君と夢見た明日へと ──トップウマドルを目指して☆──   作:キビタキ

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序章 目覚め
【第1話】届かぬ明日


 俺の愛馬が駆けている。

 前傾姿勢、手を大きく振り、足を力強く踏み出し、髪と尻尾をたおやかになびかせて…。

 

 ──『ウマ娘』、それは逆立つ耳と長い尻尾を持つ、人間とは少し違った不思議な存在。別世界の名前と魂を受け継いで生まれてきたと言われているが、本当のことはよく分かっていない。

 彼女たちは生まれながらに走る喜びと素晴らしさを知っている。今日もまた、遥か先に待つゴールを見据えて、ただひたすらに駆けていくのだろう──

 

 最速のウマ娘を決める夢の新レースが、今終わった。

 会場全体を揺るがすほどの大歓声。観客たちの視線は、今日の主役を高々とそびやかす、ウイナーズ・サークルへと注がれている。勝利を称える拍手喝采が鳴り止むことはない。会場はいまだ冷めやらぬ熱気に包まれている。

 俺は、達成感で輝かんばかりの彼女を側で見つめていた。マイクを持ったインタビュアーが、勝者へ質問を投げかけている。

 

「素晴らしい走りでした! この勝利を誰に報告したいですか?」

 

「はい…そうですね、やっぱり両親に伝えたいです!」

 

 会場全体にエコーがかかった元気な声が響く。興奮と嬉しさからか、落ち着かない笑顔を見せる彼女。

 

「あっ、それと…」

 

 額の汗を腕で拭いながら、息を整える。

 

「トレーニングセンターの仲間や、私をサポートしてくださった皆さん…そして…トレーナーさんです!」

 

 彼女はこちらへと振り向いた。

 

「トレーナーさんがいなかったら、私はここまで来れませんでした! これからもよろしくお願いします!」

 

 湧き上がる一際大きな歓声と拍手。インタビュアーはさっと俺へとマイクを向けた。

 

「ありがとう。ただ自分は彼女の手助けをしてきただけです。彼女がこれからも輝けるよう、二人三脚で頑張っていきます」

 

 我ながら、当たり障りのない無個性なコメントと思えたが、それは紛れもない本心だった。心なしか、さっきより控えめな拍手が響いた。

 その間、彼女は一切視線を逸らすこともなく、満足げな顔でずっと俺を見ていた。

 しかし、ほんの一瞬。恥ずかしそうに顔を赤らめたと思うと、急に観客席に振り向き、大きく手を振ってみせた。

 

(もしかして、照れ隠しだったのか…?)

 

 彼女が不意に見せたその姿に、俺は確かな充足感を覚えていた。

 観客たちは総立ちで手を振り返し、いつしか彼女へのコールが始まっていた。

 この娘は名実共にスターウマ娘に登り詰めた。そして、これからもその歩みを止めることなく、新たな希望を胸に次のステージへと旅立つのだろう。

 だが、俺がそれを見届けることを、運命はきっと許さない。

 

 こうして大会は幕を閉じた。

 その日の夜、彼女のための祝賀パーティが催された。きらびやかな装飾、豪華な食事、惜しみない称賛。幸せな時間はあっという間に過ぎていった。

 

 パーティの後、俺は彼女と優勝の余韻に浸っていた。これまで何度もトレーニングに励んだ、校内のトラックが一望できる小高い場所。

 月明かりがほんのりと照らす寒空の下、静かに舞う夜風が、二人の吐息を白く染め上げていく。

 今日の本番のこと、これまで道のりや思い出、そしてこれから走ってみたいレースのこと。彼女は誕生日プレゼントをもらった子供のように目を輝かせながら、たくさんたくさん話してくれた。

 

「トレーナーさんがいれば、私絶対負けませんから!」

 

 いつの頃からか始まった彼女の口癖だ。俺には決まって返す言葉がある。

 

「ああ、そうだな。絶対勝たせる」

 

 これからも一緒に歩んでいける、そう思いたかった。彼女も、周りの人も、誰もが皆そう思っているだろう。しかし、俺にとっては、今日が別れの日。

 

「なぁ…」

 

 そう言いかけて、しかし口をつぐんだ。

 ただ、何というか、壊したくなかった。

 

「…今日は本当におめでとう。明日からも頑張ろうな」

 

 そう、明日。

 輝かしい明日。

 希望に満ちあふれた明日。

 彼女にはそれが待っているのだから。

 

 柔らかな風が彼女の髪をふわりとなびかせる。髪を片手で抑えながら、彼女はゆっくりと空を見上げた。

 ずっと見つめていたくなるくらい優しげな横顔。つられて視線をやると、そこには雲ひとつない綺麗な星空があった。

 それが当然のように、二人はいつまでも、黒い海に浮かぶ無数の輝きを眺めていた。

 その時が来るまで、ただ、ずっと…。

 

 

 うっすらと、本当にうっすらと、いつも決まって見る夢がある。

 その部屋には大きな両開きの窓ガラスがあって、柔らかな日差しが差し込んでいる。見渡せば、いかにも高級そうな絨毯、ソファー、絵画、本棚。

 少し目線を上げると、壁にはいくつかの肖像画。端から初代理事長、二代目理事長、と順に書かれている。

 部屋全体から形容しがたい厳かな雰囲気が漂う。真正面には、書類がうず高く積み上げられた机。

 そして、その奥に佇む、一人の少女。鮮やかな橙色のロングヘア。白菫色を基調とした洋服には、ところどころ藤色のラインが入っている。その服と同じ色をした帽子の上には、本物か偽物かも分からない、白黒の八割れ猫が微動だにせず居眠っている。

 

「感謝ッ! 当学"院"に志望してくれるとは嬉しい限りだ」

 

 その小さな見た目からは想像できない快活な声。

 いつもここで学"院"という言葉に違和感を覚えるのだが、構わず目の前の少女は続ける。

 

「早速だが、志望理由を聞かせてほしい」

 

 俺は決まってこう答える。

 

「はい。子供の頃の話です。初めて見たウマ娘のことがとても印象に残っています。精一杯走る姿、一着でゴールを駆け抜けて手を振る姿、ウイニングライブで輝く姿、どれも子供心ながらに感動し、強い憧れを感じたのを覚えています。それ以来、トレーナーという形で彼女たちの力になりたいと思うようになりました。それが御院を志望した理由です」

 

 うんうんと頷きながら、彼女は次の質問を口にする。

 

「その娘がどんなウマ娘だったか覚えているかな?」

 

 やはり決まってこう答える。

 

「はい。名前も分からないですし、本当に微かな記憶ですが、赤茶色の長い髪と青色の目をしていたように思います。真っ直ぐなその瞳と、笑顔がとても眩しかったことも覚えています」

 

「もしその娘と会えるなら、会ってみたいかな?」

 

「はい。もちろんです。ずっと憧れの存在でしたし、彼女に会うことは夢そのものですから」

 

「うむ、結構ッ!」

 

 急に扇子を取り出したかと思えば、バサッと開いて自らを扇ぎ始める。その激しい動きにも、頭上の猫は全く動じない。

 

「では、最後の質問だ」

 

 扇子が閉じられたと同時に、不意に、猫があくびをした。どうやら本物のようだ。

 

「その夢を叶えるために、君はどうしたらいいと思う?」

 

 少しだけ間を置いて、自信なげに返事をする。

 

「…分かりません。記憶を頼りに調べたことがあるのですが、結局誰なのか分からずじまいでした」

 

「確かに、今はそうかもしれない」

 

 彼女は扇子を勢いよくこちらへ向ける。

 

「夢を叶える方法はただ一つ…明快ッ! それは諦めないことだ。君にはこれからたくさんの苦難が待っているだろう。つまずくこともあれば、逃げ出したくなることもあるはずだ。だが、諦めなければ、きっと…いや、必然ッ! その時はやって来る」

 

 小柄な少女が発するとは思えない胆力に満ちた言葉。

 その熱い瞳を、俺は黙ったまま見つめ返している。

 

「君の眼差しは力強く、純粋で、そして真っ直ぐだ。その夢を必ず叶えてほしい」

 

 次の瞬間、再び大きく開かれ高々と掲げられる扇子。

 

「契約ッ! 今日から君を、当学院のトレーナーとして迎えよう!」

 

 内心で嬉しさを爆発させる。子供の頃からずっと夢見ていたトレーナー。胸から希望があふれんばかりにこんこんと湧き出て、これから始まる学院生活に思いを馳せる。

 

(トレーナーとして活躍して、きっといつか…憧れのあの娘に会おう)

 

 そう決意した矢先。徐々に白くなっていく視界。現と夢がたゆたう狭間。

 ここまで来て明確に悟る。ここが夢の終わり。もうすぐあの音が聞こえてくる。

 そうだ、俺はまた…。

 

 

……

………

 朝だ。

 目覚まし時計の音が聞こえる。俺を眠りから起こさんとするこのけたたましい騒音には、いまだに慣れない。

 いつも通りそれを左手で叩くと、部屋はまた静寂に包まれる。そして、右手で枕の側に置いているスマホを確認する。起床時のルーチンワークだ。

 職業柄、最初に確認するのは天気だ。バ場の状況はとても重要だからだ。

 

「晴れ、晴れ、曇り、雨、曇り、曇り、晴れ」

 

 今週の予報を読み上げる。いつもの並びだ。

 それから日付を確認する。2021年4月2日。俺の"初めての"出勤日だ。だが、それは周りの人たちにとっての話。俺にとっては"何百回目かの"初出勤日だ。

 

「やっぱり駄目か…」

 

 スマホを放り投げ、もう片方の手で顔を覆う。喪失感と疲労感が一気に込み上げてくる。

 とはいえ、もう慣れたものだ。最初の頃は回数も数えていたが、今ではそれすらどうでもいい。

 指の隙間から、白いだけで何もない天井を見つめる。

 

 その時だ。

 理由は分からない。初めて担当したウマ娘の姿が、ふと頭をよぎった。

 

「ファル子…」

 

 無意識のうちにその名が口をつく。

 望んだわけではない。声が聞こえたわけでもない。でも、彼女のことを思い出さなくてはいけない。

 ただ何となく、そんな気がした。




読んでいただき、ありがとうございます!
初投稿ですが、途切れないよう頑張ります。

2021/09/13:誤字修正
2021/09/17:誤字修正
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