無慙無愧が巡る怒りの日   作:ヘルシーテツオ

22 / 26
第十五章『アンナ』

 

 強い熱情が込められたナダレさんの言葉を聞き届け、ここでの話は終わったのだと納得した。

 

 この人は違う。自身の在り処に疑問なんて持っていない。

 堂々と想いを語る姿は、羨ましくなるくらい明瞭で。未だに確かな答えを持っていない私には眩しく映った。

 

 彼女にとって、ここは常識の通用しない異世界のはずなのに。

 それでも揺らがずに立っていられるのは、確たるものとして根差した芯があるからだろう。

 それが不変と呼ばれるもの。世界がどのように変わろうとも、変わらない己自身を持っていられる。そうして見える姿とは、こんなにも凛として綺麗なのか。

 

 ナダレさんには、この舞台にこれ以上関わるつもりがない。

 そう納得できた以上、とりあえずの要件は済んだことになる。

 この人にはもう、何を付け加える必要もないのだろう。不変の想いを口にしたナダレさんに、私はそのように納得していたから。

 

「……知ってほしい、ですか」

 

「クインさん?」

 

「すみません、ベアトリス。もう少し、彼女と話させてください」

 

 少なくとも、私はそう思っていたのだけど。

 クインさんの考えはどうやら違ったらしい。同じ世界観を共有する者同士、思うところは別にあるみたい。

 

「ナダレ。それはあなたの本心ですか?マグサリオンのやることに異論を挟むつもりは一切ないと?」

 

「勿論、そうだよ。そんなの当たり前じゃないか。

 彼こそ神座の支配を終わらせる私たちの救世主(ヒーロー)だ。君だってそう信じたからこそ彼の剣になったんだろう?」

 

「ええ。ですが、私は剣じゃありません。

 剣なのはマグサリオンです。彼の在り方は抜き身の刃そのもの。殺すことにかけて、マグサリオンに付け加えることは何もありません。

 そう、彼には殺戮しか無いんです。どんな相手とも、殺意以外での交わりを禁じてしまった。彼には刃を納めるための鞘が必要です」

 

「それが君だと?おいおい、白の究極兵装たる神剣の言葉とは思えないな」

 

「何も不思議なことは無いでしょう。彼がその気になれば、そこらの鈍らでも最凶の剣に変えられる。武器の善し悪しなど些末なことです。

 剣としてではない。義者(アシャワン)クインという個の意思で、私は彼と向き合います。いつか、進み続ける無慚無愧の暴走をくい止められるように」

 

「彼を止める?まさか本気で言っているのかな?」

 

「当然、本気です。方法論ではありません。それこそ私が不変と定めた決意そのもの。

 都合がいいからと褒めたたえて、彼の悪しき点から目を背けるあなたとは違います」

 

「ふうん、なかなか煽ってくれるじゃないか。私の想いが盲いてると言いたいわけか」

 

「その通りです。それとも、否定しますか?

 あなたは終わりを求めていた。マグサリオンの殺戮は、あなたにとって都合がよかったはずです。

 彼の冥府魔道に、あなた自身が引き摺られていないと、そう断言できますか?」

 

「断言はできないかもね。私はつまらない女だし、影響を受けていると言えばそうなんだろう。

 だけど、それでも私は“みんな”の魔王だ。私を討つべき勇者は私が決める。次代に繋がる開闢者でなければ、この席は譲らなかった。

 彼は示してくれたんだよ。無残で無軌道にも見える道の先で、確かに繋がる世界の景色を。

 だからこそ喜んで敗けることが出来たんだ。単に自分が終わることだけ考えていたわけじゃない」

 

「ですが、あなたは“みんな”に生まれ変わってもらいたいと願っていました。マグサリオンだけでそれが叶うと思うのですか?」

 

「……確かにね。でも、所詮私の願いなんてそんなものだよ。

 漠然とした願望だけで、本当は真我に目にもの見せてやれれば満足だったんだ。

 なにせ、元々が卑屈だからね。彼にもそう見抜かれたよ。そのままの形で叶わなくたって構わないさ」

 

「つまり諦めたわけですね。意中の人に都合がいいように、自分の思いを押し殺して」

 

「本当に言ってくれるね。流石に苛ついてきたよ」

 

 ナダレさんの声に険が宿る。

 これまで飄々と掴みどころが無いという感じだった人が、意外なほど不快を顕わにしていた。

 けれど、それも当然かもしれない。だってクインさんの言葉は彼女の想いを否定しているも同然だったから。

 

「もしかして、君は彼の母親気取りなのかな?まあそういう関係性なのは知ってるけどね。

 それならこっちも言わせてもらうけど、血の繋がりが絆になるだなんて彼は微塵も信じていない。ワルフラーンと違って相手にもしていないだろう。

 そもそも血縁がどうこう言うのなら、フレデリカはどうなるのさ?母親(クイン)はあの娘を愛してやれたのかい?

 とどのつまり、君の決意なんて単なる身内贔屓だ。そんなもので彼を止める?御話しにもならないな」

 

「どう言われようとも私は私の意志を変えません。それくらいのことなら百も承知です。

 それでも私はマグサリオンと一緒にいます。完全無欠の大団円を諦めません」

 

「託された想いがあるから、だろ?白の陣営らしいお題目だね。

 そんなものは所詮、ただの色分けに過ぎないって知っているのに。それでも君は拘りを棄てないのかい?」

 

「言うまでもありません。世界の真実がどうであれ、正義を信じる心まで否定される謂れはないでしょう」

 

「意固地だね。それもいつかは空しくなるよ」

 

「そうはなりませんよ。これは私だけの思いじゃない。

 この善と悪が入り混じった灰色の天にも、私たちが信じたものは息づいていると知りましたから」

 

 視線から伝わってくる、クインさんからの信頼。

 応えたいとは思う。けれど、それだけのものが自分にあるのかと思ってしまう。

 これまでの人生、私が信頼に応えられたことは無い。青臭い理想ばかりで実態が伴わないのがベアトリス・キルヒアイゼンの現実だから。

 どう足掻いたところで、私がハイドリヒ卿に勝てるわけがない。それに否だと叫ぶだけの信念を、今の私は持てていないから。

 

「本当に、空しすぎる期待だよ。そんなものじゃあ世界は変えられないんだ。

 何かを為せるのは天を目指せる強者だけ。平等じゃない。ただの人には出番さえ回ってこない。

 そういう意味では、彼だって例外じゃない。いくら才覚に恵まれないからって、まさか彼を凡人の枠に入れられるとは思わないだろ。

 あんな凶念は人が持てるものじゃない。どこかで人を外れなければ何も出来やしないんだ」

 

「しかし、それでは同じことの繰り返しです。その欠落が分かっていたからこそ、マグサリオンは人としての可能性に期待した」

 

「それはあくまで君の願望だろう。実際のところ、彼が何を狙っているのかは彼にしか分からない。

 彼は孤高で、そんな彼の行く道を信じている。私なんかの矮小な想像力では及びもつかない光景を見せてくれるってね」

 

「信じるだけですか。気楽なものですね」

 

「そういう君はお節介を焼きたくて仕方ないみたいだね。それは余計なお世話というんだよ、お母さん?」

 

 真剣な面持ちのクインさんに、薄ら笑いを浮かべながら答えるナダレさん。

 その眼は決して笑っていない。態度とは裏腹に、この人も軽い気持ちで言っているのではないと分かる。

 どちらに肩入れすべきかなんて、当事者でない私には分からない。二人とも想いに真摯で、だからこそ譲れないのだから。

 

「私は、私が見定めた救世主(ヒーロー)を信じる。“みんな”の魔王として、この敗北こそ誇りであり私の不変だ。

 敗者が勝者の行く道を阻むだなんて、それこそ道理に合わないだろう。敗者に出来るのは、先を行く勝者の未来を信じることだけなんだから」

 

 ナダレさんにあるのは揺るぎない信頼だ。

 あの凶剣の人の生き様を、その凶行の末にあるものの正しさを。

 私たちがハイドリヒ卿を理解できないように、きっとこの人も総てを分かっているわけじゃない。それでも信じることが出来るのを、私はよく知っている。

 恋焦がれる人のために、迷いを棄てて尽くそうとする(ヒト)。私が敬愛する“(ローゲ)”の姿を思い起こさずにはいられなかった。

 

 だからこそ、ナダレさんは変えられない。

 そうなった女性の強さを知っているから、どんな言葉も無意味だと分かる。

 愚かなまでに自分の気持ちしか見ていない。愛という名の鎧を纏った彼女たちに、赤の他人の言葉なんて通用するはずがない。

 

「――このまま行けば、マグサリオンが消えてしまうとしてもですか?」

 

 そう思っていたけれど、クインさんの言葉はナダレさんの鎧をも穿ち割る威力を持っていた。

 

「安心しましたよ。もしもこれすら笑って受け入れられたら、本当に話が通じないと判断するしかありませんでしたから」

 

 ナダレさんの表情から初めて笑みが消える。

 苦々しく押し黙った面持ちは、クインさんの指摘がナダレさんにとっても無視できないものであることを示している。

 あの救いがまるで見えない凶行の結末。ある意味で容易に予想できるそれを、決して心から受け入れているわけじゃない。

 

「マグサリオンに惚れているという、あなたの想いは疑いませんよ。だからこそ、彼の冥府魔道を手放しに受け入れることは出来ないはずです。

 これは理屈じゃありません。たとえそういうものだと理解しても、気持ちが納得してくれない。愛しているから、消えてほしくない。生きてほしいと願った女性(ヒト)の祈りも私は知っていますから」

 

「……それでも、やっぱり同じことだよ。彼は違う。常人には至れない答えが、彼にはあるんだ。

 死なないと、彼自身が断言したんだ。口に出したことは絶対に覆さないからこその無慚無愧だろう」

 

「それでも懸念はあるでしょう。マグサリオンの考え方はあまりに排他的で、救いが見えない道ですから。

 殺戮の荒野に、唯一人。最期に残った“(じぶん)”を滅ぼして、冥府魔道の完遂とする。今でもそれは、決してあり得ない結末ではないと思っています」

 

 確信にも近い言葉の重みを伴って、クインさんはその懸念を口にした。

 

「無慚無愧は、まだ終わっていない。

 彼は未だに生涯不敗で、無尽蔵に溢れる殺意は解決されていない。

 彼にとっての世界とは、今も変わらず滅ぼすべきものに過ぎず、総てを根絶したいという渇望は消えていないから」

 

 伝え聞いた話でしか、私はあの凶剣(ヒト)のことを知らない。

 それでも分かるのは、この世界があの人にとって生き辛い世の中であること。

 あんな凄絶な凶念は、心の底から世界を否定していなければ出せないだろう。否定しか沸かない世界で生きるとは、いったいどれだけの苦痛なのか。

 想像するしかないけれど。あらゆるものが汚濁にも等しく見えて、呼吸することさえ不愉快な場所で、どうやって安息を得ればいい?

 ハイドリヒ卿とも違う意味で、生まれた世界を間違えているとしか思えない。何もかもを根絶し、果てに自分自身まで消し去ろうとするのは道理とさえ言ってもいい。

 

「それで?言いたいことは分かったけど、君はいったいどうするつもりなのかな?

 何とかしますと言って、本当に何とか出来るなら苦労はないだろ。それとも、そちらのお嬢さんが何とかするつもりなのかな?」

 

 ――私が?

 

「お嬢さん。何を言われたか知らないが、あまり真に受けない方がいいよ。

 そちらの彼女は自信たっぷりに的外れなことを言って顰蹙を買うのに定評がある人だから」

 

「勘違いしないでください。ベアトリスに何かを強制するつもりはありません。

 彼女は、彼女なりの想いに従って動けばいい。その善なる祈りが行き着く答えが、私の命題にも答えを導くと信じます」

 

「そう上手くいくものかな。見たところ、彼女は不変には遠い。実力はそれなりにあるみたいだけど、結局は人間の域に収まっている。

 彼女くらいなら、戦士や魔将の中にもいただろう?」

 

 人間の域、か。

 魔人となって、人から怪物だと恐れられてきて、今さらそんな風に言われるなんて。

 皮肉すぎて笑えない。私くらいの力なんて、本物の超越者たちの前では常人に毛が生えた程度に過ぎないらしい。

 世界さえ塗り替える狂える神格(かいぶつ)。こうして燻ってしまう時点で、私にその素質は無かったのだろう。

 

「この舞台は仮初めだ。私たちは本物じゃなく、いずれは儚く消える虚構だろう。

 でもね、それって元々の世界とどれだけ違うかな?神座の色に支配されて、明日も知れない意味ではさしたる違いも無いんじゃないかい?」

  

 ナダレさんのその言葉を、今の私は受け入れられる。

 シャンバラの黄金錬成。その主演とは黒円卓(わたしたち)ではなかった。

 全ては女神のために用意された脚本。私たちはそのための供物に過ぎなかったと、天啓じみた感覚で理解できてしまう。

 カール・クラフトの口車に踊らされた私たちに、当初のままの願いを叶えることはあり得なかった。

 きっとその脚本を覆せるとしたら、それは黄金の獣だけ。どこまでも神々だけの舞台であり、人間の役者なんて端役でしかない。

 

「現実だって虚構も同然。それでも変わっていく世界の中で、変わらないものを見つけなくちゃいけない。そんな不変の何かが、君の中にあるのかな?」

 

 そう問われて、今の私にはそれを断言することが出来なかった。

 渇望(イノリ)はある。狂人のみが扱える創造位階。その使い手として、私の中にも狂おしい想いが今も変わらず宿っている。

 暗闇の中で、みんなを導く光になりたい。魔人に身を堕とそうとも棄てまいと誓った人の矜持。清廉な理想を胸に修羅道を駆け抜ける。

 その輝きは、今も色褪せてはいないだろうか。正義の在処も定かではなくなって、それでも私は青臭い理想を貫けるのか。

 

「そこまでにしてもらいましょう。あまり私たちの道理を、ベアトリスに押し付けないでください」

 

「おや意外だ。わざわざ私と引き合わせておいて、そんなことを言うだなんてね」

 

「他意はありませんよ。二元論の宇宙はひどいものでした。反面教師として参考にするくらいでちょうどいい。

 ベアトリスには既に、彼女たちだけの物語がある。白か黒かしかなかった私たちよりも、それは複雑で鮮烈に輝いていたはずです」

 

 こちらを見るクインさんは、柔らかく微笑んでいて。

 水銀の蛇が嗤った黒円卓(わたしたち)の物語を、この人は信じてくれていた。

 

「私もマグサリオンを信じています。しかし彼に任せきりではいけない。そして私だけの力でもきっと足りない。

 この舞台の主役は貴女ですよ、ベアトリス。あなたの胸に抱いた祈りが、彼の冥府魔道にも新たな光を指し示すと信じます」

 

「ずいぶんと綺麗に、そして気楽に言ってくれるものだね。

 分かってるのかい?君の言っていることはつまり、彼女と彼を戦わせるってことだよ」

 

 その言葉に、自然と身が強張るのを実感した。

 既に一度、私はあの凶剣(ヒト)と戦った。単純な強さではとても言い表せない凄絶の凶戦士と。

 どれだけの傷を負おうと怯まず、止まらず。在り方の真贋を見抜いてくる、あの眼光。

 毒々しいまでの罵倒には悪意しか感じられず、的確にこちらの急所をついてくる弁舌は言葉という名の凶器に等しい。

 それは同時に、こちらの事を理解している意味でもあった。殺戮という凶行に走りながら、一人一人と向き合う律儀さを持った救世主。

 

 正直なところ、まったく理解が及ばない。

 あの人に勝てるとしたらハイドリヒ卿くらいだろう。勝利のイメージが想像できないという意味では、あの二人は同じだった。

 つまり覚悟を決めるなら、私にはハイドリヒ卿を打倒するだけの意志が必要になる。それは恐ろしい想像だけど、むしろ何も知らなかった当初の目的と合致するものでもあって。

 

「そればかりは否応もありません。マグサリオンがいる以上、誰もが無視することは叶わない。

 白の正義も、黒の悪意も、彼にとっては見慣れたもの。二元論にはなかった貴女の祈りで、彼に見せつけてほしいのです」

 

 

 

 

 魔女の目に、魂の気質は色として映っている。

 

 その濃淡はどうか?色彩は激しいか大人しいか?

 単なる感受性の例えではなく、感覚でしかと捉えているもの。具体性を持って説明できる分、直感の類いよりも判断材料としては優れているだろう。

 長い人生の中、迫害に晒されてきた魔女にとって観察力は文字通りの死活問題。それなりの自負もあり、初見であっても相応の答えを導き出せよう。

 

 そうだからこそ、この相手のことが恐ろしい。

 この色彩に相応しい名が見つからない。黄金や水銀とて、色そのものは判断できたのに。

 正体不明。光射さない無明の闇であり、かといって漆黒と形容するのもまた違う。

 雑味なんて含まれない純色なのに、その種別が分からないのだ。まるで正体不明なこと自体が意義だというように、徹底してその裡が見えてこない。

 煮えたぎる殺意の獰猛さは明らかなのに、戦闘狂のような荒々しさは無い。むしろ機械じみた冷然さを宿し、それでいて総てを呑み込まんとする様は覇道でもあるような。

 

 人が恐怖するのはいつだって未知の存在だ。

 何が恐ろしいって、魔女の食指がこの相手にはまるで反応しないこと。

 天頂の星を自身の居る水底へと引き摺り下ろしたい。恵まれた才媛。戦場の英雄。黒円卓の同胞とて、いずれは汚泥に沈めたい対象だ。互いを思い遣る仲間意識など魔人の群れには存在しない。

 そんな魔女にとっての象徴とも言える渇望を、この相手には抱けない。コレは水底よりも深い奈落にいる。星の光など届かない凄絶な暗黒だと理解してしまったから。

 

 ルサルカ・シュヴェーゲリンは、上位の者を下へと落とす魔女である。

 マグサリオンという深淵、見下すことも憚られる底の底に対して、上に立つ彼女では何も出来ない。

 あんな奈落(ところ)には落ちたくない。そう思わされた時点で勝敗は決まっていた。

 

「ああもう!」

 

 そんな内心の弱気を振り払うように、気炎を吐きながら食人影(ナハツェーラー)を繰り出す。

 触れれば止められる影の縛鎖。地より溢れた創造の沼は既にマグサリオンを捕らえていた。

 油断も容赦もしていない。動けなくなった相手に対しても手を緩めず、持ち得る手段を尽くして追撃を試みている。

 手段の多彩さこそが魔術師たるルサルカの強みだ。物理、精神問わずあらゆる方面から仕掛けられる責め苦の数々は、如何なる護りを用いても防ぎ切ることは至難だろう。

 

 やれるのではと、そう思いたくなってしまう。

 相手は影の呪縛に身動きが取れず、ここまで一方的に嬲られている。

 反撃に転じないのはそれが出来ないからだと、そう判断してもよい構図だった。つまりはこちらの能力が上回っているということ。

 ルサルカとて、それを信じたい。自身が修めた魔術の叡知は、決して取るに足らないものではないのだと。そんな自尊心がよぎらないわけではなかった。

 

 だが違う。そんなことはあり得ないのだと理解してしまう。

 あの眼が見てくる。爛々と輝く凶の眼光、どんな責め苦にあっても揺らぎの一つさえ見せない凶眼が。

 古今東西の拷問具すら、その意志を挫くには能わず。凶戦士の殺意は瞬きの間さえなくルサルカを射抜いていた。

 

 自分の常識が通じない、それは理外故の恐怖。

 質こそ違えど、これと同等の恐怖を抱くのは、ルサルカの生涯においても二人のみ。

 

「なんだか最近、夢見が悪いのよ」

 

 それなのに、ルサルカは挑むのを止めない。

 いつもだったらとうに逃げ出している。いいや、そもそもこうして姿を現すこともしなかっただろう。

 勝てない戦いなど賢い者の選択ではない。矜持など二の次で、真っ先に走るのは自己保身のはずだった。

 似合わないことをしている。余裕もなく必死になって、生き汚い魔女がする姿ではなかった。

 

 ――では、それはいったい何のために?

 

「誰かに首をちょん斬られたり、クリストフには嵌められたり。なんか半分以上でシュライバーが関わってくるのがホント腹立つんだけど。

 なんなの、碌でもない死に方ばっかりじゃない。報われないにも程があるでしょ!?」

 

 それは那由多の回帰の中で辿ってきたであろう、ルサルカの結末。

 細部の違いは多々あれど、共通するのは悲惨な末路という一点だ。

 

「悪いことしてきたからその報い?そんなの絶対に納得できない!

 わたし頑張ったもん。強くなったんだもん。もう檻にいた頃のわたしじゃない。昔に戻るだなんて出来ないわよ!

 くだらないなんて言わせない。正しく生きてるだけで幸せになれるなら、わたしはあの檻の中で死んでればよかったの!?」

 

 全てのことに確かな筋が通るのなら、納得することも出来るだろう。

 だが違う。世の物事とは、全てが筋道立てて回っているわけではない。時にはひどい理不尽が罷り通る場合もある。

 

 たとえば、他よりも秀でた容姿だとか。一介の村娘のくせに美に対し貪欲だったとか。

 協調性という意味ではなるほど、問題はあったのかもしれない。しかしそれは、拷問されて凌辱されて、あげく魔女として火刑に処されて然るべき罪だというのか。

 一度でも穢れてしまえば、もう二度と元には戻れないのに。再起なんて軽々しく口にするのは光しか知らない者の戯れ言だ。

 

「三百年よ!?まともな人生の4、5回分よ!?置いていかれる事なんて全然初めてじゃない。そんなので揺らぐならとっくに諦めてたわよ。

 どう言われたって、これがわたしなの!わたしは水の底で、誰かの光を奪う女なの!今さらあっさり趣旨変え出来るなら、ここまでの人生は何だったの!?」

 

 確固として持つ己の在り方。それは不変と呼ばれる定義。

 たとえそれが悪と呼ばれても、容易く改めてしまえるならば不変足り得ない。

 ルサルカ・シュヴェーゲリン。他者の足を引く水底の魔女。その存在定義にそれ以上の適切はなく、故にこそ黒円卓の席を与えられたといえようが。

 

「いつか絶対、あいつに追い付く。頂点にいると思い上がったあいつを、わたしと同じところにまで引き摺り落とす。そのためにここまでやってきたのよ。

 なのに、どうして?どうしてこんなにうまく行かないの?才能が無かったから?だったらどうしたらよかったのよ!?

 それとも、あんたみたいに全部棄てればよかったの?余計なものは無くして、一つの渇望のためだけに動く怪物にでもなればよかった?

 あのモンローみたいに。魔女にはそんな末路しかないってわけ?」

 

 マリリン・モンロー。

 表向きには時代を代表する大女優。しかして裏にある真実は、黒円卓に対抗するために造られた人工の魔人である。

 目には目を歯には歯を、魔人には魔人を。その理屈に相応しいだけの進化を遂げた彼女は、世界の思惑さえ超えて暴走する。

 モンローは、ある根源的な欲求の権化とも言える存在だった。もはや人とも呼べない、渇望そのものに動かされる混沌こそ彼女の正体。

 しかし、それが悪いとは限らない。人間的ではないだろうが、余分な思考が消える分欲望それ自体は強化されるだろう。

 聖遺物の使徒にとっては戦力に直結するもの。不変とも言える祈りであり、この宇宙の真実を知ればその方がむしろ幸せとすら言えるかもしれない。

 

 恵まれた魔女だと、モンローは自称した。

 真実を知らないが故の傲慢、身の程を弁えない戯れ言だろうが、そう豪語する彼女は確かに女王だった。

 この世の頂点に君臨する帝王。その自尊と自負があり、幸福の絶頂を噛み締めていた。

 それが堪らなく癪に触ったのを覚えている。同じ蔑称を名乗り、まるで正反対の意味で捉えている女に殺意を抱いたことは鮮明な記憶として残っていた。

 

 結局のところ、ルサルカは人間的すぎた。

 自身の不才に悩み、自分よりも上位の存在に悩み、想い一つにも悩んでいる。

 その複雑さ、ままならなさこそ人間だろうが、定まった不変を持たない者は神座の宇宙では弱者なのだ。

 

「ねえ、答えがあるなら言ってみせてよ。わたしは何を間違えちゃったの?」

 

 猛威を振るう影の魔獣(ナハツェーラー)

 拷問器具を魔術的に融合させた禍々しい化身が顎の内に囚われた凶戦士を蹂躙する。

 苦悩はすれども、行使される術の出力は最高潮。むしろその妄執を糧として暴虐の牙を剥き出していた。

 弱気に走りそうになる理性を、感情で塗り潰すように。道理が通らない問い掛けは、振り乱した感情幅の表れだろう。

 

 それはほとんど八つ当たりで、まともに考えれば答えてやる義理もない。

 ここまで責め苦を与えておいて、縋るように求める様は浅ましさよりも居た堪まれなさが目立つ。

 これも女の情念か。それも嫉妬や逆恨みと同類の、輝きを持たない穢れと称するべきもの。やはりまともに考えれば、こんなものを相手にしたがる者もいやすまい。

 

「戯けが。始点から間違えている者に答えなどあるものかよ」

 

 故に、最もまともならざる男だけが、痴れた情念にも付き合える。

 冷淡な答えを返して、冥府魔道たる男はその凶眼を見開いた。

 

「貴様は言っていたな。善も悪も、所詮はレッテル貼りに過ぎないと。

 良いも悪いも見方次第。基準によって容易く変性し、場合によっては徳も罪も必要ない。

 誰かにとって都合がいいから、そうしたレッテルは存在している。天の意向も人の営みも変わらない。規模こそ違えど、本質的には同様だ」

 

 天の座に君臨する神とて、元を正せば人間だ。

 規模や純度こそ規格外なれど、祈りのカタチそれ自体は理解に納まる範疇だ。

 高尚な思想ばかりでなく、低俗でつまらない想いを発端としている場合もある。むしろ虚飾が混じりにくい分、そちらの方が強大とも見なせるだろう。

 

「俺という男は昔からそうした決まりが好かなくてな。壊したくて仕方なくなる。

 つまりは貴様も俺と通じる部分があるわけだが、貴様とて俺と同じと言われても頷くまい。

 その違いもまた明白。意志の絶対値だのを置いても、方向性からして真逆を行っている」

 

 マグサリオンとて、想いの芯にあるのは“反発”だ。

 世界の有り様が認めがたいから、それを壊す。やっている事は常軌を逸していても、その感情自体は理解も共感も出来るものだろう。

 超越者への憧れも、大なり小なり誰しもが持っている感情だ。ルサルカの渇望もまた、人間的な理解に納まるカタチなのは必然であった。

 

「底に堕ちた敗者として、上座に立つ勝者を貶めたい。所謂“逆襲”と呼べる概念だが、貴様の属性とはまさしくそれだろう。

 場合によっては特効じみた作用を発揮するのだろうが、逆説的にその概念の体現者は勝利者には決してなれん。引き摺り落とすことが本懐なのに、上座に立っては本末転倒だろう。

 貴様に勝利は似合わない。望んだものが手に入らないのは道理でしかあるまい」

 

 誰かの足を引くのなら、その相手の後ろにいなければならない。

 そんなところに渇望を見出だした時点で、ルサルカの立ち位置はいつまでも敗者のままだ。

 足が遅いどころか縫い付けられて止まっている。その妄執に彼女自身も縛られているから。置いていかれると感じるのは、ルサルカ自身が動いていないからに他ならない。

 

「俺は違う。俺が志すのは生涯不敗。この世に蔓延る屑どもを鏖殺し、望んだ通りに事を為すのを勝利と呼ぶならそうなのだろう。

 愉悦は無い。狂っているなど百も承知。それでも決めたからには果てなく征く。

 こういうノリが嫌なのだろう?進み続ける者に、敗者で在り続ける貴様では置いていくなと叫ぶしかないから。泥から這い出る強さの余地など何処にも残っていない」

 

 新しい自分を始めるには、長らく魔女で在りすぎた。

 誰が悪いのでもない。どう足掻いてもそれは彼女自身の自業自得でしかない。

 明日の希望へと踏み出せる光の属性。それを拒んで貶めてきたのは彼女なのだから。

 

「長らく強者の座で胡坐をかいてきた貴様に、今さら不変を為すことは出来ない。要は単なる半端者だよ、貴様は。

 神だの、永遠だの、目指せる器がそもそも無い。分不相応な夢に過ぎん」

 

 囚われた檻の中で、村娘(アンナ)は現れた影の男のようになりたいと願った。

 しかし、それは叶わない夢想だ。夜空の星に手を伸ばすのと同じ。掴めるように錯覚しても、実際には途方もない彼我の距離が隔たっている。

 夢を夢のままに信じてよいのは子供だけの特権だ。大人になったら夢と決別して現実を見なくてはならない。

 無理をして背伸びを続けても、いずれは疲れ果ててしまう。疲れを無視して前に進めるのは本物の狂人だけだ。

 

 その現実を思い知らせるべく、凶戦士が動き出す。

 ルサルカを理解に納め、渇望の内面までも解体した。それは即ち、凶剣がその真価を発揮するということ。

 

 ほんの僅か刃が揺れる。たったそれだけで、マグサリオンを覆っていた影の魔獣の悉くが斬滅された。

 

 聖遺物の破壊は、魂が結びついた術者自身の破滅に繋がる。

 全身より血と魂を噴き出して、一瞬でルサルカは満身創痍だ。術理も何もあったものではない。理不尽が過ぎる無慚の剣。

 あらゆるルールを破壊する凶威を前に、黒円卓の魔女は呆気なく敗北した。

 

「あぁ……」

 

 こうなることは分かっていた。

 虚勢を張ったところで、ルサルカは小賢しい臆病者だ。敵わない実力差には敏感である。

 何度だって言える。ルサルカではマグサリオンには勝てない。どんな奇跡が起きたところで、打倒できるイメージが浮かばないだろう。

 

 死が迫って来る。

 彼は絶対たる殺意の権化。凶戦士の刃から逃れた者は未だかつて存在しない。

 どれだけの長い生涯でも、他に類を見るなどあり得ない無二の怪物。つまりは那由多の回数を繰り返したとて合間見えることのなかった未知に他ならず。

 

「綺麗なものが好きなんだろう?」

 

 剣を構えたマグサリオンが、最後の詰めとなるだろう問いを投げる。

 

「貴様は愚鈍で半端だ。身の丈に合わぬ夢を追っても手は届かん。

 矮小な貴様には求める願いも相応のものがあろう」

 

 ルサルカ・シュヴェーゲリンの人生に間違いがあったとすれば、全てはそこに集約される。

 過ぎた夢ばかりに目を奪われて、身近にあったはずの幸せから目を背けたこと。本来の幸福から逃げてばかりでは、結末が不幸となるのは必然だろう。

 

「愚鈍な半端者である貴様を、それでも綺麗だと認めてくれる者。そんな者が一人でもいればよかった。矮小な貴様は、そんなものでも満足できていたんだよ」

 

「ふぅん、そっかぁ……」

 

 突きつけられた真実に、むしろ安堵したかのような声をルサルカは漏らす。

 殺されると理解しながら、その顔は晴れやかだ。まるでこうなることを望んでいたかのように。

 

「それならもう、わたしも素直になっていいよね?」

 

 眼前に迫る凶刃に対し、ルサルカは微笑みながらそう言った。

 

 

 

 

 マグサリオンの殺意に、情けや容赦は存在しない。

 

 元より戒律にて縛られた身。余分な思考はそれ自体が命取り。

 よって如何なる場合であろうと刃を躊躇うことはあり得ない。老若男女を問わず、絶滅を志す冥府魔道。

 相手がどれだけ憐れでも鈍ることなく、凶戦士たる男は非情の刃を振るうのみ。

 

「貴様」

 

 例外があるとすれば、只一つ。

 解明したと断じたものに、僅かでも不明な部分が残されていた場合。

 彼は理解の上で殺すと誓っているから。ほんの些細な疑念でも見逃すことは出来ないのだ。

 

「俺を利用したな?」 

 

 穏やかな面持ちで、振り下ろされる刃を待つ魔女に対してマグサリオンは問う。

 

「味な真似をしてくれる。初めからこれが狙いだったというわけか。

 俺に解明を任せるために。ただ己を知るために俺の前に立つとはな」

 

 無慚の剣とは、相手の本質を映し出す鏡。

 たとえ相手が無自覚な事柄でも、その凶眼は総てを白日の下に曝け出す。

 ならば、マグサリオンの理解を通じて自らを知る。理屈としては成り立たないわけではない。

 

 だが、やはりそれは狂気の沙汰だろう。

 凶戦士の前に立てば死ぬ。命を引き換えとしてまで自分を知ろうとするなどまともではない。

 ルサルカ・シュヴェーゲリンには、やはり似合わないものだ。生き汚い魔女であれば決してそんな選択はしないはず。

 

「……だってしょうがないじゃない。ひとりじゃあどうしても分からなかったんだもん」

 

 那由多の回数を繰り返した回帰。

 その中でルサルカはいつだって真実には辿り着けなかった。

 末路は悲惨。魔女は誰にも追い付けない。水銀より告げられた宿業は、否応なしに人生を苛んでくる。

 

 その運命から脱却するには、まずは魔女の在り方から脱け出さねばならなかった。

 

「わたしじゃあきっと、どうやってもメルクリウスには敵わない。それが悔しくて、本当に悔しかったけど、でも認めないと何処にも行けないって思ったから」

 

 それはルサルカ一人では成し遂げられなかったことなのだろう。

 彼女はそういう人生を繰り返してきた。たとえ回帰の輪の中で閉じた宇宙でも、選んだこと自体は自業自得。

 身近な真実から目を背けて、自身を偽ってきた生涯を帳消しには出来ない。たとえ舞台は虚構でも、ルサルカという存在に根深く刻まれた業からは逃げられなかった。

 

 だからこそ他力が必要だったのだろう。運命という強固な枷すら粉砕する劇薬が。

 荒療治、というには凄惨で過激が過ぎる。それでもルサルカは実行した。死を引き換えとする魔女らしからぬ決断を。

 

「あなたは怖いよ。死にたくないよ。だってここまで来ちゃったんだもん。今さら全部が無為になるなんて嫌に決まってる。

 それでも、ね。止まったままだって言われて、なんだか納得しちゃって。ねえ、今のわたしはちょっとはマシになってる?」

 

「知ったことではない。善い悪いの裁定など、この俺にさせるなよ」

 

 切実に訴えかけるルサルカの問いにも、冷徹な答えをマグサリオンは返す。

 誰に対しても同じ。マグサリオンにあるのは殺意のみ。優しい答えなど期待できるはずもなかったが。

 

「今という時に感じている、その想いこそ真実だろう。他人の所感など知ったことではあるまい」

 

「そっかぁ。うん、そうよね。色んなプライドとか、そういうのも全部壊されちゃったし。

 悔しいはずなのに、なんだかとっても自由だわ。すごくすっきりした感じ」

 

 嫌悪してるし、拒絶している。求めることは断言してあり得ない。

 それでも、マグサリオンは相手の意を汲み取るのだ。たとえ彼にとって汚濁を潜るに等しくとも、その所業から逃げることはしない。

 目を背けないと決めたから。不明なものを不明なまま、逃した後悔を覚えている。精算を果たした今であれ、誤りは二度と繰り返さない。

 

「永遠が好きって言ってたのよ」

 

 だからルサルカもその想いを口にすることが出来たのだろう。

 それは口に出せば簡単なもの。しかし拗れてしまった魔女にはどうしても出来なかったこと。

 

「だからわたし、不老不死になりたくて。彼に綺麗って言ってもらいたくって。

 本当はそんな必要なんかなくて、ただ素直に認めていればよかったんだろうけど」

 

 あんな二十歳そこそこの若造に。昔、夫に裏切られて、本気の恋愛などするものかと思っていたのに。

 好きになってしまった。あの変わり者な彼のことが堪らなく愛おしく思ってしまった。

 馬鹿馬鹿しい話。まるで生娘の恋煩い。三百年も生きておいて、そんなものに絆されてしまうなんて情けないにも程がある。

 

 結局、根が凡庸だったということだろう。そこらの村娘(アンナ)に、永遠の魔女だなんて荷が重かった。

 

「好きになった人から嫌われたくないだなんて、肝心なところが変わんなくって恥ずかしいけど。

 おかげで回り道しちゃったなぁ。こんな簡単なことでよかったのに、わたしってば全然見えてなくってさ」

 

 素直になれてればよかったのだろう。この気持ちを口にしていれば置いてかれずに済んだかもしれない。

 けれど、やっぱりそれは怖かった。口に出して拒絶されればと、そう思うとどうしても一歩が踏み出せなかった。

 だってわたしは魔女だったから。誰からも疎まれて、恵まれない存在だから。拭いたくても拭えない記憶の影が、わたしの心を縛っている。

 

 もう一度、彼からあの悪意で見られたら、きっと耐えられない。魔女の悪意で武装していなければ、アンナ・マリーアの素の心なんて脆くて儚いものでしかないから。

 

「夢を見たの」

 

 それはルサルカだけに限らない。舞台の演者たち全員に見られる現象。

 虚構の舞台に空いた法則の陥穽から、存在しないはずの記憶が流れてきている。

 水銀の回帰の中ばかりではない。本来の正史の宇宙では終わっている第六天の記憶もまた垣間見れていた。

 

「今のこの世界じゃない何処かで、わたしは彼に拾いあげてもらってて。

 きっと、わたしはあれで幸せだったわ。ずっと魂の奥で燻ってた望みが叶ったんだもの。

 こんなわたしを、彼の刹那の一部だって認めてくれた。たったそれだけで、何だってやれる気がしたわ」

 

 世界そのものから見限られて、それでもわたしは幸せだったと。

 垣間見た記憶の自分を、ルサルカはそう断言する。魔女にも通じる姿だったけど、確かにわたしは満たされていた。

 

 だって、ようやく彼の刹那(アイ)に抱き締めてもらえたから。

 魂が転生する第五天。深く刻まれた祈りは次代にも伝わっていく。

 いつか、必ず報われる日が来るように。しかしてルサルカの残した祈りは少々事情が違っていた。

 座の交代劇の演者となった黒円卓の面々。その宿業は特に強く魂に反映される。何代重ねようとも何処かしらに名残があった。

 そしてルサルカの魂が報われることは無い。何故なら、彼女が惹かれた魂は黄昏の守護者として超越した存在となり固定されていたから。

 

 お互いが只人として出遭うことはあり得ない。

 望んでいたありきたりな幸福は、決して手が届かないところへと行ってしまった。

 いくつも恋をしただろうし、他の誰かと結ばれて幸せにもなれただろう。それでも報われなかった祈りは魂の底に燻っていたに違いなかった。

 

「でも、本当に嬉しかったけど、同じくらい悔しかった」

 

 しかしながら、こうしてある種の俯瞰的な視点に立った今、ルサルカは思ったのだ。

 神様の視点で、魂の奥に残された縁を見つけてもらって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「女にもね、意地があんのよ。

 お前は幸福にはなれないって、そう言ってくる運命に目に物見せてやりたかったの。

 だってねぇ、負けっぱなしなんて悔しいじゃない。大切な願いなんだから、譲れないでしょ」

 

 手を差し伸べられるのを待つばかりの、日陰の女で満足なわけがない。

 魔女にだって意地がある。それがどんなに無謀でも、いつだってわたしは望んだものに手を伸ばしてきた。

 いつもいつも間違えてばかりだったけど、一度くらいはこの手で想いを掴み取りたい。クソったれな運命に一矢報いてやりたかったのだ。

 

 あるのはそれだけ。たったそれだけの想いで、ルサルカはマグサリオンと対峙した。

 殺されると分かっていながら、一時の自己満足のためだけに。愚かな所業と言い捨てても差し支えあるまい。

 事実、凶戦士の側からすれば関係ない。理解を済ませた以上、もはや刃を止める理由は何も無いのだ。

 剣を振り上げる。阻むものは無い。ルサルカもまた、己の結末を受け入れて静かに目を閉じた。

 

 一閃。

 風を切る音がした。

 それは静かな太刀筋で、されどやはり凶剣の名に相応しい凄絶なもの。

 確実に、それは命脈を断ち斬る刃。振るわれたからには標的に確実な死をもたらしている。

 

 ここに勝負は決着する。

 聖槍十三騎士団黒円卓第八位ルサルカ・シュヴェーゲリン。

 三百年を生きた稀代の魔女は、その命を断ち斬られた。

 

「え……?」

 

 殺すべきを殺し、既にここで為すべきことは終わった。

 凶戦士の歩みに無駄はなく、故に用は済んだと彼は無言で歩き出す。

 立ち去っていく後ろ姿。その背中を、ルサルカは茫然と眺め続けて。

 

「なぁんだ。案外、優しいところもあるんじゃない、貴方」

 

 マグサリオンの中でどのような裁定が為されたのか、それは彼自身にしか分からない。

 ただ言えるのは、彼はルサルカの命を断ちながら、その魂にほんの僅かな猶予を残した。

 己の殺意は通しつつ、告げられた想いに報いるように。律儀で面倒見のよい殺人者として。

 

 彼を慕う者が多いという、その理由が分かったような気がした。

 

「でもやっぱりわたしは、貴方の無慚じゃなくて彼にとっての刹那でいたい」

 

 しがらみの宿業も何も無くなって。

 ようやく素直な想いを口に出来る。この気持ちこそ、ルサルカ・シュヴェーゲリン――いいえ。

 アンナ・マリーア・シュヴェーゲリンの真実だから。今さら魔女としてのわたしを無かったことになんて思わない。けれどせめて、その結末は綺麗なものにしたい。

 

「いつか生まれ変わった先で、なんて虫がよすぎるかな?」

 

 さあ、残された時間を使って、掴んだ真実を刻みつけよう。

 この気付きを無駄にはしない。わたしという存在にしかと紡がれるように。

 もう二度と、忘れたくないと願っている。ただ無為に消えていく虚構なんかにするもんか。

 

 今という刹那を不変にして、永遠となって彼に抱き締めてもらえるように。

 

「また、逢えるよね?ロートス」

 

 積年の妄執より解放されて、真たる祈りを抱きながら。

 アンナ・マリーア・シュヴェーゲリンは、物語の舞台より退場した。

 

 

 

 

 そうして一人の女が辿った結末を、龍の王はその玉座より見届けた。

 

 何も不思議なことではない。

 元より、彼女を送り出したのは彼なのだから。

 現在、聖遺物の所有権は彼にある。再び魔人の力を振るうには取り上げられたものを返してもらう必要があった。

 

 今回の話を申し出たのは魔女からだった。

 一目見て分かった。これは己の欲望を取り戻そうとしていると。

 手段を選ばず、想いのために欲しがる女。その姿は浅ましくとも強かで、そそられるものを感じたから。

 いい女には散財を惜しまないのが龍王の流儀。特に条件を課すこともなく、奪った聖遺物を返してやった。

 

 成果は上々。女として示した意地はなかなかに魅せてくれた。

 王の趣味からすれば些か未通女(おぼこ)が過ぎたものの、幸福を遠ざけていた魔女の姿と比べれば遥かに上等。

 欲望なくして人に非ず。それは貪婪の王者としての不変の真理。

 

 改めて確信する。

 自分には必然性がない。この舞台を回す演者たるべき役割が。

 横から割り込んだだけの部外者、いなくても問題なく進行する脇役に過ぎない。

 気に入らないのは確かだが、ならば覆してやろうとはならないのも、自分自身でこの舞台に重きを置いていないからだろう。

 

 龍王もまた、凶戦士のことを認めてはいる。

 されど闘神や殺人姫のように、もう一度殺されたいとは思わない。

 龍王にとって武とは競うものではなく魅せるもの。披露すべき相手もいない演武など空しいだけだ。

 

 そうだ。重要なのはやはりそこだ。

 己が演武を魅せるのに相応しい相手がいない。今の状況はそれに尽きる。

 黄金の獣も、龍王にとっては心踊る相手ではなかった。戦争の美学など趣味ではなく、矜持を懸ける意味が見出だせない。

 

 龍王カイホスルーが愛するのはいつだって財宝だ。

 愛でるに足る輝きをこの手に納めたい。人も物も、その欲望には区別がない。

 故に、価値ある玉石たちにその真価を芽吹かせたいと思うのだ。然る後、その輝きたちでもって己自身を彩りたい。

 

 舞台上の演者も整理され、幕引きも近づいている。

 いよいよとなれば己自身で動かねばならないだろうが、それは彼の流儀に反する。

 種は巻いた。芽吹くかどうかは流れ次第。それでも龍の傲慢は、この期に及んでも己の信条に疑いを持っていなかった。

 

 魔王たちの多くが、凶戦士との交わりによって変革をもたらされていく中で、龍王だけは変わらない。

 気付いていなかった喪失を言い当てられこそすれ、その在り方を変革させるには至らなかった。

 不変なる欲の権化。ある意味で、人らしさの極限を体現した男だとも言える。単純だからこそ不純も無い。

 

 総ては王の器の元に。

 凶剣に討たれた?神座を握ることが出来なかった?それがどうした。

 他人の決めた勝利条件など知ったことかよ。要は最期に勝てばいい。

 現にこうしている以上、まだ何も終わってはいないのだ。人の強欲に底など無い。まだ欲しいもっと欲しいと、今も我が欲望は猛っている。

 

 起こるべくして起こる。いずれ来るその時を尊大に待ち侘びながら、酒に女にと侍らせた龍王は享楽に耽っていた。

 

 

 




 今回の話は結構な難産でした。

 なんといってもルサルカ。彼女の表現が難しい。
 いや、どういうキャラで願いなのかは分かっているんですが、複雑というか面倒くさくて言葉に変換するのが難しい。
 これをマグサリオンという変換器を通してどのように表現するのか。過去作を読み返しながらまことに苦労しました。
 結果としてはかなりシンプルな風にまとめてしまったと思ってます。

 ベアトリスも、後の展開を納得してもらうための準備期間といったところ。
 次回からはカイホスルー回りの話になっていきます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。