君と夢見た明日へと ──トップウマドルを目指して☆── 作:キビタキ
空一面の雲がうっすらと赤みを帯びている。まるで、その美しさをほめられて紅潮しているかのようだ。
大興奮のうちに幕を下ろしたウマ娘ライブショー。ライブだけに特化した形式というのは斬新で、いつもとはまた違った活力をもらったような気がする。
朝からずっとライブ続きなのに、疲労感はどこを探しても見当たらず、清々しい充実感だけが身も心も満たしていた。
その帰り道、行きと同じ幹線道路沿いの歩道には、ライブ帰りと思しき人たちがちらほら見受けられた。
彼らを見分けるのは簡単だ。Tシャツやリストバンドといったライブグッズを身に着けているし、それに何より、満足そうな顔をしているのだから。
「今日は盛り上がったな」
胸の中の余韻が、自然と口をついていた。
「ほんとだねっ! 限定グッズも手に入ったし、もう言うことなしって感じ☆」
物販コーナーに長居していた彼女には、戦利品がたくさんあるのだろう。その右手にぶら下がる袋はどっしりと重量感にあふれている。
ただ、その中にTシャツやパーカーのような衣服は無いようだ。今日がそうだったように、服装だけは自分のものを貫き通すのは、彼女なりのプライドなのかもしれない。
そういう俺も、知らなかったとはいえ、上下ジャージというライブに不釣り合いな格好をしていたが…。
「しかし、ライブだけってのも新鮮だったな」
「だよね〜! レースが無くても皆きらきら輝けるんだなぁって。ダンスもステップもオリジナルで凄く参考になったし…」
「へぇ、そういうところも見てるのか」
「もちろん☆ まぁ、ウマドルとしてはレースとライブはセットだから、きらきら度はレース本番の方が絶対に上だけど…」
研究熱心なのは良いことだと、その満たされた顔を見ながら一人感心していた。ライブに対する興味や向上心は人一倍あるし、ステージに立ちさえすれば、彼女は必ずファンを魅了できるはずだ。
(まぁ、そのためにはまずレースに出ないといけないが…ファル子が芝にこだわる理由は、多分…)
ふと、目の前を歩く若い男性の手首に目が留まる。カラフルなラバーバンドがきらりと光っている。
彼もライブ帰りなのだろう。
「そうだった。このラバーバンド、返すよ」
右手のそれが借り物であることを思い出した。
「ううん、返さなくてもいいよ。持ってて」
何となく素っ気ない返事。
少し儚げな面持ちで、さっきまでとは明らかに違う空気を漂わせている。
「本当にいいのか?」
「うん…今日の記念に受け取ってほしいの。それに、もともと友達が持ってた物なんだよね。それ…」
「来る時に言ってた、先月辞めちゃった娘か…」
大きな交差点に差し掛かる。歩車分離式のそれは、青になるまでまだまだかかりそうだ。
「同級生だったんだけど、ライブが好きで、よく二人で路上ライブしたり、東京レース場に観戦しに行ったりしてたんだ。いつかあそこで一緒に走ろうって夢見てたっけ…」
「趣味の合う良い友人だったんだな」
「うん、でも路上ライブは誰も見てくれないし、お互いずっとスカウトもされなくて…それで諦めちゃったんだ。大好きだったはずのライブも、レースも、もう二度と見たくないって…」
「そうか…だからそれを思い出してしまう物をファル子に渡したわけか…」
彼女は物憂げに頷いた。
つややかな栗色の尻尾はぴくりともしない。
「だったらなおさら、俺がもらっていいのか? 友達との大事な思い出なんだろう?」
「ううん…逆だよ。あの娘はトレセンの思い出も、私との思い出も、全部かなぐり捨てたってことだもん」
行き交う車の隙間から、どこか遠くを見つめる瞳。
ぴんと立った耳が、やり場のない思いを一身に受け止めているように見えた。
「だからね、諦めなかったら絶対に夢は叶うって、いつか私の走りを通じてあの娘に伝えたいんだ」
「…素敵な目標だと思う。それを届けられるよう頑張らないとな」
目の前のそれが青色に灯ると、スターティングゲートが開かれたように、歩行者たちは一斉に動き出す。人の波を縫いながら、二人は交差点を斜めに突っ切っていく。
これが沈黙の呼び水となったのか、それとも俺の発言に思うところがあったのか、お互い口をつぐんだまま来た道をたどっていく。
楽しかったライブの余韻はどこへ行ってしまったのだろう。彼女と一緒にいて、居心地が悪いと感じたことなんて一度も無かった。それなのに今は、重々しく、ぴりぴりとした空気がじとりと肌にまとわりついてる。付かず離れず、隣同士並んで歩いているのに、見ず知らずの人と一緒にいるかのような緊張感。
いつしか、人気のない路地裏を歩いていた。確かここは行きの時に、絶対に勝てないかけっこ勝負を冗談交じりにふっかけられ、あえなく惨敗した長い長い直線だ。
ふと、何の前触れもなく、隣からぽつりと声が漏れた。
「ねぇ、トレーナーさん。私、今のままじゃ駄目ってことは分かってるよ」
突然の言葉に胸が騒ぐ。
きっと何かを切り出そうとしている。それだけははっきりと感じ取れた。
「…走りのことか?」
「うん、頑張りだけじゃどうしようもないことってあるもんね。芝を走る時の…私の足みたいに」
「残念だけど、それが適性ってやつだからな…その越えられない壁に苦しんでる娘はたくさんいる」
「そんなこともちろん分かってる…でも、でもね…! 今日のファンの声援、凄かったでしょ? 会場はたくさんのお客さんに埋め尽くされて、スズカちゃんたちのパフォーマンスに心から魅了されて…」
緑と白と黒でカラーリングされたラバーバンド。それをつけたままの左手を、彼女はそっと自らの胸に当てた。
「私もあんなステージに立ちたい。たとえセンターじゃなくてもいいから」
曇り空の割れ目から橙色が漏れ出している。
それと同じ色を映す瞳には、並々ならぬ強い思いがあふれていた。
「それが芝にこだわる理由なんだな…」
「そうだね…だって、あんな光景、芝じゃなきゃ見られないもん。権威あるレースだから皆期待する。ターフだから見てくれるの…! ダートレースがこんなに脚光を浴びることってないんだもん」
「確かに、ダートは芝よりも注目度が低いしな…」
それは非情にも、純然たる事実だった。
その証拠に、東京レース場にはフェブラリーステークスというG1のダートレースがあるにもかかわらず、今日のライブショーで投票によって選ばれたのは、いずれも芝レースで活躍したウマ娘だけだった。
「どこを見渡したって、誰に聞いたって、一言目には日本ダービー、天皇賞、有馬記念…出てくるスターウマ娘の名前は皆、芝のレースで活躍した娘ばかりだよ」
芝に鉛の靴を履かされる彼女にとって、それはこの上なく悲痛な叫び。
なぜだろう。今まさにそれを履かされたように、彼女の足取りが徐々に遅く、たどたどしくなっていく。
「芝のレースじゃなきゃ、ターフを走らなきゃ、トップウマドルになれない。辞めちゃったあの娘の耳にも届かない。それが、ダートを走りたくない理由…わかってくれた…?」
今にも消え入りそうなとつとつとした声で、それでもちゃんと最後まで話してくれた。やはり、その理由は俺が直感していたものと同じだった。
トップウマドルになるために、大勢のファンに囲まれたきらびやかなステージに立ちたい。そう願うことはとても当たり前のことだ。もしそれを叶えられるのがターフの上だけだとしたら…。
一体俺はどうしたらいいのだろう。無力感に苛まれ、口を閉ざしたまま顔をしかめる。
そんな俺を見てか、ファル子は慌てたように強がってみせた。
「辛気臭い顔してちゃダメダメっ! 心配しなくていいよ。私、夢を諦めてなんかいないから。絶対に太陽みたいに輝いてみせるんだ」
取って付けたような寂しい笑顔。
その力無い歩みは、今にも止まってしまいそうなほど、弱々しい。
「でも…何でだろ。さっきのライブが眩しすぎたのかな。あの娘たちが地平線よりも遠くに見えて…何だか沈んでいく太陽を追いかけてるみたい。私がどんなに追いすがっても、気づいたらもう手が届かなくなってるの。暗い夜に私だけ取り残されて…」
そして、彼女は完全に立ち止まってしまった。
「私だって…太陽みたいに輝きたいのに…」
俯く彼女の足元で、アスファルトが雫に濡れる。
金色の瞳は人知れず潤んでいた。
今日もまた涙を流させてしまった。立ち尽くすことしかできない自分が、どうしようもなく情けない存在に思えてならなかった。
ただ、一つだけ思うことがある。あの娘たちが太陽だというのなら、芝のレースが陽光に照らされた場所だというのなら…。
「だったらファル子は…」
すっと息を吸い込んで、そして、吐き出す。
「満月になればいい。それなら真夜中にだって輝ける」
はっとしたように、見開かれる両目。
だらんと垂れていた尻尾の先が、ごくわずかに跳ね動いた。
「太陽と比べたら弱々しい光かもしれない。でも、その美しさに魅了される人もたくさんいるんだ」
月の柔らかく妖しい光は、彼女の瞳が放つそれとよく似ている。あの宵闇のように薄暗い高架下で、確かに見たのだ。満月のようにきらめく、金色の美しすぎる瞳を…。
「満月の美しさが太陽に劣るなんてこと、俺はないと思ってる。ファル子なら、その魅力を皆に伝えられるはずだって…そう信じてる」
彼女は何も言わなかった。眉一つ動かさないどころか、耳も尻尾も微動だにしなかった。
全てが固まってしまったように見えた中で唯一、瞬きだけが繰り返されている。瞳から込み上げていたそれも、いつしか落ち着きを取り戻したようだ。
「それにさ…ナイターレースって見たことある? 夜の競走も案外味があるんだ」
URA管轄のレースは全て日中に行われる。ナイターレースがあるのは、ダートコースだけで構成される地方レース場だけだ。つまり、必然的に夜のレースはダートということになる。
きっと彼女はあの雰囲気を知らないだろう。
淡い月明かりと眩い照明に照らされるそれは、昼のレースとは違う幻想的な輝きを放っている。
(ファル子にしかできないこと。それにさえ気づいてくれれば…)
俺の言っていることの真意は彼女も理解してくれていると思う。だが、それを受け入れられるかは全くの別。
太陽を目指していたのに月に甘んじろと言われた…そう思われたのなら、それまでだ。
太陽と月は、それぞれ違う魅力を持っている。そもそも比べられるものではないし、相手の持つ要素に引け目に感じることもない。どうやったらそれを彼女に分かってもらえるだろうか。
その時、ツインテールがふわりと揺れた。その射抜くような視線には、確かに俺が映っていた。
「トレーナーさん、ありがとう。私なんかのために色々付き合ってくれて…私のことを思ってそれを提案してくれてるのも分かるし、嬉しいよ」
目の辺りをおそるおそる拭ってみせると、彼女はぐっと足に力を込めて歩み始めた。
この長い長い直線は、まだまだ道半ばだ。
「いや、お礼を言うのはこっちだよ。ファル子にはたくさん元気をもらったし、ステージに立つところも見てみたいしな」
「えへへ…ありがと☆ だけど…ほんとにそんなことできるのかな? 子供の頃から、ずっと、ず〜っと思い描いてた夢。簡単には諦めきれないよ」
悲しみに沈んでいるわけでもない。かと言って、希望に満ちあふれているわけでもない。そんな掴みどころのない表情を浮かべて、独り言のようにつぶやいた。
「私にはやっぱり、ダートで芝と同じ光景が見れるって、どうしても思えないの…」
芝と砂、その差を散々見せつけられて行き着いた結論。それが簡単に覆るわけもない。
ダートではトップウマドルになれない。そう思ったからこそ、ここまでダートを封印して貫いてきたのだ。その意思は鋼のように固い。もし、それを変えられるものがあるとしたら…。
「なぁ、ファル子。明日の放課後ライブが終わったら、ちょっと付き合ってくれないか?」
「…別に大丈夫だけど、何かあるの?」
一瞬だけ訝しげな顔をしたが、その耳はぴくぴくと興味ありげに反応している。
「それは明日のお楽しみってことで…夜遅くまでかかるかもしれないけど、門限には間に合うからさ」
「う〜ん、何する気なんだろ。あっ、もしかして…! ファル子ドキドキ撮影会☆ とか?」
「いや、さすがにそれはないな…」
「えーっ! 違ったかぁ…」
元気な声でおどけてみせる彼女を見て安心した。少なくとも、冗談を言えるほどには気が紛れたようだ。
「まぁ、今日はファル子のお願いを聞いてもらったし、明日の夜は付き合ってあ・げ・る☆」
「ありがとう。よろしく頼むよ」
いつの間にか、目の前の少女は得意げにピースサインを掲げていた。
ちょうどそのタイミングで、長い直線の突き当たりに差し掛かる。その岐路を前に、二人は自然と立ち止まった。左に行けば商店街へ、右に行けばトレセン学院へ行き着く。
「俺はちょっと買い物を済ませたいから、商店街に寄って帰るよ」
「そうなんだ。ファル子は一旦帰るね」
今日は彼女とかなり長い時間を過ごした。それもここで唐突に終わってしまうと思うと、名残惜しいとまでは言わないが、不思議と寂しく感じられて仕方がない。
しかし、明日すぐまた会えるのだ。
「それじゃ、また明日な」
「うん、また明日ね☆」
他愛のない別れの挨拶。
彼女は何度もこちらを振り返っては、その手を大きく振るう。俺も負けじと振り返す。
二人のその手首には、同じ色のラバーバンドがきらりと光っていた。
お疲れ様でした。
この前の中秋の名月、満月で綺麗でしたね。
次回はあのイラストがちょこっと再登場。