無慙無愧が巡る怒りの日   作:ヘルシーテツオ

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第三章『開戦』①

 

 

 

 諏訪原市にて相次ぐ連続怪死事件。

 人間の頸部を切断するという異常な犯行方法。更には数十人単位での謎の失踪。

 どれも常識の範疇を越えており、警察の捜査も難航している。そして解決に至ることは、恐らく永遠にないだろう。

 

 謎は謎のまま。

 外法による殺人を表の道理で解き明かせるはずもなく、その動機も一切不明。

 それは二重の意味で彼らの尊厳を貶めている。遺された者は納得も出来ず、奪われた命を諦める以外にない。

 所詮、お前たちは蚊帳の外だと。有象無象が入り込める席はなく、総じて舞台を廻すための糧に過ぎぬ。

 その理不尽に物申せど、それが出来るのも結局は演者の資格がある者だけ。天に坐します者の目に塵芥の姿など映らない。

 

 だからこそ、“彼”の殺人(それ)は明確に性質が異なっていた。

 

 最初の報は博物館から。

 突如として展示物の刀剣を強奪した男が、制止しようとした警備員を殺害。

 更には周囲の者たちにも無差別に襲い掛かり、その場に居合わせた全員が死亡。

 その後も凶行は止まらず、程なく館内に生きている人間はいなくなる。それでも男は止まらない。

 

 この時点でも既に史上類を見ない凶悪犯罪だろう。

 しかしここまでなら、それでもただの事件として人の道理に納められた。

 通報を受けた警察が程なく到着。どれだけ凶悪な殺人犯でも、やがて数によって制圧されるのが自明の理だ。

 御用になるのも時間の問題。こんな真似をしでかした狂人には必ず報いを受けさせる。少なくともこの時点では、それが彼らの共通認識だった。 

 

 されど、そんな考えは早々に覆されることになる。

 

「死に絶えろ蒙昧ども。これ以上痴れた言葉を垂れ流すな」

 

 圧され、撃たれて、倒されて。

 骨を砕かれ、血肉を撒き散らし、人間として斃れて然るべき損傷を負いながら、その凶行の手はまったくといっていいほど止まらなかった。

 

 意味の分からない罵詈雑言、されど込められた負の感情だけは明瞭すぎて、向けられた者たちは理解せざるを得ない。

 憎んでいる。呪っている。世界の総てに向けるが如きの憤怒と殺意、その前では彼らの憤りなどあまりに矮小。

 まるで怨念のみを糧に駆動を続ける殺戮の怪物。方針が逮捕から射殺に変わるのに時間は掛からなかった。

 

 それは銃という武器に向けた絶対の信頼。

 引き金を引けば相手は死ぬ、そういうものだと信じている。

 それは人類全体が培ってきた真実そのもの。対人を目的とし、殺害に必要量の威力を持たされて、その成果は世界中で実証済み。

 だからこそ平穏を謳うこの国においては禁忌であり、それを解禁する以上はすべての終わりを意味している

 そのはずだというのに、目の前にある現実はそんな信頼を否定する。多数の銃口を向けられながら、一切頓着せずに剣を振りかざして襲い掛かる男。

 下される発砲命令。何十発もの銃弾を浴びせられ、絶対に死んでいなければおかしい破壊を受けて、それでも男は迫ってきた。

 一人、また一人と、斬り殺される警官たち。もはや恐怖を抑える術はなく、死に物狂いの精神は手段など選ばない。

 車両で轢いた。揮発油(ガソリン)を浴びせかけて火を放ち、火だるまと化した身体に尚も銃弾を撃ち込み続ける。

 思いつく限りの殺害方法を試みて、やはりそれでも彼は不退転。傷は傷として負いながら立って走って目を合わせてそして殺す。

 

 その凄絶な様をなんと表現するべきか。

 いっそのこと幻想の存在であれば。覆すことが出来ない厳然な実力差があったのなら、こんな風には思わなかった。

 如何なる手段にも傷を負わず、超常の暴力を振るう魔人。それも一つの恐怖ではあるだろう。しかし、それは魔人としてのルールが理不尽なのであって、もし対等な立場となれば別の印象も受けるはず。

 だがこれは違う。何が違うのか、上手く言葉には表せないが。断言して言えるのは、仮に超人の力が得られるとして、それで彼のような生き方を選ぶ者は皆無であること。

 殺しているが、それ以上に壊されている。その姿は見るのも無残でいたたまれないのに、当の本人だけがまったく微塵も省みていない。

 地獄の責め苦さえ生温い苦行。こんなものが人間であるわけがない。なのに人間のように傷つき倒れもするから、いっそう歪に映るのだ。

 

 表に生きる人間だけではない。

 世界の裏側を住処とする魔人にとっても、それは異質。

 何人の共存も許さない冥府魔道。そんな彼を無視することなど誰にも出来るはずがなかった。

 

 

 

 

「ふふ、ふふふは、はははははははははははははははははは――――ッ!」

 

 壊れた笑い声が響いている。

 その声を発する主はヴァレリア・トリファ。

 眼下の先、繰り広げられる殺戮の光景を眼にして、声高らかに大笑していた。

 

「くくく、なるほど、なるほどそういうことですか。

 これが真理と。ああなるほど得心いたしましたとも。まるで昔日のような思いですよ。

 我が謀など、所詮は匹夫の浅知恵だと。流石はハイドリヒ卿、流石は副首領閣下。御見逸れいたしました。

 まったくもって、ははは、私はなんと卑小で卑屈で凡庸であったことか!」

 

 その瞳は正気の色を宿していない。

 澄み渡るような碧眼は、遠い彼方を見据えるようで、その実まったく別の位相を見ているような。

 彼の中身は混沌で、余人にはもはや計り知れない。よって同行者は不気味に思いつつも、その意図を尋ねるより他になかった。

 

「ねえ、何がそんなにおかしいのか知らないけど、ヴァレリア?

 これだけは訊かせてちょうだい。あれは本当にツァラツゥストラなの?」

 

 そう尋ねる同行者の名は、黒円卓第十一位リザ・ブレンナー。

 表の顔はシスターだが、今は軍服に身を包んでいる。旧ドイツ軍の意匠をベースに、専用の装飾が施された黒円卓の正装。

 この街が既に戦場だと、彼女も心得ているために。そんなリザにとっても、目に映る惨状は異常であった。

 

「ええそうですよ?むしろそれ以外のなんだというのですか?

 ああいえ、勿論貴女が言いたいことは理解しているつもりです。副首領の代替というにはあまりに、と言いたいのでしょう?

 ですがね、リザ。そもそも我々程度の物差しであの方々を測れたことが一度でもありましたか?」

 

 ラインハルトとメルクリウス。黒円卓の双首領。

 かの二人を測るのに、上か下かで優劣を比べるなど愚の骨頂。

 そもそも同じ次元にいない。人間とは異なる、別領域に住まう異種族だと定義すべきだ。

 人間的な価値観で判断しても、見当外れな答えしか出てこない。少なくない時間を、彼らという存在と向きあって、ヴァレリアはそう結論づけた。

 

「無益なことですよ。あの御方たちは分からない。半世紀を経たところで、この格差は微塵も縮まってはいないのです。

 ならばこそ逆説的にこう読むことも出来る。我々の想像さえ凌駕する、これそのものが副首領閣下の手管の証明であると」

 

「でも、だとしたら何のためにあんな真似を?正直、私には狂っているようにしか見えないけど」

 

「ふむ?狂っている、つまりは理解できないと?まあそうですね。我々の感覚でいったらそうでしょう。

 ですが、私も確信をもって言えるわけではありませんが。彼の行動にはある種の合理性があるように見える。シュライバー卿のような気まぐれの暴挙ではなく、明確な行動原理に基づいたものだとね。

 察するに、これは一種の兵站攻めではないかと。言うまでもなく、このシャンバラに生きる人々の魂は黄金錬成に捧げられる贄だ。彼らの命を以て我々はスワスチカを開き、ハイドリヒ卿を現世へと帰還させる。

 そういう視点で考えた場合、あれは確かに効果的な妨害だ。ああやってスワスチカと関係ない場所で市民の命を蹴散らせば、当然生け贄としては使えない。となれば、困ったことになるのは我々でしょう」

 

「……まあ理屈には納得するけど、だとしてもあれはいくらなんでも非効率じゃないかしら?

 あんな風に個人単位で殺していくやり方じゃあ、数だってたかが知れているわ。とても儀式に支障をきたすとは思えない」

 

「ですから、私も確信があるわけではありませんよ。今の私に他人を覗き見ることは出来ませんから。

 ただね、リザ。貴女もあれを見れば分かるでしょう。彼は効率なんて考えていない。そんな打算的な思考など片隅にもないはずだ。

 狂信、執念、あの殺戮はそういうものだ。それが生み出す力を、他ならぬ我々が知らないはずがありますまい」

 

 黒円卓の魔人の力、それは各々の渇望がカタチとなった異界創造。

 望めども手が届かず、されども諦められずに手を伸ばす。折れる事のない祈りは、やがて狂気に達して現実を犯す力となる。

 自己が求めるルールによって既存を法則を塗り潰す。まともなままでは扱えない代物だ。

 

 正気にては大業ならず。

 かつて魔の薫陶を彼らに授けたメルクリウスは、そう告げた。

 

「だとしても、きっと無駄に終わるわね。メルクリウスの仕掛けは甘くない。

 住人を生贄にしないように排除する。これくらいなら表の機関でもやってやれないことはない。

 まあ実際に、この国がそこまでやるとは思わないけど。それでもメルクリウスがその可能性を考えていないとは思わないわ」

 

 核兵器のような規模の大きすぎるものでは、一緒にスワスチカまで開いてしまう。

 求められるのはもう一段規模の小さな殺戮手段。たとえば細菌や専用の重火器といった、よりミクロな殲滅を可能にする兵器だ。

 倫理や道徳、政治的問題などを度外視すれば、表社会でも可能といえる選択肢。だからこそメルクリウスの術式は破れない。

 具体的な方法など分からずとも、必ずそうなるという確信が彼らにはある。なんだったら地球規模で魔方陣を敷いていたとしても驚かない。

 

 それがメルクリウスという存在。黒円卓の双首領は彼らにとって神にも等しい絶対である。

 

「その通りでしょうね。あれしきの妨害で副首領閣下の術に支障をきたすとは思えない。それは私も同意見です。

 ですがね、リザ。たとえば、たとえばですよ。彼がもしも、あの殺戮を“全人類規模”で推し進める気だとしたらどうします?」

 

「……は?」

 

「この街だけの話じゃない。世界の総てが我々の贄と成りえるのであれば、その総てを排除する。

 誰一人の魂さえ渡さず、一切合切を無為に散らせてしまえば、流石の副首領閣下もお手上げなのではないですかね?」

 

「いえそれは、でもそんなの不可能でしょう?」

 

「ほう?それは何故?どんな理由をもって不可能などと断じるのですか?

 常々言われているように、我々には通常兵器は通じない。銃弾など蚊ほどにも感じず、どんな猛毒とて容易く分解する。そんな我々であるならば、案外やってやれないこともないと思いませんか?

 別に人類数十億人をまとめて殺せと言っているわけではない。虱潰しでいいのですよ。時間についても気にしないでよいでしょう。我々に老いの寿命は存在しないのですから。

 つまるところ、これは決意の有無。人類抹殺という途方もない目的をやり遂げると覚悟すること。そうは思いませんか?」

 

 リザ・ブレンナーは考える。果たして目の前の男は正気なのかと。

 いや、正気ではないのだろう。きっと今の姿になった時から、ヴァレリア・トリファは正気じゃない。

 だが今の彼は、そこから更に輪をかけてタガが外れているように見える。より破滅的な方向へと舵を切ったように映るのだ。

 

 眼下の先、未だに殺戮を続けるツァラトゥストラと思しき何者か。

 惨状は何も変わっていない。彼は壊され潰され砕かれて、その分だけ殺している。

 自分たちのような魔道の業もなく、何故か死なないあの出鱈目ぶりにはどんな絡繰りが仕掛けられているのか。

 いや、もしかしたら本当に絡繰りなんて無いのかもしれない。あの姿を見ていると、真実その意志一つで事を為していると信じてしまいそうになる。

 あり得ないことだと、そんな真っ当な考え方を覆すだけの何かがあるのは間違いなく、あるいはそれがヴァレリアにも影響を与えているのではと。

 

「意地の悪い訊き方でしたかね。リザ、もちろん貴女は正常だ。その捉え方はまったくもって間違いではない。人として真っ当な判断ですとも。

 発想くらいは出来たとしても、実行に移そうなどと思えるわけもない。貴女だけではない。魔人と呼ばれる我々でさえ、そんな人間的な価値観を捨てきれていないのだ。

 ですが、これがハイドリヒ卿ならば?副首領閣下ならば?あの方々ならばこんな話も、ごく自然に受け入れられると思いませんか?

 現に、世界規模の術式であろうと、副首領閣下ならばと我々はまるで疑念を抱いていない。これは善悪の問題ではなく、価値基準のスケールの違いです。

 彼は、あの方々と同じ視点で動いている。これこそ私が彼をツァラトゥストラと考える最大の理由ですよ。あの副首領閣下の代替というならば、お二方とも同等の格を備えていなければ。そんな者が何人もいるはずないでしょう」

 

 黎明の日の記憶は今も脳裏に新しい。

 忘れられるわけもない。それまでの、曲がりなりにも人間として生きていた自分たちが、破壊されたあの日のことを。

 あの日、あの場所で、あらゆる常識は意味を無くした。人が築いた道理など砂上の楼閣に過ぎず、本物の超越者が踏み抜けば容易く壊れてしまうものだと。

 善悪など考える余裕も意味もなかった。あの二人は別格であり、跪いたのはまさしく屈服というのが正しい。

 

 アレも同じだと、ヴァレリアは言う。

 性質の方向性が違えども、同じ次元に住まう存在。神の代行が務まるのもやはり神。

 確かに筋は通っている。言っている事は恐らく正しいのだろう。それでも何故か、あれがツァラトゥストラであるはずがないと、リザには思えてならなかった。

 

「とはいえ、リザ。貴女も出来る事をしておいた方がいいでしょう。ご覧の通り、我々の予測とはかけ離れた展開ではありますが、ならばこそ待ちに徹するべきではない。

 私にはハイドリヒ卿よりの下知がありますが、貴女まで付き合うこともないでしょう。ああしたものには関わらないのが貴女のスタンスでは?」

 

 それについてはまったく反論の余地もなくて苦笑した。

 リザ・ブレンナーは殺戮を嫌っている。黒円卓に席を置きながら、その気質はお人好しとも言っていい。

 しかし、ならば甘いのかといえばそんな事はまったくない。人のように懊悩してみせても、その芯では非常にドライな線引きが引かれている。

 偽善者。彼女を一言で表すのならそれだろう。良識派ぶったところで、誰かを死なせて自分の望みを叶えようとしている点では他の魔人と何ら変わりはない。

 むしろその在り方は、人によってはより醜く映るだろう。自身の悪辣さを誤魔化して、さも善人のように振舞うなど神経を逆撫ですることこの上ない。

 貴女はただ自分を慰めているだけだろうと、厳しく糾弾されたことも一度や二度ではない。それをしっかりと呑み込んだ上で、その後は涼しい顔をしているのだから面の皮の厚さは筋金入りだ。

 

 だからこそ、あんなものとは関わらない。

 前に立つなど御免被る。情けないというのなら好きに言えばいい。

 重要なのは願いを叶えること。他のどんな疑問や苦悩も、リザ・ブレンナーにとっては些末事でしかないだろうから。

 

「ええ。しかし、そう気に病むこともありますまい。貴女の意思に関わらず、こういう時の一番槍が誰なのかは昔から決まっていたでしょう」

 

 そうだ。こういう時に誰の出番かは決まっている。

 随分と嫌われてしまったけれど。リザにとっては妹のような、今も清い魂の輝きを失わないあの娘。

 自分のような偽善者とは違う。黒円卓の中で彼女だけは、本当の“正義の味方”にだってなれるはずだと信じていた。

 

 

 

 

 その日は、ほんの少しだけ特別な時間だった。

 

 普通ならば学校で授業を受けている平日。

 まずもって他の場所に縁のない時間に、街へと繰り出している。

 同じ学年の、仲の良い少年少女のグループ。不良というわけではなく、普段は真面目に学業へと励む優等生たちだ。

 だからこその反動といえる。休校となったのを利用して、羽目を外して普通ならやらない事に手を出している。非日常というには本当にささやかな特別感。

 

 とはいえ休校の理由を考えれば、その行動は不謹慎とも呼べるだろう。

 現在、諏訪原市を騒がせる連続殺人。更には集団失踪にビルの倒壊騒ぎなど、相次ぐ異常事態に学校閉鎖を決断した所も少なくない。

 しかし、そうはなっても大半の人間にとっては未だ実感の伴わない対岸の事態。当事者でない限り、真の意味での警戒など無理な話。

 まさか自分が、という意識は拭い難い。彼らにとってもそれは同じで、大人の言うことに逆らってみるスリル、普段が真面目だからこそ惹かれてしまう刺激といえた。

 

 もっとも、根が真面目な彼らのこと、冒険といっても程度は弁えている。

 外食に映画に買い物と、無難なところで済ませてしまう辺りアウトローの素質は皆無だろう。

 走るバスの中、帰り道での雑談は観てきた映画の内容について。ジャンルはアクション系。超人的な力を持った者同士が正義と悪とで分かれて戦う王道の勧善懲悪だ。

 当然、話題の中心にあがるのは正義の側だが、悪についても触れないわけではない。特に彼らの内の一人の少女にとっては悪の側こそ話に花を咲かせる対象だった。

 

 そう珍しい話でもないだろう。

 正義と対立する悪の構図。物語における必須要素であればこそ、その造形は凝ったものとなる。

 彼女にとっての好みとはそういうもので、特に惹かれるのは悪の側が持つ反骨の精神。

 基本、行動を起こすのは悪の側。計画し、実行に移す彼らには、事態に対処するだけの正義にはないエネルギーがある。

 構図として、最後には正義に倒されるのが大多数であるのはやむを得ないが。世界に鬱屈し、社会や秩序といったものに戦いを挑む姿こそ悪の魅力。

 それは正義の側では決して出来ない。日常を守るはずの正義が自ら日常を崩しては正義足り得ず、つまり正義だけでは物語に必要な変化を起こせないのだ。

 平和とは維持する方が難しいとよく言うけれど、壊す者の決断にもエネルギーが必要だ。その動機は様々だろうけど、破壊を実行に移す決意は日常を謳歌する者には持ち得ないものだから。

 

 勿論、これらの主張はあくまで物語の中だからこそ。

 フィクションであれば応援もしようが、現実にいてほしいとは思っていない。

 これも当たり前のことだろう。彼らが壊してくる日常には、自分たちだって含まれるのだから。

 あくまで観客の立場として悪役というものを愛している。要は分別がついているということで、非日常を欲していたわけでは決してなかった。

 

 

 ――――だから、その事態に直面した時、彼らもまた当たり前に無力だった。

 

 

 一瞬だけ見えた人影と共に、運転手を刺し貫いた剣の刃。

 突然の殺人に乗客たちから悲鳴があがり、入り込んできた犯人の姿を目にした途端、それはぴたりと止まっていた。

 あまりにも凄惨、全身から血が流れ、肉は削ぎ落ち、骨もへし折れている。

 どんなことがあればここまでの姿になるのか、彼らには想像も及ばない。そしてそんな有り様だというのに、弱っているという印象は皆無だった。

 見れば分かる。どれだけの傷を負おうが、アレの殺意は少しも衰えていない。こちらを睨みつける眼光の熱量が雄弁に語っている。

 走行しているバスに飛び掛かり、正面衝突しながら剣を突き立て、殺害と共に侵入を果たした。そんな非常識ぶりを目の当たりにして、しかしそれを指摘する者は皆無である。

 

 これは彼女の持論だったが、悪役とはよく笑うものだと思っている。

 法や社会の束縛から解放され、ある意味では自由を得た身だからこそ、悪は愉快痛快に振舞える。

 フィクションだけではない。たとえば巷を騒がせている殺人犯も、きっと笑っていると思っていた。

 ここまで無差別に事件を起こしておいて、未だ足取りを掴めさせない手際といい、さぞ上手くやったと自賛していることだろうと。

 自分のエゴで理不尽に人を殺しておきながら、現実にそういう犯人がいると思うとリスペクトよりも嫌悪や恐怖が先に立つ。改めてフィクション以外では関わりたくないなと思ったものだが。

 

 そんな彼女の悪人像と、この人物とはまったく一致しない。

 だってこの人は怒っている。自分たちに対して、何かを途方もなく怒っているのだ。

 その理由は不明だけど、何故か理不尽とは感じない。高すぎる感情の絶対値が疑念を差し挟むことを許さないから。

 だから奇妙なことだが、心の何処かで納得してしまった。相手と目を合わせて殺すこの人なら、少なくとも訳も分からぬまま死んでいるよりはいいと。

 そう思えたから、きっと壊れないで済んでいる。他の人たちが静かなのも多分同じ理由だろう。

 

 ああ、それでもやっぱり死ぬのは怖い。

 納得はしたけどそれはそれ。そんな簡単に覚悟なんて決められない。

 自分はこれから殺される。抗いようがないと分かるから涙が出てきた。

 

 もしもこんな時、自分たちを救ってくれるような何かがいるとしたら、それは――――

 

「控えなさい、凶賊。これ以上の狼藉は看過しません」

 

 それはまさしく、刹那の内を過ぎ去る閃光のように。

 振り上げられた剣。抵抗の意思を持てず、確実にこちらを斬殺するはずだった刃が、止められていた。

 剣を受け止めたのも同じく剣。無骨なだけの向こうと違い、素人目にも見事だと分かる輝きを備えた白の宝剣。

 まずもって見掛けることなどない真剣同士の鍔迫り合い。それをしているのは、自分とも大して歳が離れているように思えない少女だった。

 

「私はベアトリス・ヴァルトルート・フォン・キルヒアイゼン。

 戦う者としての道理を解するなら、まずはこちらと立ち合いなさい」

 

 見た目の可憐さとは裏腹な、凛々しくも強い喝破。

 それは口先だけの覇気ではない。現に、少女の剣は男の剣に対しても一歩も引かない。

 いやそれどころか、圧力では完全に勝っている。事実、男の剣は呆気なく圧し返されて後退を余儀なくされていた。

 

 見届けられたのは、そこまで。

 こちらの理解なんて待ってはくれず、剣を交えた両者はそのまま何処かへと行ってしまう。

 現実感のない光景は、しかし考えてみたら当然なのかもしれない。

 幻想じみた事態なら、対処する存在もまた幻想。唐突に凶の目にもあえば、また唐突に幸運を掴むこともあるのだろう。

 

 先ほどの、好みに関しての理由で、都合が良すぎるというのがあった。

 善側の主人公(ヒーロー)はいつだって間に合う。決定的な手遅れとなる前に彼らの手は必ず届くのだ。

 無論、物語の進行上それは当然のこと。事態に駆けつけられない主人公など物語そのものが成り立たない。分かってはいるのだが、どうしても穿った見方をしてしまう。

 しかし、こうしていざ救われてみると、その感想も変わってくる。ご都合主義でも何でもいい、そうでなければ終わっていた事実を前にひねた考えなんて出来そうにない。

 

 ご都合主義を起こせることがヒーローの条件。

 ならばきっと輝く閃光のようなあの(ひと)は、みんなを守る“勇者(ヒーロー)”のような人に違いなかった。

 

 

 

 

 

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