無慙無愧が巡る怒りの日   作:ヘルシーテツオ

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 今回の話ではドッペルアドラー関連で大幅な独自解釈が用いられています。
 各々での解釈違いもあるとは思いますが、二次創作の一環として大目に見て下さると助かります。


第十三章『双頭の鷲』

 

 諏訪原市内にある唯一つの教会。

 一般から見ればただの真っ当な教会だが、そこには常人の想像を絶した裏の顔がある。

 国際連合ですら畏怖する黒円卓。現存する10人にも満たない団員たちを相手に、かつて世界は敗北した。

 首領格が戻れば何が起こるのか、正確なところは国家首脳でも分からない。開けてはならないパンドラの箱であり、その存在は世間から秘匿されることになる。

 裏の顔が暴かれることはない。仮に勘付く者がいたとしても、公けには明かされず闇へと葬られる。迂闊な刺激を避けるため、結果として敵組織の利となっているのは皮肉としか言えまい。

 

 表の顔も必要だったのだ。来たる黄金錬成に向けて。世界の覇権など魔人たちにはどうでもいい。

 

 人に教えを説くはずの教会こそが邪悪の魔窟。ここは背徳を孕んだ神の庭。

 しかして真実をより深い部分まで読み解けば、あながち冒涜とも言いきれない。

 この世界に神は坐す。ただそれは皆が期待するような慈愛に満ちた存在ではなく、人を玩具と呼んで憚らない愚神なだけ。

 魔人たちは世界に死と破壊を振り撒いたが、それも御座に在る者の意思。ならば彼らは、見方を変えれば天使なのかもしれない。

 魂を収奪し、その飽和をもって回帰の法を壊す。聖遺物にとって魂とは燃料であり、人々はそのために浪費される薪にすぎない。

 

 許せないだろう。

 そこにどんな意義があったとしても、浪費された側からしたら堪ったものではない。

 お前たちの犠牲は無駄にはしないと、神なる者はそんな殊勝さすら持ち合わせていないのだ。

 ただ、我が法なり。故に貴様ら黙して従え異論は認めん。愚かな神の認識とはその程度。

 許容できるはずもない。兎角、宗教を生業とする者たちにとっては、断固として討滅の意志を固めていた。

 その存在は本来、彼らが仰ぐべきものなのかもしれないが。彼らには彼らの信じる神がいる。掲げる教義がある以上、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 愚神、討つべし。貴様を天主とは認めない。我らが祈るべき尊き御方とは、断じて貴様の如き者ではないと。

 

 愚神の名は、水銀の蛇。

 ならば我らは鷲となろう。蛇の天敵たる猛禽の爪へと。

 その歴史は古い。何せ、相手は天地開闢以来の存在。前身まで含めれば、恐らくは千年二千年ではきくまい。

 名を変えて、組織を変えて、ただただ憎悪の祈りだけを受け継いで。

 その初志の正確なところは、恐らく誰も知るまい。神を滅ぼすという決意だけが不変となり、狂信となって形取られている。

 

 双頭の鷲(ドッペルアドラー)

 当世での名は東方正教会特務分室。

 たとえ社会が屈しても、彼らだけは諦めない。そのような選択肢は存在すらしていなかった。

 百年足らずの政府の意向など足元にも及ばない。千年単位の怨嗟は骨髄にまで刻まれて否応なしに駆り立てる。

 それは社会秩序などよりも遥かに優先されるもの。愚神を殺せるなら鬼にも悪魔にもなるだろう。

 

「そう。それこそが鷲の意思。水銀の天地における神々への敵対者」

 

 家主たちが不在となった教会。

 その祭壇の前に佇み、独り言ちるのは白銀の髪と朱い瞳をした少女。

 少女にとってもここは感慨深い場所である。何せ、彼女はここで殺されたのだから。

 抱き締められて、折り砕かれたあの感触。死の刹那の記憶は今も色褪せず残っている。

 その上で、少女は怯えも見せずに嗤っていた。可憐でありながら欠落した印象が拭えないそれは、見る者に幽鬼の住人を思わせる。

 

 ジークリンデ・エーヴェルヴァイン。

 鷲の首魁たる異能の少女は、かつての敵の本拠たる場所で佇んでいた。

 祈っている、わけではあるまい。ここで祈りを捧げることの滑稽さを彼女はよく分かっている。

 ただ、ここは神との距離がとても近い。愚神に祈ることは徒労でも、その因果関係と裏に秘められた気配は本物だから。

 予想ではなく確信。彼女が数持つ異能の一つである予知能力によって、いずれ目的の人物はやって来ると。そう分かっていたから、彼女はただ待っていた。

 

「ようこそおいでくださいました」

 

 扉が開いた音を聞いて、振り返らずにそう言った。

 見ずとも相手が誰かは分かる。予知していたのもそうだが、この存在感は間違えようがない。

 禍々しい気配。生命が脅かされ、本能が警鐘を鳴らしている。業火の熱のような殺意が肌に伝わってくるのだ。

 その恐怖が喜ばしいとジークリンデは感じる。とっくに壊れてしまった本能は、魔人と対峙し殺された時ですら動かなかった。

 こんな感覚はきっと始めて。ジークリンデ・エーヴェルヴァインの人格は、常に異能と共にあったから。人も未来も視えすぎてしまう、まともな感受性は破綻していた。

 

 ああ、だから、人にとっての当たり前が、こんなにも心踊る。

 これからの展開が分からない。やって来ることまでは予知できたが、そこから先は無明の闇だ。

 この人の未来が視えない。その内面も、一切が存在しない“無”が広がるのみ。だというのに巌と伝わる獰猛な熱量。総てが矛盾しているようで、一方で理路整然としているような不可解さ。

 理解不能の存在。これより対峙する相手への動悸が抑えきれないままに、ジークリンデは改めて振り返った。

 

「わたし、あなたとは是非ともお話しがしたいと思っておりましたの」

 

 向き直った視線の先にあるのは、時代にそぐわない全身鎧の姿。

 歪み捻じれた鉄塊に華と呼べるものはない。血錆がこびりついた姿は無骨であり、濃密すぎる殺戮の気配を漂わせている。

 そして何よりも眼を引かれるのは、兜の隙間より爛々と輝く眼光だ。いったいどんな精神をしていればこんな眼が出来るようになるのか。

 無視できないし、無視させない。無理矢理にでも振り向かせて、怒りの意志を叩きつけんとする凄絶さ。狂人魔人たちには慣れ親しんでいる少女でも、これを前にして平気なままではいられなかった。

 

 凶戦士マグサリオン。第一宇宙を殺し尽くした男の凶眼が、ジークリンデを見据えていた。

 

 

 

 

 夜の帳が降りた無人の街を、私たちは歩いていた。

 

 何か、明確な目的を持ってこうしているわけじゃない。

 告白すれば、何をするべきなのかも分かってはいなかった。状況に右往左往するばかり、私たちの現状は流されているに等しい。

 元々、大した役割なんて無かったのだと思う。予定されていなかった配役なら、何もしなければそれで終わり。この舞台で何の意義も果たすことも無いだろう。

 

 望むところだと、私は思う。

 与えられた役割を演じるだけの人形劇にはうんざりだ。端役というなら好きにやらせてもらうだけ。

 カイホスルーのところにいても、私たちに得られるものはなかった。それがよく分かったから、こうして龍の領土を脱け出ている。

 マグサリオンのように最短の効率で一心不乱、とはいかないけど。私はそれでいい。神剣(クイン)は彼の鞘なんだから。悩み足掻いて、迷いながらも進み続ける“人”のままでいなければならないのだ。

 

 人の思いは強くて尊く、そして同時に脆く儚い。

 どんなことがあっても屈したりしないと、自信を持って断言することは出来ない。

 世界の真実とはそれほどに優しくはなかった。きっと私一人なら、とうの昔に折れてしまっていただろう。

 けど、私は一人じゃなかった。仲間たちはその死によって失われたけど、託された想いがある限り、彼らは決して無価値じゃない。

 弱さを知っているから、人は互いを補い合い、支え合おうとすることが出来るんだろう。そして今も、私には道を同じくする仲間はいる。隣で歩く彼女の存在が私に勇気をくれていた。

 

 ベアトリス・キルヒアイゼン。

 彼女も義者(アシャワン)が信じるような善なる祈りを持っている。

 何も分からない中でも諦めず、懸命に抗おうとする同士。

 孤高を貫くばかりでは見えない答えがきっとある。ベアトリスならその答えを示してくれるのではと、期待と共に彼女の祈りの行く末を見届けたいと願っていた。

 

 とはいえ今は、そんな内心も仕舞い込んで表には出していない。

 ゴーストタウンと化した街。初見の私には痛ましさがあるだけでも、ベアトリスにとってのそれは違うはずだから。

 

「こうなることを防ぎたいと思っていたんです」

 

 命の無い街並みを見渡して、ベアトリスが言う。

 それは激情を押し殺した声だった。深い怒りと嘆き、ごちゃごちゃとない交ぜになった心を抑えて、平静であろうと努めている。

 

「最初からこうなると分かっていたんですよ。この街は私たちが用意した生贄だから。

 それが許せないと思い知ったはずでした。ベルリンを、私たちの祖国を、私たち自身の手で虐殺したあの日に。

 なのに、私の決断は半世紀を過ぎてからで、過日の決意を不変には出来なかった。半端だと言われても仕方ありませんね」

 

「それは、もしやマグサリオンが?」

 

「ええ。ツァラトゥストラ……アレはその形を被った別人で、あなた方が知る人が入っていた。そういうことなんでしょうね。

 随分とこき下ろされましたよ。彼、前々からずっとああなんですか?」

 

「ええ、まあ……そういうやり方を確立したのは、私が知る限り途中からでしたが」

 

 相手のことを知り尽くしてから殺す。不変なる無慚の剣の完成の一因を担った者として、私は続ける。

 

「彼は殺し合いを極めた人ですが、戦うのが好きなわけじゃありません。彼が行うのは無慚無愧の殺戮ですが、それは“みんな”を不変の記憶にして剣に刻みつけるため。

 理解し難いと思いますが、私は彼を救世主だと思っています。堂々巡りのこの宇宙に、新しい可能性をもたらしてくれる人だと」

 

「……そう、かもしれませんね。少なくとも、ハイドリヒ卿とは少し違う。

 この世に現れただけで“みんな”が壊れる。強さのままに総てを呑み込んでいく、黄金の獣とは」

 

「あまり無理をしないでください。殺された側からすれば、そんな理屈は知ったことじゃないのは理解してます。

 私も彼のやり方を擁護したいわけじゃありませんし、あなたの憤りを否定するつもりもない。言いたいことがあるならば言ってください」

 

「いえ。殺戮なんてやり方を認め難く思うのは確かですが、今の私がそれ以上に憤っているのは私自身のことです。

 どちらのやり方にしろ、それに対して物申すことも出来なかった。青臭いと言われても、この理想を捨てることだけはしないと誓ったはずなのに」

 

 ベアトリスは自分の無力を責めている。

 その気持ちは分かる。きっと私も、彼女の立場になれば同じように思うはずだから。

 そして他人事だからこそ、冷静に判断する眼も持てた。それは本来、責められるようなことじゃない。

 意見を押し通す強さが無いから無意味だと。そんなものはこの宇宙の忌むべき悪習だ。力に依った選択に頼るばかりでは、ただの繰り返しとなって変わらない。

 

 ベアトリスの決断を妨げたのは、人としての揺れ動く心。

 その疑問と逡巡。それこそが尊いものだと、私は思う。

 恥じず悔いず省みない無慚無愧。その在り方は確かに強い。揺れる者では辿り着けない頂きだ。

 けれど、どうしたって後戻りが効かない道でもある。人を捨てて強くなっても、その果てに大団円が訪れるとはどうしても思えない。

 弱い自分は恥ずかしくて、取り零した人たちには申し訳なくて。正しいからこそ苦しまなければならない、そこに感じ入ることは大いにあるけれど。

 

「少し休憩しませんか?どうにも考えが悪い方にいっているように思えます」

 

 私が考えたことなんて、言わずともベアトリスは分かっている。

 だから私が今できるのは、そんな彼女を気遣い、少しでもその心労を減らすことだけだ。

 

「この国には善い言葉があるそうではないですか。“腹が減っては戦はできぬ”、と」

 

「……そうですね。後ろ向きなのは性に合いません。ちょっと元気を補給しましょうか」

 

 元気を補給。善い言葉だ。

 食事とは栄養を接種するための作業じゃない。それ以上に、人の気持ちに熱を与える行いだと思う。

 だから私も食事が好きだ。この身にとって必要な行為ではないけれど、疎かにはしたくない。

 

 それに、実を言えば少し興味もそそられていたのだ。

 

 ベアトリスに連れられて入ったのは、スーパーマーケットなる場所だ。

 多種多様な物品が所狭しと棚に置かれ、こちらの感覚からすれば何かの祝い事かと思えてしまう。

 驚くべきことに、この状態こそが日常であるそうだ。物に溢れたこの風景こそ、文明の豊かさというものか。

 

「盗みのようになってしまって心苦しいですね」

 

 誰も人がいない店の卓に、この国の通貨と思しきものを置くベアトリス。

 きっとそれは意味の無い行いだけど、否定したいとは思わない。見えていないところで見せるこの律儀さこそらしさだと思う。

 青臭いと言われようが、そんなところが私は好きだ。賢しく気取って他人を下に見る態度こそみっともないと思っている。

 

 店の中にある休憩のためのスペースで、持ってきた食品の封を解いていく。

 人がいなくなったせいで、生鮮関連のものは傷んでいるのが多かったけれど、それがなくても驚くべきは種類の豊富さだった。

 乾燥させた保存食というものは私も知っている。とはいえ、味にも種類にも限界があるのが定説だった。なのにこれは、そのどちらにも妥協が見られない。

 このカップラーメンなるものは、お湯さえあればその場ですぐに調理可能というお手軽さだ。この缶詰というものは、蓋を開ければ中には鮮度を保った肉や魚が現れる。果てには冷凍食品なる代物まで。

 含まれる味の豊富さも及びがつかない。美味しさを正確に測る機能を持たない私だけど、今回ばかりは悔やまれた。

 

「なんだか驚いてますね、クインさん。そんなに珍しいですか?」

 

「ええ。少なくとも、私が知る中にこんな光景はあり得ませんでしたよ。

 これだけの物を揃えようとするなら、街中からかき集めなければ無理でしたし、それが毎日なんて運送が追い付きません。

 正直なところ、こちらに来て最大の衝撃といっていいくらいです」

 

「……ああ。確か文明の規模としては小さいのでしたね。こちらで言うところの中世くらいでしょうか」

 

 物に溢れた光景は、カイホスルーのところでも見ている。

 だけど、あちらは魔王の搾取という印象が強すぎて、いまいち感心する気が起きなかった。

 民から搾り取って贅を凝らす。不義者らしい価値観で、義者としての嫌悪感が先立ってしまう。

 だからこうして、無辜の民たちにも行き渡る形で実現できていること。それでようやくこの時代の豊かさを実感できた。

 

「考えてみればおかしな話です。宇宙のこと、神のこと。凄まじいことばかりを知らされたはずなのに、ここの人たちにとっては何でもないような事に驚かされてる。

 上ばかりを見ていては足元が疎かになってしまう。こんなにも素晴らしいものがあるのに、気付かずに見過ごすなんて勿体ないです」

 

「まったく。ええ本当に、私だってそういう時代の恩恵を実感している側ですから。

 子供だった時分には考えつかないようなものがたくさんある。この時代が豊かになったって証でしょうね。

 ジェネレーションギャップというんですかね。こんな見た目ですけど、年寄り扱いされないよう付いて行くのが大変ですよ」

 

 他愛のない話題に花を咲かせるけど、私もベアトリスも分かっている。

 それはあまりにも儚い価値だ。闘争を是とする神座において、人の築いた文明なんて舞台の装飾のようなもの。

 手にしたものが無骨な剣でも、文明の利器でも、本質的にやることは一緒だ。利便さなんて目を掛けられたりはしない。

 人の幸福に繋がるものは無視されて、強さばかりが優先される。間違っているとは思うけど、そうなってしまうのも仕方ないという気持ちもあった。

 敵がいるなら勝たなくてはならない。出来なければ蹂躙されると分かっているなら否が応もなく、強さを求めるのは善悪を超えた本能だ。

 闘争に明け暮れる限り、その相関からは脱け出すことが出来ないのだろう。国のために戦う軍人だったというベアトリスも、よく承知の上のはず。

 

「時代は進んでいて、私たちは取り残された老人たち。現実に成り切れなかった幻想なんだと思います。

 黒円卓なんて時代の遺物は、いつか名前を知る者もいなくなって、そのまま自然消滅してしまうのが一番いい。

 人は人のまま、色んなままならなさを噛み締めながら歩いていければいいって、そう思っているんです」

 

 いつの日にか本当に、私たちが幻想から解放される時がくるのだろうか。

 マグサリオンが可能性を示してくれる。けれど私は、同時に彼も冥府魔道から解放してあげたくて。

 余計なお世話だと、きっと彼は言うのだろうけど。こればかりは何と言われたって譲るつもりはない。

 マグサリオンを更生する。彼が真っ当に生きていける未来を創る。それこそが託された想いであり、私自身の願いだから。

 

「……そういえば、ジークリンデはどうしたのでしょうか?」

 

 少しばかり話題を変えて、途中まで一緒だったもう一人のことをあげた。

 謎めいていて、こちらにも真意を見せることはなかった。同じような能力を持っているためか、彼女の思念は読み取り辛い。

 

「仲間、とは言えなかったのでしょうが。彼女が何を求めていたのか、結局は明かしてくれませんでしたし」

 

「元を正せば、ジークリンデは黒円卓の敵です。そういう信仰を持つ組織に造られて、彼女はそう成り果ててしまった。

 今さら、そんな自分を捨てることも出来ないのでしょう。良くも悪くも、きっと彼女にはそれ以外が無いから」

 

 ベアトリスたちとジークリンデの関係について、私はどう足掻いても他人事にしかなれない。

 真我の宇宙の義者と不義者のように、不俱戴天の間柄とは簡単にはいかない。

 たとえ敵対の図式が単なる茶番だったとしても、ああそうかとは頷けない。忌諱感が先立って拒絶が勝ってしまうのだ。

 それもまた、人の心のらしさであり、ままならなさなのだろうけど。

 

「それでも私たちに助言をしてくれたのは、彼女なりの譲歩だったのだと思います。以前とは関係も変わったのだと信じたいです」

 

「改めて思えば、彼女が知ることはとても多かった。きっと総てを教えてくれたわけではないのでしょうが、大袈裟でなくここで随一の事情通だったのでしょう」

 

 実際、ジークリンデがいなければ、私たちがこうしていることはなかったと言える。

 何をしていいか分からず、行動への取っ掛かりすら掴めない。最初の一歩目さえ先が見えない有り様では、動き出すことが出来たかは怪しい。

 目的を持たないなりに、曲がりなりにも進むことが出来ているのは、ジークリンデが施してくれた助言があったからこそだ。

 

「今にして思えば、以前からジークリンデには多くのことが見えていたように思えます。きっと黒円卓(わたしたち)が知らないことまで、彼女は把握していた。

 そうして先の先まで見通して、後々に至るための布石を張る。私たちと双頭の鷲(ドッペルアドラー)の戦いはそのためにあったと今なら思えるんです」

 

 その身に様々な異能を修めているというジークリンデ。

 私のような読心・感応系の能力をはじめ、未来予知まで可能だったという。

 その能力の限界が何処までなのか、それはジークリンデ自身にしか分からないことだけど。以前の時も、今回の舞台でも、その深謀遠慮が彼女の異能のためだとするなら。

 

「……だとしたら、きっと彼女は苦しんでいるでしょうね」

 

「?クインさん、それはどういう意味です?」

 

「彼女のような立場には覚えがあるんです。多くのことを知ることは、決して幸福とは限らない。

 それは世界が茶番であるのを知る事です。覆すことが叶わないと思い知れば、もはや生き地獄と変わらないでしょう」

 

 かつて最も多くを知り、そして余計な口出しを禁じられた人がいた。

 神座という舞台に、その運命を縛られる。不本意な役割を余儀なくされるのは、果たして無知なのとどちらが恵まれているだろう。

 私にとって生涯の宿敵で、そして立場の辛さを誰よりも共感できる“神剣(アフラマズダ)”。規模の違いがあるとしても、運命を翻弄される苦しさはよく分かるから。

 

「もしかしたら、彼女は他のどんな人よりも憎んでいるのかもしれません。こんな運命を自分に強いた、神という存在を。

 その想いが変わらないのなら、彼女は復讐を望んでいるのかも。たとえそれが、どうやっても叶わないものだとしても」

 

 

 

 

 向けられた喝采の声を覚えている。

 憐れな被験者たちの身体を捌き、その命を散らしてきた鉄の寝台。

 それをまるで厳かな祭壇のように、賛美しながら輪を成してわたしという器の誕生を祝福していた。

 

 今や神秘は世界から失われつつある。

 箒に跨り空を飛ぶ魔女。世界各地で記された神話の生物。空を翔ける天の居城。

 今となってはどれもフィクションの中にしか現れない。かつては確かに存在した幻想たちが、世界の老いと共に消失しつつあるのだ。

 歴史の中で蒐集してきた数多の聖遺物も、こうなっては単なる古かびた骨董品。如何に歴史を重ねても、それのみでは摩訶不思議な力なんて発揮しない。

 

 つまり、その方面で挑もうとしても頭打ち。そう見切って打った手立ては極めて実効的なものだった。

 

 オカルティズムとサイエンス。正反対の概念同士の融合。

 そう聞けば革新的にも聞こえるけど、要するになりふり構っていないだけ。

 教義のために、人道なんて簡単にかなぐり捨てられる。鬼畜の所業に手を染めても事を為すという憎悪の妄執。

 亡きレーベンスボルンの遺児。諸国によって引き継がれ、サンプルとして生まれながらもその役割を失って捨てられた子供たち。

 それらを残らず供物を捧げ、果てに完成したのがこのわたし。遂に手にしたその成果を、彼らは心の底から讃えている。

 

 備わった数々の異能も、所詮はただの副産物。

 ただの手品の類いであり、まったく何の力にもならないことは彼らにも分かっていた。

 祈りの強さで世界法則すら書き換える。そんな規格外(チート)には成り得ない現実の産物だと理解していたのだ。

 

 しかし、たった一つ。この予知の力だけは別。

 これこそが彼らの本命。全ての犠牲はこのためだと言っていい。

 時間を跨いで先を視る能力は、この宇宙において重大な意味を持つ。

 だって時間とは、未来も過去も閉じた円環の輪の中にある。変えられない永劫回帰こそこの世界の真実だ。

 未来は未知数、人の意志次第で変えられるものだと言われるけど、残念ながらそれは嘘。だからこそこの予知は、閉じた輪の時間の中をより高次の視点から盗み見ることが出来る。

 

 そしてわたしは予言した。

 獣が斃れる。蛇が滅びる。神の名を僭称する白痴の怪物に、とうとう終わりの時がやってくる。

 告げられた未来を知り、彼らは一様に狂喜している。これで信仰は成就する。遂に我らは悲願を達成したのだと。

 

 自分たちは決して“無価値”などではなかったのだと、誰もが同じように()()の念を抱いていた。

 

 蛇の天敵を謳いながら、なんてことはない。

 天敵など大言壮語もいいところ。向こうからはまったく相手にもされていなかった。

 如何に群がろうと、矮小な虫けらが巨大な怪物を殺せる道理はない。神と人の間にはそれだけの隔絶が広がっている。

 分かり切っているはずの事実。承知しながら尚、彼らはそれを認めようとはしない。

 果たされない想いは呪いと同じ。諦めるなんて選択肢は、重ねてしまった年月と執念が許してくれない。

 事実の正誤よりも納得できる意味が欲しい。この妄執に吊り合うだけの意味を。そうでなければ、どうして今さら降りることが出来るだろう。

 だから私の予言は彼らにとって救済なのだ。これでようやく自らを使命(のろい)から解放することが出来るのだから。

 

 なんて滑稽な姿でしょう。

 揃いも揃って熱をあげてる彼らがひどい愚図に見える。

 彼らは命だって喜んで捧げるだろう。それで意味を得られるなら、そこに疑問すら差し挟まない有り様が可笑しくてたまらない。

 

 ああ、そして何よりも滑稽なのは!

 そんな彼らの姿に倣うように、見たこともない相手を大真面目に憎悪して、予言の成就のために命を捧げるつもりでいるわたし自身だった。

 

 本当に、なんて可笑しな話!

 やめようという気持ちがこれっぽちも沸いてこない。

 滑稽だと思っているのに、その脚本のまま踊ろうとしている。まるで喜劇のピエロのよう。

 どうか私のダンスをご覧あれ。この道化芝居の果てに、必ずや愚神(あなた)へと破滅の刃を届けてみせましょう。

 

 もしも、こうなる前の思い出があったなら、なんて物語は信じない。

 そんな運命とは縁がない。覚えていることなんて皆無だけど、どうせろくでもないのに決まっている。

 今さらになって、万が一にでも過去の家族やら恋人やらが現れたとしたら嗤ってあげましょう。嘲って罵って、お呼びではありませんと言ってあげます。

 安っぽい救いなんていらないから。こびりついた汚濁は、自分でもその悪臭に気づけない。綺麗なままの自分なんて想像さえつかないのだ。

 

 さあ、呪詛の調べを響かせましょう。

 私はジークリンデ・エーヴェルヴァイン。始まりから終わりまで、それが唯一の意味なのだから。

 

 

 

 

「――とまあ、これがわたし達の物語というわけですわ」

 

 長々と続いた自分語り。聞く耳持たれず斬り捨てられるかとも考えたが、意外にも大人しく聞いている。

 禍々しい鎧の怨形に見えてくるものは未だにない。苛立っているのか、呆れているのか。僅かな感情の機微すら分からない。

 戦々恐々とする自らの心を楽しみながら、ジークリンデは語り尽くした。双頭の鷲(ドッペルアドラー)の歴史、それに対する自らの心象まで赤裸々に。

 

 元よりお喋りが好きだと放言するジークリンデである。

 相手の心を見抜き、その他異能の数々でもって意表をつく。あらゆる考えは先読みされてしまうので、どう足掻いても彼女のペースから脱け出せない。

 力に依らぬ言葉による凌辱だ。ある部下の場合だと10日も弄ばれている。それでも彼女からしてみれば満足には程遠い。人一人の人生とは、それほどに複雑怪奇で面白い。

 備わった異能の如何より、誰もを辟易させて憚らない性悪さから繰り出す口撃こそジークリンデの持ち味だ。人という“娯楽”を愉しみ尽くすために、彼女は他人の総てを暴きたてる。

 

 とはいえ、今度ばかりはいつものようにはいかない。

 彼女が対峙しているのは“無”。存在しない、しかして確かにそこに在る。そんな矛盾と無法を地で行く男など、彼女にとっても初めてのことであったから。

 

「トリスメギストス。パラケルスス。サンジェルマン。カリオストロ。直近ではカール・クラフト、そしてメルクリウス。

 数多の皮を被って歴史の影を彷徨い続ける水銀の蛇。それを滅ぼすことだけを教義とした殉教者たち。それが双頭の鷲(ドッペルアドラー)

 ところで、聞き覚えがありませんか?こんな教義(ノリ)。神サマを憎んで、何をしてでも壊してやろう。別にわたし達だけの話ではなかったでしょう」

 

 “視えない”相手となると、その心を暴いて揶揄する話術も使えない。

 ここまでの大半が自分語りのようなカタチとなっているのも、相手の話題を読み取れないためだろう。

 もっとも当のジークリンデに言葉に窮した様子はない。微笑みながら澱みなく回る口はむしろ絶好調にも見える。

 未だ黙殺を貫く凶戦士より、どんな反応を引き出せるのか。心底から畏れながらも、その興奮を抑えきれないでいるようだった。

 

「たとえば、ほら?――――転輪王の花輪(サンサーラ・ヴァルティン)、なんていう組織とか」

 

 そしてジークリンデは、この舞台では聞くはずがない名前を口にした。

 

「手慰みのような力ですが、これでも見る眼については自信もあるのです。

 まあそれも、元々の世界では限界がありましたが、今は少々事情が異なるようで。

 虚構の舞台だからこそ、その法則も徹底されてはいない。繋がる時間の狭間から、こことは異なる時代をも垣間見ることが出来るみたいです」

 

 それは意図した結果ではない。まったくの偶然だと言ってもいいだろう。

 ある種の例外的な異能が、例外的な効果をもたらした。そういう結果になったのも、やはりここが虚構である故に。

 

 そして無論、リスクが何も無いわけでもない。

 ジークリンデの姿が揺らぐ。それは物理的なものではなく、存在の事象そのものを危うくする予兆。

 あり得ないことを口にしたため、その虚像が実体を見失いつつある。善悪二元の者を引き込んで、既に原形など留めていない舞台だが、それでも秩序の強制力と呼ぶべきものは存在していた。

 迂闊な口は災いの種になる。あるいはこの先で、存在の根本から崩れ散ることもあり得るだろう。それでも構わずに、ジークリンデは話を続けた。

 

「もっとも扱いに関しては随分と差があるみたいだけど。どちらかと言えば善玉なわたし達に対し、向こうは至高の地平を滅ぼした大悪党なのでしょう。

 でも似ていると思うんですよねえ。やっぱり可愛らしい女神サマと、粘着質で気持ち悪い蛇男とでは扱いも変わるということでしょうか」

 

 可憐と見える微笑を浮かべながら、その口が紡ぐのは強い皮肉を込めた言葉。

 そこからが根の深い悪意の陰が垣間見える。しかしてそれが向けられているのは、果たして仇敵である水銀のみなのか。

 

「少しだけ、女神サマの世界も視えました。そこでは黒円卓の面々も、皆が幸福そうに笑っていた。

 輪廻転生。誰もがいつかは幸せになれる世界。なるほど、慕われるのも分かります。みんなに優しい完璧な天ですね。

 抱擁を是とする慈母の法。少なくとも人類にとって不都合と呼べるものは何も無い。これ以上のものは早々にはあり得ないでしょう。

 きっと私も、そこで救われたんでしょうね。愛情に溢れる家庭に産まれて、すくすくと育ち、善き人と結ばれて子宝にも恵まれる。そんな幸福な人生を歩んだのでしょうか」

 

 それこそが黄昏の女神の素晴らしさだ。

 怒りを原動力とする歴代の神々の中で唯一、母性の愛を以て天へと至った。

 彼女は人々を心から慈しみ、その運命を抱き締める。皆が幸福であることを望み、誰もがいつかは幸せになれる法を敷いた。

 

 それが輪廻転生。

 魂は流転する。一つの生を終えた魂は次なる生へと向かうのだ。

 繰り返される生は苦行ではない。当人に前世の自覚はなく、魂に刻まれた体験が朧気な記憶となって思い出されるのみ。

 頑張った人たちの思いを無駄にしたくない。たとえそれが間違いだったとしても、無かったことにはしたくないから。

 正も負も、みな引っ括めて人生というものだろう。完璧に清廉な人間なんていない。綺麗事では済まされないからこそ、人の意志は光り輝く珠玉となり得るのだから。

 

 言うなれば、それは総ての人々に悟りの境地をもたらすものだ。

 転生を経た魂は様々な人種や立場としての生を送る。誰もが互いを知ることで差別や排斥意識は希薄となり、霊的な混血化による精神的融和を果たしていく。

 やがて人類の治世は理想的な統一国家の樹立と相成り、真の平和と協調の道を歩き出す。それも斯くあるべしと強制された結果ではなく、導きの上とはいえ人類自らの手足で涅槃の楽土を築くのだ。

 

 まさに善い事ずくめの法である。

 人にとって、神という超越者の理想的な姿だろう。余計な干渉は行わず、ただ支えとなってその進歩を見守ってくれている。

 これ以上を望むなどバチが当たる。道理に照らし合わせて、非の打ち所の無い至上の天であることに異論の余地はなく。

 

「ただ、わたしみたいな天邪鬼はどうしても思ってしまうみたいです。

 ねえ――()()()()()()()()()()()()()?」

 

 そんな(もの)を否定するのは、道理の上にある言葉ではない。

 その反対、物の正しさの一切を無視した、糞と汚泥の坩堝に浸る奈落の妄念に他ならなかった。

 

「転生って、見方を悪くすれば魂の再利用(リサイクル)みたいなものじゃないですかね。繋がりはあるのでしょうけど、結局のところはよく似た別人なのでしょう。

 こう言ってはなんですが、それで救済と見るのは些か視点が高すぎるのではないかと。天の上の神サマたちからはそう見えても、地に這う人からすればまるで実感がありません。

 要はありがたみが薄い。それとも無意識でその恩恵に感謝するよう仕組まれているとか?いいえまさか、そんなものは自由を尊ぶ慈愛の女神サマには相応しくありません」

 

 そしてそれこそが、黄昏の天地が滅び去ることになった何よりの要因。

 好きにやっていいんだなと、膨れ上がる悪意に対して何も出来なかった自由型の限界。

 要は、女神の祈りが光をもたらすよりも先に、人の愚かさが何もかもを覆してしまった結果と言えた。

 

「それを思うとカール・クラフトは抜け目がなかったですね。自由にさせてるようで、その実は徹底した管理型。運命は予め決められていて、誰もが選んでいるのではなく選ばされている。

 彼にとって不本意な滅びなど可能性の余地すら許さない。わたし達と教団(かのじょ)たち、こうも成果が違っているのはそのためでしょう」

 

 片や、勝負の形にすらならず蹂躙され、僅かな伏線は残しつつも全滅した双頭の鷲(ドッペルアドラー)

 片や、世界のほぼ総てを掌握し、遂には神座そのものを終わらせる“規格外”を誕生させた転輪王の花輪(サンサーラ・ヴァルティン)

 思想そのものは似通いつつも、まさしく蟻と巨獣ほどの差があるだろう。その格差も偏に、天に君臨する者の対応の違いだと言えた。

 

「女神サマは悪くない。道理で見れば教団こそが紛れもない悪。

 ですけど、わたしは彼女たちにこそ共感します。端的に言って、黄昏の女神のことが好きになれない。

 綺麗な場所にいて、穢れを知らずに正論ばかりを振りかざす。みんなからちやほやされてる可愛らしいその顔に、盛大に泥を浴びせてやりたくなるんです。

 あんなお花畑の小娘に絆されるくらいなら、何もかもをひっくり返して台無しにしてやりたいって、本気で思っているんです」

 

 それは言い掛かりも甚だしい。逆恨みも言いところだ。

 だって女神に非は何もない。人を慈しむ彼女は、都合の良いように運命を操作なんてしていない。

 彼女たちが不幸だったのは、そういう運命の巡り合わせだったと言うしかない。憤りは理解できるが、向ける相手が違うとしか言えないのだ。

 

 そうだ。よく分かっている。

 女神が何も悪くないことは分かっている。分かった上で、総てを壊すと決断した。

 非難することに意味は無い。自分たちが間違いだというのは、彼女たち自身が分かっている。

 あくまで個人的事情からくる感情論。己の中の激情だけを糧に、善なる黄昏を滅ぼす悪意を育んだのだ。

 

 人生とは、想いとは自分のもので、誰かの都合に振り回されるべきものじゃない。

 それは女神の根本にある価値観。けれどそんな優しさと労わり、清廉潔白すぎる無償の慈悲こそが女神の終末を決定づけた。

 施しを受けた者が、常にそれを受け入れるとは限らない。たとえ穢れの無い善意であっても、その清らかさが惨めさと自責を生む場合もある。

 それは時として、悪意よりも激烈に神経を逆撫でる。持てる者特有の自然な豊かさと健やかさは、持たざる者に深い劣等感をもたらしてしまうから。

 

「ただ、()()()()()()()()()()()()

 

 それは真に恥じ入るべき醜悪な祈り。

 教団の大導師は、自説として黄昏の女神は“女”にしか斃せないと謳ったという。

 なるほど、確かに。世界さえ巻き添えにするヒステリック。こんな真似は男の身では到底出来まい。

 男は恰好付けたがる生き物だから。最期の一線で余計なプライドが足を引っ張る。元より道理のない癇癪で我意を押し付けるのは“女”こそが得手とするものだろう。

 

「まあ、私が知覚したものは断片的な情報だけ。真実は違うのかもしれません。

 けれどそれもどうだっていい。所詮は赤の他人のこと。大切なのは今、ここにいるわたし達でしょう」

 

 転輪王の花輪(サンサーラ・ヴァルティン)は、ここにはいない。

 彼女の名はジークリンデ・エーヴェルヴァイン。蛇を狩る猛禽の長なのだから。

 

「どうしましょう。どうしたらいいんでしょうか、わたしは。

 本来、この舞台の出演予定なんてなかったはず。それでもこうしてオファーをいただき、白紙の脚本を渡されたのなら演じる役割を決めなくてはいけないわ。

 それなら、ねえ?やっぱりここは、自分のキャラに適した行動を取るべきではないかしら」

 

 十年前、クリスマスの日に起きた小さな戦争。

 部下たちを死地へと向かわせ、自らも聖餐杯にその身を差し出し、惨死したあの時のように。

 今この時に勝てなくても、繋がる未来を知る彼女にとっては敗けじゃない。遺した呪いは巡り巡って怨敵を葬る刃となる。

 蛇を滅びの運命へと決定づけたのは自分であると、鷲の長として謳い上げたあの最期は、なかなかに痛快だったから。

 

「今のわたしは単なる虚構。けれど、ジークリンデ・エーヴェルヴァインはそもそも偶像なんだもの。

 鷲の妄執を成就させる預言者。そのために創られて、その役割に殉じたのがわたしという作品(じんせい)

 だから、今回もそのように致しましょう。わたしは神様(あなた)たちの行く末を知りたいのです」

 

 嫋やかに紡がれた言葉。されど込められた感情は穏やかさとは程遠い。

 それは積年に渡る妄執。長い時間が過ぎた果てに、もはや己でも原点のカタチが分からなくなってしまった哀絶だった。

 単なる音としての響きではない。ジークリンデの持つ感応と同調、それらの異能でもって精神へと訴えられる言霊。

 

 手品のようなものだと、自らの異能を指してジークリンデは言った。

 確かにエイヴィヒカイトの生み出す異能と比べれば、そこには嘆きたくなるほどの絶望的な隔たりがある。

 実際、物理的な力では傷の一つも負わせられまい。神の産物と人の造物との差だとすれば、残当と言ってもよい性能の違い。

 しかし、精神的な方面ではその限りではない。如何に魔人といえど、その心まで不壊の強度を保っている者は数少ない。

 己の信仰を崩されれば、法則にも亀裂が生じる。双頭の鷲の団員たちが魔人たちの心的外傷を抉れる者で構成されていたのはそういうこと。

 その意味でも、ジークリンデ・エーヴェルヴァインは黒円卓を葬る刃だった。魔人たちが未だに残す人間性を穿ち、その魂を貫く剣である。

 

 言霊を紡げば紡ぐだけ崩壊は進む。

 彼女とて自らの滅びを感じ取っているはずなのに、まるで頓着する様子がない。自身の破滅すら何とも思っていなかった。

 その姿からは不気味な迫力を醸し出していたが、何故だか覚悟や矜持といった意志の重みが感じられない。その妄執も哀絶も、ひどく欠けたものに感じるのだ。

 

「宇宙は滅亡と開闢を繰り返している。この舞台に喚ばれたわたしはそれを知った。

 運命という糸に繰られた人形たちの喜劇のよう。ああ、これでようやく、わたしも少しは神様(あなた)たちに親近感が持てそうだわ。

 わたしが消えるのも殺されるのも、まあ構いません。ですけど代わりに、わたしもあなたの終わりを見させてもらいましょう。そしてこの世界の末路とやらも、ね。

 さあ、その剣でわたしを貫いて、この命を散らせばよろしいでしょう。それとも自分のことを見られるのは嫌なのかしら?だとしたら随分と臆病なのですね。

 そんな鎧に身を包んで、それってもしかして心の弱さを護ろうとしているのですか?だとしたら超人なんて程遠い。単なる人間でしかありませんが。

 でも、仕方ないのかもしれませんね。だって神サマだって“ヒト”なんだもの。超越者なんて幻想は、最初から存在しなかったのかもしれません」

 

 少女の在り方は浮遊している。

 命を賭すほどの悪意を持ちながら、その実、自分と言えるものが何一つ無い。

 だからこそ、万事がどこか他人事のような軽薄さを有している。その命まで含めて、重く受け止めているものが何も無いのだ。

 凶戦士の圧を目の前にしながら、こうまで泰然自若としていられるのも、その証左の一つ。総じてまともと呼べる感性が残っていないから、恐怖すら娯楽の一環と言いきって愉しめてしまえている。

 狂信と異能によって破綻した人間の成れの果て。自分自身というものを持たないその有り様は、彼にとっても眼に余るものだったから。

 

「くだらん」

 

 理解という名の殺意を振るうマグサリオン。重く閉じていたその口を遂に開いていた。

 

「……これはありきたりな反応ですね。なんだか逆に意外です。

 他人から嫌われるのには慣れていますが、あなたからはもう少し違った反応を期待したのですが」

 

「そうだ。それが貴様だ。

 貴様が見ているのは反応だ。自分という音叉に他人がどういった返しをするのかを見ている。

 そこに意味と呼べるものは無い。ただ他に出来ることもなく、またしたいことも無いだけだろう」

 

「随分と手厳しいですね。聞いたところによると、あなたも似た気質をお持ちだという話ですが」

 

「そうだな。だが決定的に異なる点も存在する。

 貴様はラベル貼りされた役割を演じているだけだ。貴様の悪意に貴様自身のものは無い。

 そして考えたこともあるまい。己とは何か、しかと向き合うことをせず、流されるままに終わった先にいるのが貴様だ。

 理解できるか?似ていようが、俺と貴様とではまるで違う。この殺意は俺自身で定めたものだ」

 

 口火を切った理解のメスが、ジークリンデの裡を解体していく。

 これまでしかと明かされる機会がなかった少女の真実。ヴェールに包まれたままだった謎が、凶眼の光によって解明されていた。

 

「予言の成就?破滅の引き金を引いたのは己だと?そんなものに意義など求めている時点で価値などあるまい。

 ただの負け犬どもの戯言だ。せいぜい一矢報いてやった気になっただけ。いいや、そもそも一矢報いたなどと本気で信じているのか?」

 

 ジークリンデが予知した未来。

 黒円卓の破滅。獣は斃れて、蛇は滅びる。

 断頭の刃がそれを為す。奴らに破滅の因果をもたらしたもの。即ち鷲の意志こそが愚神を誅したのだと。

 

 しかし、果たしてそれは真実だと言えるだろうか。

 

「残念だったな。総ては手のひらの上だ」

 

 言葉を弄したところで事実は変えられない。

 双頭の鷲(ドッペルアドラー)の行動が、水銀の予想を超えたなどありはしない。宇宙の総体たる者の思惑は甘くはないのだ。

 

 何故なら、水銀の蛇とは自殺願望を有する神格である。

 己を殺すため、その武器を用意するのは当然のこと。獣の滅びも含めて、彼にとっては大願成就の瞬間に他ならない。

 謂わばジークリンデたちは、体のよい運び屋として使われたに過ぎない。天の上からその働きを眺め、筋書き通りだとほくそ笑んでいるに違いなかった。

 

「そして、そういうことを聞かされても、心に細波一つ立てんのが貴様だ。本当は全てがどうでもいいんだろう。

 貴様が憤っているのは神に対してではない。境遇も、周りの他人も、己まで含めた総てが屑と見えて仕方ないのだ。

 この世界はくだらない。わざわざ頑張って生きていく甲斐など無いと信じているから、救いすら拒絶する」

 

 人の内面を覗き、弄びながら暴き出すのがジークリンデなら、観察による理解と共に魂を貫いてくるのがマグサリオン。

 己の裡を当てられれば人は動じる。これまで崩れることのなかったジークリンデの微笑にはっきりと動揺が走っていた。

 

「経験則だがな。己が見えていない輩というのは、他人を通して自らの本心を語るらしい。

 他所の連中のことを語っていたが、そのような解釈に至ったのは貴様自身が思っているからだ。総てが滅びてしまえとは、貴様の奥底の願望だ。

 ――本当に恥知らずなのは、貴様の方だ」

 

 神だけに限った話ではない。

 その境遇、救いの無い運命を強いた諸々、即ち彼女を取り巻く世界そのものが憎たらしく、そして馬鹿馬鹿しかった。

 悲劇ではない。これは喜劇だ。憎いと言っても獰猛な感情とは違う。だって人々は誰しもが愚かしく、見苦しくて、そして愉快だった。

 だからこそ大いに嗤う。だって不幸なのはわたしだけじゃない。誰もがこの喜劇の中で踊っているのなら、恨む必要も羨む意味も無いはずだから。

 

 総じて空虚に見えたのは、本気ではなかったから。ジークリンデ・エーヴェルヴァインは世の中を斜に構えて見ているだけの、当事者意識の欠けた傍観者に過ぎない。

 

「貴様の思いは不変とは程遠い。

 神への憎悪、そして総てに対する失望にしてもそうだ。確かなものは何もない。その場その場で向きを変える風見鶏だ。

 信念が無い。覚悟が無い。だから望んだ何物にも届かない。転輪王の花輪(サンサーラ・ヴァルティン)とやらとの違いはまさしくそれだ」

 

 転輪王の花輪(サンサーラ・ヴァルティン)の企ては邪悪そのもの。

 およそ道理と呼べるものなど何も無い。黄昏を真性の善神だと知りながら、その総てを滅ぼした。

 神座の深淵、その奥底に隠された事情まで見渡せば、確かに女神は座を降りなければならない理由があった。

 しかし、そんな事情と彼女たちの決断が何の関係も無いのは明らかだ。何処までもエゴに塗れた思いでもって破滅の願いを成就させた。やはり悪というより他にあるまい。

 

 だが、その思いの強さだけは否定しようもない。

 元よりこの宇宙は祈りの善悪よりも熱量が物を言う。その内実よりも重要視されるのは祈りそのもの。

 むしろ女性らしいリアリズムを持った決断とも見做せるだろう。神へと至る資格が無い自分では無理だからと、ならば代わりを用意する方向へとシフトした。

 結果として誕生した最強最悪の邪神。ことに座を破壊するという方向では予想外の働きを見せるとの評価は大袈裟ではないだろう。

 

 それと比すれば、双頭の鷲(ドッペルアドラー)が遺したものはあまりに矮小。

 時代が悪い、相手が相手だ仕方ないと、言い訳は出てきても事実は変わらない。

 彼らはギロチンを運び入れ、獣の爪牙たる魔人を二枚ほど落とした。成果と呼べるのはその程度。

 命を賭したにしては儚すぎる結果だろう。恐らくは誰の目にも留まるまい。本筋から外れた番外の一編として見過ごされるのが妥当であろう。

 

「だが、それを責めはすまい」

 

 変わることの無い凶念を帯びた声色。不変の態度で臨みながら、マグサリオンは言葉を続ける。

 

「それが出来るのは狂人だ。種類は違えど所詮は同じ穴の狢。やるのは常に極端な方へと舵を切ること。

 出来ない奴は不甲斐ないと、そう切り捨てるのでは真我の頃と何も変わらない。

 貴様は、転輪王の花輪(サンサーラ・ヴァルティン)とやらよりも決意が足らず、つまり歯止めが掛かる程度には“まとも”だった。

 己のエゴで総てを滅ぼすほどに、己を肥大化させなかった。ごく当然のことだろう」

 

 剣一本で宇宙の生命を絶滅させた男が、一方でその様を狂っていると評する。

 理解し難い言動だろうが、これがマグサリオンという男である。

 理屈を解し、その総てを解き明かす。当然“まとも”ではない自分を基準になど考えていない。

 世の中の善と悪、思いの尊さと醜さ、人間の強さと弱さまで。彼にとってはまったく無縁のものまで余さず理解の範疇に収めている。

 それは動物や昆虫といった、自分とは異なる生物の仕組みや生態を観察する眼なのだろう。よって如何なる者が相手でも、その凶眼は非情なまでに解析して把握する。

 

「実際、誰も彼もが俺のようになられても厄介だ。

 ああ、そういう意味では貴様も悪くない。よくぞ俺の手間を省いてくれたな。褒めてやる」

 

 慈愛も、同情も、憐憫も、その声には含まれていない。

 殺戮に快楽を見出したことは一度もなく、己が歩む冥府魔道を好ましいとも思っていない。

 もはや個人としての好悪など超越した次元で立っている。よって如何なる境遇の相手にも、その剣の冴えが鈍ることはあり得なかった。

 

 マグサリオンが歩き出す。

 無論、殺すために。相手の理解を終えたなら、後することは唯一つ。 

 無慚無愧の一部として、この宇宙に不変の輝きを刻むために。相手の思いも関係なく、狂える凶念のままに貫き通すのが彼だから。

 

「それでは、一つだけ答えてください。あなたから見て、わたしはどう映りますか?」

 

 ゆっくりとやって来る凶戦士に対し、ジークリンデは震えた声でそう問うた。

 その顔は既に嗤っていない。死の間際でも嗤い続けた、聖餐杯に抱かれた時とはまったく違う。

 

 ただ死ぬだけなら、きっと今でも怖くない。

 この世界に失望している彼女にとって、生とは未練を抱く対象とはなり得ない。

 それでも、この人を前にして何故だかとても“恐ろしい”。このまま終わりたくないと、理解できないほど切実に思えたから。

 

「既に言っている。“無価値”だ」

 

 無慈悲な断言。

 時に救世主と称される彼だが、決して他人のために剣を振るっているわけではない。

 明白な部分は多くはないが、マグサリオンもまた怒りの権化。その理由は己自身に由来するのは間違いない。

 

 普通に考えて、その剣を向けられた者が抱くべきは絶望だろう。 

 理解はしても、慮りはしない。慈愛に満ちた黄昏のような善神とはそもそも違うのだ。

 マグサリオンは救わない。救われたと感じるのは、斬られた者の勝手な所感に過ぎない。多くの者が期待するだろう安寧など求める方が間違いだ。

 

「ああ……」

 

 そう。マグサリオンは救わない。

 そこに救いを見出だすのは凶剣の刃に掛かった者たち自身。

 極々一部の限られた例ではない。決して少なくない数の者がそうだったがために、彼は第一天のヒーローなのだ。

 

「お願いがあります」

 

 では凶戦士の手に掛かり、救われた者とはどんな者か。

 一概には言えまい。善悪の属性に限らず、その人間性まで多種多様。

 それでもあえて共通点をあげるなら、彼らは迷いの中にいた。座の意思に縛られた世界の窮屈さに、己の進むべき道を見失っていた。

 救われたと思えたのは、本懐を遂げられたからだ。相手のことを理解するマグサリオンだからこそ、彼らを正しく本懐へと導くことが出来たのではなかろうか。

 

「抱き締めてくださいませんか?」

 

 それはかつてと同じ言葉。けれど期したるものは、きっと何もかもが違っている。

 万感の思いを口にする乙女のように、眼前に立った男を見つめてジークリンデは告げた。

 

 告げられた気持ちに応じるように。突き出された無骨な刃が少女の華奢な身体を刺し貫いた。

 

「か、はぁ……ッ!?」

 

 堪らずに血を吐き出す。

 走る激痛。埋め込まれた鉄の冷たさと、そこから生じる異様な熱さ。

 平気な顔をしていられるものなんて一つも無い。どれも耐え難い苦しさであり、それはつまり生きているということだから。

 

「ふ、ふふふふ……」

 

 苦痛に苛まれて、己を貫く鉄の刃を抱きながら、ジークリンデは笑っていた。

 それは悪意に塗れたものではない。零れた鮮血に麗貌を穢しながら、何時よりもその顔は晴れやかに映る。

 

 暗い鉄の兜に覆われた相手の顔。

 突き出された刀身分の僅かな距離。それが彼我の間にある隔たりだ。

 手を伸ばすが、届かない。少女の腕はか細いから。それだけではほんの僅かに届かなかった。

 だからこそ、一歩を踏み出す。当然ながら貫く刃はより深く抉り込み、苦痛は激増したがその華奢な歩みを止めようとはしない。

 当の本人でも不思議だろう。何事も斜めに見て、本気で求めるなんてしてこなかった彼女である。それなのに今だけは、必死で手を伸ばそうとする気持ちを抑えられない。

 あの〝眼゛が見ている。つまらない雑念なんて微塵も入り込まない凶の光。その眼光を前にして、斜に構えたままではいられなかった。

 

 奇跡のようなことは何も無い。ほんの一歩分、たったそれだけのささやかな前進。

 痛みに耐えて意地で前へと進んだジークリンデは、今度こそマグサリオンへと触れていた。

 

「そうなの。あなたは……」

 

 それは凶戦士にとっての禁忌。殺意以外での接触を禁じる第一戒律。

 許されるのは、凶戦士と殺意を交わし、果てに血錆となって無慚の内へと消え逝く者のみ。

 故に、彼という深淵へと手を伸ばせるのはまさしくこの刹那だけ。唯一無二の機を掴み、ジークリンデの感応が〝無゛の奥底にあるものへと同調していく。

 

 そして、ジークリンデは"視"た。マグサリオンという奈落。凄絶なる無慚無愧の有り様の何たるかを。

 

「こんなわたしの"無価値"まで呑み込んで、果てなく征くのね」

 

 物事の流れには、ある一定の方向性がある。

 破綻の兆しがあれば、それを回避しようとする動きがあり、それは神座であっても例外ではなく。

 それは概ね正しいと言っていい方向性で、ならばこそ目指すべき結末も決まっている。

 

 大団円。

 何もかもが上手く嵌まった、所謂ハッピーエンド。

 他人事ならともかく、我が事で目指すのなら基本的にそれだろう。誰しも不本意な不幸になど見舞われたくはなく、それは神だって変わらない。

 集っている意思が善良なら、誰にとっても善い結果となるべく動くのは自然なこと。あのベアトリスやクインのように、皆が何らかの形で報われるのを目指すのだろう。

 

 ――そしてそんな流れの中では、わたしのような思いは淘汰されてしまうのでしょう。

 

 綺麗な言葉で飾られて、わたしの不幸はなかったことにされる。

 ごめんなさい。どうか許して。代わりに私たちが頑張るから。

 そうした清く正しい思いで以て、彼らは納得を強いてくる。どうかその無念を飲み込んで、前向きになって生きてください、と。

 

 勿論、そうするべきなのは分かっている。

 容認し難い理屈でも無い。おおよその人間は頷ける話だろう。

 いつまでも過去の不幸に囚われても仕方ない。まったくもって正論で、世の中を上手く回していくためには折り合いが必要だ。

 わたしの思いなんてどうしようもない癇癪で、まともに取り合う方が間違いだと、きっと誰もが同じように感じるだろう。

 

 だけど、ねえ?やっぱり納得できないというのが正直な気持ちだから。

 

 やられた事も水に流して、敵も味方もみんなを抱き締める?

 まあすごい。偉いのですね。わたしは全然そんな風には思えませんけど。

 呪いと共に生を受けて、誰からも愛されず、ギロチンの露と消えた罰当たりな娘。

 そんな救いのない生涯をおくっておいて何のわだかまりも無いだなんて、清廉を通り越して異質だろう。人間としてあり得ない。

 如何なる外圧にも犯されない神格の魂。有象無象に虐げられても蚊に刺された程にも感じなかったのだろうけど、そうはいかないのが普通なのだ。

 

 虐められたら苦しいよ。

 愛されなかったら悲しいよ。

 壊れてしまったのは、わたしが“まとも”だったから。早々に耐えられなくなって、心を手放す以外に処方がなかった。

 前を向いてだなんて簡単に言わないで。善いことなんて何一つなかったのに、それをあっさり帳消しにされるなんて我慢ならない。

 

 一度経験したことで、死の絶対性は大きく揺らいだ。

 永くこの宇宙を覆っていた永劫回帰。それとてもはや真実とは言い難い。

 もしかしたら人は皆、誰もきちんと死ねないのかもしれない。こうして次があった以上はまた次もあり得るし、それが今よりマシな保障など何処にもないのだ。

 まるで博打(ギャンブル)。生きるも死ぬもコインの表と裏。より善い目を引きたくて、我が身の未来を生死の一投(トス)に賭けている。

 ああ考えてみれば、神とは死後の未知を定義する存在とも見なせる。修羅道(ヴァルハラ)。永劫回帰。輪廻転生。もしかしたらこの辺りに“座”というものの本質があるのかもしれない。

 

 ――そうだとしたら、わたしの死後を預けるのはあなたの“無慚(ジゴク)”でありたいと願う。

 

 水銀の蛇は論外。

 黄金の獣にしても、あなたは誰のことも見ていないでしょう。

 そして、黄昏。やっぱりわたしは貴女のことが好きにはなれない。

 貴女の祈りは綺麗すぎて、穢れた身の上には眩しすぎるから。

 救いが欲しいわけじゃない。業を洗い流された転生体はどうだか知らないけど、今ここにいるわたしの人格が求めるのはそれじゃない。

 道理が通らない癇癪だと分かっている。八つ当たりに等しいものだし、向けられた方こそ困ってしまうと自覚もあるのだ。

 

 それでも、無視だけはしてほしくない。見るに堪えない無様でも、ここにある思いを知って欲しい。

 

「あなたは、なんて――――」

 

 マグサリオン。

 誤解を恐れずに言うのなら、彼ほど人に寄り添った神はいない。

 天の上からの視点じゃない。同じ地平に立ち、相手の目を見て、その断末魔を聞き届ける。

 それは凄絶で、何よりも根気と誠意が必要な作業だろう。無難な道なんて選ばない。安易な妥協など微塵たりとも存在していない。

 どんな思いに対しても、彼はいつだって真剣そのもの。そこには慈愛も同情も憐憫もなくて、だからこそ余計な解釈を挟まない。

 貶めずに美化もせず。不都合な事実から目を逸らそうとする意図が無い。どんな救済よりも、ジークリンデにはそれが好ましい。

 

 なあなあでは終わらせない。

 大団円(ハッピーエンド)には不都合な呪い。だけど彼なら、そんな思いだって汲み取ってくれる。

 空気なんて読まず、正道を行く綺麗な主役たちに無道を刃を突き付ける。それで総てが台無しになったとしても、無価値も無念も呑み込んだ無慚の凶剣は止まらない。

 いつの日にか、そんな未来が必ずやって来る。彼が彼である限り、それは確信に等しかった。

 

 だって、彼はまだ敗けていない。まだ何も終わってはいないのだと、それがよく分かったから。

 

「――素敵な、救世主(メシア)様……――――」

 

 遥かな先の展開に思いを馳せ、満足と共に命を散らす。

 それはまるで“前回”の焼き直し。未だに燻る水銀の業、繰り返される運命に絡め取られたとも見なせるが、どうでもいい。

 わたしが信じたこの人は、そんな運命(もの)に敗けたりしない。自分で自分が可笑しく思える、この気持ち。それは熱く狂おしく切なくて、不思議と満たされた心地を感じていた。

 

 

 

 

 満ち足りた安息をその死貌に湛えて、息絶えた身を横たえるジークリンデ。

 

 最期、彼女が何を思い、何に救いを見出したのか。

 それに対する解答をマグサリオンは持ち合わせない。総ては轍。無限に等しき殺戮行で、血風の荒野を征く彼は独り。

 恥じず悔いず省みることのない無慚無愧。殺し終えたのならその時点で、凶眼が見据えるべき標的からは外れている。

 凄惨極まる第二戒律。余分な雑念、囚われる思いなど、思考そのものを破棄している。僅かな停滞さえ差し挟まず、凶戦士は次なる標的を目指していた。

 

 直後、教会を襲う大破壊。降り注いだ“杭”による容赦の無い蹂躙にマグサリオンが呑み込まれる。

 

 無差別な破壊は少女の骸をも巻き込む。

 華奢な躯は砕かれて、肉片は枯れ尽きた塵と化す。

 単なる破壊ではあり得ない。生じた現象は生物ばかりでなく、無機物にも同様の効果を発揮する。

 異形の蹂躙に晒された教会は、原形すら残らずにこの地上より消滅していた。

 

 跡地に残るのは乾いた瓦礫と、至るところに突き立った“杭”である。

 血臭を漂わすその武器を見れば、誰の仕業かは火を見るよりも明らかだろう。

 代行の主は既に亡く、ならば拘る意味も無い。そこに敵がいるのなら何を迷おう。諸共に粉砕して然るべきだと。

 

 彼こそは修羅道を先駆ける一番槍。

 たとえ同胞であろうと、その鬼気を前に緩みを見せる者は一人もいない。

 獲物に牙を突き立てるのは喰らう者としての習性だから。隙など晒そうものなら、それはそいつが悪いのだ。

 何人であろうとも、己の前で半端に驕れる戯けた真似など許さない。殺し殺される覚悟を抱けと、全方位へと叩きつける殺意が告げていた。

 

 

「――――なんだ、屑か」

 

 

 故に、凶戦士にとっては何ら驚くには値しない。

 獰猛な殺意を凪の如くに受け流し、爛々の燃える凶眼でその相手を見据えていた。

 

 爆撃じみた血杭の豪雨に晒されても、彼は不動のまま。

 躱していないし防いでもいない。全身は容赦なく穿たれて、その有り様は物理的な意味での針の筵だ。

 まともに考えれば絶命必至。されどここに在るのは不壊の身を持つ凶戦士。獲物の総てを糧とし吸精するはずの血杭が、逆にカタチを失って消失していく。

 その光景は、まるで裡に渦巻く“無”に呑まれていくかのように。後には佇むマグサリオンだけが残り、その視線は一時でさえ外れていない。

 

 身を護ることに費やせば、その分だけ想いが途切れる。

 無駄を省き、研ぎ澄まし、その身は鋭く疾く、何者をも斬り棄てる無二の剣へと。

 相手のことを解明し、その果てに殺すために。一分一秒でも短縮するなら、身に負う傷や苦痛など取るに足らない問題だ。

 マグサリオンは迷わない。既に極まった無慚無愧は、逸れることのない殺戮の荒野を歩ませる。

 

 ヴィルヘルム・エーレンブルグ。

 白貌の吸血鬼を、凶剣の殺意は次なる標的として定めていた。

 

 

* 

 

 

 望んでいることは何だろうと、私は私に自問する。

 

 正義のため、ということなら違うだろう。

 それは時代に即して決定される概念で、普遍的な事実ではない。

 たとえば今のように、あらゆる事情が覆ってしまった状況なら、正義の意味は大きく揺らいでしまう。

 確かな善悪の基準は何処なのか。そんな状況で過去の正義を持ち出しても、思考停止の逃避に他ならないだろう。

 

 誰かのため、というのもやはり違うと思う。

 思えば、私の戦う理由にはいつだって他人(だれか)の存在がいた。

 それを間違いだったとは思わない。けれど差し伸べる手の出し方も分からない現状では、その決意だって揺らいでいる。

 大切な人のことだからこそ胸を張るべきだし、それが出来ないなら口にする資格はないと思う。他人に対してどうこうよりも、まずは自分自身の答えをはっきりしなくてはならない。

 

 私、ベアトリス・キルヒアイゼンの芯。確かなものが無くなった虚構の上だからこそ、変わらない答えを求めている。

 

 “不変なるもの”。

 簡単に、何もかも変わってしまう世界だからこそ、変わってはいけないものが要る。

 クインさんから聞いた言葉。それは私にとっても、まったく他人事なんかじゃない。

 今まさに、この状況こそがそうだから。世界が根本の土台から揺らいだ今、何をするべきなのか。

 何もかもが変わっても、私の中で変わることのない不変。その答えを見つけなくては。

 

 ジークリンデ・エーヴェルヴァイン。

 あの虚ろな少女も、もしかしたらそれを求めていたのかもしれない。

 清廉なものではないだろう。実際に聞いたなら、きっと顔をしかめてしまうけど。

 彼女にとってそれこそが真実なら、否定することは誰にも出来ない。まぎれもない彼女自身の人生、胸を張って誇れるならそれが全てなのだろう。

 

 別れていった彼女は、それを手に入れることが出来たのだろうか。

 正しいと思える道を照らし出す光になりたい。誓った祈りは唯一つで、いつだって変わらない。

 魔業をこの身に修めても、魂まで売ったつもりはない。誓いを護れて来たかは怪しいけど、目指し続けたことだけは胸を張ろう。

 正しさが分からず、光も見えない今だけど。再びこの祈りを確固なものとして立ち上がりたいと願っていた。

 

 だからこそ、ジークリンデの言葉に導かれて、私たちはこの場所を訪れた。

 彼女らしい悪意も含めた言葉かもしれない。けれどそれだけでは終わらないと、私なりに彼女のことを信じていた。

 

「ジークリンデが話した通りなら」

 

 ここは諏訪原タワー。

 市内全体を一望できる街のシンボル。そして黄金錬成の基点となるスワスチカの一つ。

 今となってはそれまでの意味だけど、目的としているのは場所そのものではなかった。

 

「ここにいるという“その人”に、今の状況は作られたと。あなたもそれは真実だと思っているんでしょうか、クインさん」

 

「あり得ることだと思います。確かに私が知る“彼女”の異能(チカラ)ならば、そういうことも可能なはずですから」

 

 これから会おうとしている人は、クインさんの方がよく知っている。

 その人もまた、居るはずの無い来訪者。目の前にして、己の覚悟を問うために私は訊いた。

 

「ただ、総てを知る立場にいて、状況を支配しているかと言えば、それも違うと思います。

 何事も思い通りにならず、挫折を味わう。そういう属性で、そんな辛苦の色が滲み出ていた。言ってしまえば哀れな人でした」

 

「やっぱり、カール・クラフトとは大きく違うみたいですね。彼は支配していたし、愉しんでいた。

 彼自身では同じようなことを口にしていましたが、私が知る限り、彼が何かに苦しんでいたとはとても思えない」

 

「まあ、神にも色々いるということでしょうね。知らぬ身としては感慨深いとも思ってしまいますが」

 

 別に、戦いのために赴くわけじゃないけれど。

 それ相応の意志でもって臨むべきだろう。友好的な邂逅になるかは相手の出方次第なのだから。

 それにそもそも、この場所で気負わないというのが無理な話。そびえるこの塔を目にした時から、繋がる“過去”からの因縁を感じずにはいられなかった。

 

 そうだ。思い出していく思い出した。

 かつて私はここで戦った。ラインハルト・ハイドリヒ。あの黄金の獣と真っ向から激突したのだ。

 戦ったというのは、些か語弊があるかもしれないけど。形を無くした魂のみでの参陣で“彼”とも絆を育んだ同胞とは言い難い。

 この虚構の舞台とは違う“正史”の決戦。あの戦いは誇るべきものだったと思っている。黄昏の未来を目指す“軍勢(レギオン)”として、正しい道を歩いていたと確信していた。

 

「行きましょうか。私がかつて感じた限りでは険吞なことにはならないと思いますが、どうかくれぐれも油断はしないように」

 

 エレベーターが昇っていく。

 この場所にある因果、それがどんな意味を持ってくるのか、今はまだ分からない。

 もしかしたら意味なんて無いかもしれないけど。少なくとも端役に過ぎない今の私には、用意された確かな意味なんてありはすまい。

 だからこそ、私自身でそれを探そう。私が私として再び剣を執るために、それは絶対に必要なことだから。

 

 最上層へと辿り着く。扉が開く。

 罠や奇襲といった、悪意のある歓待はない。それに威圧感といったものも感じなかった。

 格上の強者が放つ特有の存在感。それは悪意とは別のもので、当人にその気がなくても自然と纏わせているもの。

 

 誰かはいる。しかし肌を刺してくるような感覚はない。

 よほど偽装に長けてるのか。いいや、それとも単に弱いのか。

 クインさんから聞いていた話とも合致する。宇宙の強者の一角でありつつも、その力は世界という舞台に大きく依存していた。

 それは恩恵であり、同時に呪いでもあったという。誰よりも“座”の意思に縛られた憐れむべき人だったと。

 

 果たして、見渡していくと相手はすぐに見つかった。

 特に隠れる意図もなかったのだろう。向こうもこちらに気づいて振り向いてくる。

 白と黒のコントラストに彩られた彼女。美しく、しかし華々しすぎることはない。何とも形容し辛い二面性を備えた姿に、脅威とはまた別の不可解さを味わっていた。

 

「やあ」

 

 彼女の名前は『魔王ナダレ』。

 かつてクインさんが対峙したという、七大の絶対悪の一人だった。




 シータちゃんの登場は元々のプロットにはありませんでしたが、展開を思いついたので急遽採用。
 ゲスト的な扱いになるとは思いますが、女たちは女たちで愉しんでもらえるように描いていこうと思います。

 男どもはバトルバトル!次回はチンピラVSヤクザです。
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