無慙無愧が巡る怒りの日   作:ヘルシーテツオ

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今年最初の投稿になります。
遅ばせながらよろしくお願いします。


第十七章『死の雷』

 

 

 諏訪原タワー。

 地方での開発都市である諏訪原市。その象徴(シンボル)として一際目立ってそびえ立つ建造物。

 もはや無人のゴーストタウンと化し、訪れる民を無くしたその場所は朽ちるのを待つばかりだろう。それでも残された人工塔は役割を果たさんと存在し続けていた。

 

 人の無い塔の下、そこにエレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグは立っていた。

 

 ただ静かに、余分なことを何一つせず、彼女は待っている。

 解放すれば一帯を一瞬で焦土に変える熱量、それを微塵も漏らさず内包しながら。

 覗けば今の静けさが信じられないだろう。出力自体もさることながら、魔操砲兵(ザミエル・ツェンタウァ)を語る上で特筆すべきは自制心にある。

 器に渦巻く魂の群れを統率し、制御している。狂気ではなく理性によって、数万単位の軍団を律しているのだ。

 

 ラインハルトの近衛たる三騎士。他二名が人の心をかなぐり捨てているのに対し、彼女だけはそこに人の心を宿している。

 甘えや弱さといった意味ではない。迷いに根差した感傷とは真逆、己を正しいと確信させる信念こそ人に限界を突破させる起爆剤。

 街のことにしてもそうだ。民間人を虐殺するような所業も、彼女の中の正義がそれを善しとしている。故にその鋼心にはヒビの一つも入っていない。

 狂気ならざる狂信。それもまた人を霊長の頂点に至らしめた強さの要因であり、道を踏み外させる業であるのだろう。

 

 佇む中で一つ、自らへと向けられている視線を感じていた。

 この地の民草は既に黄金の贄として捧げられた。常人の生存者がいるわけはなく、存在するのは必然として人を超えた神座の演者のみ。

 監視ではない。高みより俯瞰して眺めてくる視線の種別は観覧。これより始まる演目を今か今かと待ち望み、愉しんでいる。

 不快さが無いわけではない。外野気取りが板についているのか、視線の主には当事者意識が欠けている。恐らくこちらが一射でも加えれば、容易く滅びることを承知の上でやっているのだ。

 黒か白かも定かではない半端者(ナダレ)。端的に言って好かん輩であり、かといって殺意を向けるのともやはり違う。

 よって意に介さず、エレオノーレは黙殺を以て応じていた。見ているだけなら好きにしろと、意識に挟まず考慮しない。

 

 戦場へと赴くのに迷いは無い。

 死を、敗北の恐怖を疎うなど軍人に、騎士たる者にあるまじきこと。

 胸にあるのは黄金への忠義。永遠にその炎に灼かれていたいと願ったから。己にはその思いだけがあればいい。

 輪廻転生を巡ろうとも、邪神の汚濁に浸されても、決して棄てることのなかった不変の敬愛。それさえあれば何と対峙しても怯まない。

 

 よって如何なる言葉も、彼と彼女の間には不要なのだろう。

 互いに不変の在り処を知る者同士。揺れず、染まらず、貫くべき己があるのみ。

 そんな両者が対峙したなら、後は雌雄を決するのみ。やるべきことは既にどちらも分かっている。

 

 この場に訪れた者の名は、マグサリオン。

 凶戦士と赤騎士。焦熱の意志と凶念を滾らせた両者が、その戦端を開こうとしていた。

 

 

 

 

 しばらくぶりに戻ってきた堕天の巣窟は、相も変わらずの有り様だった。

 

 左に右にと目を向ければ、嫌でも映る蛮行ぶり。

 およそ犯罪と定義されるだろう悪事の数々が横行し、治安という概念自体が存在していない。

 死もなく、罰もなく、ただ欲望のままに生きることが許される世界。それはあまりにも度し難い退廃ぶりで、倫理を持つ人として許せない光景だったが、一つの楽園には違いなかった。

 彼らの欲望は夢に似ている。救い難い現実から、僅かでも逃れるために見る甘い悪夢。不況に喘ぐ戦前ドイツの混沌を知る身として馴染みの無い光景では決してない。

 神座という世界の現実。どうしようもない真実を前に、いったい誰がこの逃避を責められるだろう。

 

 人は、決して強い生き物ではないから。

 孤高なままには生きられないから他人と寄り添い、共存することで成り立っている。

 そんな人を外れて狂ってしまえれば確かに強い。けれど同時に共存という選択肢は失われてしまう。

 その果てにあるのが、狂気の想いが支配する今の世界だと思えてならない。ならいったい、どうするのが正解だといえるのだろうか。

 

「よお神剣(クイン)。そしてベアトリス・キルヒアイゼン。

 久しぶり、というほどでもねえか。自分を見つめ直す旅とやらに実りはあったか?」

 

 この楽園を築いた男、魔王カイホスルーはやはり何も変わらなくて。

 気さくに話しかけてくる様子に構えたところは無く、隣にはチャコと名乗った少女を侍らせて酒杯なんかを呷っていた。

 

 既に事態は動いているというのに、その無頓着さが信じられない。

 彼だって無関係なわけはないのに、自分で何かを動かそうという意欲がまるで見えなかった。

 呑気なのか、大物なのか、それともすごい大馬鹿なのか。きっとどれも正解で、また十分な答えとは言えないのだろう。

 彼もまた人を外れて、狂った果てに超越した強者の一角。人の常識に囚われた見識ではハイドリヒ卿のような人を理解することは決して出来ない。

 

「おっと勘違いするな。馬鹿にするつもりは毛頭ない。俺にも若い頃にはそんな時期があったもんだ。

 己の立場に懊悩し、外に答えを求めたがる可愛げがあった。足掻くように色々やったさ。思い返せばほとんど意味もないことを、延々と。

 そうしていく内に、いつかふと気付くのさ。何を思って何を悟ったつもりになったところで、この手に得られるものは何も無いと。

 結局、欲しいものを掴むなら動くしかない。匹夫の己を良しとしないなら奪ってでも成り上がる。手段は色々だろうが、本質的には俺たちもそう変わらんと思うぜ」

 

「……そうですね。きっとあなたの言う通りなんでしょう」

 

 私は強者の側にいる人間じゃない。境界の上で右往左往している半端者だ。

 何を変えることも出来ない。舞台の主演の器じゃないと自覚しても、()()()()()()

 

「単なる回り道かもしれない。無意味だったかもしれませんが、それでも無駄だったとは思いません。

 おかげで意志はもらえました。これ以上、このまま燻っているつもりはありません」

 

 私が磨いてきたのは、人々を護るための剣。

 ベアトリス・キルヒアイゼンは、道を照らす光になりたい。この祈りだけは内から生じた真実だ。

 駆け抜ける閃光となって、後に続く人たちの道を照らし、踏み外すことが無いように。人々の光で在ることが私の渇望。

 今まで、それを実践出来てきたとは言えないけど。この魂からの叫びを抑えるなんて出来ないから。

 

 ならばやっぱり、私に出来るのは祈りと共に走り出すことだけだと思うのだ。

 

「奪られた(モノ)を返してもらいに来ました。

 もう一度、私を戦場に立たせてください」

 

 本当は嫌で嫌でしょうがなかった。

 その魔業を身に宿すこと。ひどい穢れに身を浸すように感じられて、人としての良心は最後まで抵抗していた。

 結局、そんなものは弱さ故の迷いだと断じられて、私は魔人としての運命を受け入れた。あの選択が本当に正しいものだったのか、こうなった今となっては分からない。

 

 その上で、いま再び。私は力を求めよう。強者しか上がれない舞台で、演者として踊るために。

 

「ふむ」

 

 そんな私の決断を、果たしてこの魔王はどのように受け取ったのか。

 穏当に応じてくれれば、それに越したことはない。そういう展開を期待していないと言えば嘘になるけど。

 

「魅力ある女に対しては散財を惜しまない。そいつは俺の流儀なわけだが」

 

「カイホスルー。ベアトリスは――――」

 

「とりあえず、お前は黙っていな神剣(クイン)。お前の好みは俺には合わん。

 まあ、見所を感じないわけでもない。応じてやってもいいと、そう思わんわけではないんだが」

 

 こちらを射貫き、総てを見透かしてくるような、相手の眼光。

 たとえ敵意が無くても、超越者の視線はそれだけで人を殺せる。晒される圧力は砕けてしまいそうなほど凄まじい。

 彼らの如き存在に慣れることは永劫ないに違いない。黄金と水銀の双首領ともまた別種の凄みを目の前の魔王から感じていた。

 

「ルサルカは、もう逝ったぞ」

 

「!?」

 

「あれでなかなか、俺の好みな化け方をしたのでな。取り上げた聖遺物(タカラ)も返してやったよ。

 あの足の遅い女が先を行き、誰よりも速く駆け抜けるはずのお前が、こうして出遅れている。

 これで同じ額をつけてしまえば、あいつの価値に対する侮辱だし、俺の目利きにもケチをつけることになる」

 

「……穏便に返してくれるつもりはないと?」

 

「そうなる。あまりセコイ真似はしたくねえが、すんなりと行き過ぎるのも淡泊だろう。

 あと一つくらい、小気味よい啖呵が聞いてみたいもんだ。縋るアテが俺の慈悲だけなら拍子抜けだぜ?

 お前もまた、いい女であると思っている。これはそんな期待の表れだと思ってくれ」

 

 意地悪く訊いてくる相手に、私は穏当な展開は無理だと悟った。

 そこに忸怩たる思い、というほどのものは感じていない。むしろこうなって然るべきだと納得の思いが強かった。

 

 正直なところ、虫がよすぎるとは思っていた。

 心を決めて、それで何かを掴めるのなら苦労はない。

 決断は、明日へ踏み出す理由であってそれ以上のものじゃない。そうあるべきだと思っている。

 想いの強さを証明するのは、決めた道を折れずに渡り切れるかどうか。言葉ばかりで行動が伴わなければ何もしていないのと同じだろう。

 

 ルサルカのことは、正直言って意外だった。

 同胞ではあるけれど、はっきり言って好ましい相手じゃない。いや、そもそも黒円卓に、私が好ましいと思える人は皆無に近いのだけど。

 何事もふざけているようで、その実は老獪で、どれだけ歳を取っても手玉に取られているという苦手意識が消えなかった。

 だからこそ、彼女が逝ったという話は素直に驚いている。老獪だけど、その分余計なものに囚われて、大切なものを見失っているように見えたから。

 

 もしも彼女が、忘れていた本懐に辿り着けたのなら、そこにはあの凶戦士がいたのだろう。

 私たちが見失い、掴むことが出来なかった真実を、殺意と共に叩きつけてくる彼がいたから。この世界に刹那の輝きを刻むことが出来たのだろうか。

 

「話を通して、それで頷いてもらえたらそれが一番だって、私も思ってはいましたよ。

 けど、正直に言えば信じてもいなかったんですよ。私の考えで、そんな風に物事が順調に進んだことなんてありませんでしたから」

 

 あのルサルカだって決断したんだ。

 これ以上迷っていられない。指摘の通り、本来なら私こそ誰よりも先駆けるべきなんだから。

 考えたって、水銀卿や聖餐杯の真似事なんて出来やしない。そういう自分の至らなさは“生前”で散々に思い知っている。

 結局、私って人間が輝けるのは、剣を携えて戦場を駆け抜ける時だった。私もまた、立派な戦鬼の一匹に違いない。

 

「ほう。つまり俺から“こいつ”を奪い獲ろうっていうのか?なかなか面白いが、はっきり言って無謀だぜ」

 

 山と積み上げた財宝の中から、一際煌めく“剣”を抜き出して魔王は言ってくる。

 見間違えるはずがない。私の愛剣の『戦雷の聖剣(スルーズ・ワルキューレ)』だ。エイヴィヒカイトの媒介という以上に、私にとっては命とも同等の誇りそのもの。

 無謀だという指摘は、まったくもってその通り。格上云々以前に、今の私には武器が無い。戦うための力も無しにどうにか出来る相手じゃない。

 いくら私が向こう見ずの馬鹿娘でも、意地だけで挑むほどの思考放棄はしていない。浅知恵なりに勝算を見出す努力をしなければ始まらないだろう。

 

「はい。ですから、あなたにも一定の譲歩をお願いしたい」

 

「おいおい、これから戦おうって相手にかよ。正気か、お前?」

 

「勿論、普通だったらこんな提案、正気じゃありませんよ。

 ですが、あなたは普通じゃないでしょう。堅実なだけの展開より、どのように興が乗るかを欲望の魔王様は重視している。

 ()()()()私を相手に、遊びも無しだなんて主義に反するのではないですか?」

 

「なかなか大胆だな。嫌いじゃないぜ、そういう強かさは。

 つまりは俺を愉しませるという提案か。まあ受けてやってもいいんだが、それでもひらきが過ぎていると思うが?」

 

 聖剣を手放す様子はない。流石に口先一つで返してもらうのは虫が良すぎた。

 ある程度の手加減はしてもらえるだろう。しかし、せめて勝負の形に持っていくまでは私の手で行う必要がある。

 土台、今のままでは蟻と獅子の戦いだ。どんなに譲歩してもらえたところで、こちらにも武器が無ければ何も出来ないのは変わらない。

 

 武器が要る。聖剣にも劣らない――いえ、それ以上に強力な武器が。

 

「都合の良いように誤魔化そうとはしませんよ。

 ええ。いつまでも幻想に縋ってはいられない。自分自身の真実から目を背けるのは終わりにします」

 

 向き合わなければいけないものがある。

 力は初めからそこにあった。手を伸ばせば、それこそ何時だって届いたはず。

 それをしなかったのは、私自身の恐怖に他ならない。真実から目を背けて、それで何を唱えたところで芯など宿るわけもなかった。

 

 ここでこうしている私は、()()()()()()()()

 この舞台、真の黄金錬成が行われた西暦2006年に、ベアトリス・キルヒアイゼンは“死んでいた”。

 舞台上の都合か、いずれにしろ私にとっては望外の幸運だったに違いない。本当の私は光を謳うなんて到底できない有り様で、見るも無残な敗者に過ぎなかったんだから。

 

 告白すれば、今だって恐ろしい。

 あの有り様は悍ましくて、想像しただけで怖気が走る。

 追い求めている上官にはとても見せられない姿だった。威勢のいい言葉なんて出てこない。

 

 だけど、そんな私と引き換えに、辛苦の中にずっと囚われている人がいる。

 

「ごめんなさい。ずっと放っておいてしまって。

 私じゃあ、やれる事があまりにも限られていて。あなたを救う手段が見つけられなかった」

 

 魔王が座る玉座の奥、その先で控えている人に目を移した。

 物を言わない石像のように鎮座して、屍肉で構成された巨漢がそこにいる。

 黒円卓第二位トバルカイン。魔人たちの中でも最もいたたまれない宿業を背負わされた席次。

 あの子たちにどんな罪がある。どうしてあの子たちがこんな業を負わなきゃならない。胸に沸いた義憤が、私をあの聖夜の戦争へと駆り立てた。

 

 あの選択が間違いだったと、今もって思いたくはない。

 それでも敗北したことはどうしようもない事実だ。総てが謀りだったと気付いた時にはもう遅くて、彼と一緒にトバルカインの業を負うことしか出来なかった。

 

「だからもう逃げないわ。トバルカインと呼ばれるべきなのはあなただけじゃない。

 偽槍の業も、あなたと一緒に背負うわ、“戒”!」

 

 幻想が剥がれ落ちる音がする。

 清廉な騎士という虚構。三代までという“不完全”さも取り払われて、本来の“四代目”へと還っていく。

 

 狙い定めた“槍”の呪い。その坩堝の底へと私は落ちていった。

 

 

 

 『偽槍・黒円卓の聖槍(ヴェヴェルスブルグ・ロンギヌス)

 ラインハルトの聖槍を模して造られたその槍は、櫻井の一族を狙い撃つ。

 人の手で、神造に迫った複製品。人の領分を超えて達成された完成度は、同時に人間であるが故の不完全さを露呈させ、真打ちの性質を歪めた形で備えるに至った。

 

 それは即ち、死を超えて戦い続ける不死英雄(エインフェリア)の作成。

 偽槍を手にした者はその肉体と魂を喰われ、生ける死者(トバルカイン)となって未来永劫戦い続ける。

 たとえその肉体が朽ちて、魂が枯れ果ててしまったとしても、関係ない。偽槍が存在し続ける限り、戦鬼の闘争に終わりは来ない。

 損なわれたのなら、足していけば良い。新しい生贄を、そうやって付け足していく度に、戦鬼は巨大に、強大になっていく。

 矮小に歪んだ修羅道(グラズヘイム)だ。使用者の観点からすれば著しく危険が伴う欠陥品でしかないだろう。

 それでも凶悪さと強大さにかけては疑いの余地はない。偽槍が修羅の道を追い求める限り、その宿業から逃れることは出来ない。

 

 故に、そんな代物を鋳造してしまった櫻井の一族は、呪いからの解放を悲願としてきた。

 一代目の武蔵。二代目の鈴。偽槍の呪いを忌諱し、運命から逃れようとして、そして叶わなかった者たち。

 そして三代目と、四代目が戦鬼の名を襲名したのは、ほぼ同時期。生贄の名前は櫻井戒と、ベアトリス・キルヒアイゼン。

 取り込まれた三代目が、ベアトリスを討ったことで彼女を四代目として取り込んだ。本来、それはあり得ない事象だったが、結ばれた縁が不可能を覆す。

 愛という絆によって繋がった伴侶。血筋の繋がりは無くとも、惹かれ合う双方向の引力が魂を縛り上げた。

 

 そうだ。三代目がいるならば、四代目もいなければおかしい。

 その真実を偽槍は思い出した。思い出したなら、呪いは即座に動き出す。その身体、その魂を喰らうために。

 継承と転嫁。かつては違うものであったかもしれない想いは、既に贄を逃がすまいとするだけの妄執に成り果てていた。

 

War es so schmählich(私が犯した罪は),」

 

ihm innig vertraut-trotzt(心からの信頼において) ich deinem Gebot(あなたの命に反したこと).」

 

 祈りの詠唱が始まる。導きの光になると誓った、清廉なる騎士の想い。

 しかし、耳にしている者たちは気付くだろう。その声が徐々に澱み、人ならざる異音へと変じていくのを。

 

Wohl taugte dir nicht die tör'ge Maid,(私は愚かで あなたのお役に立てなかった)

 

Auf dein Gebot entbrenne ein Feuer;(だからあなたの炎で包んでほしい)

 

 濁っている。穢れていくのだ。

 声帯が腐っていく。聞く者の正気を削っていくような音は、その存在が不浄であることの証明だ。

 憤怒と妄執に囚われた鬼の哭き声。元の祈りがどんなに清らかでも、こうなってしまえば輝きは失われたも同然だった。

 

 いったいその姿の何処に、導きの要素がある?人を惹きつけるのが美しさなら、醜さとは人の憧れを遠ざけるのだ。

 

Wer meines Speeres Spitze furchtet(我が槍を恐れるならば), durchschreite das feuer nie!(この炎を越すこと許さぬ)

 

 こんな有り様となってこの祈りを口にする事自体、ベアトリスには耐え難い恥辱だ。

 真に祈りを捧げるべき“上官”にだけは、こんな醜悪な様を見せたくはない。それは彼女にとって死にも勝るほどの苦痛だろう。

 それでもベアトリスは自ら恥辱の汚泥に進んでいく。呪いに蝕まれていこうとも、決意の光だけは手放すまいとして。

 

 対する偽槍の欲するところは単純だ。

 一度喰らった(あじ)を覚えている。狙いを付けた相手なら、呪いは何処までだって追い続ける。

 お前も俺たちと同じになれ、と。穢れそのものに成り果てた想いは、故にこそ都合の良い足抜けなど許さない。

 

 己を侵食してくる偽槍の呪いと鬩ぎ合いながら、ベアトリスは詠唱を完成させる。

 

Briah(創造)――――Donner Totentanz Walküre(雷速剣舞・戦姫変生)

 

 降り立ったのは稲妻を纏う屍兵。

 煌めく閃光ではない。禍々しい呪詛の色に染まった“死の雷(デス・インドラ)”。

 天雷の化身となった屍鬼が、巨大な鉄塊の如き偽槍を振りかざして疾駆した。

 

 

 

 骸の巨体が疾駆する。

 鈍重そうな見た目に反し、その速度は人智を超越したもの。

 自己を雷化するベアトリスの創造。武器が変わっても異能の鋭さには些かの衰えもなし。怨嗟の咆哮を轟かせながら、巨兵の猛撃が玉座のカイホスルーへと繰り出される。

 

 傍らの女を逃がし、打ち下ろされた巨撃を受け止めたのは、魔王の手に握られた聖剣の煌めきだった。

 

 『戦雷の聖剣(スルーズ・ワルキューレ)』。

 清廉なる女騎士の手にあるべきその剣は今、欲望の権化たる龍王の手に握られている。

 担い手の性は真逆なれど、刃の鋭さは変わらない。巨塊の圧力を真っ向から弾き返し、細身ながらも強度の程を示していた。

 

 しかしベアトリス、いいやトバルカインもまた然るもの。

 力による真っ向勝負を制された形だが、元より偽槍の戦鬼は力のみに依った木偶に非ず。

 雷へと変じたその速度は文字通りの雷速だ。そこに不死の骸としての剛力と強靭さが加わり、落雷を操れば近遠距離の全域で届かない間合いは無い。

 特異な現象は必要ない。穴の無い純粋な強さこそがトバルカインの真骨頂だ。その戦闘力は地上に残留した黒円卓の面子でも最強格と認められている。

 

 だがそれを踏まえた上でも、展開されている光景はあり得ないはずのものだった。

 

 目まぐるしく入れ替わる攻守。

 常人の目では捉え切るなど到底できない。ただ凄まじく、華々しい激突として映っているだけだ。

 周囲からは割れんばかりの歓声が沸き起こっている。大ステージは死闘の舞台となり、死を忘れた衆愚は巻き込まれることも厭わず超常の光景に酔い痴れていた。

 

 だがそれこそあり得ない。

 ラインハルトとも互角の決戦を演じてみせたカイホスルー。

 その強さは、こちらの法則に照らし合わせればメトシェラ級はあるだろう。

 天を巻く龍としての星体でこそ無いが、だからといって実力が大きく劣るといったことはない。単純な膂力や頑強さこそ下がるだろうが、意志や権能などはむしろ向上するのだ。

 つまりは一長一短であり、いずれにせよ神格という強大さに変わりはない。如何にトバルカインといえど、本来なら強さの次元が異なる相手であるはず。

 

 不可解な光景のカラクリは、カイホスルーという男自身の性質にあった。

 

 不変の欲望を抱く男にとって、闘争とは勝利を競うものではない。

 血を流して勝利を得ても、代わる褒賞が無ければただの散財。栄光やら誉れやら、餓龍にとっては塵芥にも等しい。

 蹂躙するくらいならそもそも戦い自体が不要となる。己の宝をいたずらに傷つける行為であり、カイホスルーに言わせれば“無駄な消費”だ。

 得るべき価値があればこそ血を流す甲斐もある。そのためならば“譲歩”するのもわけないことだ。

 

 闘争を演じるカイホスルーの面貌は、右半面を仮面で被われていた。

 『蒼褪めた死面(パッリダ・モルス)』。奪い取った聖遺物の中でも、現在ではカイホスルーの力の主格を担っている。

 その仮面の左反面の片割れをトバルカインが被っている。この意味を解き明かすなら、カイホスルーの力の半分はトバルカインにあるということ。

 互角の戦いを演じられるのも当然だった。他ならぬカイホスルーがそうなるように仕向けている。財宝(チカラ)を分け与え、自ら勝負の土俵に上がっているのだ。

 他人から見れば馬鹿の所業と映るだろう。だがそんな馬鹿を極めた先にこそカイホスルーの王道がある。小賢しい理屈など知ったことではないと、望むままに馬鹿をやらかすのがカイホスルーだ。

 

 そしてその土俵の上では、優位に立つのはトバルカインだった。

 圧倒的な膂力と、雷に変じた速度。シンプル故に穴が無い屍兵の強さが、龍の王を翻弄している。

 対応こそ出来ているが、逆に言えばそれ以上が出来ていない。攻めに転じることが出来ないのなら防戦一方となるのが必定。

 その構図は純粋な強さ故でもあるのだろうが、それを踏まえても今のカイホスルーは精彩を欠いている。常人では判別できない領域であるが、その動きに不和とも呼べる違和感があった。

 技のキレはまぎれもなく一級品。だがその先に飛び抜けたものが無い。定形の域に留まっていると映るのだ。

 

 それは恐らく得物の問題だろう。

 現在、カイホスルーが振るう聖剣は、彼本来の得物ではない。

 名剣、業物云々の問題を置いても、長剣という武器種自体が手馴れたものではないのだ。

 それでも並の使い手ならば圧倒できる実力はある。しかしこの領域の戦いでは、その僅かな差違が勝負の趨勢まで左右する。

 

 対し、トバルカインの方にそういった不和は見られない。

 振るわれる巨剣の冴えは一級を超える超一級。本来の“彼女”からはかけ離れた異形の剣技だが、今はこれこそが最適解だ。

 トバルカインと化した今、体格から何までが違っている。元のカタチから更新されているのが道理であり、異形の身には異形の技こそ相応しい。

 

 何よりも、今の彼女には“理性”があった。

 本来の舞台におけるトバルカインとは、年月の経過により朽ち果てつつある無残な屍体。リザの操作がなければ数刻と保たず亡びる運命(さだめ)だ。

 しかしこの舞台に立つトバルカインには、カイホスルーの理によって失われない命がある。溢れんばかりの生命の息吹を吹き込まれた屍体には、あり得なかった活力が漲っていた。

 もはや崩壊していく我が身を省みる必要はない。許されなかった全霊を振るえる機会を得て、最強の戦鬼は本領を発揮している。

 

 されど、遺憾なく強さを示す戦鬼だが、それは彼女にとっての幸いを意味しない。

 なまじ理性があるから味わう羽目になる。屍肉の集合である我が身のおぞましさを。

 まともに機能する感覚など残っていない。四肢がもげて胴を両断されても活動可能な身体には、通常の痛みとは別種の苦痛があった。

 奥の芯から腐っていくような感触がある。拭うことが出来ない気持ち悪さが一挙一動を支配して、生物として耐え難い不快さだ。

 清浄な空気を吸えることのなんと贅沢なことか。こんな有り様で未来永劫を過ごさなければならないなど、死にも勝る絶望だろう。

 

 そして無論、偽槍に宿る呪いもまた、容赦なくその魂を蝕んでいる。

 黒円卓の聖遺物とは元々が魂喰らい。契約者とて例外ではなく、むしろ相性のよい魂は嬉々として喰らうべき捕食対象。

 中でも『黒円卓の聖槍(ヴェヴェルスブルグ・ロンギヌス)』は最たる例だろう。汚泥の底へと引き摺り込まんとする悪意は、常人なら一瞬だとて耐えられるものではない。

 

 それでもトバルカインは、その内に在るベアトリスは理性の手綱を握り続けている。

 気を抜けば先代たちに主導権を持っていかれる。それを断固として拒み、彼女は彼女のままで戦い抜いているのだ。

 当然、抵抗の分だけ呪いの侵食は勢いを増してくる。それを彼女は驚嘆に値する精神力で抑え込んでいた。

 

 精神力。そう、つまりは気の持ち様の違いでしかない。

 肉体の限界を超越する意志の力。不可能を覆す心の奇跡。

 それは馬鹿の論理だが、英雄たる者の正道でもあるだろう。窮地にあって意志を奮わせない輩に栄光は無い。

 些細な違いと取るか、重大な変化と取るかは受け取り方次第だろう。ベアトリスにはかつて無かった決意があり、また認識にも明白な変革が訪れている。

 誰も思い描けないのなら存在しない。逆に、具体例を知れれば常識は塗り変わる。不可能と言われた記録が、一人の達成者を皮切りに追認者が次々と現れるように。

 

 マグサリオン。

 凶念一つで総てを制した意志力の権化。

 この宇宙は、心一つで変えられるのだと、剣一本で彼は証明してきた。

 伝え聞くところによれば、彼の者が味わう生き地獄とは偽槍の呪いすら生温い。

 あらゆる苦悶を無いも同然に捩じ伏せる。彼ならば、この呪いとて逆に呑み込み支配してしまうだろう。

 

 そんな存在を知ってしまった。

 もはや偽槍は屈するのみの絶望に非ず。意志の力で如何様にも覆せる。

 であれば、立ち止まるわけにはいかないだろう。自分では無理だからと、そんな物分かりの良さは馬鹿娘には似合わない。

 ベアトリスはそれを信じ抜いている。その先にしか望んだ道が無いのなら、それこそ否応もあるまい。

 

 閃光となれる道を目指して、屍鬼の修羅道をベアトリスはひた駆けていった。

 

 

 

「ベアトリス……」

 

 自らを屍の巨兵と化して、痛ましい戦いを行うベアトリスに、私は何も言うことが出来なかった。

 

 闘いを囲った喧騒から距離を置いて、神剣(わたし)は独りそれを見ている。

 彼らのように熱狂する気にはとてもなれない。あの闘いに臨んでいるベアトリスが、どれだけの苦悩と決意を負っているのか、私には伝わっているから。

 

 虚構であるこの舞台は残酷だ。

 ここにいる私たちには確かな意志が宿っている。胸に抱いた祈りがあり、それを真実だと思う魂の熱があった。

 虚構だからと、どうして納得できるだろう。彼らはここで生きている。消費される舞台の駒でしかないとしても、確かに生きているのだ。

 今日があるなら明日がある。記憶の中には過去がある。いっそ単なる舞台装置に過ぎなかったら、こんなに悩むこともなかったろうに。

 

 マグサリオンは強い。

 誰よりも近く、彼の剣としてこの目で見てきた。

 彼は救世主で、まともな人々では倣うことなど不可能な無慚無愧をいっている。

 詳しく知るのは彼だけだけど、あれこそが神格という主役たちの条件だとすれば、いったい無辜の民たちに何が出来るというのだろう。

 

 狂気なくして大業ならず。

 本来、この舞台に存在したという水銀の蛇なる神格はそのように言ったらしい。

 なるほど。その言葉は正鵠を射ている。どこまで見抜けていたかは不明だけど、この神座という舞台の本質といっていい。

 だからこそベアトリスも狂おうとしている。あらゆる災厄を引き受けて、閉塞を打ち砕く人々の希望たらんとして。

 

 ああ、だから、ベアトリスの進もうとしている道を否定できるはずがない。

 その正義は義者(アシャワン)が信じたもの。善なる祈りを知る者として、その価値を伝えていきたいと願っている。

 だからこうして見届けようとしている。そう決めたことなのに。

 

「……あなたは、それでいいのですか?」

 

 その姿の傷ましさに、思わず私はそのように呟いていた。

 

 

 

 

 剣戟は続く。

 剣風巻いて迅雷轟かせるそれは吹き荒れる嵐とも形容できる。

 めまぐるしい剣と剣の攻防は、しかしその趨勢をゆっくりとだが一方の側へと傾きつつあった。

 

 不死身の戦鬼トバルカイン。

 その勢いは留まることを知らない。雷速を伴った剛撃が矢継ぎ早に繰り出される。

 技を持たない狂乱の剣ではない。元よりベアトリスの剣とは流麗なる柔の剣だ。

 力で押し切るなど本来の姿ではない。理性を手放さず主体となっているトバルカインには、そんな本来の鋭さが宿っている。

 

 対して、カイホスルーの剣にはそれに勝るだけの冴えは無い。

 凌ぎ切ることこそ出来ているが、それだけだ。そして捌き切れない傷は確実に刻まれている。

 剣の土俵で互角に打ち合えば、カイホスルーはトバルカインに劣っている。現状はその事実を明確に示していた。

 

 では、トバルカインは勝利に近づき、龍王を追い詰めているのか――――否。

 

 純粋な戦技の優劣ではなるほど、屍の戦鬼が優れているのだろう。

 だが、目にしている者は気付けてしまう。そのような事実を前にも、カイホスルーは一向に圧されていない。

 勝負が劣勢にあるのなら、それは振る舞いにも顕れる。焦燥、怒りといった心の内の余裕の無さが表出するのだ。

 然るに、カイホスルーは何一つ変わらない。剣で劣り、傷を負おうとも、龍王には何ら取り乱す事態とは成り得ないから。

 

「こんなものかよ」

 

 呟かれた一言には、明らかな失望があった。

 元より彼は君臨する王である。戦場での働きなど王たる者の真価に非ず。

 この程度の善戦はむしろ当然のものだろう。王の刃となるべき戦士が、戦いで遅れを取るようでは財宝と認める価値もない。

 示した強さには労いをかけてもよい。そうしないのはカイホスルーが求めた価値が、単なる剣の鋭さだけではなかったから。

 

「何をするかと思えばマグサリオンの真似事かよ」

 

 龍の威圧が、空間を塗り替えていく。

 傍目の趨勢は変わらない。だが内実には決定的な変化が訪れていた。

 力や速さ、剣技の冴え。どれとも違う。そんな上辺の強さよりも深い所、器そのものの広大さで呑み込みにかかっている。

 

 気付けば、巨剣も精彩を欠いていた。

 あれほどの脅威を見せていた強さの悉くが、その輝きを喪失している。

 対し、カイホスルーの輝きは加速度的に増していく。剣閃は速く鋭く、気付けば勝負の趨勢は傾いて、圧倒的な構図へと変じていた。

 戒律によってもたらされる異能。散財と引き換えに価値ある財宝を奪い盗る。己の全霊を消費すればするほどにカイホスルーの蓄財は増していく。

 

 技にあった違和感も、いつの間にか払拭されている。

 女騎士のための愛剣は、今や龍王の手によって振るわれるのに何の不足も無い。

 カイホスルーの定義する財宝とは物欲のものばかりに非ず。優れた技術とて人の欲が生んだ宝なれば、奪うことに何の不都合があるだろう。

 

 これに限らず、恐らくはカイホスルーが振るう技に、真っ当な鍛練の末に会得した技など一つもあるまい。

 戦働きなどに誇りは持たない。己の器で総てを呑み込むと豪語する盗賊の王。戦う術に磨きをかけるなど、彼にしてみれば時間という財産の無益な浪費でしかない。

 他者の宝を奪うのに一切の呵責を持たない。いやむしろ、真にその価値を知る己に所有されてこそ幸福だと、餓龍の傲慢は言い放っているのだ。

 

 なまじ同等の勝負の土俵に上がったが故に、互いの格差を思い知らされる形となった。

 所詮は一介の戦士に過ぎない身が、王者に敵う道理はないと。意地で一矢報いることはあっても、総体を滅ぼすことは出来ないのだ。

 

「勘違いしてやがるんだ、ボンクラどもは。

 努力だ研鑽だの、与えられた筋道に従い、辛苦を重ねりゃ報いはあると思っている。

 頑張れば何とかなる。そんなノリを無邪気に、阿呆にも信じていやがる」

 

 それは不義者として、義者の価値観に対しての物言いか。

 いいや、違う。龍の視点は善悪を超越したあまねく“みんな”に向けられている。

 白も黒も変わらない。全を尊ぼうが個を重んじようが、どちらも余人の決めた定型の枠に嵌まっているのは同様だから。

 

「総じて戯れ言だ。根本からの心得違いをしてやがる。

 人の欲に指標なんてねえ。定まった枠の中に収まろうが、それでも噴き出し溢れるのが欲望だ。たとえ約束された幸福があろうと満足出来ない奴が必ず出てくる。

 そういう奴らは考える。どうやったら出し抜けるのか。宝を我が物に出来るかとな。力の強弱も知ったことじゃねえ。そんな関係なんぞ覆してでも欲しがり止まない熱がある。

 苦労云々はどうでもいい。要は己の欲望に忠実にあれたかどうかだ」

 

 元は一介の義者だったという背景を持つカイホスルーである。 

 転墜を経験し、不義者となって成り上がり、果てに星霊すら呑み込んでその座を簒奪した。

 格上との戦いも慣れたもの。むしろ挑戦者の立場こそカイホスルーの真骨頂だ。一時の強弱など考慮にも値しない。

 ならばこそ、今のトバルカインに対する圧倒ぶりも当然なのだろう。実力以上に、求めた願いを掴み取らんとする意志力で、ベアトリスはカイホスルーに大きく劣っている。

 

 もしも、これが凶戦士ならば。

 易々とは奪われまい。いいや、奪われたとて唯々諾々と従いはしないだろう。

 英雄の正道といったところで、無理を通そうという時点で凶戦士の後追いなのは否定できない。方向性が同じなら、結局は強度如何の話となる。

 あの凶念と同等の意志力が無ければ、真似したところで極点に行き着けるわけもないだろう。

 

「後ろを向いた思いなんぞに真の欲望は宿らねえ。

 向き不向きを気にする時点で凡愚だ。たかが知れてる。ましてや極め付きの馬鹿の真似なんぞ自棄(ヤケ)にしたって過ぎている。

 これ以上無理をするな。お前の輝きまで砕けてしまう前に、大人しくこの俺に飼われてろ」

 

 龍王が剣を振るう。

 流麗な、それでいて豪快な、加減の一切を考えない死狂いの剣。

 一撃の度に全霊を消耗し、その分だけ相手から奪っている。その上で消耗それ自体も次の瞬間には無かったことにされている。

 等価交換など踏み倒し、総てを得なければ気が済まない強欲の覇道。この流れに呑み込まれれば逃れる余地なく蹂躙されるのみ。

 

 

 “────どうして”

 

 

 紫電の一閃が打ち込まれた。

 清廉な戦乙女の祈りより生じた異能(トーテンタンツ)。それもまた龍王の手の上にある。

 惜しみない出力を発揮した迅雷がトバルカインを容赦なく貫く。如何に不死身の屍兵といえど、魂まで轟いた一撃に無事で済むはずがない。

 

 

 “どうして────!?”

 

 

 屍肉の器を蹂躙されながら、ベアトリスの意識が思うのはただ一念。

 呪いすら震撼する衝撃。崩壊していく己をはっきり自覚しながら、それでも戦乙女の魂は別のところへ向いている。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 カイホスルーの言葉も馬耳東風。諦めの気持ちなんて一欠片も持っていない。

 救いたい。救うと決めた。青臭い理想であろうと、走り出したのなら迷いは無用。只管に駆け抜けるのみ。

 ベアトリス・キルヒアイゼンとは馬鹿娘だ。決して折れることのない光を有した英雄の器である。

 

 無理も無謀も、今に始まったことじゃない。

 黄金の獣を打倒する。そう口にしたベアトリスに、同胞たちは口々にこう言った。

 正気の沙汰じゃない。ラインハルト・ハイドリヒを知り、尚も叛意を口に出来るなど気が狂ったとしか思えないと。

 真正の狂人である彼らが言うのだ。獣の元に膝を屈することがどういうことか、察して余りある事実だろう。

 異常者の群れの中で正常で在り続けること。それ自体が既に異常の証明。黒円卓で只一人、ベアトリスだけは黄金に屈していなかった。

 

 ならばこそ、憤らずにはいられない。

 自分は出来得る限りの事はした。こんなに頑張ったのだから、敗北も仕方ないと。

 どれも単なる言い訳だと知っている。英雄たる道を駆けるなら、敢闘賞はあり得ない。

 ただ勝利あるのみ。さもなくば何も救えない。理不尽に思えようと、遵守しなければならない不文律。そんな鋼の掟をベアトリスは承知している。

 奇跡を起こさなければならないのだ。彼女は選ばれなかった凡夫ではない。紛れもない英雄の器なればこそ、直視すべき現実から目を逸らさない。

 心は未だ折れずとも、殻を破って飛躍することが出来ていない。込める一念を究極の領域に至らしめる何かが足りていないのだ。

 

 凶剣たる彼は言った。

 定めた目標がぶれている。必死さが足りていない。

 意志に不純が混じっているから、馬鹿であることに徹し切れていない。だからこの剣は願いに届かないのだと。

 言葉は痛烈で、残酷なまでに正鵠を射ている。救うべきものが増えたのは彼女にとっての重大な転換点。

 新しい兄妹(りゆう)が出来て、ベアトリスは生き返ったのだ。それは初志と違ったものだけど、だからといって諦めるのは違うだろう。

 要は覚悟の問題。二兎を追い、二兎共に必ずや得るのだと明確に意識すること。元より無謀な試みだった難易度は更に跳ね上がるだろうが怯まない。

 それを思えば偽槍の呪いが何するものぞ。絶望の一つや二つ、覆していかなければスタートラインにすら立てないだろう。

 

 どうか力を、勇気をください。

 深い深い闇の中を進む灯りを、この心に灯してほしい。

 そうすれば、私はきっと頑張れるから。悲しい運命を打ち砕いて、陽だまりの道に戻してみせる。

 私が必ず、あなたたちを救ってみせるから。そのためにもどうか、この青臭い理想を貫き通すための強さをください――――

 

 

 “やめてくれ。誰がそんなことを頼んだ?”

 

 

 魂に懸けた誓いを胸に駆け抜ける、その時に。

 制止する声があった。穏やかで、されど力強く、不壊の意志を感じさせる声。

 生の肉声ではあり得ない。そんなものが聞ける状態にベアトリスはない。あり得るとしたら内側、トバルカインという器の底からという場合に限られる。

 トバルカインとは偽槍に呑まれた集合体の名称。一代目、二代目と続き、当然ながら三代目もそこにはいた。

 

“流石に見ていられない。ここから先は僕が引き受けさせてもらうよ”

 

「な――――」

 

 ベアトリスの意識が追いやられる。

 ここまで屈さず、断固として主格の手綱を握り続けたのが、いとも呆気なく。

 それほど慮外の事態だったのか。それとも押し寄せたその意志が、これまでの呪いと比して尚も強大なのか。

 

「てめえは……!?」

 

 ここに舞台の役者は入れ替わる。

 鋭敏な勘で事態を察したカイホスルーが、その真意を糾すべく睨め付けた。

 

 片割れの仮面。曝されている右半面。

 青ざめた死貌であろうとも、よもやその面影を間違えはすまい。

 壮年ではない。女でもない。その顔立ちは本来、未だ瑞々しさを残した若者のそれ。該当する名は一つしかあり得ない。

 

 櫻井戒。三代目のトバルカインが、龍王と対峙していた。

 

 




次回、声優が一人で済むバトル、始まります。
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