妹の病気が少し深刻化したらしい。
親からそう聞かれた。だから、引っ越すと。
「ねえ、パパ、ママ。…あの子は、ルクスは大丈夫かな…」
私がそう言えば、父は、きっと大丈夫と頭を撫でた。
妹、ルクスグラーテスは生まれた時から病弱で、家にはあまり帰って来れず、人生のほとんどを病院で過ごしていた。
父も母も、ルクスにつきっきりで、寂しかったが、しょうがなかった。
我が家はルクスでまわっている。当然のことだから。
私は、灰色の世界にいる。
幼い私は、悲しいと寂しいは分かれど、楽しいというものがイマイチわからなかった。
─引っ越したその日。両親は律儀にも隣の家に挨拶をしていた。
隣の家の人も、鬱陶しがられず、快く応対していた。
「かあさーん、ただいまー!」
「あらおかえり、ハヤヒデ、ブライアン。ああ、ちょうど良かった。この二人は娘でー…」
芦毛と黒鹿毛の、ウマ娘の姉妹だ。
ルクスも、体が丈夫だったら、一緒にいられただろうか。
「ビワハヤヒデです。…ブライアン」
「………」
黒鹿毛の子は恥ずかしそうにもじもじと後ろに隠れた。
「すみません、この子人見知りで…」
「いえいえ。…レックス、できるよな?」
「わかってるわよ、パパ。私の名前はステルラレックスです」
「ステルラレックス…うん、よろしく」
ビワハヤヒデは手をすっ、と差し出し、それを返した。
「………」
じっ、とビワハヤヒデの背からこちらを覗かせている。
「…えっと」
「ああ、妹のナリタブライアンだよ。…いつもはねーちゃん、ねーちゃんって甘えてくるけど…」
「ねーちゃん、うるさい…」
小声でボソッ、と聞こえた。
だがそれ以降、目が合わなくなった。
「よかったわね、レックス。ウマ娘の友達ができて」
「うん」
「では私たちはこれで。これからよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ。ほら、レックス。いくぞ」
「はーい。じゃーね!」
とくになんてことはないのだ。
世界は相変わらず、灰色のままなのだから。
その日の夜。
環境が変わったせいか、寝付けなかった。
部屋は殺風景、という訳では無いが、年頃の娘にしては物が少なかったし、私はこれといって趣味がなかった。
「困ったな…学校あるのに」
友達はいたが、あくまで一年も満たないし、特に思い入れもなかった。
はぁ、とため息をついてガラガラと窓を開ける。
隣の家の窓も閉まって、真向かいの部屋は暗い。寝ているか物置部屋なんだろう。
ガラッ!!!
「!?」
突然向かいのカーテンが開けられたかと思ったら、窓が豪快に開けられた。
「あ…」
「ビッ、クリした…えと、ナリタブライアンだっけ?」
「……ん」
ペタ、とウマ耳は前に倒れた。
ぬいぐるみは随分と力強く抱きしめられて、少し可哀想だった。
「…窓開ける音、ビックリしたから」
「なんか、ごめん…」
何気なく窓開けただけなのに、そんな鬼気迫るような顔で開けられるのは申し訳なく感じた。
元々、ナリタブライアンは喋らないのか、沈黙が続いた。
「ねえ、ナリタブライアン。明日、一緒に学校行ってもいい?」
「…ブライアンでいい。…行ってもいいよ、ねーちゃんも一緒だけど」
「ありがとう。じゃあ、学校でね!」
「……」
コクン、と頷く姿はとても可愛いと感じたものだ。
その日を境になのか、少しだけ距離が縮まったと思う。
──そんな、夢を見た。
「……」
今日から、今住んでいる家から離れる。私一人だけ。
日本ウマ娘トレーニングセンター学園。通称・トレセン学園に、通う。
今日はまだ休日だが、寮に世話になるのは今日からになるので、家はもう出ていくのだ。
「懐かしい夢…」
自分がまだ、レースに出たい、走るのが好きになる前である。
親はルクスにつきっきりで、寂しさも、親の期待も、自分が何をしたいのかも何も分からなかった、本当に自分も世界も灰色で、何も見えなかったあの頃。
今はそんなことないが。
ガチャ
「おい、まだなのか」
「………遠慮ってのがないの?」
「今更だろ」
「一回、ハヤちゃんに怒られろー、チクってあげるから」
「チッ…面倒になるからやめろ」
「とりあえず、さっさと着替えるから、待ってなさいよ」
「ん」
バタン、と閉めて行った。
「ハァ…よし」
パン、と頬を叩く。
ようやく本格化も迎えたのだ。やっと、二人と走れる。
ああ、楽しみだ。
世界はこんなにも、色鮮やかなのだから。