無慙無愧が巡る怒りの日   作:ヘルシーテツオ

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いくらか書き溜め分があるため、しばらくは更新が安定しそうです。
だいたい週一くらいを目指していきます。


第二章『モラトリアム』

 

 ここには日常がある。

 授業を行う教師と、受ける生徒たち。勉学に励み、部活や娯楽に精を出す、限られた青春という時間の中での共同体(コミュニティ)

 日常という題名の風景画。変わり映えのしない日々の退屈を倦みつつそれを愛し、彼らは共に同じ時間を過ごしている。

 

 日常というものは、容易くは破れない。

 より正確にいうなら、破れるなどと信じないというべきか。

 特に根拠など無くとも、昨日までと同じ今日明日が続いていくと、大半の者は当たり前に感じている。

 退屈という倦みとは、その閉塞感がもたらすものだ。この日常があまりに強固で変えられないから、それが崩れる瞬間を望んでしまう。

 破滅願望。されど、通常においてそんなものは問題とはならない。人々にとっては所詮、危険への好奇心の域を出ないものだから。

 たとえ本当に非日常が混じっていても、それに気付ける者は極僅か。対岸の火事だと見做して我が事だとは受け止めないのだ。

 特にこの国ではそうした傾向が強いといえる。尻に火がつくまで気付けない危機感の欠如。街で殺人事件が起こっても、学校の完全閉鎖という決断にはなかなか至れないような。

 

 この国の、この街の、この月乃澤学園における、とてもありきたりな“みんな”の姿である。

 

 彼はそれを見ていた。

 天真爛漫な人柄と部活動での好成績、真っ当な日向の道を歩く少女。

 破天荒を地でいき世間一般の決まり事を破ることも辞さない悪童。

 そんな個性的な二人の間に挟まれる、端正ながらも覇気がなく、一見すれば凡庸だと映る少年。

 幼馴染の関係で繋がる三人組。彼らは学園内でも有名で、だからこそ悪評も瞬く間に拡がってしまう。

 悪童と少年の間で起きた暴力沙汰。凄惨が過ぎるそれは日常とは程遠く、変わらぬ日常を生きる皆にとっては異物に等しい。

 だからこそその後の流れも自明の理だ。腫れ物扱いからの孤立、彼の周囲には誰もいない。

 

 そういう己の“キャラクター”も把握しつつ、彼は観察していた。

 この学園の、この街の、その眼に映るありとあらゆる日常を。

 好意からではない。しかし嫌悪からとも違う。そんな感情など通り越した領域で、一心にその作業に務めている。

 いうなれば生き方そのもの。相手のことをしかと目にして理解する。それを常識以前の誓いとして己に戒め課したように。

 

 時間にして一週間、そんな日々が続いている。

 何事が起きるわけでもない。連続殺人が止まったのも相まって、皆に弛緩した空気が流れ出していた。

 彼もまた大人しい。観察を行う彼はとても静かで、凶の気質など感じさせない。

 あるいは、その内にあるもの一切を漏らすまいとしている。孤立した状態も日常の一つとなり、彼は流れる時間の中に溶け込んでいた。

 

「ハアイ、グーテンモルゲン♪」

 

 そんな中で、静寂を貫く彼に無邪気な声をかける少女が一人。

 同年代と比較しても幼く見える容姿。あどけなく、されど同時に底知れない魅力のようなものを備える少女の名は、ルサルカ・シュヴェーゲリン。

 この学校にやって来た転校生。男女問わず人気を博し、今となっては彼以上にこの学校に馴染んでいると言っていい。

 

「こんにちは、■■くん。お久しぶり、元気にしてた?こうして学校で会うのは一週間ぶりくらい?」

 

 その様子は明朗快活、悪く捉えれば馴れ馴れしいといえる。

 それでいて反感を抱かせない、あるいはそんな悪感情さえ受け流して飄々と立ちまわるキャラクター。

 短期間での人気ぶりの理由はそこにある。あどけない立ち振る舞いながら、他人の好悪を掴む手練手管はいっそ老獪なほど巧みだった。

 

「あ、もしかして驚かせちゃった?こんな真っ昼間から学校(シューレ)に顔を出して、警戒させちゃったかな?

 ふふふ、そうだよねえ。せっかく一安心できたのに、でもあなただって悪いのよ?

 あんまり音沙汰がないんだもの。焦らすのはいいけど焦らされるのは好きじゃないわ。だからこっちから出向いてあげたのよ」

 

 ルサルカは変わらない。

 いつの時代の如何なる場所でも、彼女はその振る舞いを止めない。

 愛らしくしたたかで、魅力的で油断ならない、そんな己を定義したキャラクター。

 

「あなた、シュピーネを殺ったんでしょう?」

 

 それこそ聖槍十三騎士団黒円卓第八位、魔女の鉄槌(マレウス・マレフィカム)と渾名された女である。

 

「ああ、安心して。こっちはまだ始めるつもりなんてないから。今日は本当にお話に来ただけよ」

 

 悪戯っぽく視線を巡らし、周囲にあるものを指しながらルサルカは言う。

 そこには当たり前の日常、何も知らない一般生徒がいる、ここで魔人が戦いを始めれば、巻き添えとなった彼らは死ぬだろう。

 彼にとってここが守るべき日常である以上、この時点で人質を取られたも同然。手は出せないし始めないといった言葉を信じるしかない。

 こうした立ち回りが出来るのもルサルカの強みである。良くいえば周到な、裏を返せば人間らしい狡さを持っているといえる。

 

「でも実際、もうとっくに始まってるはずなんだけどね。なんだかノリきれていないのよ、わたしたちも。

 ねえ、あなたは感じてない?なんていうか、違和感?うまく言葉には出来ないんだけど、大切なことを忘れてる気がして――――」

 

「いいだろう」

 

 そうとだけ言い切り、彼は席を立った。

 答えにもなっていない短い言葉。しかし有無を言わさぬ語意の強さが生半可な介入を許さない。

 呆けたように目を瞬かせているルサルカに、重ねて彼は告げた。

 

「話に付き合ってやる。ついて来い」

 

「え、ええ~!?ヤダちょっと強引すぎ~♪

 なになに、いったい何処に連れ込んじゃう気なのぉ?やーん困っちゃう」

 

 すぐに元の調子を取り戻して、歩き出す彼の後に続くルサルカ。

 警戒している様子もない。無論、手段は常に用意しているのだろうが、それでも根底にあるのは自信であり傲慢だった。

 絶対的強者として君臨した半世紀、また魔人と化す以前からも魔術師として歩んできた数百年の歴史が、たかが小僧に警戒するのを許さないのだ。

 それは余裕だと彼女は嘯くだろう。だが危機感の欠如は黒円卓の魔人たちに共通する病理である。己自身の陥穽に気付けないから、その慢心は致命に繋がる。

 

 その姿を、彼は見ていた。

 視線を向けることはなく、されど一分も漏らさずに内面の隅々まで暴くように。

 つまりは常と同じように。“みんな”に向けるのと同質の眼をルサルカにも向けていた。

 

 

 

 

 ついて行った先は、学校内にある剣道場だった。

 連日の殺人事件の影響で部活動は停止。活動をしている部員はなく、中は無人。

 自主的な鍛練を続ける■■■■もいなかった。そんな所にやってきて、彼は竹刀の一本を手に取るといきなり素振りを開始した。

 ひたすらに竹刀が風を切る音だけがする。そんな状況にルサルカは放置同然に置かれていた。

 

 いや、本当になんなんだろうか。

 話をするのではなかったのか。なのに自分を無視して何故素振り?

 意外というか、あまりの意味の分からなさに怒りさえ沸いてこない。

 なんだろう、これは。もしかして舐められてるのか?

 オーケイ、いいでしょう。ここでキレて当たり散らかすほど大人げなくはない。ベイじゃあるまいし。

 やるかやらないか、それを決められるのはあくまでこちら。いきなり翻すのもみっともないし、ここは寛大に応じてあげるとしましょう。

 

「活人剣っていうんだっけね」

 

 話の取っ掛かりとしてルサルカが選んだのはこの場所、剣道の事だった。

 文明開化と共に殺人剣の歴史は終わりを告げ、人を活かす道としての剣道が始まった。

 礼に始まり礼に終わる。勝ち敗けよりも礼節こそを重要視し、稽古を通じて身体と心を磨く道としての思想。

 

「ベイとかは馬鹿にしそうだけど、わたしはそんなに捨てたものじゃないって思うのよね。

 わたしたちの文化圏で言うところの騎士道でしょう。ほら、こっちの民族って元々を辿ると侵略略奪上等なバリバリの蛮族だったじゃない。

 戦ってる時はそれでよかったんでしょうけど、いざ治めるって段階になったら邪魔にしかならないの。使い所の無い力なんて厄介事の種でしかない。

 だから理由付けしてあげるのよ。暴力(コレ)は間違っていない、清くて正しい力ですって、これって大した知恵だと思うのよね」

 

 彼は答えない。無言で素振りを続ける。

 それでもルサルカは喋る口を止めない。話している内に自分でも興が乗ってきたのか、声にも弾みがついてきた。

 

「便利よね、神聖って。この頭文字を付けるだけでどんな事でも許されるの。

 殺して奪って、女を嬲り犯しても、それが聖なる行いなら全部が正当化されてしまうわ。

 実際、これで暴力を抑える効果もあったのよ。正しいってことは恵まれてるってことだもの。余裕があれば、自分が恵まれているって信じてる内は、他人にだって優しくなれるわ」

 

「逆もまた然り、か?」

 

 あくまで素振りの手は止めず、ようやく彼が口を開いた。

 

「ええ、そう。神聖が正しさなら、魔性は間違いの象徴よ。

 その言葉でレッテル張りした相手にはね、何をしたって許されるの。これも人類が発明した偉大な知恵の一つ。

 これは悪いものだから、傷つけてもいい。犯してもいいし穢してもいい。見捨てるのが正しいんだから、罪悪感なんて持たなくていい。

 お前は魔女だと呼ばれた者を吊るし上げて、糾弾することで一つになれる。ねえ大したものだと思わない?」

 

 それは認めるように聞こえて、その実どんな罵倒よりも痛烈な侮蔑だった。

 憎んでいるし呪っている。嘲笑っている心は確かなのに、何処かで納得もしているのだ。

 矛盾した心象。長い年月を歩き続けて、様々な要因を呑み込み続けた果てにあるのは、純心などとは程遠い混沌だ。

 恐らくは当人でさえ確かなものは分からない。何を願って、何を求めているのか。不明なまま、あるのは恵まれない魔女としての矜持のみ。

 

 何を以て幸せとするべきなのか。地を這い続けてきた女には、もう星空の輝きはよく見えないから。

 

「貴様にとっては正義も悪も、等しく屑であるらしい。ああ同感だよ。不変を貫けぬ価値基準など無意味だ。

 白だと言えば白と思い、黒だと言えばそれに倣う。馬鹿馬鹿しいくだらない。腐臭がして鼻が曲がる。根絶せねばならんだろう」

 

 彼は竹刀を振るう。

 何度も、何度も。まったく同じ動作で、ひたすらに繰り返し。

 その様は一言で言えば不格好。素人芸といっていい。

 センスとは自然と動きに表れるものだ。その観点で、少なくとも天賦の才と呼べるものは何一つ感じない。

 されどそれを凄絶と感じるのは、度を過ぎた我武者羅さ故だろう。一振り一振りを全身全霊、一切の加減なく振り下ろし続けている。

 ペース配分など微塵も考えていない。楽をさせようという肉体への配慮が皆無であり、そんなやり方ではどんな屈強な者とて早々に音を上げる。

 だというのに、彼は止まらない。気合と根性、なんて言葉では言い表せない。破滅さえ辞さない禍々しさが宿っている。

 活人剣などと穏当なものではない。それは明らかな殺戮の剣。凡庸を愛する少年には似つかわしくないはずのもの。

 

「貴様も無慙に呑んでやろう」

 

 おかしいと、ようやくルサルカの思考は思い至る。

 果たして彼はこんなだったか?平凡な仮面の下には只ならぬものがあり、それは確かに水銀の影を感じるものだったが。

 中性的な綺麗な顔。見ていると何故か、無性に懐かしく切なく思える、彼の顔。

 それは変わっていないはずなのに。どうしてだかその顔が別の誰かのように見えてしまって。

 

 いいやそもそも、()()()()()()()()()()と、そう視えてしまったのは何故なのか。

 

「あなた、誰?」

 

 ルサルカの足元で彼女の影が蠢き出す。

 それは警戒の証。彼女の異能(チカラ)食人影(ナハツェーラー)が現れる。

 命を下せば即座に動く。眼前の彼を縛り、その魂を喰らうべく、無邪気の仮面を剥いだ視線には殺意があった。

 数百年に渡り、鮮血と阿鼻叫喚の只中を生きてきた魔女の殺意。それは常人ならば卒倒、あるいは発狂死さえあり得る魔気を宿していたが。

 

「この場ではやらんのだろう。俺にもそのつもりはない。

 ……まだ、足りない」

 

 一切を意に介さず、平然と彼は返答する。

 もはや用は無いということなのか、素振りの手を止め竹刀を放り棄てるとそのまま立ち去っていこうとする。

 

 手を下すことは簡単だったはずだ。

 不戦の約定など、所詮は単なる口約束。反故にしたところで何ら影響はない。

 生意気な口をきいた若造に魔女の恐ろしさを分からせてやる。そうしてはならない理由はどこにもなかった。

 

 そのはずなのに、去り行く彼の背中をルサルカは黙って見過ごした。

 それは魔術の道を歩んだ者としての年の功。年月の蓄積が生んだ経験則だ。

 最強である故の、危機意識の欠落は魔人に共通する病理。しかし彼女はその本質に人間的な賢しさを持っている。

 人は未知に対して怯える。自身が魔術という世界の裏に精通しているからこそ、それさえ逸脱した存在への畏怖があった。

 黒円卓を率いる双首領、あの真なる規格外に類する者などいるはずがない。そう思っていても、もしかしたらという疑心が捨てられない。

 その猜疑心が鳴らす警鐘が、ここで仕掛ける事を否定した。要するに直感だったが、馬鹿にしてはならないものだと知っている。

 

「なんだっていうのよ、もう」

 

 結果、自分でも説明しづらい心地の悪さだけが残る。

 吐き出すように毒づいて、八つ当たりでもしてやろうかと物騒な色を帯びた眼を周りに巡らす。

 

 刹那、素振りに使われ打ち棄てられた竹刀が灰のように崩れ散った。

 

 突如起こった不可思議にルサルカは目を剝く。

 竹刀は既に跡形も残っていない。文字通り塵も残さず消滅していた。

 ただの破壊ならばこうはならない。単に強大な力によるものなら、少なくとも破片くらいは残るはず。

 破壊ではない。表現をあげるならこれは抹殺。根まで絶ち切り枯れ果てろと吼える絶滅の意志だった。

 狂気も超えた凶気、現実さえも歪ませる怨念を浴びて、その存在を保てなくなったかのような。

 むしろその手を離れることで、()()()()()()()()()()()()()()かのように。

 

 ルサルカ・シュヴェーゲリンは賢明だった。

 保身に長けた彼女の立ち回りは間違っていない。見るべきでないものを見まいとしたのは英断といってもよい。

 もしもあれ以上に踏み込んで、まかり間違って見る羽目になっていたら、きっとルサルカは発狂していただろう。

 不純な色など一滴とて混じらぬ純色の殺意。魔女の見識を以てさえ想像も及ばぬ、その深度を。

 “黄金”や“水銀”の色にも匹敵する、ことに凶の凄絶さにかけては二柱さえ圧倒する“無慙”の色を視ずに済んだのは、幸運以外の何物でもないのだから。

 

 

 

 

 不吉な予感に答えを出せないまま、ルサルカは校内へと戻っていた。

 

 屋上に立ち、眼下にある光景を眺める。

 放課後の時刻となり、帰宅する学生たち。部活動は全て休止しているから生徒の大部分があそこにいる。

 無論、中には天邪鬼な者もいるだろうから、全部というわけではないだろうが。いずれにせよここにある魂は全て手中にある。

 ここは既に自分の狩場。彼らの若く瑞々しい魂は全て喰らう。学校閉鎖になろうとも関係ない。

 仕掛けは終わっているのだ。以てここのスワスチカを開き、ハイドリヒ卿より不死の恩恵を賜る。それで自分の願いは叶うのだ。

 

 そう、問題はないはずなのに、この付きまとう違和感はなんなのだ。

 

 元より感じていたもの。■■との会話でより鮮明に表出したといっていい。

 何かがおかしい。道理に合わないと感じている。

 いや、おかしいだけならばいいのだ。この儀式はメルクリウスの手によるもの。逆説的だが、おかしくないはずがない。

 こちらのあらゆる道理が通じないとしても不思議ではない。それほどに図抜けた存在であることは重々に承知しているのだが。

 そういうおかしさとも違うのだ。うまくは言えないが、この舞台には噛み合わないものがある。

 脚本の一部が書き換えられて、それに役者が気付いていない。■■の存在のおかしさに寸前まで気付けなかったように。

 

「そういえば、シュピーネはどうやって殺されたんだっけ……?」

 

 この舞台はおかしい。 

 いつの間にか役者は入れ替えられて、他の役者は知らぬまま踊っている。

 誰が、何の目的で?そう問うてあげられる名前は一つきりだが、理由はさっぱり分からない。

 このままでは儀式はどうなる?自分は思惑通りに願いを叶えられるのか?

 不安。この半世紀、碌に感じることがなかった感情が毒のように蝕んでくる。

 

 だからこそルサルカは考えていた。

 何を見るべきなのか。何をすべきなのか。省みることのなかった己自身、その原点へ立ち返るように自問する。

 

「……ん?ああ“貴女(あなた)”か?どうしたのよ」

 

 そうして思考に没頭してる内に、やって来た誰かの気配に気付く。

 

 この気配は知っている。共に黒円卓に席を連ねる同胞だ。

 しかし、かといって油断はならない。味方ならばと安心して背中を預ける、そんな関係性は黒円卓には存在しない。

 恩寵を得られるのは戦果をあげた英雄だけ。魔人にとって同輩とは、同じ目標を競い合う仮想敵でもあるのだ。

 述べたように、この学校は既にルサルカにとっての陣。どれだけ考え込んでいようと、それで隙を晒す無様はしない。

 

「ああ、やっぱりこの学校(シューレ)のことが気になってるのかしら。

 そうよね。あなた、平気そうな顔してたけど、ここの子たちのこと結構気に掛けてたものね。

 でも困ったわ。ここ、わたしだって譲る気なんて無いし、それともここでわたしと戦ってみる?」

 

 だが同時に、そういう心配が無い相手だということも分かっている。

 外面をクールに装っても内面の青さを隠しきれない。根本的に熱血というか、悪辣さとは無縁なのだ。

 きっと卑劣とか卑怯なんて真似はできまい。やれるとしてもせいぜい背後からの一刺しとかその類い。権謀術策を張り巡らせるなど到底やれる性根ではない。

 甘いというか、若いというか。バビロンの事を中途半端だと嫌っていたが、正直同族嫌悪だと思う。

 

「ええ、そうよね。こんなの今さらよね。そんな感傷に浸る意味も資格もありはしないわ。

 忘れないでおくことね。あなたは耳にタコと思うかもしれないけど、繰り返さないとあなたみたいなタイプは思い出せないでしょう。

 人間としての考え方なんか捨てなさい。黒円卓の魔人たる自分自身を見失わないように」

 

 思った通りの言葉を引き出せて、忠言めいたことを言ってみせる。

 実力云々はともかく、性格上の相性は悪くないのが彼女だ。つまりは制御しやすく、今後の動きやこの言葉をどう捉えたのかだってよく分かる。

 

 だから、そういう意味でも彼女は“安牌”だと言えるだろう。

 彼女には何の違和感もない。彼女が黄金錬成に参加することは何も不思議ではない。

 むしろ必然、彼女がここにいない展開こそ間違いとも言える。疑う余地は何処にもないだろう。

 共に黎明の時を立ち会った“古株”同士。勝手知ったる仲であることに変わりはない。

 

()()()()()()()()()。あなたにだって黄金に願うものがあるのでしょう?」

 

 そこで初めて、ルサルカはそちらへと目を向ける。

 後ろ髪で結んだ金のブロンド。その碧眼と肌の白さは日本人の特徴とかけ離れている。

 その身に重ねた齢は半世紀を越えている。時が停止した魔人の理で生きる、少女のカタチをした戦乙女。

 

 黒円卓第五位ベアトリス・ヴァルトルート・フォン・キルヒアイゼンがそこには居た。

 

 

 

 

 教会の地下に広がる大広間。

 一般人も訪れる地上部分と隔絶して、真に異界と呼べる空間が存在する。

 そこにあるのは13の席を置いた円卓。遠きブリテン王の伝承に準えつつも、秘めるものは聖性とは程遠い。

 地獄に最も近い場所。戦鬼の血潮を染み込ませた修羅の巷。聖槍十三騎士団の象徴たる黒円卓がそこにはある。

 

 その空間には今、一人の神父の姿がある。

 平均を大きく上回る高い背丈。白人系の体格から見てもここまでのはそうはない。

 しかし、それだけの体躯を持ちながら、神父からは逞しさや力強さといった要素をいまいち感じ取れない。

 決して肉付きが貧弱というわけではないのに、受ける印象は何故かちぐはぐ。まるで器と、その中身が別物であるかのような。

 

 神父の名は、ヴァレリア・トリファ。

 ラインハルトが現世を離れた今、残存する黒円卓を率いる首領代行。

 その呼び名を聖餐杯。黄金の玉を預かる者、即ち彼は神を運ぶ者(クリストフ・ローエングリーン)なり。

 

「あらゆる悪も、あらゆる罪も、あらゆる鎖も我らを縛れず、あらゆる禁忌に意味はない。

 ええ無論、心得ておりますともハイドリヒ卿。私の望みに変わりはない。

 信用できないからこそ信用できると評される我が手並み、御身のご期待に沿えますよう」

 

 地下に広がる空間に唯一人、頭を垂れて跪く。

 それは神を敬うように。この世に非ざる絶対者へと向ける畏敬の念、祈りの形によく似ている。

 しかし、決して同じではない。確かに彼は祈っている。この世にはいない存在に畏れかしこみ、敬意を込めて言葉を紡いでいる。

 されど彼は信仰のみで祈ってはいない。相手はこの世にはいないが、断じて空想ではあり得ない。

 目では見えず、触れることも出来ずとも、その相手はここにいるのだ。一の席、“破壊(ハガル)”の印、対象へ向ける視線に惑いはない。

 

「であれば閣下。今後も私に指揮を任せて頂けると、そう解釈してよろしいのでしょうか?」

 

 実体はなくとも、影は在る。

 それだけで常人なら精神を破壊されかねない重圧、半世紀の時を経ても黄金の獣は変わらない。

 それを重々承知しつつ、しかし跪く神父には余裕が見える。彼我に横たわる格差を理解しながら涼しくそれを呑み込んでいる。

 

 彼は忠義者にして、背信者。

 敬う心は誰よりもあり、同時に認めてはならぬものだと断じてもいる。

 矛盾を内包したまま突き進む聖道。間違いなく善意で動いているはずなのに、関わる者らを悉く破滅させる。

 まるで黄金の抱く破壊の情を投影するように。結果として地獄に魂を肥えさせるのなら、彼ほどの忠勤ぶりは他にない。

 

 破綻した心のまま、黄金の器たる自負を胸に神父は信じる道を進む。

 救うために。零してしまった過日の誤ちを正すため、誤りを重ねながら更に正す。

 その決意は本物で、であれば怪物が相手でも臆するわけにはいかない。些か不遜とも取れる言質の引き出しも必要であればこそ。

 今後の儀式を制御して、己の望みに至れるか否かはここに掛かっている。黄金の許しは万事に通用する魔法の言葉なのだから。

 

 だからこそ、黄金から思わぬ言葉が飛び出した時も動揺は最低限に抑えられた。

 一度だけ、私が出る。そう言った黄金の言葉は、ともすれば全ての企てをご破算にしまいかねない。

 しかし、そんなことは今さらだ。謂わば人語を解する天災のようなもの。御するなど無理な話で、ならば風向きを読んで応じるだけ。

 

 もう逃げないと誓った。

 逃げた先では後悔しかなかったから。

 この恐ろしい悪魔と向き合う。取り零した子らを救うために。

 今の自分ならばそれが叶う。知る限りの最強の器、ラインハルト・ハイドリヒの玉体(にくたい)を預かった今ならば。

 か細く脆いヴァレリアン・トリファでは救えなかった者も救える。この力を以て己は永遠に壊して救い、償い続けるのだ。

 

 ああ、これが無聊の慰めというならば否もない。

 どうせ我が叛意など承知の上なのでしょう。その上で私に踊れと仰る。

 無論かまいませんとも。どだい天上人の思考など下賤の身で読み取れる道理もなし。満足だと仰るならそれでよい。

 畏敬申し上げております、ハイドリヒ卿。御身に仇為すつもりなど毛頭ない。私は私なりのやり方で忠義を示してご覧にいれましょう。

 

 聖餐杯は壊れない。

 自覚はない。されどヴァレリア・トリファは紛れもなく狂っている。

 そして彼が狂気に陥る限り、黄金の玉体は不滅の強度を誇るのだ。

 少し考えれば気付きそうな矛盾にさえ気付けない。ただ最強の黄金という自負を抱いて、神父は邪な聖道を歩き続ける。

 

 

 ――――時に、聖餐杯。私に何か願い出ることはないかね?

 

 

「……は?」

 

 だから、そんなよく分からない問いを投げられた時、不覚にも返答に窮してしまった。

 

 願い出る?願いとは、いったい何のことだ?

 望むことは変わらない。それは向こうも承知のはずで、しかし無意味な問いであるわけもなく。

 分からない。分からない。黄金の思惑が計り知れないのはいつものこと。だが此度のこれは性質が違う。

 その問いだけが稚気に溢れている。まるで童の悪戯心のような、そんな印象を抱いてしまったのが信じられない。

 

「御戯れを。我が願いに変わりはなく、ならば今さら願い出るも無いでしょう」

 

 故に、そのような無難な返答が精一杯だ。

 面を伏し、内心の動揺を少しでも抑えようとしながら、神父は頭を垂れて主君を窺う。

 

「そうか。ああ、そうだろうな。卿が卿であるならばそう言うだろうよ」

 

 その声は、とても近しいものに感じた。

 面をあげる。実体は相変わらず無いが、聖痕に結ばれた神父にはその姿が見えていた。

 ラインハルト・ハイドリヒ。この世で最も恐ろしく、最も強大で美しい彼方の御方。

 面と向かって話すなど物理的にも精神的にも御免被りたいはずだというのに、不思議と圧が和らいでいるように感じる。

 

「よい、許せ。卿は思うとおりに事を為すがいい。

 言ったように期待しよう。采配も存分に揮うがいい。この舞台で卿がどのように踊ってみせるか愉しみにしている」

 

 違和感があった。

 言ったように黄金の心は推し量るなど不可能。

 よって具体的な答えは出ない。しかし何かが違っていると、そう直感したのは正しいと思える。

 黄金だけではない。この舞台そのものに感じる違和感。それに演者たちも気付きつつあった。

 

 

 

 

 そのような“敵”の現状を、彼が知ればこう言うだろう。

 遅い。愚鈍だ。木偶にも劣る。澱んだ時間の中で脳髄を腐らせてきたのかよ。

 あらん限りの罵詈雑言を浴びせながら、あまりの理解の無さを嘲笑するに違いない。

 

 何故なら彼は目覚めた瞬間に理解できた。

 元より彼に仲間など無く、世界に映る総てが不純で不可解で不愉快極まる。

 そんなものを、その眼で見て、理解すると決めた男が、これしきを洞察できないはずがない。

 

 彼がいるのは、諏訪原市にある博物館。

 行われている催しの名は『世界の刀剣博物館』。

 ある意味では恐怖劇(グランギニョル)の始まりとも言える場所。その意味を知るかのように、彼はその場に立っていた。

 

 ギロチンの声は聞こえない。

 女神を拒んだ彼には、もはや奏者たる資格はなし。

 ただ己の魂一つで突き進むのみ。彼にはそれしかなく、またそれ以外を望もうとも思わない。

 味方はなく、いるのは敵と敵の敵のみ。孤高を貫く魂は何処であろうと不変である。

 

 よって彼が目に留めたのは、一本の無骨な大剣だった。

 銘は無い。当時のものではなく複製品(レプリカ)。意匠を再現しただけのもの。

 当然、歴史もなければ人斬りに使われたこともない。一応、刃は潰されてはいないが、聖遺物と成りえる要素は何も無い。

 されどこの時より、無銘の数打ちは真正の魔剣と化す。彼の手に握られるという事実そのものが、如何なる血の歴史も凌駕する凶性を与えるのだ。

 

 果たして剣に意思があったのなら、この事態をどう受け入れるべきだろうか。

 彼という武の極致に握られる機会を得られたことを喜ぶべきか。

 もはや壊れることさえ許されない、無限に酷使されるであろう未来を嘆くべきか。

 どちらにせよ、選べる自由は既にない。目を付けられてしまったその時から、剣の運命は決まっている。

 

「茶番は終わりだ」

 

 変わらない街の日常。

 周囲には一般の客たちもいる。

 家族連れ、マニア、カップルなど、世界の裏側など知る由もない人々が。

 彼らは信じているのだろう。これからもこの日常が続いていくと。それが当然、疑う以前の常識として。

 

 そんな常識そのものを破壊してやるかのように、展示されたショーケースをその拳で叩き割った。

 

 いきなりの暴挙に周囲の者たちが騒ぎ出す。

 遠巻きに見つつ、その反応は様々。怖がって身を退く者、好奇心を抱く者、警戒、焦燥、怒りに戸惑い。

 日常に現れた異常に対して、共通する根底は未知だということ。それは忌諱しながら、誰もが心の何処かで望んでしまうもの。

 破滅の予感と知りつつも、畏れと一緒に惹かれてしまう何か。それを感じていたから彼らは目を離せない。

 それら一切を黙殺して、否、実際には誰も無視していない。未だ解放の時を待つ凶眼は誰一人として例外を認めていないのだ。

 

 この場にいる者たち。

 更には博物館を越えて、この街に住まう人々の総て。

 今を生きる彼らの姿をその眼で見て、しかと吟味して理解する。

 一週間という短い期間は、しかし彼にとっては十分すぎた。

 かつての偉業、その広大なスケールと度を過ぎた行程を知れば、街一つ程度は何ともちっぽけに思えるから。

 

 警備員が駆けつけてくる。

 制止やら警告やらの声は耳に届いていたが、応えることはしない。

 向けられるのが善意でも悪意でも、返せる意思は一つと決まっている。

 己は不変。無慙無愧。この約定を違えたその時こそ、己にとっての終わりだと自覚していた。

 しかしあいにくと自死の趣味はない。言ったように自分は恥じず、悔いず、後ろを省みたりしないから。

 終わりでないのなら、何処までも。屍山血河を築き上げ、殺戮の荒野を独り征く。孤高の決意は揺らがない。

 ショーケースから剣を取り出す。割れたガラスで腕が傷ついたが意に介さない。血染めとなった腕で、刃に血を滴らせながら剣を担ぐ。

 

 

 ――――冥府魔道が、始まる。

 

 

 

 

 

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