無慙無愧が巡る怒りの日   作:ヘルシーテツオ

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第十二章『それぞれの時間』①

 まず、自分が置かれた現状について振り返ってみようと思う。

 

 私の名前はベアトリス・ヴァルトルート・フォン・キルヒアイゼン。

 世界に悪名高き黒円卓の一人。つまりは憎まれるべき人でなし集団の一味。私自身、そこに異論はまったくない。

 そんな私はここ、諏訪原市にて黄金錬成という、一般市民の人たちからしたら傍迷惑かつ、とても胡散臭い儀式に参加するはずだった。

 概要などを説明すれば、まあ悪党どものやることなのでお察しだ。人の命を何とも思わない外道の所業。詳しい理屈なんて語りたいとも思わない。

 

 ……そう、“だった”。

 今言ったことは全部過去形。現状は私が知るものとはかけ離れた代物となり果てている。

 正直、理解は全然追い付けていない。それでも、努力を放棄して逃避するつもりもないので、足りない頭なりに頑張ってみようと思う。

 

 初めに、この世界には今とは違う、色んな宇宙があったらしい。

 いきなり荒唐無稽なSFちっくになったけど、考えてみれば私たちだって十二分に荒唐無稽だ。

 そう自分を納得させて、元より学者肌とは言えない私は、とりあえず事実として受け入れると決めた。

 前提条件からして違うという、別の宇宙。そこでは星々を股にかけた熾烈な戦争が繰り広げられていたという。

 善と悪。私たちにとっては時代や立場によっても入れ替わる曖昧なもの。その明暗が残酷なまでに分かたれて、黒か白かの二陣営で殺し合う。

 話だけでも険呑な世界の住人たちが、ここ諏訪原市にやって来ている。魔王と呼ばれる悪サイドの主要人物たちだそうで、こちらに来てもやる事は揃いも揃っての殺し合い。

 悪い奴らと悪い奴らが合わされば、碌でもないことになる見本だろう。そうやって殺して殺されてとやっていく内に、小康状態に落ち着いたというのが今の状況。

 

 そんな魔王の一人が支配しているのが此処、所謂アウトローと呼ばれる人たちがひしめくという通称、底なし穴(ボトムレスピット)

 この場所のことを、私は知らない。しかしどうやらここの設立には、黒円卓(わたしたち)も関わっているらしい。

 そういう曖昧な言い方になってしまうのは、ここの成立が私が死亡した後のことであるからだ。うん、我ながらおかしなことを言っていますね。

 

 どうにも、私は既に死んでいるらしい。

 死んだ私が生き返ったとか、そういう話でもなく、この世界そのものが過ぎ去った時間の再現。

 仮想現実、という表現が近いのだろうか。正直、私も言葉を知る程度で大した知識があるとは言い難い。

 ハイドリヒ卿の不死英雄(エインフェリア)とも違う。永劫の輝き(アイオーン)というそうだけど、やっぱり詳細は理解できない。

 結局、私自身が実感できていない以上、どんなに理屈をこねたってしっくりこない。そういう事実として受け入れるしか対処がないのだ。

 ただ、それでも一応は、私にも納得できるだけの材料もあった。少なくとも、ここに在る私が、私の知らない思惑に動かされているのは間違いない。

 

 周りとの認識がズレている。

 記憶と時間。私のものと他人のものには、一〇年ほどの開きがあった。

 すぐにでも気付きそうな差異。その違和感に明確な事実を突きつけられるまで気付けなかった。

 流石に私の鈍感さだけで説明できる話じゃないだろう。誰かの作為があるのは明らかで、違和感を認めれば様々な事実が私の中に溢れ出していた。

 私は死んだ。1995年の12月、世界大戦から半世紀の節目、黄金錬成を先走った私は、救いたかった人の手で討ち獲られた。

 悪夢のような記憶。それは突き付けられた罰のように、思い出されたあの時のことは、私を抉り、今も苛んで離さない。

 

 降りしきる雨の冷たさ。

 奇跡のような陽だまりだと信じた、悲壮な決意を湛えた彼の顔。

 生き返ったと思った。間違っていないと信じられた。そんな甘い幻想に縋った全てが、返す刃となって私を斬り裂く。

 何よりも大切に思っている相手なのに、そんな相手と殺し合わなければならない。まるで自分の心を斬り刻んでいるようで、一秒でも早く終わってくれと願いながら剣を振るった。

 思えばいつだって、私は失敗してきた。誰かを救いたいと願いながら、出してきたのは真逆の結果。愛する者に死を運ぶ死神だと、水銀の言葉がどうしようもなく突き刺さる。

 

 でも、だからといって、今さら私に何が出来るっていうんだろう?

 

 私は黄金錬成に参加するはずだった。

 儀式を阻止するために。黄金を打倒し、水銀を滅し、敬愛する上官を取り戻す。

 無謀だと嗤われても、覚悟と共に誓ったはずの決意。その熱が、今の私からは薄れている。

 私の戦いは、既に終わっている。自身の齟齬を認識して、最後に理解したのはその事実。

 全てに満足がいく結果ではなかったけれど、必死に走った結果なら、私はそれを受け入れたい。

 

 つまりはもう、ハイドリヒ卿に挑もうという意味が、私の中から消え失せてしまったということ。

 そうなると、いよいよもって手持ち無沙汰だ。事態はとうに私が対処できる範囲を超えていて、もはや流れに身を任すしかないと思えてしまう。

 

 だけど、そんな考え方はやっぱり性に合わなくて。

 頭で考えるだけで何もしないなんて、そんなものは私じゃない。どう足掻いても身体と心が受け付けてはくれそうになかったから。

 

「――次!」

 

 下卑た笑みを浮かべていたその顔に、鼻っ面ごと叩き潰す勢いで突き込んだ打拳。

 倒れ伏した相手を一瞥し、即座に次の相手を要求して、私はそう言い放った。

 

 地下空間に広がる、大型の体育館くらいはすっぽり包めそうな、何も無い場所。

 かつてここの人たちは、この場所のことを“訓練場”と呼んでいたらしい。

 要はアウトローな皆さんが、その沸き上がる暴力性を発散するための場所。この日本ではなかなかお目に掛かれない、過激な裏闘技場といったところか。

 

 もっとも今現在、ここで行われているのは“訓練”なんて生易しいものじゃない。

 武器ヨシ。追い打ちヨシ。使用禁止の技など無く、殺しもアリ。いいやそれどころか、勝敗を決めるのは死を含めた戦闘不能状態のみというデスマッチ。

 暴力へのタガが完全に外れている。壊し壊される悦楽に、誰もが夢中になり没頭していた。

 

 かつてはここにも、相応のルールがあった痕跡はある。

 しかし、そのルールを敷いたであろう“リーダー”は既になく、今のこの場所を支配するのは魔王(キング)

 欲望全肯定の魔王様は、何の制限も設けなかった。やりたいようにやれと、彼らの欲望の背中を押した。

 過激さは悪化の一途を辿り、あっという間に鮮血がほとばしる死の遊技場へと成り果てる。生き死にを見なければ収まらない暴力性の解放は、しかしある意味では当然だった。

 

 なにせ、彼らは死なない。

 普通なら明らかに致命傷となる怪我をしても、死んで無くなるという当たり前がここでは通用しないから。

 頭を潰され、身体を抉られても、命は失われずに甦る。となれば遠慮する理由は何もない。

 より過激に、より凄惨に、その欲望の赴くままに。泡のように沸いてくる命に、恐怖さえ忘れてしまった心には歯止めなんてきかなかった。

 

 ここでは強い者が得をする。

 奪って奪われて、どちらも快楽には違いなく、力を持つ者たちのパラダイス。

 では、その力を持たない者たちは?奪われるしかない弱者たちはどうなるのか。

 どうにもならない。彼らはひたすらに搾取される。そこに救いなんてまったく無い。

 見渡せば、誰もが欲望のままに愉しんでいるように見えて、その中の一部には笑っていない者たちがいる。

 どんな社会にだって序列はある。力を持っている人が貢献に応じて多くを得るのは当然で、持たない人の取り分は少なくなるのも仕方ない。

 欲望を肯定した世界では、そんな力の図式に対する憚りが無くなってしまうらしい。情けや躊躇なんて見せず、恥もせずに堂々と弱者たちから搾取をし続ける。

 

 その弱さとは、きっとまともな世界では優しさや労わりと呼ばれるもので。

 つまりはこの世界の理に順応出来なかった人たち。人の悪徳を容認、いいや推奨してくる環境の変化についていくことが出来なかった。

 確かに彼らは弱者なんだろう。いち早く環境に応じて変化できることが強さなら、元の性質に足を引っ張られている彼らは弱者としか言えない。

 強者は手に入れ、弱者はいつまでも奪われる。欲望が支配する世界の真理。それについての是非に、修羅道の使徒である私にとやかく言える資格はないかもしれないけど。

 

 ただ、“気に入らない”。それがこの遊技場に身を投じた何よりの理由だった。

 

 私は勝つ。勝って、勝ち続ける。

 ここでは勝者こそが正義。その事実でもって、弱者を護る盾となる。

 幸いなことに、私の見た目は結構な綺麗所だ。欲に痴れた男連中がどういう劣情を抱くのか、口にする気も起きないほどありきたりで。

 生意気な女に分からせてやると、標的にされる理由にも事欠かない。そうなっている間だけでも、その欲望はこちらへと向くだろう。

 当然、ここはルール無用の遊技場で、相手は何だってやってくる。武器の使用は勿論のこと、薬物による身体強化(ドーピング)まで。それでも私は、常に真っ向勝負で迎え撃つと決めていた。

 

 悪魔たちに魂を売った私は、真っ当な人だとは言えない。

 その上で、修羅たちの地獄(ヴァルハラ)を否定する私は、黒円卓においても異端だ。

 加えて此処の道理にも馴染めない私は、どの陣営からも外れた者なんだろう。そんな自分の立場に不安を感じていないと言えば嘘になる。

 

 そんな弱気をこそ吹き飛ばすように。

 意地を通して力を奮う。彼らの暴力(チカラ)と同じにはならないと、そう自身に言い聞かせて。

 

 

 

 

「お疲れ様でした。戦乙女の名に恥じぬ、たいへん勇ましい姿でしたね」

 

 戦いの合間の小休止、酷使した身体を休めていると、いつも通りの嘲笑を浮かべたジークリンデが話かけてきた。

 

「お水をお持ちしました。……ああ、お疑いのようですけど、毒など入っていませんよ?」

 

「……それを信じろというんですか?あなたは私たちの敵なのでしょう?」

 

「まあそうですけど、今さら貴女一人をどうこうしたところでねえ。

 そもそも手に入る毒物程度で、()()()()()()()()()()()()()()。せいぜいが嫌がらせにしかなりません。

 ああ、でも考えよう次第では、今の貴女にとっては十分な嫌がらせになるんでしたよね。敵が悶える様を見れば、何かしらの留飲が下がるかもしれません。

 どうです?どちらだと思います?無意味な嫌がらせを、私はするのか、しないのか?」

 

 その物言いに私は溜め息をついてから、差し出された水を受け取り一気に飲み干した。

 喉を潤す清涼感。疲労した肉体が喜ぶのを感じる。毒物なんて何もなく、空になったボトルに入っていたのは、ただの水。

 

「ごちそうさまでした。一応は親切なのでしょうし、礼は言っておきます」

 

「まあこれは意外です。まさか信じていただけるとは。

 よろしければ、理由をお伺いしても?」

 

「さあ?きっとあなたも思っている通り、私はあまり頭がよくありませんから。

 あれこれ考えたっていい答えは浮かばない。だったら出たとこ勝負でいいでしょう。嫌がらせくらいなら飲み干してあげますよ」

 

「なるほど。貴女は本当に潔くて清廉で、そして青臭いのですね。口にする建前と、その裏の本音がきちんと噛み合っている人は少ない。昔日のアルフレートが好意を抱いたのも頷ける話です。

 そんな昔のままだからこそ、今のあなたはおぞましい。そう言った彼の言葉は――ああ、ちゃんと貴女の胸に残っているみたいですね。

 彼を戦場へと送り出した長として、まずはその事を喜ばしく思います」

 

「そうやって人の心に無遠慮に踏み込むのは、あなたにとって習性か何かですか?

 仮にも共同体に属しているなら、相手に対する配慮も覚えるべきでしょう。誰彼構わずそんな態度で、組織の局長の地位にいるなんて信じられません」

   

 以前は考える余裕もなかったが、改めて見ると彼女も不思議な存在だろう。

 

 ジークリンデ・エーベルヴァイン。

 東方正教会双頭鷲(ドッペルアドラー)局長。黒円卓を、しいてはカール・クラフト=メルクリウスの誅滅を絶対目標とする、神秘側に属した組織。

 そんな歴史ある組織の長を務めている人物が、見た目明らかに十四、五歳程度の少女だという事実に、随分と驚かされたのを覚えている。

 勿論、ただの少女じゃないことは実戦でもって思い知らされた。多種多様な超能力を修めたサイキックの申し子。魔人を除けば、彼女もまた世界の脅威となり得る超人だろう。

 しかし、果たしてそんな存在を自分たちの上に据えようとしたがるものだろうか。かつてハイドリヒ卿を厭んだヒムラー長官のように、能力だけで素直に納得できるほど人間は簡単じゃない。

 普通ならその異能を危険視して、首輪を付けたがるものじゃないのか。そもそも彼女自身としての考えはどうなっている?

 

「あなたのような人が私たちの中にもいましたよ。

 知っています?メルクリウスというんですけどね。あなた方の仇敵ですよ」

 

「なるほどなるほど。彼は双頭の鷲(わたしたち)が長年に渡り追い続けた存在ですからね。

 その憎しみは愛情のように熱く、深く、思いを募らせるあまり、相手と同じように染まってしまうこともあり得るのでしょう。

 まるで恋に焦がれる乙女のように。ふふふ、ロマンチックな話だと思いませんか?」

 

 怨敵の名前を出しても、彼女はまるでどこ吹く風。

 今の言動といい、単なる敵意や恨みといった感情ではない気がする。組織としての大目標は別にして、ジークリンデ当人は本当に水銀を仇敵だと見ているのか?

 

「私に興味がおありみたいですね。でも、何てことはない。実にありきたりで益体のない話ですよ。

 敵国の思想や文化は否定しても、技術に関してはその限りではない。こと兵器となれば特に顕著だと言えるでしょう」

 

「……やっぱりレーベンスボルンですか」

 

「あら、気付いていたのですね。あなたはあの組織について避けていたようですから、これは意外です」

 

「そうですね。極力関わらないようにはしてきました。だけど、本当の意味で何も見ないままというわけにはいきません。

 ですが、そういうことならジークリンデ。あなたの悪意の元とは私たちの、それにリザさんの行いによるものですか?」

 

 どんなに耳障りのいい題目を並べても、あそこで行われていたのは子供を使った人体実験でしかない。

 子供とは国の未来。そんな未来の存在を産み、育むことこそが女の意義。リザさんのその主張を、狂気で歪ませ尽くした果てがあの場所だった。

 超能力の開発、つまりは超人の人為的な作成。そんな狂った目的のために、何千人もの子供が犠牲となった。未来を守るための施設で未来(こども)を殺していくなんて、こんなにひどい矛盾はない。

 それでも、その研究の果ての“成果物(イザーク)”にあやかってしまった黒円卓(わたしたち)にそれを責める資格なんて無い。その因果がジークリンデという少女の人生に影を落としたのなら、私たちへの悪意は真っ当なものとしか言えないけど。

 

「まあ、やっぱり普通はそう思いますよね。実際、私もそういうノリを踏襲してみようかとも思ってみたんですが。

 自分でもびっくりするくらい、どうでもいいんですよね。あなたたちも、リザ・ブレンナーも、まったくそれらしい感情が沸いてこないのです」

 

 そう言ったジークリンデの顔には、いつもとまったく変わらない嘲笑が浮かんでいて。

 天真爛漫な表情でも浮かべていれば、きっと妖精のように可憐な姿だろうに。周囲を嘲って憚らない壊れた笑みが全てを台無しにしている。

 その姿に、なんとなくだけど察した。彼女の悪意は、黒円卓(わたしたち)なんて限定的なものではなく、その濁った瞳に映る総てに向けられているのではと。

 

「向けられた悪意の数だけ悪意を返す。不快な音色を撒き散らす音叉だと、聖餐杯は言いました。

 きっと私に、確かな自分なんて無いのでしょう。ここにあるのは、自らの異能に喰い潰された慣れ果ての器。だから怒りとか恨みとか、よく分かりません」

 

「ジークリンデ……」

 

「だけどそんな空っぽの器だからこその利用価値もある。中身が空なら、そこにいくらでも詰め込めるってことでしょう。

 思想でも、信仰でも、代々に渡って受け継がせてきた恨みつらみでも」

 

「まさか――!?」

 

 思い至った自分自身の想像に、私は吐き気を覚えた。

 

双頭の鷲(ドッペルアドラー)。それはこの世界の裏側の真実に、ほんの一端でも気付いてしまった“不幸”な人たち。

 相手は規格外の“神”そのもの。一代限りの真っ当な祈りでは、小指の先にだって届かない。何代でも受け継がせて、その純度を高めていかなくては。

 記憶の植え付けに思想の継承と強制。そういった諸々の処置を経て、私というものはここに在る。

 私は楽器よ。水銀が奏でるオペラに不協和音を響かせる呪詛の歌。それがジークリンデ・エーベルヴァインなの」

 

「狂ってる……!」

 

「ええ、ええ、そうですとも。本当にこの宇宙は狂人ばかりですね。まともな人には席さえ与えてもらえない。まったくもって狂っています。

 子供は好きです。素直で綺麗で可愛らしくて、何よりも五月蠅くない。だから、個人的な好感だけで言えば貴女のことも好きですよ。ベアトリス・キルヒアイゼン?」

 

 皮肉を混じえた好意の言葉にも、きっと意味なんて無い。

 だって彼女には自分が無いから。ジークリンデ・エーベルヴァインという名の呪いが、彼女の自我を塗り潰してしまっている。

 なんて、ひどい――!たしかに黒円卓(わたしたち)は外道だけど、それを斃そうとする者まで道を外れてしまえば、後には人でなしが残るだけじゃないか。

 

「だから言ったではないですか。益体のない話だと。ねえ、清廉潔白でお優しい戦乙女(ベアトリス)さん?

 私の事よりも、あなたこそいったい何をしているんでしょうか。正義の味方の真似事?そんな無理が出来る身でもないでしょうに。

 下手をしたら本当に敗けてしまいますよ。弱体化も著しいようですしね」

 

 聖遺物を奪われて、今の私には魔人としての力は使えない。

 精々、活動位階といったところだろう。ここの人たちも欲の覇道の影響か、地力を底上げされているから決定的な優位は何も無い。

 物理的な影響を弾く霊的な防護という魔人としての最大の利点も無い。ともすれば今の私は、不覚を取って敗れてしまう可能性が十分にあり得るということ。

 

「今のここの人たちはちょっと五月蝿すぎるくらいですしね。敗けたらいったいどんな目に遭わせられるか。

 低俗で、乱暴で、容赦もなければ呵責もない。浅ましくて正直な人の欲望。どんな気分ですか?じつに半世紀ぶりに、そういうものの対象にされるのは」

 

「悪くはありませんね。むしろ今までよりも充実しているくらいです」

 

 そう、今の私の状態は、極めて対等な条件だと言っていい。

 魔人として、異質な法則で武装して一方的に蹂躙する。決闘などとは呼べやしない殺戮をしないで済んでいる。

 それは私にとって、解放感にも似た思いだった。騎士として、臨むべき闘いとはこうあるべきだと。

 

「あまり有意義なことではないのは承知の上です。ええ、ですけど私は、言ったように賢くないので。

 縮こまって何もしないでいるよりかは、たとえ無意味な徒労だとしても、護りたいと思えるもののために戦いたい。

 どう言ってもらっても構いません。それでも私は、自分の心を捨てるつもりはありませんから」

 

 たとえそれが偽善に過ぎなくて、もはや意味なんて無いのだとしても。

 道を照らす光になりたい。過日の誓いは、今もこの胸に宿っている。

 私に何が出来るかなんて分からない。それでも道を進まなければ、先導することだって出来ないだろう。

 少なくともここにいる私は、今も誰かの救いとなることを願っているのだから。

 

「フフフ。ああいえ、別にあなたを嗤っているわけじゃないんですよ。

 ただ、なんというか、本当に同じようなことを考えるんだなぁって。“貴女たち”は」

 

 ジークリンデの、含みを持たせた言葉の意味を問う前に。

 激しい打擲の音。響き渡った歓声と喧騒が、私に答えを教えていた。

 

 

 

 

 図らずもこの世界に落とされて、目覚めた先で見た人物を私は衝撃と共に受け止めた。

 

「目を覚ましたようだな。まずは何よりだと言っておこう」

 

「お父様……!?」

 

 ここで私が最初に邂逅を果たしたのは、誰であろう美の覇道たるクワルナフ。

 私にとって、彼は創造者であり、不俱戴天の魔王であり、そして何より拭えない慚愧そのものである。

 色々な因縁がありすぎて、うまく感情を処理できない。未知の状況への困惑とも付随して、私の中の混乱は深まっていくばかり。

 

「あるいはこの環境に適応できず、目覚めないこともあり得たからな。それを思えば喜ばしい結果だと言えよう、(クイン)よ」

 

 絶滅星団(サウルヴァ)という巨体の器ではない。その魂魄の姿であり、本来あるべき美麗な人の姿。

 かつては目にしただけで、理性も何もかも蒸発するような感覚を味わったが、今のところは落ち着いて対峙できている。

 無論、彼の美しさが損なわれたわけではない。以前に相対した時のクワルナフは白痴に近い状態で、言うなれば己の覇道を垂れ流しにしている状態だった。

 今のクワルナフの眼には、確かな理性の光がある。つまり制御が行き届いているからこそ、他への影響も任意に変えられるようになったということ。

 

 だからこそ、私程度の者でも向き合うことが出来ているのだろう。

 そして混乱しつつも何処かで冷静さを保てていたからこそ、目の前の存在についても一つの答えに至っていた。

 

「……あなたは、もしやアイオーンなのですか……?」

 

「私という存在の不明に対しても解答を得ていたか。ならばやはり、この私はさしたる意味を持たないらしい」

 

 既に消えたはずのクワルナフがこうして目の前に立っている。それを説明する術を、私は一つだけ知っている。

 それは直にその異法を目の当たりにした者としての感覚でもある。記憶のイメージを縁に、その人物を再現する永劫の輝き(アイオーン)

 イメージ次第では元とはかけ離れた劣化品にも成りかねないけど、少なくとも私から見た限り、かつてのクワルナフと遜色ない出来だと感じられた。

 

「私にはその法則の名に覚えはない。しかし滅びたはずの私がここに在り、それを不可解と捉えぬだけの現象があることは理解した。

 ふむ。ここは互いの認識と知識の擦り合わせをするべきだと判断するが、如何に?」

 

「勿論、構いません」

 

 それから私たちは、お互いの事について話し合った。

 在り方が変わっても、やはり彼はクワルナフ。正直なところ、彼の叡智の助けがなければ、異なる宇宙という事態を前に、私は未だに混迷の中で途方にくれていたかもしれない。

 自分と相手とで、知っていることと知らないこと。この知識の食い違いは、恐らく私たちが“終わった”タイミングの差によるものだろう。

 マグサリオンの手によって討たれたクワルナフ。彼の記憶はそこの段階で止まっている。理屈としては何もおかしくない。むしろ筋が通っているといっていい。

 彼という存在にとっての終わりがそこで、余計な着色を加えずに再現すればこうなるのだろう。私自身も立ち合った彼の最期、世界を救うはずだった奇跡の神子の末路は、今も目に焼き付いて離れないから。

 

 彼は何も悪くない。

 魔王への転墜によって引き起こされた数多の破滅も、本来ならば存在するはずのなかったもの。

 容易く防げるはずだった。彼に罪があるなら、それはあの時に彼を見捨てた私の罪。

 遥かな過去、私が今の私のカタチではなかった頃の、拭えない慚愧。思い馳せれば感傷が生まれてしまうのは必然で、あやふやな私は自分でも無意味だと思う言葉を発してしまう。

 

「……もしも、やり直したい悔いがあるなら、これは好機なのかもしれません。あなたがそれを望むなら、私は――――」

 

「言ったはずだぞ、神剣よ。私は私の生涯に何の後悔も抱いていないと。そうして貴女が気に病み、憂いることこそ私にとっては心外だ」

 

「はい……」

 

 まるで懺悔を求める罪人のようだと、私は私を自嘲する。

 私の行いでもっとも苦しめられたのは彼なのに、その彼に許しを求めるという浅ましさ。

 本当に、私は半端で弱いんだと嫌になる。後戻りの利かない強者の道を選ばずに、迷いを孕んだ弱者として在ることを選んだ私だけど、こういう時には弱い私がひどく醜く思えてしまう。

 

「詮なきことに気を揉まずともよい。むしろ貴女にとって、これからのことこそ重要だ。

 話を聞いて確信した。やはり事の要となるのはそちらの方。私はそれに付随したカタチの端役に過ぎない」

 

「そんな馬鹿な。存在としての格の違いを考えれば、あなたこそ重要な――――」

 

「私は所詮、筋書きの中途で礎として潰えた者。かの凶剣を誕生させる流れの一端に過ぎん。真我(アヴェスター)の黄昏を見届けた貴女だからこその役目は必ずある。

 なに、そう心配されずとも、私は私でやってみるよ。かつてはやれなかった救済(コト)をやれるというのは、端的に言って興味が沸いているからな」

 

 困惑し、自分自身の在処を迷う私に、クワルナフは優しくそう告げてから、かつてのように“命令(オーダー)”を与えてくれた。

 

「この世界の奇跡を蒐集しろ。この地に住まうみんなの祈りに触れて、吟味し、その真髄を見極めろ。

 彼らと私たちとでは何が違い、どのような答えへと辿り着いていくのか。それを見届けて、後へと繋げるための兆しとするのだ」

 

 

 ――――そうして私は今、ここにいる。

 

 

 ここは無法者たちの住処。この地に降臨した魔王が統べる欲望の街。

 かつて義者(アシャワン)だった頃、白の陣営として打倒すべき巨悪であった第六魔王カイホスルー。

 真我(アヴェスター)の本能に従い動くのなら、彼を斃すべく動くというのが正しい姿勢なのだろう。とはいえ、もはやその通りに動くという気にはなれない。

 ここは真我(アヴェスター)の本能が支配する宇宙ではない。誰もが善と悪の両面を持った混沌の世界。きっとこちらの方が人間としての正しい姿なのだと今なら分かる。

 黒と白との色分けに従って、疑いもせずに人同士が殺し合う。そんな闘争に明け暮れた我々の所業こそ忌むべきものだったと認めていた。

 

 カイホスルーが言っていることにも道理があることは分かっている。

 かの魔王もまた、世界に理を流れ出させる覇道の器だ。“みんな”を染める彼の世界観からすれば、黒か白かの色分けこそくだらない。

 だからこそ、かつてもあり得ないはずだった義者(アシャワン)不義者(ドルグワント)による対等な同盟を築けたのだろう。そして今も、この世界に己の覇を築いている。

 貪婪餓龍の名に相応しい強欲の理。義者(アシャワン)の私からすれば、まるで住人全員が不義者(ドルグワント)のような有り様で、はっきり言って見るに堪えない。

 

 だから、行動させてもらうことにした。

 欲望の肯定にも一定の理はあると認めよう。節制が基本となる義者(アシャワン)の在り方が発展を阻害させているのだと、業腹ながら頷かなければならない。

 けれど、それは正義の価値を貶めていいものじゃない。真我(アヴェスター)の世界は間違っていたけれど、仲間たちとの絆を尊ぶという、義者(アシャワン)が信じてきた善の意義を否定していいはずがない。

 善が人の全てではないように、悪もまた人の全てではあり得ない。私たちが信じたものは、未来の同胞たちにも受け継がれている。ただの希望ではなく、それは確信としてあるものだ。

 

 だって、すぐ近くでそんな祈りを聴いていたから。

 悪徳を善しとせず、欲の食い物にされようとする弱者の前に立つ。それは澱んだ泥の中でもはっきり映る、輝ける光の意志。

 自分がここにいる意味は未だにはっきりしない。マグサリオンの元へと馳せ参じることも考えたが、今のままでは駄目だと思う。

 私は彼の鞘となりたい。冥府魔道をひた駆ける凶剣の、その刃止めの役割を担いたいと願っているから。

 人の奇跡を、善なる祈りを集めよう。受け取った命令(オーダー)は、きっと私自身の願いにも繋がっていると思えるのだ。

 

「お見事ですね。何度か拝見させてもらいましたが、とても感心させられる腕前です。

 打撃に投げにと、全般に渡って対応させた総合格闘という印象ですが、どうでしょうか?」

 

「これは戦士(ヤサダ)としての技です。善を護り、悪を砕く鉄槌となるよう、戦うために磨かれたものです」

 

 私たちは過ごした環境も、学んだ技術も違う。時代さえ隔てた、遠い異邦の者同士。

 けれど共通しているものがある。時を重ねて、誇りと共に切磋琢磨した技を修めた者としての自尊と自負。それは宇宙が違っても、正道を歩む者としての輝ける宝石だ。

 与えられた力に溺れる者には、決して共感できないだろう。修めた者にしか分からない理解があり、理解し合うからこそソレを通じて分かり合える。

 

 たとえそれが、人を傷つけ、打ち倒すことを目的とした技であっても。

 正しい意味のために使おうとする意志があるなら、決して邪悪などとは呼ばせない。

 

「よかったら一手、お相手を願えますか?」

 

 ベアトリス・キルヒアイゼン。

 彼女のその申し出を断る理由は、私には無かった。

 

 

 

 

 それはまさしく、組み稽古の手本と言えるような応酬だった。

 

 欲に痴れた者たちの乱痴気騒ぎ。壊し壊されを繰り返す周囲の暴力から、それは明らかに浮いている。

 邪念に満ちた場に流し込まれた清涼剤。理屈があり、敬意があり、時間をかけて精錬された美しさがあった。

 どちらか一方限りではこうはならない。互いに同じ道を歩いた者同士、正道の二人が在ればこその輝きがあった。

 

 打撃を受けては流し、投げをもらっては受け身で応じる。

 相手を打ち倒すための技術でありながら、そこに相手を壊す意図は存在しなかった。

 技を打ち合い、それに応じて、互いの研鑽してきたものを確かめ合う。対等な二人だからこそのコミュニケーション。

 

 武門の家柄として物心ついた頃には鍛練を始め、その後に士官として軍に入隊したベアトリス。

 学んだものは彼女の芯となっている。魔人の力を失おうとも、人として修めた力は失わない。

 エイヴィヒカイトとの契約を果たした後も、戦後半世紀も鍛錬を欠かさなかった彼女である。それが惰性からの行動であっても、重ねた時間は嘘をつかない。

 心身に染み込んだ術技は、如何なる精神状態でも損なわれることのない無窮の完成度。正道の枠において、ベアトリス・キルヒアイゼンこそ最優と評するのに疑いの余地はない。

 

 対し、クイン。彼女の戦士(ヤザタ)として教練に明け暮れた時間は、その実長いものではない。

 破滅工房より撒き散らされた道具として、誕生してから約七年間を宇宙漂流で過ごし、それから紆余曲折あって、最終的に所属した聖王領に辿り着いたのは三年前。

 合計しても、人間の基準でいって二十歳程度。そこから最終局面に至るまでの怒涛の日々。密度はともかくとして、まともな鍛錬に費やせる時間は限られているだろう。

 ただし、それもやはり人間基準の学習速度で比較した場合の話。人のカタチをしていても、彼女の本質は人ではない。こちら側で近い表現を探すのならアンドロイドというのが適切だろう。

 奇跡と祈りを集めるために、他人の思考に感応できる能力を持つクイン。それを応用し、他人の技術を模倣して自らの身で再現出来れば、人よりも遥かに優れた完成度を発揮できるはず。

 

 近代の軍格闘と、戦士(ヤザタ)に伝わりし武技の数々。

 一概に比較はできまい。どちらも殺し合いを身近と置いた技であり、その性質はより実戦的に練磨されていくのが必然。

 そして同時に、実際の戦場ではさしたる役に立たないというのも共通だった。戦場で人を殺すのは銃弾や砲爆撃であり、魔将が振るう天災じみた力だった。

 五体を用いるなんていうのは最後の手段。使う機会などまず訪れない。言ってしまえば形式にも等しいもので、それでも修めることを止めないのは、肉体以上に精神を養う意味合いが強いためだろう。

 痛みに慣れる。行為に慣れる。修めた技術は自信となり、戦場にて生き残らせる助けとなる。軍人として、戦士としてのあるべき心得。それはどちらの宇宙でも同じこと。

 

 故に、決定的な差とはなり得ない。

 技の相性、細かい部分での優劣などはあるだろう。しかし、勝敗を定める絶対要素ではない。

 人の誇りに貴賤が無いなら、価値を決めるのは取り組んできた姿勢の真摯さや熱意といったもの。己の信じたものをより高みへと昇華させた者が勝利者となる。

 

 だからこそ、その流れに予想外と言えるものは一つもなかった。

 終わらない舞踏のようにも見える整然とした立ち合い。真っ当な道を極めた両者だから、無駄が入り込まず綺麗に見える。

 澱みの無い流れは、全てが予定調和の中にある。であればこそ、その結果も一つに収束するのが必然だった。

 

「――参りました。改めて、見事な腕前です」

 

 怪我一つ負わされず綺麗に倒されて、地に付した体勢でベアトリスがそう言った。

 その顔に屈辱はなく、相手に対する晴れ晴れとした敬意だけがある。差し出されたクインからの手を、躊躇うことなく取って立ち上がる。

 

「これでも自信はあったのですが。こうまで見事に下されたのは私の上官以来です。

 単なる喧嘩自慢ならいるのですけどね。やっぱり、きちんと修めた人とやるのはためになるし、気持ちがいいです」

 

 口から出てくるのは対戦相手に向けた賛辞の言葉。

 結果は敗けでも、その流れに納得するなら不満など出てこない。

 むしろ黒円卓という外道たちの中で生きる身としては、クインの清廉さが懐かしくあるのだろう。歓迎こそすれ、拒絶する理由は何処にもなかった。

 

「ありがとうございます。あなたからの賛辞は、私には心地良い。かつての同胞たちと話をしているようです」

 

 それはクインにとっても同じだった。

 彼女にはかつての同胞である義者(アシャワン)たちへの愛着がある。だからこそ、ベアトリスの人柄は彼女にとって好感に値した。

 魔人となり、人としての倫理を外れていく者が大半の中、尚も真っ当な人間性を貫いている彼女の善性は得難いものだ。

 よって親愛の情を抱くのも必然だと言えるだろう。もはや世界からも孤立した彼女たちにとって、互いの存在が唯一の心通う相手だと言っても過言ではなく。

 

「しかし、それだけですか?お行儀が良いのは結構ですが、もう少し本気になってくれないと困ります」

 

 そんな安穏とし掛けた空気を、他ならぬクイン自身が断ち切った。

 

「確かに腕前はお見事。けれど今の立ち合いは、あなたにとって本領とは呼べないでしょう。

 あなた本体の得物は剣。剣を持たないあなたに勝ったところで、胸を張ることなど出来ませんよ」

 

 格闘の技巧とて決して半端なものではない。だが言うように、ベアトリス本来の姿とは剣を取った戦いだ。

 魔人よりも、まず騎士として。実利よりも誇りとして携えた魂の白刃。(それ)を取らないヴァルキュリアを降したところで、片手落ちであることは否めず。

 

「思っているのでしょう。私たちは軽んじられていると。誰からも、きっと自分自身ですら、確かな居場所を見つけられていない。

 ここではきっと、私たちの方こそ異端で、悪だから。何をしてみせたところで、ここの人たちには相手にもされていない」

 

「それは……」

 

「正しいと信じているものが認められない。その鬱屈した思いがあったから、こうして立ち合いを申し出たのではないですか?

 澱んだ気持ちを吐き出して、何も考えず思いっきりぶつかり合いたい。それが今のあなたの本音のはずです」

 

 讃え合った賛辞も嘘ではない。

 人権を重んじる現代の価値観で見ても、それは正しい姿勢であることに疑いの余地はないだろう。

 

 だが、それだけではない。

 だって彼女たちは騎士であり、戦士だ。殺し合いという究極の勝負事の世界で生きてきた者たちだ。

 修める意味?精神鍛練?ああ勿論、それらも大事だし蔑ろにはしていない。

 しかしそれだけで満足するほど悟り切ってもいないのだ。勝ち負けに拘るのはこの世界で生きる者の常。

 

 つまり、心から敗けを認めて脱帽したわけじゃないということ。

 敬意を示しつつも、その内心には隠されたものがある。私はまだ本気を出していないから、本当の意味で敗けたわけじゃないというエゴ。

 一概に悪いと言えるものでもない。対抗心、競争心といった、人の成長に不可欠な要素でもある。それでも表に出してしまうのは恥に思えて、清廉な態度に秘めようと努めていた本音。

 

 取り繕った中にあるベアトリスの想いを、クインの感応は見抜いていた。

 

「くだらない意地ですよね。大人になれば誰もが忘れてしまう。互いに尊重し、譲り合う方が社会は上手く回るから。

 だけど、それは本気で向き合ってないことになりませんか?気遣うことばかりが信頼ではないと思うのです」

 

 それはクインにとって苦い経験から出た言葉でもある。

 善悪が流転する真我(アヴェスター)の宇宙。たとえ寸前まで同胞だった相手とて、堕ちてしまえば憎むべき敵と変わる。

 忘れもしない、クインが愛した(フェル)のこと。黒と白とで分かたれた宿命として殺し合いを演じたけれど、嫌々と嘆いていたばかりじゃない。

 本気でぶつかり合った。交わすのが殺意でも、嘘偽りのない思いだからこそ見えてくるものもある。善に悪にと転ぼうと、不変としてあるその人の真実。

 

 遠慮はいらない。社交としての奥ゆかしさも、今だけは忘れよう。

 全てをかなぐり捨てて、持てる限りを尽くして殴り合おう。何も考えず、無様で醜くたっていいから、我慢だけはしないように。

 

「せっかくですからとことんやりましょう。幸いにもここでなら、どう転ぼうとも最悪の事態にはならないようですし」

 

 瞬間、沸き上がったのは周囲からの歓声。そして投げ込まれる一振りの刀剣(サーベル)

 別段、彼女たちの姿勢に感化されたわけではない。重要なのは、彼女たちが並外れた強者であり、その戦いが尚も続行されようということ。

 思わず見惚れるほどに美しかった舞踏だが、同時に物足りなさもある。血潮を散らせ命を懸ける死闘こそ、ここでの娯楽なのだから。

 強い者たちの真剣勝負こそ最も面白い。それはこの遊技場における共通認識であったから。

 

「別に、彼らの娯楽に付き合ってあげるつもりは無いですが」

 

 言いながらベアトリスは、投げ込まれた剣を拾い上げる。

 手に握る感触と、その重さを確認し、洗練された動作で鞘から白刃を抜き放った。

 

「あなたが言った事には同意します。クインさん。ええ確かに、今の私はあなたと全力でぶつかりたくて仕方ない」

 

 宣戦の言葉を口にした、刹那、二人の間での空気が変わる。

 それ即ち、死闘への合意の意思表示。歓声が強くなり、可憐な女戦士たちを取り囲んで、もはや完全な観衆へと回っていた。

 

「尋ねますが、あなたの武器は?」

 

「必要ありません。驕って言っているのではなく、本当に武器の類いは苦手なんです。

 ですが気遣いは無用です。その代わりにこちらも“特性”を活用させてもらいますから」

 

 合意は既に済まされて、最低限の確認も済めば、あとは言葉も要らない。

 緊張と静寂。周囲により響いてくる歓声も、集中した両者の耳には届かない。見据える瞳には、対峙する相手の姿だけが映っている。

 

 踏み込みは、どちらともなくほぼ同時に。

 間合いを測り、先の先を読み、果ての結論としての交錯。故に一手目を制したのはベアトリスだ。

 踏み込む機が同じなら、先手を取るのは剣の間合い。徒手空拳であるクインではその間合いには届かない。

 振り抜かれる一閃に迷いはなく、言い換えれば研ぎ澄ませた殺気に嘘はない。この一刀のもとに両断する覚悟、相手の命脈を断つことを念頭に置いた一太刀だった。

 タイミングもまた完璧。踏み込んだがために、クインには前進以外の次手が既に封殺されている。左右や後ろに逃れようとしても、前へと向かった体勢はどうしようもなく、切り替えれば隙を晒してしまうのは必然。

 よってクインに取れる選択肢は迎撃以外になく、武器を持たない身では徒手によるものしかあり得ない。剣を相手に生身の手で迎え撃つなど、まともに考えれば自殺行為でしかなかったが。

 

 ベアトリスが感じたのは、肉を断ち斬る感触ではない。

 まるで金属を叩いたような手応え。内心の驚きと共に目撃したのは、掌にて刃を弾き、受け流してみせるクインの姿だった。

 

 改めて、どれだけ人に似せた姿をしていても、クインは人ではない。

 彼女は破滅工房が創りあげた兵器。たとえカタチは人であっても、その弱点まで忠実に再現する必要はない。

 人体とは、実際のところ急所だらけだ。どんな箇所でも血管の一本が破れただけで致命に繋がる。普通ならそれだけでも戦闘不能に陥ってしまう。

 宇宙空間に放り出されても活動可能なよう設計されたクイン。戒律といった異能を抜きにしても、その身体は見た目以上に頑丈で、ありていに言えば無理がきく。

 皮が裂け肉が断たれた程度では痛みを覚える必要すらない。活動に支障はまったくなく、故に次なる行動にも迅速に移行できた。

 

 繰りだされる蹴撃。左胴へと抉り込むように放ったミドルキック。

 クインもまた、相手に配慮した手加減など一切していない。骨まで砕いてやるという攻撃意志に満ちていた。

 繰り出した一閃に対するカウンターとなった一撃を、ベアトリスは避けられなかった。クインのように受け止めることも出来ず、その威力が直撃する。

 しかし、ベアトリスもまた然る者。威力に対して逆らわず、自ら跳んで流していく。僅かな動きのみで受ける被害を最小限に留めてみせる体術の冴え。

 着地と同時に体勢も立て直し、向き合う形となった彼女に隙はなし。どちらも決定打となり得るダメージはなく、勝負はまだ始まったばかりである。

 

 たった一合の交錯で見せ合った両者の強み。特性にしろ、技にしろ、決して常人の域ではない。

 しかしそれらもまた、魔人や魔王といった超常の領域では使い道の無い代物だった。

 異能を発揮したベアトリスなら、雷化して物理攻撃を透過できる。クインの身体特性も、星をも砕く魔王の我力の前ではあって無きが如し。

 その領域の戦いに付いていくには、否応なしに異能の力に頼るしかないのだ。たとえどんなに不本意でも、道を選んで勝てるほど甘くはなかったから。

 

 エイヴィヒカイトは無い。戒律の恩恵も使っていない。

 異能の恩恵を失った彼女たちは、故にこその充実感を覚えていた。

 誰かからの借り物ではない。自身で磨き、修めた力だからこそ確かな己を感じられる。

 それがたとえ、敵を殺して己を生かすという殺伐なものであっても。本領を発揮できない今だからこそ、彼女たちは“本気”だった。

 

 そんな両者の熱量は、周囲へと伝播する。

 加熱していく興奮は狂騒へと変じて、達人同士の闘いを煽りたてて止まらない。

 より苛烈に、より鮮烈に、命と命をぶつけ合わせて果てに散らせる。これ以上の娯楽は他にないと、人は大昔から知っている。

 熱狂していく人の渦の中心で、死闘を演じるベアトリスとクイン。生と死の狭間に立ち、此処こそ己が最も輝ける場であると彼女たちも実感していた。

 

 真剣勝負の最中では、周囲の喧騒など目にも耳にも入らない。

 その五感で見据えるべきは、ただただ向き合う相手のことのみ。命懸けの対峙の中で、雑多なものが入る余地など無いのだ。

 認めよう。そんな修羅場を愉しんでいる自分がいることを。深く、より深く、自己へと没頭していける闘争の快感を。

 たとえ善良と言われる人でも、それはある。誰もが持っている人としての正常な心だから、清廉潔白を気取ったところで誤魔化しきれるものじゃない。

 

 ああ、これこそまさに、ラインハルト・ハイドリヒが謳う修羅道そのもの。

 彼の望む世界は地獄。永遠の闘争に明け暮れる不死不滅のヴァルハラなど、生命にとってのあるべき世界ではない。

 しかし不幸ではないのだろう。他のどんな世界よりも、自己に対して正直になれるそこは、一種の楽園と称して間違いはない。

 

 闘争に酔わせ、皆を狂奔させる黄金の獣。

 誰もが明日の死を想う戦場では、それにも一定の理は存在している。

 軍人として、平時に生きるだけでは見えないものが見えている。反目しているベアトリスも、その思想にまったく理解を示していないわけではなかった。

 

 人か、獣か。その境界とは何だろう。

 地獄の流出は許せない。欲に耽溺するこの場所も、人のあるべき世界だとは思えない。

 善なる心はそう言っている。だが修羅の法も、龍の法も、人の理には違いなく、まぎれもなく幸福であるとすれば、それを否定する大義は何処に?

 正義など、所詮は都合の良いように変動する価値観に過ぎない。時代の状況にそぐわなければ、無意味とされて打ち棄てられるものに過ぎないのでは?

 

 孤独な心に、迷いはいくらでも沸いてくる。

 だから、その迷いを振り払うためにも、正しさに生きた女たちは闘いへと没入していく。

 その剣に、その拳に、思いの丈を乗せてひたすらに繰り出していく。余計なことは考えず、意味がどうとかなんて二の次だ。

 

 彼女たちは真っ当だ。その強さも思いも正道であり、奇をてらったものは無い。

 だからこそ、図らずとも勝負の趨勢もまた、示し合わせたように収束する。共に致死の間合いを掴み、決着を期して放たれる必殺の一撃。

 そこに制止をかける者はいない。誰もが次の瞬間に訪れる、どちらかの命が潰える時を待ち望んでいる。加熱した欲望は、迸る鮮血を見なければ収まりなんてつかないから。

 

 熱望の潮流に歯止めはきかない。渦巻く流れに後押しされて、剣と拳とが交わり合った。

 

 

 

 

「昔、こういうことでやたらとムキになる友人がいましてね」

 

 何でもない世間話でも話すように、淡々とベアトリスが言った。

 

「こちらの病欠を、勝手に不戦勝扱いにしたり、しつこいくらい勝ち星にこだわって」

 

「分かります。私の友達にも似たような人がいました。やっぱり、それは男の人ですか?」

 

「ええ、そうです。最近、その人と会う機会があったんですが、なんと細かい勝ち星の数まで覚えていたんです。若いままのこちらと違って、向こうはお爺ちゃんと呼ばれるような年齢なのに。

 あーだこーだと言われましたけどね、正直に言って向こうの方がどうかと思います。負けず嫌いも大概にしろと」

 

「まったくです。私が知る人も、しつこいくらいそんな数にこだわって。

 もう最期だっていうのに、あまりにもおかしかったから、私もつい付き合ってしまいましたよ。どちらが上か下かだなんて、答えなんか出るわけがない水掛け論を」

 

「男の人らしい拘り方ですよね。私もあまり人のことは言えないかもしれませんが、ああいうのは結構男性特有なものじゃないですかね。たまにおかしくなるくらい子供っぽいんです」

 

「本当に。ええ、数なんて私はどうでもよかったんです。ただそんな事でも熱くなって言い合えるその友達が、たまらなく大事でした」

 

 必殺を期して打ち放ったはずの一撃は、どちらの命にも届くことはなく。

 ベアトリスの剣と、クインの拳。互いにとっての武器は、相手に届く寸前で止まっていた。

 

「訊いてもいいですか?どうして剣を止めたのか」

 

「そちらこそ。まあ、きっとあなたとも同じ理由だと思いますが」

 

 繰り広げられる死闘を止めようとする者はいなかった。

 ならば彼女たちを止めたのは?その答えは必然、彼女たち自身に他ならない。

 

「確かにここでは死なないのかもしれない。止めないで剣を振り切ってもよかったのかもしれません。

 暴力の昂揚感に身を委ねて。正直に言えば、そんな気持ちがなかったわけではありません。

 興奮のまま、欲望のままにやっていくのは気持ちのいい事だと、ここの人たちを見ていれば分かりますから」

 

 まともな世界なら、それは悪だと呼ばれるもの。

 しかしまともでないこの世界でなら、むしろ正義として尊ばれるのだろう。

 欲望こそがあるべき人の道理。躊躇うことはない。魔王が敷いた法則は、それこそ善だと言っている。

 

「でも、そこで理性を手放してしまえば、それはきっと獣と同じだ。

 私たちが人であるかどうか、そこで自分を制止出来るかが、その線引きになっているのだと思います」

 

 それがどんなに喜ばしくて、自分にとって本心からの願いであったとしても。

 人としてのあるべきを踏み越えていいわけがない。飽いていても、飢えていても、その領分を守ってこその人だろう。

 それは道徳であり、倫理であり、善と呼ばれるもの。当たり前すぎて、決して華々しくも強くもない。しかし人にとって大切な光だから。

 

「あなたのような人と競い合うのは楽しい。そんなあなたを傷つけることはしたくない。

 だから剣を止めたんです。何もおかしなことじゃない。当然のことをしたまででしょう」

 

「ええ。私も同感です」

 

 お互いに突き付けていた武器を下ろす。

 どちらも晴れやかな顔を見せて、武器を持たない方の手で固く握手を交わした。

 

「私はハイドリヒ卿を認めない。たとえそれが何時(いつ)何処(どこ)でも、彼が地獄を流出するなら何度だって立ち向かう。

 間違えた方に酔い痴れたくなる人々の、正しさへ導く光となりたい。それがあの日、私が剣を執った理由でしたから」

 

「私も、私の生きた世界が終わっても、そこにあった正義を守りたいと思います。

 真我(アヴェスター)の宇宙はひどいものだった。反面教師とするべき救いの無さでしたが、私たちが信じた絆の価値まで否定すべきじゃない。

 善悪二元よりはマシだから、なんて後ろ向きな理由で、悪を奉じる世界を認めることは決してしません」

 

 意味の有る無しは関係ない。

 善が無意味なら外道に走ってもいいなんて、そんな結論は人でなしのするものだろう。

 無法の中で、それでも自分を律してこそ善というもの。転がり落ちることのない不変の己を形造るものだと信じている。

 

 彼女たちが歩むのは人道だ。

 弾けた世界では退屈すぎて見向きもされない、真っ当な人としての生き方。

 その意味を失わず、正しさの価値を手放さない。そうと誓ったその在り方こそ、まぎれもなく正義と呼べるものだから。

 

 ――だが、正義(それ)は決して、此処での正道とはなり得ない。

 

『Boooooooooooooooooo!!!!』

 

 一斉にあがった不興の声。

 つい先ほどまで熱狂していた観衆の、清々しいまでの手のひら返し。

 それは失望であり、何より怒りの声であった。ものの見事に期待を裏切られた反動が、彼らを新たな狂騒へと駆り立てている。

 

 待ち焦がれていたのは命の散体。

 より苛烈に、より凄惨に、刺激を刺激をと欲望に身を委ねて憚らない。

 血を見ないなんて退屈だ。お利口な綺麗事なんて聞く耳持たない。その頭蓋を砕き、腹の臓物をまき散らす、そんな光景をこそ望んでいた。

 

 彼らの暴力への需要に、彼女たちは応えることが出来なかった。

 ならばどうなる?光に魅せられ殊勝に改心するなんて、この宇宙はそれほど甘くない。

 彼らは天より堕した奈落の住人。強欲の覇道に染められた者たちに、己を律する人の心など理解できるはずもない。

 

 狂乱は殺意へと変貌する。

 各々が武器を手に、血走った眼を異端者たちに向けていた。

 金属バットや鉄パイプといった手頃な鈍器、ナイフや刀、果ては拳銃やライフル、何処から持ち出したのかマシンガンや火炎放射機まで。

 収まりがつかない欲望の責任を取ってもらおう。殺して犯して辱しめて、その美しさを台無しにして償ってもらおうか。

 悪徳への躊躇は微塵もなく、倫理も道徳も無視した姿は獣と同じ。人の光の尊さも、奈落の底には届かないから。

 

「……それで?

 威勢がいいのは結構ですが、私たちが大人しく従うとでも?」

 

「この人たちを責めるのは酷なのでしょうね。覇道(アレ)は抗おうとしてどうにかなるものではありませんから。

 だから厳しいことは言いませんよ。そうして勘違いしてしまったあなたちを、責めようとは思いません」

 

 凶器を持って殺気立った暴漢の群れに囲まれて、まともな婦女子ならば絶望しかない状況だ。

 だがあいにくと、彼女たちはそんな柔ではない。どれだけ青臭く見えようと、ここにいる誰よりも血と暴力を知っている。

 

「甘い理屈で考えているのなら、その身をもって教えてやる!

 私たちは戦士だ!数を揃えた程度で、お前たちにどうにか出来るなどと思うな!」

 

「説得が通じないことは嫌になるほど伝わっています。お望みとあれば、(コチラ)で語り合うのもやぶかさではありませんよ」

 

 誘うようにしてみせる手招き。

 ベアトリスも、クインも、自らへの向けられた加虐の欲に臆していない。

 それは傲慢でも虚勢でもなく。猫が獅子に勝てないことを語るように、至極当然の道理として。

 

 そんな態度が癪に障ったのだろう。

 ケダモノじみた怒声をあげて、大挙して押し寄せる暴漢たち。

 それに対し、真っ先に迎撃をと応じたのはクイン。無手のままに真っ直ぐ相手へ踏み込んで、目先に映った鉄パイプを振り上げる男へと拳を突き入れる。

 その男は、手にした凶器を振るう暇を得られなかった。文字通りに練度(レベル)が違う。そのまま流れるような体捌きで、二人、三人と打ち倒す。

 

 クインより一手遅れて、ベアトリスもまた向かってくる相手を迎え撃つ。

 彼女の前に立った巨漢。その男が手に持っているのは、なんとチェーンソー。自動回転するノコギリ刃が獰猛な唸りをあげている。

 それを軽々と振り上げて、奇声を発しながら迫ってくるチェーンソー男の姿は、さながら映画から飛び出した殺人鬼。恐怖の偶像をまともな心で目撃すれば、たとえ達人といえども竦んで動けなくなってしまうだろう。

 

 だが、戦場の硝煙に慣れ親しんだ戦乙女にとっては、ただの大振りで隙だらけの伐採機械に過ぎない。

 

 すれ違いざま、首の動脈を断つ一閃。

 洗練された技巧の動きは、素人目には何をされたかも判別できない。

 急速に力が抜けてくる自身の身体に驚愕したのは、当のチェーンソー男であっただろう。どうして自分が斃れるのか理解できず、その矛先を彷徨わせた挙句に別の暴漢へとノコギリの刃を叩き込んでしまっていた。

 

 狂った暴徒の群れに統率などは無い。

 混戦となれば集団の利とて活かされない。このように同士討ちとて頻発する。

 戦士(プロ)素人(アマチュア)の違い。単純な強さ以上に、場慣れした立ち回りの巧さが一目瞭然に違い過ぎる。

 

 クインも、ベアトリスも、今やその身に異能の恩恵は無い。

 絶対と言える隔絶は既になく、撃てば斃れ殺されれば死ぬ。周りの者と変わらない立場である。

 だがそれがどうした。彼女たちは異能に頼るばかりの木偶にあらず。そもそもの器自体が一級品。

 正しく努力し、苦難に折れず、凛々しく脅威に立ち向かえる意志がある。異能を失ったからと、有象無象と同列に語ってよいものではない。

 むしろそんな彼女たちだからこそ、運命に見初められたというべきだろう。本物の神様は、地に這う虫けらになど目を向けない。

 

 土台、ここにいるのは欲の覇道に染められた走狗に過ぎない。

 役者が違う。神座の舞台は、凡庸な演者でもあがれるほどに生温い場所ではないのだ。

 

 とはいえ、それは個人の焦点で見た場合の話。

 群体として見ればまた観点が異なる。凡庸な駒でも、数が揃えば演者を追い落とす脅威となる。

 二人の方へと向けられる無数の銃口。異能が無い今の彼女たちに、銃火器は十分に致命的。

 当然、周りには他の人たちもいるが、それで引き金を躊躇う神経など彼らの誰も持ち合わせない。

 ここは悪の強みだと言えよう。手段を選ばない外道だからこそ、正道では対応できない一手が打てる。

 超越の力を持たない身では真っ当な対処をするしかない。避けるか、周りを壁にするか、いずれにしろ無傷で済む保証はなく、覚悟を決めて彼女たちは身構えた。

 

「まったくなんてザマでしょうか。見てられませんよ。本当にね」

 

 そんな二人の闘志を嘲笑うように、轟音と共に殺到してくるはずだった銃撃は、割って入った可憐な声に止められていた。

 

「天下の黒円卓が、まるで物語の主人公(ヒーロー)のように。似合いませんよ、ベアトリス・キルヒアイゼン」

 

 幼くも魔性の響きを備えた声の主は、ジークリンデ・エーヴェルヴァイン。

 如何なる術理か、前触れもなく唐突に悪漢らの前に立ちはだかった彼女。妖精の如くとも称される黒円卓の敵たる少女が、その盾となるように。

 

 暴漢らが向ける銃口が、唐突に隣の相手へと向けられた。

 そして始まる盛大な同士討ち。そういうことを厭わない人格ではあったが、いくら何でも意味不明すぎる。

 答えは一つ、今の彼らは正常ではない。精神感応(テレパス)思念同調(サイコメトリー)といった異能の数々、それが相手の内面にまで干渉し、彼らの認識を狂わせている。

 更に別のところでは、引き金を引いた銃が次々と暴発を起こしていた。加えられた力は大したものではない。精々が金属のスプーンを曲げる程度。その念動力が銃内部の部品を捻じ曲げて、機構の機能不全を起こさせていた。

 

 サイキックの申し子の異名は伊達ではない。彼女だけは今も尚、人を超越した異能者である。

 現代兵器の威力でも、その異能を突破すること能わず。端然とした余裕と嘲笑は崩れなかった。

 

「そういうあなたこそ、どういう風の吹き回しです?ジークリンデ・エーヴェルヴァイン。まさか味方になってくれるのですか?」

 

「さて、まあいいではないですか。似合わないことをしているのはお互い様ということで。

 それに、いい加減うんざりしていたんですよ。彼らから聞こえてくる、この公害じみた騒音には」

 

 目の前で同類を殺戮された悪漢たちだが、彼らは怯まない。

 仲間意識なんてものは薄く、何より彼らは死なないのだから。斃れたところで尽きない命はいずれ甦る。

 よって次が出てくるのも早い。火炎放射器を手にした男たちが前に出て、興奮した叫びをあげながらトリガーを引き絞る。

 

 されど、それは勇気ではない。ただの蛮勇である。

 知恵を放棄したただの自棄ばち。そして当人がそれを自覚していない。

 死なぬがために恐れる心が麻痺している。恐怖を忘れれば警戒だってしなくなる。どうせ死なないのだからと安易な手段を選んでしまうのだ。

 総じて命の扱いが軽い。他人も自分も、失われないのなら価値なんて塵芥も同然。命懸けの言葉が空虚にしか響かない。

 

 ならば崩せる道理もなし。

 ジークリンデが発した何らかの力が、非物体の炎を掴み取り、そのまま相手へ押し戻す。

 悲鳴をあげて火達磨になる悪漢たち。業火の苦しみは人が知る中でも最上位の苦痛(もの)。更には火炎放射器の燃料にも引火して、周辺を巻き込んで爆散した。

 

「冷戦時代の流れ物ですか。こんなところにまで流れていたとはちょっと驚きましたが、品質はあまりいいとは言えませんね」

 

 そして蹂躙が始まった。

 次々と発生する摩訶不思議な現象の数々に、対処法など思いつくはずもなし。

 誰一人、その詳細は分からない。完成された多重能力(マルチタスク)。その全貌は当人にしか把握できまい。

 

「即死では効果が薄い。痛みを教えてあげなさい。失われる恐怖を思い出せば、少しは酔いも醒めるでしょう」

 

「ええ!」

 

「言われずとも!」

 

 統制も士気も崩された暴徒の群れなど、駆ける二騎の戦乙女の敵ではない。

 群れなすところに突貫し、対応さえ許さずに一蹴する。縦横無尽、鎧袖一触とばかりに、各々自由に動きながらも互いに意識を置くことも忘れない。

 信頼があればこそ任せられる。ジークリンデとて、敵だからこそその強さには疑いを持っていない。相手を見ずに己の欲望に耽るばかりの奴輩では不可能な芸当だ。

 

 陣営も、世界すらも違う三名の女たちが並び立つ。舞台を彩る戦場の華たちに敗ける道理などありはしなかった。

 

 

 

 

 偉そうに悟ってみせたところで、別に状況は変わっていない。

 こんな乱痴気騒ぎに意味なんて無いし、いくら剣を振り回したって何が出来るわけでもないと、そこは流石に弁えている。

 

 ただ、何も出来ないからと、何もしないでいるつもりもない。

 元々頭で考えるよりも身体でぶつかっていく性質だから、単に吹っ切れただけとも言う。

 魂が喜んでいるのを感じる。それでこそベアトリス・キルヒアイゼンなんだと、胸を張って言えるから。

 

 この宇宙の諸々の都合がどうなんだとか、難しいことは私には分からない。

 考え足らずな自覚はある。ただの思考放棄だと言われても仕方なく、不出来な私を許してほしい。

 きっと、そういうことを考えるのは別の人だと思う。私には私の、馬鹿娘なりにその馬鹿を張り通すという役割があると思えるから。

 

 信じる想いのままに剣を掲げ、この騎士道(せいぎ)を貫こう。

 青臭い、空気が読めないと、いくらだって言ってくれて構わない。

 ジャンル違いで大いに結構だ。こんな私を目障りと感じるなら、そちらこそ人間として腐っていると言い返せるくらいふてぶてしく。

 

 それに、根拠がまるで無いわけじゃない。

 私が掲げている正義には意味があると、そう信じられるだけのものも無くは無かった。

 この狂騒の中、誰もが欲に狂った走狗へと成り下がっていく中で、ほんの僅かだけそこから離れようとする人々がいた。

 彼らが何を考えていたかは分からない。私たちに恩や共感を覚えたとは限らないし、あえて確かめようとも思わない。

 ただ言えるのは、欲望という世界の色に逆らおうとした人間がいたということ。彼らにとっての真っ当な道理であるはずのことに、抗う意思を示せたということだ。

 

 人の心は無意味じゃない。

 たとえ何も出来なかったとしても、抗おうとする意志は残る。

 人が流され易いのも確かだけど、中にはとことんまで逆らってやろうという偏屈者だっているだろう。

 十人十色。この国の言葉だけど、人は誰もが違うのだから。その心も、その強さだって千差万別。なんだったらハイドリヒ卿だって、そんな可能性の産物なのかもしれない。

 

 私はハイドリヒ卿のようにはなれない。

 自分の祈りを極大にまで肥大させて、それだけで総てを染めようなんて気にはなれない。

 それがこの宇宙の絶対強者。望みを叶える唯一無二の手段だとしても、そこまでのものに成り果ててしまうことにどうしようもなく忌諱感がある。

 このままがいい。私は人のままでいたい。かつて魔人へと変成する際、抱き続けたこの矜持。今度はそれを、ただの逃げ口上にしたりはしない。

 人だからこそ出来ることがある。それを信じ抜く。狂った世界ではあまりに儚い綺麗事を、照らし続ける光で在ろう。

 

 それがベアトリス・キルヒアイゼンの魂の在り方。たとえ総てが虚構だとしても、“不変”とするべき祈りのカタチなのだから。

 

 




ジークリンデあたりの背景は、元の設定から掘り下げて考えたこのSS独自のものです。
あくまで二次創作の範疇にあるものだと認識してください。

こんな感じの日常回がもうしばし続きます。
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