無慙無愧が巡る怒りの日   作:ヘルシーテツオ

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コロナってしまったりなどで思ったように執筆が進められませんでした。
キリのいい部分で分けて投稿します。


第十四章『ヴィルヘルム』①

 

「久しぶり、というのでいいのかな?」

 

 魔王と呼ばれる人の第一声は、その称号に似合わない凡庸なものだった。

 

「まあそう構えないで。こうして会いに来てくれたわけだし、せっかくだから旧交でも温めようか?

 お茶くらいなら出せるよ?他所から拝借してきたものだけど」

 

「結構です」

 

 返答したクインさんには若干の棘がある。

 彼女たちが生きた宇宙の、善と悪の関係性のためだろうか。あるいは、単に不真面目とも取れる相手の態度が気に入らないだけかもしれない。

 

「相も変わらずつれないねえ。前も言ったと思うけど、白の色には度量というか、柔軟さが足りないよ。

 そもそも真面目にやることなんか無いだろう?不満も色々なんだろうけど、それを私に転嫁しないで欲しいな」

 

 この台詞は、挑発なのかもしれない。

 顔を険しくしていくクインさん。怒らせるつもりでの態度なら、中々に功を奏していると言えるけど。

 

 いずれにしても、せせこましいというか。

 強者の態度じゃない。どうにも狡いという印象で、拍子抜けな感が否めなかった。

 これでも覚悟を持って来たのだけど。だってこの人は、魔王の中でも三指に連ねる実力者だったと聞いていたから。

 

「そちらのお嬢さんは“こちら側”の面子かな?はじめまして、ナダレです」

 

「……ベアトリス・キルヒアイゼンといいます」

 

「はい、よろしく。

 本名は別にあるし、もう名乗ることも出来るんだけど……まあ、ナダレの方で呼んでくれるかな」

 

「心境の変化でもありましたか?その名前は、あなたにとって疎ましい称号だったと感じてましたが」

 

「いいや、全然?こんな役名、昔も今も大っ嫌いだよ。

 ただ、今や私の本当の名前を知っているのは“彼”だけなんだ。これはなかなか、女としては燃えるシチュエーションだろ?

 私の名前を呼ぶのは“彼”だけがいい。いじらしい乙女心ってやつさ」

 

 ナダレさんが言う“彼”とは、凶剣のようなあの人のことか。

 どうやら彼女も彼を慕う一人らしい。少なくとも、これまで出逢った“あちら側”の人は、誰も彼に悪感情を抱いていない。

 殺戮の果てに救いを為す救世主。ハイドリヒ卿と同じで共感性なんて皆無だと思えるのに、周囲の反応は正反対に見えるのが不思議だった。

 

「そんな呆れた顔をしないでくれよ。私は元々つまらない女なんだ。求めるものだって世俗的になって然るべきだろ」

 

「もういいです。あなたとこうして雑談をしていても埒が明きません。

 単刀直入に訊きます。我々をこの舞台に呼び寄せたのはあなたですね?」

 

「ああ、まあね」

 

 存外にあっさりと、このシャンバラの舞台を歪ませたことをナダレさんは認めた。

 

「ただ勘違いしないでほしいんだけど、別に狙ってやったわけじゃないんだよ。

 あの黄金に“彼”の外装が砕かれた時、反動なのか何なのか不変の中からほんの僅かに浮き上がってね。

 考えている暇なんて無かったし、本当に咄嗟の行動だったんだ」

 

「いったい何故、そのようなことを?」

 

「何故ってそりゃあ、神が嫌いだからだね。ひょっとして忘れてしまったかい?」

 

 それは、黒円卓(わたしたち)がメルクリウスを憎んでいるように、だろうか。

 もっとも聞いた話だと、この人の憎悪はもっと長くて、根が深いということだけど。

 

「詳しいことなんて分からない。ただこの舞台に真我(カミ)の気配を感じたからね。

 だったら思い通りになんてしてやらない。せいぜい滅茶苦茶にしてやろうって、思ったのはそれだけだったよ」

 

「真我が、この舞台を整えたと?」

 

「分からない。多分、あいつだけの仕業じゃあないだろうけど。いずれにしたって同じことさ。

 ナダレの『崩界』は世界の万物を攪拌(かくはん)するものだ。その効果は対象の存在規模に大きく依存する。世界に向けて放てばどうなるか、君もよく知っているだろう?」

 

 私にとっては、クインさんから話を聞いただけになるけれど。

 ナダレさんの力は宇宙の惑星図の配置換えすら容易に実現したらしい。

 エイヴィヒカイトによって超常の力を得た私たちにとっても、それは十分に常識を外れた出鱈目だ。そんな真似は、たとえハイドリヒ卿だって出来ないだろう。

 言葉だけでは実感とはなり得ないけど。彼女たちの戦場が如何に壮絶な地獄だったか、想像せずにはいられなかった。

 

「とはいえ、勿論ここは真我(アヴェスター)の宇宙じゃない。前と同じようにはいかないさ。

 私自身でも正確なところは分からない。ただ恐らくは、空間的な攪拌の代わりに二つの宇宙の法則を混沌させたんだと思う。

 本来、あちらとこちらの隔たりは、私たちが思っているよりも遠い。塗り替えられた後の世界に、前の世界の存在は許容されない“化外”となる。クワルナフならもう少し詳しく話してくれそうだけど。

 並び立てない両雄が並び立てる舞台を仕立てる。私の『崩界』で成したことはそれだけだよ」

 

「それで問題はないのですか?」

 

「そりゃ無いわけがないだろうね。前提が違う世界観をここまで強引に繋げちゃってるんだから。

 元々が虚構だとはいえ、舞台の屋台骨は大きく歪んだだろうね。放っておいたら壊れてしまうかも」

 

 簡単に言っていいことじゃない。

 壊れた結果、具体的にどうなるのか。分からなくても、相当に破滅的だというのは予想がつく。

 いったいどれだけの人たちが巻き込まれるのか。いいや、世界中が巻き込まれても話を聞く限りおかしくないはず。

 

 なのに、そんな話を聞かされても、私の感情はいまいち義憤に繋がらない。

 この世界は虚構。とうに終わってしまった時間の再現。

 元々造られたものだというのなら、おかしくなったからどうだと言うのだろう。フラスコの中の実験が予想外の結果を示したに過ぎないのではと、そんな風に思ってしまう。

 

「まあ、やはり無理はあったみたいでね。元よりナダレの権能は真我の宇宙だけでの特権だ。この舞台に形を為した私には何の力もないよ。魔王時代はおろか、天将(デーヴァ)の頃にも遠く及ばない。パンピー同然の雑魚ってわけ。

 そのおかげでこうしてられるとも言えるね。強すぎれば反発もあるだろうけど、弱い分にはそれも無い。息苦しさはあるけど、これぐらいはナダレにとって日常のようなものさ」

 

「それでは、あなたは人間としてここにいると?」

 

「独りでね。気の合う友達もいないし……ああいや、そういえば一人だけ親しくなれた子がいたなあ。

 ジークリンデはどうしているんだい?私がここにいることは彼女から聞いたんだろう?」

 

「途中までは一緒でしたが、ある時を境に別れました。今はどうしているか、正確には把握してません。

 ナダレ、あなたはジークリンデとどういった関係なのですか?」

 

「どうと言われてもね。ここに落ちた時に一緒になった行き掛かり上の他人だよ。

 あの子とは気が合ったんだ。仲良くさせてもらったのは間違いないかな」

 

 私たちをここへと導いたのは双頭の鷲(ドッペルアドラー)のジークリンデ。

 どういった経緯を経て、彼女たちが友誼を結んだのか。分からないけど、確かに二人には共通してると思しき点がある。

 運命を翻弄されて、神という存在を憎んでいる。みんなとは違う視点で世界を見ていた。

 

「お互いに親身になってアドバイスしたりされたりね。“彼”のことも教えてあげたよ」

 

「それでは、ジークリンデはマグサリオンのところへ?」

 

「どうやらそうみたいだね。うん、彼女にとっても喜ばしい形に収まったみたいで、ひと時の友人として祝福するよ。

 ジークリンデみたいな子を救えるのは、きっと“彼”しかいないと思ったからね」

 

 その話し方に違和感を覚える。

 この場にいないジークリンデのことを、まるで見てきたように話している。

 遠見のような何かしらの異能でも持っているのか。そんな疑問を抱いていると、私の内心を察したのか、ナダレさんから答えてくれた。

 

「勘だよ。魔王と呼ばれるわりには地味なものだけどね。

 才能なんて呼べるものとは無縁の身だけど、これだけは自慢なんだ。

 予知とも千里眼とも言えない、なんとなく“みんな”に起きることや起きたことが分かるってだけ。

 詳細だって何も知らない。分かったのは、ジークリンデが幸せに終わることが出来たってことさ」

 

 皮肉で言っているわけじゃない。ナダレさんは心から、ジークリンデのことを祝福しているのだろう。

 結局、彼女の心は分からないままだった。あるいは本当に、ジークリンデにとってこれ以上ない展開だったのかもしれないけど。

 

「……終わることが、幸せだって言うんですか?」

 

 それだけは、どうしても納得し難くて。気付けば私の口から言葉が飛び出していた。

 

「納得できないかい?まあ、あまり前向きじゃないのは認めるけどね。

 月並みだけど、死とは人生の完成だと思う。どんな生涯でも、その終わりを綺麗に彩ることが出来たなら救いになるんだ。

 終わるべき時に終われないのはさ、苦しいんだよ?苦悩しか見えないまま長続きしてしまう生なら、その終わりに救いを求めるのは珍しくないと思うけど」

 

「それは……分かります。でも、その結論に頷いてしまったなら、私たちが生きているのは何なんですか?」

 

「それくらいならいっそ産まれてくるんじゃなかったって?そうだね。憤るのはよく分かるよ。

 それじゃあこの世界を生きている甲斐がない。どんなに惨めで情けなくたって、この一生に意味を求めるのは人の心の正しい欲求だ。

 私が知っている子たちはね、みんなみんな凄い奴らだったんだ。そんな彼らの人生を茶番のようにはしたくない、時を超えても残り続けるような綾模様(かがやき)にしてあげたかった」

 

 そう語るナダレさんは、私たちにも近いように感じられて。

 大事に思える誰かのために、何かをしようと思い悩む。そんな姿は、私たちとも何も変わらないはずだから。

 

「私が理想としていたのはさ、私が愛した“みんな”に生まれ変わってもらうことだったんだ。真我(アヴェスター)の宇宙じゃない、何処かへ。

 所詮は凡人の淡い夢だけどね。それがどんな世界かなんて思い描けない。ただそれでも、新しい世界を見たくて。『みんなの魔王』になろうって決めたのが私の不変(おもい)なんだよ」

 

 それは運命の決定点。必要な要因だったと世界に対して認めさせたい。

 思えば、ジークリンデ率いる『双頭の鷲(ドッペルアドラー)』が仕掛けたあの戦争もまた、そのためにあったのかもしれない。

 ひょっとしたら、彼女たちが共感し合ったのもそういうところだったのかも。

 

「だからこそ、ですか?」

 

「クインさん?」

 

「あなたは『崩界』の結果を偶然のように語りましたが、あなたにとって偶然とは真に偶然たり得ない。

 こうなるだろうと分かっていたのではないですか。ご自慢の勘で、狙ってはおらずとも願っている風には展開すると。

 本当は、もう少し秘めた想いがあるのではないですか?この場で取り繕うこともないでしょうに、本音で話してもらいたいものです」

 

 クインさんのその指摘は、的外れではなかったらしい。

 ナダレさんが押し黙る。それから痛快そうに笑みを漏らして、改めて語り始めた。

 

「私は“みんな”を愛している。私みたいな凡人とは違う。無二の輝きを持った素晴らしい光たちだ。

 そんな彼らの輝く姿を見てみたい。たとえ舞台の事情が変わったって、そんなものに敗けないくらい彼らは凄い。それをこちらの人たちにも知ってほしい。

 それは間違いなく、私自身の願いだよ」

 

 私は総て(みんな)を愛している。

 その言葉は私にとって、黄金の獣を思い起こさずにはいられなかった。

 何者をも平等に、等しい横並びの愛を注ぐハイドリヒ卿は、逆説的には誰も愛していない。

 きっと究極の博愛とは、人間のあるべきを超越している。誰かを愛することが出来なくなった心は人らしさを無くしてしまうと、その実例を黒円卓(わたしたち)はこれでもかと目にしてきたから。

 

「だけど、言ったように私は凡人だからね。みんなのことを愛しているけど、優先順位はつけてしまうんだよ」

 

 だからこそ、ナダレさんの次の言葉には彼女の人間性を確かめられた。

 

「私の救世主(ヒーロー)が戦っている。凄絶に、不変に、爛々と無道の光を輝かせながら。

 彼は強い。彼は強いんだ。それを知らしめたいし、そんな彼をもっと感じていたい。

 こうしているだけでも、彼の鼓動を感じることが出来るから。ここに居るのにそれ以上の理由が要るかい?」

 

 

 

 

 ヴィルヘルム・エーレンブルグは生粋の狩猟者である。

 

Sophie, Welken Sie——Show a Corpse(枯れ落ちろ恋人 死骸を晒せ)

 

 誰かから教わったわけではない。

 強いてあげるのなら、身を置いた環境こそが彼の師だ。劣悪な底辺故に、常に極限を行くことを強いられた。

 勝たねば喰えぬ。喰えねば今日を生きられぬ。もっと、もっと多くを奪えなければ、いつまでも底からは脱け出せない。

 ヴィルヘルムにとって狩猟とは、即ち今日を生き延びることに他ならない。今を生きているそれ自体が狩猟者としての優秀さを物語るものだった。

 

 狩猟において卓越すべきは観察眼である。

 敵の力量を分析し、その勝ち筋を見つけ出す。それも瞬時に直感で、相手が動く前に動かなければならない。

 出来ないなどとは死線を知らない戯れ言だ。出来ねば死ぬ、ならば否応などあるわけもなく、必然として感覚は研ぎ澄まされる。

 相手の振る舞い、僅かな仕草、纏った匂いなど。危険と好機を嗅ぎ分ける第六感。魔人となる以前より磨かれたそれは黒円卓内でも屈指である。

 

 磨き抜かれた真性のマンハンター。ヴィルヘルム・エーレンブルグに見抜けなかった敵対者など、唯一人しか存在しない。

 

Sophie, und weiß von nichts als nur:(私の愛で朽ちるあなたを) dich hab' ich lieb(私だけが知っているから)

 

 その上で、敵と対峙するヴィルヘルムは今、困惑に満たされていた。

 血錆と戦傷に歪み捻じれた全身鎧。フルフェイス越しに突き刺さる地獄の如き眼光。

 狂人、壊人の類いならばいくらでも目にしてきた。己もまた極めつけの一人だと自認しながら、ヴィルヘルムは思う。

 ()()()()()()。狂っているとも、壊れているとも違う。そんな表現では追い付けない無明。あらゆる理解を置き去りにする暗闇だった。

 

 ザミエルの、灼熱の忠義とも違う。

 マキナの、巌と揺るがぬ鉄心とも違う。

 シュライバーの、理由なき暴虐の殺意ともまた違う。

 

 ラインハルトの破格とも、メルクリウスの奇怪とも違っている。

 それでも、この一切の理解が通じない隔絶は、ある意味で二者に通じているとも感じられた。

 

 ヴィルヘルムに分かるのは、自らへと向けられる絶対的な殺意のみ。

 こいつは俺を殺そうとしている。その一点だけは疑いの余地はない。

 それは業火のように熱く、氷獄のように寒々しい殺戮意志。所感すら正反対に矛盾しているのは、相手への理解が追い付いていない証。

 確実に理解できているのは、相手が持つ感情の絶対値。人に測れる域など完全に振り切った値の凄まじさだけだった。

 

Briah(創造)──」

 

 いずれにしろ、こいつは強い。

 ああそうとも。弱いわけがない。

 これほどの殺意を出せる奴が、取るに足らぬ雑魚などあり得ぬこと。

 ならばするべきことなど一つだろう。向き合うだけで畏怖に挫けかける、黄金以来の緊張と昂揚に溢れる期待が抑えられない。

 

「――――Der Rosenkavalier Schwarzwald(死森の薔薇騎士)

 

 昂る戦意と鬼気のままに描き出した、吸血鬼の幻想を具現する薔薇の夜が完成する。

 

 初手からの全身全霊。

 夜の上に重ねたもう一つの夜。気力、精力共に漲り、宵の刻の恩恵を得た異界は申し分ない完成度。

 結界内の総てを奪う吸精の異能。敵の弱体化と自己強化を同時に行うヴィルヘルムの創造位階。その脅威のほどは今さら語るまでもあるまい。

 

 そしてヴィルヘルム自身も、膨張する血液と共に人型を超えた異形へと変貌を遂げた。

 根を張るように杭を伸ばし、さながらそれは咲き乱れる血染花。無数に生え散らした血杭を蠢かせ、巨大な一塊の茨森があたかも多足生物のような躍動を開始する。

 様子見などあり得ない。異形なれども疾く、大質量を兼ね備えた突貫はヴィルヘルムが持つ最強の一手。即ちそれは、ヴィルヘルムの本気の証だった。

 

 それほどの巨撃を目前としながら、マグサリオンは微動だにしない。

 反応が出来ない、わけでもあるまい。今さら異形に怯んだわけでもないだろう。

 当然、ヴィルヘルムの突貫は直撃する。鎧は穿たれ、金属が折れ曲がりながら砕ける音が響き渡る。

 見た目には致命と映る損壊ぶり。しかし当のヴィルヘルムが受けた手応えは、それとは真逆のものだった。

 

「な、んだとぉ……ッ!?」

 

 ()()()()()()()()()()

 薔薇の夜も、死森の茨も、突き立てた牙から吸いあげるものが何も無かった。

 こんなことはあり得ない。ヴィルヘルムの異能に生物、無機物の区別は無い。たとえ無形のエネルギーであっても己の糧にして略奪する。

 効果の大小こそあれど、まったく奪えないなんてあり得ないのだ。ましてやこれほどの殺意を相手に、戦鬼のハラワタはより獰猛に食指を滾らせるはず。

 

 疑問に解答を出す暇を、マグサリオンは与えなかった。

 自他の殺意を総和して刃の鋭さへと変換する凶剣。獰猛なる戦鬼には覿面の効果であり、振るわれる一閃は無双の威力を発揮する。

 

 その凶刃を感じた刹那、ヴィルヘルムに生涯最大の警鐘が鳴り響いた。

 それは本能が知らせる危機察知。ヴィルヘルムにとっては馴染み深い、幾度となく己の命を救ってきたもの。

 恥も外聞もなく告げている。ここが生死の分岐点だと。彼の生涯でも類を見ない死の予兆、それが寸前まで迫っている。

 ヴィルヘルムが纏っている血杭の茨。複雑に重厚に絡み合った強度は十二分にあり、攻撃のみならず防御の面でも脅威を寄せ付けぬ城塞だと言っていい。

 そう自認しながら、一瞬の迷いなく放棄することを選択した。迫る一閃を生き延びるためだけの遁走とさえ言える一手。

 己の力への自負と自尊よりも、本能が発した警鐘を優先した結果である。それは正しかったのだと次の瞬間に証明された。

 

 あたかも刈り散らされる雑草の如く。

 城塞の強度が、紙の壁にも劣っている。無双の威力に刹那の時すら稼げない。触れた端から“抹殺”され、この世から跡形もなく消滅する。

 当たっていたならヴィルヘルムもまったく同じ末路であっただろう。掠めた悪寒だけでも、それを実感するには十分すぎたから。

 修羅道を信奉する黄金の爪牙。不死の軍団(レギオン)を知るヴィルヘルムをして、絶対たる死の予感。その破滅の深度に戦慄するしか処方がなかった。

 

 たった、一合。

 それだけで思い知らされた。こいつには勝てないと。

 否定を叫ぼうとしても、魂が認めてしまっていた。不明と脅威はより深まり、勝ちに繋がる糸口が何処にも見えない。

 

「なんだ?血を入れ替えたがっているのかよ、貴様」

 

 対して、マグサリオンの凶眼は容赦なく相手の全貌を看破しつつある。

 我が身の損壊を苦痛と感じる様子も見せず、割れた兜面から覗く眼光は爛々と輝いて捉えた者を外さない。

 

「奇遇だな。俺も、この血統に残る面影の総てを、跡形もなく消し去ってやりたいと願っていたんだよ」

 

 割れた兜が剥がれ落ち、明らかとなったその素顔をヴィルヘルムは見た。

 そこには何も“無”い。穿たれた穴から覗ける鎧の中身、人の血肉があるべき所には“無”だけが在った。

 深淵まで堕ちていきそうな虚無であり、同時に総てを灼き尽くす熱量があった。今にも消え入りそうな闇の奥で、片時も燃焼を忘れぬ意志が森羅万象を睨んでいる。

 それが答えだ。あらゆるものが奪う薔薇の夜も、“無”いものからは奪えない。そういう概念であり故に不壊である“無”の肉体。

 

「だから無くしてやった。ああ、実際にあの時は、俺の人生でも珍しく晴れやかな気分だったぞ」

 

 告げる宣言は度し難く救いも無い、されど凶戦士に迷いはなく凄絶であり不変だった。

 

 薔薇の夜の吸精は、非生物までも対象としている。

 その特性は脅威であるが、実際のところそれは何故か?吸血鬼には石でも喰う趣味があったと?

 いいや、そうではない。吸血鬼という幻想も、あくまでヴィルヘルムの主観に因る。伝承の如何ではなく、ヴィルヘルムが何をどのように信じているかが重要なのだ。

 ヴィルヘルム・エーレンブルグを象徴する“渇き”。求めても満たされず、餓え続けるという宿業。その生涯があればこそ信仰も強固となる。

 形が無いから奪えない?生きていないから効かないと?そんな理屈如きに阻まれてしまう幻想を、ヴィルヘルムは許していない。

 祈りの強さが力に変わる。無理を通して現実を覆してこそ強者の本懐。それこそがこの宇宙の王道であり、承知すればこそ吸血鬼は総てを収奪してのけるのだ。

 

 ――だが、そんな無法の道理こそ、マグサリオンという男の独壇場。

 

 無であるから不壊。そのような妄言を現実として支えているのは、凶戦士自身の意志。

 その信念が不壊であればこそ、肉体もまた不壊。絶えず血を流し身を削りながら、殺戮の刃を振るい続ける。

 ヴィルヘルムが吸血鬼を信じるように、マグサリオンも己の不変を信じている。ならば後に物を言うのは互いの意志力の絶対値。

 ならばこそ、ヴィルヘルムの牙は届かない。殺意、怨念、呪い、総じて負へと振り切れた心、神域にある凶の意志にはどう足掻いても届かないから

 

 こればかりは、相手が悪いとしか言えないだろう。

 一つの宇宙を絶命させ、その断末魔を聞き届けながら、恥も悔いも抱かない無慚無愧。

 そんな男の意志に、単純な感情の熱量値で勝れる者が、神座の歴史を見渡してもいるのかどうか。

 忌まわしい血縁との決別と新生を願ったヴィルヘルム。そんな彼にとって、貌も身体も“無”いものとしてしまった男の生き様には感じ入るものがあり、敗北の予感もそこに起因していると思えたから。

 

「オオオオオオオオォォォォ――――ッツ!!!?」

 

 心に生まれた迷いを咆哮と共に振り払って、全霊の攻勢へと打って出るヴィルヘルム。

 その全身のみならず、全方位の空間総てから生やした杭群による一斉掃射。

 薔薇の夜はヴィルヘルムにとって我が身と同じ。取り込まれた者に逃げ場はなし。暴威を凝縮して放つ血杭の暴雨がマグサリオンへと殺到した。

 

 応じ、マグサリオンが踏み出した。

 横には逸れない。定めた標的に向けて、最短距離を駆け抜ける直線機動。

 無論、血杭群をその全身で浴びることになる。容赦なく穿ち貫かれ、その身を縫い付けられるが、一向に構わない。

 それどころか、突撃速度が減衰することさえ微塵もなかった。衝撃、反動、受ける諸々一切の不都合を捻じ伏せて、凶剣の殺意を届かせるのみ。

 条理を無視した出鱈目。縛るべき物理法則がその役割を果たせていない。無道の極地たる男に、あらゆる道理は無価値に堕していた。

 

 そして繰り出される凶剣の一閃。真っ向から見取っていたはずのヴィルヘルムは、それに反応することが出来なかった。

 

「グゴォ……ォァァッ!!?」

 

 何の工夫もない、真正面からの愚直な振り下ろし。

 如何に斬れ味鋭く疾かろうと、そんなものなら予測は容易。対処ならいくらでも出来たはず。

 シュライバーのような、概念自体を置き去りにする速さでも無い限りは。そういう類いの脅威ではないと、ヴィルヘルムは感じていた。

 

 よってこの結果は、ヴィルヘルムにとって完全な想定外。

 野生の直感。戦場の経験。修羅の本能。持てる総てを総動員して、目の前の剣の影を踏むことすら出来なかった。

 どのタイミングで、どのようにして斬られたのかも。ただ、その身に刻み付けられた甚大極まるダメージだけが、ヴィルヘルムに現実を知らせている。

 

 あり得ない隙を捩じ込む凶戦士の第二戒律。

 かのバフラヴァーンとて、それを見抜くことは出来なかった。ヴィルヘルムの第六感とて並外れていようが、こればかりは難易度が異次元すぎる。

 非才の男が、才気溢れる者たちの悉くを捩じ伏せ、殺戮するために編み出した不条理の刃。この理不尽を打破するには、やはりヴィルヘルムでは器が足りず。

 

 僅か一撃にて満身創痍。

 既にヴィルヘルムの身は死に体。回復もまるで追い付かない。

 凶剣にはマグサリオンの殺意が宿っている。それを受けた以上、如何なる異法を持ち出そうとも結末は斬死のみ。

 むしろ瀕死で堪えて見せていること、それこそ不死身を謳う夜の不死鳥の面目躍如といったところだろう。

 バフラヴァーンのような稚気もない。殺すとなれば、マグサリオンは必ず殺す。何人も終わりから逃れることは叶わないのだ。

 

『――ヴィル!ああヴィルヴィル、私のヴィルヘルム!

 あなたは死なないわ。愛しいあなたを傷つけるもの全部、私が追い払ってあげるから!』

 

 されど、そこに断固たる否を唱える者が、ここに一人。

 それは聖遺物に宿った人格。ヴィルヘルム・エーレンブルグと結ばれた闇の賜物(ヘルガ)。狂母の愛は幻想すらも凌駕する。

 黒円卓においても一、二を争う同調率(きずな)。それは限界を突破して、真なる不死の怪物幻想を顕現させた。

 

「がぐ、ぐあぁ……は、は、ハハハハ。

 アハハハハハハ、アァーッハッハッハッハッハッハ!!」

 

 そして誰より斬死の結末を否定するのは、他ならぬヴィルヘルム自身の執念。

 

 死なない。ああ、これしきで死ぬものか。

 震えるほどに死というものを実感した。恐怖と敗北を感じたのも認めよう。

 だがそれでも、己はまだ死んではいない。ならば決して敗けではなく、諦める意味などこれっぽっちも有りはしない。

 戦い続けろ。この闘志が燃える限り。剥き出しとなった魂の叫びが、絶望へと挑む生への思いを激発させた。

 

 ヴィルヘルムは笑っていた。

 この追い詰められた状況で、これでもかというくらいに快笑している。

 嘆くことなど無い。この出逢いを喜ぼう。素晴らしき闘争の昂揚を、立たされた絶域を歓迎しよう。

 それこそが修羅の生き様。ラインハルト・ハイドリヒの爪牙ならば、臆することなど許されない。

 我こそは夜を翔ける闇の不死鳥。黒円卓第四位カズィクル・ベイ。この誉れある限り、己に滅びは訪れない。

 言ってしまえばただの精神論だが、祈りを強さに変える世界で馬鹿に出来るものではないだろう。事実、それで功を奏したのなら猶更に。

 窮地にあっても意志折れず、命運を掴んでみせてこそ英雄の証明。その意味では間違いなく、ヴィルヘルムは英雄と呼ぶに相応しい。

 

 しかし、果たして本当にそれだけか?

 

 確かにヴィルヘルムは傑物である。

 魔人となる以前、人であった頃からその能力は突出している。

 真っ当な倫理には照らし合わせられないが、名も無きその他大勢では終わらない輝きを有している。相手が誰でも簡単にはやられまい。

 

 されどその気質は、言ってしまえば典型的な不義者(ドルグワント)だ。

 第一宇宙の凶戦士にとっては最も殺し慣れた手合い。その理解に窮する何かがあるとは思えない。

 有象無象とは言わない。しかし、ならばこれまで凶剣の露と消えていった者たちと比較して、それに勝る強さがあると言えるだろうか。

 

 宇宙規模の天災じみた武威を誇ったバフラヴァーン。

 50以上もの恒星級の怪星群からなる銀河をも喰らう絶滅星団(クワルナフ)

 善悪二元という天の縛りすら超越した強欲の覇者たるカイホスルー。

 

 ――そして、かの“勇者(あに)”ワルフラーン。

 

 凶戦士が、その過去に討ち果たした超越者たち。

 そんな彼らと比較して、ヴィルヘルムが勝っていると言える部分があるかどうか。

 

 マグサリオンの凶剣は滅尽の刃。

 どんな奇跡が起ころうとも、その刃を受けたのなら死なねばならない。

 なのにヴィルヘルムは生きている。どれほど闘志を燃やし、狂母がその愛を捧げようと、それは決してあり得ないこと。

 冥府魔道の不敗神話がそれを証明している。それしきで生き永らえられる程度の不条理なら、凶戦士は今ここに立っていない。

 ならば問題は凶戦士の側にあると見做すべきだ。マグサリオン自身も承知している。己の理解は、未だに相手の芯を捉えていないと。

 ほとんどを看破したことは間違いない。だが逆に言えば、まだ把握し切れていない部分があるのも確かである。

 その一点の未知が凶剣の冴えに僅かな鈍りを生じさせている。それがヴィルヘルムの命運をかろうじて繋ぎとめたのだと。

 自身の不備を、マグサリオンは冷徹に受け入れる。何者にも冷酷非情な凶眼は、己に対しても日和った妥協を許さない。

 

 ともすれば、ありきたりだとも見える男に。

 劣勢に立たされても怯まず、我が身の重傷を知りながら戦意を絶やさない。

 牙を剥き、杭を生やし、嬉々と挑んでくるその形相は修羅の歓喜に包まれて、陰りと呼べるものは無い。

 ここが我が居場所だと、満天下へと謳いあげるように。一見すれば、それは見慣れた戦闘狂ども特有の行動。分かり易く不義者(ドルグワント)的な反応で、しかし何かが異なっているとも感じられていて。

 

 深く深く、凶眼はその芯へと理解のメスを入れていく。

 怒涛の攻勢を受け止めながら、対峙する存在のあらゆるものから目を逸らさない。

 剥き出しの獣性。あからさまな凶暴性。表面の猛悪ぶりの中に秘められた、その魂が持つ“光”へと――――

 

「――なるほどな」

 

 そしてマグサリオンは今度こそ、ヴィルヘルム・エーレンブルグという男を理解していた。

 

「貴様はどうやら、()()()()()()()()()()()()()()()

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