無慙無愧が巡る怒りの日   作:ヘルシーテツオ

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何とか年内の間に更新を間に合わせることが出来ました。
最低でも今年中にはこの作品を完結させることを目指して頑張ります。


第十六章『覇者会談』

 

 

 時は僅かに、凶戦士が舞台へと再臨する前へと遡る────

 

 

「ようこそ参られた龍王殿。泡沫が如き舞台で、数奇なこの出逢いを寿ごう」

 

 諏訪原教会の地下に存在する大円卓。

 聖槍十三騎士団の本拠地であり象徴。その“一”の席に就いたラインハルトは主宰としてそう告げた。

 

 言葉を受けるのは対面に座したカイホスルー。

 円卓のいずれかの席に、ではない。その卓上に堂々と腰を下ろして胡坐をかいている。

 傲岸であり不遜、恭しさなど微塵も無い。礼節の観点ではあり得ない暴挙だが、纏う威風と所作の艶やかさが文句を挟ませない。

 あまりにも、これこそ在るべき姿だと思わせられるのだ。ラインハルトもまた気分を害した様子もなく客人の振る舞いを受け入れていた。

 

 異なる世界。法則も、人の在り方も違った場所で生きた、宇宙を制する覇道資格者の二人。

 まさしくこれは泡沫の出逢い。本来ならばあり得るはずのない共演であり、夢幻に等しいこの舞台だからこそ成立したもの。

 既に団員の大半が退場し、就くべき者を失った空席の円卓は何とも侘しいものだろう。だが覇者二柱を戴いた場を覆う覇気の圧は、総ての魔人が集結した時と比較しても劣らない。

 

 そして、この場に存在しているのは王者たる両名のみではない。

 主の横には従者が就くもの。男たちの傍らには、それぞれに控える一人の女の姿があった。

 ラインハルトの傍らにはエレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ。彼女は何も変わらない。不変の忠義を宿す女騎士は直立不動を貫いている。

 対し、カイホスルーの後ろで控えているのはリザ・ブレンナー。黒円卓の証である軍服姿ではなく、煌びやかな装飾に彩られた扇情的なドレスに身を包んでいる。

 それが贅を尽くした最高級品であることは知識の無い者でも見て取れた。華やかなる美をこれでもかと主張してくる意匠にはカイホスルーの趣味がありありと表れている。

 

 見方によれば、黒円卓への叛意とも見做せる。

 少なくとも、鋼の忠誠心を持つエレオノーレの目には度し難く映るだろう。

 本来の主君の前で、さも他の男の所有物のように振る舞う姿。鉄面皮の奥で彼女の激情がどうなっているのか想像に難くなかったが。

 

「これらの黒円卓の席には、席番を与えられた者の性質への暗示が含まれている。

 ルーンといってな。元は日常の営みに用いられていた文字だというが、そこに神秘を見出した後の時代の者たちによって魔術的な意義を与えられたそうだ」

 

 主はラインハルト。エレオノーレはその従者。

 立ち位置からも分かる関係を、何よりエレオノーレ自身が承知し重んじている。

 許しも無しに出過ぎた口を叩くなど、誰より己が許していない。徹底した完璧主義、鋼鉄の女軍人には一分の隙も見られなかった。

 

「カールの手並みだがね。彼は詐欺師だが、贋物といえど真を上回る狂気あらば真を超えよう。

 いやむしろ、彼に意味を持たされたが故に真を得たのか。神秘とその大本の相関を考えれば、その順序こそ本来の形だろう。

 とはいえ、当人のあの胡散臭さではな。超越者だが、大言壮語の法螺吹きという印象が拭えんのもやむを得まい」

 

「興味もねえよ。そんな野郎のことなんざ」

 

 ラインハルトの席に刻まれた“破壊(ハガル)”の印。常人ならばそれだけでも正気を砕く力の気配も一顧だにせず、不遜なままにカイホスルーは告げる。

 女たちが無言の内で鬩ぎ合う中、男たちはその弁をもって自らの威厳を示す。優雅に、豪胆に、武器は取らずとも相手の意を呑まんとする応酬は闘争に相違ない。

 

「そうか。ふふ、いやしかし、卿の姿は堂に入っているな。

 象徴的と言おうか。非礼なのではなく、定められた礼節に対しても自らの礼を通す。余人の定めた法には従わんという表明かな。

 郷に入っては郷に従えと、この国の言葉など卿からすれば一笑に付すものに過ぎまい。童子の反抗のようでもあり、されど愚物に落とさんのは在り方に重ねた年季の深さか。

 あえて準える言葉を探すならば破天荒。既存に染まらぬ型破り、なれど逆説すればそれも一つの型に嵌っていると見做せるだろう」

 

「迂遠が過ぎるぞ、ハイドリヒ。分かりきったことを遠回しに言うのがお前の趣味か?

 俺が転がして愉しむのは、閨で囁かれる女どもの睦言だけだ。男なら直線で来てみろよ」

 

「くくく、いやすまない。どうやらカールの語り口が移ったようだ。

 彼は友であり、黒円卓全員の師でもある。感情が親愛であれ、憎悪であれ、その影響は免れんらしい。

 無論、善処するとも。この場を申し出たのは卿でも、応じ招いたのは私だ。客人を退屈させてはそれこそ礼に失するというもの」

 

 直接的な揶揄にも典雅な口調を崩さないラインハルト。

 生涯を苛んだ既知感もすでに無く、見るも聞くも総てが新鮮と感じるのだろう。

 果たして何を言い出すのか。例えばそれが敵意であっても、黄金の獣は総てを受け入れるに違いなかった。

 

「イザーク=アイン・ゾーネンキント」

 

 そんなラインハルトに、黒円卓の禁忌とも言える名前をカイホスルーは口にした。

 

「意外だな。卿の口よりその名を聞くとは。

 いや、むしろ予想して然るべきかな。卿の傍らにバビロンがいる時点で」

 

「そいつの境遇に俺がどうこうと口を挟むつもりはねえよ。

 とりあえず確認させな。そいつの父親はいったい誰だ?」

 

 その問いは、誰もが言及することを避けてきたもの。

 彼は突然にやって来た。ゾーネンキント。黄金錬成の要石。

 重大極まる役どころだというのに、誰もその出自を把握していなかった。そんな出自も定かではない者を儀式の要とするのに、懸念や反対を言った者もまたいない。

 

 つまるところ、答えなど分かり切っていたのだ。

 一目で察しがついてしまったから、曖昧なままでお茶を濁してきたと言える。

 黒円卓とは、黄金に壊されて膝を折った者たちの集まり。抱く内心は別であれ、黄金を畏れているという一点では皆が共通。

 開けてはならないパンドラの箱。イザークとはそういう存在だった。あの金色の髪と瞳と、暗黒の天体じみた渇望が、父なる誰かの姿を想起させずにはいられなかったから。

 

「イザークの父か。確かに、あれの血統については黒円卓でも大いなる謎だったな」

 

 そして恐らく、この事柄に対し最も容易に結論を出せる唯一の人物は、さも不思議だという風に答えてみせた。

 

「こんな話はどうだろうか。そもそもあれに父親などいなかった。

 聖母(マリア)の子に父などおらぬように。神秘により編まれた奇跡の御子。何とも夢のある話ではないか」

 

 そんな言葉で、いったい誰が納得できるというのだろう。

 だがしかし、そんな言葉を暗黙の内に通してしまったから、今までの黒円卓があったのではないか。

 

 黒円卓における、黄金の言葉とは万事に通じる魔法の言霊。

 当人が望まざるとに関わらず、ラインハルト・ハイドリヒとは独裁者である。

 いったい誰が異を唱える?黄金に屈し、彼という地獄に取り込まれた者たち。ラインハルトが白だと言えば黒いものとて白なのだ。

 

 土台、獅子が蟻の進言に耳を貸すはずもなし。対等こそが求められるなら、言葉を通せるのは朋友たる蛇くらいなものだろう。

 

「あのよう」

 

 故に、獅子と同格である龍の男は、戯れ言めいたその言葉を容赦なく切って捨てた。

 

「俺はそんな与太話を聞きに来たわけじゃねえ。

 お前らの身内内では出しづらい話題だったんだろうが、あいにくと俺にはどうでもいい。

 戯れ言は要らねえよ。つまるところはてめえが父親かどうかって話だろうが」

 

 そう、こんなものは分かり切った話。

 イザークの父親が誰かなど、ラインハルト・ハイドリヒ以外にはあり得ないだろう。

 通じた部分が多すぎる。これほどの破格が何の関係もなしに二人と存在するなど信じられるわけもなかった。

 口では語らずとも明白だった類似性。誰の脳裏にも存在していたその指摘が、龍の口からラインハルトへと突き付けられる。

 

「であるならば、龍の王よ。卿は尋ねるべき相手を間違えている」

 

 同格からの指摘を受けて、悪びれた様子もなくラインハルトは言葉を返す。

 

「女子供に無責任であるつもりはないのだがな、事実として身に覚えがないのだよ。

 あれの父親が誰かなど、私は知らん。故に、私から語れるのは先のような戯言めいた言葉しかない」

 

 そこに嘘は見られない。本心からラインハルトは口にしている。

 ラインハルトが真実を語れないというのなら、それを口に出来る者はあと一人だけ。

 

「せっかくの機会だ。バビロン。ここは一つ、卿の口から真実を開帳してはもらえんかね?

 それとも、まさか卿にとっても覚えの無い話であったのかな?」

 

「……いえ」

 

 黄金から視線を向けられて、リザは逃れるように顔を伏せた。

 ずっと、この問い掛けを恐れていた。絶対者たる黄金に尋ねられれば拒むことは出来ない。

 リザ・ブレンナーにとっての最大の不義。自分で自分の行いの悍ましさに狂いそうになる。よくもあんな真似が出来たものだと、自分が如何に正気でなかったかを思い知った。

 方法を囁いた水銀の蛇。彼が小石を投じた時には全てが手遅れ。過去と現在の所業に絡め取られて、たった一つの道を選ばされている。

 

「……あなたの屍体を使いました。ハイドリヒ卿。あの類人猿作戦(エンスラポイド)の折り、一時的に魂が離れたあなたの肉体を操って。

 超人を産むためには超人を親にする。ゾーネンキントを創り出す手段として、レーベンスボルンの結論を実証するために。

 間違いなく、断言出来ます。イザークはあなたの子供です。ハイドリヒ卿」

 

 瞬間。

 場の全ての熱が奪われた。否、そうであると錯覚した。

 不動の姿勢を貫くエレオノーレ。表面上は何の変化もない。主君であるラインハルトの前では矜持に懸けても表には出さないだろう。

 しかし、その裡。煮えたぎる赫怒の炎が噴出し、彼女という器を満たし渦巻いている。少しでも外に漏れれば、一瞬で何もかもを灰塵と帰すだろう熱量(ねたましさ)を。

 

 腐れ縁である相手の激情を誰よりも理解しているのだろう。

 伏していた顔を上げて、エレオノーレを見るリザ。その申し訳なさそうな表情が、鋼の女の怒りに更なる燃料を投下する。

 

「ふむ」

 

 あわやの事態すら予想された、一触即発の女たちの間に入ったのは、ラインハルトの気の無い一言だった。

 

「なんとも予測の範疇の、つまらない答えであったな」

 

「つまらないだと?」

 

「そうだろう。口にはせずとも、凡その当たりは付いていた答えではないかな。

 確かに機会としてはあの時しか無い。大方、カールに唆された結果であろうよ。予想外を期待していたわけではないが、真実がこの程度なら確認する意味もあるまい。

 わざわざ語らせるのではなかったかな。下世話であるし、淑女に口にさせて愉快なものでもない。謎は謎のまま、秘めたる内に留めておくのが正解だったかもしれん」

 

 長年の間、黒円卓の禁忌として口を噤むしかなかった事柄を、そんな程度の扱いで。

 結局、どうでもいいのだ。黄金は総てを愛している。故に優劣はなく、特定の誰かに執着することもない。

 ある意味では究極の博愛主義だろう。そして究極へと至ってしまえば、その心は人の構造からかけ離れてしまうのだ。

 

 ああ、やはりこれも分かり切っていた話。

 この程度のことに頓着する人じゃない。もっと早くに告白していても黄金は受け入れていただろう。

 言い出すことが出来なかったのは、この行いを恥であり罪だと戒め、咎められた人としての良心故に。割り切れない葛藤を抱き続けるのがリザ・ブレンナーという女だから。

 そんな人の心の迷いと弱さを、ラインハルトには感じることが出来ないのだろう。故にこそ、一人の子供の父と母であるはずの男と女は、これほどまでにズレている。

 

「なるほどな」

 

 心を隔てる二人の様子を眺めて、カイホスルーは確信を以て呟く。

 彼もまた神格という特級の異常者。されど欲望という人の感情の根源を司る男は、両者をそれぞれの視点から見ることが出来た。

 

「やはり俺が見立てた通りだな、ハイドリヒよ。

 今の話をつまらないの一言で片づけるなら、それはお前の方こそつまらないってことだ」

 

「ほう?」

 

 カイホスルーの言葉に、ラインハルトが目の色を変える。

 言われたことのない侮蔑。己で自嘲することはあっても、他人から言われるのは初めてのことだった。

 そんな味わったことのない未知に心惹かれて、黄金の獣の好奇心が刺激される。

 

「なあ、エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ。お前も俺の(モノ)にならないか?」

 

 そんなラインハルトからの視線を素気無く無視して、カイホスルーはその傍らのエレオノーレへと声をかけた。

 

「その男にお前が入れ上げるほどの値打ちは無い。女の悦ばせ方すら知らん男だ。

 俺ならばお前が与えられなかったものを与えてやれる。お前の愛に応えて――――」

 

 エレオノーレは動かない。

 まるで耳に届いていないといった風に不動のままだ。

 

 ()()()()

 語り上げるカイホスルーを熱波が叩く。

 眼には見えない。エレオノーレも武器を抜いていない。

 つまりは活動位階。それも攻撃というより威嚇に近い。ただ強い意を念にしてぶつけただけだ。

 殺意と呼ぶほど凶々しいものではない。闘志、克己といった猛る意志の炎。苛烈であれ、分類するなら正の属性に当て嵌まるだろう。

 

 ただそれだけ。

 それだけの純正な意志力で、カイホスルーからの影響を弾き出した。

 容易であるわけがない。重ねて言うがカイホスルーは覇道資格者。等級ではエレオノーレよりも明確に格上である。

 言葉を交わすことさえ恥辱とばかりに、一切の甘言を許さぬ鋼の矜持。カイホスルーの尊ぶ女らしさとは真逆をいく女傑としての雄々しさだ。

 

「どうかね?我が(ローゲ)は。

 あまり見縊ってくれるなよ。彼女の忠義こそ不変。世界の最果てまで変わらん私の騎士だ」

 

「確かにな。強い女だ。掠め盗るようなやり方じゃあ手も届かねえか。

 手に入れるならお前ごと、総取りしてやるしかなさそうだぜ」

 

 手痛いしっぺ返しにも懲りず、それどころかより恐れ知らずに放言するカイホスルー。

 如何に同格であれ、それは流石に無茶だと分かる。大言壮語の虚勢でしかないはずで、なのにその表情には自信が漲っているのはどういうわけか。

 

「まったくもって豪胆な男だな、卿は。ここまで来れば呆れよりも感心が先立つ」

 

「まあな。俺の欲望は深く、幅広い。可能か不可能かなんぞ考えてる暇もねえ。

 そしてハイドリヒよ。お前の欲望は素直がすぎるな。まだまだ浅いと言わざるを得ん」

 

「ふむ。興味深い指摘であるが、その心は?」

 

「以前にも言ってやっただろう。お前は愛で方を知るべきだと。

 破壊の慕情?ああ、大いに結構だがな。お前は自分の欲望(アイ)を知ってはいても、その表し方を知らねえ。何でもかんでもただ壊すでは浅すぎるんだよ。

 この世の財宝(タカラ)は千差万別。ならばそれぞれに応じた愛で方がある。愛を謳うのなら(アイ)し方にも拘れよ。その手間を惜しむようでは愛がどうだの片腹痛いぜ」

 

 どれもこれも言われたことの無い初めての言葉ばかり。

 否定ならば言われてきた。破壊の慕情など悪魔の所業。あらゆる生命と相反する怪物だと。

 ラインハルト自身、そんな己に自覚はあった。生まれる世界を間違えた異物であり、ならばこそ己の色にこの世界を染め上げようと。

 聞き飽きた既知の言葉など聞き入れるわけもなし。しかしカイホスルーの言葉はそれらの否定とは明確に異なる意味を持っている。

 同格の覇道資格者であり、彼もまた平穏を破壊する魔王の立場だからこそ。善性の側からでは言えない言葉があった。

 

 例えば女を口説くのに、常に同じ口説き文句では上手くいかない。

 相手次第で台詞の好みは違うのだから当然だ。人と人とのコミュニケーションとは、心という見えない答えの探り合いと言い換えられる。

 人外の魅惑で罷り通ったとしても、そんなもので高を括り理解を疎かにするのでは女に対して不実が過ぎる。

 

「こいつは貸しだ。欲望を知り尽くした俺様からのありがたい至言だぜ。くだらん戦争騒ぎなんぞよりも遥かに貴重なものだ」

 

「また豪胆に言い張るものだ。卿との戦争は実に心躍ったのだが」

 

「ほざくなよ。単なる余興に過ぎないくせに。

 こんなものに勝とうが敗けようが、手に入るのは一時限りの昂揚だけだ。ガキじゃあるまいし、程度の低い娯楽は卒業しろよ」

 

「ふむ。では中途で矛を納め、この語らいの場を設けた甲斐とは、もしや今の言葉のみだとでも?」

 

「応よ。重ねて言うぜ。お前にとってはこれこそが貴重なものだ。

 言葉で重要なのは内容じゃない。魂を揺さぶるに足る、言霊に宿った説得力だ。たとえ言ってることが同じでもくだらん奴なら響かんし、そんな言葉に人を変える力は無い。

 ましてや俺やお前のような極まってる奴にとって、対等の価値観なんてほとんど無い。有象無象の雑魚が何を言おうが聞き入れる気にならねえだろう。

 まともに話が出来る機会が少ないから、成長だって限られる。地を這う連中のように気付き、悟って己を改善するってことが出来ねえんだよ」

 

 カイホスルーがそう言えるのは、彼自身もまた長らく自らの喪失に気付けなかったからだろう。

 気付けた者ならば何人かいた。彼が愛した美姫たち。決して付き合いが長いとは言えない姫であっても、龍と近く接することで彼の欲望の源泉に気付くことが出来た。

 それでも凶戦士の指摘を受けるまで、カイホスルーがそれに気付けなかったのは、彼が神格という究極にして孤高の存在であるためだろう。

 

 諫言こそ真の忠臣の証。裏を返すなら、上位の者への進言とはそれほどに難しい。

 ましてやその差が人と神ともなれば、難易度は想像を絶する。大抵が畏れ、萎縮し、まともな会話などまず成り立たない。

 カイホスルーが尊ぶ女たちも、彼自身が呼ぶように財宝としての愛で方だ。金銀財宝を相手に人生相談を持ちかける者はいないだろう。

 

 対等に向き合える者が限られる。これはラインハルトにとっても苦悩の根源だ。

 飽いている。全力を出したい。彼が抱いた渇望の大半は、同格(それ)さえあれば解消できるものだった。

 

「……部下たち含め、多くの者が私のことを全能者のように見る。()()()()()()()

 

 カイホスルーの言葉を聞き届けて、自らを反芻しながらラインハルトが言う。

 

「私が知っているのは、己が破壊者だという自覚のみだ。

 未来など見えん。先のことなど分からん。総てを意のままに、などと見えているなら我が業の深さ故だ。

 あらゆるものが色褪せて見えた。既知感という牢獄に囚われ、新鮮と呼べる体験がない。あるいは賢者の有り様かもしれんが、そんな在り方は愚者にも劣る」

 

 それは呪い。神と呼ばれる存在に見入られたが故の盟約。

 黄金の獣こそ水銀の蛇を殺す者。そう在るべくして生まれたのだから、自覚したならそのようにしか生きられない。

 

「かつての私は、そんな中でも人との折り合いを付けていた。不感という処世術、自ら愚者の皮を被ることで真実に気づかないふりをして。

 言わば、私なりに世界を護ろうとしていた。己もまた現実に生きる一介の人として。人間賛歌の意味も知らずしてな」

 

 仮に、水銀と出遭うことなく人生を送っていたなら、ラインハルト・ハイドリヒという人間はどうなっただろう。

 歓びも、悲しみでさえ、およそ感情の熱など知らぬままに過ごしていた身だ。人間としてその生を終えることが果たして幸いだと言えるかどうか。

 彼は回帰の輪を廻す楔。故に彼だけは絶対に道筋から外れない。よってこんな想像は詮無いことなのだろうが――――

 

「カールと出逢う前と後では、私は別人なのだろう。私からはあの頃の自分がつまらない男に映るし、向こうから私は狂人と見えるだろう。

 それでいい。今さら元には戻れんし、戻りたいとも思わん。私自身、こうなった私のことが決して嫌いではないのだ」

 

 明確な答えとは言えまい。

 あるいは単に、自分を振り返っただけとも言える。

 それでも無益だとは感じていない。言われた事の内容よりも、カイホスルーの言霊は確かに不感であったこの胸に響いていたから。

 大いなる悟りが見つかりそうな予感がする。未だ明確なカタチは視えずとも、高鳴る予兆をラインハルトは感じていた。

 

「忠言、受け取ろう。全知ならざる我が身には学ぶべきも多かろう。

 然るに、卿の求めるところを訊きたいな。この泡沫の舞台に、不変の欲望を懐くという魔王殿は何を為す?」

 

「知れたことだ。俺は俺の欲望のみに従う。理屈で語ることじゃねえんだよ。

 分かり易く言ってやろうか?そう、つまり()()()()()()()()()()()()

 

 皮肉めいた龍の言葉が、いったいどのように響いたのか。

 ラインハルトは笑った。おかしくて堪らないと、この未知を愉しんで。

 

「さあ、言ったようにこいつは“貸し”だ。野郎にタダでくれてやるものは無い。貸した分はきっちりと返してもらおうか」

 

「ああ。ふふ、無論だとも。こんなに愉快なことはない。言わずともこちらから礼の品を差し上げたいほどだ。

 だが、言うように私はつまらない男でね。果たして卿の欲望に見合う対価を、私の所持するもので叶えられるかどうか」

 

 ラインハルトから眼を外し、カイホスルーは後ろを振り返った。

 そこにいるのは憂いの色を浮かべているリザ。深く、魂の芯にまで塗り込まれた色は容易には消せない。

 だからこそ、憂いが晴れたその先に現れるものが欲しい。自身に生じたこの欲望に従うことを、カイホスルーは躊躇わなかった。

 

「俺の女の願いを叶えてやれ。俺がお前に求めるものはそれだけだ」

 

 

 

「腐れ縁との再会が、まさかこんな形になるとはな。流石に予想していなかったよ、ブレンナー」

 

 彼女たちの関係を、いったいどこから語るべきだろう。

 始まりである学生時代。最初の切っ掛けは既にどちらも覚えていまい。

 何かにつけては争ってきた。勉学、運動、果ては起床時間の遅速が高じて数日間眠らないといった意地の張り合いまで。

 互いに譲歩すればいいだけだろうに。少なくとも他の相手なら、どちらもここまでムキにはなっていない。互いが互いを意識してしまうと駄目なのだ。

 とにかく引かない。引けない。理性より感情が働き出す。道理以上の対抗心で無理を通して、気付けば呆れ果てる結果となり、その繰り返しだ。

 

 ある意味で、奇跡の関係だと言ってもいいのかもしれない。

 こんなにも互いを意識して、競い合いながら切れない縁なんて他にはないだろうから。

 

「いや実際、驚いているよ。大したものだ。複雑怪奇で理不尽、正否も計れん狂った代物と断じていたが、ここまでやれたのならその価値を認めねばなるまい。

 随分と手厚い寵愛を授かっているようだな。さぞや居心地の良いことだろう。強い男に抱かれて、己はそんな男の添え物のように楚々と控える。まさしく貴様が言っていた女の役割そのままではないか。

 男には名を与え、女がその実を取る。ハイドリヒ卿がお許しになった以上、私から貴様を誅することはない。いよいよもって都合の良い男に擦り寄ったようだな。

 まったく認める他あるまいよ。巧みな手管で状況を利用して、貴様は成果を獲得した。歴史に名を連ねる美姫の如く、女の戦場とやらで」

 

 そして、現在。

 彼女たちを取り巻くものは一変した。もはや個人同士の意地の張り合いでは済まされない。

 魔人となった彼女たちが感情をぶつけ合えば、比喩ではなく戦術兵器の撃ち合いにも等しい。

 それでも尚、エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグとリザ・ブレンナーの関係は変わっていなかった。互いが目を合わせれば感情を剥き出しにして衝突する。

 

「エレオノーレ……」

 

「どうした?もっと勝ち誇れよ。これが貴様の選んだ“勝利”なのだろうが。

 リザ・ブレンナーともあろう女が、何をしおらしくしている。いつもの厚顔無恥ぶりは何処に消えた?」

 

 エレオノーレは何も変わってはいない。

 だからこそ、この場でおかしいのはリザ・ブレンナーの方だった。

 ここまでの痛烈な皮肉を言われて、何も返さないなどあり得ない。気迫は及ばずとも鋭い弁舌で切り返しているはずだった。

 

「エレオノーレ。貴女は、この世界のことを……?」

 

「知っているさ。ああ、それがどうした?

 この身はハイドリヒ卿に捧げた剣。それこそ我が不変の真実だ。

 我が主が馳せ参じろと言う。それ以外の理由など私には必要ない。ならば迷う道理もあるまい」

 

 エレオノーレの忠義は不変。そんなことはリザも重々承知している。

 そこについても言いたいことは山ほどあったが、いま問題なのはそこでもない。

 心の中に澱みがある。反論を口にしようとすると、その澱みが蠢いて対抗する感情を縛ってくる。

 相手に対する後ろめたさ。それは偽善者であるリザにとっては骨身に染みているもの。だが、他の誰よりも理解しているはずの腐れ縁に対し、いま懐いているこの感情は何なのか。

 

「……ああ。もしや貴様、私に対し母親としての敗北感でも味わっているのか?」

 

「ッ!?」

 

 だから真実、リザが自身の心を理解したのは、エレオノーレからその心中を当てられたからだった。

 

「くだらん。それこそ貴様らしい無駄な葛藤だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。己でも不確かな事に誇りを置いたりはせん。

 遠い何処かの記憶の中で貴様が何を言われていようと、そんなものに懐く負い目など無意味だと言い捨てよう」

 

 水銀の治世ではない。宇宙の世代を跨いだ先の出来事を、この舞台の演者たちは垣間見ている。

 その形も様々で、夢うつつかもはっきりしない。ただ記憶の底から浮かび上がるように、覚えていることを思い出したような感覚に陥るのだ。

 

 その情景の中、姿も立ち位置も変わった二人は、それでもやはり衝突していた。

 力関係も入れ替わり、弱者の側に立っても相変わらずで。その時のやり取りでリザ・ブレンナーだった者は決定的な敗北を喫したような。

 細かなやり取りまでは思い出せない。それでも譲れない部分であったことは間違いなく、拭えない澱みが今のリザを縛っている。

 

「……もっとも、そう言って割り切れる女でもあるまいが。貴様は恥に頓着しない屑だが、己の恥を忘れん女だということは認めている。

 ならばいっそ、その視点からものを語ってやろうか?貴様にとっても一家言あるだろう、子の母たるについて」

 

「え――?」

 

 聞こえたその言葉を、一瞬信じることが出来なかった。

 リザの目に映るエレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグは変わらない。心を鋼としてしまった女軍人の在り方だ。

 彼女は優れた騎士で、だからこそ女としてあまりに未熟。あるべき幸せに背を向けた私たちに、そんな内容は不適格だと。

 

 そう思っている。記憶に齟齬があっても、印象の全てがひっくり返るわけではない。この舞台での彼女の名前はリザ・ブレンナーなのだから。

 

「子が親に求め、親が子に与えるべきは慈愛である、と。恐らく貴様は言うのだろう?

 まあ、それに関しては異論を差し挟むつもりはない。だが愛と一言に言っても種別がある。救いなり強さなり、授かる者を飛翔させる祈り。そして枷となり毒となる妄執だ。

 貴様や、あのクリストフなどがそうだ。子を慈しみ、慈しみ慈しんで、労わり護ってやることで愛情を注いできたつもりなのだろう。

 だが、そうやってぬるま湯に浸された子供らはどうなった?護られることしか知らんから、運命に立ち向かう術を持たなかったのではないのか?」

 

「そんなこと……!それを貴女が言うの!?」

 

「ああ、確かに我々こそが子供らの災厄の元凶だった。

 言い訳がましいことは言わん。無論、彼らには反抗と否定を口にする権利がある。そこを無視して話を進めるつもりはない。

 だがな、ブレンナー。責任の所在というなら、彼らに何らかの道を示せたのは貴様だったはずだろうが」

 

 ああ、そうだ。

 そこにはどんな言い訳も通用しない。子供を地獄に誘ったのはリザ・ブレンナーの罪だ。

 レーベンスボルンの狂気。数多の犠牲の果てに生まれたのがイザークなら、それを捨てた自分にどんな言い訳が出来るという。

 報いることなど出来ない。自分に出来るのは取り戻すことだけ。そう自戒していて、けれどその初志も今は少し違っていて。

 

「だからこそ殊更におぞましいのだよ。自らでそうなるよう仕向けておいて、自覚も持たずその手で奪う。

 その上で彼らを憐れな犠牲者だと?貴様の思考とはとことんまで見下さねば気が済まんらしい。

 そんな考えはな、相手が無力だという前提のもとに成り立っている。子供は弱い。弱いが故に護らねばならない。

 根本的に対等だと見ていない。一個の意思持つ他者であるという意識に欠けた、鏡を見つめた自愛の類いだ。いざ反抗されれば無様を晒す典型だろうに」

 

 凛として淀みなく、鋭い言霊を紡いでいくエレオノーレ。

 それは幾度となく見てきたはずの旧友の姿。しかしかつての彼女には持てなかった信念の意気に圧されて二の句を継ぐことが出来ない。

 

「触れれば砕ける硝子細工の如く、抱き締めてやることにすら恐れを抱いている。

 愛を謳うのなら、その抱擁とて全力で。真に愛するならば壊せ、だ。これが答えだよ、ブレンナー」

 

「それは、貴女のような人だからそんなことが言えるのよ!」

 

 それでもやはり、ここだけは譲れない。

 獣の愛を彷彿とさせる言葉。やはり彼女は赤騎士(ルベド)のザミエルだ。

 そこだけは頷くわけにはいかなかった。苛烈で雄々しい彼女の気性だからこそ許された道、そんなものを正道と認めてしまうことこそ何より忌諱してきたのだから。

 

「散々に言い合ってきたことでしょう。誰もがみんな、貴女のようにやれるわけじゃない。

 迷惑なのよ。貴女みたいな人が、自分を手本のようにされるのは。あなたにとっては当然でも、大半の人たちは壊れてしまう。

 確かに私は、抱いた子供たちを殺してきた。でもね、そんな苛烈な感情しかぶつけられないあなたこそ、子供を壊す毒そのものじゃない!?」

 

 目に力が戻っている。

 リザにとって、これが本来の姿なのだ。

 エレオノーレは傑物だ。人間だった頃も、魔人となった後も、凡庸な器では追い縋れない領域に彼女はいる。

 人間という枠において紛れもない最高格だろう。そんな彼女と競い合える時点で、リザとて並大抵ではない。

 リザ・ブレンナーは弱くない。強い芯を持った女性である。魔人の戦いでは活かされずとも、相手の意気に黙ったままでいるなど彼女の姿ではないのだ。

 

 ずっと競い合ってきたからこそ、本人よりも理解している。

 エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグは加減が出来ない。自覚があっても容認できない性分なのだ。

 それは彼女にとって手を抜くということだから。脆弱であり怠惰、そんな自分を誰より彼女自身が我慢ならない。

 他人にも厳しいが、何よりも己にこそ厳しい。妥協を持てない鋼の専心こそ紅蓮の烈女の骨子そのもの。

 どんな事情があろうと、それを曲げてしまえるなら彼女は彼女足り得ない。そんな試練の道を強制されて、子供に幸福な未来があるとは思えなかった。

 

「ブレンナー。その問いに対する私の……いや、母たる者の答えとは決まって一つだ」

 

 だが、そんなエレオノーレもまた、過日の姿のままではなくて。

 妥協を覚えたのではない。その心情の変化は、一人のみでは決して届かないもの。

 彼女の苛烈を知って尚、それを受け入れ付いて行くことが出来た者。育て上げた“誰か”のことを覚えているから、エレオノーレは迷わない。

 

「貴様は、()()()()()()()()

 

「っ……!?」

 

「我が抱擁に耐えられん?何を根拠にして決めつけている。

 思い上がりも甚だしい。溺愛と慈愛を履き違えたその思考こそ呪いだと知れ。

 我も人なら彼も人なり。産まれ落ちたその瞬間、子が目にする最初の他者とは親なのだから。

 時に道を違えることもあろう。譲れないが故に否応なく、だが嘆くばかりのことではない」

 

 仮に、の話ではある。

 もしもリザやヴァレリアのような立場に陥ったとして、エレオノーレならばどうするのか。

 確かなことは言えない。言ったようにエレオノーレとは関係ない赤の他人のことなのだから。

 自分の口から何かを断言するなど侮辱だと知っている。故に言葉として口にするつもりは無い。

 

 しかし、益体のない妄想だと分かっていたが。

 そんな仮に事態を想像すると、不思議と思い浮かべることが出来てしまう。

 親が子を殺す。確かにそれは悲劇だが、あり得ないことではないだろう。

 他人である以上、懐く正義は変わり得る。善と悪とで分かれるよりも、互いの善とで相争うのが人間という生き物だ。

 利害を対立させた親子が繰り広げる骨肉の争い。歴史を紐解けば確かに行われてきたことである。

 

 きっと“アレ”は泣くだろう。

 甘ったれた部分の抜けない小娘のこと、肝心なところで耐えきれず泣いてしまう。

 情けないことこの上ない醜態を晒し、恥も知らずに喚いてくるかもしれない。ああ、そういうところは怒りが沸くほど気に入らないが。

 それでも最後には、涙を振り払って立つだろう。しかと一人で立脚し、剣を手に取り向かってくるに違いない。

 

 それを信じられずして、なあ、いったい何が親子だというんだよ。

 

「子供が、親の思惑すら超えて、巣立っていく。それは親たる者の本懐ではないのか。

 親子の関係を呪縛にするな。この背中に誇りを抱かせることが親の務めだろう。

 子の存在を認めず、誇りにもなれない。これほどの毒親もそういまい」

 

 エレオノーレの言葉を、リザは押し黙って受け入れるしかなかった。

 

 誇りはおろか後悔しか残せていない。この手で抱いた誰一人、巣立たせてあげることが出来なかったのに。

 どんなことが言えるという。母たる者の最低条件すら満たせていない有り様で、母親面で何かを主張するなど烏滸がましいにもほどがある。

 結局、そこが負い目となっているのだろう。誰より母らしくないと思っていた相手が、子を育て上げ誇りとすることが出来ていた。リザにとって、それは前提が崩れるに等しいのだから。

 

 ……唯一、成し遂げた矜持があるとすれば、一人だけ。

 救い出すと決めて、魔人たちの業より逃がし果せた“あの子”だけだから。

 

「ゾーネンキントの双子の片割れ、名前はヨハンといったか」

 

「――ッ!?」

 

「そう驚くなよ。前と今とでは見えている情報も違っている。少しばかり整理して考えれば推察は容易だろう。

 生憎、見たくないからと目を閉ざし、都合の良い無自覚に耽る戯けた性根など持ち合わせていないのでね」

 

「……」

 

「報告では死んだとあったが、それは虚偽か。ああ、恐らく貴様も予想した通り、調べようとさえ思わなかったよ。係う意味もない雑事だと捉えていたのでね。

 だが、それが結果として未来に芽を結び、あの“陽だまり”へと繋がっていくわけか。そう思えば人の奇縁というのも馬鹿には出来んな。

 安心しろよ、ブレンナー。少なくともこの舞台で、貴様が逃がした血統が巻き込まれることはない。貴様の矜持が穢されることは無いわけだ」

 

 女騎士の視線が射貫いてくる。

 頑強で、止まることなく燃え盛る紅蓮。しかし同時に、女としての揺るぎない光を宿したと見える瞳。

 取り残されていると感じる。競い合っていた相手は遥か彼方に進んでしまって、自分だけが停滞したままで変われていない。

 

「一つ、訊いておこうか。貴様の中で、彼を逃がしたことは愛の証明とでもなっているのだろう。

 だがな、ブレンナーよ。貴様は、その命運以外のものを彼に与えたのか?」

 

「何を……!?」

 

「残された遺児にせめて幸あれと、その思惑とはあくまで貴様の主観だろう。

 親の心子知らず、得てしてそういった心情は伝わらんものだ。要は貴様の采配を、彼がどう受け取ったか。

 偽善者である貴様のことだ。黒円卓を穢れとし、その一切を遠ざけて関わらすまいとしたのだろう。いやそれとも、過去は全て忘れろとでも言ったか?

 いずれにしろ、貴様の采配を解放と受け取ったのか、それとも()()()()()()()()()()()()と感じたのか。それを、貴様に断言できるのか?」

 

「…………ッ!」

 

「誇りの話を先ほどしたな。それは人が己の在るべきを自覚し、世界と向き合うための骨子。

 悲惨だぞ。誇りを持たされず捨てられるのは。孤独な子供が放り出されて、もはやその生涯は想像するしかないのだろうが――――」

 

「やめなさい!」

 

 堪らない叫びと同時に、手が出ていた。

 リザにとっての唯一の矜持、それをよりによって目の前の彼女に否定されるなんて、とても感情が抑えられなかった。

 賢明とは言えない。むしろ悪手であるとはっきりしている。暴力の土俵で勝てる道理はなく、意地の張り方としても下の下だろう。

 

 渇いた音が響いた。

 防がれも躱されもしていない。見切られないはずがないただの張り手。

 リザ自身、当たったことが信じられない。感情だけで意思が込められていないものが。

 

「……今の貴様ではあまりに張り合いがない」

 

 頬を打たれたエレオノーレは、微動だにもしていなかった。

 防ぐも躱すも必要ないと、お前の意志などその程度だと言外に示している。

 それは肉体以上に、精神においてそうなのだろう。その強い瞳に圧されて、思わずリザは退がってしまう。

 

「イザークと会うのか。恥知らずが何を今さらとしか私には思えんが。

 せいぜい無様を晒さないことだ。あまり悠長にしている時間はないと思え」

 

 立ち尽くすリザを横切り、エレオノーレが歩いていく。

 腐れ縁同士のこの会話に、もはや益となるものは何も無い。

 反論の一切を拒絶する背中が、明確に彼女の意志を伝えていた。

 

「かの凶剣の御仁、風見鶏の葛藤など気にされる人ではあるまい。貴様に執心する龍王がどう言っているのか知らんが。

 いつものように状況に甘んじて決断を遅らせれば、致命的に機を逸することになるやもしれんぞ。

 夢幻とはいえ、得られた好機を活かせもせず、同じ後悔を重ねるようなら本物の愚昧だろう。もはやあらゆる意味で価値が無い」

 

 立ち去りながら言い捨てる言葉は、彼女なりのせめてもの手向けか。

 彼女らしい厳しさを伴った言葉が、残されるリザへと突き刺さり刻まれていく。

 

「もし次に会うことがあれば、その腑抜けた姿を改めていろよブレンナー。

 私は貴様が嫌いだ。いい加減このやり取りにもうんざりしているが、捨てようにも捨てられんのが腐れ縁らしいからな」

 

「……ええ。そうね」

 

 恐らくは、もう二度と再会することは無い。

 立ち去るエレオノーレの背中は戦場へと向かうそれだった。銃後を預かる者として、幾度となく見送ってきたもの。

 だからこそ分かってしまう。死地へと向かう、戻れる見込みの無い者に纏わりつく死の気配。根拠のない直感だったが外れてくれることは稀だった。

 

 再会があるとすれば、それは来世の、別の天地でのこととなるだろう。

 そのいずれかの時のために、自分は後悔と向き合わなくてはならない。そうでなくては、とても彼女と競い合うことなど出来ないから。

 

 決別を告げたエレオノーレに、リザは無言の中に決意を固めていた。

 

 

 

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