君と夢見た明日へと ──トップウマドルを目指して☆──   作:キビタキ

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【第4話】芝と砂 ⑤図書室の賢者

 自室にたどり着いた時には、すっかり夜になってしまっていた。買った商品の片付けもそこそこに、再び外に繰り出す。

 今日済ましておくべきことが、後一つだけ残されていた。

 

(六時半か…何とか間に合いそうだな)

 

 トレーナー寮近くの桜並木を抜ける。地面に散りばめられた花びらは、昨夜よりも明らかに増えている。

 肌を撫でる生温く湿った空気が、いずれ降り出すであろう雨を予感させる。

 きっとこれで見納めになる桜の晴れ姿。しっかりとその目に焼き付けながら、足早に進んだ。

 

 一人では初めて向かうその場所。中庭から校舎に入り、ひたすら奥へ奥へと進んだ先にあるのは図書室。そこは休日でも午後七時までなら開いている。

 一歩そこへ踏み入れると、どこか別空間に来たかのように錯覚してしまう。

 広々としたスペースの奥には、見渡す限りの本棚。どれも天井に届かんばかりにそびえ立つ。なまじ中途半端な図書館よりも遥かに立派に見える。ウマ娘やレースに関する書籍を中心に、通常の図書館と同じように様々な本を取り揃えているらしい。

 すぐ横を見やると、掲示板にはおすすめの本や新刊案内が張り出されている。そして、白地に赤色の大きな文字で『図書室は静かに!』と書かれていた。

 それに従い、そろりと歩みを進める。何人かの私服の生徒が、物静かに読書にふけっている。

 

(彼女がいてくれたらいいんだが…)

 

 本探しに自信があるという彼女は、この図書室でまさに案内人のような存在だろう。裏を返せば、彼女がいなければ羅針盤抜きで大海原に放り出されるようなものだ。残された時間を考えると、彼女の不在はかなりの痛手になる。

 きょろきょろ辺りを気にしながら受付の前へとやって来た時、一人の生徒に目が留まる。

 丁寧に編み込まれた鈍色の髪。本の虫を思わせる黒縁眼鏡。出勤初日に昼食を共にした小柄な少女、ゼンノロブロイが受付に立っていた。図書委員の仕事の最中ということなのか、この前と変わらず制服をまとっている。

 彼女は受付にいるにもかかわらず、分厚い本を真剣な眼差しで立ち読みしていた。

 

「ちょっといいかな」

 

 掲示板の言いつけ通り、なるべく静かに話しかけた。

 しかし、本に夢中になっていたせいか、ひどく驚かせてしまったらしい。

 耳は勢いよく逆立ち、持っていたそれはぱたんと勢いよく閉じられる。静寂な図書室には、それさえ大きな音に感じられた。

 

「あっ…あの時の…! 来てくれたんですね」

 

 ひそひそ声の一歩手前の声量。

 驚きの表情は、すぐさま明るいものへと変わっていた。

 

「ああ、実は探してる本があるんだ」

 

 彼女に倣い、なるべく小さい声で答えた。

 

「一昨日話した最新の育成学の本ですか?」

 

「いや、それも気になるんだけど…今日はダートの本を探しに来たんだ」

 

「ダートですか。どういった内容の物をお探しです?」

 

「そうだな…例えばダートに特化した育成学とか、ダートと芝の相違をまとめたものとか…」

 

 いまいち要領を得ない注文に対して、彼女は事もなげなに頷いてみせた。

 

「なるほど、わかりました…! ご案内しますね」

 

 すたすたと歩き出した彼女の後を追う。目の前で鈍色の尻尾がしなやかに揺れている。

 本棚でできた迷路の、少し入り組んだ突き当たりの右側。彼女は迷いなく目的の場所へとたどり着いた。

 そしてすぐさま、一冊の本をひょいと取り出してみせる。

 

「これなんかどうですか? 芝レースと比較しての図解もありますし、分かりやすいですよ。あっ、でもそれならこっちもおすすめですね。力学的な観点からもう一歩踏み込んでますし…」

 

 枚挙に暇がないとはこのことだろうか。矢継ぎ早に様々な本を紹介してくれる彼女。まるで英雄譚に登場する賢者のように博識だ。

 

「それじゃ、これとこれと…うーん、それも借りようかな」

 

 候補が上がり過ぎて正直迷ってしまったが、特にお勧めされた三冊を借りることにした。

 

「あっ、もしあればだけど、芝からダートへのコンバートに関する本があれば、それも借りたいな」

 

「もちろんありますよ」

 

 すかさず横に一歩だけ移動して、目当てのそれを取り出してみせる。

 

「それに関してはこの本が一番のお勧めですね」

 

「じゃあそれも借りるよ」

 

 彼女はそっと、俺の持つ三冊の上にそれを重ねた。

 

「ありがとう。しかし本当に凄いね。こんなにすぐ見つけられるなんて」

 

「そう言ってもらえて恐縮です。私、本は大好きですから…! まぁ、これぐらいしか取り柄がありませんけどね」

 

 照れ隠しなのか、頬を指でかきながら、器用にも片耳だけをちょこんと倒している。

 謙虚に振る舞っているが、これはとんでもなく凄いことだろう。

 データベースに検索をかけることもなく、そして迷うことすらなく、目的の本を見つけ出せるのだ。よほどの熱意と記憶力がなければ不可能に思える。

 以前、図書室の本なら大体把握していると言っていたが、誇張でも何でもなかったようだ。

 

「その本をお探しになっていたということは…これからダートを走る娘と契約されたんですね?」

 

 鈍色の髪の少女は、いかにも推理小説の主人公のように自信ありげな顔をしている。

 

「うーん、そんなところかな。まだ正式決定じゃないけど…色々あってね」

 

 歯切れの悪い、どこか意味深さを含ませたその言葉に、図書委員の彼女は驚異的な推理力を働かせた。

 

「違ってたらすみませんが…もしかして、スマートファルコンさんですか?」

 

 図星を指され、思わず目を見開く。まさか推理小説を熟読すると、ここまで洞察力が鍛え抜かれるのだろうか。

 

「…よく分かったね。彼女を知ってるの?」

 

「残念ながら活字に興味がないお方みたいで、図書室とは長らく無縁ですが…噂くらいは聞いたことがあります」

 

「噂って…?」

 

 それは一体どんな内容なのだろう。

 鳥林さんの話によれば、トレーナーの間ではダートを決して走ろうとしないダートの逸材として知れ渡っていたわけだが、それと同じなのだろうか。

 

「ダートの素質があるのに、芝でしか走りたがらない方…とは聞いてます」

 

「なるほどね…」

 

 納得したようにため息をつく。

 トレーナーの間だけではなく、どうやら生徒の間でもそのことは知れ渡っているらしい。

 

(何だかんだで普段から目立ってるんだな…)

 

 人前に立つことが好きなファル子のことだ。良くも悪くも注目される機会も多かったのだろう。彼女のクラスメートや同級生にも色々と話を聞いてみたいなと、好奇心がくすぐられるのを確かに感じた。

 黒縁眼鏡を指で抑えながら、ゼンノロブロイはノンフィクション小説に登場する偉人のように重々しくつぶやいた。

 

「私なんかが口出ししたらいけないかもしれませんが…スマートファルコンさんにとって芝のレースは、私にとっての本みたいなものかもしれませんね」

 

 彼女の言わんとすることはよく分かる。この三日間、それをまざまざと見せつけられたのだから。

 

「その通りだよ。それが彼女の夢に根差してるからね。でもきっと…彼女は変わってくれる」

 

 そう信じているからこそ、今日ここへ来たのだ。ファル子を導けるなら何だって試してみたい。

 小柄な少女は何も言わず、ただ優しげに目を細めた。

 

「そういえば、ロブロイは選抜レースどうだったの?」

 

「私ですか…? 十二人中六着でした。微妙ですよね…残念ながら誰からも声はかけられてないです」

 

 苦笑いしながら、尻尾をゆらゆらと揺らしている。

 

「そうか…でも、もうちょっとだね。タイムやレース展開にもよるけど、だいたい五着未満を足切りラインにしてるトレーナーが多いから」

 

「そうなんですね。まぁ、私は走ることももちろん好きですが、本を読むことがそれ以上に好きなので、焦らずのんびり頑張りますね…!」

 

 意気込む瞳にちらりと見えたきらめき。さながら絵本のハッピーエンドのような笑みを浮かべている。

 いかにも彼女らしい答えだなと、温かな目でその姿を見つめていた。

 

「それじゃ、この本の貸出手続きをしてもらっていいかな」

 

「はい…! 喜んで」

 

 彼女の選んでくれたその本を持って、その日の図書室で最後となった貸出受付を済ますのだった。

 

 

 慌ただしかった休日も、今思えばあっという間に感じてしまう。

 寝る前の日課としている手帳への書き込みも、この小さな欄にはとても書き切れそうにない。

 

 今日は丸一日ライブ三昧だった。

 一昨日から見に行くと約束していたファル子のライブ。この前と同じように、たった二人だけのライブだったが、華麗なダンスを披露する彼女の姿はやはり素敵だった。

 次いで、彼女に誘われたウマ娘ライブショーは、大変な盛り上がりを見せた。ステージで舞うウマ娘たちは、とても眩しくきらびやかで、見る者全員に元気を与えたことは間違いない。

 でもそれは、彼女たちの容姿が優れていたからでも、派手やかな衣装を身にまとっていたからでもない。彼女たちが全力を尽くしていたからだ。本番までに何度も練習を重ね、当日は汗だくになりながら、ファンのために自分たちの最高のパフォーマンスを披露する。だからこそ、見る者の心を動かしたのだ。

 観客の人数や人気の多寡なんて、そこには関係ない。ありったけを出し尽くす気持ちさえ持ち続けていれば、必ずトップウマドルになれるはずだ。

 そう、ウマドルとは、レースにもライブにも全力疾走して、そのきらきらとした輝きを、皆に届ける存在なのだから。

 その帰り道、彼女はまた涙を流した。自分もあのステージに立ちたいのだと…。

 彼女なら絶対にできる。いや、そこに導いてあげなくてはいけない。芝ではできないことも、ダートでなら叶えられるかもしれない。

 そのために、俺のできる限りのことをしようと思う。

 

 一旦手帳から目を離し、散らかったテーブルの上を撫でるように見回す。

 その途中、目に留まったのはさっき借りてきたばかり本。その一冊をぱらぱらと開いてみると、国内外のダートレースの変遷について書かれたページに行き着いた。

 

(ダートの方がメジャーな国もあるんだよな…)

 

 ウマ娘のレースといえば、国内では当たり前のように芝の上を駆けるものだと思われている。

 しかし、国外に目を向けると、バ場の質が厳密には違うが、ダートレースの方が主流な国もある。

 

(案外、ファル子はそっちの方が活躍できるんだろうか)

 

 そういった国では、国際的に名の知られたダートレースがいくつもある。広い目で見れば、ダートだからといって負い目に感じる必要なんてどこにもないはずだ。

 とはいえ、身近なメインレースのほとんどが芝である以上、そうもいかないのが現実ではあるが…。

 ただ、主要なダートレースが全く無いという国もあるし、それと比べればここはまだ恵まれているとは思う。

 

 無意識に本をめくると、今度は国内のダートレース場を紹介するページ。そこにはもちろん、今日訪れた東京レース場も名を連ねている。

 そこでのダートレースは四月後半までお休みだが、もうひとつ、近場でそれが行われる場所がある。

 

(やっぱり、生で見てもらうのが一番だろうな…)

 

 明日の予定に、まずはファル子の放課後ライブと書き込んだ。

 すかさずボールペンを置き、白い天井を見上げる。

 ミサキちゃんは早速明日来てくれるだろうか。もしそうなったら、きっと今日以上に素敵なライブになると思う。そしてそれは、間違いなく彼女の自信になるはずだ。

 ゆっくりと視線を落とし、再びボールペンを握る。

 放課後ライブのすぐ後に、大井レース場ナイターと、力を込めて書き込んだ。




お疲れ様です。
これにて第4話は終了です。
ゼンノロブロイは今後もちょこちょこ出る予定です。

2021/10/06:誤字修正
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