無慙無愧が巡る怒りの日   作:ヘルシーテツオ

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随分と遅れてしまいました(反省)
自分の中で私生活と執筆作業のバランスが崩れて、なかなか思うように話を進めることが出来ず。

6月中に何とかもう一本は投稿するのを目指します。


第十二章『それぞれの時間』②

 

 

 蠱惑的な薄灯りに照らされる閨。

 周辺に焚かれた御香。鼻腔をくすぐる香気には媚薬でも含まれているのか、嗅ぐ者の煽情を刺激する。

 寝台が軋む音。その音に伴い、響き渡るのは悲鳴に近い女の艶声。断続的に何度も何度も、憚ることのない情事に男と女は及んでいた。

 

 たくましく精悍な男の肉体(カラダ)が、豊満で艶やかな女の肢体を覆っている。

 撫でるが如き睦み合いではない。それは略奪にも等しい荒々しさの性行為。

 舌を搦め、手管を駆使し、柔肌を刺激しては一切の余裕を与えない。互いの身体が前後する度に訪れる快感の濁流に、女はまともな思考を働かせることも出来なかった。

 男は、女の快楽というものを知り尽くしていた。ただ強靭というだけではない。肉欲を通して、その心までも我が物にせんとする我執の熱情。

 破格の情念こそ、心の殻を壊してその中身を簒奪する。並の理性では原形さえ保ってはいられない。早々に気概を砕かれて、尊厳を放棄した虜の身に堕ちていただろう。 

 

 しかして組み伏せられている女もまた、拷問のような悦楽の中でただ喘いでいるばかりではない。

 力関係は明白。男の激しさに、女に抵抗の術は無い。攻め手へと入れ替わるのは不可能だ。

 されど受け身の姿勢でも、ただ身を委ねるだけではない。僅かな動きの中でも己の肉体を巧みに使い、男を絶頂へと導かんとしていた。

 濡れた膣をうねらせ、豊満な乳房を押し付ける。潤んだ眼差しに甲高い艶声が合わされば、たちまち理性の手綱を手放して野獣と化す。

 一朝一夕で身に付くものではない。女もまた、男の獣性というものが如何なるものかを心得ている。

 精神は陶酔で焼かれながら、決して理性を手放すことはなく。知識や手段の問題ではない。積み重ねた“経験”が物を言っている。

 

「よくぞ付いてくる。俺にここまでやれる女はなかなかいない。

 だがいいぞ。初心の相手などしてもつまらねえ。お前はやはり最高の女だな」

 

 紅潮した顔を喜悦に染めて、組み敷く相手へとカイホスルーが告げる。

 それは(オンナ)としての価値を認めた龍王の賛辞。だが嬌態の中でそれを聞くリザ・ブレンナーの心は寒空の下で凪いでいた。

 

 女としての自尊心など既に無い。

 数多の男に股を開き、屍体を抱いて、屍体に抱かれる穢れた身には、乙女の夢はあまりに遠い。

 この子宮には腐れた汚汁が溢れている。そのような自らの有り様を、しかし不当だとは思わない。当然の罰だと自戒していた。

 リザ・ブレンナーこそ世界で最も穢れた大淫婦(バビロン・マグダレナ)。こんな卑怯で卑劣な女は冷たい屍の相手こそ相応しい。

 

 自罰を抱える女の心。その内面まで見透かすように、情事の中で憂いる貌をカイホスルーは見つめていた。

 

 

 

 

 激しい疲労と興奮で、何度も大きく息を吐き出す。

 消耗はしているが、決して不快ではない。むしろ心地よいとも感じる、欲望を吐き出し切った事後の倦怠。

 思えば、こうした感覚も随分と御無沙汰だった。いいや、もしかしたらこれが始めてかもしれない。

 

 自身の半生を思い返すと、まともな恋愛事など無かったように思える。

 これでも高嶺の花と持て囃された記憶もあるが、そういった色事に現を抜かす時間はなかった。

 あの時代は大変な時期だったし、そんな遊びに費やす時間など一切許さない鋼の女が隣にいたものだから、彼女に張り合う形で私もそれに倣っていた。

 結局、彼女とのそんな関係は続いたまま、黄金に見初められて黒円卓へと参加した果ての今がある。殿方との出会いなど、魔人へと堕ちていく身では皆無だったと言っていい。

 

 私にとっての“女”とは、目的を達成するための手段だった。

 そこに愛情は介在しない。甘いロマンスなんて子供の時分に夢見ただけの遠い幻想。

 憧れがなかったわけではないが、今となってはすっかりそんな気持ちも枯れている。

 多すぎる罪を重ねてきた私に、女性としての幸せなんて分不相応。この自戒から解放されることは生きている限りないだろう。

 

 だからこそ、この人との性行為は、そんな私にとっても常識外だと言えるものだった。

 

「満足がいく伽だった。実に甘美な味わいだったぞ。お前ほどの女は、俺の(オンナ)たちの中でも決して多くない。

 誇るといいぜ、リザ。宇宙広しの欲を知る王の賛辞だ。これほど栄誉なことは無い」

 

 こちらの身体に触れてくる、堅くて大きな殿方の手。

 その熱が伝わると、心の中に疼きが生まれる。枯れ切ったはずの“女”が刺激されているのが分かる。

 行為の最中の悦楽は、いっそこのまま総てを忘れてしまえばと、危うく溺れてしまいそうになるほど。

 自惚れではなく、魔人(じぶん)でさえこうなのだ。人の情事の範疇にある行為ではなく、それは超越存在からの支配の強制。

 転がり落ちればその手の中に納まるのが至上の幸福だと感じてしまう。魔王と名乗るこの人の欲望は、もはや権利の侵害ではなく所有権の行使だといっていい。

 あらゆるものは彼に奪われてこそ自然なのだと、それを受け入れされる欲望の覇道。まさしく彼という破格の証明だった。

 

 人の理解を外れた者。あのラインハルト・ハイドリヒとも同格の存在。

 けれど、違うところも確かにある。理不尽の権化ではあるけれど、この人には黄金の獣には無い情があった。

 触れる手から熱と共に伝わるのは、こちらに対する労わりと尊重。消耗した肉体(カラダ)を案じて、私という個人を重んじている。

 総てを愛しているから、総てを等しくとしか扱わないハイドリヒ卿とは、その点で明らかに異なっている。身体と身体を重ね合うコミュニケーションが通じる時点で、ずっと近しく感じられるのも間違いなかった。

 

「正直、意外でした」

 

「なにがだ?」

 

「私などを御気に召されたこと。お褒め頂いて恐縮ですが、どうして私などに目を掛けられたのです?」

 

「そのように卑下するな。それでは俺の立つ瀬がないだろう」

 

「自信を培える人生でもなかったもので。私自身、穢れた女だと自認しています。

 他の彼女たちの方がよほど魅力的なものを備えていたでしょうに。あえて私を選んだ意図を測りかねていまして」

 

「それはお前の周りの男どもに見る目がなかっただけの話だ。せっかくの輝きも観る者がなければ意味を成さない。まったくあり得ない損失だぜ。

 美しさもさることながら、俺が最も魅力と思うのはお前の持つ強かさだ。女としての力量で、他の奴らの一枚も二枚も上をいっている」

 

 こちらを認めてくれているのだろうけど、素直に受け取ることは出来ない。

 黒円卓の中で、リザ・ブレンナーこそが最も弱い。ただの自嘲ではなく、客観的な事実としての共通認識。

 未だ形成止まりの戦闘力にしてもそう。立ち位置の重要度でも、必ずしも目的の遂行に必要なわけでもない。

 言ってしまえば、落としやすい弱い駒だ。シュピーネもそうではあったけど、彼には現代社会との繋ぎを果たす役割があった。基本、何もしていない私よりも価値は上だっただろう。

 

 そんな私を指して、他の者たちよりも上だと言われても、単なる戯れ言にしか聞こえなかった。

 

「考えていることは分かるぜ。他の連中とはノリが違うと言いたいんだろ?

 我が心象こそ華々しく唯一無二だと。そういう奴らが幅をきかせていたのはこっちの世界でも同じだったからな。

 確かに自分を信じている奴は強い。そういう奴は簡単には折れないし染まらない。強者の本道なのは違いないだろうけどな。

 だが一方で、いざ砕かれてしまえば脆いという側面もある。信じる思いが強さの源なら、簡単には立て直せない。たとえ強者でも、いいや強者と呼ばれる奴だからこそ柔軟にやり直すとはいかんのさ」

 

 その指摘は、これまでならば無用な心配。

 何故なら、黒円卓は世界で最強だったから。私たちを脅かすものはなく、どんな事象も驚愕には値しない。

 黄金と水銀という、この世で最も破格に狂った常識外を知っている。常識の中の世界が何をしてきたところで大した驚きには繋がらないのだ。

 

 けれど、今は――――?

 双首領にも匹敵するほどの慮外が立ち並ぶこの舞台では、私たちはこれまでのようにはいかない。

 

「矜持がある。意地もある。貫いてきた今迄があるから、それを曲げるなんて許せねえ。

 たとえ死んでもてめえ自身を貫き通したいと。まあ言っちまえば雄々しい強さというやつだ。

 だが女の強さとはそうじゃない。お前たちは矛盾を内包しながらも立てる存在だ。その生き方は、男では耐えられねえ」

 

 目の前にいるこの人物も、そんな埒外の存在の一角。

 けれど同時に、双首領たちほどの恐怖は感じない。彼が脆弱だからというわけではなく、やはり理解できることが大きな要因だろう。

 つまらない皮肉ではなく本心から。言葉の通り、彼はこちらにも敬意を以て接してきている。

 

「俺はな、お前に限らず、女というものに対して一定の敬意を持っている。生物的な強度として男よりも上だと思っているんだよ。

 例えば、この状況がそうだ。ここで男の強さなんぞがどれほどの役に立つ?どれだけ雄々しく振る舞おうが、勝てるのは資格を持っている奴だけだ。それ以外には無様な末路しかねえのが真実だろう。

 ならばどうする?資格を持たん奴らが望むものを手にいれるにはどうしたらいい?決まっている。出来る奴に取り入るのが正解だろう。今まさにお前がそうしているようにな」

 

「卑しい、とは思われないので?」

 

「何故だ?磨き上げた美をもって男の本懐へと入り込むのが女の戦いというものだろう。

 だが実際、卑しさは感じてしまうんだろうな。プライドが邪魔をして、そういう自分を下げる手段はなかなか取れん。かといって安易にプライドを手放しても、てめえの価値を下げちまう。

 己を下賤に貶めずに、魅せながらそれが出来るのは女だけだ」

 

 言っていることは理解できる。

 誇りも、矜持も、基本として男性だけの宝物。勇猛果敢に戦場を駆ける勇ましさとは、女性が持つべきものじゃない。

 女性には、他にすべきことがあるのだから。あえて男性の特権を奪ってまで、女が戦場に立つ意義など何も無い。

 

 いつだってそんな議論を繰り返してきたのだから。

 腐れ縁の友人と。議論はいつも結論が出ない平行線。互いに譲る気が無いから終わるものも終わらない。

 今にして思えば、そんな意地があったから現在の私があるとも言える。魔人の道を進んでいく彼女に置いていかれないために、私も私で進もうとしていたからこうなったのだと。

 

 思わず、苦笑が漏れた。

 ああとりあえず、エレオノーレとこの人とでは、さぞ相性が悪そうだと。

 

「気付いているか?お前は今や、己の願いに最も近い場所にいる。こうして俺へと取り入り、見事に寵愛を勝ち取った。己という女を武器に、他の誰よりも先駆けた位置にいるんだよ。

 お前は愛い奴だ。そんなお前の望むことならば、俺は何だって叶えてやりたくなっている。女の欲望に応じてこその男の器量というものだ。

 だからな、リザ。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「え――?」

 

「自分の子供を取り戻したいんだろう?いいぜ。俺がハイドリヒに取りなしてやるよ。

 安心しろよ。奴の覇道(イロ)にも俺の覇道(イロ)にも染めたりはしない。ありのままの状態で抱かせてやる」

 

「いえ、でも、そんなこと出来るわけが――――」

 

「ハイドリヒの奴には貸しを作った。奴の欲の在り様も大体把握できている。そう話が通じない奴じゃない。

 どうした?お前がずっと望んできた願いなんだろう?もっと喜んでくれてもいいんじゃないのか?」

 

 それは確かに、その通りなのだけど。

 偽善と葛藤を繰り返しても、諦められずに抱え続けた。忘れてしまえた事など誓って一度もありはしない。

 死者の蘇生。私が殺した私の子供を、今度こそ愛してあげたくて。黄金錬成に捧げるはずだった、私の祈り。

 

「ここは仮初めの舞台だ。いずれは無為へと消える。それ自体は避けられん。

 だがな、見方を変えればそれ以外は本物といって差し支えない。もしも舞台を千年か万年と続けるのなら、民にとっては不滅と変わらん。

 お前はそんな矛盾だって呑み込んで、仮面を被り笑える女だ。我が子の今生に幸せをもたらしたいなら、お前はそれを叶えられる」

 

 分からない。

 私にとっては、あまりにも都合がいい。彼の言っている言葉が真実なのかどうか。

 だって、理由がないじゃないか。こんな私にここまで貢いでくれる理由がまるで分からない。

 龍の王の、女性に対する敬意は本物だと思う。ハイドリヒ卿と違って、人らしい話もいくらかは通じるだろう。

 けれど、それでもやっぱりこの人は、人知を超越した破格なのだ。そんな人の寵愛が、こんな容易く得られるなんてどうして信じられるだろう。

 

 こちらを見つめてくる、彼の瞳。

 人の枠では収まらない欲望の熱を滾らせながら、同時に温かみにも似た光も宿している。

 どうしてどうしてどうして――――?リザ・ブレンナーは穢れた淫婦(バビロン)なのに、こんな私を輝きと呼ぶこの人は何なのだ。

 

「憂いた顔がよく似合うな。真っ直ぐな強さも好みだし、縛られん奔放さにもそそられるが、お前の憂いには艶がある。

 取り零しの分だけ美しくなった。そして零したものを諦めず、矛盾の中でも欲しがることを止めない。そんなお前の欲望が俺をそそらせる」

 

 相手が更に近くへと迫ってくる。

 私の身体に触れて、その息づかいまで届くほどに、鼓動の音まで聞こえてきそうな。

 そんな中で、ふとした違和感。聞こえると思えた音がしない。それを意識したわけではなく、迫ってきた身体を抑える形で相手の胸に手を置いていた。

 

「あ……!?」

 

 そして偶然にも気付いていた。

 鼓動がしていない。人が持つべき生命の音を鳴らしていなかった。

 それがどんな意味を持っているのか、直感的に理解する。漲る覇気の中で、どうしても拭いきれなかった浅薄さの正体に。

 

「なんだ?気がついたかよ」

 

 ああ、だけど、もしもそうだとしたら。

 私の中で納得が生まれてしまう。喜ばしいものではない。呪いの深さを思わせる因果。

 脳裏に浮かぶのは水銀卿の言葉。ここに彼の手は加わっていないと聞かされても、まるで何処からか嘲笑されていると思えて仕方ない。

 

 ――リザ・ブレンナーは、死体しか愛せない女だから。

 

「いい女たちはよく“鼓動(コレ)”に気付く。俺自身が気付いたのは、他人に言われてようやくだったというのにな。

 だが勘違いするなよ。こいつが俺の欲の始まりであるのは認めるが、別に突き動かされてきたわけじゃない。

 俺が俺であることに理由はねえ。生まれなんぞに縛られる柔な性根など持ち合わせちゃいねえよ。“鼓動(コレ)”があろうが無かろうが、俺は俺としてあっただろうさ」

 

 堂々とした言葉。まさしく覇者そのものといった風体で。

 それなのに、その言霊を重く受け止められない。底が浅いものだと感じてしまう。

 

 身の程知らずとは思う。所詮、リザ・ブレンナーなど凡人に過ぎないというのに。

 けれど、私はこれを確信に近く思っている。きっとこれが、この人にとっての本質にあたる部分だと。

 欲望というものに原点があるとして、それは足りないものや欠けたものを埋めることではないか。

 最初から完璧に総てが揃っているなら、欲しがろうとする想い自体が生まれない。自らの不足を実感した時にこそ、無いものを欲する心が生まれるのだと。

 

 一度失ってみなければ、本当の価値は分からないから。手の中の重さが喪失した時、始めて人はその価値を痛感する。

 

「……あなたにとって、親はどういう存在だったの?」

 

 自らの中でも明確な意図はなく、迫った彼に思わず訊いたのはそんな問いだった。

 

「俺という存在を産み落とした胎盤だ。それ以上でもそれ以下でもない。

 別に貶めて言っているんじゃない。本当にそういう認識でしか見れねえんだよ。親だからと、そんな理由で特別に見る意識が生まれない。

 種が違う。それが分かる。龍を産んだ蜥蜴がいたとして、蜥蜴が龍に尊重されることはあり得ない。そもそも自分と同じ生き物と感じてないからな」

 

「……それは、ハイドリヒ卿や、他の人も同じなの?」

 

 相手の答えを聞きながら、自分が何を期待しているのかを悟る。

 それは淡い希望。偽善の女らしい都合の良い考え方。

 

 破格である彼の考え方を通すことで、私は“あの子”の気持ちを知りたがっている。

 

「さてな。月並みだが、人に依りけりだろう。

 慈愛に満ちた奴なら尊重もするだろうし、そうでなくても血の繋がりってのは馬鹿に出来ん。完全な無視ってのも実は少ないのかもしれんな。

 けどな、結局はそれもお前らと同じというわけじゃない。善も悪も、どっちにしろ突き抜けて、理解し難く映るのは共通だろう。

 親子だからと、お前が期待しているような理由で特別に見たりはすまい」

 

 それは、ある意味で予想通りの解答だった。

 ハイドリヒ卿は総てを愛している。だからこそ誰も愛しても憎んでもいない。

 もしもその血統を受け継ぐ“あの子”も同じなら、私が抱いている罪悪感も考慮されないに違いなくて。

 私はそれを喜ぶべきなのかもしれない。けれどそうすることに、理屈ではない抵抗も感じていて。

 

「葛藤か。それはお前の特に愛いところだな、リザ。

 聞いてるぜ。双子の片割れ。もう一人のために捧げた子供がいるんだってな。

 割り切れればいいのに、割り切れないからこそのお前だ。己で捨てた子供に未練を抱いている。

 いいぞ。恥に思うな。己の欲に正直になれ。無くしたならその分だけ欲しくなるのが人の業だ。

 俺を前にして取り繕う必要など無い。どうせ望むのなら総てを欲する気概を見せろよ」

 

「簡単に言わないで……!あなたにとっては何でもないことかもしれないけど、私にはとても無理よ。

 私にそんな資格はない。()()()()を捨てて、何も与えなかった私を、きっと向こうだって許さないでしょう」

 

「おお。しかし口調が砕けてきたな。俺との仲に親しみが生まれてきた証拠だな。激しく嬉しいぞ」

 

「ふざけないで……!?」

 

 言い返してしまいそうになったけど、こちらを見る眼差しの深さに二の句を継げなくなってしまった。

 

「よく覚えておけよ、リザ。人は誰しも自分の欲のために動いている。善も悪も関係ねえ。上手いか下手かの違いがあるだけだ。

 忠義だの言っている奴だって、要はそいつのために動くことが幸福に繋がっているからだろう。罪の意識だ償いだのと、それもまた重荷から逃れるため、ひいては自分を楽にするためでしかねえ。

 幸せになる資格が無いなどと抜かすのは、その本質を分かっていない奴の戯れ言だ。単に幸せを重荷と感じるから、不幸を背負った方が楽なだけさ」

 

 気負いも無ければ衒いも無く、あくまで自然体としての体のまま。

 単純で理解し易く、だからこそその懐の広さに呑み込まれてしまいそうになる。

 何も無い所から始まったから、これほどまでに肥大した欲望を持ったのか。本質的には何も得ていないままだから、更に更にと欲しがる想いに歯止めが無いのか。

 

 稚気に富んだ様子は、まるで子供のようで。その器だけが何処までも膨れ上がった、大きな大きな子供だった。

 

「俺たちはな、欲望なんてものを手にした時から理屈だけの動物じゃあいられなくなった。

 あるべき道理だって捻じ曲げても欲しがる。そんな心の在り方こそが、人類(おれたち)を宇宙の覇者に押し上げた要因だと確信してる。

 お前らが掲げる“渇望”なんてのは痩せた想いだ。一つの理想に拘り他を見ずじゃあ、掴めるものは一つきりなのが道理だろう。

 より多く、今よりも多くのものを欲しがるなら、懐は広く開けておかなくちゃならない。だからお前は強欲なのさ、リザ。俺の“(オンナ)”に相応しくな」

 

 そんな評価のされ方は始めてだった。

 自身が信じる幻想、自分のルールを押し通す我の強さこそ一番とする黒円卓において、それは異端の考え方だ。

 きっと彼に言わせれば、そんな勇ましい強さこそ取るに足らないもので、より幅広く柔軟に求め続けることが肝要なのだろう。

 

 思い返せば、リザ・ブレンナーは自身が欲する事を譲ったことがない。

 私は葛藤する偽善者だけど、選択から逃げたことだけは無かった。

 望んだ通りにいったことはほとんど無く、後悔に苛まれるのが常だったけど、それでも望むことを止めなかったのだ。

 私は私自身を好きになれない。けれど同時に、そんな私の望みを譲るような真似もしない。ああ確かに、リザ・ブレンナーは強欲と称されるに値する女だった。

 

「だからよう、お前も自分の本音から逃げるなよ。

 結局お前は総取りがしたいんだ。何かを捨てなきゃ代わるものも得られない。そんな考えに囚われる限り、お前は決して本懐には届かない。

 何も捨てるな。総てを手にしろ。お前が愛しいと思うもの全部、その手の中に収めてみせると豪語してみろよ。

 つまらん交換原則なんぞ踏み倒せ。その欲望と女としての強かさで、神さえも出し抜いてみせろ。

 日陰の女に甘んじることはない。お前もこの舞台で輝きを示せ」

 

 熱を帯びた言葉と共に、こちらに覆い被さってくる彼の肉体。

 再び始まる情事。その熱情に喘ぐ中で、省みるのはかつて自ら手放した私の子供。

 

 イザーク。

 超人となるべくして産まれた初代ゾーネンキント。

 それがどういうことなのかを知りながら、私はあの子を贄と捧げた。

 言い訳の余地もない。恨まれて当然だ。今さら愛そうなんて偽善がすぎる。

 分かっている。リザ・ブレンナーとは何処までも凡人であり、彼が言うほど恥も外聞も捨てて動けはしない。そこまでのふてぶてしさがあるのなら、きっとこれまでの半生はもう少し気楽だった。

 

 私は葛藤する。

 未だにあの子(イザーク)への恐怖が払拭されたとは言い難く、再び向き合った時にどうなるか分からない。

 ともすれば、心の怯えに負けて拒絶してしまうかもしれない。揺るがない決意など無縁の身、確かなことは何も言えないけど。

 

 

 ――――それでもこの葛藤は、私にある“未練(オモイ)”の証明だと思うから。

 

 

 詰まるところ、私は後悔しているのだろう。

 殺してきた子供たちだけじゃない。ヨハンを選び、イザークだけを捨てたことを。

 どちらも私が産み落とした双子なのに。単なるこちらの都合で、一方を犠牲にしてもう一方だけを生かした。

 取り繕わずに話すのなら、私は悔いてる過去をどうにかしたい。ああ、言葉にすれば何とも単純なことだった。

 

 リザ・ブレンナーの願いとは、取り零した後悔を覆すことに終始する。

 願いを叶えると言われた時、素直にそれを喜べなかった理由がそれだ。

 たとえ子供たちが皆還ってきたとしても、取り零した後悔は残っている。片手落ちのまま自分を誤魔化しても満足できないのは当然だった。

 

 もしも、私が本懐に至れるとしたら、何も犠牲にすることなく総てを取り戻した時だけ。

 恥も知らないご都合主義。奇跡どころか、道理を弁えない子供の我儘に等しい。そんな幼稚すぎる欲望でしか、私の祈りは叶わないとしたら。

 

「不安ならば俺に染まれ。俺の“(イロ)”を受け入れろ。深い憂いから解放された時の、輝ける姿を見せてくれ。

 惚れた女には須らくそうなってほしいのが、俺の本心からの願いなんだ」

 

 情事の中で囁いてくるのは、誰よりも子供のような大望を抱いた龍の魔王。

 その言葉にどう答えればいいのか、私らしく葛藤しながら抱かれる熱に身を委ねていった。

 

 

 

 

 野生において、手負いの獣がその姿を晒すことはない。

 それは死に体だから。傷つき弱った者など餌以外の何者でもなく、獣自身もそれを承知している。

 その行為を指して悪だ、残酷だとする法は自然界に存在しない。弱き者が悪であり、喰らう強者の側こそが正義。

 人の道理では語れない。それは獣の道理である。黙して従うのが掟であり、獣として生きた者の矜持だ。

 

 ヴィルヘルム・エーレンブルグ。

 彼こそ獣の道理に相応しい。エイヴィヒカイトを受け入れる前、只の人だった頃からそのように生きていた。

 夜の森の闇に身を潜め、手負いの獣はひたすらに息を殺していた。普段の暴虐ぶりからは想像し難い姿である。

 屈辱は感じているだろう。煮えたぎる憤怒は今も裡で荒れ狂い、収まりのつかない業火となって解放を待っている。

 されど、そんな内心の激情を露ほども漏らさずに、ヴィルヘルムは隠形に徹していた。その徹底ぶりは、人はおろか野生の獣でも彼の気配を感じることは出来まい。

 

 ヴィルヘルムは敗けた。

 第三魔王バフラヴァーン。第一天最大最強の我力の持ち主である闘神。そんな男と真っ向から戦って、そして敗けた。

 別段、予想外なことでも無い。むしろ順当とすら言える。両者の格の差を思えば、これ以外の結末などあり得なかっただろう。

 より強い方が勝つ。当たり前の話である。誰よりもそんな“闘争”を信奉してきた男に、勝てる者が総ての“天”を含めてもどれだけいるのか。

 

 ヴィルヘルムもまた、そのような道理の中で生きてきた。

 強い方が弱い方を喰らう。そうして勝って、勝ち続けられる者こそが強い。

 ならばこその必然、敗者の側へと転落した者には何も無い。勝者として、総てを奪ってきた今までが、あらゆる反論を禁じている。

 無様な犬畜生として、勝者の糧となるのが必然だった。なのにこうして生き延びて、みっともない悪足掻きを続けている。

 

『自分たちだけは特別だと言いたいのか。呆れ返ってものも言えん、なぜそこまで思いあがれる!』

 

 苦渋に苛まれる中で、思い出したのはかつての仇敵が言った言葉。

 決然と不滅の覇道を謳い上げた修羅に対する、冷然たる反論だった。

 

『既知の世界を滅するのが貴様たちなら、それを滅する何かも到来するとは考えんのか!?』

 

『真に不滅なものなど無いんだよ、小僧!』

 

「うるせえ……ッ!」

 

 幻覚を振り切るようにヴィルヘルムが言う。

 徹していた隠形すら放棄して吼えたつもりだったが、実際には弱々しい呟きにしかならなかった。

 つまりはそれが、今のヴィルヘルムの体たらく。幻の言葉が、今まさに現実の剣となって突き刺さっている。

 

 それでもこうして弱者の身分に甘んじていられるのは、ヴィルヘルムが生まれながらの強者ではなかったからだろう。

 

 かつて、ヴィルヘルム・エーレンブルグと名を受けた子供は“箱”の中で生きていた。

 先天的な白子症(アルビノ)。日光は彼にとって毒であり、必然として夜での活動を強いられた。

 陽に疎まれ、夜に祝福された吸血鬼の原点。生物としての最下級、闇の底より這い上がってきた執念こそ彼の骨子。

 

 今のヴィルヘルムに魔人の力はほとんど無い。

 第三魔王の我力によって受けた傷である。俺の許可なく勝手に治るなと、付けられた傷痕は一向に回復の兆しを見せない。

 身に修めた魔業は全損しており、今のヴィルヘルムはただの人間にさえ劣るだろう。対峙すれば誰であれ呆気なく殺せてしまえるほどに。

 

 だからこそ、ヴィルヘルムの精神は幼少の時分に戻っていた。

 弱さを自覚すればこそ油断がなく、何時よりも研ぎ澄まされていた底辺の獣へと。

 迂闊に進み出れば破滅しかないと理解して、ただじっと這い出る機を待っている。“箱”の中で陽が落ちるのを待つしかなかったあの頃のように、苦渋を噛み締めつつも忍耐深く。

 

「手負いで尚、その牙は抜けていないか。流石だと言っておこう。カズィクス・ベイよ」

 

 声が、落ちてきた。

 そんな表現が適切と感じる。同じ地平ではなく、遥かな天上から耳に響いてくる。

 その声は幼く、およそ感情と呼べるものが抜け落ちている。それでいて聞く者に有無を言わせず跪かせる王気を宿した、魔性の声。

 少なくとも、真っ当な常識の内にあるものではない。それを証明するように、魔道の業を伴って現れる一人の子供。

 

 何も無い空間から、次元を超えて姿を現す。それしきは驚くに値しない。

 異常なのは、率いているものの威容だった。それは黄金に輝く死者の軍勢。群体を形にした髑髏の巨人。

 金色の長髪を垂らし、その双眸もまた黄金。少年の風貌の特徴は、あまりにもラインハルト・ハイドリヒと合致している。

 聖槍十三騎士団黒円卓第六位。最も特殊であり、最も重要である太陽の御子(ゾーネンキント)。黄金錬成を成就させる、その聖櫃の名は――――

 

「……イザークか」

 

 ヴィルヘルムは理解していた。

 これが待ち望んでいた機であること。この惨めな暗闇から脱する、一縷の望みであると。

 あるいは、無様を晒す者に介錯を下す、黄泉路へ誘う死神の手となるのか。

 どちらもあり得るだろうし、それでいいと思っている。無償の慈悲など自分たちには似合わない。死地にてその生を掴み取ってこそ修羅道だろう。

 

 このイザーク・アイン・ゾーネンキントと何を話し、どう結論付けられるかで己の命運は決まる。

 闘争にも似たひりつく緊張感に、ヴィルヘルムには自然と笑みが浮かんでいた。

 

「しかしやはりというべきか。器の損傷はどうにもならないか。

 念のために、訊いておこう。夜の不死鳥は、また再び闇を羽ばたくことが可能であるか否か?」

 

「当然だ、と言ってやりてえが、この様じゃあ強がりにだってなりはしねえか。

 ご覧の通りだよ。再生は効かねえ。魂も足りやしねえ。今の俺はガラクタで、そこらのボンクラにでも殺せちまえる塵屑も同然だよ」

 

「そうか。しかし卑下することはない。対峙したものとの格差を思えば、この結果は順当としか言えない。

 闘神(アレ)は本来、黄金御自らがその鎬を削るべき難敵。先駆けとして善戦してみせたことは、むしろ評価に値しよう。

 お前の不覚を責めるつもりはない。ここまで黄金の元へと馳せ参じなかったことも、矜持を踏まえて不問とする」

 

「おいおいどうしたよイザーク。らしくねえ、随分とお優しいことじゃねえか。

 俺みたいなのはそんな言葉をいただいたら、むしろ裏があるんじゃねえかと疑っちまうぜ?」

 

「そのような他意は無い。そんな趣向を愉しむ感情など私には無いのだから。

 勝てない札で挑んだのだ。敗北の罪は札ではなく、指し手にこそあるのは明白だろう」

 

「カハッ!言ってくれるじゃねえかよ」

 

 常ならばこのような言葉を聞き流して済ますヴィルヘルムではない。

 暗な気遣いなど、下手な侮辱よりも神経を逆撫でる。それは弱者を見下すのと同義であり、履き違えた偽善者には自らの愚行を思い知らせてきた。

 しかし、今はその程度に激昂している場合ではない。理知的とは程遠いヴィルヘルムだが、重大な場面で自分を抑えられないほど愚かでもない。

 それに実際のところ、そう腹が立っているわけでもなかった。同情や憐憫など、持てる者の感情とは最も無縁な場所にいるのがイザークだ。そんな相手なら怒りを懐こうという気にさえならない。

 

「ひとつだけ訊いておきてぇ。ザミエルはどうなった?死んだのか?」

 

「いいや。明確な優劣とは語れはすまいが、あの場に限った勝敗ならば彼女こそ勝利者だろう」

 

「そうかい。ならやっぱりお前の言葉は受け取れねえなあ。

 ザミエルは勝ち、俺は敗けた。それ以外に事実なんざ何もねえ。そうだろ?」

 

 その問いは、まるで喰って掛かるように。

 決して有無を言わせない。彼の持つ矜持が、差し出される慈悲を拒絶している。

 その身は無残な崩れかけなれど、意気にだけは陰りなく。確かな意志を宿した眼で、ヴィルヘルムは黄金の少年を見据えていた。

 

「ならば白貌よ。お前は罰を求めているのか?

 私の言葉を無用と言う。敗北に賛辞はいらぬと。醜態を晒した敗者として、潔く断罪を受けるのが望みだと?」

 

「そんな殊勝な性根のつもりはねえがな。だがしょうがねえだろ。

 しっくりこねえんだよ。敗けた上に施されるなんざ、俺の生き方ではあり得ねえことだしな」

 

「そのために、自ら命運を手放すことになってもか?」

 

「おうよ。そんなに分からねえ話でもねえだろう。

 俺はいつだって奪ってきた。馬鹿どもから色々言われる生き方だってのは自覚してる。怪物だ、鬼畜だってな。

 けどよ、俺はそういう奴らの生き方も否定する気はねえ。ヴァルキュリアみたいな、青臭い正義感ってのも大いに結構だろうさ。

 てめえで選んだ人生だ。他人にケチつけられて、コロコロ変えてちゃ世話ねえだろ。そいつは俺自身の、こういう俺を選んで爪牙にしたハイドリヒ卿への背信だと思ってる」

 

 つまり、前向きだということ。

 たとえ人類という種族にとって、その存在が悪だとしても。そんな己を誇り、恥じることなく歩いていけるのなら問題は何も無い。

 否定してくる者は、それこそ叩き潰してやればよい。それがヴィルヘルムの生き様であり、黄金が指し示す修羅道だから。

 

「なあイザークよ。こいつはお前にも理解できる話じゃあないのかい?

 俺はお前が、他の連中が思うほど不幸なもんだとは思っちゃいない。何も与えられなかったと、ああだがそれがどうしたよ。

 選べる余地なんて無かっただろうが、俺にはお前が自分を卑下してるようには見えなかったぜ。むしろ自分の在り方を確信して、誇りに思っていると映っていた。

 我は地獄を回す心臓と、いいじゃねえか上等だよ。勝手に可哀想なヤツ扱いしちゃあよ、それこそ不本意じゃないのかい?」

 

「……なるほど」

 

 地獄の軍団が動き出す。

 彼らがグラズヘイムの血肉ならば、イザークは“心臓”だ。

 頂点であるラインハルトと比較しても、その重要度は決して劣りすぎることはない。

 正真正銘、イザークが率いているのは“軍勢(レギオン)”である。ある意味で、ここに在るのはもう一人の“黄金(ラインハルト)”といっても差し支えない。

 

 その威容、黄金に膝を折った黒円卓の騎士ならば、湧き出る畏怖を抑えるなど出来ない。

 ヴィルヘルムにとってもまた、疼く聖痕の激痛に歯を食いしばり、ただただ己の運命を待ち構えた。

 

「裁定を下そう、カズィクル・ベイ」

 

 そして黄金の髑髏の巨拳が、ヴィルヘルムへと叩き落とされていた。

 

 まともな見方をすれば攻撃。いいやこの場合は処刑だろうか。

 霊的にも物質的にも巨大すぎる質量の直撃。その結末は轢殺以外にあるとは思えず。

 無残な敗残者に黒円卓の席はなく、地獄に融けた建材となれ、と。それが黄金の仔が下した裁定ならば。

 

 しかし、違う。そうではない。

 金色の眼差しに映るのは無情。されど彼は、決してヴィルヘルムを見限ったわけではない。

 

「――やってくれるじゃねえか。相も変わらず容赦がねえなあ、オイ!」

 

 しばしの時間を置いて、地獄を突き破って現れたのは五体満足のヴィルヘルム。

 その身は既に全快して、魂の補填も十分に、魔業の欠損も完璧に復元されている。

 ここにヴィルヘルムは完全復活を果たしていた。それを為した者は明らかだったが、そのやり方は慈悲深さとは程遠い。 

 

 これは()()()()

 より強い魂が、弱い魂を取り込んで糧とする。ヴァルハラの戦奴たちの不文律。

 殺し、殺されて、最期に立っていた者が個体としての覇権を握る。かつてはどれも一個の人だったのだから、髑髏の建材から成りあがる資格は誰の手にもあるだろう。

 弱り切ったヴィルヘルムに優位なんてものはもはや無い。つまりは対等な条件であり、互いを喰らい合う混沌へと堕とされて、果てに勝利したから今がある。

 もしも敗北していたなら、現れたのはまったくの別人になっていただろう。同胞に容赦無い裁定を下しながら、まったく動じずイザークは告げる。

 

「お前の矜持を慮った結果だ。敗者の身で施しは受けられない。ならば再び勝者となって己を掴み取れ。

 奪う者なのだろう。その生き方に対し、私なりに理解と敬意を示したつもりだが、不服か?」

 

「いやいやそうは言ってねえさ。むしろそれでこそだと感謝してるよ。

 ああそうだよ。これこそがヴァルハラだ。俺が惚れた至高の天地だ。あの人の牙で在るためには、こうでなくちゃあいけねえよ」

 

 ここに在りしは至高天の黄金の直参たる黒円卓。

 死を想え。その終わりを厳と受け止め、果てに断崖を飛翔せよ。

 それが獣の覇道が指し示す威光なれば。歓喜しながら闘争に明け暮れてこその不死闘士(エインフェリア)

 この栄誉を知っている。修羅の鬼としての自らの在り方は決して外れていないと信じるから、ヴィルヘルムは快笑しながら受け入れた。

 

「で、俺は誰と戦ればいい?俺に何かをやらせようってんだ、どうせ闘争(それ)以外にねえだろう?」

 

「ふむ。既に状勢はお前が知るものとはまったく異なる様相を呈している。説明は必要か?」

 

「いらねえよ。闘神(アイツ)がまともじゃねえのは俺だって分かってたさ。だからって俺がすることに変わりはねえ。

 とにかく理解が及ばねえ、半端じゃねえ奴らだってのは理解した。他のことは殺し合ってみて確かめればいい」

 

「そうか。潔いな中尉。

 なまじ知識があるから想像を生み、その想像が恐怖となって身を縛る。マレウス辺りでは特にそれが顕著となろう。

 ならばいっそ知らぬままである方が自然体のまま振る舞える。それはお前なりの含蓄か?」

 

「そこまで大袈裟なもんでもねえさ。言っちまえば処世術だよ。

 理屈よりも直感重視で、何があってもすっきり出来るような立ち回りを目指してるってだけだ」

 

 世界には理解できないものがある。

 ラインハルト・ハイドリヒと邂逅したあの時に、これまでの常識の一切は破壊された。

 ならば同じことが起きないとどうして断言できる?メルクリウス然り、メトシェラ然り、不老不死の魔人になろうとその点だけは只人と変わらず。

 年季を経た分だけ賢くなったとは思わない。むしろ古かびた知識に囚われるなんて老害だと思っている。老いた魂では、直面する未知に何も出来ず敗れるだけ。

 常に最先端を、己こそが最新鋭だと自負するヴィルヘルムならばこそ、求めるのは理解の広さではなく懐の深さ。あらゆる物事に動じず、ただその度量を以てあるがままに受け入れる強者の在り方が欲しい。

 

 ヴィルヘルムにとっての理想とは、ラインハルト・ハイドリヒだ。

 とはいえ、全てをそのまま踏襲しようとは思っていない。自分には自分なりの道があると思っている。

 だからこそ彼は俗を好む。大物ぶって俗世から離れるような真似はせず、むしろ積極的に絡みにいく。

 衆生の中にだって友人がいるし、いい女を見掛ければ普通に口説く。勘違いされやすいが、何でもかんでも破壊や殺意へと直結させているわけではない。

 

 要は、食わず嫌いをしないということだ。長い長い人生を歩むにあたり、彼なりに定めた生き方である。

 

「ならば一つだけ、教えておこう。お前が相手にするのは、黄金と同格の高みにいる者。ただ一振りの剣のみで宇宙の総てを斬滅させたという凄絶の男だ」

 

「――――へえ?」

 

 その言葉に、ヴィルヘルムの纏う空気が明確に変わった。

 

「心しておくことだ。恐らくは先の戦い以上に、お前にとっては厳しいものとなるだろう。ともすればここで果てていた方が良かったかもしれん。

 私にも、かの御仁は読めん。月並みな言葉だが、こんな存在が在ることが信じ難く思える」

 

「お前にそこまで言わせるたあ、なかなか期待させてくれるじゃねえか。

 だがそれ以上は無粋だぜ。言葉だけでペラまわしたって白けるだろ。

 宇宙の総てを殺し尽くした?そりゃすげぇな、痺れたよ。想像が膨らむよなぁ、だからこれ以上は余計なんだよ。

 どうせ近々に殺り合えるんだろ?だったらその時に、存分に味わうとするさ。

 そこまでイケてる奴だってなら、横から搔っ攫われるなんてことも無えんだろうしよ」

 

「案ずるな。私に彼のことは測れんが、そのような真似を許す手合いでないのは間違いあるまい」

 

「ハハハハ――ッ!そうかい」

 

 上機嫌にヴィルヘルムは笑い、同時に空間を満たす獰猛な殺気。

 攻撃の意思表示ではない。これがヴィルヘルム・エーレンブルグの常態なのだ。

 黄金の修羅道を奉じる鬼。彼と対峙するならば、たとえ誰であろうとも警戒を解いてはならない。

 俗を好んでいるし、友人や女と酒を酌み交わすこともある。しかしそれが突如、餓狼と獲物の関係に切り替わってもおかしくない。

 シュライバーほどの壊人ではない。しかしヴィルヘルムもまた、血と暴力に酔いしれた狂人であるのだから。

 

 ともすれば、この場でイザークに襲い掛かることもあり得る。

 その立場、役割が持つ重要度など、関係ない。

 仮にも正規に黒円卓の席次を持つ同胞(なかま)。役目を盾に胡坐をかくなど許されない。

 

 ならばこそ、金色の御子も無粋なことは語らない。告げるべき言葉だけを口にする。

 

「先陣を駆ける栄誉を与える。黒円卓が誇りし牙の実力、しかと見せつけよ」

 

了解しました、我が主(ヤヴォール・マインヘル)

 

 それは御子の口を介して告げられた黄金の君主の言葉。

 その意味が分からない者は、聖痕を刻まれた中にいない。恭しく片膝をつき、一礼と共にヴィルヘルムは主の命を賜った。

 

 語るべきを語り終えて、この場においての意味は無くなる。

 修羅の鬼は闘争へ。金色の御子は再びグラズヘイムの深部へと。

 元より他の接点など無い二人だ。雑談に興じる間柄でもなし、この場での語らいもここまでとなるのが当然の流れだったが。

 

「ところでよ、ひとついいかい?」

 

 だからこそ、去る前にヴィルヘルムが掛けたその問いは、とても意外なものだった。

 

「イザーク。お前、何か変わったか?」

 

「……なに?」

 

 心底、虚を突かれたといった様子で訊き返すイザーク。

 内容は短く、どうということもない問い。されどイザークという御子にとって、それは容易く流れない事柄だったから。

 

「その問いの意味が分からない。私の何処を指して変化などと口にするのだ、白貌よ。

 この身は至高天を回す黄金率。ただ在るがまま、理に従い、黄金の獣の意志を執行するもの。

 答えろ。もしも私が自覚していない齟齬が存在するならば、修正の必要があるやもしれん」

 

 抑揚の無い機械の如き問いかけは、彼という存在を端的に表している。

 何も与えられなかった子供。その出自、成長から精神性に至るまで、総てが“異常”と評するのに相応しかった存在。

 その境遇は、普通ならば恨み呪っても仕方ないものだっただろう。しかし彼という虚無には怒りも嘆きも無い。持たざるが故に完璧な歯車として機能した。

 これまで不変の歯車であったものが、変わることなどあろうはずもない。あくまで狂いを是正する自浄作用のような感覚で、イザークはヴィルヘルムへと詰問する。

 

「勘だよ。ただそう感じたっつーだけだ。学なんてねえんで、理屈っぽく語らせるのは勘弁してくれや。

 まあそんなに気にするなよ。俺もそこまで追求するつもりもねえし、聞き流してくれて構わねえぜ」

 

 その答えは、イザークにとって納得できるものではない。

 そして聞き流すというのも難しい話だろう。なにせ話の主はヴィルヘルム。

 学はなくとも、その分野性的な勘に優れる。その彼がそう感じたというのなら、それは核心に近いことも十分にあり得るのだ。

 

「……………………」

 

 しかし、ここで追求するという流れもまた、イザークにはあり得ない。

 持たざるが故の不変。求めず、乱れず、回り続ける歯車として在るのが彼だから。

 僅かでも疑いを抱けば、その時点で歯車は狂いだす。疑いを持たないのなら、ここで自ら問いを投げるのは選択肢にも上がらないだろう。

 

 沈黙したイザークに、それ以上の問答の様子は見られない。それが本心なのか、それとも別の本音があるのか、外見からは分からなかったが。

 

 少なくとも、そこを気に掛ける心根などを、ヴィルヘルムが持ち合わせていないことは確かであり。

 既に彼の意識は次なる闘争へと向かっている。他人の心の機微などどうでもいいのだ。

 もはやこの場で為すべきことはなく、新たな戦場へと身を投じるのみ。血潮と破壊の死線こそ、己の存在意義だと知っているから。

 ヴィルヘルム・エーレンブルグは疑わない。自らの価値の在り処を、その生き様の本懐を。歩んできた吸血鬼の覇道こそ、誇りとすべき唯一無二だと確信している。

 

『■きてね、ずっと……世界が終わっても■き続けてね。私の■■■■■』

 

 そのはずなのに、その脳裏で、よく分からない雑念が混じった。

 

『私の■しい……大■な■、■■■■■■』

 

「うるせぇ」

 

 そう独り言ちて、ヴィルヘルムは沸いた雑念を振り払う。

 

 こんなものに意味は無い。

 断固として、無意味であると断言する。

 終わったこと、取り零したものに拘泥などしない。

 見るべきは過去ではなく、未来なのだから。常に最新へと自らを更新し続けるのに、余分な想いは邪魔でしかない。

 

 いずれ、巡り巡って再び拾い上げる機会が訪れるでもしない限り、ヴィルヘルムは決して過ぎ去った刹那を求めない。

 

 こんな思い出だって、実際のところさほど覚えてもいない。

 いつまでも後生大事に抱えるものでもない。長い人生を歩くのだから、記憶(オモイ)なんていくらでも増えていく。

 さっさと割り切っていかなければ、早晩パンクしてしまうだろう。不滅のメトシェラとして、夜を飛翔し続けるのに重石は要らない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()、それこそが真実。敗北と屈辱の記憶でしかない初恋(オモイデ)など、彼の中でさしたる重さにはなっていないのだ。

 

「それも俺が()()()だからと、ああ、やっぱり頷いてはやれねえなぁ、ディナ」

 

 そう呟くように呼んだのは、つい最近に奪り逃した“そそる女”。

 彼の中でその宿業は未だ破られてはいない。いつだって狙った獲物にあと一歩が届かない。

 お前はそういう生涯(キャラ)だと言わんが如く、そんなふざけた現実こそ覆してやらねばならない怨敵だと認識している。

 

 宇宙の真実がどうであれ、たとえ世界が明日滅びるとしても、慚愧の枷を振り解き、血染めの道を進み続けるのがヴィルヘルム・エーレンブルグなのだから。

 

 

 

 

 

 

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