君と夢見た明日へと ──トップウマドルを目指して☆──   作:キビタキ

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【第8話】バトンを継ぐ者 ②アクアマリンの淑女

『どんなドラマが待っているのでしょうか! 勝負は時の運。その娘の運命力が試される借り物競争が、今始まろうとしています!』

 

 高らかな宣言と共に開始を告げた借り物競争。まさか実況つきとまでは思っていなかったが、そのおかげか会場はほど良い緊張感に包まれている。

 トラックの中央に作られたコースは、スタートからゴールまで百メートルもない。

 その代わり、最大の見せ場が真ん中に伏せられた八枚のカード。そこに記されたお題を持ってくることがゴールの条件である。

 見た目はいたって普通の借り物競争。生徒が全員ウマ娘であるということと、お題がトレセン学院にちなんだものであることが、一体どんな特色を生み出すだろうか。

 

 辺りを見渡してみると、コースを取り囲うように大勢の人がひしめき合っている。トレーナーや職員などの学院関係者もいるが、一般のお客さんが観客スペースを埋め尽くす勢いで詰めかけていた。

 場合によっては、ウマ娘の役に立ったり接したりできる良い機会でもあり、それに期待して最前列を狙うファンも多いらしい。

 おそらく過去にそういうお題があったのだろう。アフロのかつらやひょっとこのお面をしている、怪しすぎるお客さんもちらほらと見受けられた。

 

(多分、無茶苦茶なお題も混じってるんだろうなぁ…)

 

 ファル子がそういうお題を引かないことを切に願う。

 ちなみに、学院関係者スペースには鳥林さんと秋川理事長の姿もあった。理事長はかなり久々に見た気がする。

 

「スタートは学年順みたいですね」

 

 隣で桐生院さんが口を開いた。

 もちろん、担当ウマ娘の勇姿を間近で見ようと、二人して最前列で観戦している。

 出場する生徒の最前列には、ハッピーミークの姿があった。

 

『さぁ、会場の皆様、準備はよろしいでしょうか? ぜひ生徒さんたちの力になってあげてくださいね! それでは、第一レース間もなくスタートです』

 

 実況の声に合わせるように、最前列の生徒たちがスタート態勢に入る。

 八チームからそれぞれ一人ずつ、合計八人で競争していく。お題は毎レースごとに変わるらしい。

 桐生院さんの視線は、もちろん白毛のウマ娘に注がれている。ハッピーミークはその髪と対象的な黒のゼッケンを着用しており、黒鉄チーム所属であることを示していた。

 

 スタートブザーが静寂を割いて鳴り響く。

 全力で駆ける娘もいれば、慌てず騒がず小走りする娘もいる。そう、ふわふわとのどやかなスタートを切ったハッピーミークのように。

 『先んずれば人を制す』でいくもよし、『残り物には福がある』でいくもよし、結局はお題次第だ。もちろん、一度手に取ったカードは戻せない。

 ハッピーミークは後者を選択したらしく、最後に残ったカードを手にする。

 途端、口に手を当て、吹き出した。

 他の生徒たちはお題を求めて散り散りに駆けていくのに、彼女だけはしばらく"ぷくく"と笑っていた。

 

(もしかしてミークの引いたお題って…)

 

 何となく察しはついた。

 ようやく笑いが収まったのか、辺りをきょろきょろと見渡す。すぐさま目的のものを視界に捉え、走り出した。向かった先では、理事長が腕を組んで座っていた。

 ハッピーミークが何やら声をかけると、扇子を高々と掲げて立ち上がる理事長。白毛のウマ娘はそれを見てまた吹き出していた。

 何にしても、お題は見つかったわけだから後はゴールするだけである。

 しかし理事長、悠然と歩く。決して走らず、愉快そうな顔で、優雅に扇子を扇ぎながら。

 あのロングスカートなのでそもそも走れないのかもしれないが、全く急ぐ様子もない。

 普通の生徒ならやきもきしたかもしれないが、そこはハッピーミークである。昼下りの散歩のように、のんびりてくてくとゴールへと付き従う。

 

『秋川理事長、余裕の歩き! まるでウィニングランの貫禄です! しかしゴールはまだまだ先!』

 

 その間に他のチームの娘が続々とゴールしていく。それでもなお、片や明朗闊達な笑みを、片やのほほんとした顔…いや、時折吹き出しながらゆっくりと歩んでいた。

 

「もう…ミークったら」

 

 耳まで赤く染めながら、桐生院さんも隣で同じように吹き出していた。

 結局ハッピーミークは七着に終わった。俺が見ているところでは必ず最後から二番目になっているような気がするが、それは単なる偶然だろうか。

 

「すみません…お恥ずかしいところをお見せしました」

 

 桐生院さんはばつが悪そうに頭を下げていた。そのお恥ずかしいところというのはハッピーミークのことなのか、それとも桐生院さん本人のことなのか。

 相変わらず理事長はドヤ顔で扇子を扇いでいる。おそらくあの扇子に書かれている通り、「天晴ッ!」と口にしているに違いない。

 

(理事長を引いたら負けだな…)

 

 ゴールへ向かうのが悠長過ぎるせいで上位は見込めないだろう。自分の中でひっそりと外れカードに認定した。

 

 その後も波乱にまみれた展開が続いた。

 ふと、次のスタートを待つ生徒たちの中に、見覚えのある顔を見つけた。

 桃色のゼッケンをつけたその娘は、ふわりとした褐色の髪と垂れた耳が特徴的で、かなり不安そうな顔をしている。ここから見ても震えているのがよく分かるほどだった。

 

(あれは…いや、まさかな。さすがに手ぶらだし…)

 

 スタートを知らせる合図と同時に、八人のウマ娘がカードに向かって走り出す。いや、正確には七人だった。

 

『あーっと! いきなり転倒!』

 

 どすんという音と実況の悲鳴がこだました。

 そう、彼女はこけた。図書室の時と同じように、なぜか突然けつまずいて全身を強打していた。

 やっぱりか。彼女を知る者は一様にそんな顔をしていた。

 しかし、まだ競走は始まったばかり。めげずに立ち上がって残り一枚しかないカードを拾う。

 その内容を確認して辺りを見渡した瞬間、頭を抱えるメイショウドトウ。耳はがっくりと倒伏し、まさに顔面蒼白だ。

 よく見るとその視線は一点に注がれている。どうやらそこにお題を見つけたようだが、その上でなぜかまごつくしかない様子。

 

(もしかして…ゼンノロブロイなのか?)

 

 視線の先には、確かに観戦中の黒縁眼鏡の少女がいる。お題はおそらく『図書委員』辺りだろうか。

 まだ他の娘はお題を見つけられておらず、今からいけば出遅れた分も取り返して一着を狙えるはずなのだが…。

 

(この前ひどく怒られてたからなぁ…)

 

 図書室で起こした一悶着が、きっと尾を引いているに違いない。頭では早く行かなくてはいけないと思いつつも、それがフラッシュバックしてためらわせてしまっているのだろう。

 

『おっと、桃花チームどうしたんでしょうか! カードを見てから一歩も動いていません』

 

 その実況に彼女の尻尾がぴんと逆立つ。

 彼女をさらに焦らせる形になったが、この時ばかりは背中を押すきっかけにもなったようだ。

 おたおたしながらも、一歩ずつ確実にゼンノロブロイへと近づいていく彼女。

 次いで、目の前にまで歩み寄ると深々と頭を下げ…。

 

『おーっと! 桃花チームまたもやこけた!』

 

 再び華麗に地面とハグをした。

 頭を下げようとしたのではなく、単純に転んだようだ。いや、本当に謝ろうとしたが勢い余ってこけたのか。いずれにせよ踏んだり蹴ったりである。

 相次ぐハプニングに心が折れたのか、顔を手で覆いその場でふさぎ込んでしまったメイショウドトウ。

 そんな彼女に手を差し伸べたのは、鈍色の髪の小柄な少女。そう、ゼンノロブロイその人であった。

 メイショウドトウよりも一回り背の低い彼女が、その手を引いてゴールまで歩き出す。これではどちらが走者か分からない。ただ、とても微笑ましい光景ではあった。

 手をひかれる彼女は体中傷だらけで、一人だけ別の競技をしていたのではないかというほど服は汚れている。しかし、今はそれも立派な勲章に見えた。

 

(一着か…やったな、ドトウ)

 

 ゴールを一番に通過し、見事な逆転劇を演じてみせた彼女。ただ転んだだけかもしれないが、これでまた一つ成長したに違いない。

 と、思った矢先、彼女たちはゴールしてもその場に留まらず、それどころかコース外に出ていってしまった。

 

『桃花チーム、ゴールするかと思われましたが場外へと消えていきます! これは一体どうしたんでしょうか!』

 

 実況はもとより、会場全体が首を傾げている。

 

「もしかして、保健室に向かってるんですかね?」

 

 桐生院さんの推測が横から聞こえてきた。確かにその方向には保健室がある。

 よく見ると、お題のカードはこけた場所に落ちていた。つまり保健室への最短距離にたまたまゴールがあっただけ。カードを持っていないのだからもちろんゴールも認められない。

 そして、無情にも制限時間が過ぎ、メイショウドトウは失格扱いとなってしまった。

 どうやら借り物競争は関係なく、ただゼンノロブロイに介抱されていただけらしい。

 

『えー、先ほど場外に消えました桃花チームのメイショウドトウさんですが、現在保健室にて治療中。幸いにも、擦りむいただけとのことです』

 

 実況にまで現況をさらされてしまう彼女。何とも彼女らしい結末に、苦笑い気味に顔が綻ぶ。

 

(彼女のトレーナーも大変だな…)

 

 つくづくそう思った。ただ、彼女の持つ優しさと粘り強さには心底感嘆している。

 形はどうあれ、これでゼンノロブロイとの距離が縮まったことを願いたい。

 

 様々なハプニングとドラマを生み出してきた借り物競争も、残すは後わずか。

 ついにファル子の番がやってきた。桃色のゼッケンを身につけて、スタートを今か今かと待ち構えている。

 ふと、こちらをちらっと見やるファル子。目が合うと、彼女はにこっと笑いながらウィンクしてみせた。緊張は全く感じさせず、余裕すら見て取れる。

 今立っているこの場所も、実は事前に打ち合わせして決めており、後は何のカードを引くかだけだ。俺が該当するお題なら、真っ先にこちらへと駆けてくるだろう。

 

(何でもいいけど、ゆっくり手を引いてほしいな…)

 

 ファル子のことだ。手を引く…というよりはきっと俺の腕を鷲掴みにしてゴールへと向かうに違いない。

 以前、彼女に引っ張られた時のことがトラウマのように刻み込まれている。あれは正直生きた心地はしなかった。もうあんなことはしないとは思うが、接戦になりそうな場合はどうなるか分からない。

 

「桐生院さん。もし俺に何かあったら、ファル子のこと頼みます」

 

 桐生院さんに独り言のようにそう告げると、一人深呼吸して覚悟を決める。彼女には既にトラウマのことは話している。

 隣に佇むその人は力強く「お任せください」と答え、ぎゅっと握りしめた拳を自らの胸へと叩きつけた。

 それはどこかへ旅立ってしまうかもしれない、俺への手向けにも見えた。

 気がつけば、スタート前の張り詰めた静寂が立ち込めていた。八人の走者が横並びになり、その瞬間を待っている。

 

(ん…? あの娘は…)

 

 その中に見覚えのある娘が一人混じっていた。話したこともなければ名前すら知らない水色の髪の少女。白いゼッケンを身に着けている。

 ふと、その娘と目が合ってしまった。それは多分ただの偶然で、ほんの一瞬のことだった。確かこの前もこんな感じに目が合ったのだと、先日の光景が鮮明に思い出された。

 不意に鳴り響くスタートブザー。真ん中に散りばめられた八枚のカード目がけて、生徒たちは雪崩を打って飛び出す。

 

『スタートしました八人のウマ娘! 筋書きのないドラマが今まさに始まろうとしています!』

 

 実況の発したドラマとは言うまでもなく、運命の分かれ道であるカード争奪戦のことである。ある者はその場で頭を悩まし、ある者は即座にひらめいて動き出す。いわばそこは逡巡の巣窟。いち早く脱した者に勝利はもたらされる。

 時間差はあれど、散り散りに駆け出していく彼女たち。その中には、算段通りこちらへと駆けてくるウマ娘の姿があった。しかし、意外なことにそれは二つあった。

 つややかな栗色の髪を揺らす見慣れた少女と、アクアマリンのような光沢を放つ水色の髪の少女。

 別々の色の髪とゼッケン。二人のウマ娘が同時にこちらへと向かってくるのだ。ファル子は当たり前としても、もう一人の娘も明らかに俺をその視界に捉えている。

 

(もしかして、あの娘も俺狙いなのか?)

 

 思わぬ事態にたじろいでしまう。

 スタートしてからカードを取るまでの早さが勝負の分かれ目だったのかもしれない。桃色ではなく、白色のゼッケンをつけた娘の方がわずかに早く俺の目の前へとやって来て…。

 

「トレーナーさんですよね?」

 

 がっちり…いや、しとやかに腕を握られた。手の動きと同じように、上品な上目遣いがそこにはあった。

 掲げるカードには、確かに『トレーナー(男性)』と書かれている。

 

「あ、ああ…トレーナーだね」

 

 予想外の出来事…などといってはいけないかもしれないが、呆気に取られるしかなかった。

 後ろには、唖然として立ち尽くすファル子の姿。耳と尻尾を逆立てて、俺以上に動揺してしまっている。お題は何か分からないが、ぷくっと頬を膨らませながら別の場所へと走り去ってしまった。

 

(あれは…尾を引きそうだな)

 

 これまでの付き合いから何となく分かる。きっと機嫌を直すのに一苦労しそうだ。

 遠ざかっていくファル子への視線を遮るように、水色の髪の少女は優しげな声を響かせる。

 

「お借りしてもよろしいですね?」

 

 にっこりと微笑むその姿は、まるで三女神様から遣わされた天使のよう。不覚にも、心が揺らめいたのを感じた。

 水色の髪の少女に手を引かれ、ゴールへの一歩を踏み出していく。ファル子のそれとは違い、俺が余裕を持って走れる速度で、優しく導くように。

 臀部にすら到達するさらりとしたロングヘアと、毛づやの良いしなやかな尻尾。アクアマリンを彷彿とさせるそれらをたおやかに揺らしながら走る後ろ姿は、あまりにも高貴で美しい。何か特別な洗髪剤やトリートメントを使っているのか、とても良い匂いを漂わせている。

 ファル子に手を引かれるのとは明らかに違う高揚感。そんな夢心地にも似た時間は、残念ながら長くは続かない。

 

『白鳳チーム一着でゴールイン! 圧倒的早さで勝利を掴み取りました!』

 

 すぐさま訪れてしまったゴールの瞬間。他の娘たちはまだお題を探し求めている。レースで例えるなら、十バ身差以上離した大差での勝利だった。

 そっと俺の腕から手を離す彼女。少しだけ名残惜しく感じてしまった。こんなこと、ファル子には口が裂けても言えそうにない。

 彼女は慣れた動きでしとやかに一礼した。

 

「ありがとうございました。おかげで一着になれました」

 

「ああ、力になれたようで良かったよ」

 

 生徒の役に立てたことに嬉しさを覚える反面、本来ならファル子とこうなるはずだったと思うと、複雑な気分だった。

 

(それにしても綺麗な娘だな…)

 

 頭を下げている彼女の姿をまじまじと見つめる。

 ウマ娘というのは、ほぼ例外なく容姿端麗だ。それは遺伝的な理由があるのかもしれないが、全員がミストレセン学院を狙える素質があると個人的には思っている。

 当然のことながら、ウマ娘養成機関には健康的で活力のあふれたウマ娘たちが集まる。その若々しい輝きたるやあまりにも眩しい。

 普段からここに勤めていると感覚が麻痺してくるが、こんなにも美少女が集まる職場は、アイドル業界やファッション業界、そしてここくらいではないだろうか。

 そんな中でも、彼女はより魅力的に見えた。珍しい髪色がそう思わせるのかもしれない。

 正直に言えば好みのタイプだった。

 

(…って、何変なこと考えてんだ俺は…)

 

 ふと、顔を上げた彼女が、何を言うでもなく不思議そうに首を傾げている。

 思わず気恥ずかしさを覚えて、さっとコースへと目を逸らす。

 まだゴールしていない娘も何人かいるようだ。その中の一人にファル子もいる。

 俺という当てが外れてしまったのだ。思わぬ誤算に出鼻をくじかれ、苦戦しているようだった。

 

「ところで、一つお尋ねしたいのですが、よろしいですか?」

 

 水色の髪の少女が唐突に問いかけてきた。

 お嬢様のような丁寧な口調にこちらもかしこまってしまいそうになるが、他の娘と変わらないように接する。

 

「うん、構わないよ」

 

「あの桃色ゼッケンの娘のトレーナーさんですよね?」

 

 見やる先には、いまだに駆けずり回っているファル子の姿があった。

 

「ああ、そうだけど」

 

「この前リレーの練習で裸足だったのをお見かけしたので…どうして裸足だったんですか?」

 

 訝しげな視線が俺へと向けられる。

 ファル子を裸足で走らせ始めた日、水色の髪の少女たちはリレーの練習のためダートトラックへと訪れていた。

 その時、彼女は今俺を見るのと同じ眼差しを、砂にまみれたファル子の足へと確かに向けていた。

 

「まぁ、色々あってね。一番の目的は砂地での走りを取り戻すため…かな。やっぱり気になった?」

 

「いえ…ただ、靴を履かないのは危ないですし、足への負担もあると思ったので…」

 

「ダートトラックの砂はさらさらだから、そこまで気にするほどじゃなかったかな。砂浜なんかよりも綺麗に整備されてるし…俺も裸足で走ってみたけど良い感触だったよ」

 

 とはいえ、彼女の意見ももっともだった。俺もこんな状況でなければ裸足で走らそうなどと思いもしなかったし、ダート適性の丈夫な足を持つ彼女だからこそ成し得たことだと思う。

 

「トレーナーさんも同じように試されたんですね。素晴らしいことだと思います」

 

「いや、まぁ、知らないよりは知ってる方が良いと思ってさ…」

 

 そのことを褒められたのは初めてだった。妙に嬉しく感じてしまい、思わず頭をかいていた。

 彼女はさらに質問を続けた。

 

「今日のリレーも裸足で走るんですか?」

 

「そうだね。本人もそのつもりだと思うよ」

 

「足がお強いのですね。その、何ていうか…羨ましいです」

 

 「羨ましい」。その言葉には、どこか悲しげな響きがあるように思われた。鉛の靴のように、努力だけではどうしようもない壁に直面した時のような…そんな儚さが。

 その真意を確かめようとした瞬間だった。

 

『桃花チーム、六着で今ゴールイン!』

 

 後ろからぐいっと袖を引かれた。

 

「トレーナーさん! ちょっと来て!」

 

 そこにはむっとした表情の担当ウマ娘。

 引っ張る力は"ちょっと来て"のそれではなく、"絶対連れていく"の怪力であった。

 彼女の傍らには、なぜかトレーナー長の姿があった。

 

「鳥林さん、どうしてここに…?」

 

「お題が『生徒以外で上下ジャージを着た人』でな。まさかファルコンに駆り出されるとは思わなかったが…」

 

「そういうこと。とにかく来て!」

 

 物凄い力でずりずりと引きずられていく。まるで水色の髪の少女から今すぐ引き離したいかのように。

 

「はっはっは。上手くいなせよ、新人くん」

 

 鳥林さんはこれ以上なくにんまりとほくそ笑んでいた。

 次いで、水色の髪の少女へ向き直ると、何やら話しかけていた。

 

「ちょうど良かった。アルダン、実は聞きたいことがあるんだが…」

 

 去り際に、鳥林さんの声がそこまで聞き取れた。

 

 なすがままに身を委ねて少し経った。

 実況の声が小さく聞こえる。

 ファル子に腕を引かれ、場外の人気の少ない場所へと連れていかれていた。そこは校舎の裏。この時間は日陰になっていて、通りかかる人もまばらだ。

 

(これはかなりご立腹かな…)

 

 彼女のまとう空気が尋常ではなくぴりぴりしている。

 

「アルダンちゃんと何を話してたの?」

 

 鋭い目線を向けながら詰め寄る彼女。

 

「アルダンって、さっきの水色の髪の娘か?」

 

「とぼけたってダメだよ。あんなに鼻の下伸ばしちゃってさ」

 

 ファル子は口をへの字に曲げると、ぷいっとそっぽを向いた。そこまでデレデレしていた記憶は一切ないのだが…。

 

「いや、とぼけてなんかいないって…というかあの娘と話したの今日が初めてだし、名前も今の今まで知らなかったぞ」

 

「…ほんとに知らないの? あの娘メジロ家のお嬢様なんだよ?」

 

「メジロ家…? あの娘がそうなのか」

 

 つまり、彼女の名はメジロアルダン。言わずと知れた由緒正しき名家の出身。道理で一挙手一投足が上品且つおしとやかだったわけだ。

 

「あの娘とは仲が良いのか?」

 

「ううん、同学年ってだけで名前と顔しか知らないけどさ…すっごく目立つもん。だって、あんな綺麗な髪色の娘なんて他にいないでしょ?」

 

「確かにな…ファル子はああいう髪が好みなのか?」

 

「そうだね…正直に言えばちょっと憧れちゃうけど…って、ファル子のことは別にいいの…!」

 

 両耳をつんと逆立たせて、不機嫌そうに口を尖らせている。

 ここまであからさまだと逆に可愛く見えてくる。そう思える境地に至ってしまったのは、彼女の扱いにすっかり慣れてしまったからだろうか。

 どこか心地良くさえあるしじまを割いて、当初の質問に答える。

 

「この前アルダンたちがリレーの練習してただろ? あの時のファル子を見て不思議がってたんだ。どうして裸足で走ってたんですかって、向こうから話しかけられたんだよ」

 

「ふ〜ん…それじゃほんとに今日初めて話したの?」

 

「本当だ。三女神様に誓ってもいい」

 

 真っ直ぐな曇り一つない眼差しを向ける。

 しばらくして、彼女の顔に満ちていた不信感がふっと和らいだ。

 

「だったらいいんだけど…☆ だって、ファル子の作戦が失敗するなんて思ってもみなかったから」

 

 ファル子からしてみれば、完璧と思っていた作戦がまさかの展開で先を越されてしまったのだ。俺とメジロアルダンの関係を怪しむのも無理はないかもしれない。

 

「俺もだよ。ファル子より先に来る娘がいるなんてびっくりした」

 

 さすがにスタート前にちらっと目が合ったとまでは言えなかったが。

 

「アルダンちゃんのお題、『トレーナー』だったんでしょ? あんな目立つところでいかにもトレーナーですよ〜って立ってたらそりゃね…でも先にトレーナーさんを取られちゃったのは、やっぱり悔しい。本当はファル子たちが一番になるはずだったのに…」

 

 物悲しそうに人差し指同士をつんつんと突き合わせている。

 よほど一着を取りたかったのか、それとも…。

 

「焼き餅焼いてるのか?」

 

「そ、そんなんじゃないよ! トレーナーさんが他の娘に誘惑されてないか気にしてあげてるだけだもん」

 

 強く否定するも、その返答は実質答え合わせになっていた。

 

(それを焼き餅って言うんだよな…)

 

 さすがに意地悪が過ぎたか、そろそろこちらが折れる頃合いだろう。

 

「ごめん、悪かった。ファル子が心配してくれてるのはよく分かったよ。俺は他の娘を追いかけてるつもりなんて全く無いし、実際見向きもしてないからな?」

 

 それでも不機嫌そうにだんまりを決め込む彼女。その顔はどことなくはにかんでいるようにも見えるが、どうやらもうひと押し足りないらしい。

 

「それじゃ、今度表参道で靴を新調して撮影会するから。な?」

 

「ほんとっ!? さっすがトレーナーさん☆」

 

 この変わり身の早さである。計算尽くなのか、それとも天然なのか。

 裸足のトレーニングが一段落したら、いずれ新しい蹄鉄シューズが必要になると考えていたところだ。

 機嫌が直ったところで、次に向けての発破をかける。

 

「借り物競争は残念だったけど、ダートリレーは勝とうな」

 

「もっちろん! アルダンちゃんじゃなくて、ファル子だけを見てるんだぞ☆」

 

 いつもの決めポーズ。それは上機嫌の証だった。

 メジロアルダンはファル子と同じアンカー。状況によっては、トップを争う一騎打ちになるかもしれない。

 

「心配しなくてもファル子しか見てないよ」

 

 それは嘘偽りのない本音だった。砂地に愛された彼女がとてつもない走りを披露する未来。それが今から楽しみで仕方がない。

 

「あは☆ それじゃ、トレーナーさんのためにも頑張らなくっちゃ」

 

「それは嬉しいけど、ファル子は自分の夢のために頑張るんだぞ。それを手伝うのが俺の役目なんだから」

 

「うん…確かにそうなんだけどさ。トレーナーさんはファン第零号だもん。ファル子は大切な人のために頑張りたいの☆」

 

 そこにあったのは狙い澄ました上目遣いではなく、きっと自然に生まれていた無垢な眼差し。

 ただでさえ人気の少ない校舎裏は、ちょうど今俺とファル子の二人だけ。甘い青春時代を思い出すようなシチュエーションに、思わず鼓動が早くなる。

 何も言わずにいる俺を、彼女は満足げな顔で見つめていた。

 そして、ふと何かを思い出したように口を開く。

 

「…そういえば、ドトウちゃん大丈夫かな? 擦りむいただけって言ってたけど…」

 

「ああ、ドトウならきっと大丈夫さ。立ち上がるところを今まで何度も見てきたからな」

 

 彼女はドジだが、それに負けない芯の強さを持っている。そう、あの娘が図書室やリレーの練習で見せたひたむきさを、俺は確かに知っている。

 訳知り顔の俺をファル子は不思議そうに見ていたが、それはすぐさま笑顔に変わる。

 

「よ〜し、目指すは一着っ! ファル子ぜ〜ったい勝つからね♪ 目を離したらダメだぞ☆」

 

 校舎裏で密かに交わされたやり取り。

 いつもと変わらないはずの会話は、この日だけはほんのちょっとだけ甘酸っぱい気がした。




お疲れ様でした。
実はメジロアルダンもかなり好きです(ゲームアプリでの実装が待ち遠しい…)。
次回はいよいよダートリレー本番です。
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