無慙無愧が巡る怒りの日   作:ヘルシーテツオ

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第十一章『貪婪の龍王』

 

 またしても袖にされた。

 これで二度目。未知は喜ばしく、大いに結構ではあるのだが、こうも空手を掴まされると心に沸き立つものを抑えられそうにない。

 何せ、私は我慢弱い。かつてはそのようなものの権化と言える人格だったが、今となっては燃え盛る渇望を自制する気は毛頭なし。

 生前には半世紀ほどを自重していた私だが、その間にも餓える想いは絶えぬ炎と燃えており、目の前に獲物を吊るされて辛抱がきくはずもない。そろそろ振り上げた拳の落とし先を求めても罰はあたらんだろう。

 

 己の在処ならば分かっている。

 総てを愛しているから、壊したい。戦いたい。

 なんと甘美な響きだろうか。これこそ我が心象と疑う余地はない。

 為すべきは全身全霊。我が渾身の力を込めて、値する誰かと互いの武威を競い合わせたい。まるで童のような拙い願望だが、正真正銘の本音なのだから卑下しても仕方あるまい。

 

 ラインハルト・ハイドリヒはくだらない男である。

 かつて自らに下した自己評価。覆そうとは今もって思っていない。

 つまるところ私の戦いとは、徹頭徹尾、己のためにあったということ。

 人のため、世界のためと。そのように高尚な理由でもって武器を取る。そういった姿勢を尊いものだと謳うのに異論はない。しかしどうにも共感し難いというのが正直なところ。

 根が凡庸なのだろう。出来ることと言えば、こんな私の色に皆を酔わせて、狂奔という形でもって率いるのみ。

 私の戦いは私自身のために。それでよい。真実の想いを否定しても始まらん。そんな真似は、私に付き従う爪牙らへの冒涜だろう。

 きっと私は、人の世にはあるべきでないもの。魔王と称されるべき災厄。委細承知の上で、自重も気後れもしておらん。

 

 ああ思えば、果たして“波旬”の時にも、私は全力を尽くしていたと言えるだろうか。

 並び立てぬ覇道同士が肩をそろえ、尊き女神のために奮起する。字面は美しいが、少々場違いな感は否めない。

 我が友や刹那にとっては、まさしく男子の(いさお)を立てる正念場であったことだろう。しかし私は私である以上、女神のためという大義に本心から乗れていたとは言えないかもしれず。

 だからこそ、真っ先に敗れるカタチとなったのは必然だったと言えるのだろう。手を抜いていたつもりはないが、それが心残りといえばそうかもしれない。

 

「ふむ、慚愧か。面白い」

 

 さしあたって思い当たるのはそんなところ。

 カールのように迂遠な物言いではないが、これも一種の謎かけだろう。

 アレは言葉で私を玩弄するのが趣味であったから、自然とそれを読み解くように思考を巡らせてしまう。

 そうであるとも思えるし、的外れのようにも感じられる。不覚の記憶ではあるものの、やり直しを渇望するのかと言えば違うだろう。

 過ぎたものに拘泥するのは趣味ではない。それは我が友の業だろう。私は彼の反対なのだから、求める向きも彼とは逆の方を取る。

 述べた通り、私は私の道に迷いは無い。幼稚でくだらんと自覚もあるが、そんな己を卑下する気もない。

 慚愧など、我ながら抱くような性質ではないと感じるのだが。

 

「我が事ほどよく見えない。人とは凡そ、そのようなものであるしな。

 否定はせんよ。私に瑕疵があるなら是非知りたい。剣をもって教えてくれるならば望むところだ」

 

 ああ、だがしかし、どうやらまだその時ではないらしい。

 機が熟していないということか。かの御仁は未だに我が元へは現れない。

 舞台にあがるのが些か性急だったと認めねばなるまい。潔く裏へと舞い戻るのが正しい選択なのだろうが。

 

「しかし、彼ばかりに拘らずともよかろう。得難き敵手は、今も舞台に燦然と輝いているのだから。

 私は総てを愛しているのだ。故に無論、彼らのことも(アイ)してやりたい」

 

 このままでは収まりがつかない。白状するならば、そんなところ。

 賢く時を待つなど出来そうにない。私は我慢弱いのだ。

 愛するために壊す。壊すために戦う。全身全霊、この身の力を振り絞り、愛しき強者とぶつかりたい。この望みに一切の虚飾はない。

 かつての閉塞感は既に無い。実に清々しい気分である。であればその通りに振る舞わねば、それこそ我が在り方への不実というもの。

 

 そのために、私は此度の“提案”に乗ったのだから。

 

 

 

 

Dieser Mann wohnte in den Gruften,(その男は墓に住み) und niemand konnte ihm keine mehr,(あらゆる者も あらゆる鎖も)

 nicht sogar mit einer(あらゆる総てをもってしても) Kette, binden.(繋ぎ止めることが出来ない)

 

 世界に地獄が具現する。

 単なる比喩表現ではない。事実として顕現した黄金の地獄。

 立ち上がり、踏み鳴らして進む髑髏の巨人。肉の代わりに纏うのは不死者の軍団(レギオン)

 いったい何者が、この進撃を阻めるだろう。何人もその行進を前には蹂躙されて――否、ただ同じ世界に在るだけで壊れていく。

 破格の魂が発する霊圧。降臨した地獄(グラズヘイム)の圧は諏訪原の全土を覆っている。命ある者は皆砕かれて、髑髏の軍勢の一部として再臨させられる。

 彼らには自らに起きた惨事を嘆く自由すらない。魂は狂奔し、猛々しい色に染まって黄金の覇道を讃えるのだ。

 勝利万歳(ジークハイル)勝利万歳(ジークハイル)勝利万歳(ジークハイル)!彼らは一様に狂喜しながら、怒りの日への祝辞を声高らかに唄いあげる。個人としての意向など、獣が誇る王気(カリスマ)の前では無いも同然だった。

 

Er ris die Ketten auseinander und(彼は縛鎖を千切り 枷を壊し) brach die Eisen auf seinen Fusen.(狂い泣き叫ぶ墓の主)

 Niemand war stark genug,(この世のありとあらゆるモノ総て)um ihn zu unterwerfen.(彼を抑える力を持たない)

 

 地獄の軍団の尖塔に立ち、ラインハルト・ハイドリヒは優雅に微笑む。

 自らの所業に対する負い目など、彼の中には微塵もない。

 破壊の慕情。獣の狂愛。この世の倫理や正義は、彼の前では意味を為さない。

 世界の道理こそが、彼に頭を垂れるのだ。我としての理を他にも押し付け強制させる。それこそが覇道の(サガ)

 ことに将足る者の才器において、同じ覇道資格者たちでも群を抜く。強く揺るがず美しいから、誰よりも明朗快活に笑うのだ。

 

Dann fragte ihn Jesus. Was ist Ihr Name?(ゆえ 神は問われた 貴様は何者か)

 Es ist eine dumme Frage. Ich antworte.(愚問なり 無知蒙昧 知らぬならば答えよう)

 Mein Name ist Legion―(我が名はレギオン)

 

 故に、進軍すべきその先にも迷いは無い。

 求めているのは全力の闘い。それに見合う好敵手の存在。

 かつてはそれを欲して、三千世界の果てまで進軍しようと試みたが、この舞台にあっては必要ない。

 総てを破壊する黄金の威光すらはね除けて、今なお君臨するもう一人の覇者。その支配領域たる底なし穴(ボトムレスピット)、龍の領土へと。

 

Briah(創造)――Gladsheimr―Gullinkambi fünfte Weltall(至高天・黄金冠す第五宇宙)

 

 満天下に咆哮を轟かせて、黄金の獣は荒ぶる戦意をぶつけていた。

 

 

 

 

 その存在を、恐らく誰もが同じように感じ取っていた。

 

 たとえどんなに鈍くたって、これに気付かないなんてあり得ない。

 赤子だろうと老人だろうと、目も視えず耳も聞こえない不感者であったとしても、この存在には恐慌と共に飛び起きるだろう。

 なんていう圧、そして覇気だろうか。まだ直接相対したわけでもないのに、魂魄まで震え上がるのを抑えられない。

 

「があッ!?」

 

「ぐううぅッ!」

 

「きゃあ!?」

 

 そして彼女たちにとっては、それこそ無感だなんてあり得ないだろう。

 傷もないところから血が流れ出している。勢いは一向に止まる気配もなく、相当な激痛であろうことも見て取れた。

 きっとそれは古傷だ。かつて付けられたという聖痕。黄金という神威が下した誓約が、今も変わらず刻まれている。

 別の覇道の軍門に降ろうとも、その影響からは逃れられていないのだ。黒円卓という、修羅道の配下へと堕した三人の女たち。与えられているのは咎か、それとも何か別の意味があるのか。

 

 ただ私に分かるのは、この覇道の持ち主が真っ直ぐとこちらに向かってきているということ。

 圧倒的な存在質量(スケール)の違い。この感覚は、まるで初めて魔王と相対した時のよう。

 あれから(クイン)も、様々な経験を経てきたというのに、未だに慣れることは叶わない。

 そもそも生物としての世界観(ステージ)が違うのだと分かる。あやふやな私では、どれだけ掛かっても同じ領域には立てないだろう。

 

 それを承知の上で思ったのは、お父様(クワルナフ)のこと。

 同じ覇道でもまるで異なる。彼とは真逆の、まさしく戦争の権化のようなものだと分かるのに。

 この威光(ヒカリ)には、きっと善と悪の区別なんて無い。“みんな”を等しく照らし出し、そして染め上げる威光。

 それは美しさに似ている。善悪の道理以上のものを心理に直接叩きつける。既存の性は洗い流され、新生したかのような心地で以て立ち上がるのだ。

 

 今の私が受け入れ難いと感じていても関係ない。

 染まれば等しく、相応しい姿に生まれ変わる。それは美しさにだって言えたこと。

 黒だった者も白に染める。逆もまた然り。その理想が悪性でも、世界を塗り替えてしまえば正義はそちらになってしまう。

 

 チャコという少女も、黒円卓の敵だと自らを嘯いたジークリンデも、皆一様に動けていない。

 責める気にはならない。これを前にして動ける方がどうかしている。それこそが神威というこの宇宙を覆うもの。

 それに対抗できるのは、同格に値する者だけ。たとえどんなに残酷でも、それがこの世界の摂理だから。

 

面白(おもし)れぇ」

 

 だから、この場において唯一対抗できる者。

 黒の魔王にして覇道資格者。龍王カイホスルーだけは屈することなく笑っていた。

 

「俺と遊びたいのか?自分の欲も知らん男だったにしては、なかなか大した覇気だ。

 だが、タダでくれてやるつもりはないぞ。俺を働かせるなら、相応の支払いを覚悟しておけよ」

 

 龍の覇道が動き出す。

 黒も白も、どれひとつとして捨てることを拒み、総てを欲しがる欲の権化。

 笑顔とは元来攻撃的なもの。獰猛な笑みを見せつけて、魔王カイホスルーはその腰をあげた。

 

 

 

 

 蜷局(とぐろ)を巻いた巨体が、その頭を(もた)げる

 ボトムレスピットと呼ばれた地区を丸ごと覆いつくす総体。地表から見上げても全体像を見渡すことは叶うまい。

 ただ、巨大なものが天を覆っていると分かるだけ。それが理解を絶した途方もない存在だと納得するだけだ。

 

 カイホスルーの龍体。

 星霊としての器であり、魂の姿である星幽体(アストラルボディ)とは別の在り方。

 煌びやかな宝石や貴金属といった財宝に彩られる玉体。現実に在るものとしてはあまりに空前絶後にして威風堂々たる姿。

 正しく存在を捉えれば、こちらこそカイホスルーの正体だとも言える。人としての姿で飲み食らい、下々と同じ目線で話しもするが、所詮は見せかけ。

 本当の彼はこれほどの常軌を逸した存在なのだ。龍の巨体は、その真実を視覚的に分かりやすくしたとも言える。

 

 それでも、かつての彼と比べたなら、ひどく矮小化したとも見なせるだろう。

 何しろ星霊たる彼の肉体とは星そのもの。本来ならば街一つなど、鱗の一枚にも及ぶまい。

 質量や熱量といった分かりやすい指標では、確かに龍の王は弱くなったと言える。舞台の枠組みへと無理やりに押し込められて、枷を嵌められる奴隷の如き扱いには屈辱と怒りこそ道理だと言えたが。

 

 それらを踏まえた上で、断言しよう。

 龍の威光には一片の陰り無し。王者たる自負に些かの揺らぎも無い。

 覇道資格者とは、この宇宙を己の理で制する者。その意味を真に理解するのなら、たかが星一つ分の大きさなど塵にも等しい。

 彼らの強さとは、そのような次元で語らうべきものにあらず。一定の域を超えた先では強さの尺度が変わるのだ。

 互いの自負する狂信(イノリ)によって、覇を為し相手を塗り潰す。想い一つで、彼らは星も宇宙も凌駕してみせるのだから。

 

 地獄の巨人と、玉宝の龍が相対する。

 これより始まるのは巨獣同士の大決戦。立ち合った者らは幸福なのか、不幸なのか。いずれにしろ、こんな光景を拝める機会は二度と来ないことだけは確かである。

 

 開戦の号砲を高らかと打ち鳴らしたのは、ラインハルト。

 巨人の体内に発生する大熱量。既存の科学文明で測定できる値の範囲では、到底測り切ることは叶わない。

 発生した熱が収束し、巨人の開かれた顎から撃ち放たれる。核でさえ足元にも及ばない威力を集約させた熱線。薙ぎ払えば大地を丸ごと焦土と変えて余りある破壊力を有していたが。

 

「舐めるなよ、餓鬼が」

 

 対し、迎え撃つのは大口を開けた龍より放たれる極光。

 龍の威容の代名詞として使われるその名は、龍の咆哮(ドラゴンブレス)

 二種の超絶の大熱量が真っ向より衝突する。その中心では凄まじい威力同士の飽和が起こり、時空間を歪ませながらの拮抗状態へと陥っていた。

 

 時間にすれば、ほんの数秒。

 見る者誰もが終末を幻視し、何倍にも引き延ばされた走馬灯のような時間の先で。

 拮抗を破り、初手の一合を制したのは――――カイホスルー!

 

「ぬう……ッ!」

 

 貫いた衝撃が、不動たるグラズヘイムの居城を震撼させる。

 絶対であったはずの魂の結束が解れ、明確に生じた穴を晒していた。

 言い訳のしようもない痛撃。龍の息吹は地獄の灼熱を穿ち抜き、ラインハルトの総軍に損壊をもたらした。

 

 信じられない光景だろう。

 特に、現状は龍の傘下に収まっている、黒円卓の騎士たちからすれば。

 地獄の魔城は彼女たちにとって絶対の象徴。そして終わらない悪夢なのだから。無敵の黄金が傅く光景は、直に目にしても尚信じ難い。

 

 しかし、彼女たちも不明なままでいたわけではなかった。

 今の激突で起きた事象について、おおよその理解は済ませている。

 

 想いの強度こそ重要だと言った。

 自身を疑わない狂信こそ、渇望を武器に戦う者の要であると。

 されど、それだけで決着がつかないのなら、やはり質や量といった数値が物を言うことになる。

 それこそが闘争の根本的な原理故に。その原則からは神格といえど逃れられない。

 

 ラインハルトが有するのは数百万規模の総軍(レギオン)

 それら一つ一つの魂を、自身の将器によって英雄の格へと引き上げている。雄々しき勇者たちの大軍勢こそが獣の(タテガミ)

 対し、現在のカイホスルーが所有しているのは、クインやジークリンデ、ベアトリスたち三人の魔人とボトムレスピットに集うアウトローたち。

 質でも量でも、どう見積もってもラインハルトに勝るとは思えない。まともにぶつかれば一蹴されるのが明らかで、ならば何故カイホスルーの一撃は打ち勝つことが出来たのか。

 

 その答えは、死力。

 全力を超える死に物狂い。この瞬間に、命の全てを燃やし尽くしても構わない覚悟で放つ末尾の輝き。

 事実、ベアトリスたち三人も、指一本すら動かせないほどに消耗していた。貯蔵した魂を一気に徴収され、更に本人たちも限界まで絞り尽くされている。

 これを支配下にある住人全員に行ったからこそ、先の咆哮は実現したのだ。堅牢な統率を上回る、なりふり構わぬ愚者の捨て身。時に賢者の予測すら凌駕するように、二度とは無い奇跡を掴んだ結果だと言える。

 

 論ずるまでもなく、ただの愚行としか言えまい。

 先のラインハルトの一撃は、言ってしまえば小手調べ。様子見のための初撃に過ぎない。

 そんな一撃に対し、全身全霊の乾坤一擲など繰り出してどうなるという。勝てたからと、それでいったい何になる?

 二度とは無いからこその奇跡。捨て身に二度目はあり得ない。単に一矢報いただけで後が続かず、そんなものがカイホスルーの狙いだと?

 

 いいや否だ。それこそあり得ない。

 彼は際限のない強欲を持った魔王。何かを捨ててでも、などという殊勝さからは最も遠い男なのだから。

 

「この人たちは、まさか……!?」

 

 魔人たちでさえ枯死寸前にまでなる搾取。

 常人が受ければ絶命は必至。周りを見渡せば、そこには死屍累々の惨状が広がっている。

 そのはずだったが、しかしベアトリスたちが見渡した先に死者は一人もいなかった。それどころか変わらぬ生気を漲らせて、誰もが王者の勇猛を讃えている。

 起こり得ないことが起きている。龍王が支配する底なしの穴に、現実には存在し得ない法則が渦巻いていると感じていたから。

 

「覇道の、“創造”――!?」

 

 龍の頭頂に座すカイホスルー。

 その麗貌を目に映せば、美顔の半面を隠す仮面に気付くだろう。

 ただの仮面ではない。右半面を被ったその仮面の名は『蒼褪めた死面(パッリダ・モルス)』。

 リザ・ブレンナーの聖遺物。赤子の皮を幾重に重ねたデスマスク。彼女の罪の証であり、本来ならば彼女以外にはまともに扱えないはずの代物。

 それをカイホスルーは被っている。ただ纏っているだけではなく、聖遺物と契約して永劫破壊(エイヴィヒカイト)の法則を操ってみせていた。

 

「使っちゃならないと誰かが言ったか?」

 

 いいや、言っていたとしても関係ない。

 彼は強欲の権化。欲したものは何が何でも手に入れる。

 この手から零れ落ちる財宝(たから)なんて認めない。何処までも求め続ける狂信(イノリ)こそが餓龍の覇道なのだから。

 

 故に、その渇望が具現させた世界の法も決まっていた。

 何故なら彼はいつだって餓えていたのだ。己が愛でる財宝(たから)たちよ、どうしてお前たちは消えていってしまうのか、と。

 思うがままに浪費して、散財し、欲のままに振舞えば財はやがて枯渇する。何もおかしくはない。基本的な等価交換だろう。

 それなのに、そんな当たり前を許せない男がいた。もっと、もっとよこせと、世界が定めた原則でさえ男を納得させることは叶わない。

 貪婪餓龍が求めた天とは、何も捨てずに全てを得られる世界である。喪失の概念を一切否定する不死不滅。生きてる限り獲得し続ける飽くなき欲望の肯定だった。

 

 カイホスルーの法が展開された世界において、喪失は発生しない。

 容赦なく搾取し、湯水の如く浪費しようが、無くなるものは何処にも無い。

 それは等価交換の原則の否定、質量保存法則の破壊であった。膨張していく欲の宇宙には、死という喪失すら存在し得ない。

 

 気が付けば、骨の髄まで奪われ尽くしたベアトリスたちも、元の状態に戻っていた。

 それは再生というより、消費という事象そのものが意味をなくしたような。既存の法では成立するはずもない世界の改竄。

 そういう感覚には覚えがある。彼女たち自身、そうした異界法則を操る身であるのだから。

 彼女たちの復活が遅れたのも、むしろ魔人の身であるが故だと考えられる。異なる法則を既に宿しているからこそ、餓龍の法の妨げになっていたと。

 

 ボトムレスピットの住人たち。カイホスルーの支配下にある彼らは揃って笑っていた。

 圧倒的な喜悦。痛みも苦悩も、何処かに置き忘れてしまったように、際限なく続く欲望への大喝采。

 きっと彼らは幸せなのだろう。喪失は取り払われて、欲しがるままに手に入る幸福を約束されているから。

 そんな彼らの姿、疑いを持たずに幸福に浸るその姿によく似たものを、ベアトリスたちは知っていた。

 

薬物中毒者(ジャンキー)……!」

 

 欲望という名の毒に浸かり、安楽の中に耽溺する衆愚。

 真っ当な世界なら、彼らは愚行の代償を取り立てられるだろう。しかし餓龍の世界に喪失はない。

 故に彼らは失わず、欲しがるままに与えられる幸福を甘受するのだ。醜悪極まる光景は、されど間違いなく幸せで、まさしく彼らは奈落の生を謳歌する堕天の住人。

 

 それはバフラヴァーンや、フレデリカには決して出来なかったこと。

 脚を持たないまま陸地にあがった魚の如く、本来ならば適さないこの舞台の環境を、我力による力業で捻じ伏せただけ。

 しかしカイホスルーは違う。今の己の利点を活かし、こちらも環境に適応することで新たな力を得た。強さだけの猪では不可能な芸当だろう。

 王者の強さとは力のみに非ず。財とは懐に納めて愛でるばかりでなく、その輝きの真価を発揮させてこそなのだから。

 

 そして無論のこと、カイホスルーが有する本来の異能も失われてはいない。

 『奪い貪る三首の業報(アジ・ダハーカ)』。その戒律が定めるのは、己の財を惜しまず使うこと、その消費の分だけリターンを得ること。

 財の定義は非常に広義で、単純な物から人的資源、果てはカイホスルーの肉体の一部に至るまで。

 カイホスルーが搾取し、今の一瞬で消費させた民の魂。その数の分だけラインハルトの総軍(レギオン)から奪い取っていた。

 

 戒律と、永劫破壊(エイヴィヒカイト)の二重併用。

 惜しまず消費しているのに何も失わず、あげく見返りだけはしっかりと得ている。

 矛盾しているのに、矛盾していない。異法に別の異法をぶつけることで、旨味の部分だけを獲得した妙技。

 何も捨てずに全てを得る。まさしく餓龍の理想を成就させた世界の光景。ここボトムレスピットは、既に貪婪の楽園と化していた。

 

 さらに付け加えるなら、奪うという戒律の特性は戦闘において副次的な効果をもたらす。

 敵の弱体化もさることながら、ラインハルトの総軍とは英雄級の魂による不滅の城塞。単純な数よりも、一糸乱れぬ陣形としての強さこそが真骨頂。

 黄金の統率は完全無欠であり綻びなど存在しない。しかし裏技めいた異能にかすめ盗られた魂の分だけ、そこには生じ得ないはずだった間隙を晒していた。

 故に、そこへと加えられた一撃は痛恨となり、不死の総軍をも震撼させる痛撃となる。

 

 さらにさらに、黄金にとっての痛手はそれだけではない。

 不死であるという地獄の軍勢の強み。それが現状では活かされていない。

 貴石化の権能。かつて不死身の殺人鬼たちの自負を砕き、物言わぬ石くれに変えて封印した。その異能はここでも効果を発揮している。

 地獄の理を犯す貴石の毒。その封印を施された箇所は、如何にラインハルトでも容易くは戻せない。

 

 つまり、死力を賭しながら消耗せず、敵の力を奪いながら弱点を作り出し、その再生まで封じてみせたのが先の一撃の成果だった。

 

 この欲望の権化は、たった一石でいったい何鳥を落とそうというのか。

 これが貪婪餓龍カイホスルー。強欲の覇道を流れ出させる男に遠慮なんて言葉はなく、故にこれしきで打ち止めもあり得ない。

 

 天に迅雷が轟いた。

 地より溢れる虚無の泥が、触れる総てを停止して沈めていく。

 ベアトリスと、ルサルカの創造だった。他人の渇望さえも扱ってみせる姿は、まるでラインハルトのよう。

 とはいえ、違いもまた明白だった。何処までも鮮烈に、猛々しくも美しく整えられたラインハルトの業に対し、カイホスルーにそういった巧みさは無い。

 豪胆に、奔放に、使って使って使い尽くす。一銭たりとて残すつもりもない散財ぶり、されど彼の強欲は己の財が減ることを許していない。

 全開の出力の放流。その打ち止めが永遠にこないのなら、それは巨大な力の氾濫となって総てを呑み込んでいくだろう。 

 

「く、くくくははは、はははははははははは――――!!」

 

 そんな敵の威容に対して、ラインハルトは心から愉快とばかりに哄笑をあげた。

 

 受けた一撃は痛恨であり、貴石の権能も未だ解けていない。

 それでも地に伏していたのは僅かな間のみ。起き上がった総軍(レギオン)は既にその輝きを取り戻している。

 軍とは効率化のための組織。常に結束し、時に仲間をも見限り、全のために一を捨てる冷徹を求められる。

 使い物にならなくなった部分を切り捨てて、陣形を組み直すことによる再編成。そうすることが出来るように組織されたものが軍隊だ。

 ラインハルトとは、巨大な意志に率いられた軍隊であり群体。完全無欠の黄金の統率は、今もって僅かな戦力の減衰も起こしていない。

 

「言わせてもらおう。相手にとって不足なし」

 

 そして振り下ろされる黄金の一閃。

 神の血を受けた輝ける聖槍が、押し寄せる敵の力をその法則ごと破壊した。

 

 獣が掲げる王道に横道など無し。

 邪魔なルールがあるのなら、それごと壊して進めばよい。

 総てを(コワ)す破壊の獣。疑わないその狂信(イノリ)が、餓龍の法に衝撃を与えていた。

 

「チィッ!?」

 

 己という世界に走った痛みに、カイホスルーが初めてその端正な顔を歪めた。

 餓龍の力は凄まじい。されど黄金とて、この回帰宇宙の最強種たる至高天。

 所詮、初撃の意味など小手調べ以上にない。勝負の趨勢は未だ定まらず、互いの力を応酬させる本格的な戦いが始まった。

 

 龍の長大な総体が巨人の身に絡みつき、それを引き剥がさんと髑髏の巨体が唸りをあげる。

 それは巨大な個であり、また軍勢と軍勢とによる戦いでもあった。

 将たる者が上におり、その器に率いられた大勢同士の激突。それが個の形を為して覇権を争っている。

 壮大すぎる光景は幻想の中としか思えない。異なる世界法則同士の衝突は、見る者の常識など破壊して打ち棄てさせた。

 

「第九SS装甲師団(ホーエンシュタウフェン)。第十SS装甲師団(フルンツベルク)

 並びに、第三十六SS擲弾兵師団(ディルレワンガー)

 各師団整列――撃て(フォイエル)

 

 武装親衛隊。巨人より出でて、龍の領土へと仕掛ける総軍の中核部隊。

 ラインハルトが認める精鋭中の精鋭。狂奔した士気と冷徹な練度を併せ持つ英霊たちに餓龍の覇道が阻まれる。

 そこにラインハルト自身の一撃も加えられ、存在の芯をかすめる深度までの痛手を許してしまう。劣勢に陥っていく現状に、されどカイホスルーは憤らず把握に務めていた。

 

 欲に爛れた堕天の民は強い。それを限界まで搾取した出力は黄金にも劣らない。

 されど所詮は欲に塗れた烏合の衆。己の欲するままに動く咎人たちに群体としての強さなど期待できない。

 覇道とは群れであり、その統制と結束力とは即ち、個としての器の頑強さとして表せられる。如何に大出力を誇ろうとも、密度が甘ければそこを突かれるのが道理。

 カイホスルーとて破格の王器。だがラインハルトという将器は、こと戦争に限るなら右に出る者のいない統制力を誇っているのだ。

 

 札が足りない。この戦況を覆す切り札(エース)の存在が。

 雑多の中で一際輝く稀有な星。それは欲望を肯定する天下において、むしろ増加傾向になると予測できるが。

 

「どいつも右に倣えじゃあつまらん。壊れてようが、そもそも壊れた奴しかいない場所ならそれは“普通”だろう。

 他の連中と同じ向きじゃいられんのが“特別”だ。認めてやってから発揮される程度の欲望では何も出来ん」

 

 己で欲望の法を敷いておきながら、それに従うばかりでは不足だと言う。

 あまりと言えばあまりな物言いだが、それも然もありなん。彼は誰より強欲な貪婪餓龍。己が持っていないものこそ欲しがるのは、最も基本的な欲の発露なのだから。

 

「誰に従うわけでもねえ、“アイツ”のようにてめえ自身の欲望ですべてを押し通す。それでこそ俺が欲するに足る“剣”と成り得る。

 俺の期待を裏切るなよ。財宝を見る眼には自信があるんだ。俺の自負に泥を塗るつもりか?」

 

 果たしてそれは、誰に対して告げた言葉だろうか。

 見る眼があると言った。ならば対象のなった誰かがいるのは必然で、事前に見繕っていた者がいるということ。

 理に認められたからではない。元より超越の域にある欲の持ち主、世界を侵すまでにその渇望を昇華させた者こそが龍の眼鏡に適う資格を有する。

 

「なあおい、いつまで“女”ばかりに戦わせているつもりだよ?」

 

 カイホスルーにとって、女とは愛でて慈しむべき財宝(タカラ)

 女の戦働きなど本意ではなく、ベアトリスらは候補として外れる。

 

 ならばこの場における候補とは、もはや一人しか残されていなかった。

 

 

 

 

 それは動かない巨像のごとき屍体であった。

 

 人としての平均など優に超えた背丈。まともな成長で叶う肥大ではない。

 人と人とが融合し、互いの血肉を取り込んで一個の質量と化したような、歪なカタチ。

 そう、ちょうど“三人分”。三人の人間の屍肉の集合体。その存在を簡潔に言い表すならそんなところ。

 

 聖槍十三騎士団。黒円卓第二位トバルカイン。

 黄金の劣化品たる偽槍の担い手。魔人たちの所業による最大の被害者とも言える存在。

 屍兵の内へと繋がれた彼らは物言わぬ傀儡である。リザ・ブレンナーという繰り手を失い、これまで沈黙を続けていた。

 

 そんな屍兵が動き出す。

 左半面に被さる仮面。今はカイホスルーが被る死面の片割れ。

 死体を操るという理を宿した聖遺物を纏うことで、屍兵は仮初めの生へと舞い戻るのだ。

 半面分しかない仮面では、その顔を覆い尽くすことは出来ない。甦った死者としての醜い顔を晒しながら、戦鬼は活動を開始する。

 

「■■■■■■■■■■■■――――ッ!!」

 

 轟いた雄叫びは、もはや人の言語の体を為していない。

 死体の喉笛で、無理やりに声を発しようとしたためか。その叫びは耳障りな異音にしかならず、怪物の如き異形に拍車をかけるものでしかない。

 ただ分かるのは、咆哮に込められた戦気の凄まじさ。狂念と激情に彩られた魂からの雄叫びは、単なる傀儡のそれと言うにはあまりに真に迫っており。

 

 戦鬼が駆ける。

 黄金の軍勢(レギオン)へと向かった単騎駆け。それは無謀を通り越した愚行。

 即座に阻まれ、喰らう精密射撃の集中砲火。一発とて雑なものが無い銃砲撃を受けて、瞬く間にその身を削り散らされる。

 如何に不死身の屍鬼といえど、その損傷は十二分に致命的。このままバラバラの残骸となって潰えるのが本来の結果であっただろう。

 

 しかし、今の彼は餓龍の法の下に居る。

 黄金ともまた異なる不死の理。その欲望の前ではあらゆる財宝(タカラ)は無くならない。

 即座に再生し、再び突貫していく屍兵。どれだけしぶとくなっても勝機がなければ変わらず愚行で、それをただ繰り返す徒労ぶりは縛られた奴隷の姿そのものにも映る。

 

 だが、果たしてそれは本当に?

 偽槍を振りかざし、不滅の軍勢へと我が身を損ないながら向かっていく愚行。

 されど少しずつ、阻まれながらも止めることをしない進撃が、少しずつ前へ前へと進んでいっていると見えるのは気のせいか?

 いいや、気のせいなどではない。黄金の不死英雄(エインフェリア)たちを相手にして、劣化品の英雄は一歩、また一歩と着実にその戦果をあげていた。

 

 強くなっているのだ。

 ただ出力に飽かせて振り回しているのではない。

 その技が、その意志が、一振りのたびに研ぎ澄まされて、燃え上がり、その輝きを一層強いものへと昇華させている。

 もはやこの時点で、物言わぬ屍の所業ではあり得ないだろう。貪婪の法に染まることで、欲という魂の渇望が呼び覚まされようとしているのか。

 

「■■■、■■■■ea……」

 

 変化はそれだけではなかった。

 片面に覗く屍の貌。腐れかけのそれは醜く、もはや時間と共に朽ちていくしかなかったはずのもの。

 その貌に肉が、人のあるべき形が戻っていく。ただしそこに生命は無い。奇妙であるが、本能がそう断じるのだ。

 蠢く屍であるという本質は変わらず、しかし確かな意気を吐き出して駆けるのは、欠けたものを欲する亡者の様。生死の狭間に揺蕩いながら、偽槍の戦鬼は進撃し続ける。

 

「■■a、■■■ce……」

 

 あるべき形を取り戻したためだろうか。

 単なる異音にしかならなかった屍兵の声が、人としての肉声に近づいている。

 耳障りな響きなのは相変わらずだが、何とか聞き取れるまでになってきている。

 決して無意味な音の羅列ではない。発する言葉に意味があるのなら、それは亡者が欲する望みの源泉に違いなかった。

 

Bea(ベア)……trice(トリス)……」

 

 何度、その単語を繰り返してきたのだろう。

 喉が擦り切れ、その魂が灼け果てるまで、屍の内から失われなかった確かな望み。

 それは妄執なのかもしれない。如何に綺麗な祈りであっても、汚濁の中に沈んでいけば穢れてしまうのが必然だから。

 それでも、汚濁の中でも叫び続けた思いであればこそ、執念の強さにおいて疑いの余地はない。餓龍の覇道に触れることで、ついにその欲望が解放される時がやってきた。

 

「ウ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ォォォォ――――ッ!!!!」

 

 その執念を渇望(イノリ)に変えて、湧き立つ力と共に屍兵は駆ける。

 前へ前へ、立ち塞がる黄金の軍勢を相手取り、尚も退かずに斬り伏せながら。

 まるでその先に、求めたものがあるのだと信じるかのように。その様はまさしく、カイホスルーが求めた強欲の剣だった。

 

 

 

 

 駆け抜けるトバルカインの単騎行を、ベアトリスは激しい驚愕と共に見つめていた。

 

 無敵と信じた総軍(レギオン)が蹴散らされているからではない。

 そんなことよりも、彼女の心を釘付けにして離さないのは屍兵(カレ)のこと。

 その貌を目にしてしまった以上、気付かないなんてあり得ない。如何に記憶が欠けていたとしても、魂がその名前を呼び起こす。

 

「そんな、どうして……!?」

 

 謝りたかったし、怒りたかった。

 彼は私を死なせた人で、私が死なせてしまった人だから。

 どうして、今まで忘れていたのだろう。どうして、そこにいるはずの彼に気付こうとしなかったのだろう。

 自分で自分が嫌になる。私は愚かで期待に応えられない馬鹿娘だけど、今度ばかりは不甲斐ない自分を張り倒したい。

 どんな理由があったとしても、気付かなければ駄目だろう。私はあの子を救おうとしていたのだから。そうでなければ私の祈りは、その程度だったということで。

 

 巨人の総身を駆け上っていく屍兵(カレ)

 迎え撃つは修羅道に彩られし髑髏の兵団。黄金が誇る最精鋭と真っ向から斬り結び、退かず立ち向かう姿は雄々しくも痛々しい。

 それがいったい誰のためなのかと思えば、胸が張り裂けそうになる。かつての人だった頃の姿を知っているから、今の無残な戦鬼の様が見てられない。

 

 これは私の罪。

 決めるべきことを決められず、ずるずると先延ばしにした挙げ句、関わるべきじゃない子たちを巻き込んだ。

 なのにここにいる私は、相変わらず無力なまま。戦う彼に何もしてあげられず、見ているしか出来ないなんて。

 

「戒……ッ!」

 

 嘆きと後悔に慟哭して、ベアトリスは屍兵の本当の名前を呼んでいた。

 

 

 

 

「いつだったか、卿とはこのように剣を交えたことがあったな」

 

 叩き落とされた偽槍の鉄塊を片手で受け止め、変わらぬ余裕を湛えながらラインハルトは告げる。

 

「直接経験したわけではあるまい。恐らくは、那由多と繰り返された回帰の中に、そのような出来事があったのだろう。

 奇妙なものだ。あれほど疎んだ既知感も、こうなっては懐かしいとさえ思える」

 

 端然としているが、刃先が触れる掌では異常が起こっている。

 腐食化能力。ここまでの三代のトバルカインが有した異能。

 黒円卓の聖槍(ヴェヴェルスブルグ・ロンギヌス)は櫻井の一族を狙い打ちにする。血縁に結ばれた三人が同質の能力に目覚めたのは、おぞましき屍兵となる結末を運命付けられた必然だろうか。

 腐食を拡げ、飛ばし、そして己に触れたものを腐らせる。三代の妄執を結実させた異能は凶悪そのもので、触れるどころか近づくだけで腐れ落ちるはずだったが。

 

「まったく分からぬものだな、人生とは」

 

 愉快とばかりにそう言って、何気ない腕の動きのみで振り落としたトバルカインを神槍にて貫いていた。

 

 掌に及んでいた腐食も、軽く払えば跡形もなくなっている。

 やはり彼はラインハルト・ハイドリヒ。至高たる黄金の最強は、依然として揺らぐことはなく。

 

「これしきでは死ぬまい?かつてあれほど小気味良く啖呵をきった卿ならば」

 

 本来ならば塵も残さず破壊されて然るべきの、神槍の一撃。

 しかして餓龍の法下に死という喪失は存在しない。それでも並大抵の者ならば、黄金の破壊を受けて魂の原形を留めていられないだろうが。

 蠢く屍体は未だにその活動を終えていない。受けた損害はまぎれもなく甚大だが、狂する魂は己が望みを忘れてはおらず。

 

「私に挑む、その気概や善し。卿、護るべき者のために剣を取る勇者ならば、在りし日の美々しき様を取り戻すがいい。

 今ならば、そう今だからこそ、私は卿らに心からの愛を謳えよう。もはや夢と煩い、無聊を如何に慰めようかと案ずる必要もない。

 告白すれば、胸の昂ぶりを抑えきれん。伸ばせばすぐに掴めるだろう光景に、童の如く浮かれている。

 幼稚な願望だと我が事ながら思っていたが、流石にここまでとは思い至らなんだ」

 

 煩わしい既知感(ゲットー)はすでに無い。

 あり得た可能性を追っていけば、法則の檻に囚われることもあるだろう。だがあり得ない可能性に向かえば檻から脱することは容易い。

 蛇の座を模した架空の舞台。そんな創られた場所だからこそ、ラインハルトは生まれてからの何時よりも自由だった。

 

「しかし、ならばやはり時期尚早であったかな」

 

 そんな昂揚に自ら水を差すように、自嘲的な呟きをラインハルトは漏らす。

 

「現状においても不満などなく、期待以上の成果だが機として熟しているとはやはり言えまい。

 悩ましいな。どうしたものかな、これは」

 

「知るかよ。てめえから仕掛けておいて、随分と舐めた口を利いてくれるじゃねえか」

 

 巨人の天頂に佇むラインハルトの声に答えたのは、龍の頭頂に座したカイホスルー。

 耳の良さや距離がどうこうと、それらの問題は彼らの間では何の障害にもなるまい。

 遠く彼方の二人が当たり前に言葉を交わす。そこに疑問を差し挟む者はなく、神格たる両者は会話を続ける。

 

「総てを愛すると宣ってるんだろう。ならば宝の愛で方くらい心得ておけよ。

 こいつらの価値はまだ決まっていない。押してやればもうひと化けはするかもしれねえ。

 それくらいの寛容さは、王者ならば持っておくもんだぜ」

 

「そう言われては言葉もないな」

 

 言われた指摘に納得してみせ、肩を竦ませるラインハルト。

 

「私は我慢弱く、そしてくだらない男だ。此度のことも、結局は我が身の軽挙に原因は終始する。

 笑ってくれて構わんよ。愚かしい男の愚行だと。改めるべきだと分かっているが、なかなかどうして」

 

 己の非を認め、自罰の言葉を口にする様は殊勝とも取れるだろう。

 ラインハルト自身の美麗もあって、その所作は優雅であり謙虚。一見すれば話が通じるのではと思えてしまうが。

 

「悩ましいと言ったぞ。卿との戦は、既に十分すぎるまでの昂揚をもたらしてくれた。中途で切りあげるのが惜しまれるほどに。

 卿にとってはどうか?この戦争(わたし)は卿の強欲にとり、求めるに値する財だろうか?」

 

「こっちも言ったぜ、知ったことじゃねえと。そもそも戦働きなんざ俺の趣味じゃねえよ」

 

 彼らは覇道の資格を有した狂人同士。どちらも己の求める所にしか関心はない。

 事実、こうして話をしている間でも、彼らの随神相たる巨人と龍の闘争は続いているのだ。

 真っ当な利害と話し合いで解決できるほど、柔軟な作りをそもそもしていない。覇道同士が激突したなら、あとは行き着くところまで行ってしまう。

 

「こんな戦いの勝敗になんぞさしたる興味もない。そこまでして欲しがるならくれてやっても構わねえ」

 

「否。与えられた勝利など塵芥ほどの価値もない。

 卿、私を失望させることが狙いなら、確かにその言は的を射ているぞ」

 

「そう急くなよ。お前の欲しがるもんをくれてやらんとは言っていない。

 こいつは取引の話だ。期待に応えてやってもいいが、代わりに俺が欲しいものをよこせ」

 

 挑発するように目を細め、カイホスルーが言う。

 言葉にすれば単なる仕草の一つ。されど神威たる龍王が放つそれは、黄金の巨人すら一瞬怯ませる威光を有した。

 

「ふむ。であるならば、卿。まずは私の期待に応えてもらわねば始まらんが?」

 

「これ以上の御託もいらん。言いたいことは色々あるが、まずこれだけは言っておくぞ。

 いつまで見下してるつもりだ、てめえ。己が上だと思ってやがる、その思い上がり。まずはそいつから改めさせてやるよ」

 

 ぶつかる覇気。うねりをあげて、混沌の太極図を描いて世界を包む覇道と覇道。

 規模が大きすぎる法則(ルール)同士が、描かれるべき色彩を歪ませてキャンパスへと塗りたくられていく。

 今はその一歩手前で踏み止まっているが、両者とももう一歩を踏み込めば、世界という画に“穴”を生じさせるだろう。

 

 まさしくその一歩の差、瀬戸際で続けられる斬り結び。

 より決定的な域に達してしまうその前で、ラインハルトとカイホスルーの戦いは行われる。

 互いに相手への明確な殺意を有し、攻撃はどれも破滅そのものの具現といって過言じゃない。されどそれでも、両者にとってこの闘争は本番にあらず。

 完全に雌雄を決するつもりはなく、あくまで前座としての興じ合い。ほんの一つのかけ違いで真の破滅に転がっていくと認識しながら、振るう自らの力量を微塵も疑っていないのだ。

 

 

 ――――そんな二柱の間に、果たして如何なる取り決めが行われたのか。

 

 

 天下に住まう人々に、天上の座の意志を測り知ることは出来ない。

 神話さながらの次元の戦い。あるいは永遠に続くのではとも思われた不死同士の大戦争。

 その結果は、痛み分け(ドローゲーム)。幾度もの激突の応酬の果てに、どちらともが退くというカタチで決着した。

 

 




トバルカインの姿は、diesとkkkの中間くらいをイメージしてください。
分かりやすい例だと、三つ巴戦での蓮。その戒バージョンと思ってもらえれば。
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