君と夢見た明日へと ──トップウマドルを目指して☆── 作:キビタキ
雨の音がする。
雑草生い茂る地面を叩くそれはぽつぽつと。頭上の高架に打ちつけるそれはざあざあと。水量が増した川に落ちるそれはひたひたと、幾重にも波紋を広げている。
今朝から降り続いている雨は、夜になるまで止まないらしい。
今頃トラックでトレーニングしている娘は、重バ場での走りを余儀なくされているだろう。
「ファル子、自分のこと晴れ女だと思ってたんだけどなぁ…」
トレセン学院の制服を着た少女が、両耳をしゅんとしおれさせながらつぶやいた。
「仕方ない。そんな日もあるさ」
そんな彼女に、まさにテンプレのような慰めの言葉をかける。
これから始まらんとする放課後のライブは、あいにくの雨模様となっていた。高架が雨傘になって、直接影響しないことだけが唯一の救いだろうか。天気の割に肌寒さもほとんど感じない。
「ミサキちゃん、来ないかもしれないね」
ライブ開始時刻まで後五分を切っていた。
「どうだろうな。絶対見に来るような感じもしたけど」
慕っているファル子お姉ちゃんのライブ。わくわくが止まらない様子で、その目を輝かせていたのが印象に残っている。だから必ず来てくれると思っていたが…。
「私の書いた地図、分かりにくかったのかな…?」
「いや、大人が見れば分かると思う。ただ、やっぱり天気だろうな」
高架下であることは伝わっているだろうが、そこが雨をしのげる空間であることにまでは思いが至っていないのかもしれない。もしそうであれば、雨天中止だと思われても仕方ないだろう。
「う〜ん、この感じだと三回連続二人きりライブかな…☆」
両手を胸に当てながら、意味深な顔で物思いにふけっている。
それを見て、心の声か、小さな独り言か、そんな狭間の声がこぼれた。
(さすがに連日の二人きりライブはきついな…)
「…あれれ? 今何か言わなかった?」
ぴんと逆立った耳をこちらに向け、あからさまに訝しむ彼女。
「…ん? いや、何も言ってないけど…気のせいじゃないか?」
「そう…? ならいいんだけど」
「しまった」と心の中で声を漏らしながら、何とか平静を装う。かなり小声で言ったつもりだったが、聞き取られはしないまでも耳には届いてしまったらしい。
ウマ娘の聴力が人間のそれよりも優れていることをうっかり忘れていた。もし周辺の雨音がなければ、はっきりと聞き取られていたかもしれない。この時ばかりは悪天候に感謝した。
怪しまれない内にさっさと別のことを切り出す。
「ところで、今までのライブはずっとこの場所でやってきたのか?」
「えっとね、ここでし始めたのは最近かな。最初は街中の路上ライブだったの」
「街中って…それ禁止されてるやつじゃ?」
不特定多数が往来する場所や公道での路上ライブは校則で禁止されている。
「あ・た・り☆ だって知らなかったんだもん。教員さんや生徒会の人にこっぴどく叱られちゃった☆」
「だろうな…」
他人事のように呑気に笑ってはいるが、きっとかなり絞られたと思う。
「その後は空き地とか、河川敷とか…色々試してみて、雨に降られても大丈夫なここに落ち着いたってわけ」
「なるほど、紆余曲折あったんだな」
「まぁ、最後まで見届けてくれたお客さんはトレーナーさんが初めてだけどね♪ 途中からは友達と一緒にライブしてたし、今よりはっちゃけてたかも☆」
「今でも十分はっちゃけてると思うぞ」
少し煽るつもりでそう言った。
しかし、ファル子は意外にも膨れることなく、お得意の決めポーズを返してくれた。
(時々予想外の反応をするんだよな…まぁ、そこが可愛いんだけど)
ふと、高架橋を車が走ったのか、低い唸り声のような音が頭上からこだまして、無意識にそちらへと視線が飛んだ。
鉄筋コンクリートでできたそれは無機質で、いくつもの凸凹とむき出しになった配管が入り乱れている。実際のライブ会場とは似ても似つかないが、この人工的な感じはそれとなく通じるところがあるかもしれない。
ここがファル子と初めて出会った場所。もしあの日、ここを通りかからなければ、そしてライブをしていなければ、彼女に会うことはできなかった。そう思うと、こんな寂しい空間でも運命的なものを感じてしまう。
さっと視線を落とし、スマホに目をやる。
「もうすぐ時間だな」
「そうだね…始めちゃおっか」
その前に一度だけ周りを見渡してみる。
「…いや、ちょっと待て。あれ、ミサキちゃんじゃないか?」
遠目に見えるのは、階段を一段ずつひょこひょこと降りる黄色い影。
それを全てを下り終えると、今度はとことことこちらへと向かってくる。
黄色の傘と長靴。顔は傘に隠れて見えないが、背丈と姿格好から小さな女の子のようだ。
「ミサキちゃ〜ん!」
矢も盾もたまらず、傘を片手に持ったはいいが、それをさす時間すら惜しんで駆け寄る彼女。もちろん、持ち前の脚力を活かしたスタートダッシュだ。
水浸しの地面も何のその、水しぶきや泥が靴にかかるのを気にする様子もない。つややかな栗色の尻尾を揺らしながら少女の元へたどり着くと、そこでようやく白とピンクのツートンカラーの花が咲く。
続き、くるりと振り返ると、その小さな女の子と横並びになって、ゆっくりとした歩調で帰ってくる。
雨の及ばない高架下までやって来ると、二人は同時に傘の花をしぼませる。黄色の傘を持っていたのは長い黒髪の少女、やはりミサキちゃんだった。何を話していたのだろう。無邪気に笑い合っている姿が、とても微笑ましい。
再びスマホに目をやると、時間ぴったりの到着だった。
少女の前まで歩み寄り、目線の高さを合わせて挨拶する。
「ミサキちゃん、こんにちは」
「こんにちは。昨日のお兄ちゃんも来てたんだね」
「うん、こう見えてもファル子お姉ちゃんの大ファンだからね」
ファル子には面と向かって言えないようなことも、小さな子にはすらすら言えてしまう。
すかさず本人から相槌が飛んでくる。
「そうっ! このお兄さんはファル子のファン第一号さんなんだよ☆」
すると、それを聞いた少女は頬を膨らませる。
「えー! 一番はミサキだよ」
その姿に思わず口元が緩む。
「だってさ、ファル子。付き合いはミサキちゃんの方が長いんだから、交換しないとな?」
そう告げるや、何も言わず笑顔で頷くファル子。その尻尾は嬉しそうに跳ね回っている。
「今日からファン第一号はミサキちゃん。第二号はお兄ちゃんだ」
「わーい」と声を上げて喜ぶ少女。それにつられて、俺とファル子も幸せそうに微笑む。
ミサキちゃんにファン第二号になってもらう計画が失敗したのに、こんなにも笑顔であふれるなんて思ってもみなかった。
こうして、一人のウマドルと二人のファンによる高架下ライブが始まった。
「音楽を流すのは俺が担当するよ」
昨日のファル子に倣い、ライブ曲は粗方ダウンロードしてきた。簡易なスマホスタンドも用意してある。
「ミサキちゃん、何か聞きたい曲はある? ライブ曲なら何でも揃ってるからね」
すると、口元に指を当てながらしばらく考え込む。
「えっと…めいくでびゅー? が得意ってファル子お姉ちゃん言ってたよ」
「それじゃ、その曲を流そうか」
少女が頷くのを確認して、ファル子の立つセンターステージへ駆け上がる。気のせいか、彼女の表情に少しだけ緊張の色が見て取れる。
見るに見かねて、ひっそりと耳打ちした。
「大丈夫さ。絶対に喜んでくれる」
そう、何も心配することなんてない。ミサキちゃんには、もうファル子しか見えていないのだから。
スマホをセッティングして、音量の設定を最大にする。さすがに今回は合いの手は封印だ。
この曲を歌う彼女を見るのは、これが三回目になる。だからこそ知っているのだ。彼女の金色の瞳が、夜空に浮かぶ満月のように、どの星よりも美しくきらめくことを。
ミサキちゃんのいる最前ドセンへ戻ると同時に、『Make debut!』は流れ始めた。
次の瞬間、華麗に舞う彼女の姿が、そこにはあった。
しなやかな手の動き。軽やかな足運び。たおやかになびく尻尾。そして、甘く朗らかな歌声。爽快な音楽と共に、決意と希望にあふれた詩が、高架下に力強く残響する。
その姿に、ミサキちゃんは胸をときめかしているように見えた。目の前で輝きを放つファル子を、小さな少女はどんな思いで見ているのだろうか。
昨日と変わらない素敵なパフォーマンスが、次第に終わりに近づいていく。最後はいつものように、両手をハートの形に合わせ、満面の笑みを浮かべながらのウィンクを決めてみせた。
途端に大きな拍手が乱れ飛んだ。
「すごいすごい!」
その長い黒髪を大きく揺らしながら飛び跳ねる、大興奮の少女。つぶらな瞳を星空のように輝かせて、そのあどけない顔はわくわくに満ちあふれている。
それはきっと、ファル子がウマドルを目指すきっかけになった初めてのレース観戦の時と同じ。
過去の彼女自身がそうであったように、この瞬間、彼女は一人の観客を魅了したのだ。
「拍手ありがと〜☆ ファル子エンジン全開! まだまだ盛り上げちゃうからね♪」
彼女の顔から不安や緊張は消えていた。いつも見せるウマドルとしての明るい表情、いや、テンションは普段のそれよりもきっと高い。ファンが増えた嬉しさを爆発させているのだろう。
こうなればもうお祭り騒ぎだ。合いの手も解禁し、拍手やコーレスでもライブを盛り上げる。見様見真似でついてきてくれるミサキちゃんの姿が、見ていてとても可愛かった。
ファル子以外の前でそれをやるのは正直恥ずかしかったが、時が経つに連れてそれも徐々に和らいでくる。今は声を出すのがとても楽しい。
一方のファル子は、普段の練習に裏打ちされたパフォーマンスで、どんな曲でも華麗に舞ってみせる。二人の観客のために、全力で歌とダンスを披露し続けた。
ミサキちゃんは終始圧倒されっぱなしというか、初めての空間にいかにも大満足といった様子だった。
何曲目かの再生が終わったスマホを拾い上げながら、ファル子にしか聞こえないように問いかける。
「明日もあるし、これくらいにしとこうか?」
「そうだね、あんまり遅くなるとあれだし…」
意見が一致し、二人してステージを降りる。
「ミサキちゃん、今日は楽しかった?」
特に考えもなく聞いてしまったが、言った後に意味のない質問だったと気づく。
「うん! とても楽しかった!」
満面の笑みを浮かべて、分かりきっていた答えが元気よく帰ってきた。
次いで、それに負けじと明るく振る舞うファル子。
「来てくれてほんとにありがと〜☆ ちょっと暗くなってきたし、明日もまたあるからもう帰ろっか?」
少女は大きく頷くと、すぐさま高架下の雨の入ってこない境界線へと駆け出す。
「ファル子お姉ちゃん、早く行こー!」
その瞳から名残惜しさはこれっぽっちも感じない。きっと今から明日のライブが楽しみなのだろう。
目の前で、黄色の花と、白とピンクの花が咲く。それを追いかけるように青いつぼみに手をかける。
(ファル子のあんな楽しそうな顔、初めて見たな…)
誰かのために輝くということ。それはとても尊く、素敵なことだ。そして、それができる者の瞳は、燦然と光を放ち、見る者に力と希望を与えてくれる。ファル子はそれができる立派な娘だ。
大きさも色も違う二つの花の真後ろで、密やかに青い花を咲かせた。
ミサキちゃんの家であるトレセン関係者ご用達のお店までは、ここから五分とかからない。
無事にその入口に送り届けたところで、ファル子の一際快活な声が響いた。
「今日はほんとにありがとね♪ また明日も待ってるよ☆」
「うん! またね、ファル子お姉ちゃん!」
元気な声と共に、黒髪の少女は颯爽と店内に消えていった。
天真爛漫さの余韻に浸る二人。傘を打ちつける雨音さえ、今はさながら軽快な音楽のように聞こえてくる。
そんな夢心地もそこそこに、行き先は告げぬままさっと踵を返す。彼女もまた、何も言わぬまま静々とついてくる。
ほんのりとしたしじまを割くようにして、そっと口を開く。
「お疲れ様。今日は本当に良かったな」
「うん、ありがと☆」
満足げな顔から安堵の声が漏れる。
「言っただろ? ミサキちゃんが見たかったのは、ウマドルとして輝くファル子なんだって」
「そうだね。今ならその言葉の意味、よく分かるよ」
傘と傘の間を声が行き交うたび、興奮気味だった心が不思議と安らいでいく。
いつもなら速く軽やかな彼女の歩調が、今日は淑女のようにおしとやかだ。それはきっと、傘からはみ出る尻尾が雨に濡れないよう、太腿に巻きつけるようにしているからだろう。
「それにしてもなぁ…」
傘を持つ手を入れ替えながら、大きく息を吐き出す。
「どうしたの?」
あからさまなため息に、彼女は食いつくように反応した。
「今までずっとファン第一号だと思ってたのに、第二号になったのはちょっと寂しいなって…」
「あ、そうだね。確かに二番手じゃしっくりこないかも」
特別感にあふれた第一号の肩書きと比べて、二番目以降はその価値が薄れることは間違いない。別にそれを誰かに名乗るつもりはないが、心の拠り所を失ったような寂寥感は確かにある。
ふと、何か思いついたのか、いつもの決めポーズのように、彼女は片手で丸の形を作り出した。
「いっそのこと第零号にしちゃうとかっ☆」
「いや、それこそ意味分からないって…ファン第零号ですって自己紹介したら、皆きょとんってなるだろ…」
「え〜、でもアニメとかドラマだと、エピソード零ってよくあるし。特別感マシマシじゃない?」
何を言っているのか分からないが、彼女は耳を上下させてのりのりといった様子だ。
「よ〜し、決定っ! 今日からトレーナーさんは…パンパカパーン! ファル子のファン第零号ね♪」
「はは…どういうことなんだそれ…」
乾いた笑いが漏れる。
本人が認定したのだから、これはもう覆らないだろう。
(まぁ、でも…もしファル子のトレーナーになれたら、それもありかもな…)
嬉しいような、呆れたような、自分でもよく分からない感情が込み上げてくる。それと同時に、隣を歩くつややかな栗色の髪の少女が、とても可愛らしく見えてきたのは気のせいだろうか。
赤信号の交差点の手前で、足元の水たまりがぴちゃんと音を立てた。
「これってもしかして、駅に向かってるの?」
「お、よく分かったな」
この交差点を越えた先には、トレセン学院から最寄りの駅がある。目的の場所は、そこから電車で一時間以上かかる。
「やっぱり電車使うんだね。でもどこに行くんだろ」
「それは着いてからのお楽しみだな」
「ふ〜ん…やっぱり秘密なんだ」
どこか納得がいかないようで口を尖らせている。
「よ〜し! こうなったら着く前に当てちゃうからっ☆ 駅まで競走して、ファル子が勝ったらヒント出してね♪」
「競走って…」
次の瞬間、信号が青色に変わり、彼女はしおらしく隠していた尻尾を解き放って足早に駆けていく。あっという間に交差点の向こう側にたどり着くと、こちらへと振り返りにんまりと微笑んでみせる。
絶対に勝てるわけないその笑顔に、やれやれと肩をすくめるのだった。
お疲れ様でした。
いつの間にか10万文字超えてましたね。
のんびり書き進めていきます。
2021/11/04:誤字修正