君と夢見た明日へと ──トップウマドルを目指して☆──   作:キビタキ

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【第7話】砂塵を越えて ③負けられない理由

 つややかな栗色の髪を持つ少女は、白いレースカーテンからこぼれる太陽の息吹によって目を覚ました。

 体を起こして、寝ぼけ眼のままベッドの縁に座る。そして、手と耳を上へと伸ばしながら大きくあくびをする。本人が自覚しているほどに、寝起きは良くない体質であった。

 部屋の向かい側に置かれたもう一つのベッドには、誰もいない。それはもう半月以上前からだ。いつもそこにいるはずだった入学当初からの友人は、先月付で学院を中退してしまっていた。

 

「おはよう…☆」

 

 誰もいないはずのそこへと挨拶してしまったのは、昔からの習慣。彼女とは正反対に、友人はとても寝起きが良かった。

 同級生でもあったその友人とは、ライブを一緒に見に行ったり、路上ライブをしたり、たくさんの時間を共有した。さすがに路上ライブに関しては、最初は乗り気でなかったものの、そこは最も長い時を過ごす同室者同士、打ち解け合う時間はたっぷりあった。

 しかし、それも今では過去の思い出。

 新入生入学を機に、新たな同室者がやって来るのかと思っていたが、調整が折り合わなかったのか、今日この日までついぞあてがわれることはなかった。

 彼女はそれを苦には思っていなかった。学院に繰り出せば友達はたくさんいるし、同室者を気にせずプライベートを確保できるというのは、気が楽でもあったからだ。

 ただ、一人で寝泊まりすることは、生まれてこの方数えるほどしかなかった彼女。最初は新鮮に思えたが、すぐに寂しさを覚えていたのも事実だった。

 

 ゆっくりと立ち上がり洗面所へと向かう。結っていない髪が、体の動きに合わせてふわりと揺れる。

 裸足で歩くたび、きめ細やかな砂のさらさらとした感触が頭をよぎる。またあそこで走りたい。自分でもわかるほどに、彼女の足は砂地を渇望していた。

 鏡に映る催眠術をかけられたような顔。とろんとした目はまだ覚醒しきっておらず、髪と尻尾はコンディショナーの甲斐なくぼさぼさだ。ファンには決して見せられない、ウマドルとして秘密の一面だった。

 

「今日は頑張らなくっちゃ…」

 

 まなじりを決して、目の前のだらしない自分を睨みつける。彼女には負けられない理由ができた。

 その心の中で、自然と昨夜の併走が思い出されていた──

 

 

「どうして裸足なんですか?」

 

「トレーナーさんにね、そうしろって言われたの」

 

 ダートトラックをジョギングペースで走る三人のウマ娘たち。スマートファルコンの右にスペシャルウィーク。その後ろをメイショウドトウがついていく。それが自然と形成された位置取りであった。

 

「あの…足は…痛くないですか?」

 

 後ろから飛んできた不安そうな声。その視線は躊躇なく砂を蹴り出す両足へと注がれていた。

 

「全然平気だよ☆ さらさらしててすっごく気持ち良いの」

 

「分かります! 砂浜を駆けるとびびっと来ますよね」

 

 明るい声を響かせて賛同する焦茶色の髪の少女。

 

「わ、私は多分…こけちゃいそうです…」

 

 その後ろで、垂れ耳の少女は悪い想像を働かせている。

 先輩はくすりと笑みを浮かべた。それは、メイショウドトウが砂浜を不得手としていて、夏合宿でもたまにやらかすことを知っていたからだ。

 三人はトラックの外縁をゆっくりと駆けていく。真っ白な照明が、走り込まれた砂地を鮮明に照らし出している。

 

「ごめんね…私のトレーニングに付き合わせちゃって…」

 

 つややかな栗色の髪の少女が、ぽつりと小さな声をこぼした。後輩たちが反応する前に、こうも続けた。

 

「というか、トレーニングじゃなくて自由時間なんだよね、これ…」

 

 それは担当トレーナーの指示。好きなようにダートトラックで過ごすこと。まさにそれはトレーニングではなく自由時間に他ならなかった。

 

「でも、裸足で走るって条件なんですよね?」

 

 隣を走る後輩の問いかけに、先輩は前を見据えながら頷く。

 

「そうだね。トレーナーさん、無意味なことはしないから…きっとこれにも何か意味があると思うの。リレーとどんな関係があるのかは、ちょっと分からないけど…」

 

 気落ちしているように見えた先輩の姿に、思わず心配そうに声をかけたのは垂れ耳の後輩。

 

「裸足で走るのは…つまらないですか…?」

 

 ただ、その不安は取り越し苦労だった。

 

「ううん、とっても楽しいよ! ドトウちゃんもスペちゃんもこうして来てくれたし、併走できるだけでうきうきしちゃう☆ だからいっぱい走らないとだね」

 

 手足の動きに合わせて揺れる彼女の尻尾が、嬉しさからより一層大きくなびいた。

 それを見たメイショウドトウが人知れず微笑んでいたことを、前を走る二人はもちろん知らない。

 聞こえてくるのは微かな呼吸音と、砂を蹴り出す音だけ。濃藍の夜空と、いくつかの窓が灯る校舎。同じ景色が何度も何度もぐるぐると繰り返される。

 走ることだけに集中するのは心地良かったが、やはりそれが続くと寂しくもある。「なるべく長い時間、裸足で砂地を走らせたいんだ」と、先輩の担当トレーナーから言われたのを思い出し、活発な転入生はこう切り出した。

 

「春のファン感謝祭ってどんな感じなんですか? 私、転入したばっかりでよく分からなくて…」

 

 会話に飢えていたスマートファルコンにとって、後輩のそれは思いがけない光明だった。自分から話しかけないでいたのは、わざわざ自由時間に付き合ってくれているという負い目が、何となくあったからだ。

 

「お祭り…って感じだね☆ 皆で色んな競技にチャレンジして賑やかだし…レース系はどうしても真剣になりがちだけど。そうだよね? ドトウちゃん」

 

 後ろにちらりと視線をやると、褐色の髪の少女はしゅんとその耳を倒伏させた。

 

「ふえぇ…私は良い思い出ないんですよねぇ…」

 

「ははは…そういえば、ドトウちゃんは去年なかなか凄かったよね…」

 

「そうなんですよぉ…」

 

 そんなつもりはなかったのに、後輩に去年の失敗を思い出させてしまったことを、スマートファルコンは少しばかり後悔した。

 自然な流れでスペシャルウィークは問いかける。

 

「何があったんですか?」

 

 答えたのは本人ではなく、隣を走る先輩だった。

 

「借り物競争で『理事長』を引いちゃって、見つけるのに一時間かかったの」

 

 口に手を当てながら、後輩は驚きの声を上げた。

 

「えー! でも、それはお題が悪すぎなんじゃ…?」

 

「ううん、すぐそこに理事長はいたんだけどね」

 

「わ、私のドジなんです…理事長室にいるって勝手に思い込んじゃって…それで、全校を駆けずり回っても見つからなくて…」

 

 弱々しい口調で、垂れ耳の少女はとつとつと当時の状況を語った。

 

「結局皆でドトウちゃんを探すことになっちゃったんだよね」

 

「うぅ…あの時はご迷惑をおかけしました…」

 

 過去の思い出に浸る二人を、転入生は目を輝かせながら見ていた。それは失敗談を語らう先輩たちの姿が、どことなく楽しそうに感じたからだった。

 

「ところで、皆はダートリレー以外は何に出るの?」

 

 つややかな栗色のツインテールを揺らしながら、後輩たちへ質問を投げかける彼女。

 真っ先に答えたのは隣を走る少女だった。

 

「私はバスケットボールですね」

 

 続き、後ろを走る少女。

 

「私は…また借り物競争です…」

 

「あはは…今度は簡単なお題が引けるといいね」

 

 彼女はそう言いながら苦笑いした。昨年以上のハプニングは起こらないだろうと思いながらも、いつも予想の上をいく後輩が心配でならなかった。

 そして、それは自分へと宛てた言葉でもあった。

 

「実は私も借り物競争なんだよね。変なお題が出なかったらいいんだけど」

 

 自らも同じ競技に出ることを告げるや、メイショウドトウは助けを求めるように声を上げた。

 

「せ、先輩…もし私が変なことしそうになったら…止めてくださいぃ…」

 

「オッケー☆ 気にしておくね♪」

 

 明るく答えてみせると、今度は隣を走る後輩へと視線を向ける。

 

「…とまぁ、だいたいそんな感じで…春のファン感謝祭は運動会みたいなものなの☆」

 

「なるほど、運動会ならとっても面白そうですねっ! 明後日が楽しみです!」

 

 にこやかに微笑むスペシャルウィークを見やりながら、先輩はさらに続けた。

 

「それとね、ファン感謝祭だからお客さんがたくさん入るの。この前の選抜レースより多いんじゃないかな」

 

 焦茶色の髪の少女は両耳をぴんと逆立てた。その瞳はいかにも嬉しそうにきらめいている。

 

「それなんですけど、当日は北海道からお母ちゃんが見に来るんです!」

 

「えーっ! いいなぁ…ファル子のお父さんとお母さんは、仕事の都合で無理なんだよね…」

 

「わ、私の両親も遠方だから来れなくて…羨ましいです…」

 

「はは…何だかすみません」

 

 別に謝らなくてもいいのに…と、二人の顔に書いてあるが、申し訳なさが先立っての苦笑いだった。逆にそれが余計だったと感じて、転入生はすかさず言い繕う。

 

「私、日本一のウマ娘になるのが夢なんです。私を大切に育ててくれたお母ちゃんたちのために…」

 

 胸の奥に秘めた夢を打ち明けていく彼女。その言葉には感謝と決意が込められていた。

 

「だから当日は元気な姿を見せたいんです! それでリレーにも勝って大会に優勝して…」

 

 そこまで言って、焦茶色の髪の少女は思わず語尾をすぼめた。それを先輩の前で言って良かったのか、不安に駆られたからだ。

 

「うん! 絶対勝とう!」

 

 後輩の心配をよそに、先輩の力強い声が響き渡った。その金色の瞳は、二人の後輩の姿を確かに捉えている。

 

「ファル子、頑張るから…皆の足を引っ張らないよう、努力する! だから、明日もよろしくね♪」

 

「はい…!」

 

 二人の後輩の実直な返事に、スマートファルコンは心からありがたさを感じていた。

 明日の練習が上手くいく自信は、正直に言えばほとんどなかった。しかし、それでもやれるだけのことをやるしかない。彼女の学院生活はいつもそうだった。

 自分一人だけで走っているのではない。だからこそ、後輩のためにも負けられないと、密かに決意していた。

 先輩に花を持たせたいと後輩が思っているのと同時に、先輩もまた、後輩の晴れ姿を観客に見せてあげたいと強く思っていたのだ。

 三人の少女の会話が、春の夜にひっそりと、それでいて楽しげに響いていた。

 

 

 ──鏡に映るのは、制服を着たいつもの自分。ダイヤ柄をしたリボンのヘアゴムでまとめたツインテール。顔を左右させて、おかしなところがないか確認する。準備は万端だ。

 次いで、ピンク色のスマホカバーにたくさんのデコパーツが装飾されたそれを手に取る。無数に表示されるアイコンから選んだのは連絡アプリ。

 様々な相手とのトーク一覧が表示され、その中から一つをタップする。自分の発言は緑の吹き出し、相手の発言は白い吹き出しに囲われている。

 絵文字や装飾にあふれた派手派手しい緑の吹き出しの合間に、素っ気なくも見える簡略な白い吹き出しがぽつりとぽつりと挟み込まれている。そんな画面だった。

 

『お昼一緒に食べよ☆ 時間と場所はいつも通りでよろしく♪』

 

 新たな緑の吹き出しがひょこっと顔を出す。

 彼女はさっとスマホの画面を消し、自室を後にした。

 

 

 春のファン感謝祭前日の午前。生徒と職員は総出で明日の準備に取り掛かっていた。

 具体的には、飾り付けの仕上げ、必要資材の搬入、全体を通してのリハーサルなどである。

 午後からは各自、出場予定競技の練習に充てることになっていた。

 

 担当ウマ娘からメールが届いたのは、仕事が始まる直前のことだった。昼食を一緒に食べたいとのことで、今まさに食堂へと向かっていた。仕事の切りが悪かったため、到着は時間ぎりぎりになりそうだった。

 ようやくそこにたどり着いた時には、数多の生徒が食事にありつかんとごった返していた。制服姿、ジャージ姿、半々くらいだろうか。

 今が最も混む時間帯。それでもいつもの席を確保できるのは、彼女が真っ先に陣取ってくれているからだ。

 待ち合わせに遅れる男というのは何とも締まらないが、仕事の都合や食堂までの距離などを考えると、こればかりは致し方ない。

 生徒の波をかき分けながら、木製のトレーの上に適当に料理を乗せていく。そして向かうのはいつもの座席。

 そこには見慣れたツインテールの少女が佇んでいた。時間はちょうどぴったりだった。

 

「お待たせ」

 

 対面に腰を下ろしながら、俯き加減にテーブルの上を見ていた彼女へと、いつもの調子で話しかけた。午後からの練習に備えてか、彼女は既にジャージに着替えていた。

 

「あっ…今日は遅かったね」

 

 何か考え事をしていたのだろうか。びっくりしたように耳を逆立たせている。それだけでも違和感があったが、さらに気になることがあった。それは積み上がった皿の量である。

 

「やけに少ないな」

 

 おそらく俺の食事と同じくらいの量しか食べていない。いつもと比べたら半分以下である。これ以上食べる気配もないようだ。

 

「うん…ちょっとね」

 

 ちょっととは体重のことだろうか。彼女には体重を増やし過ぎないよう伝えてある。現状を維持することを条件に、食事の内容や量は任せていた。

 しかし、そうではない気がする。これから控えている練習が気がかりで、食欲不振に陥っているように見えた。

 

「今日のことが心配なのか?」

 

 図星を指されたのか、二つの耳はへなへなとしおれてしまう。

 

「当たり前だよ…トレーナーさんは大丈夫って言ってくれたけど、本当は心配で心配でたまらないの」

 

 不安を顔全体に張りつけて、担当ウマ娘はか弱い声を響かせた。

 自分の食事のことなどそっちのけで、彼女の目を見て話に聞き入る。

 

「今日トレーナーさんを呼んだのは、どうしても聞きたいことがあったから」

 

 真剣な眼差しをこちらへと向けながら、彼女はすうっと大きく息を吸った。

 

「裸足で走らせた理由を知りたい。走れば分かるって言ってたけど、やっぱり私には分からないよ…」

 

 何も分からぬまま走ること。それはやはり不安でたまらなかったのだろう。とはいえ、俺も同じ気持ちではあった。短期間で効果が出るかは賭けであったし、それゆえその理由を伝えられないでいた。

 周囲の席の生徒たちが、いつもと変わらない賑々した喧騒を生み出している。

 しかし、俺とファル子を取り巻く空気はそれとは無縁で、しんと張り詰めていた。

 

「ファル子は今日も裸足で走りたいって思ってる?」

 

「うん…凄くうずうずしてる。今日の練習もそうしたいくらいに」

 

「それじゃ、練習も裸足でやろうか」

 

 そう伝えると、表情には出ないまでも尻尾が確かに大きく揺れた。よほど楽しみに違いない。服装も昨日と同じく短パンで、靴下は昨日と打って変わって着脱しやすいショートソックスを履いている。

 

「裸足で走らせた理由はそれだよ。ファル子に自分本来の走りを取り戻してもらいたかったからなんだ」

 

「自分本来の走り…?」

 

「ああ、ファル子は生まれ持ってのダート適性、だから裸足で走ると芝の癖が治りが早いみたいなんだ。それに気づいたのは昨日の朝、トレーナー室に来たスペと夏合宿の砂浜トレーニングの話になったから…そして夏合宿明けの身体テストの結果を見て、ひらめいたんだよ」

 

 選抜レースは夏合宿直後の九月にも行われる。その時の身体テストの成績だが、ダートの千メートル走の伸びが他の計測月よりも明らかに突出していたのだ。それだけなら、トレーニング一筋の夏合宿の効果が出たといえるが、逆に芝の方はやや落ち込んでいたのである。

 その原因はおそらく、砂浜でトレーニングを積んだから。それも、裸足で走り込んだから。

 ダートトラックの砂は砂浜のそれとは厳密には違うが、元々は国内の海砂を運んできたもの。夏合宿と同様に裸足で走らせ続ければ、効果が表れるはずだと踏んだ。

 さらに、それを後押ししたのが、『砂地裸足最速論』。メイショウドトウが図書室で見繕っていた本の一冊である。あの日たまたま目に留まったそれを借りていたのだ。子供の頃、自分もリレーで裸足で走ったのを懐かしく思ったゆえの、半ば好奇心による借出しだった。

 その本によれば、靴ありと靴なしで走った時、多数の被験者が裸足の方がタイムが良かったとの検証結果が出ていた。それは靴という重りが取り払われ、その人本来の走りができたからだという。

 

(だから、裸足で適性のあるダートを走り続ければ、靴を履いて走るより早く芝の癖が抜けるはずだ)

 

 それが行き着いた結論だった。

 ただ、それにどれくらいかかるか分からない。少なくとも、夏合宿と同じ二ヶ月のうちには何かしらの変化は見込まれるだろう。そう思っての提案だったのだ。

 全てを話し終えた時、彼女は安堵の表情を浮かべていた。

 

「そうだったんだ…そういえば、夏合宿の後は芝が全然ダメダメだった気がする。砂浜のトレーニングは楽しみで仕方なかったし…」

 

「ファル子が砂地を走りたくてうずうずしてるって聞いて、確信したよ。適性に合った本来の走りに戻りつつあるんだ」

 

「そうしたら、走る時の手のぶれも無くなるの?」

 

「ああ、きっとそのはずだ」

 

 足の蹴り出す角度が進行方向に対して真っ直ぐ、すなわちダートに適した走りになれば、蹴り出す力が逃げなくなり体のぶれも無くなる。そうすれば、バトンパスもきっと上手くいく。

 ただ、一つだけ心配点があった。

 

「明日までに間に合うかな…?」

 

 それは彼女の口をついて出ていた。

 靴を履いて行うより効果的であろう裸足でのトレーニング。短期間でダートに順応できるという話に光は見えたが、たった一日で効果が表れるだろうか。

 

「…それは俺にも分からないな」

 

 正直な心境を打ち明けた。もちろん、そうなってくれたら嬉しいし、それに越したことはない。だが、長年のターフの代償が簡単に解消されるとは思えないのもまた事実だった。本来であれば、数ヶ月単位で向き合うべき問題なのだから。

 

「でも…やれるだけやってみよう」

 

 それは彼女がいつも口にしていることだった。ミサキちゃんに初めてライブを見てもらうことになった時も、ダートでトップウマドルを目指すと決意した時も、いつだってそうだ。

 弱気になることもたまにはあるが、最後はいつも前に向かってひた走る。俺はそんな甲斐甲斐しいファル子がたまらなく好きだった。そして、そんな彼女の力になりたくて仕方なかった。

 

(そうだ。いつだってファル子は変わってこれたじゃないか。だから今回だって…)

 

 心の声が伝わったのだろうか。彼女は凛とした面持ちで意を決した。

 

「そう…そうだよねっ! ファル子いつだって頑張ってきたもん☆ それに、昨日皆に言ったの。絶対勝とうって、そのために頑張るって。だから私、逃げないよ」

 

 言い終えて、人差し指で頬をかきながらこう付け加えた。

 

「まぁ、レースでは逃げるけど…☆」

 

 彼女の得意な脚質は逃げ。けれどそれは困難から目を逸らすためのものではない。試練に立ち向かうための立派な武器だ。

 

「ただ、リレーでは追いかけることになるかもしれないな」

 

 アンカーを走ることになる以上、他チームにもよるが、本番では不本意ながら追いかける側になるかもしれない。

 

「う〜ん、そうかもね。でもたまには追いかけてみたいかな☆」

 

「へぇ、それは意外だな。ファル子もそう思う時があるんだな」

 

 そう言い終えるや、不意に視線を逸らした彼女の口から、しおらしい声が漏れた。

 

「だって…トレーナーさんの気持ち、少しは分かるかもしれないから…」

 

「…?」

 

 独り言のように思えて、何も答えられなかった。

 ただ、満月のような美しい瞳に、そこはかとなく恥ずかしさが垣間見えた。そんな気がした。

 

「あは☆ 何だか急にお腹空いてきちゃったなぁ」

 

 ふと、いつもの笑みを浮かべると、照れ隠しのようにすっくと立ち上がった。

 

「よ〜し! おかわりしてくるね♪」

 

 胸のつかえが下りたのか、彼女は見るからにルンルン気分で、食料争奪戦が繰り広げられているビュッフェへと向かっていった。

 そんな彼女を綻んだ顔で見送りながら、心の中でいただきますと一礼して箸を取る。食べ慣れたはずのニンジンコロッケの味が、この日はなぜかとても甘く感じたのだった。




お疲れ様でした。
三人称視点は今後も増えていくと思います。
ファル子の同室者は原作ではあの娘ですが、一応まだ不確定ということで…。
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