君と夢見た明日へと ──トップウマドルを目指して☆── 作:キビタキ
スターウマ娘たちの共演に、会場のボルテージは最高潮に達しようとしていた。
もちろん俺とファル子も例外では無い。立錐の余地もないその空間で、二人のテンションは上がりに上がっていた。
「やっとスズカちゃんだねっ! ワクワクが止まらないよ〜☆」
「ああ、楽しみだな…!」
最後の曲は『winnning the soul』。サイレンススズカが大トリを飾るとあって、寄せられる期待の大きさはひとしおだ。
その証拠に、観客からスズカコールが自然と巻き起こり、決して鳴り止もうとはしない。
俺たちは今、東京レース場に来ている。
それは時を遡ること数時間前、ファル子のライブが終わってからのことだ──
「ウマ娘ライブショー in 東京?」
商業施設の立ち並ぶ幹線道路沿いの歩道。並んで歩く少女のツインテールが激しく揺れる。
「え〜!? ほんとに知らないの? 去年から始まったイベントだよ」
口に手を当て、目は見開かれ、尻尾が天を衝く。思いの外ショックを受けているように見える。
二人だけのライブの後、東京レース場にどうしてもついてきてほしいという彼女たってのお願いを無下にするわけにもいかず、そこへと向かっていた。ただ、今の時期はレース未開催期間であり、何のために行くかと尋ねたら、この反応であった。
彼女の話によれば、東京レース場で活躍したウマ娘たちが、レース無しでライブだけを行うという催し。つまり、混じりっ気なしの純粋なライブが行われるらしい。
出演者はファン投票によって選出されるため、ファンへの感謝の意味合いが強いイベントだという。
URA本部のお膝元であり、数多の伝説的なレースを生み出してきた東京レース場。トレセン学院と同じ市にあるそれは、徒歩でも行ける距離にある。ウマ娘の足ならそれこそ軽い散歩感覚だろう。
ファル子はルンルンと鼻歌交じりに、今にもスキップを始めそうなほど軽い足取り。俺の歩調に合わせてゆっくり歩いてくれているのだと思う。
スマホでそのイベントについて調べてみると、試験的に去年から東京レース場で開催されたらしく、今年からは他のURA管轄の主要なレース場でも順次行う予定らしい。
「へぇ…凄いメンバーだな」
「でしょ? 見に行かなかったらぜ〜ったい後悔しちゃうよ」
出演者は去年の日本ダービー、秋天、ジャパンカップなどのG1覇者をはじめ、東京レース場の名だたる重賞競走で活躍したウマ娘たちばかりだ。
もちろん、昨年の秋天覇者、サイレンススズカもその名を連ねている。まさに、お祭り、オールスターといった面々だ。
普段からレースのことは気にかけているが、不覚にもそんなイベントがあるとは知らなかった。
調べれば調べるほど、意外にも大規模なイベントであることを知り、不安がよぎる。
「こんな一大イベント、予約や前売りチケット無しで入れるのか?」
赤色に染まる歩行者信号を前にして、二人はぴたりと歩みを止める。
当然のことながら、そんなものは持ち合わせていない。
「えっへん☆ チケットは二枚ありま〜す!」
いつの間に取り出したのか、その手には二枚の入場券が握られていた。これ見よがしにひらひらとひけらかしてみせるその表情は、まさにドヤ顔だ。
「準備万端だな。でもどうして二枚も?」
あまりの用意周到さに違和感を覚える。まさか俺と行くために用意していたわけではないだろう。
彼女はそれをポケットしまい込むと、そのまま目を落とし、点字ブロックの凸凹をなぞるように片足を動かしている。
「一緒に見に行こうって決めてた友達が、先月中退しちゃってさ…自分で言うのもなんだけど、こう見えても結構傷心してるんだぞ☆」
とてもそんな風には見えない物言いだが、彼女なりの強がりなのだろう。いつもの笑顔を張りつけて、気丈に振る舞っているように見えた。
友人との離別は、いつであっても悲しい。その気持ちは分かるつもりだ。
信号に青色の光が灯り、交差点で立ち止まっていた人々が再び歩き始める。その横を自動車やバイクが音を立てて過ぎ去っていく。
「でも、どうして俺を誘ったんだ? 他の娘と行くこともできたと思うけど…」
「あ〜、ファル子のこと、こんなんだから友達少なそうって思ってるでしょ?」
あからさまに頬を膨らませる彼女。個性的な性格であることはよく知っているが、さすがにそこまでは思っていない。
「いや、そういうつもりで言ったんじゃないんだが…」
「ファル子はクラスの人気者だから、心配いらないよ☆ 友達だってたくさんだもん」
こちらが思わずたじろいでいると、途端に微笑んでみせるところにあざとさを感じる。よく膨れることといい、手練手管とはこういうことなのだろうか。
「それで、友達いっぱいのファル子がどうしてわざわざ俺を誘ったんだ?」
すぐ目の前を青色が点いたり消えたりしている。
「うん…それはね…」
立ち止まる二人。
ふっと張り詰めた空気をまとわせると、ファル子は迷いのない目をこちらへと向けた。
「トレーナーさんに見てもらいたいの。どうして私が芝のレースにこだわるか」
その瞳には、何か決意のようなものが込められているような気がした。
──そこは本当にきらびやかな空間だった。
コースのど真ん中にそびえ立つそのステージは、ライブだけに特化した姿を観衆にさらしていた。
通常よりもド派手な装飾に、レース場の至るところに張り巡らされた音響設備。座席もステージ真正面から同心円上に設置され、普段は入れないコース上にまでそれは及ぶ。通常であれば数少ない人しか間近で見れなかったステージも、これなら大勢のファンが臨場感あふれるライブを楽しむことができるだろう。
それらは全てレース未開催期間だからこそ可能な演出。心配された天気も曇りではあるが何とか持ちこたえ、満を持しての開演となった。
普段のウイニングライブは、全レース終了後の夕方から夜にかけての時間帯となるが、この日は明るい時間帯での開催。さながら野外フェスのような開放的で新鮮な感覚を覚える。
見渡す限りの人、人、人。そこには大勢のファンが詰めかけている。ステージを囲うように、そして見守るように、そこには絶えず熱い視線が注がれている。
ファル子の持っていたチケットは、最も高価であろうステージの真正面エリアのものだった。一番良い場所だけに、ただでもらうわけにはいかないと伝えたが、彼女は一言「出世払いでお願いね☆」とだけ言ってくれた。何かのメタファーなのか、それとも暗号なのか、あるいは額面通りなのか…正直全く意味が分からなかったが、今度何かお礼をしてあげようとは思った。
この特等エリアはもちろん立ち見であり、ファン同士の距離はかなり近い。まさにすし詰め状態だ。
だからこそ生み出される非日常的な空気感、熱狂的な一体感というのは凄まじく、思い悩み沈んでいた心さえ晴れ渡り、胸がすく。これこそライブの醍醐味といえるだろう。
この日のために準備していたのか、ファル子はいくつかのラバーバンドを取り出し、そのうち一つを俺に手渡した。サイレンススズカとアルファベットでプリントされたそれは、彼女の勝負服を模して緑、白、黒のカラーリングをしている。
ファル子いわく、これをつけないとライブに来た感じがしないらしい。確かに、周りを見ても身につけている人がたくさんいるし、郷に入れば郷に従えだ。
それを手首にはめて、一心不乱に手を振ろうと決めた。
何曲ものパフォーマンスを経て、ようやく訪れた最後の曲。サイレンススズカがメインボーカルを務める『winnning the soul』が今まさに始まろうとしていた。
轟音のようなスズカコールに促され、センターのスタンドマイクに堂々と立つ彼女。それだけで、万雷の拍手が湧き上がる。誰もが賛辞を惜しまないその姿は、昨日トレセン学院で見せた大人気ぶりと寸分も違わない。
このライブでは、出演者をファン投票で決めるのと同時に、誰に何の曲を歌ってほしいかの投票も行われていた。
『winnning the soul』はクラシック三冠の勝者のみ歌うことができる楽曲。東京レース場では日本ダービーのみ該当するが、彼女はそれを含めいずれのクラシック三冠でも四位以下に終わっている。つまり、それをステージで歌唱するのはこれが初めてだ。
ファンが熱望した姿、いや、ファンによる粋な計らいというべきだろうか。
拍手とコールが落ち着いたタイミングを見計らい、壇上の少女は勝負服を乱れを正して、そっと口を開く。
スピーカーから放たれるそれは、彼女の小さな吐息すらも捕らえて逃さない。
「皆さん、こんにちは。今日は私たちのライブに来てくださって、本当にありがとうございます」
落ち着いた、それでいて涼やかな声。まさにイメージ通りの清楚な印象を聞く者に与える。腰の辺りまで伸ばしたロングヘアと、すらりした流線を描く体つきは、まるで薄氷でできたガラス細工のように美しい。
熱気に包まれていた会場は一転、水を打ったように静まり返り、慎ましやかな雰囲気に支配される。
俺もファル子も、食い入るように彼女を見ていた。
一見か弱そうな瞳に見え隠れする、真っ直ぐで純真な力強さ。涼やかな声と対照的な、情熱さのたぎる朱色の髪。華奢な容姿からは想像できない、異次元のような走り。
相反する二つの要素を、彼女は確かに内包している。
その神秘的な姿に、そこにいる誰もが目と心を奪われていた。
「ここに立つことができて身に余る思いです。ファンの皆さんに心から感謝しています。この曲をセンターで歌えるなんて…本当に夢のようです」
スピーカーを通じて凛とした声にエコーがかかり、しとやかに残響する。
どこからともなく拍手が起こったが、それは先程の期待にあふれた歓迎的なものではなく、彼女を温かく見守るような母性的な響き。「頑張れ」という声援も幾ばくか飛び交っている。彼女の背中を優しく押してあげたい、そんな空気が漂っていた。
その思いが伝わったのか、彼女はにこりと目を細めた。
「それでは聞いてください。私たちの…『winnning the soul』」
その声を合図に、大音量の音楽が厳かに流れ出す。始まりのポーズを取り、目をつぶりながらその時を待っていたウマ娘たちが、一糸乱れぬ動きで優雅に舞う。それだけで見る者を魅了してしまうほど華麗だ。
鼓膜を激しく打ちつけてばかりいた重低音に、甘く切ない少女の声が合わさると、どこか無機質だった雰囲気は一変する。二つのそれが調和して、静やかに、それでいて情熱的なサウンドへと姿を変えたのだ。
耳に幸せを感じるというのはこういうことなのだろう。うっとりとした心地良さの中で、それでも観客たちの興奮が冷めることは決してない。
サイレンススズカの表情は晴れ晴れとした太陽そのもので、その青色の瞳はきらきらと輝いている。彼女だけではない。ステージに立つウマ娘たちは、一様に自信に満ちた眼差しをこちらへと向けている。それは、ファル子がライブの時に見せるものと同質で、あまりにも眩しい。
ふと、真横で大きく手を振りかざす少女を見やる。今まで見てきた中で、一番幸せそうな顔をしていた。その金色の瞳は檀上の彼女たちに負けず劣らず輝いていて、守ってあげたい、もっと輝かせてあげたい、そんな思いが本能的に込み上げてくるほど、いじらしい。
(これがファル子の夢見る光景なんだな…)
憧れの舞台を見つめる瞳の美しさといったら、もうそれ以上のものなんてあるはずがなかった。
彼女が芝のレースにこだわる理由が分かった気がする。彼女はあそこに立ちたいのだ。数多のファンに囲まれた、あの眩しすぎる場所へと…。
まだまだライブは終わらない。
熱を帯びた万雷のアンコールに、盛り上がりは留まるところを知らない。
彼女たちが発する太陽のようなエネルギーを全身に受け、俺とファル子、そして大勢の観客たちは、高ぶる感情の赴くまま手を振り続けた。
お疲れ様でした。
ライブの描写はなかなか難しい…(けど楽しい)。
ファル子ちゃんの明るい歌声が大好きですが、スズカちゃんの甘い歌声もたまらないですよね。