君と夢見た明日へと ──トップウマドルを目指して☆──   作:キビタキ

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【第6話】ターフの代償 ③不穏な着信

 朝の穏やかな日差しが、学院中を分け隔てなく照らしている。

 随所に植えられた桜の木は、かつて人々を魅了した桜色の姿とは打って変わって、青々とした新葉に覆い尽くされていた。

 

「おはようございます!」

 

 すれ違う生徒たちと挨拶を交わす。背丈から見て新入生だっただろうか。とても元気で、見るからに希望と活力に満ちあふれていた。

 明暗を分けた選抜レースも、これから伸び盛りを迎える新入生たちにとっては、単なる奮起のきっかけだったのかもしれない。

 

 出勤初日と比べると、学院内は色々と様変わりしていた。至るところに施された装飾、文化系の催し物の準備、各施設で行われる様々な競技の練習。

 以前組み立てたイベント用テントも、今度は物販コーナーや屋台、休憩所などに流用されるという。

 

(もう三日後なんだよな…)

 

 着々と、春のファン感謝祭の準備が進んでいた。

 それはトレセン学院を代表する一大イベントで、その名の通り大勢のファンが詰めかける。その人数たるやこの前の選抜レースの比ではないらしい。

 ちなみに、秋にも同様のファン感謝祭が行われるが、そちらは『聖蹄祭』と呼ばれているそうだ。どちらも体育祭や文化祭のような学内イベントであり、クラス単位やチーム単位で様々な催し物が行われる。

 文化系の見世物が豊富な聖蹄祭に対し、春の感謝祭は体育系に特化しているイベントだ。

 にんじん食い競争や障害物競走といったレース系競技はもちろん、バスケットボールやフットサルなどレース以外のスポーツでも競い合う。もちろん、王道の徒競走やリレー走もあるが、普段は芝を走る娘がダートに挑むなど、お祭り的要素も強いそうだ。

 優勝チームには賞品として、有名お菓子店やカフェなどで使えるスイーツ引換券が配られるとあり、かなり白熱したものになるらしい。さらに、MVPに選ばれれば、『トレセン学院産特別にんじん』が贈呈されるとかしないとか。どうやらそこは理事長の気まぐれらしいが。

 

 ほどなくして差し掛かった中庭の噴水。その真ん中には、いつもと変わらない柔らかな表情の三女神像。肩に抱える水瓶からは、とめどなく清らかな水があふれ出している。

 ふっと目を閉じ、祈りを捧げる。それはファル子と巡り合わせてくれたことへの感謝の印。出勤時に必ず行う日課となっていた。

 

(ファル子がもっと速く走れますように…)

 

 まるで小学生の短冊みたいに簡素な祈り。今の俺にとってそれが一番の願いだった。ただ、その方法を見つけ出すのは他でもない、自分自身である。

 そっと目を開ける。そこには藍鼠色をした女神像と、どこまでも広がる天色のコントラスト。

 三女神像には、歴代ウマ娘たちの想いが託されているという。それを受け取り力に変えるという儀式が毎年行われているそうだが、もしかしたらウマ娘ではない俺にも恩恵があるのかもしれない。

 足にぐっと力を込めて、気合十分にトレーナー室へと向かった。

 

(鳥林さんにファル子のこと相談しないとな…)

 

 先日のトレーニングや図書室での一件の後、話を聞いてもらうべく探したが結局会えずじまいだった。朝礼には必ず顔を出すはずなので、そこで相談するつもりでいた。

 階段を登った先のトレーナー室前の廊下。そこで意外な人物が目に入った。

 朱色のロングヘアと尻尾を持つ生徒。緑色の耳カバーがぴくぴくと揺れている。ここから顔は見えないが、それは間違いなくサイレンススズカだった。

 彼女の目の前には、整えられた髭を撫でるようにさすっているトレーナー長。何やら二人で話をしているようだ。

 ダートレースを一緒に見た日以来、彼女とファル子はプライベートでの絡みが増えてきているらしい。数日前にはミサキちゃんの店へ仲良く買い物に出かけたそうだ。

 今度は高架下ライブに誘ってみるんだと、嬉しそうに意気込んでいたファル子の顔がとても印象に残っている。

 

「それでは、私はこれで…」

 

 彼女の静やかな声が耳に届く。会話が聞こえる距離に近づいた時には、もう話が終わってしまったようだ。

 思いがけず、振り向きざまの彼女と目が合う。一時停止ボタンを押したように固まる二人。誰が再生ボタンを押したのか、やにわに微笑んで一礼する彼女。続き、しとやかな足取りでその場を後にする。

 流れるような動きに思わず目を奪われていた。その姿が階段に差し掛かり、いよいよ見えなくなった頃合、隆々とした男性の声が後方から不意をついた。

 

「おはよう」

 

「あっ、おはようございます」

 

 振り返りながら反射的に挨拶を返す。そこには精悍な眼差しをこちらへと向ける、大先輩の姿があった。

 一体彼女と何を話していたのだろう。顔にそう書いてあったのか、鳥林さんはおもむろに語り出した。

 

「この前、サイレンススズカのトレーナー不在騒ぎがあったろう? あれから何も起きてないかの確認だな。お達しがされた後はぴたっと止んだらしい」

 

「そうなんですね。それは良かったです」

 

 顔には出さないまでも、心の中で胸を撫で下ろす。

 彼女の事情をよく知るだけに、そして実際に迷惑をかけてしまっただけに、少なからず負い目を感じていたからだ。

 

「生徒に迷惑をかけるスカウト行為はさすがにな…まぁ、彼らの気持ちが分からないわけでもないから、ちょっと複雑でもあるが」

 

 トレーナー室を忙しなく動き回る後輩たちを見やりながら、トレーナー長は肩をすぼめていた。

 

「ところで鳥林さん、一つお願いがあるんですが…」

 

 そう切り出し、事の顛末を打ち明ける。

 ファル子が伸び悩んでいるような気がすること。その原因が特定できないこと。そして、経験者としての力を借りたいということ。

 厳かに腕を組みながら、時に頷き、時に相槌を打ち、真剣に聞き入る様子のトレーナー長。全て話し終えると、さっと腕を解いて気さくに語りかけてくる。

 

「今日もトレーニングはあるんだな?」

 

「はい。放課後すぐにダートトラックを周回しようと思ってます」

 

「よし、分かった。早速その時間に見に行こう」

 

 微笑をたたえた頼りがいのある表情。快諾してくれたことに心の底から感謝した。

 

「ありがとうございます」

 

「礼はいらないさ。それと、この前君に聞かれていたことにも答えないといけないしな」

 

「…?」

 

 一瞬何のことか思い出せなかった。その答えに行き着く前に、始業のチャイムが鳴り響いた。

 

「おっと、もうこんな時間か」

 

 自身の腕時計もちらっと確認し、鳥林さんは小走りに入室する。つられるように、俺も所定の場所へと急ぐ。

 いつもと変わらない、トレーナーたちの朝礼が始まるのだった。

 

 朝礼後、トレーナー室でデスクワークに取り掛かっていた。

 手帳、スマホ、学院から支給されたタブレット、それらを机上に並べ、時にボールペンを手に取り、時に流れるように指を動かし、今後のことを思案する。

 トレーナーの仕事は、ウマ娘のトレーニングに付き添い、指示するだけではない。出走届提出などの書面上の各種手続き、成長に合わせたトレーニングや食事メニューの作成、デビュー後の出走レースを見据えたスケジュールの組み立てなど、多岐に渡る。

 ストレス発散や良好な関係を築くために、適度な休息や自由時間を設けたり、プライベートを共にしたりすることなども必要だ。その距離感はトレーナーとウマ娘によって様々だが、本人と相談しながら決めていくことになるだろう。

 実際、ファル子の高架下ライブの時間は削っていない。今週は春のファン感謝祭前ということで本人が控えているが、彼女にとってそれはほぼ日課であった。

 ライブパフォーマンスを磨くことは良いことだし、激しい動きを取り入れれば体を鍛えることにもなる。ファル子のモチベーションアップにも繋がり、まさに一石二鳥といえた。

 とにもかくにも、トレーナーはあらゆる要素を考慮しつつ、文字通り先導者として彼女たちを導かなくてはならない。

 ファル子一人でも大変なのに、何人ものウマ娘を同時に担当しているトレーナーは本当に凄いと思う。

 

(さて、あれを記入するか…)

 

 タブレットを操作して、トレーナー専用のLANにアクセスする。そこには各種書類のフォーマットが一式揃っている。そこから一つ選択し、印刷ボタンを押す。

 直後、遠く離れた共有のプリンターがロボットの動作音のような無機質な音を立てて、一枚の紙を出力する。

 そこへと向かう途中、桐生院さんの姿が目に留まる。彼女は自分のデスクに座って、トレーナー白書とにらめっこしていた。それは毎日のように繰り返される見慣れた光景。熟読しているそれを、来る日も来る日も読み直しているのだ。その徹底ぶりには驚かされるし、新人とは思えない余裕さを感じさせる一面でもある。

 プリンターへとたどり着くと、それをひょいと手に取り、目を通す。

 

(メイクデビュー出走届…)

 

 それは一人のウマ娘が生涯に一度しか提出できない特別な書類だった。

 メイクデビュー戦は六月から順次行われる。そのため、提出は五月中に済ませなければならない。まだ一ヶ月以上猶予はあるが、早めに書いておくに越したことはない。

 各種書類はタブレット上で入力することもできるが、一枚しか提出できない特別なそれは、どうしても手書きしたいと思っていた。ファル子をスカウトした時の契約書も同じように手書きだった。

 デスクへと戻り、手帳にメモしておいたファル子の生年月日、クラス番号、希望のコースと距離など必要事項を転記していく。

 一通り書き終えると、末尾の確認事項にはこう書かれていた。

 

『このメイクデビュー出走届の受理及び承認をもって、本年を当該生徒のジュニア級と認定する。認定後は、いかなる理由の取消しも認められない。同意する場合、下記の□にチェックすること』

 

 これを提出して承認されれば、ファル子のジュニア級がスタートする。そうなってしまえば、もう後戻りはできない。

 正直なところ、不安がないわけではない。彼女の伸び悩みの原因が分からなければ、いや、もし分かってもすぐに解決できないものならば、二の足を踏んでしまうかもしれない。

 新入生のように在学期間が短ければ、一年ほど待って来年デビューということも考えられるが、彼女の在学期間ではそれも厳しい。なぜなら、彼女が通常の学院生活を送る限り、在籍できるのは今年度を含めて三年しか残されていないからだ。

 重賞競走の勝利など、特筆すべき結果を残すことができれば、特例措置で在学期間を延長できる。逆に、デビュー後も鳴かず飛ばずであれば、卒業という形で学院生活の幕を下ろすしかなくなる。

 彼女の場合、来年にデビューしてしまうと、二年目、すなわちクラシック級までに結果を出せなければそうなってしまう。それゆえ、今年デビューするのが最善と思うのだが、そうすると今度は別の問題が浮上する。

 六月のメイクデビュー後は、勝利するまで、つまり一着を取るまでは未勝利戦に出走するしかない。そして、未勝利戦に出走できるのは翌年の夏までとされている。

 それが意味するところは、デビュー後の約一年間で一度も勝てなかった場合、敗者の烙印を押され以後の出走がほぼ叶わなくなるということである。

 今の彼女の走りが何の向上も見せなければ、そうなる可能性も十分有り得る。

 脳内を渦巻く様々な不安に、思わず顔をしかめる。

 

(まだ提出期間に余裕はあるし、とりあえず様子見か…)

 

 結局どうすればいいか自信が持てず、その確認事項をチェックすることができなかった。

 後はファル子の捺印と、確認事項のチェックを残すのみとなった状態のそれ。いつになるか分からないが、これは必ず二人一緒に提出しようと思う。

 

(…って、婚姻届みたいだな)

 

 さっきまでの不安はどこへやら、変な想像に顔をほころばせながら、デスクの引き出しにひっそりとそれをしまい込んだ。

 

 その時だった。『着信ッ! 直ちに確認されたし!』という女性の声が、ほぼ一斉にトレーナー室に鳴り響いた。

 発信源は、トレーナーへと支給された全てのタブレット。それは、秋川理事長からメールが送信された時にのみ発せられる、特別な着信音であった。わざわざ声を録音して、あまつさえ全てのタブレットに着信設定までしているという、謎の凝りようである。

 おそらくこの部屋だけで数十台はあったのだろう。端末によって鳴るタイミングに誤差が生じており、そのずれ具合が何とも言えず不気味で、妙に不安感を煽ってくる。桐生院さんのように、思わず吹き出してしまう猛者も少なからずいたようだが…。

 トレーナーたちは顔を見合わせると、すぐさまそれを手に取り内容を確認する。

 善は急げの精神で即断即決に定評のある理事長のことだ。緊急招集の可能性も十分考えられるので、この音が鳴ればすかさず内容を確認するのが暗黙の了解になっていた。

 ちなみに、サイレンススズカのトレーナー不在騒ぎのメールも、これと同様に理事長からの通達であった。

 早速、今回の内容を確認してみる。

 

『注意ッ! 神出鬼没の謎の笹針師に注意されたし。言葉巧みに生徒を誘惑し、施術を行う笹針師が出没中ッ! 施術後に大きく調子を落とすことが報告されている。決して誘いに乗らないよう、担当ウマ娘に注意喚起しておくこと。以上ッ!』

 

 ゴシップ誌のような文面と、謎の笹針師という要領を得ない単語。不可解なそれらに思わず鼻白んだ。

 内容は書いてある通りなのだろうが、何とも具体性に欠ける。いつ、どこで、誰が、そういった情報がまるで無い。それゆえ神出鬼没なのかもしれないが…。

 ただ、内容はともかく、理事長がこれを打ち込んだと思うと不思議と笑いが込み上げてくる。以前のメールもそうだったが、文章まで自らの口調を再現している辺り、こだわりの強さが半端ではない。

 何にしても、理事長が直々に送信したということはとても重要なことなのだろう。

 周りを見渡すと、何だこれはという反応もあれば、またこれかという反応もある。桐生院さんは…表情ひとつ変えず、黙々とトレーナー白書を読んでいた。

 

 次の瞬間、また着信音が鳴った。ただ、それはさっきと違って一つだけ。机上のスマホからバイブレーションと共に漏れた、とてもシンプルで耳に優しい着信音。

 誰からのメールだろうか。さっと手に取り、通知を確認する。

 

(ファル子からか…)

 

 それは担当ウマ娘からのメール。表示される冒頭の文面に緊急性は無さそうだが、さっきのメールの後だけに妙な胸騒ぎを覚える。

 スマホのロックを解除して、全文を確認してみる。

 

『おつかれさま☆ お昼一緒に食べない? 時間と場所はいつも通りね♪』

 

 何てことはない普通の内容だった。

 文字だけ書き起こすとシンプルだが、実際には絵文字やら装飾やらでなかなかに忙しい文面だ。どことなく、お手製のフライヤーを彷彿とさせる。

 わざわざメールしてきたということは、何か話があるのだろうか。

 

(といっても、だいたいいつもどうでもいい話なんだけどな…)

 

 特別な話がある時、彼女はもっとかしこまるはず。だからこれは単に色々としゃべりたいだけのように思う。だが、別にそれでも全然構わない。他愛のない話をすることはむしろ良いことだ。

 

『了解』

 

 彼女とは対照的に、たった二文字の単純かつ簡潔なメールを送り返した。

 

 

「ねぇねぇ、聞いて聞いてっ☆ クラスメートから聞いた話なんだけどさ」

 

 食堂の喧騒。その中に紛れる朗らかな声は、確かに俺へと向けられていた。

 

「へぇ、そうなのか」

 

 適当に相槌を打ちながら辺りを見渡す。

 大きな窓ガラスには清々しい春の陽気。その光に照らされながら、大勢の生徒たちが昼休みを満喫している。

 一人で過ごしている娘もいるが、大多数はクラスメートや友人と食事を楽しんでいるようだ。よく見ると、意外にトレーナーと過ごす生徒も少なくない。

 

「トレーナーさん、ちゃんと聞いてる?」

 

 担当ウマ娘の訝しげな声に視線を戻される。

 

「ああ、聞いてるよ。この前の選抜レースで上位になった娘の話だろ?」

 

 彼女の話すことは大概とりとめのない話だ。かといって聞き流しているわけではなく、きちんと耳を傾けている。

 彼女は話すことが好きなのだ。そして俺の反応を楽しんでいる節がある。何と表現すればいいだろう、この微妙なバランスが心地良いのだ。少なくとも俺はそう思っている。おそらく彼女も。

 

「そう、それでね。その娘ファル子みたいに全然ぱっとしない娘だったらしいんだけど、急に走るのが速くなったんだって」

 

 にんじんサラダにドレッシングをかけながら、少し早口にそう言った。

 後続には、にんじんのミネストローネ、にんじんゼリー、にんじんとバナナのスムージー。もちろん、大好物のキャロットケーキも控えている。今のところ、体重を増やしすぎないこと以外特に食事制限を設けていないが、いずれ考えなくてはならないだろうか。

 一方、俺の食事はとうに済んでいて、食後のコーヒーに砂糖を入れてかき混ぜている最中だった。

 

「急に速くなったってことは、適性に合うレースを選んだか、必死にトレーニングを積んだか…ってところか?」

 

 だとすれば、何の変哲もない話で終わるはずだった。

 

「ううん、それがね、笹針師のおかげなんだって」

 

「…笹針師?」

 

 コーヒーを泳ぐスプーンの動きがぴたりと止まる。もう一方のスプーンは、ミネストローネを美味しそうに平らげ始めていた。

 彼女の言う笹針師とは、理事長のメールにあった神出鬼没のそれと同一人物なのだろうか。メールによれば、施術された娘は調子を落としたということだったが、ファル子の話では真逆だ。一体どういうことなのか。

 

「その笹針師のこと、他に何か分からないか?」

 

 妙に食いつきがいいと思ったのか、彼女は得意げな笑みを浮かべた。ただ、それはすぐ残念そうなものへと変わる。

 

「う〜ん、ファル子もそれ以上のことは知らないんだ。元々クラスメートから聞いた噂話だし、そもそもその上位になった娘も誰か分からないし…」

 

 やはり真相は闇の中。少なくとも言えるのは、基本的に美味しい話には裏がある。それが世の常というものだ。

 コーヒーの海からスプーンをサルベージして、微糖のそれを一口含む。

 対して、目の前に座する少女はミネストローネを全滅させ、にんじんゼリーへと進軍を開始していた。

 

「ファル子、もしその笹針師に出会っても、誘いに乗るなよ」

 

「なにその、知らない人についてっちゃダメだよ☆ みたいな。ファル子はもう子供じゃないんだから、そんなの信用するわけないよ〜」

 

 洟も引っ掛けないという態度で平然と笑い飛ばす彼女。それもそうだ。そんな胡散臭い笹針師なんて信用できるはずがないし、そんなことで速くなれるのなら誰も苦労はしない。もし目の前に現れたら、通報するかたづなさんを呼べばいい。

 

「もし見かけたら、近くの大人にすぐ伝えるんだぞ」

 

「あれれ? やっぱり子供扱いしてない?」

 

「未成年はまだまだ子供さ」

 

 言った途端、そっぽを向いてあからさまにふんと鼻を鳴らす彼女。その手にはにんじんとバナナのスムージーが握られ、つれない顔をしたままストローを使って飲んでいる。どうせお酒も飲めない子供ですよと言ってるみたいで、何とも言えず可愛らしい。

 

「そういえば、今度のファン感謝祭でリレーに出るんだよな?」

 

 そんな空気を変えようと、二口目をすすりながら以前彼女が言っていたことを話題にする。膨れていたのも束の間、彼女は待ってましたと言わんばかりに明るく反応する。

 

「そうそうっ! ファル子の得意なダートだから頑張らないとだね☆」

 

「ああ、腕の見せ所だな。確かリレーは最後の競技だったっけ。どのチームも強い娘を用意してるだろうな」

 

「うん、そうなんだけど、実はこういうルールがあってね…」

 

 彼女の話によれば、リレーに出場する娘は、普段走っているバ場と"異なるバ場"に出なければならないというルールがあるらしい。デビュー前の生徒は選抜レースを、デビュー済みの生徒は直近に出走したレースを、それぞれ基準とするそうだ。

 それはファン感謝祭がお祭り的イベントであるがゆえの特別ルール。前回の選抜レースで芝を走ったファル子は、このリレーでは当然ダートということになる。オールラウンダーを除けば、ほとんどの生徒が適性的に不利なバ場を走ることになるわけだが、ファル子にとっては怪我の功名というわけだ。

 

「だったらかなり有利にいきそうだな」

 

 余裕の表情で三口目をすすり終えると、いつしか彼女はその顔を曇らせていた。風前の灯火となっていたキャロットケーキも、彼女がその手を動きを止めたことによって一命を取り留めている。

 

「う〜ん、そうだと良かったんだけど…」

 

「何か不安があるのか?」

 

 そう問いかけながら、本当はその理由を知っている。それは先日メイショウドトウが話していたこと。真顔で素知らぬふりを演じているのは、ファル子にそのことを秘密にするという約束ゆえだった。

 

「バトンパスがね…なかなか上手くいかないんだよねぇ…」

 

「なるほど、バトンパスか…ウマ娘のスピードだとめちゃくちゃ難しいよな」

 

「うん、それはそうなんだけど…上手くいかないのは多分ファル子のせいなんだ…」

 

「ファル子の?」

 

 彼女の耳がいつになくしゅんと垂れ下がっている。

 昨日の話では、メイショウドトウが自らのせいと言っていたが…。

 

「トップスピードだと、手を出しながら真っ直ぐ走れてないみたいなの。体がぶれちゃうっていうのかな。練習できる時間も後少しだし、それまでに何とかしないといけないんだけど…」

 

 自信なげに現状を吐露するファル子。メイショウドトウが言っていた、前を走る娘の手が左右に動くとはこのことだろうか。

 

「午後からリレーの練習はあるのか?」

 

 どうしても真相が気になり、そう問いかけていた。この時期は催し物の準備や競技の練習が、授業として盛り込まれているはずだ。

 

「うん、あるよ」

 

「見に行っても構わないか?」

 

「別にいいけど…あっ! もしかしてトレーナーさんが色々教えてくれる感じ?」

 

 尻尾を大きく振り上げて、その目は期待感にあふれている。

 

「いや、さすがにそれは難しいな…まぁ、何か気づいたら教えるけど」

 

「ありがと〜☆ 他の娘もトレーナーがついてるんだけど、訳ありで来られないみたいでさ…やっぱり持つべきものは頼れるトレーナーさんだね♪」

 

 そんなつもりはなかったが指南役に抜擢されてしまっていた。

 とはいえ、彼女にとっては藁にもすがる思いなのだろう。どういう形であれ、状況を好転させることができればそれに越したことはないはずだ。

 刹那、フォークを持つ彼女の手がふわりと宙を舞った。まさにその瞬間、キャロットケーキの最後の灯火は静かに事切れたのだった。




お疲れ様でした。
たくさんのお気に入り登録&評価ありがとうございます。
既に存在がほのめかされていますが、ゲームアプリではお馴染みのあの方が次回登場予定です(彼女によるチート化・無双は考えていません)。
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