無慙無愧が巡る怒りの日   作:ヘルシーテツオ

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第六章『白の殺意』

 銃弾が、少女の可憐な姿を穿ち、肉片を飛び散らせる。

 両手に携えた二丁の自動拳銃(ルガー・モーゼル)。止め処なく吐き出される弾丸の雨は、元の装弾数など完全に無視した魔性の業。

 拳銃のカタチをした機関砲。そういう造りなのではなく、単純にトリガーを引く指の速度がその域に達しているという原理から。

 銃弾の速度よりも、射手自身の速度の方が上だという異常。コンマ1秒の時間とて停まらない高速機動、それでいて射撃の精度もまた破綻じみた凄まじさ。

 人の脳の構造では絶対に不可能だと断言できる。如何に魔人だとて、そのように機能を拡張しては、まともな生命活動を行うための機能に支障をきたしてしまう。

 つまり彼は壊れている。人でなしが集う黒円卓にあっても極めつけ、ウォルフガング・シュライバーは生粋の壊人なのだ。

 

 悪名の狼(フローズヴィトニル)の爪と牙に喰い散らかされて、華奢な乙女の身体が無事に済むはずがない。

 ならばそこにあるのは目を覆うべき惨劇か?いいや否、ここにあるのは喜劇である。

 

「Yeaaaaaaaaaah!!」

 

 魔狼の咆哮を轟かせ、鋼鉄の破壊獣(ヴァナルガンド)が獲物を踏み抜き疾駆する。

 その速さは地上にあるべきでない宇宙速度。ただ衝突しただけでもその威力は隕石の直撃に匹敵しよう。

 当然、人体なんて跡形も残らない。轢き潰された少女は一瞬で血煙となって四散した。

 

「まあ、やんちゃで可愛いですね。まるでワンちゃんみたい」

 

 そんな有り様を指して、微笑ましいと宣えるのは宇宙広しといえどフレデリカしかおるまい。

 彼女は不死身。シュライバーの速度さえ凌駕しかねない再生速度で、過ぎ去った後には元の姿を取り戻している。

 喜劇としか言えまい。殺し、殺されることが、まるで彼らには遊びだった。破綻者にしか共有できない、狂った遊戯。

 

「ちょ、ちょっと、ねえって――――きゃあ!」

 

 そんなものに付き合わされるのは、常人の感覚ではたまったものではないだろう。

 フレデリカが振りかざす、此度の凶器の名はルサルカ・シュヴェーゲリン。

 少女が少女の手を取って、メルヘンの一幕さながらにダンスを踊る。それは同時に鈍器を振り回すように、周りに破壊と殺意を振りまいている。

 やはり喜劇的としか言えない光景だろう。可憐な二人の容姿と相まって、いよいよ現実味がなくなっている。

 

 とはいえ、如何に喜劇じみていようと、殺人姫が繰り出す攻撃が生半可なものであるはずもなく。

 傍目にはただ振り回しているだけのようだが、彼女には我力がある。乙女の願いに現実は首を垂れ、望んだ結果をもたらしてくれる。

 間合いを無視し、技を無視し、物理法則の一切合財を何とも思わず、稀に時間概念すら超越して、彼女の殺意は相手に届く。

 ただの人間ならば、どう足掻こうが死を免れない。己は殺人鬼なのだからと、信仰以上の摂理でもって白の少年を殺しに掛かっている。

 

 だが、当たらない。

 フレデリカがどれだけ現実を捻じ曲げても、シュライバーの幻想はそれを凌駕する。

 絶対回避の異能。他者との触れ合いを拒んだ渇望。その答えとは、敵対する相手よりも絶対に速くなること。

 故に誰もシュライバーを追い越せない。たとえ光以上の速度で迫ったとしても、必ずやそれを追い抜き超越するのがシュライバーの法則(ルール)

 

 攻撃を受けても死なない者と、絶対に攻撃を躱し続ける者。

 勝負の以前から明白な千日手だ。このままでは未来永劫、勝負なんてつかない。

 徒労にしかならない殺し合い。そして興じている両者には、そんなことに頓着する理性など皆無だった。

 

 狂った怪物二人の戦いに巻き込まれて、ルサルカは泣きたくなった。

 今のところは、振り回される中で負傷は負っていない。聖遺物の護りもあるし、それとは別の不可思議な力も働いていた。

 わたしが凶器に選んだのだから壊れるな、といったところか。感謝する気には微塵もならないが、少なくとも相手の気が変わらない内は無事で済む。

 だが安心してられるかと言えば、そんなことには全くならない。曰く、助けに来たはずのシュライバーには、ルサルカを慮る様子がまるでなかった。

 これだから嫌になる。間違いなく、諸共に自分を死なせたとして、シュライバーは何も思うまい。ここに至っては味方こそが最大の脅威だった。

 

「やるねえ、お姉さん。こんなに踊れる相手は初めてだよ。

 参考までに聞きたいんだけどさ、お姉さんは今までにどれくらい殺してきたの?

 僕はねぇ、十八万五千七百三十一人!これはこっちでも最高記録でさ、僕も結構自慢なんだ」

 

「そうですねえ、あまり数を数えるのは得意ではないのですが。

 以前に降りた星では、確か皆と合わせて八億人ほどだったでしょうか」

 

「わぁすごい!それ、嘘じゃないって分かるよ。

 やっぱり上には上がいるもんだねぇ。なんだか自信なくすなぁ」

 

「うふふ、まあそちらとこちらの事情は違うでしょうし、あまり気を落とさずに」

 

 すぐ傍で繰り広げられるイカれた会話にも、頭痛しかしない。

 なんなのだこれは。まるで悪夢じゃないか。どうして自分ばかり、こんな連中に付き合わされる羽目になるんだ。

 

 フレデリカの手に引かれながら、ルサルカは自らの星の巡りを呪うしかなかった。

 

「ふふふ、ほんと面白いよ。僕たちって、なんだか通じ合ってるよね。こういう感覚って初めてだ」

 

「あら?もしや殺人鬼(どうぞく)を殺すのは経験がありませんか?」

 

「う~んいないわけじゃないんだけど。“ここ”の中にいる連中って、どいつも大したことないんだよね。

 認めていいのはベイくらいだったかな。あとは簡単に壊れちゃったし、あんまり変わらないや」

 

 片目にかけた眼帯の奥、おぞましい空洞が広がっている己の眼孔を指してシュライバーが言う。

 その穴こそが魂をくべる場所。殺して、殺して、殺して回り喰らってきた人々は総て、その中で煮詰められている。

 彼は生粋の食人鬼(マンイーター)であり、故に人のことを理解している。狩りの過程で獲物の習性を習熟するハンターのように。

 

「だけどお姉さんは違うね。こんなのは僕でもお目に掛かったことがないや。

 愉しみだなぁ。お姉さんの中身はどうなっているんだろう。バラして、捌いて、飾って眺めたらきっと綺麗なんだろうなぁ。

 ――――早くお姉さんも、僕の轍にしてやりたいよ」

 

 それは純なる殺意。人を外れた殺人鬼(かいぶつ)たる証明。

 虚ろな魂は、お前を殺したいと叫び続けている。駆け抜けた後での屍しか見ないのが、シュライバーというものだから。

 

 そんな親愛の情にさえ思える馴染みの殺意を身に受けて、殺人姫は微笑んだ。

 

「こちらこそ。わたしもたくさんの殺人鬼(どうほう)を慈しんできましたが、あなた程のはそう見ません。

 わたしが知る内では、せいぜいムンサラートくらいでしょうか。その純度は」

 

 単純な強さだけの問題ではない。

 殺人鬼の純度とは、その外れ度合いに由来する。

 人間でありながら、人間を殺す鬼。本来あるべき生態から矛盾した彼らの存在は破綻している。

 だからこそ矛盾を覆い、破綻を超える狂気が要るのだ。まともな人間の感性など、彼らにとっては弱さでしかない。

 

 殺人鬼は、己の殺意に疑問を持ってはならない。

 それは常人に例えるなら、呼吸をする自分に疑問を持つようなものだ。

 そんな生命は遠からず自壊する。当たり前のことが当たり前に出来ないなんて、致命的すぎる故障だろう。

 故に、深すぎる純度を持つ殺人鬼は、同族にとっても危険な毒となり得る。度を過ぎた外れ方と比較して、己は人だと認めてしまえば自己崩壊は免れない。

 

 殺人姫フレデリカ。

 彼女の登場は、かつて二元論の宇宙でメジャーな悪だった殺人鬼という種を壊滅させた。

 有象無象は淘汰され、ごく一部の高純度な者しか残らない。種族としては破滅であり、同時に厳選を生き延びた者たちによる精鋭化とも表現できる。

 神出鬼没の殺人鬼(ノコギリ)たち。かつてそう囁かれて恐れられた、一人の女王と八十八人の配下による悪魔(バリガー)の群れ。

 

 そんなフレデリカをして、目にしたことがない純度だと言わしめるシュライバー。

 数の差など、所詮は舞台の違いでしかない。その災害ぶりは、絶対悪と称される存在にも劣らない。

 

「まぁ、あんまり性癖の話ばっかりしてるのも下品だよね。

 すこし真面目な話もしよう。お姉さん、さっきから全然避けないよね。むしろ律儀にくらいにいってる感じだ。

 つまり受け続けなくちゃいけないんだろ?絶対に当たらない僕とは本当に真逆だ」

 

 フレデリカの戒律『殺人鬼の掟(キラークイーン)』。

 元の殺人鬼の特性と合わせ、戒律によって重ね合わせた不死性は完全無欠。

 神座の歴代から見ても右に出る者がないと言われる不死身ぶりだ。神威に到達できなければ、フレデリカを殺すことは決して出来まい。

 だが、強力すぎる能力とは、それ故に弱点ともなり得る。強すぎる法則が、逆に使用者の縛りとなってしまうのだ。

 

 ウォルフガング・シュライバーは黄金の近衛。五色の一角を担う白騎士(アルベド)

 ただの殺意をばらまくケダモノでは、騎士の座は務まらない。表面の態度など見せかけで、殺人に特化した思考形態は獲物を仕留めるための計算を続けている。

 肉体的、法則的な強度に隙がないなら、探るべきは心理的なウィークポイント。彼女のルールを揺るがす何か、その精神に秘めた脆さを露呈させる急所(トラウマ)

 

 試せるところは全て試した。

 目や口の中なんて定石も定石。

 人体の穴という穴の中、その先の臓物に直接銃弾を狙い入れた。

 手足の指先、胸に腹に性器にと。皮を剥いで美しい容姿を台無しにし、女の命である長い金髪を轢き潰した。

 もはや一度も壊されていない部位など一切無い。それでも現状は、フレデリカの不死身に綻びなどまるで見られず。

 

「試しにわざと外したりもしたんだけどね。そういうのだと駄目みたいだ。

 あくまで自発的に、お姉さんが殺意から逃げること。それがお姉さんにとっての破滅だろう?」

 

「正解です。まあ別に、こちらとしては隠していたつもりはないんですけど。

 けれど真逆ということは、あなたの方は一度でも受けてしまえば終わりということでしょうか?」

 

「アハハ、そうかもねえ。うん、試したことはないんだけど、多分正解なんじゃないかなぁ。

 誰も僕には触れない。だから確かめようもない。ザミエルも、マキナも、他の誰だって、僕に追い付けやしないんだ」

 

 走り抜ける流星だったバイクが停車する。

 エンジンの唸り声だけをあげさせて、その車体が真正面からフレデリカを捉えた。

 それは肉食獣でいうところの前傾姿勢。獲物を狙い、その牙を突き立てるための全霊の構え。

 これより始まる疾走は、シュライバーが出せる渾身だと見ていい。何処をどう壊しても無意味だというのなら、彼女の不死身が追い付けないほどに殺し尽くそう。

 

 たとえどれだけの速度で再生しても。

 その速さすら、自分は追い抜いてみせよう。死の上に死を重ね続けて、生が置き去りになるまで。

 慎ましくも理性を取り繕う時間は終わった。これよりは凶獣の真価を、怒りの日を先駆ける白騎士(アルベド)の本懐だけを示せばいい。

 

Fahr' hin, Waihalls lenchtende Welt(さらばヴァルハラ 光輝に満ちた世界)

 Zarfall' in Staub deine stolze Burg (聳え立つその城も微塵となって砕けるがいい)

 

 ハンドルと手が一体化する。エンジンと心臓が繋がっていく。

 果たされていく人と器物の融合現象。それの意味するところは、己の渇望へと耽溺する魔人の本領。

 

Leb' wohl, prangende Gotterpracht(さらば栄華を誇る神々の栄光)

 End' in Wonne, du ewig Geschlecht(神々の一族も歓びのうちに滅ぶがいい)

 

 誰も自分には追い付けない。最速を求めた渇望(いのり)が本当の形で具現化する。

 己こそは狂乱のスピードスター。何人も触れられない暴風疾走(シュトゥルムヴィント)

 一番最初の獣の牙である。忠誠を誓った黄金のために、あらゆる敵を轍に変えよう。

 

Briah(創造)――Niflheimr Fenriswolf(死世界・凶獣変生)

 

 ここに光の速さも、宇宙の速度をも置き去りにする絶対最速の世界が現出した。

 

「ギ、きゃあ――――!?」

 

 まず最初の交錯で、ルサルカが吹き飛ばされた。

 直撃を受けたわけではない。暴風の余波、横を過ぎ去る鋼の魔獣の衝撃に圧し出されただけ。

 それだけで、ルサルカの心身は壊滅的なダメージを受けた。人器融合を果たしたシュライバーは、もはや発する現象の全てに殺意の暴威が宿っている。

 それはちょうど、フレデリカの我力と同じように。聖遺物の使徒も、渇望という心の有り様で法則を侵しているのは同じ。

 究極に近づけば、行き着く先も同じということか。同じ殺意(チカラ)を身に纏い、二匹の怪物は絡み合う。

 

 反撃なんて、出来るわけもない。

 轢殺の後には、即座に折り返して再度の轢殺。物理法則を無視した走行に減速は一切ない。

 五体が無事な時間など一瞬たりとて存在せず、暴風の挽肉器に巻き込まれたフレデリカに打てる手立ては何も無かった。

 

 脳髄さえ微塵の肉塊に轢き散らされながら、されど如何なる原理かフレデリカは意識を保っていた。

 

 真っ当な人間ならば、それは地獄だろう。

 執拗に、徹底的に潰されて、無感でいられる自我なんてありはしない。

 たとえフレデリカと同じ異能を持っていたとしても、早々に折れて考えることを止めるだろう。

 やれることのない不死身なんて、苦痛の永続でしかない。壊れない肉体を持つ者は、同時に壊れない精神を持たなければ完全とはいえないのだ。

 

 であるならば、ここから先は消耗戦の体となってくる。

 フレデリカに見える活路とは、この状態を維持したまま相手の燃料切れを狙うこと。

 シュライバーの疾走とて無限ではない。彼の異能を支えるのは、彼がこれまでに殺し貯めこんだ死者の魂だ。

 それを失えば、如何に魔業のバイクとてガス欠は免れない。エイヴィヒカイトである以上、シュライバーとてその原則は同じ。

 

 ならば戒律はどうか?

 戒律とは、自らの生き方の一つを代償に別の特性を得るもの。

 いうなれば等価交換。対価は既に払い終えているのだから、消耗で失われることはないと考えていい。

 フレデリカが自ら破戒を選ばなければ、彼女の不死は破られない。ならばこそ決着の形も見えてくる。

 

 シュライバーの燃料切れか、フレデリカが摩耗して折れてしまうか。

 黒円卓中最大の殺害数を誇るシュライバーの貯蔵は膨大。対しフレデリカもまた、異形の精神性に崩れる余地はないように見える。

 狂いに狂った凶獣同士、まともな理屈が通用するわけもなく。勝敗がどちらに転ぶのか、それは誰にも予想がつかない。

 故に、戦況は膠着に陥っている。その趨勢は容易には傾かず、長い持久戦になると思われた。

 

「ねえ。何をそんなに怖がっているのです?」

 

 そして、そんなまともな理性で出した答えなど無視してしまうのも、外れた存在である者の由縁。

 今もシュライバーの殺意を受け続けながら、バイクの車体に張り付いたフレデリカがそう尋ねた。

 

 無論、フレデリカがシュライバーの疾走に追い付いたわけではない。

 むしろフレデリカは何もしていない。そのからくりも至極単純な道理である。

 シュライバーの疾走、その殺害方法は轢殺。当然ながら、車体はフレデリカの身体に触れている。

 超々速の疾走ならば、血煙など吹き荒らして進むだろうが、こう幾度も念入りに轢き潰しているのだから、血肉がこびりつくのは避けられない。

 要はそこを起点に再生したというだけの話。フレデリカとしても、別にこれが逆転の手立てだとは思っていない。

 

 彼女は単に、尋ねたいことがあったからそうしているだけだった。

 

「あ、ああ……!」

 

「わたしも色んな子たちを見てきましたので。大概のルールには理解があるつもりです。

 けれど、あなたのような子を見るのは初めてでして。ちょっとした好奇心が沸いてしまいました。

 誰も追い付けない、誰よりも速いというのはつまり、いつも誰かを意識していることの裏返しでしょう。

 誰にも触ってほしくないから、誰よりも速くなる。そのようにお見受けしましたが、ですけどこれは珍しいのですよ」

 

 事実、こうやって話している間にも、フレデリカの身体は走行する車輪によって轢き潰されていた。

 彼女に出来るのは喋ることだけ。ミンチになりながら、何とかへばりついているというのが現状である。

 状況は何も変わっていない。相も変わらず、両者の消耗合戦は継続していると見てよかったが。

 

「黙れ……」

 

「普通、殺人鬼(わたし)たちは人に触れたがります。

 人を殺してこそのわたしたちなのですから、人以外なんて興味の対象外。

 彼らは大切な玩具で、食料で、わたしたちの意味そのものなのですから。むしろ触れなければ始まらないでしょう。

 捕食する対象から、どうして逃げたがっているのか。わたしからすると、とても不思議でして」

 

「黙れよ……」

 

「おかしいですよね。こんな風に相手を知ろうとするなんて、まるであの御方のようだわ。

 はしたないと思わないでくださいまし。好いた殿方の趣味を真似てみたくなるのも乙女心と申しましょうか。

 ああ、もしもあの御方に見られたらどう思われるでしょうか。いじらしいと、褒めていただけたら――――」

 

「黙れえぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

 瞬間、喋り続けるフレデリカの口を、自動拳銃の弾丸が吹き飛ばした。

 

「僕に、私にィ、気持ち悪い手で触るなあぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」

 

 撃ち続けられる銃弾が、へばりつくフレデリカを徹底的に削ぎ落していく。

 己と一心同体である聖遺物を傷つけてまで。まるで偏執的な潔癖症。血肉の一欠片とて、そこに張り付いていることが我慢ならないといったように。

 手段が轢殺である以上、どう足掻いても血肉はついてしまうのに。無意味なことが無意味だと分からない、その様は明らかに狂っていた。

 いいや、それどころか。その疾走は大気流を何重にも纏わせて、今度こそ本当に触れない轢殺を完成させている。道理など意にも介さず、純なる狂気は現実など容易く蹂躙する。

 

 無論、シュライバーに人の血肉に対する忌諱などあるわけがない。

 事実、彼が今駆る聖遺物の軍用バイクZundappKS750(ツェンタップ)とて、元は戦場で駆けていた彼自身の愛機。

 万単位の人間を殺害した人喰い機獣であり、血錆が染みついた車体は一切の光沢を発さないほどだ。

 ならばこそシュライバーの行動は意味不明だったが、しかし彼らとフレデリカには決定的な違いがあった。

 

 彼らは総て死んだ。しかしフレデリカは生きている。

 つまり彼女はまだ轍になっていない。生きているのなら、触られているのが我慢ならない。

 創造位階に達した今のシュライバーに、理性の判断なんて到底不可能。一度解かれてしまった凶獣の鎖は、繋ぎ直すことも出来ない。

 その狂気の赴くままに行動する以外、シュライバーの選択肢にはあり得ないのだ。

 

「ふむ」

 

 そのシュライバーの様子を轢殺の中で眺めて、得心がいったようにフレデリカは呟いた。

 

 人を狩る殺人鬼は、だからこそ獲物である人を熟知する。

 外れた思考構造故に、理解ではなく現象として受け止めるのだ。

 虚装戒律を用いて多くの者に成りすまし、その中身を奪い取ってきた。フレデリカに至っては、もはや戒律など組まずとも自前でやってのけられる。

 それだけ多くの誰かになってきたのだ。まるで己の中の空虚な部分を埋めたがるように。故に、フレデリカもまたシュライバーと同様に人を理解できる。

 肉体の解体に長けているからこそ、精神への解体にも長けるのだ。とかく殺人鬼(どうぞく)への観点においては抜きん出たものがあるだろう。

 法則に隙がないのなら、狙うべきは心理の急所。ルールを崩す脆さに繋がる心的外傷(トラウマ)を見抜けばいい。

 

 荒ぶる殺意の嵐から一歩として逃げることなく、痛みの中でフレデリカは観察を続けていた。

 

 

 

 

 ウォルフガング・シュライバー。

 あるいはアンナ・シュライバーの来歴とは、ありふれた教本のようなものである。

 

 悲惨な家庭環境。幼年期の虐待による、頭部への過度の損傷。

 彼は、彼女は愛を受けることなく育ち、故にそれを補う妄想に取り憑かれ、憤怒によって両親を殺した。

 過酷な環境を潜り抜けた代償に、人としてのあるべき真っ当さを削り落とした生還者(サバイバー)。殺人鬼という人種とは、凡そにおいてそのようなもの。

 物事の善悪。他者との共感性。生命としてあるべき範囲に落とし込む脳機能のリミッター。その他にも様々な要因があり、結果としてシュライバーという殺人鬼は誕生した。

 

 なんていうことはない。ありふれているとさえ言っていい。

 言う者に言わせれば、そんなものは優等生が歩むエリートコースと大差ない。

 典型的なシリアルキラーの作り方。当時の時代背景からしたら珍しくもないだろう。

 シュライバーの来歴なんてその程度のものであり、故にこそ不純がない。凡庸な在り方が希少な在り方に必ずしも劣るとは限らないという、これはその実例とも言えるのだろうが。

 

 同時に凡庸であるシュライバーの不幸は、二元論の宇宙ではあり得ないものであった。

 

 まず、この話で着目すべき点は、ただ一つ。

 シュライバーは、生まれながらの殺人鬼(ナチュラル・ボーン・キラー)ではないということ。

 先天ではなく後天。まともだった者が、壊されて堕ちたというケース。それは黒と白のいずれの陣営でも起こり得ない。

 

 白の色とは、集団意識と協調の色。

 同胞に対し過ぎた悪意を向けることはまずない。そういった諸々は黒の陣営へと向けられている。

 親は子を守るものだし慈しむもの。そうした共通認識がある以上、そこから外れるような真似はしない。

 たとえ子を生贄のように捧げるのだとしても、彼らの価値観において正しいことであり、幸福だと信じるから行うのだ。

 親も子も、生誕の瞬間より刻まれた属性。故にこそ嘆く意味はなく、一個の家庭という視点では愛と絆で満ちている。

 

 対し黒の色とは、欲望と自尊に満ちた個人主義の色だ。

 親にとって子など道具。また子にとっても、親とは幼年期間を庇護してもらうだけの寄生対象に過ぎない。

 そこに含まれる感情は様々だろうが、まずその前提がある以上、シュライバーのようなケースは起こりにくい。

 己を庇護してくれない親など寄生する意味もない。早々に殺すか、殺されるかの関係へと収束するからだ。

 強い不義者(ドルグワント)は、大抵が親殺しだ。バフラヴァーンやフレデリカといった魔王ともなれば、庇護期間すら存在せずにそれを為している。

 そんな関係が罷り通っているからこそ、嘆きもない。気儘に振る舞い、よく笑うのが悪というものだから。

 

 だからこそ、こちらではありふれているシュライバーのケースが、あちらでは極めて稀なのだ。

 殺人鬼という種はほぼ総てが先天的。生まれながらに人殺しの業を負った者ばかり。

 後天的に生まれる環境が無いのだから、それも必然。数多くの同族を見てきたフレデリカにとっても、これが初の邂逅であった。

 

 その魂が虚ろなのは、本来持っていたものを壊されたから。

 初めから何も無かった悪鬼たちとは違う。深奥で望んでいる方向性が正反対なのだ。

 破綻した在り方だからこその純度。自分を壊されたシュライバーは、何よりも自分自身が見えていない。

 その言動に真実なんて何一つなく、次の瞬間には忘れてしまえる軽薄なもの。それでいながら、虚ろなだけの心では持ちえない熱量がある。

 接触を拒む渇望、その狂的な妄執はフレデリカの知る殺人鬼(ノコギリ)たちにはなかったものだから。

 

「ああ、なるほど」

 

 狂えば狂うほど、シュライバーの本性は現れる。

 本性を隠して獲物に迫るのは殺人鬼の常套手段だが、これは事情が異なるだろう。

 自らの本性を隠しているのは、何より己自身のため。シュライバーにとっては忘れたくて、けれどとても忘れられない、始まりの轍。

 白い凶獣として、栄えある黄金の近衛としての自己を確立する前の、痩せさらばえた捨て犬同然だった記憶である。

 

「あなたは、愛されたかったのですね」

 

 

 

 

 シュライバーの疾走は止まらない。

 余分なものなど目にも入れず耳も貸さず、ただただ総てを轍に変えるのみ。

 

「お可愛そうに。ご両親はあなたに愛を与えなかったのですね」

 

 音速など超越した速度に、言葉など届かない。

 凶獣の思考にあるのは殺戮だけ。殺して、殺して、殺し続けることだけが己の価値だと信じてる。

 触れ合いだの絆だの虫唾が走る。そんなものは総て、踏み躙られた轍としてあればいい。

 

「事情は詳しく存じませんし、お気持ちも理解はしづらいですが、現象としてなら分かります。

 あなたにとって、その環境は望ましくなかったのでしょう。無力な子供にとっては、さぞや辛かったことでしょうね」

 

 ウォルフガング・シュライバーは不死身の英雄(エインフェリア)

 誰よりも、何よりも早く、黄金に壊されて忠誠を誓った、あの人の白騎士(アルベド)

 怒りの日の先陣を約束された、最初の獣の牙なのだから。

 

「だから恨んで、だから殺した。それがあなたにとって、初めての殺人。

 わたしたちと違っていたのも当然でしたね。血を浴びる喜びなんて、あなたは本来持ち合わせなかったのですから。

 あなたが欲しかったのは、それとは真逆の、きっとただの人間たちと同じような――――」

 

 ああだから、いい加減その口を閉じろ。

 

 いらない。そんなものはいらない。

 僕を私を、そんな人間を見るような眼で見るんじゃない。

 逃げてなんかいない。私は間違いを正しただけだ。あんな醜悪で下等な生き物と、僕が同じだなんて不条理を。

 僕は男じゃない。そして女でもない。産めず、孕ませない私は、つまり一つの種として完成しているのだから。

 男がいなければ、女がいなければ、生きていけない。そんな低脳な関係性こそ出来損ない。汚らわしくて、触りたいだなんて思えない。

 僕に触るな。私に触るな。忌々しい汚濁(にんげん)どもめ、残らず総て殺してやる。

 

 つまらない戯れ言を垂れ流す口は、直接この牙で黙らせる。

 血飛沫をあげて挽肉と化すフレデリカ。駆ける機獣の蹂躙走破に、原形を留めていられるものなど存在しない。

 

「そんなに隠さないでもよいでしょうに。もしや照れているのですか?」

 

 それなのに、こいつは死なない。

 何度も、何度も、自分でも数えきれないほどに殺したというのに。

 どうしてこいつは轍にならない。わけの分からない戯れ言を吐き続けられるのは何故なんだ。

 

「愛されたい。子供ならば、誰もが共通して懐く思いでしょうに。

 わたしたちとて例外ではありません。何も恥じることなんてないのですよ?」

 

 やめろやめろやめろ――――!

 僕にそんな目を向けるな。私を憐れもうとするんじゃない。

 殺しているんだ。殺しているんだぞ。恨むなり怖がるなりが、人間のあるべき反応だろう。

 誰も彼もがそうだった。自分ほどに人を殺した者は他になく、ならばこそ自分以上の人間を熟知した者も存在しない。

 聖人なんて嘘だ。暴いてしまえば、人間の中身なんてくだらない。穢れた汚濁の肉袋で、中には蛆がわいている。

 慈しんでいるふりをして、清らかな風に装っても私には分かる。何故ならそういう連中は、結局のところこちらを同じ人として見ていない。

 外れた存在を珍獣か何かのように定義して、自分たちの優位性を疑おうともしない。こんな連中にも手を差し伸べる自分は素晴らしいと、根底にある自己愛が透けて見えるのだ。

 所詮、人間に殺人鬼を理解するなど出来るわけがない。捕食する者を捕食される者が憐れむなど、そもそも道理に反している。

 

 だから私は、そんなものは求めない。

 他人なんて要らない。総てが私に殺される轍でさえあればいい。

 殺してこその自分、修羅道を駆ける英雄たる真価。殺せないものなんて認めない許さない。

 何が足りない?この女を殺すためには、今の自分に何が足りていないんだ!?

 

「その証拠に、ほら」

 

「あ……ッ!?」

 

 シュライバーの頬に、フレデリカの手が触れた。

 いとも呆気なく、接触不可の理を纏いし白の凶獣に、ちぎれた腕が再生しながら触れていた。

 

 その法則に隙をつくったのは、殺意への偏重。

 忌々しい。何も聞きたくない。今すぐに殺して黙らせてやりたい。

 いつまで経っても死なないフレデリカへと向けた殺意(おもい)が、いつしか非接触の渇望に狂いを生じさせていた。

 秒間に、何千、何万という轢殺を繰り返す疾走。試す機会などその数だけあり、億分の一、兆分の一の確率だろうと、間隙に生じたか細い可能性を掴んだまで。

 

「何となく理解しました。あなたは逆さまなのですね。

 表と裏、まるで黒と白のように。とても複雑なその心が、こちらの人間の特徴なのでしょうが。

 察しますに、あなたは抱きしめてほしいのでしょう?」

 

 シュライバーは動かない。いいや、動けなかった。

 フレデリカの指摘は間違いではない。心理の急所を突かれ、放心に近い状態で硬直している。

 それは戦意の喪失とも見て取れて。ならばこの戦いを制したのはフレデリカだと、そう見ることも出来るだろうが。

 

「手に入らなかったものを欲しがる。ああ、それならわたしでも分かります。

 殺人鬼(わたしたち)のような者でも愛してくれる誰かを。ならば私が引き受けましょう。

 あまねく殺人鬼を慈しめ、と。わたしはかつて、そのように自らを定義したのです」

 

 喋っているフレデリカは気付いていない。

 しかし、この場にもしも、()()()()()()がいたならば、即座に気付いていただろう。

 疾走を止めて、我を忘れたように呆けるシュライバー。されど無力なようにしか見えないその姿が、今までの数段増しに恐ろしく映る。

 何か、あらゆる生物にとって致命的なものが、ここに現れようとしている。生命が持つべき正常な危機本能が、警告を訴えて鳴りやまないから。

 

「あなたが主に求めているのも、つまるところそういうものではないですか?」

 

 そんなことにまるで無頓着な、フレデリカの問いかけが引き金だった。

 

「オマエごときが、あの人を語るナアアァァァァァァァァッ!!!!」

 

 響き渡る魔狼の咆哮。

 魔人ということを加味しても、想像を絶した音の暴力。殺意と狂気が織り成した破滅の調べが、フレデリカをバラバラに引き裂いた。

 フレデリカだけではない。拡散する振動波は周辺空間を震撼させ、形ある総てのものを塵に変えて抹殺し尽くす。

 もはや何人といえど、その生存を許さない。壊れた意識が更に破滅的な方向へと振り切れて、殺戮の権化として存在を完成させようとしていた。

 

「うーん、うまくいきませんねぇ」

 

 そしてこの期に及んでも、フレデリカは何も変わらず。

 バラバラにされようが、僅かな間で完全に元通り。不死身の殺人姫の心は不壊のままだ。

 場を弁えない呑気な呟きも相変わらずで。それは根本的に他者とズレていることの証明でもあった。

 結局のところ、彼女の理解などこの程度。凶戦士の域には遠く及ばない。現象を解しているだけで、実情は何も分かっていないのと同義だった。

 

 その存在は、畏怖される事はあれど、慕われる事はない。

 人を率いて、心酔させるカリスマの才能が致命的に欠けている。

 同じ殺人鬼すら、いずれは離れていってしまう。慈しむと口にしながら、その手の中に残るものは何も無かった。

 

「あら?」

 

 そんなフレデリカから漏れたのは、ささやかな驚き。

 特に意図したわけではない。ならばこれは、本当にただの偶然なのだろう。

 何気なしに横へと目を向ければ、そこには倒れ伏したルサルカの姿があった。

 

「あらあらお姉さま、こんなところにいたのですね。

 いつの間にかいなくなっていらして、わたしすっかり忘れておりましたわ」

 

「あ゛……う゛……」

 

「おや?もしかして、もう駄目そうですか?」

 

 もしかして、ではない。ルサルカは既に死に体だった。

 魔人としては、さほど肉体強度や再生能力に優れているわけではない。それらを自らの叡智で補うのが魔女としてのやり方。

 その自負は確かなものだが、シュライバーという暴威を前にそんな賢しさなどあまりに脆い。ただの一轢で十分すぎるほどの致命傷。もはや時間を待つだけでその命は尽きるだろう。

 

「ではせっかくなので、死ぬ前に答えていただけませんか?

 どうしてうまくいかないんでしょうか?わたしは殺人鬼(わたし)の仲間たちを愛してあげたいと願っているのに。どうしてだかうまくいかないのです。

 以前においても、そして今も。もしお分かりでしたら教えてくださいませんか?」

 

 死に逝く者への言葉とは思えない無思慮な発言。

 そんな言葉を死の淵で聞かされて、いい加減ルサルカにも怒りが沸き上がった。

 

 ああ本当に、何なのだこれは。

 どうしてこんなことになっている?運命とやらはどこまで悪趣味なのだ。

 こんな殺人しか能がないケダモノ連中に嬲られて、このまま終わるのが自分の三百年の結末だと?

 

「ふざ、けるな……!」

 

 もはや自力では持ち直すことも出来ない。学校に敷かれた陣も、シュライバーの疾走でとうに壊されている。

 情けを求めようにも、殺人鬼が相手では意味もない。弄ばされるのがオチだろう。

 無駄だというのは承知の上。それでも、こうなっては憤りの一つでもぶつけてやらないと、とても収まりがつきそうにない。

 

「愛、ですって?笑わせないでよ。

 そんなの、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 他人からの思いを身勝手に改竄し、己にとって都合がいいように変換しているだけ。

 どこまでいっても外れた怪物。人との共感能力なんて持っていない彼らだから。

 シュライバーがルサルカにこだわるのも、つまるところ名前が同じというだけの理由。自分自身を憐れむための自己愛に過ぎない。

 この少女だって同じ。仲間だといいながら、自分自身を慈しんでいたいだけの、自愛に耽った異端児でしかない。

 

「そうでしょうよ。まともなやつなら、アンタたちみたいなのは誰も愛さない。

 だから自分みたいなのでも愛してくれる相手が貴重なんでしょう。怪物みたいな奴らしか、まともに相手もしてくれないから。

 でもね、結局のところ怪物は怪物なの。奇形の感情だから分かりにくいだけ、それだって愛なんて呼べるものじゃない」

 

 たとえば、ラインハルト・ハイドリヒ。

 黄金の獣は総てを愛している。そこに貴賤はなく、総てを呑み込む覇者の器。

 故にシュライバーのような者でも呑み込める。それを以て愛しているというなら、そうなのかもしれないが。

 要するにそれは駒を愛でているに過ぎない。不幸に満ちた人生さえも良しとして、悲劇という芸術を愛しているようなもの。

 人の愛ではなく、神の視点による愛。そんな形でもなければ愛してもらえないから、シュライバーは黄金に服従している。

 

 ならば、フレデリカはどうか?

 少女はかつて恋をした。絢爛にして美々しき凶剣。凄絶な在り方に、乙女は熱を知らされた。

 その恋は成就したと、フレデリカは確信している。不変の中に刻まれた唯一無二として、しかとその心を勝ち取ったと疑っていない。

 

 だが言い換えるなら、そういう形でしか成就できなかったとも言えて。

 それを愛だと言い張るのも、結局はフレデリカ独りのものでしかなく。

 

「アンタが欲しがっている愛なんてね、アンタの独り善がりな妄想の中にしか存在しないのよ!」

 

 憤る感情のままに吐き出して、ルサルカはそれ以上の言葉を飲んだ。

 目に入ったフレデリカの反応。それは怒りでも悲しみでもない。

 喜怒哀楽がはっきりしない、無垢な童のような顔で、フレデリカは泣いていた。

 流れ落ちる雫のような涙を零して、処理しきれない感情に振り回されているように。

 

 その意味は窺い知れない。しかしそれを不吉だとルサルカは受け取った。

 

 殺人鬼の感情なんて理解できない。

 しかし彼らの感情が、最終的に殺意へと直結するのは知っている。

 見せたことのない感情の発露。だがそれとても、行き着く先には殺意があるのは明白であり。

 

 せめて最期は潔くなんて心理にはなれない。

 それをするにはあまりに長く、生き汚く在りすぎた。

 ルサルカ・シュヴェーゲリンという存在。三百年続いた人生を捨てきれない。

 長生きの分だけ未練は深く、もはや凡庸な結末では納得なんて出来ないから。

 故に恐怖が先立つ。既に助からない身だと分かっていても、未練がましく生に縋りつきたがっている。

 

 無論、そんなことで躊躇するフレデリカではあり得ず。

 怯えて震えるルサルカの姿を見下ろして、その華奢な凶手を振り下ろした。

 

 

 

 

Vorüber, ach, vorüber!(ああ わたしは願う どうか遠くへ)geh, wilder knochenmann!(死神よどうか遠くへ行ってほしい)

 

 呪詛の詠唱が紡がれる。

 剥がれ落ちた眼帯。右の眼孔より零れ出す汚濁の腐汁。

 それこそ轢殺してきた轍そのもの。血が膿が蛆虫が、ドロドロに混ざり溶けた人体の残骸。 

 

 黄金の獣が掲げる破壊の情。

 されどこれを以て愛と見做すのはいくら何でも無理がある。

 シュライバーに愛など無い。あるのは極限に達した嫌悪と憎悪。

 ただ憎いから殺す。これほど単純明快な殺意が他にあるだろうか。 

 

Ich bin noch jung,(わたしはまだ老いていない)geh,Lieber! Und rühre(生に溢れているのだから)mich nicht an.(どうかお願い 触らないで)

 

 すでに銃もバイクも消え失せている。

 それも必然、何故なら空手となった今こそがシュライバーの真の姿。

 まともに道具を使おうとする理性など、凶獣にとっては足枷でしかないのだから。

 

 人器融合型。

 血を欲し、殺しを好み、悲鳴と断末魔に歓喜する悪鬼こそが発現させる戦闘形態。

 血塗られた聖遺物の担い手。黒円卓の誰よりも、シュライバーこそがそのスタイルに相応しい。

 

Gib deine Hand(美しく繊細な者よ), du schön und zart Gebild!( 恐れることはない 手を伸ばせ)

Bin Freund und(我は汝の友であり) komme nicht zu strafen.( 奪うために来たのではないのだから)

 下劣な者共の抱擁などいらない。

 私はすでに、至高の御方によって愛されているのだから。

 あなたに愛され、壊された最初の牙として、無限の魂を捧げましょう。

 どうか永久なる栄光を。私は畜生ではなく、あなたのためのエインフェリアでありたい。

 この死世界(ニブルヘイム)に他人は無用。黄金の愛に抱かれ、疾走を続ける絶速の魔狼こそが我が姿。

 

Sei guten Muts! Ich bin nicht wild,(ああ 恐れるな怖がるな 誰も汝を傷つけない)

 sollst sanft in meinen(我が腕の中で愛しい者よ) Armen schlafen!( 永劫安らかに眠るがいい)

 

 ああ、ようやく分かった。

 足りなかったのではない。今までの自分は足りすぎていたのだ。

 半端に言葉など交わし、相互理解の真似事なんてする意味もない。

 私は殺す。ただ殺す。私の目の前に立つということは、即ち死ぬということなのだと思い知れ。

 たとえ相手がどんな存在だとしても。黄金の主命がくだった以上、死と破壊を振り撒く暴風となればいいのだ。

 

Briah(創造)――Niflheimr Fenriswolf(死世界・凶獣変生)

 

 不死身など知らぬ。死なないというなら無限に殺し続けよう。

 ここに張り子の理性を剥ぎ捨てて、黒円卓最強の狂戦士(ベルセルク)が起き上がった。

 

 

 

 

 抵抗できる余力なんて微塵も残っていない。

 最期の意地を吐き出した時点で、ルサルカに打てる手立てはなくなった。

 フレデリカの手から逃れる術はなく、怯えて震えながらその瞬間を待つしかなかったが。

 

「……?」

 

 されど、覚悟した瞬間は一向に訪れない。

 いいやそれどころか、先ほどまでよりも幾分か楽になっている。

 そんなはずはない。そう思いながらも、他にやれることもないルサルカは顔をあげた。

 

「お借りしていたものを返しました。これで少しは持ち直したのではありませんか?」

 

 振り下ろされた手は、殺意ではなかった。

 ルサルカより支配を奪った聖遺物、その分の魂を返却している。

 絶命必至だった運命が覆る。少なくとも首の皮一枚分くらいは繋がった。

 

 だが、こんなことはあり得ない。

 人を殺すことしか知らない殺人姫。その少女がよもや、人を助けるような真似をするなど。

 行動の意図が分からない。礼を述べるのも違うだろう。訝しんで相手の様子を窺うしか、ルサルカにはできなかった。

 

「アンナさん、と仰いましたね?」

 

 それは呼ぶ者もいなくなって久しい。使う機会もほとんどなくなっていた彼女の本名。

 呼ばれた名前が自分のものだと、ルサルカ当人にも一瞬理解できなかった。

 

「アンナさんは、恋をしたことがおありですか?」

 

「はぁ?いきなり、何を……」

 

「わたしは、あります」

 

 熱く、強く、はっきりと。

 確かな熱を胸に灯し、虚ろではない思いの丈を口にされる。

 その言葉の真っ直ぐさにルサルカは言葉を失った。思わず見惚れてしまうほどに今のフレデリカは乙女として完璧に見えた。

 これがあの殺人鬼かと、目の前の相手が分からなくなる。いったいどこに心変わりの要素があったのか、ルサルカの主観では見当もつかなかった。

 

「あなたにはどうやら、あの御方の先約があるご様子。であればここでわたしが殺めるわけにもまいりません。

 ええ。少しだけ妬ましくもありますが、あの御方ならば致し方ありませんね」

 

 ルサルカの理解を待たず、フレデリカは向き直る。

 虚空へと手を伸ばし、何も無い空間から引き摺り出すように取り出したのは死鎌(デスサイズ)

 これこそフレデリカの本当の凶器。幾万、幾億の命を狩り、それ単一でも魔将として機能する、少女の身の丈を優に越える大鎌を軽やかに振りかざす。

 

「あの御方の刃に掛かるのなら心構えはなさっておくことです。

 あの御方は厳しい。それにやり方も荒々しいので、それが情熱的とも申せましょうが。きっと今のままのアンナさんでは、呆気なく終わってしまうでしょう。

 それは悲しいです。あなたにとっても、あの御方にとっても。不変として刻まれるのがそんなものでは、きっとやるせないでしょうから」

 

 それは忠告、なのだろうか?

 ルサルカには判断がつかない。それが何を意味しているのかも。

 ともかく相手はこちらを見逃そうとしている。それだけは確実らしい。

 ならばこんな所に長居は無用。下手な気まぐれなど起こされる前に、速やかにこの場を立ち去る。そう考えるのに迷いはない。

 

 それでも、フレデリカが告げた言葉を、ルサルカは忘れることが出来なかった。

 殺人鬼が発する空虚な戯言。ここまでは何一つとして、まるで共感できなかったというのに。

 今の言葉だけは違う。それはルサルカの本質を捉え、胸の内の琴線を震わせていた。

 立ち去っていく最中にも反芻せずにはいられない。フレデリカの言葉は、ルサルカに刻まれていたのだ。

 

 とはいえ、そんな心境がこの場の事態に影響をもたらすわけではない。

 ルサルカ・シュヴェーゲリンは戦場を離脱した。事実としてはそれだけのこと。

 少年と、少女のカタチをした二匹の怪物。両者の意識に彼女の存在などもはや片隅にもありはしない。

 互いの殺意は互いに対してのみ向けられている。思いの性質は違えども、相手を殺してやりたいと伝える意思に違いなんて何処にもなかった。

 

「Vorüber! ach,vorüber! Geh,wilder Knochenmann!

 Ich bin noch jung,geh,Lieber!

 Und rühre mich nicht an――Und rühre mich nicht an!」

 

「おいでなさい、坊や。抱き締めてあげましょう」

 

 狂乱する白い暴風を、死鎌の刃が迎え撃つ。

 先天か、後天かの違いはあれど、両者が歴代屈指の殺人鬼である事実は変わらず。

 彼らは世界の外れ者。道理を持たない同族喰らいが、ついに己の同胞をも喰らうべく牙を剥いた。

 

 

 

 




展開の都合上、決着は次々回に持ち越しです。
次回はマグサリオンとマキナの視点をやります。
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