君と夢見た明日へと ──トップウマドルを目指して☆──   作:キビタキ

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【第3話】鉛の靴 ④光と影の選抜レース

 そこには二つの感情が渦巻いていた。

 

 一つは歓喜。

 まるで将来を約束されたかのような喜びよう。

 上位で走り抜けたその娘たちは、大輪の花のごとく華やかな表情で咲き誇る。その満開の花へ、トレーナーは蜜蜂のように一目散に言い寄っていく。

 一つは悲哀。

 まるでこの世の終わりのような落胆ぶり。

 下位に沈んだその娘たちは、自らの非力さ、ひ弱さ、運の無さを悔しがり、そして涙を飲む。追い打ちをかけるように、誰も彼女たちには目もくれない。とぼとぼと、力無くその場を後にする。

 

 それはあまりにも鮮烈な光と影。

 悲しいかな、蜘蛛の糸を垂らすお釈迦様もここにはいない。それが勝負事の世界の厳しさだった。

 

 運命を決めるかもしれない選抜レース。それは本番とほぼ同様の条件下で行われる。

 生徒は事前に希望のコースを申告し、それに基づいて一レースにつき出走者十二人がランダムに選ばれる。同時にウマ番と枠番も決まり、スターティングゲートも実際のレースのものが使用される。

 選抜レースを見にやって来るお客さんも本番と同じ一般の人々。本職の実況者による音声も流される。

 また、後から確認できる意味も含めて、レースの模様はインターネットでライブ配信及び録画される。

 あらゆる観点から、まさに本番さながらのレースなのだ。

 

 ゴール付近にある、トラックを一望できる小高い場所。ここには数十人のトレーナーが屯している。双眼鏡を使う者、終始タブレットを操作している者、優雅に缶コーヒーを嗜んでいる者など、観戦スタイルは様々だ。

 ただ一つ、全員に共通しているのは、黙ったまま刃物のように鋭利な視線を向けているということである。傍から見たら異様な群勢に見えるだろう。

 桐生院さんもさして遠くないところで観戦しているが、とても話しかけられる雰囲気ではない。この日ばかりは、同僚といえどぴりぴりと張り詰めた雰囲気が漂っている。

 開いた手帳にメモを書き残しながら、肌にまとわりつくそれに、一人ため息をついた。

 

(何か苦手だな…こういうのって)

 

 昼過ぎから始まった選抜レースは、この芝のトラックでは次が二十走目になる。ファル子が臨む本番の一つ前のレースだ。

 ここまでのレースで良い走りを見せた生徒は何人もいた。上位に食い込む娘はもちろんだが、たとえ中位程度に収まっても、きらりと光る物があればトレーナーたちは見逃さない。

 前途を見出された娘は熾烈な争奪戦となる。

 気になる娘にはレース直後に声をかけ、次に会う約束を取り付けたり連絡先を聞いたりするのが、選抜レースにおける半ば暗黙の了解になっている。即決する娘ばかりではないので、決して早い者勝ちというわけではないものの、こちらの熱意と本気度を伝える意味で、初動は大切なのだ。

 もちろん、自分もその争奪戦に加わりに行くのだが、そこはやはり新人であることの壁が大きく立ち塞がる。

 ベテラントレーナーと被ってしまえば、その時点で実績のない新人は真っ先に足切りに遭う。

 それでは誰とも被らなければ、もしくは被っても新人同士であれば手応えはあるのか、といえばそうではない。今度は生徒から微妙な反応をされるのである。

 契約は喉から手が出るほど欲しいが、「できることならあなたじゃなくて…」、「それなら次回の選抜レースに懸けたい」、そんな心情が見て取れるのだ。あるいは、お互い余り物同士で傷を舐め合っている、そんな身も蓋もない本音が透けてしまうからなのか。

 中には二つ返事で快諾してくれる娘もいるのかもしれないが、そうなると逆にこちらが不安になってくる。

 とどのつまり、即決ということはありえないし、レース後に何人かの候補と時間をかけて話し合い、契約までこぎつけることになるのだろう。

 

(これが色んな生徒の尻尾を追いかけるってことか…)

 

 ぱたんと手帳を閉じ、スターティングゲートを見据える。

 鳥林さんのアドバイスの意味を、ここに来てようやく理解するのだった。

 

 二十走目の生徒たちのゲートインが完了し、赤いランプが灯る。

 ファル子が出走を予定しているのと同じ、芝の千六百メートル。

 十二人が一斉にスタートした。最初は横並びだったバ群が、各々が得意とする脚質に合わせて位置取りを開始する。

 逃げが二人、先行が四人、差しと追込が六人といったところだろうか。

 見た感じ、何の変哲もないレース展開。前評判で騒がれているような目玉の生徒もおらず、ごくごく平凡なレース。

 聞こえてくる実況も地味な内容。歓声も特に大きいわけでもない。

 目立ったことは何一つ起きず、先頭集団が最終コーナーを曲がり終え、各人ラストスパートの様相。

 その時、かすかに覚えた違和感。

 

(あの娘…何か走り方がおかしくないか?)

 

 それは後方に位置する白毛のウマ娘。

 非常に目立つ珍しい毛色。純白よりも少し黄みがかっていて、正確には象牙色に近いだろうか。

 あの娘はレース開始からずっと後ろから二番目を走っていた。おそらく差しウマなのだろう。

 手足の動きは全力疾走のそれに見える。しかし、かすかに覚えた違和感の正体、それは尻尾の動きだった。白く長い尻尾が、走りに全く連動せず不規則にゆらゆらとたなびいているのだ。

 

 ウマ娘が走る時、尻尾は意外に重要な役割を果たしている。体全体の重心を整えたり、上下運動の反動を推力に変換したり、主に走る際のバランス感覚に影響を及ぼす。それゆえ、日々の手入れが欠かせないし、専用のケア商品がいくつも販売されているほどだ。

 効率的な尻尾の動かし方はウマ娘によって様々だが、それは誰かに教わるものではなく、本能的に自ずと身につくものだ。歩いたり走ったりする時、前に出す足の反対の手が連動するのと同じくらい、自然にそうなるのである。

 だから、よほどのフォームチェンジを行った直後でもでもない限り、あるいは、意識しなければあのような不規則な動きにはならないはずなのだ。

 そういう走り方と言われればそれまでだが、とても全力を出しているようには見えない。速度が出すぎないよう、わざと調節しているようにさえ思える。

 

(もしかして、本気で走ってない…のか?)

 

 結局、彼女は全く順位を変えることなくゴールした。

 そして、一番不可解なのは、その順位にもかかわらず、表情を何一つ変えなかったことだ。

 疲れた様子もなければ、悔しがる様子もない。ただ、ぼんやりと虚空を見つめているようだった。

 トレーナーは誰も彼女に歩み寄ろうとはしなかった。

 順位だけ見れば、ある意味最下位よりも影が薄い十一着。特にこれといった長所も見当たらないのだから、そうなってしまうのは当たり前ではある。

 

 勝利に喜び、敗北に泣く生徒たちを尻目に、一人てくてくとトラックを後にする白毛のウマ娘。

 

(よく分からないけど…やっぱり気になるな)

 

 胸にくすぶるもやもやに耐えられず、ひとりでに足が動いていた。

 惨敗したレースの後とは思えない、まるで休日の散歩のような雰囲気を漂わせて、その視線は相変わらず澄んだ青空へと向けられていた。

 

「ハッピーミークさん、ちょっといい…?」

 

 おそるおそる横から声をかけてみた。

 しかし、反応が無い。もしかして名前を勘違いしていたのだろうか。慌ててゼッケン番号と名前を確認する。いや、間違いなく合っている。

 そこへ、ワンテンポ遅れた返事が届く。

 

「…スカウトですか…?」

 

 見た目に違わぬのどやかな声。視線をこちらに向けることもなく、その白いミディアムヘアを微風に揺らしながら、マイペースに歩き続けている。

 

「いや、何というか…スカウトではないんだけど、君の走りが少し気になったから、話だけでも聞けたらなって…」

 

「…お誘いありがとうございます。でも、トレーナーはもう決まってるので…ごめんなさい」

 

 歯牙にもかけないとはまさにこういうことなのだろう。こちらに一瞥すらせず、青空に浮かぶ白い雲を追いかけるように、彼女はふわふわと去っていった。

 あっさり振られてしまったのは構わないのだが、その理由がまた不可解だった。

 言葉の通りなら、選抜レースの前にトレーナーと契約を約束したということになる。それが本気で走らなかった理由ならば合点がいくが…。

 

(新入生なんだぞ、あの娘…)

 

 つまり学院に来て二日も経っていないのだ。そんな短期間で素質を見抜いたのか、はたまたコネか何かなのか。

 

『芝千六百メートル、第二十一レース。間もなく出走です』

 

 不意に聞こえてきた実況の声にはっとする。

 早く戻らなければと、思うが先か、動くが先か、定位置へと急いだ。ファル子のことだ、万が一にもこんな姿を見られたら、後で文句の一つは聞かされるかもしれない。

 滑り込みセーフのタイミングで、彼女がゲートインする姿をかろうじて見ることができた。ここからでは表情までは見えないが、足取りは何となく分かる。彼女は臆することなく、堂々と、運命のゲートへ踏み入っていた。

 

(ファル子、頑張れ…最後までずっと見てるからな)

 

 一枠一番から飛び出す彼女の姿を、固唾を呑んで待った。

 赤く灯るランプ。次いで、大きな音と共にゲートが開け放たれた。

 ファル子の選抜レースがついに始まった。

 

『さぁ、各ウマ娘一斉にスタート! 一番スマートファルコン、素晴らしい出足です! その勢いのまま先頭を狙っていきます』

 

 スタート直後、彼女は勢いよく先頭に躍り出た。彼女の得意な走りが逃げなのか。一枠一番の最短距離という利点を生かした作戦なのか。どちらにせよ、この状況から考え得る最も合理的なレース運びだろう。

 ペースを乱す要因となりそうな他の逃げウマも見当たらないし、このまま波に乗れば意外に良い結果を残せるかもしれない。

 しかし、そんな淡い期待はすぐさま打ち砕かれる。それに要した時間は、ほんの数秒だった。

 

『おおっと! 一番スマートファルコン、どうしたんでしょうか!』

 

 予見できることではあった。

 分かっていたことではあった。

 だが、いざそれを見せつけられて平静でいられるほど無情でもなかった。

 痛ましさに顔が強張っていくのを感じる。目も当てられない惨状であっても、最後まで見届けると今一度決意して、ただ一人歯を食いしばっていた。

 

(やっぱり芝じゃ、『鉛の靴』なんだ…)

 

 鉛の靴。それは"適性が無い"ことを意味する俗語。

 スプリンターが長距離を苦手とするように、逃げウマが後方では力を発揮できないように、ウマ娘には一人ひとり得意不得意がある。練習や努力ではどうすることもできない壁、それが適性だ。

 それは時に、無慈悲な現実を突きつけてくる厄介な代物に他ならなかった。

 

 第一コーナー手前での明らかな失速。先頭を走っていたのはほんの一瞬だけで、こうなってしまっては、もはや枠番の利点など意味を成さない。

 持ち前の脚力はどこへやら、まるで一人だけぬかるみの上を走っているようなぎこちなさ。

 青々とした絨毯は、他の娘には風の翼を与えるのに、彼女にだけは容赦なく鉛の靴を履かせるのだ。

 バ群に飲み込まれた逃げウマの末路は、言うまでもなく惨憺たるものである。

 だが、決して彼女から目をそらさなかった。他の娘なんて眼中に無い。ターフの海にもがきながら、必死に、そして懸命にゴールを見据える彼女。誰からも見向きもされないか弱い走りだとしても、俺は…俺だけは、最後の最後までじっと目を注ぎ続けた。

 

 午前の芝千メートル走を終えた時のように、彼女は力無く減速し、膝に手をついた。唯一違うところがあるとしたら、息も絶え絶えにしばらくそこから動けなかったことだろう。

 トップから大きく離されて、彼女の選抜レースは十着という結果で幕を下ろした。

 かろうじて最下位を免れたのは、後ろの二人が名も無い新入生だったからだ。九着との差は五バ身以上離れている。

 恵まれたウマ番を生かそうと気負ってしまい、初めから掛かり気味だったのもあるだろう。だが、それを抜きにしても結果は変わらなかったと思う。それほどまでに圧倒的な惨敗。

 ようやくトラックから離れ始めた彼女の下へ、そろそろと歩み寄る。当然のことながら、ファル子に話しかけにいくトレーナーは俺一人しかいない。

 ここまでさんざん見てきた悲哀の感情。彼女もまた、そのご多分にもれず曇った表情のまま俯いている。

 何か声をかけなくてはいけないのに、良い言葉が何も思い浮かばない。

 

「お疲れ様…」

 

 ようやく絞り出した言葉。走り切ったことを労ってあげるのがやっとだった。

 

「あはは…情けない姿見せちゃった。今日は反省会だね…♪」

 

 無理やり作ったような笑顔から発せられたそれは、この時できる精一杯の強がりだったのかもしれない。

 このレースが終わるまでは確認しまいと決めていた、過去の選抜レースの記録。タイムも結果も、今回とほぼ変わらない有様だった。

 彼女にとってターフが鉛の靴であることは、もう誰の目にも明らかだ。

 

「なぁ、ファル子…」

 

 今言わなくて良いことなのかもしれない。でも、いつかは切り出さなくてはいけない。

 何か理由がありそうで、あえて聞かないでいたそれを、真っ直ぐ彼女にぶつけてみた。

 

「ダートを…走ってみてくれないか?」

 

 そう告げるや、彼女の顔から表情が消えた。

 垂れ下がっていた耳だけが、唯一逆立って動揺の色を見せる。

 いつもの彼女なら、尻尾を高く振るわせたり、口に手を当てたり、もっとわざとらしい反応をしたに違いない。

 しかし、今俺の目の前にあるのは、これまで見てきた彼女とは完全に別のそれ。怒りとも違う。呆れとも違う。悲しみと諦めが入り混じったような、見ているのが辛くなってくる虚ろな瞳。

 

「あなたも…他の人と同じことを言うんだね…」

 

 その瞳と同じものが込められた声で、とても弱々しく、ぽつりと言い捨てる。

 刹那、鋭い視線が俺を射抜く。

 

「ダートはダメなの…」

 

 二つの拳がぎゅっと握りしめられる。

 

「だって…ダートじゃトップウマドルになれないんだもん!」

 

「…!」

 

 あらん限りの思いを込めた叫び。

 わなわなと揺れる金色の瞳から、熱いものが流れているように見えた。

 声をかける間もなく、彼女は猛スピードで走り去っていく。そう、人間では追いつくことの叶わない、異次元のスピードで…。

 

(…いくら何でもあれは…追いつけないな…)

 

 罪悪感か、それとも後悔か、暗い感情が心を苛む。いつか聞かなければいけないことだった。ただ、その代償はあまりにも大き過ぎたかもしれない。

 助けを求めるように天を仰ぐが、そこには美しすぎる青空がどこまでも広がっているだけだった。

 

『第二十二レース。間もなく出走です』

 

 そんな俺を置いてきぼりにして、明暗を分かつ非情なそれは、ただ粛々と続いた。




お疲れ様でした。
アニメ未視聴なので、選抜レースは結構想像で書いてます。

2021/09/22:誤字修正
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