることさえせず、ただ過ちを重ねて地獄を肥えさせただけではないか。

 ()()()()のために立つこともせず、ハイドリヒ卿に立ち向かう決断もくだせなかった。そこに気づけず終わった私は、本当に無意味としか言えぬ者だ」

 

 ならばこそ、もう間違えたままではいたくない。

 この思いが無駄にならないというのなら、次こそは。

 この身は再現された永劫の輝き(アイオーン)。もしもこれから先、何時かの何処かに馳せ参じることあらば。

 その時こそ成すべき事を成そう。黄金を騙る聖餐杯ではない。ヴァレリアン・トリファという人間として。

 

 至った悟りを楔として、ついに器との乖離は決定的となる。

 砕け散る渇望。我もまた黄金と願った男の狂信は、ここに潰える。

 聖餐杯ならぬ男に、もはや玉体を預かる資格なし。男の魂は弾き出されて、そのまま舞台より放逐されていった。

 

 

 

 

 百の塔が崩れ落ちる。美しき都が滅びていく。

 清浄で安息に満たされていた天地には、猛々しき黄金の波濤が拡がり、総てを破壊していく。

 美しい世界の終わり。調和だった世界は混沌に成り代わり、修羅の理をもって無限闘争の色に染まっていく。

 

 だが、果たしてこれを“悲劇”と呼ぶべきだろうか。

 

 確かに無謬の平穏を崩されたのは嘆くべきこと。

 理想の楽園で暮らすことを望む者に、それを破壊する所業は許しがたいことだろう。

 だが、人とは果たしてそればかりか?総てが満ち足りて、法と秩序が行き届いていれば万人が頷くのか?

 そんな道理など超えて、完成していない混沌こそ求める者。未完のままならぬ身であるからこそ、進み続ける情熱に価値を見出だす者にとって、この破壊は解放とも言えるかもしれず。

 

 少なくとも、この黄金の修羅道には、美しき覇道には無かった“情熱(ねつ)”がある。

 善いか悪いかは別にして、人を惹き付けて止まない光。他者を狂わせ奔らせる王者のカリスマ。

 それは救いと導きをもたらす救世主では与えることが出来ないもの。種別こそ異なれど、それもまた“美しい”。

 

「なるほどな。興味深い結論だ」

 

 クワルナフは、既に死に体だった。

 神殺しの槍(ロンギヌス)に貫かれて、魂の霊格に致命的な損傷を負っている。

 もはや現体を維持することは叶わず、このまま潰えて消えるだろう。それは覆しようがない結末だった。

 

「悪くはない。検証の甲斐はあった」

 

 されど、それを嘆くような生き汚さは、美の化身たる者に相応しくない。

 死に逝く身でも凛然と、今わの際でも輝く貌は美しかった。

 

「宿業からは逃れられなかったな、聖餐杯」

 

 そしてもう一人、美しい者が現れる。

 姿恰好だけならばヴァレリア・トリファと同じ。しかし両者を見間違えることは断言してあり得ない。

 圧力が違う。覇気が違う。中身が違えば総てが変わる。並の者なら直視するだけで魂が灼け落ちる破格の黄金。

 

「不甲斐ない、とは言うまい。それが容易ならざることだと、ああ理解はしているとも。

 かつて卿は似たような末路を辿り、故にカールの法に絡み取られた。既に既知は失せているが、回帰の理はこの舞台に根差している。

 なにせ、潔いという言葉とはとんと無縁の男であったからな。生じた法も実にしぶとく、生き汚い。答えの一つでも得られたのなら、それで良しとするべきか。

 今一度、我が(うち)にて渦巻くがいい。子らと対話でもすればよかろうよ。いずれ別の機もあろう」

 

 ヴァレリア・トリファが首領代行の任を解かれる。それが意味するところは一つ。

 本物の首領の帰還。ラインハルト・ハイドリヒの本格参戦。この舞台の真なる主演が壇上へとあがっていた。

 

「そしてお会い出来て光栄だ、光の君子殿。

 美しいものを見せていただいた。賛辞の言葉は尽きぬが、まずは礼を述べさせてもらいたい」

 

「ならば私も感謝しよう。此度の舞台、私にとっても有益な結論をもたらした。

 戦争の概念。私とは真逆にある美しさよ。お前という覇道の実在こそ、私にとっての天啓と言える」

 

 二人の覇者。異なる覇道と覇道は決して相容れない。

 その相関で見れば、両者は敵対するのが自然な流れだろう。しかし彼らに、相手を害そうとする敵意は無い。

 そんな感情は似合わない。ラインハルトにも、クワルナフにも。彼らは愛する者であり、導く者。悪意なんて醜い心とは無縁の場所にいる。

 

「考えていたことがある。益体のない妄想に過ぎないものだが、元よりさしたる意味など持ち合わせん身。むしろ相応しいだろう。

 もしも私が、己のあるべき道を外れず、順当に天を握っていたならばどうなっていたか」

 

 それは数ある歴史の“IF(もしも)”。

 とある運命のすれ違いから、神座へ至る道を喪失したクワルナフ。

 故意的なものではなく、投げたコインの裏表のように、どちらの道も十分にあり得たこと。

 むしろ神座という宇宙の相関を考えれば、クワルナフこそ正当な後継者だったと言えるはずで、そんなもしもに思いを馳せてしまうのは止められない。

 

「私の美観は闘争を否定する。調和と慰撫こそ我が法の意味となろう。

 長く終わらぬ善悪二元の殺し合い。降り積もった嘆きの果てに私が生まれたのなら、それは必然だったと言えよう。

 戦いとは悲惨なもの。醜い惨事から民を救い、世界を美しく塗り替えるべく私は世界に降り立った」

 

 勇者(ヒーロー)では世界を変えられない。

 そんな善と悪との相関こそ悲劇の元凶。真に“みんな”を救うなら、世界そのものを塗り替える必要がある。

 二元論の宇宙を終わらせるため、永劫の戦いに終止符を打つために遣わされた尊き祈り。美しき調和の世界に醜い闘争は存在しない。

 

「だがそれは矛盾でもある。何故なら美の概念とは調和のみに用いられる概念にあらず。

 闘争もまた醜いばかりではない。華々しいその光景に美を見出すことは珍しくあるまい」

 

 深く考えるほどでもない。人の歴史を読み解けば明らかだろう。

 意地と誇りを懸けた強者(つわもの)同士、尋常なる決闘に胸躍らせる。闘技場(コロッセオ)に代表されるように、闘争とは古くから人類の娯楽だった。

 大軍を率いて、他国を征服した者が英雄として持て囃される。蹂躙の憂き目にあった人々の悲劇など、圧倒的な偉業の輝きにかき消されてしまう。

 強者とは、英雄とは美しいものだから。美とは調和の芸術ばかりにあるのではない。それらの価値を否定する混沌、その中に宿る荒々しくも凄まじいエネルギー。触れれば壊されると知っていても、人はそこに手を伸ばすのを止められない。

 

 マイノリティではあるのだろう。

 されど概念としてある以上、無視することもできない。

 確かに戦争は悲劇だ。娯楽としてならともかく、現実に滅ぼされる側に立ちたい者などまずいない。

 破滅とは死であり、死とは生命にとって忌むべきもの。それを遠ざける平穏こそ尊いという考え方は、あらゆる生き物にとっての主流だと言える。

 だがそんな平穏も、千年、万年と続いたなら?永遠のような時間の中で何も変わらず、尊さなんて忘れてしまうほどの当たり前に成り果ててしまったなら?

 ()()()()()()()()()()()()。調和の世を覆す破壊者が求められるのだ。

 

「実際、在位期間もそう長くはならないと見ている。真我(アヴェスター)の宇宙よりも短いだろう。

 どうやら私の美観は、単一にて洗練された機能美にこそ至高を見出す質であるようだからな」

 

 かつて善の至宝たる神剣の美しさに、自らの誓いの在処を見出だしたように。

 研ぎ澄まされた不変。多様性の一切を捨て去って、狂気とも呼べる一念で一個の機能に完成した美しさ。

 クワルナフにとっての価値とはそういうもの。変わり移ろう世界を救うべく生まれながら、変わらない価値の礎となることを願ったこと。それがクワルナフという存在にとっての終わりの始まり。

 そういう気質だったとしか言い様がない。事実、クワルナフは自らの結末に何の悔いも抱いていないのだから。

 もしもクワルナフが天を握り、やがて自らの前に至るだろう破壊者を前にしても、何も出来ずに座を譲る公算は高い。自らの天下に産まれた者は、彼にとって我が子に等しいのだから。

 己の美すら凌駕せんとする価値を認め、よくぞここまでと褒めてやりたくなる。託したくなる気持ちを抑えられないかもしれない。

 

「やがて私の天にもお前のような者が現れたのだろう。

 破壊を是とし、闘争の価値を寿ぐ者。美しき世界を壊し、されど貶めることはせず。お前の中に存在する確かな美学。

 お前という覇道を目にして確信できた。たとえ真我(アヴェスター)の世界が終ろうとも、宇宙の根底には二元論の理が敷かれている。

 一つの思想が天を制したなら、それとは正逆の思想が現れる。善悪流転の如く、我らは誰もが闘争を強いられている」

 

 神の力は万能だ。しかし全知全能ではない。

 どれだけ途方もない力の持ち主でも、そこには人としてのままならなさがある。

 人の思想の表と裏。善と悪。戦争と平和。慈愛に満ちた女神の天に、唯我の邪神が現れたように。

 主流があれば傍流があり、抑圧された想いは強くなる。神座で重要なのは想いの数ではなく質。己の狂信(イノリ)を疑わず、如何に強く想い通せるかに懸かっている。

 この宇宙は神威に達した人の想いによる旺盛と滅亡の繰り返し。二者択一の交代劇は二元論の頃と何も変わらない。

 

「私は彼らを憐れと思う。彼らには何の自由もない。

 天の色に染まり、訪れる運命を強制される。そこに個としての意志はない。ただただ無力だ」

 

 クワルナフの眼下には、本来の姿である病院の光景が広がっている。

 この地を覆っていた美の覇道は既になく、ここで生きている者も既にない。

 全員が死亡していた。ラインハルトが降りたから、破格である魂の圧力が、有象無象を砕いてしまった。

 別段、意識してやったわけではない。強大過ぎる存在は、そのものが世界にとっての厄災だ。強者のための舞台に弱者の居場所はない。

 

「この地に私の覇道を敷いたのも、彼らに向けた慈悲であったのだが」

 

 クワルナフの美に染まった者は醜い感情から解放される。

 恐怖や苦痛といったものも、そこに含まれる。砕かれた彼らに絶望はなかっただろう。

 クワルナフ自身でも疑問を持ち、完成する道を持たない彼の覇道。それをこの地で展開させたのは、憐れな民を慮ってのことだった。

 せめて心安らかにと。まるで殺されるために再現された彼らこそ、最大の犠牲者であるから。

 

「我々は同じだ。望まれようが望まれまいが、世界は我らが強制する法の下にある。

 それに否と唱えても、その祈りもまた世界に法を強制する。この図式がある限り、宇宙の巡りは終わらない」

 

 すべては狂人の道理である。

 神座の始まりを築いた者は人の心を重要視していた。その価値が無意味な塵屑へと堕すことが我慢ならなかった。

 だからこそ、思いの熱量が力となる舞台を構築したのだろう。凡百の想いに意味はない。我が心象、華々しくと謳い上げる狂人だけが世界に物申せる資格を持つ。

 

 何も知らないままで終われるのなら、まだいい。

 神の在位期間は短いものでも、人の一生分など簡単に上回る。

 不憫なのは、座の交代時期とあたってしまった者たちである。世界の変革に否応なしに巻き込まれることになるのだから。

 資格なき者に運命は変えられない。弱者に対して何処までも残酷である世界の機構は、座というものの歪さを感じさせずにはいられなかった。

 

「だとしても、それを正すのは我らの役目ではあるまい」

 

 そんなクワルナフの憐憫に応えて、ラインハルトは真理とも呼べる言葉を告げた。

 

「自覚があろうが止められぬ。そんな殊勝さを持ちえぬが故の狂人だろう。

 くだらないことだ。承知しているとも。己の求めるところしか知らぬ。これはその程度の話に過ぎん。

 私も、そして卿も。一度こう成り果ててしまった時から、只人の生き方などは望めまい。違うかな?」

 

「委細違わん。結局、覇道という法則の何たるかよりも、我らがこういう気質であるのが何よりの問題なのだから」

 

 狂える想い同士にて織り成される神楽舞。

 道理を超えて、遥かな高みへと届かせる彼らの祈りとは、愚かしくとも美しい。

 劇的な物語に惹かれてしまうのも人としての心理。神座の物語の主役たちは、誰もが鮮烈に輝いていたから。

 狂人であるが、故に彼らは彼らとして在る。そこを違えればもはや誰なのか分からない。つまり魅力(かがやき)を損なうことであり、それで掴めるものなどありはすまい。

 

 だから、もしも歪みを正せるとするなら、狂人ならざる者の物語が要る。

 当たり前に笑い、泣き、道もあやふやで迷いながら、それでも進んでいく“人間の主人公”が。

 果たしてどうなることか。人間である以上、狂人に強さで劣るのは間違いなく、きっと必要となるのは強さ以外の何か。

 そんなものが、本当にこの宇宙にあり得るのかも分からない。それで神座という強固な運命を変えられるのかとも。

 

 クワルナフもまた、狂人の一人。故に予測を立てることは叶わず、確かめる術もここに居る彼は持ち合わせなかった。

 

「ふむ、卿よ。見たところまもなくのようだが、最後に何かあるかね?」

 

 結末は既に確定している。完全な消滅まであと間近。

 残された余力は、僅かに数言ほどだろう。それを以てクワルナフは舞台からの退場を余儀なくされる。

 

「ならば忠告を遺そう。仮初めの場といえど敗者として、勝者に対する賛辞の代わりに」

 

「聞こう」

 

「私が奉じる美しさとは、一極化された機能美だ。雑多を排し、一つの意義に研ぎ澄まされた究極の一振り。

 御座へと到達する神威とは、私が定義する究極と等しい。かの凶剣然り、お前もまた美しい在り方だと認めよう」

 

 総てを愛して、そして壊す。誰に憚ることもない。至高天の覇道に揺るぎなし。

 たとえ一度滅びても、その在り方が変わるわけがない。神へと至るほどの狂信(イノリ)とはそういうものだから。

 漲る覇気も、黄金に輝く眼差しも、力に満ち満ちて衰えなどあり得ない。ラインハルト・ハイドリヒは以前変わらず、絶対の強者であるのに疑いの余地はなかったが。

 

「だからこそ際立ってしまうのだ。お前は揺るぎなく強く、そして美しいが、その在り方には一点の不純がある。

 慚愧という名の穢れ。拭いようもなくその心象に刻まれた瑕疵。私の眼にはそれが見えるぞ」

 

「これはこれは。なかなかに聞き捨てならない忠告だな」

 

 ラインハルトに対して、それは誰にも言えなかったことだろう。

 否定ならば何度も受けた。忠義も叛心も、総てを愛する黄金にとっては等しく愛おしい。

 故に効果なんてあるわけもなく、その心には細波ひとつ立つことはなかったが、クワルナフの言葉は質が異なる。

 

「教えてほしい。卿が言うところの我が不義とは、いったいどのようなものだろうか?

 あまり堪え性のある方でもなくてな。どうか勿体振らないでほしいのだが」

 

「あいにくだが、これは所感だ。理屈によって導き出したものではない。ただそういうものだと伝えるしか術がない」

 

 クワルナフの審美眼とは、芸術的な感性による理解である。

 真に美しきを語るのに言葉は無粋。ただ目にし、耳に聞き、肌で触れる感触が素晴らしさを語ってくれる。

 技術や理屈よりも、芸術の真価とは心が美しいと感じるかどうか。感覚の話であり、言葉での説明では限度がある。

 

 元より、理論的根拠を用いての証明は、クワルナフの本来あるべき姿に非ず。

 その道を極めた者。徹底した非情の合理を以て敵の全てを解体する凶眼の持ち主は、別にいる。

 

「敗者が多くを語ることでもない。案じずとも、いずれ否応なしに突きつけられることだろう。

 心されよ、黄金殿。我らが天の誇る無慚無愧の凶剣は、私のように不甲斐なくはない」

 

 その忠言を最後として、クワルナフの存在が消えていく。

 跡形も残さずに、光の粒子となって泡のように儚く散る。神に連なる男として、その最期は呆気ないようにも映った。

 

 己のことを無意味だと、クワルナフは言った。

 ここは恐らく、凶戦士のための独り舞台。

 再現された過日の戦場。その中に割り当てられた凶戦士が剣を振るっていく。それが本来の流れであったはず。

 凶戦士に仲間はいない。故にそれこそあるべき姿であり、そんな流れを崩して、あり得ないはずだった人物を乱立させたのが今なのだろう。

 場の状況をかき乱し、予想不可能の方向へと持っていく一手。妙手とも悪手とも捉え難い采配は、クワルナフにとっても心当たりは一人しかいない。

 

 神へと至る資格を失った神格。

 武を鎮める法を抱き、よりにもよって武の象徴と言える剣に魅せられてしまったこと。

 それを不幸な巡り合わせだと、その運命を知る者は思うだろう。しかし言わせてもらうのなら、クワルナフ自身に後悔は微塵もない。

 出生直後の赤子の段階で、クワルナフの魂には美の覇道が宿っていた。終わらない闘争に終止符を打つために、民草の祈りの果てに誕生した光の子。

 言い換えるなら、それはクワルナフの宿命(さだめ)であり、自由意思によって選んだ望みではない。剣に魅せられたという選択は、彼という神格の役割としては間違いでも、クワルナフ自身にとっては間違いなどではなかったのだ。

 きっと何度繰り返しても、クワルナフは同じ選択をするだろう。その結果が忘却と絶望に染まった絶滅星団(アヤマチ)だとしても。己で見定めた初めての美しさ、あの刹那の感動を愛しているから。

 

 ならばこそ、無意味だと言える。クワルナフには変えたい過去などありはしない。

 その生涯に一片の悔いもなし。不変の剣の礎として果てたこと。付け加えるべき修正など何も無かった。

 物語を動かす主役ではなく、物語の決着をもたらす魔王でもない。ただ道の中途で倒される脇役として、そんな己で良いのだと心の底から確信している。

 むしろ矜持とすら言えるだろう。認めるに足る誰かの礎となる在り方。それこそがクワルナフという存在の不変であると。

 

 ラインハルト・ハイドリヒ。

 彼に遺した忠言も、そうした意味合いがあるのだろう。

 普通に考えれば敵に塩をおくる行為。わざわざ指摘などして警戒を促さない方が、凶戦士にとっては有利だったはず。

 しかしてクワルナフは元来の導く者。黄金もまた美しいと認めるならば、いっそうの輝きこそ期待するのは止められない。

 それに、これしきの些事でどうにかなるものでもなし。かの凶剣にいらぬ配慮など無用である。脇役は脇役らしく、物語に出張らないのが矜持というものだから。

 

 強き者たちよ、どうか美しく在れ。

 黄金ばかりの話ではない。我が娘。かつての黒の同胞たち。そしてまだ見ぬ演者たちよ。

 お前たちに拭えない慚愧があるのなら、これを好機と心得て晴らすがいい。

 此度のことは得難い機会であり、無為とするのは惜しい。それは後のための“布石”とも成り得よう。

 

 どこまでも他者を想う祈り。美の化身たる彼に邪念なんてものはあり得ない。

 輝く貌のクワルナフ。その名に相応しい姿を取り戻した彼は、美しいままに舞台から消えていった。

 




アーディティヤ始まりましたね。
なんだか想像よりもえげつないし生々しいですが、読んでいてわくわくしてきて流石は正田卿です。

今回のクワルナフ関連の話にはかなりオリジナルなのが入ってます。
審美眼とか、ハイドリヒ卿の対の美とか、結構な独自設定が多いです。
絶滅星団が理論の権化なら、元に戻ればそれも反転する。美の覇道なら、元に戻ったら感覚肌な人ではないかと。

次回、怪獣大決戦やります。



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