無慙無愧が巡る怒りの日   作:ヘルシーテツオ

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第三章『開戦』②

 人の手で創り出す、あらゆるものには思想が宿る。

 それは物体として目に見えるものばかりではない。知識や技術それ自体にもあるものだ。

 紐解き学べばその思いが見えてくる。多くの人がそれを共有すれば、個人のものだった思想は体系化され一つの流派として昇華するのだ。

 それを指して誇りという。人を殺めるための技術であっても同じ。武門の家柄に生まれ、幼くして剣の研鑽に励んできたベアトリスはそう信じていた。

 

 だからこそ、これは違う。

 目の前にある剣は、そんな人の道から外れた(おぞ)ましさだと確信できた。

 

「非道い……ッ!あなたの剣は、生命そのものに対する冒涜だ!」

 

 人が振るってよいものでは断じてない。誰かと思いを共有するなど不可能だ。

 

 剣に限った話ではない。武芸百般、あらゆる武術がまずもって共通している大前提。

 即ち、自分自身を護ること。考えるまでもなく当たり前の話であり、戦い勝つためには己が無事でなければならない。

 傷つけば傷つくだけ勝利からは遠のく。そもそもの話、武術の根幹とは護身にある。敵の排除は手段に過ぎず、自身が生き延びさえすればそれで勝利なのだ。

 

 そんな人としての当たり前が、この剣からは完全に欠落している。

 自傷などお構いなしに、肉と骨を斬らせても相手の命を断つという度を過ぎた攻撃性。

 自分を護ろうとする意識が皆無。自身の生命さえ蔑ろにする在り方には、当然ながら他者への尊重もあり得ない。

 向けるのは呪詛、怨念、殺意といった根絶の意志。共に武芸を嗜んだ者として、共感と共に抱くべき敬意が微塵もないのだ。

 

 ここまでの斬り結びで、その剣の異形ぶりはこれでもかと思い知らされた。

 戦力ではこちらが明らかに上。相手の身体能力は魔人の域には達しておらず、力でも速さでも圧倒している。

 そして純粋な技量においても、やはりこちらが上だった。根本的に、この相手はまったくもって“下手くそ”である。

 技に才覚(センス)が感じられず、また努力においても方向性を間違っているとしか思えない。どれだけ時間をかけようが、力任せに身体を傷めつけるだけでまともな技が身につくはずがないのだ。

 技とはきちんとした師事を受け、正しく学び取ることで初めてカタチになる。独学の我流では限界があり、この相手はそういう手合いだと簡単に察せられた。

 

 つまり最初から勝負になるわけがなく、だというのにこの図式となっているのが既に異常の証明。

 相手の剣技は拙いものだが、それと別にして冴え渡る鋭さがある。相手の不意を見抜き、その隙を突く嗅覚。それをあらゆる手練手管を駆使しながら用いていた。

 たとえば、ちぎれかけた腕を鞭のように利用して剣の間合いを伸ばす、といった。その他にも真っ当とは言えない方法ばかりで、とことんまで人の型からかけ離れている。

 もはや力でも速さでも、ましてや技量の問題でもなかった。常道から外れた理外の理、魔人でさえ手が及ばない魔獣の合理が成り立っていた。

 

 致命傷だって、こちらは何度与えてきたか。

 だというのにこの相手は斃れない。自分の刃はただの武器ではなく、魂をも灼き尽くす聖遺物だというのに。

 どれだけの傷を負おうがその殺意に陰りはなく、凶々しい剣を振るい続ける破滅的な姿が見てられなくて。

 

「答えなさい。もし、あなたが本当にツァラトゥストラだというのなら、いったい何故あんな、市井に生きる人たちまで殺戮を……!」

 

 思わず口に出てしまった問いかけは、ベアトリスにとって無視できない切なる部分。

 黒円卓の魔人として、この半世紀を血と硝煙と共に生き抜いてきた。

 収奪し身に蓄えた魂の数は数千を越え、殺害してきた人命の総合計など数えきれない。

 まともな道徳など語る資格がないのは分かっている。けれど如何にこの手を血で染めようとも、魂まで畜生に堕ちたつもりはない。

 魔人だからとこの殺戮を見過ごしたら、自分も彼らと変わらぬ外道になる。そう思えるから、湧きあがる義憤に従いベアトリスは糾弾する。

 

「なんだ気になるのか?俺が奴らを殺したことが?よりにもよって汚濁の一匹である貴様がか?」

 

 返ってきたのは嘲笑だった。

 ベアトリスが見せた義憤など一切認めていない。底の知れない凶の眼光が、彼女の善性を撥ね退ける。

 

「元よりここの連中は貴様らが用意した贄だろう。肥え太らせていずれ糧とするための家畜だろうが。

 今の今までそのつもりでいたくせに、いざ屠殺の段となって怖気づくとは。偽善もここまで滑稽極まれば笑えてくるな」

 

「ッ!?ならやっぱり、あなたの狙いは黄金錬成を完成させないために?」

 

「勘違いするな。貴様らなどもののついでに過ぎん」

 

 単なる虚勢で言っているのではない。

 彼は本気でそう思っている。魔人を殺すのも、市民を殺すのも変わらないと。

 黒円卓がいようがいまいが、抹殺の決意に変わりはなし。その殺意は“みんな”に向けて放たれている。

 

「連中は繰り返している。飽き飽きするほどに、それでいて誰もその事実を認知していない。

 延々に続く堂々巡りだ。期待しているのは未来か、過去か、それとも今か。いずれにしろ檻の中にいる輩に自由意思など無い。総てが都合よく糸に繰られた道化の群れだ。

 それが法で、故に黙して従えと?おいおいよせよ、()()()()()()()()()()()

 

 その言葉が理解できない。背筋に走る怖気と共に、ベアトリスは理解できないことを理解した。

 

 実際のところ、言われた内容には覚えがある。

 この世界は既知に囚われている。人は皆、同じ生を繰り返しているのだと。

 ラインハルト・ハイドリヒ。黒円卓の首領たる至高の黄金はそう告げた。

 彼は別段、自身の目的を隠そうとはしていなかった。故にごく自然な調子で、団員たちにも世界の真実とやらを開示したのだ。

 

 その上で分かったことは一つだけ。黄金の獣は“分からない”。

 実感がまず沸かない。繰り返していると言われても自覚はなく、証拠らしい証拠もなかった。

 他の誰かが言えば、妄言として即座に切って捨てられるだろう。そうならないのは、それを口にしたのが他でもないラインハルトだという事実。

 よってそれよりこの話題は一種の禁忌(タブー)となった。知ろうとすればするほどに、おぞましい何かが顔を出しそうで、深い理解を拒んだとも言い換えられる。

 ベアトリスが理解したのは、彼は彼なりの理屈をもって修羅道の地獄(ヴァルハラ)を流出させようとしていること。そしてそれが絶対に認められないことだけだ。

 

「ならばよし。俺が加速させてやろう。閉じた円環が焼き切れるまで。

 無限に殺すから、無限に生まれ続けろよ。爛熟する生命の循環を以て、天の(ハラワタ)を喰い破ってみせるがいい」

 

 この男が分からない。黄金の獣と同じように。

 ただ分かるのは、彼がラインハルトやメルクリウスと同位の視点で話をしていること。

 地の只人には決して理解できない天の理を以て、この世界に災禍をもたらそうとしていることだった。

 

「堕天の味を知り、支配に抗う獣となれ。それもまた“ヒト”だ」

 

 止めなければならない。理屈ではなく、魂から湧き上がる衝動として決意した。

 

 ヴィルヘルム・エーレンブルグ。

 ウォルフガング・シュライバー。

 黒円卓に名を連ねる二匹の凶獣。外道の中でも更に輪をかける悪鬼たち。

 彼らの在り方には救いがない。血と暴力でしか己を示す術がなく、それは人間だった頃から変わらない。

 許せないし、認めない。彼ら自身の罪悪以上に、こんな存在を生み出してしまった世界の歪みに憤りを感じる。

 正さなければならないと強く思った。初見の時に感じた思いは、今も変わらずこの胸に残っている。

 

 だが、この男を前にした今、彼らでさえまだ人間だったと思えてしまう。

 少なくとも、その背景にあるのは人間としての情動だ。最下層の悪意に晒された結果でも、人間の意思の一種であるのは確かである。

 そうした情動が、目の前の男からはまったく見えない。これだけの凶念を吐き出しながら、内は理路整然と整っているとさえ思える。

 獣性に駆られてではなく、あくまで理性の下で凶行に及んでいる。理に沿ってみせる在り方が逆に歪で、人間的ではない別の何かに思えてならないのだ。

 

 まるで彼は“剣”そのもの。抜けば総てを斬り伏せずにはいられない凶剣のよう。

 それは純化した殺意。周囲に吼えて散らすのではなく、余分なものを削ぎ落して殺戮(それ)のみを目的に研ぎ澄ませたもの。

 そんな人間らしい美徳の一切を捨て去る様が我慢ならない。屈してはならないと、光さす道を信じる彼女は思うから。

 

 ――ここに、全霊の開帳を。

 ベアトリス・キルヒアイゼンの真なる剣、無明の戦場を照らす一迅の閃光を抜き放った。

 

 

 

 

War es so schmählich(私が犯した罪は),」

 

ihm innig vertraut-trotzt(心からの信頼において) ich deinem Gebot(あなたの命に反したこと).」

 

 その詠唱(うた)に込められたのは自戒と後悔。

 拭えない慙愧の念、故にその祈りは深く、魂をカタチ取る渇望(ルール)となる。

 

Wohl taugte dir nicht die tör'ge Maid,(私は愚かで あなたのお役に立てなかった)

 

Auf dein Gebot entbrenne ein Feuer;(だからあなたの炎で包んでほしい)

 

 エイヴィヒカイトの第三位階。

 聖遺物の特性を肉体に上乗せする活動(アッシャー)。それを視覚可能な物体として具現化する形成(イェツラー)

 その先へと位階を進めた者が手にするのはルールの具現化。己の夢で世界を創り出す真なる超常の御業。

 魔人たちにとっての必殺、切り札と呼べる奥義。発現したその力はこれまでとは一線を画している。

 

 ベアトリスが願い祈ったもの、それは同胞たちのための導きの光。

 血と硝煙に染まる戦場の空、誰もが狂気に陥る地獄の中で、それでも道を見失うことがないように。

 英雄たちを栄光(ヴァルハラ)へと連れていく戦乙女。そんな自分で在りたいと願った高潔な祈りである。

 

Wer meines Speeres Spitze furchtet(我が槍を恐れるならば), durchschreite das feuer nie!(この炎を越すこと許さぬ)

 

 そして何より、敬愛してやまない“あの人”を輝かせるため。

 足の速いあの人。絶えない情熱と不断の信念を身に宿した、強くて不器用で放っておけない(ヒト)

 追いつきたい。追いつきたい。あなたの“(ローゲ)”に包まれていたいと願った思いは今も変わらず。

 まるで青臭い少女趣味。けれどだからこそ、本気で貫かなければならないと信じている。

 

 少女の思いは現実を覆し、その肉体は生身を越えて輝ける閃光へと変じるのだ。

 

Briah(創造)――――Donner Totentanz Walküre(雷速剣舞・戦姫変生)

 

 発現した異能は、自己の肉体の雷化能力。

 ここに渇望(ルール)はカタチを為し、音速をも置き去りとする雷速の絶剣が振るわれた。

 

 走る剣閃。

 一つや二つなんて話ではない。数えればその総数、秒の間に千を越えよう。

 不意を見抜く。意表をつく。そんな小技でどうにか出来る次元ではない。

 今の彼女は稲妻そのものなのだ。目では追えず、ましてや反応してみせるなど絶対に不可能である。

 

 よって勝負の趨勢は必然としてベアトリスの独壇場。

 相手の剣が振るわれたところで、躱すも斬るも彼女の自由。

 速度域が違うのだ。剣の技など何の意味も為さず、ただ速過ぎるが故に勝負にならない。

 

 それでいて、ただ速さしかない脆弱な剣かといえば、無論のことあり得ない。

 述べたように今の彼女は稲妻である。単なる自然現象としても、畏れとして抱くべきは速さではなく破壊力。

 古においては神の御業と謳われたように、天より落ちて地を砕くその威容、威力が弱いなどと考えられるはずもない。

 

 まさしく絶望と呼ぶべき戦力差。

 こんなものに人の身のまま挑むなど、無謀ですらなくただ愚か。

 雷雲に向かって吼え、落ちてくる雷に剣を振りかざすなんて勇者ではなく狂人だ。

 それだけの格差があるにも拘わらず、ベアトリスに油断は一切ない。それどころか最大の警戒を込めて、対峙する相手のことを睨んでいる。

 

 傷を負っても斃れない相手の不可思議。その理屈に、ベアトリスは当たりをつけていた。

 ただの推測にすぎないが、しかし間違ってないと思う。これは恐らく、魂が肉体という器を超越したために起きていると。

 器がどれだけ壊れようが、その内から湧き上がる熱量がある限りは不滅。常軌を逸した魂の強度がそんな真似を可能にしている。

 普通に聞けば世迷言。しかし彼女は聖遺物の使徒である。魂を燃料として起こされる力の凄まじさは熟知していた。

 そして何より、彼女は実例を知っている。エイヴィヒカイトがなくても、素の肉体のまま物理の限界を突破していた唯一無二の規格外を。

 ラインハルト・ハイドリヒ。信じたくはないが、目の前の相手もあの怪物と同質なのだとしたら、あるいはこんな出鱈目も起こり得るのだろう。

 

 ならば対処の方法は?決まっている。

 討つべきは肉体ではなく魂。そのための創造位階(ぜんりょく)だ。

 形成までではきっと足りない。己が出せる最大最高の威力で以てその魂を打ち砕く。

 

「たとえあなたが、ハイドリヒ卿にさえ匹敵するのだとしても」

 

 だとしても、いいや猶更に、自分は敗けるわけにはいかない。

 汚濁の一つ?確かにそうだ。黒円卓の戦奴である限り、何をしたって偽善に過ぎない。

 だからそれを終わらせよう。元凶たる二柱を討つことで、半世紀前の悪夢に終止符を打つのだ。

 

 ()()()()()、自分にとってここに至るまでの年月は恐怖と挫折による停滞だった。

 願いがあった。とても切なる、あの地獄(グラズヘイム)から“あの(ヒト)”を連れ戻したいという。

 しかしそれは叶わないこと。きっともうあの人は戻らないと、心の奥底で諦めていたのは否定できない。

 前を向いて考えることを放棄して、自分はほとんど死体だった。半端に人間らしさに拘る性根と合わせて、実に無様な偽善者だったに違いない。

 ああ、本当はリザさんのことだって責められない。反発していたのは、まるで鏡を見ているようだったからだと、今なら素直にそう思える。

 

 だけど、私は生き返った。そんな風に思わされて、そう思いたいと信じてた。

 

「ラインハルト・ハイドリヒを斃す。カール・クラフトを滅する。

 私はもう誰も、狂った修羅の戦列に加えさせはしない!」

 

 そして必ず、私は“貴女”を救ってみせる。

 だからどうか願わくば、私を生き返らせてくれた“あの子たち”も。

 

 そう決意を込めた雷剣は、陰りのない閃光となって冴え渡る。

 駆けるは一瞬。軌跡は直線。貫き穿つと覚悟を決めた刺突が放たれる。

 この一撃で以て魂を砕く。確信する手ごたえと共に、ここにベアトリスは勝利した――

 

 

「――――ぶれているな、貴様」

 

 

 声が、聞こえた。

 深く、重く、濃縮した怨念と共に、深淵まで見通す理知を含んだような。静かな、しかし耳に刻みつけられる響き。

 魔人でさえその心胆から竦みあがる、底知れない危険を感じさせる声が、ベアトリスに突き立てられる。

 

 確信した勝利は、錯覚などではなかったはず。

 甘い目算ではない。長年の経験則から基づく戦士の勘は、その手ごたえを伝えてくれていた。

 だというのに、その確信が今では完全に雲散霧消している。たった一言、ただ声を聞いただけだというのに。

 

 いいやおかしい。そもそもどうして、自分は相手の声を聞いている?

 己の剣は雷速。音速さえも置き去りにしているはずの自分に、何故その声は届いているのか。

 相手の殺気に当てられた故の、単なる幻聴か?一瞬抱いたその疑念は、次の瞬間には理解と驚愕に変わっていた。

 

 稲妻と化したベアトリスの剣。

 その剣が、止められていた。反応不可能で、非物体であるが故に透過して受けられないはずの剣が。

 単なる模造品(レプリカ)に過ぎない無骨な刃によって受け止められていたのだ。

 

「ッ!?」

 

 剣を引き、思わず飛び退いてしまうベアトリス。

 起きたことが信じられない。偶然で片づけられる事態では断じてない。

 心中は混乱の極みだったが、しかし彼女も一流の戦士である。動揺を技に伝えることはなく、二撃三撃と同じように剣閃を走らせる。

 しかしながら結果は同じ。変わらず雷速を発揮しているはずの剣は、その悉くを捉えられてしまった。

 

 相手が速くなったわけではない。

 爆発的に強さが向上したようには見えない。その姿から受ける圧力や格といったもの、それらは今も自分より下だと映る。

 なのに細胞が感じる脅威の予感は獰猛に増すばかり。自分が知る強さの定義とはまるで別種の何かが働いているとしか思えなかった。

 

「斃す、斃すか。誰を、誰が斃すだって?」

 

 相手の言葉を聞く度に、肌が粟立った。

 聞いてはいけない。これ以上、この相手の言葉に耳を貸してはならないと警鐘が鳴っている。

 このままでは待っているのは破滅だと、確信にも近い予感があった。

 

「妄言を吐くだけなら痴愚にも出来る。貴様如き負け犬が吠えたところで戯言にしか聞こえんぞ」

 

「どう解釈されたって結構です。強大な相手だっていうのは百も承知だ。それでも、私はヴァルハラを落として――――」

 

「違う違う。そんな話はしていない」

 

 だから本当は、こんな会話だってするべきじゃない。

 それは分かっていたが、彼女はベアトリス・キルヒアイゼンなのだ。そこから逃げるのは卑怯だと思えてしまう。

 予感に怯える心を奮い立たせて、気丈な態度で言葉を紡ぐ。しかし、そんな彼女こそを否定するように、相手の言葉は痛烈に抉ってきた。

 

「目的がどうこうじゃない。俺が言っているのは手段の是非だ。

 殺したいんだろう?ならば何故、そんな(もの)に拘っている?

 貴様の騎士道とやらは、自己満足のための方便か?」

 

 その手に握る剣を差して、彼は告げる。

 戦雷の聖剣(スルーズ・ワルキューレ)。かのフリードリヒ三世が所持したとされる宝剣。黒円卓が誇る聖遺物の一振り。

 血塗られた経歴がほとんどの中、まともな信仰によってその霊格を得た一品。ベアトリスには個人的にも思い入れが深いものだ。

 

 穢れた魔人の業と知りながら受け入れられたのは、きっとこの剣があったから。

 殺戮者の狂気に蝕まれながらも誇りを胸に抱き続けていられた。結果、今の清廉さを保つ姿がある。

 この剣に懸けて、自分は自分がこう在りたいと思う自分でいられる。ならばこそ剣で戦うのに拘るのは当然の心理であるのだが。

 

「必死さが足りてないんだよ。己だけでは勝てないと分かっているなら、勝てる手段を探し出せ。

 いざ尋常になどと、わざわざ首を差し出しているその様で、決意がなんだと言われても戯言でしかなかろうが」

 

「違う!私は、私には覚悟がある。たとえハイドリヒ卿にだって怯みはしない」

 

「この程度で?」

 

 それを手緩いと、迅雷の一閃を容易く受け止めてみせることで、彼は示した。

 

 確かにベアトリスは優れている。その強さ、現存する黒円卓勢でも最強格と見ていい。

 しかしながら、やはりそれでもラインハルトには及ばないだろう。あれは存在からして規格外。

 真っ当に強い彼女だからこそ、勝ち筋は皆無だといっていい。仮に戦えば、順当に圧倒される未来があるばかり。

 それでもと、気骨を持って吼える姿は確かに素晴らしい。その意気はより一層彼女の求道を際立たせ、実力を強化しているのは間違いないだろうが。

 

「大体、斃すというのは貴様にとって“ついで”だろう。本当の目的じゃない」

 

 その一言が、迷いのなかったはずの信念に亀裂を生じさせた。

 

「誰かを取り戻したいんだろう。そのために邪魔な輩を排除したがっている。

 結果は同じでも、意志としては不純だろう。仮に都合よく助けの手でも差し出されれば、容易く飛び付くくらいにはな。

 覚悟だと?貴様が独りなのは、それ以外の者がいないだけだろう。そういうのはな、自棄(ヤケ)というんだよ」

 

 ラインハルト・ハイドリヒを斃す。カール・クラフトを滅する。

 そう宣した誓いに嘘はない。しかしそれだけでは無いのも確かである。

 ベアトリスの真の願いとは、敬愛する上官を取り戻すこと。黄金の獣に魅了され、修羅道の混沌に取り込まれてしまったエレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグを。

 そのためには黄金と水銀の打倒が不可欠であり、故にそれを為すのだという論法は一見して間違いではないが。

 

 そもそも、である。あの二人は斃せない。

 まず不可能な事柄が先にあり、その先に別の難関が待っている。

 当然だろう。元凶を斃せば総てが解決するなんて童の夢想だ。現実とはそんな簡単には片付かない。

 ラインハルトに忠誠を誓うエレオノーレ。ならばまず、彼女が立ちはだかるのは自明であり、救うべき相手が敵となる事態が見込まれる。

 まるで順番があべこべだ。真っ当に考えるなら、まずエレオノーレを殺さずに制圧し、その後でラインハルトを打倒するという流れ。

 それとも死を以て修羅からの解放とするなら、結局は全員を打倒することになる。たった独りで、対峙する全員が己よりも格上という条件で。

 

 誰が聞いたって無理がある。計画性なんて始まりから破綻していた。

 ベアトリス自身もそれは理解している。それでもと挑む決断は勇敢かもしれないが、端的にいって愚かだろう。

 蛮行、愚行。彼女の行動とはそういうもの。だというのに違う道を選ばないのは、きっと昔日の誓いが今も胸に残っているから。

 道を照らす光になりたい。カタチとなった求道(いのり)は、同時に生き方を縛る呪いとなる。視野狭窄となりやすい魔人たちの欠陥は、彼女にとっても例外ではない。

 

「今さらになって決断した訳も察しはつく。大方、別の理由でも出来たんだろう。

 間抜けが、だからぶれているというんだよ。馬鹿になる道を選んでおいて、不要な想いに揺れている。

 未だに都合のいい夢を見たがっているのか。そんな体たらくで、事を為せるとどの口がほざいていやがる」

 

 その言葉は的確で、容赦がなく、ベアトリスは言い返せない。

 彼は一切を否定している。ベアトリスの決意も行動も、総てが無駄で無様で無意味だと切り捨てて。

 まるで見てきたかのような理解は恐ろしく、生半可な反論は口にすることさえ許されなかった。

 

 しかし、である。果たしてベアトリスは本当に間違っているのだろうか。

 確かに彼女には迷いがあった。恐怖と諦観に縛られていた時間は否定しようもない。

 新たな理由を得て決断したことを、ぶれているというならそうなのだろう。貫き通せなかった時点で純粋ではなく、信念として劣性を得たのは確かである。

 

 しかしなのだ。そもそもそれは、()()()()()()()()()()()()なのではないか。

 恐ろしい相手を恐ろしいと思い、一度は心が折れて諦めかけて、けれど新しい理由を見つけて立ち上がる。

 それは正しく再起への道筋だ。多くの迷いと後悔を経た分だけ、きっと彼女は誰かに対して優しくなれる。

 剣への拘りも、言い換えるなら彼女自身の誇りの証明。簡単に捨ててはならない人間性の部分だろう。

 初志の段階から一切ぶれず、惑わず、不屈の強度を維持し続ける意志など、人間のものではない。そんな強さしかない人間が素晴らしいとどうして言えよう。

 

 ベアトリス・キルヒアイゼンは間違っていない。

 挫折の中から甦り、勇気を出して決断した。考え足らずな部分は確かにある。だが総てを否定される謂われはない。

 誰もが未熟な自分を抱え、そんな弱さと戦い続けるのが人間だから。魔人となっても穢さないと決めた人としての矜持は、今も清廉なまま残っている。

 

「貴様の間違いは、こんな狂人どもの土俵にあがってしまったことだ」

 

 しかし、そんな人間としての正しさが強さに直結しないのがこの世界なのだ。

 強い奴らは誰も彼もが狂っているし怒っている。人間から外れた者ほど強いというのがこの世の絶対真理。

 あるべき現実に納得せず、渇望を力に変えて、これが己だと森羅万象に叩きつけてこそ勝者となれる。

 

 ――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そんなところで競っていては勝てるはずもない。

 真性の気狂い相手に、狂気の度合で真っ当な人間が勝てないのは、至極当然でしかないだろう。

 

「貴様は弱い。そのうえ頭も悪い。更にはそんな自分を省みることさえ出来ていない。

 馬鹿にもなれず、利口にもなれない。何もかもが半端な愚図め。不変ではない」

 

 黒の剣閃が走る。

 勢いは増し、切っ先は尚も鋭く。言葉を紡ぐ度、殺意の純度が増している。

 速度においては未だベアトリスの影も踏めないにも拘わらず、凶剣の刃は確実にその身を捉え、彼女を追い詰めている。

 まるで致命の隙それ自体がねじ込まれているように。因果を無視し、道理を捻じ曲げ、無理矢理にでも届かせる絶対の殺意。

 

「屑の汚濁に浸った時点で貴様も屑だ。

 つまらん。無価値だ。今すぐ去ねよ。屑が俺の前で息をしてるんじゃない」

 

 誰かが言った。黒円卓の戦鬼の強さとは、異常なくらいに自分理論を貫くことだと。

 それは先に述べた論とも合致する。水銀の薫陶を受けた彼らは、正しく神の法に手を掛けた使徒なのだ。

 だからこそ自分を信じて信じ抜けば強くなり、その逆もまた然り。疑念を抱き、素面に戻れば、弱体化は避けられない。

 ベアトリスを追い詰めるのは剣の刃だけではない。凶の眼光は相手を剥き出し芯を暴かんとする解体の眼。そして言葉は、見出した傷痕を抉り出して拡げんとする凶器なのだ。

 外見上だけを見れば、傷を負い続けているのは彼の方。しかし実態は、内面の祈りをズタズタに引き裂かれて、ベアトリスは敗北する寸前だった。

 

「誰かを救えるなどと思いあがるな。

 汚泥のような後悔だけを胸に抱いて――」

 

 刃に斬り刻まれ、雷に焼かれた有り様に、元の面影など残っていない。

 顔を失った彼は無貌。されど爛々と殺意の執念を滾らせる眼光だけは、微塵もその熱量を損なわれず。

 

「――死ねぇ!」

 

 叫びと共に、殺意を体現したが如き上段からの叩きつけ。

 その一撃が、ついに不壊であるはずの聖剣に決定的な亀裂を走らせた。

 

「がぁ、ああああ……ッ!!?」

 

 聖遺物が砕かれれば、契約した使い手もまた砕ける。

 器物の破壊が生命に直結するのは、聖遺物の魂と使い手の魂を解け合わせているから。

 もう一撃受ければ、確実に魂を砕かれる。そしてこの相手は、とどめの段で手心を加えるような真似は決してしない。

 

 迫る刃が見える。

 速くはない。なのに決して躱せないと分かってしまう、凄絶な一閃。

 総てを呪わんばかりの怨念まみれな剣は悲しくて、そんなものに敗れてしまう己がやるせなかった。

 零れる涙は何のため?願いが果たせず無念だから?それもあるが、それだけではない。

 きっと彼は、人が人として持つ尊さを捨てた果て。全てを殺意に振り切った在り方は、なるほど強い。

 けれど、それでは何も残らない。そんな強さに頼りきりでは駄目なのに、私はそれ以外を示せなかった。

 それが無念だ。黒円卓の魔人として、ではない。もっと大切な矜持に懸けて、そう思えてならなかったから。

 

「これはこれは恐ろしい。まさかキルヒアイゼン卿がこうまでやられるとは。

 私如きでは、こうして前に立つだけでも身が竦む思いですよ」

 

 悔いる思いの中で、聞いたのはよく知る同胞の声。

 かつては親しみを感じたこともある。だが今では、ある意味で最も歪なものに成れ果ててしまった人。

 

「はじめまして、ツァラトゥストラ。あるいは、それに類する何者かよ。

 私の()は聖餐杯。黒円卓第三位首領代行ヴァレリア・トリファ=クリストフ・ローエングリーン。どうぞお見知りおきを」

 

 ヴァレリア・トリファが、凶剣をその身で受け止めて立っていた。

 

 

 

 

 




※作者視点からの注釈

本編中にて言っていたやり方ですが、本当にこれで水銀の宇宙が破れるとは思っておりません。
この主人公も、まだすべてを理解しているわけではないのです。つまりは彼なりの試行錯誤の最中だと思ってください。

それに、理解が完全でもそうでないとしても、冥府魔道の凶剣がすべきことに変わりはありませんので。




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