君と夢見た明日へと ──トップウマドルを目指して☆──   作:キビタキ

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【第5話】泥だらけの夢 ④夜空を舞う

 景色が開けて、広大なレース場が目に入る瞬間の晴れやかな気分。それは客席でしか味わえない感覚で、その臨場感はやはり格別だ。

 遠目に見える大型ビジョンには、本バ場へと駆け出すウマ娘たちが映し出されている。

 

「ここも綺麗だねっ♪ 昼間みたいに明るいし」

 

 夜のレース場を見るのは初めてなのだろう。彼女の瞳は様々な色を映し出す。

 色鮮やかなきらめきはここにも施されていて、トラックの内側で透き通るような虹色の光が点灯している。それはあたかも別世界のような空間を演出する。

 コースを照らし出すたくさんの白い照明。雨をたたえた砂地は、それと同じ色を無造作に乱反射させている。見る分には綺麗だが、走る者への厳しさが見て取れた。

 

「最前列で観戦するか?」

 

「もっちろん☆」

 

 ウィンクを華麗に決めると、傘を上下に揺らすほどの軽やかな足取りですたすたと駆けていく。

 屋内のゆったりとした座席もあるが、やはり最もレースを楽しめるのはコースすぐ側の立ち見エリアだろう。ゴール板の前で見届けるその瞬間こそ、興奮の最高潮なのだから。

 今回のレースは、コースをほぼ一周する千六百メートル。つまり、スタートの瞬間もこのエリアから間近に見ることが可能だ。

 いつの間にか、彼女は傘を畳んで最前列の柵に手をかけている。傘の外に手をかざしてみると、それが無くても気にならない程度の小雨になっていた。

 

(出走まで後五分か…)

 

 彼女に倣い青いそれをしぼませると、半ば諦め気分でスマホを確認する。小粒の水滴が画面にひたひたと付着していく。

 やはり、あの娘からの連絡はない。

 

(さすがに無理だったか…身勝手すぎるお願いだったしな…)

 

 残念な結果に肩を落としながら、ゆっくりとファル子の側へ歩み寄る。

 立ち見エリアの観客は、多くもなく少なくもなくといった感じだ。この天気なので、屋内の観客席の方に集中しているのかもしれないが。

 スピーカーから実況の声が響き渡る。

 

『本日のメインレースを迎えました、ここ大井レース場。雨の勢いは弱まり、現在は小康状態といったところでしょうか。未明から降り続いた雨で、バ場状態は重と発表されております』

 

 決して良いとはいえないコンディション。果たしてレースはどんな展開を見せるだろう。

 彼女の視線の先で、スターティングゲートが厳かにその瞬間を待っている。すぐ近くには、スタートを今か今かと、落ち着かない様子で待ちわびるウマ娘たち。道悪の地面を踏みしめるように、軽く走ったり準備運動したりしている。その靴は既に泥でびちょびちょだ。

 

「トレーナーさんはあの中で誰が一番輝くと思う?」

 

 何の前触れもなく急に口を開いた彼女。

 

「輝くってのは…勝つって意味か?」

 

 彼女はにこりとしたまま何も答えない。

 しばらく考え込んで、自分なりの答えを告げる。

 

「そうだな…勝つという意味ならやっぱりあの一番人気の娘じゃないか? 動きが冴えてるし、見るからに調子も良さそうだ」

 

 それはきっと、トレーナーの視点から見た答え。

 

「ふ〜ん、やっぱり私と見てるところ違うね」

 

 意味ありげに片耳だけをぴょこぴょこと動かしている。どうやら別の視点から彼女たちを見ているらしい。

 

「ファル子は誰を予想してるんだ?」

 

「えっとね…皆かな」

 

「皆って…」

 

 一番を当てる質問に、その回答は反則でしかない。ただ、ふざけてそう言ったのではないことだけは分かる。

 

「それはどういう意味?」

 

 その問いに、彼女は出走者たちを優しく見つめた。

 

「ほら見て。走る前から皆の目がきらきらしてるの」

 

 言われてみれば、彼女たちの目は光を反射して輝いているように見える。それは眩しいほどの照明に照らされているからだろう。

 しかし、ファル子の言うそれは物理的な意味ではなく、きっと内面的な要素。

 彼女が目指しているウマドルは、きらきら輝いて見る者に希望を与える存在だという。つまり、彼女の言うきらきらとは、思わず応援したくなる、元気や感動をもらえるといった感覚のことだ。

 改めて出走者たちの姿をよく見てみる。全員自信たっぷりといった面持ちで、その瞬間を待ち切れずにいる姿は甲斐甲斐しく健気だ。一見すると華奢な少女の体に、どうしてあんな力が秘められているのだろう。そんな思いが込み上げてくる。

 

「確かに、皆きらきらしてるな…」

 

 相槌を打つようにそうつぶやくと、彼女の尻尾がふわふわと舞った。

 

「あの娘たちがこれから全力で走るんだもん。わくわくが止まらないよ☆」

 

 出走者たちに負けず劣らず目を輝かせているファル子。その瞬間を待ちきれないのは、彼女も同じようだった。

 

「あの…すみません。お待たせしました」

 

 その瞬間、少女の静やかな声が後方から不意をついた。

 声のした方へぱっと振り返る二人。そこにいたのはビニール傘をさす朱色の髪の少女。あでやかに揺れる尻尾は彼女がウマ娘であることを示している。四月の夜にしては薄手に思える私服に身を包み、それはすらりとした体型を強調させる。

 彼女の姿をしばらく見て、唐突に目を白黒させるファル子。

 

「え…ええ!? そんな、嘘でしょ…? もしかして、スズ…」

 

 ファル子がそこまで言いかけたところで、朱色の髪の少女はしーっと口に人差し指を当てた。そしてすぐさま小声でささやく。

 

「騒ぎになると困るので…」

 

 左右を一回ずつ見渡してから、ファル子は口に手を当てたままおずおずと頷いた。

 そこにいるのは紛れもない、あのサイレンススズカだった。

 彼女のことをよく知るファル子が、"もしかして"と言ったのも無理はない。なぜなら、目の前の彼女はマスクと帽子をしていたからだ。トレードマークといえるストレートのロングヘアも、この時ばかりはおしゃれに一つ結びにしている。これだけで印象はかなり違うし、正直に言えばかなり可愛い…というのはただの主観だが。

 変装とまではいかないかもしれないが、ぱっと見ただけで彼女だと分かる人は少ないだろう。彼女をよく知る人ならば、その朱色の髪と物静かな雰囲気で気づくかもしれないといった程度だ。

 傘を折り畳みながら、彼女は申し訳なさそうに眉を八の字にする。

 

「遅くなってすみません。準備に色々と手間取ってしまって…」

 

 マスクのせいか、その清涼な声はいつもよりくぐもって聞こえる。

 準備とはこの変装のことだろうか。それはレースの前後に騒ぎを起こしたくないという、そんな思いからなされた配慮だろう。

 言うまでもなく、名の知れたスターウマ娘の持つ影響力は計り知れない。おそらくそのことは彼女が一番よく理解している。あくまで今日の主役は、これからコースを駆けるあの娘たちなのだ。

 

「遅くなったなんてとんでもない。来てくれただけで嬉しいよ。本当にありがとう」

 

 今はただ、手間をかけてまで無茶なお願いを聞いてくれたことに対して、感謝しかなかった。

 

「それにしても、よく俺たちの場所が分かったね」

 

「ええ、それはもう。ジャージのトレーナーさんと、制服のファルコン先輩ですから、遠目からでもすぐに分かりました」

 

 確かに、上下ジャージ姿のいかにもトレーナーといった風貌の男と、トレセン学院の制服を着たウマ娘のペアは、辺りを見渡した限り俺たちしかいない。それがスタートライン手前の一番良い場所に陣取っていたら、連絡を取るまでもなかったわけだ。

 

「えっと…二人はどういう関係なのかな?」

 

 おそるおそる口を開いたのはファル子だった。

 俺とサイレンススズカの会話を不思議そうに見つめるしかなく、いまいち事態を飲み込めていない様子だ。

 

「えっと…それはだな」

 

 その時、前方が慌ただしくなる。ついにゲートインが始まったのだ。

 

「その話はレースが終わってからにするか」

 

「おっけ〜☆ 洗いざらいよろしくね♪」

 

 何やら不穏な言葉が発せられた気がする。その笑顔もどこか張り付けたような…。

 きな臭い空気を感じ取ったのか、朱色の髪の彼女もどことなく乾いた笑みを浮かべている。

 

(何か勘違いされてないか…俺)

 

 いや、今はそんなことを考えている場合ではない。全神経を集中させて、このレースを堪能しようと前を向いた。

 

『各ウマ娘、気合十分にゲートイン完了。スタートの瞬間を待ちます十四人、勝利の栄光を掴むのは一体誰か』

 

 周りの光に紛れ、密やかに赤く灯るランプ。大きな音を立てて今、一斉にその扉は開け放たれた。

 それはまさに一瞬の出来事。風のようにスタートする彼女たちの姿は迫力にあふれ、生み出された風圧は観客の髪をも揺らす。

 集団は激しい位置取り争いを繰り広げながら最初のコーナーへと差し掛かる。逃げウマと思われる一人が先頭に抜け出すのに成功したようだ。

 第一コーナーを通り過ぎ、向こう正面へ向かう頃合いでファル子に袖を引かれる。それは縫い合わせたクレバスが破れんばかりの勢いだった。

 

「ゴール板のところまで行こうっ!」

 

 言われるがまま彼女についていく。サイレンススズカもそれに続く。急ぎ気味で歩く三人の視線は、人混みを避けながらちらちらと大型ビジョンに向けられる。

 

『第二コーナーを抜けて、一人先頭をいきます五番マミチャジナイ。その後方、二バ身ほど離れて十一番カヤクグリ。一番人気、六番キンクロハジロはまだ様子見か、現在五番手となっています』

 

 巨大な液晶画面に映し出される彼女たちの勇姿。地面を蹴り上げる度に泥が舞い上がる。ぐちゃぐちゃと音を立てそうなほどぬかるんだそれは、発表のあった重バ場というより不良バ場に近いように思える。

 出走前の汚れなき姿はどこへやら、体操服は元の色なんて見当たらない程に泥だらけになっている。跳ね上がるそれが顔にかからなければ幸運。実際、それに怯んで失速したり、バランスを崩したりすることは、ダートレースではよくあることなのだ。それゆえ、ダートはそのリスクが低い逃げと先行が有利とも言われている。

 

『第三コーナーに差し掛かったところで、六番キンクロハジロ加速します。一気に十一番カヤクグリの後方へとつきます。逃げる五番マミチャジナイ、少し掛かってしまっているか』

 

 大勢が決まり始めるレース中盤。一着争いは順当に、人気上位であるこの三人に絞られ始めていた。

 徐々に会場のボルテージが上がっていく。どこからともなく声援が飛び交い、雨も感じさせないほどの熱気を帯び始める。

 ファル子は一足早くゴール板付近にたどり着き、その瞬間を待っていた。

 

「あ、危ないっ! あ、あ、あわわわっ! ああ〜!」

 

 彼女に追いついた時、ファル子は大型ビジョンのそれに釘付けになりながら、悲鳴にも似た声を上げていた。

 

『おおっと、カヤクグリ、顔に泥がかかったか!』

 

 最終コーナーで、先頭のマミチャジナイに迫ったカヤクグリの顔に、泥がかかるアクシデントが起きたのだ。

 悲鳴を上げたのはファル子だけではない。その映像と実況に、会場全体がどよめいた。

 しかし、彼女は奮起してみせた。一瞬だけよろめいたものの、体勢を立て直して最終コーナーを何とか曲がり切る。

 ほっと胸を撫で下ろす間もなく、レースはついに最後の直線。逃げるマミチャジナイ、それを追うカヤクグリ、そしてその後方からキンクロハジロ。全員がラストスパートを仕掛け、ほぼ横並びになりながらゴール板に迫る。

 その顔はいずれも必死の形相。まさに全力を振り絞る死に物狂いの走りだ。

 

 「いけ!」、「負けるな!」、「頑張れ!」。いくつもの熱い声が会場全体を渦巻く。手を振り上げ、声を張り上げ、全身で彼女たちを応援している。

 それはきっと、全力で走る彼女たちの姿が、ひたむきで健気だから。そう、彼女たちのきらきらとした輝きに魅了され、心を打たれたからだ。

 

「いけいけっ! ゴーゴーゴー! あともうちょっとだよ!」

 

 気づけばファル子も全力で声援を送っていた。

 そして俺も、サイレンススズカも。

 訪れるその時。ボルテージが最高潮を迎える、その瞬間。

 

『カヤクグリが最後に抜け出したー! 一着はカヤクグリ! 泥をかぶるアクシデントをものともせず、勝利の栄光を掴み取りました!』

 

 闇夜に轟く大歓声。たくさんの手が天高く突き上がり、その興奮を爆発させている。

 ファル子はまるで自分のことのようにはしゃぎ、尻尾をぶおんと音を立てる勢いで振り回している。その金色の瞳は、昨日のライブショーを見ていた時と同じ輝きを放っていた。

 

「はああ…凄かった! ほんとにすっごいレースだったねぇ〜!」

 

「最後まで白熱したな」

 

「そうですね。手に汗握る展開でした」

 

 それぞれ自分なりの感想を口にする。仕掛けるのがもう少し早ければ、泥のアクシデントが無かったら、そんな話に盛り上がる。少なくとも、皆一様に感動を覚えていたようだ。

 知らぬ間にぴたりと降り止んだ雨も、もはやそのことを気にする者は誰もいなかった。

 

「あの娘たち、戻ってきましたね」

 

 サイレンススズカの見やる先には、ウイニングランを終え一周してきたカヤクグリ。彼女は手を振りながら立ち見エリアの前をゆっくりと駆け抜けていく。他の出走者たちもそれに追随している。

 全身真っ茶色のはずの姿は、白い照明とトラック内側のイルミネーションに照らされ、色彩的な意味でいよいよ混迷を極める。しかし、一つだけ確かなことは、彼女の瞳は何色でもなく、ただ彼女の色できらきらと輝いているということだ。

 栄光を勝ち取ったカヤクグリに、惜しみない拍手と賛辞を送る観客たち。いや、それは一着で駆け抜けたあの娘だけに向けたものではない。このレースに挑んだ全員、泥だらけになりながら全力で走り切った出走者たちへの惜しみないエールだった。

 

「これが…ダートの世界なんだね…」

 

 ぽつりと、聞こえてきた声。

 それは誰に向かって言ったのか。ただただ感慨深げな表情を浮かべ、ファル子はそうささやいていた。

 これは勝手な想像だが、彼女がウマドルを目指すきっかけとなった初めてのレース観戦。それを見終わった時も、きっとこんな顔をしていたのだと思う。

 

(ファル子が望んでたものは、この世界にもあるんだからな…)

 

 確かに、観客数は少ないかもしれない。人気も相対的に見れば低いかもしれない。見た目も歓声も、泥臭くて野暮ったいかもしれない。

 しかし、その声の大きさは芝に決して負けていない。ダートに強い思い入れを持つ人は、こんなにもいるのだ。この一体感や達成感は何物にも代えがたいほどに素晴らしいし、それは決して芝だけの特権ではない。ダートだって、見る者にこんなにも希望と感動を与えることができる。彼女にとっての理想郷はここにもあるはずだ。

 

「スズカちゃんはスタートの時気をつけてることある? ファル子も逃げが好きだから参考にしたいなぁ☆」

 

「そうね…まずゲートが開く時に…」

 

 サイレンススズカとレースの話で盛り上がる、つややかな栗色の髪の少女。その屈託のない笑顔の奥で、彼女は今何を思っているのだろうか。

 ファル子が俺と同じようなことを感じているのかは分からない。ただ、この素敵な空間を共有したことが、これからのことを見つめ直すきっかけになってほしい。彼女には、ダートの世界を変える力が、皆に希望と感動を与える力が、きっと誰よりもあるのだから…。

 

(大丈夫。ファル子なら必ず…)

 

 ふと、場内アナウンスが鳴り響く。

 

『ウイニングライブは十分後に開始予定です。ご覧になる方はトラック内側通用口前にお並びください』

 

 ぴんと耳を逆立て、ファル子は一目散に駆け出す。

 

「急いで急いでっ! 一番良い場所取らなきゃ!」

 

 レース後の興奮冷めやらぬ中、急に手を掴まれ、その勢いのまま引っ張られる。

 

「うおっ! ちょ、ちょっと! まっ、うわ!」

 

 突然のことにまともに声を出すことはおろか、慌てふためくことすら許されず、足をフル回転させて何とか食らいついていく。

 はっきり言って、その時奇跡が起きたと思う。その場所にたどり着くまで何度も転びそうになりながら、かろうじて耐え忍んだのだから。

 

(死ぬかと思った…)

 

 激しく乱れる呼吸。手には少女ならざる握力で掴まれた感覚が、今も鮮明に残っている。冷や汗が吹き出ると同時に、背筋がぞわぞわしてたまらない。

 ウマ娘に手を引かれるなど、恐怖体験以外の何物でもない。引っ張られる最中にちらりと見えた、それに軽々とついてくるサイレンススズカの迫力も十分恐ろしかったが…。

 

「トレーナーさん、ごめんね♪ 大丈夫だった?」

 

 走馬灯を見かねない心境を知ってか知らずか、あまりにも無邪気過ぎる微笑み。そこに悪意がないと分かっているだけに、怒るに怒れない…というか厄介そのものである。

 

「人を引っ張って走るのは、あまり良くないんじゃないかしら…」

 

 そこに舞い降りる、サイレンススズカのいたって常識的な苦言。今の俺には天の思し召しにすら感じる。

 

「スズカの言う通りだ。さっきのは正直、九死に一生だったぞ…」

 

「え〜っ、かなり遅めに走ったんだけどなぁ…次はもうちょっと手加減するね♪」

 

「そういう問題じゃないと思うのだけれど…」

 

 命が懸かった割には、よく分からない不毛なやり取りがしばらく続いた。

 

 死線をくぐった甲斐もあって、ウイニングライブでは最前ドセンに陣取ることができた。観客たちの多くがペンライトを手にして、その瞬間を待っている。

 夜の闇に紛れるように、トラックのど真ん中にせり上がるステージ。スポットライトが一斉に点灯し、激走を繰り広げたウマ娘たちを明々と照らし出す。

 沸き起こる拍手と歓声。センターに立つのはもちろん、ゴール板を一着で駆け抜けたカヤクグリ。

 

「皆さん! 今日は雨の中、熱い声援をありがとうございました!」

 

 スピーカーから放たれた元気な声が、ひとしきり残響する。

 大きく手を振るステージ上のウマ娘たち。その姿はもちろん泥だらけで、靴も体操服も、そして顔や髪さえもレース直後のままだ。

 カヤクグリの頬にも激戦の跡がべったりと残っている。しかし、それを気にする素振りもなく、堂々と、それでいて誇らしげに振る舞っている。

 ファル子は常に携帯しているというペンライトをどこからか取り出し、様々な色に光らせながら大きく振り回している。その激しい動きは、カヤクグリの目にも留まったようだ。

 

「皆さんとても良い笑顔ですね! 最後までその調子でいきましょう! 聞いてください。私たちの曲は…『夜空を舞いし砂の羽根』」

 

 それは初めて聞く曲名だった。

 重賞競走では歌う楽曲は定められているが、通常のレースでは特に決まりはない。URA管轄のレースであれば、全員が練習済みである『Make debut!』などが無難に選ばれることが多い。

 一方、ローカル・シリーズにはレース場によって伝統的な楽曲が無数に存在しているらしく、どうやら今回の曲もその一つのようだった。ナイターレースを開催している大井レース場ならではの曲名だろう。

 ファル子もサイレンススズカも、聞くのは初めてといった様子でその瞬間を待っている。

 

 流れ出したイントロは鼓膜を鋭く刺激する。どこか寂しさを感じさせる曲調。そこにカヤクグリのドライな歌声が加わると、切なくも熱いサウンドへと姿を変え、聞く者の胸を高揚させる。

 それは砂地を走る誇りが垣間見える曲。泥臭さも、不格好さも、何もかも全て受け入れてひた走る情景が目に浮かぶ。

 

 夜空舞う砂が羽根になって

 悔しさをいつかはねのけたら

 希望にあふれた私に出会うの

 

 力強い歌詞に込められた思いは、砂の大地を翼はためかせ飛翔する彼女たちを連想させる。

 奇しくも、ファル子も鳥の名前を冠していた。『ファルコン』、それは地球上で最速の鳥類、隼のことである。

 

 あらん限りの力を込めて、歌と踊りを披露するウマ娘たち。その姿はレースの時と変わらず、スポットライトに照らされて鮮やかにきらめいている。放たれる輝きは、芝のそれに勝るとも劣らない。

 ペンライトを振りながら、熱くきらきらした眼差しをステージに向けるファル子。それとは対照的に、少し控えめながらもライブを楽しんでいる様子のサイレンススズカ。

 ステージのウマ娘たちも、それを囲う観客も、全員が一体となって同じ時を過ごす。それはまさに夢心地、最高の一時だ。

 

 演奏の合間、ファル子がそっと俺の袖を引いた。それは本当に突然のことだった。

 

「トレーナーさん、私ね…」

 

「…どうした?」

 

 この瞬間だけ控えめになっているライブの音響。かろうじて彼女の声を聞き取ることができる。

 つややかな髪が七色の光を妖しく反射している。幻想的な雰囲気をまとわせながら、彼女は鮮やかに輝く金色の瞳で俺を射抜く。その上目遣いに思わずどきっとする。

 刹那、確かにこう言った。

 耳をぴくぴくさせて、はにかむような笑みを浮かべて、そして口に手を添えて。

 

「トレ……さんと……を走り……☆」

 

 同時にスピーカーから放たれた大音量で、そのほとんどはかき消されてしまった。しかし、口の動きで全てを悟った。

 すかさず彼女はにこっとウィンクして、決めポーズを取る。そして再びステージへと体を向けると、ツインテールとペンライトを再び激しく揺らし始める。

 呆然と立ち尽くす俺。それは嬉しさのあまり、胸から熱いものが込み上げてきたからだ。 

 

(聞き間違いじゃないよな…今の…本当だよな…)

 

 曲のテンポより早く脈打つ鼓動。スピーカーからあふれ出す重低音のように、ばくばくと鳴り響くのを確かに感じていた。

 

 泥だらけのウイニングライブは、大盛り上がりのうちに幕を下ろした。




お疲れ様でした。
ここら辺は書いてて特に楽しかったです。
レースに登場したウマ娘の名前は、全て国内で見ることができる野鳥の名前から取っています。
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