君と夢見た明日へと ──トップウマドルを目指して☆──   作:キビタキ

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【第8話】バトンを継ぐ者 ④MVPのサプライズ

 割れんばかりの大歓声が、そこにはあった。

 驚異的なスピード。そして、およそ五バ身差からの大逆転。

 最後に起きたドラマチックな展開に、生徒も観客も皆、拍手喝采を送っていた。

 一着でゴールラインを走り抜けたスマートファルコンの下へ、矢も盾もたまらず駆け寄るチームメンバー。真っ先に駆け寄ったのはスペシャルウィークだった。その表情は喜びに満ちていて、瞳は感極まり潤んですらいる。

 

「やった〜!! 優勝!! 優勝ですよっ!!」

 

 それをハイタッチで迎えるつややかな栗色の髪の少女。満面の笑みで喜びを分かち合うメンバーたち。その尻尾はぶおんと音を立てる勢いで振り回されている。

 

「ばんざ〜い♪ スペちゃん、ケイちゃん、ミユちゃん、皆ほんとにありがとう☆ 家族に良いとこ見せられたね!」

 

「ですです! でも、私は四着みたいなものでしたし…」

 

 謙遜するスペシャルウィークへ、チーム最年長の先輩は優しく語りかける。

 

「そんなことないよ。全力で走ってたのは分かったし、お母さんもきっと喜んでるよ☆」

 

 娘の頑張りを見て喜ばない母親はいない。そのことを、スマートファルコンは自らの経験を通じてよく知っていた。

 だからこそ、自分の両親に今の姿を見せたかったと、心の底から思っていた。

 

「…ですよね! よーし、スイーツ引換券でお母ちゃんに東京の美味しい物食べさせてあげます!」

 

 賞品の使い道を嬉しそうに語る後輩に、先輩は満足げに目を細めていた。

 

「お、おめでとうございますうぅ〜…!」

 

 そんな時、歓喜の輪へようやく加わったのはメイショウドトウ。ついさっきアンカーにバトンを渡したばかりで、一足遅れて来るのは仕方ないことだった。

 ただ、その顔は涙と砂にまみれて大変なことになっていた。今にもはがれそうな絆創膏が、その痛々しさをさらに強調させている。

 

「どうしたのドトウちゃん!」

 

 当然のことながら、バトンパス後の転倒を彼女は知らなかった。

 

「ば、バトンを渡した後に…こ、こけちゃいましてぇ…」

 

「大丈夫だった…?」

 

 その心配をよそに、声にもならない声で一人胸を撫で下ろすメイショウドトウ。

 

「本当に良かったです…バトンが繋がって…本当に…ふえぇ…」

 

 耳をこれ以上なくしおれさせて、彼女は両手で砂だらけの顔を覆っていた。その手の下で、雫がとめどなくあふれ出していた。

 

 喜びを爆発させていたのは彼女たちだけではない。桃花チームに所属する生徒たちは大はしゃぎに歓喜した。

 一方、優勝を後一歩のところで逃した白鳳チームの悔しさは殊更に大きかった。

 水色の髪の少女の脳裏に刻み込まれた、ゴール直前の光景。まるで悪魔と取引したかのような変貌ぶり。とても信じられなかった。

 ダートトラックの片隅で、一人つぶやく。

 

「まだ…足りないんですね」

 

 大歓声によってかき消されるそれ。

 その紫苑色の瞳は、人知れず燃えていた。

 

──

 

 夕方が間近に迫った時間帯の、トラックを一望できる小高い場所。

 

「トレーナーさ〜ん☆」

 

 裸足の担当ウマ娘が元気良く駆けてくる。

 表彰式を残すのみとなった春のファン感謝祭。その幕間。忙しない一日に訪れたほんの一時の休憩時間。

 

「お疲れ様。よく頑張ったな」

 

 おそらく話したいことがたくさんあるだろう。

 それはさておき、まずは労いの言葉をかけた。

 

「えっへん☆ ファル子もやる時はやるんだぞ☆ というか凄いでしょ? 優勝しちゃったんだよ?」

 

 得意げな顔…いや、それすら通り越してドヤ顔の域にまで達したそれは、あふれんばかりの嬉しさに満ちている。

 

「ああ、ずっと見てたけど本当に凄かったな。間違いなく一番速かったし…もしかしたらMVPを取れるかもしれないな」

 

「そうっ! それそれ! すっかり忘れてたけどめちゃめちゃ気になるやつだよね! でも私より他のメンバーの方が相応しいんじゃないかな?」

 

 片方の耳だけをしおれさせながら、ほっぺたに指を当てるファル子。

 謙遜している割には顔がにやにやし過ぎているようにも見える。

 

「そんなことないと思うぞ。もちろん、皆の頑張りがあってこその勝利だし、実際たくさん努力してた。けど、俺はファル子を間近で見てきたから言うけど、ファル子の頑張りは他の娘に勝るとも劣らないと思ってる」

 

 うんうんと頷く彼女。さっきの慎ましやかな態度はどこへやら、褒められて照れ笑いする子供のごとく頬を緩ませている。

 もはや本音を隠し切れてはいなかった。

 

「…本当は手応えを感じてるんだろ?」

 

「あはは…バレてる? まぁ、自信はいつだって満々だけどね♪」

 

 ここまで乗りに乗っているファル子を見るのは初めてだったが、いつになく可愛らしい。

 つい、じらしたくなってしまう。

 

「まぁ、他に考えられるとしたらミークかな…やっぱり開幕トップはインパクトあったし。ドトウの気迫のバトンパスも見応えがあったよな」

 

「あ〜、トレーナーさんの意地悪。ファル子担当なのに浮気しちゃうんだ」

 

 案の定、頬を膨らませてそっぽを向く彼女。

 

「ごめんごめん。心配しなくてもファル子のMVPを信じてるよ。ミサキちゃんだってきっとそう思ってる」

 

 観客席の方を見やりながら、今朝見たその少女の姿を思い浮かべる。

 トラックの中央では慌ただしく表彰式の準備が進められている。

 

「ミサキちゃん、きっと喜んでくれたよね…♪」

 

「ああ、間違いなく大喜びさ。だって、俺でさえ嬉しくてたまらないんだ。トレーナーとして、ファンとして、最高の気分だよ」

 

 言った後に、さすがに褒め過ぎたかもしれないと思ってしまった。しかし、それは嘘偽りのない本心だった。

 

「あは☆ そこまでべた褒めされると何だか照れちゃうかも…☆」

 

 尻尾を大きく揺らして、感情を隠しきれない様子のファル子。まんざらでもないようだった。

 ふと、校内放送が流れてきた。

 

『全校生徒はトラック中央に集合してください』

 

 どうやら表彰式の準備が整ったらしい。

 広大なスペースに、生徒たちがまばらに集まり出すのが見える。制服だったりジャージだったり、服装も違えば髪色も背の高さも違う。数分もすれば、数多のウマ娘によってそこは埋め尽くされるのだろう。

 その光景に見入る俺の肩を、彼女は不意をつくようにぽんと叩いて駆け出していく。

 

「それじゃあ、ファル子も行ってきま〜す☆」

 

 桃色のゼッケンをつけた元気いっぱいの少女は、裸足のまま生徒たちの波の中に颯爽と消えていった。

 

 普段の練習の賜物だろう。五分も立たないうちに集合は完了していた。

 ずらりと並んだウマ娘たち。ゼッケンの色がくっきりと分かれていて、チーム別に整列していることを窺わせる。

 最も端に整列した桃花チームの前方付近、そこに陣取って表彰式を眺めていた。

 遠目から見ると、ウマ耳がぴくぴく動いたり、真っ直ぐ逆立って微動だにしなかったり、生徒によって癖や特色が見て取れて面白い。尻尾も同様に、だらんと垂らしたままの娘もいれば、終始振り子のように左右に揺らし続けている娘もいる。

 

(いつも思うけど、動かし方に何か意味があるんだろうか…)

 

 ウマ娘の持つ耳と尻尾は、感情が無意識に表れてしまう箇所ではある。ファル子の傾向や癖はだいたい把握しているが、同じ動作でもその娘によってその意味が違ってくるのも興味深い。

 以前、耳の形や尻尾の長さ、そして動かし方などを根拠にした占いや性格診断の本を書店で見かけたことがある。もしかしたら図書館にも置いてあるだろうか。

 生徒たちとちょっと盛り上がるには、丁度いいネタかもしれない。

 そんなことを考えていると、エコーの効いた快活な声が会場全体に響き渡った。

 

「諸君ッ! 春のファン感謝祭及び競技大会、大変ご苦労だった!」

 

 生徒たちの前にぽつんと置かれた朝礼台に、いつの間にか小柄な女性がハンドマイクを片手に登壇している。

 それは紛れもない、秋川理事長その人である。もちろん、白菫色の帽子には謎の八割れ猫が微動だにせず居座っている。

 八位から読み上げられていくチーム名。その度、生徒や観客席から拍手が送られる。そして、最後のチームが読み上げられると、一際大きなそれが巻き起こった。

 結果は既に周知のことではあったが、それでも改めて表彰されるのは存外に晴れ晴れしく感じる。そこに担当ウマ娘が所属していることが単純に嬉しかった。

 ひとしきり鳴り響いた拍手が収まると、理事長は扇子を掲げて大きく広げる。普段なら二字熟語が記されているそれには珍しく、意外にもアルファベット三文字が踊っていた。

 

「待望ッ! ここで本大会のMVPを発表する。なお、MVPには『トレセン学院産特別にんじん』一年分を進呈する!」

 

 小耳に挟んでいた通り、やはりMVPには特別なにんじんが贈られるらしい。聞くところによると、以前入学式で話していた、買い上げた東京の一等地で栽培されたものだという。

 MVP発表の直前、スマホを構えて録画を開始する。もし受賞者がファル子ならば、絶対に映像に残しておきたかったからだ。

 特にもったいぶる様子もなく、理事長は堂々と、そしてあっさりとMVPの名を口にした。

 

「今回のMVPは、最後の最後で素晴らしい走りを見せてくれた、桃花チームのスマートファルコンだ!」

 

 沸き起こる盛大な拍手。

 やはりそうか。一様にそんな顔をしているが、そこに不満の色はなく納得をもって迎えられていた。

 桃花チームの集団の中で、両手を高く突き上げる少女がいた。

 すかさずスマホをそちらに向ける。背が低くもなく、かといって特段高くもないその少女の顔は、他の生徒の中に紛れていて捉えることはできない。しかし、高い位置でまとめたツインテールがふわふわと嬉しさに揺れているのは収めることができた。

 朝礼台に立つ理事長からはその姿がよく見えているのだろう。満足げな顔をして、閉じた扇子をツインテールの少女へと向けた。

 

「うむ、元気でよろしい! 是非ッ! 前に出てきて挨拶を頼む」

 

 「は〜い☆」という返事が聞こえた気がする。それは聞き慣れた少女の声。

 つややかな栗色の髪を揺らしながら前に出て、すたすたと朝礼台へ登壇する彼女。その途中、一瞬だけこちらに視線を送ったのを、カメラは確かに捉えていた。

 リレーの時と全く変わらない素足が見る者の目を引く。激戦の証に、足首から下は砂色に覆い尽くされている。

 両耳を高く逆立たせ、尻尾を定め無く振り回し、上はジャージで下は短パン。それは紛うことなき担当ウマ娘の姿。その表情に緊張の色は微塵もなく、普段通りの明るさと朗らかさをにじませている。

 全校生徒に加えて、大勢のお客さんも詰めかけている。こんな大人数の前で注目を浴びるのはおそらく初めてだろう。全ての視線が彼女へと注がれて、第一声が放たれるのを待っている。

 理事長からマイクを渡されると、壇上の少女はにこっと笑顔を浮かべ…。

 

「あなたのハートをスマートにダッシュ! スマートファルコンです☆」

 

 マイクを器用に使いながら、見慣れた決めポーズと共に自己紹介。

 そこにいたのは、恥ずかしさとは一切無縁の、物怖じせずパフォーマンスするいつものファル子だった。

 これだけの余裕をこの場で見せられるということは、実際のパドックやライブステージで緊張することは絶対にないだろう。その強心臓ぶりはとても頼もしく感じた。

 もしかしたら、カメラを向けられていることを意識しているのかもしれないが。

 

「理事長さん、私をMVPに選んでくれてありがと〜☆ でも、たまたま私がアンカーだっただけで、リレーは皆が力を合わせた結果なの。何回も練習して、失敗して、それでも私を信じてくれた後輩たちのおかげなんです。この場を借りて一緒に走ってくれた後輩たちに感謝します☆」

 

 時折手を振りながら、時折得意な口調を交えながら、百戦錬磨のMCのようにすらすらと話すファル子。

 決して早口なわけでも、自分だけの世界にどっぷりはまっているわけでもない。周囲を見渡しながら、それでいて自由闊達に振る舞っている。

 人前に立つことに関して、彼女は天性の素質を持っているのかもしれない。

 

「それに、桃花チームが勝てたのは、メンバー全員が頑張ったから…! そうだよね、皆!」

 

 にんまりと微笑みながら、桃色のゼッケンの生徒たちに水を向ける。その言葉に、チームメンバーは一斉に声と拍手を響かせる。

 

「だから私はMVPっていうか、良いとこ取りしちゃったラッキーウマ娘ってことで…! でも、せっかくここに立てたから、一つだけ告知させてください☆」

 

 人差し指を立てて改まるファル子。まるでこの指止まれのように、全員が彼女を食い入るように見つめている。

 

「私はこれからダート路線で頑張ります☆ トップウマドル目指して突き進むファル子の応援、よろしくお願いしま〜す☆」

 

 やはり最後は決めポーズで。そんな流儀を感じさせる動きで、彼女は受賞の挨拶を華麗に締めくくった。

 自らのPRも忘れないあざとさには、トレーナーながら感服せざるを得ない。さっきの走りと今回の挨拶で、間違いなくファル子への注目度は高まっただろう。

 

(…って、本来は俺がしてあげるべきことだよな…)

 

 トップウマドルになるという夢。そのためにはまず多くの人に認知してもらうことが大切だ。そのための広報活動にトレーナーも尽力すべきだろう。

 

(まぁ、今やってるのはそのための撮影だけど…)

 

 ファル子のSNSにこの一部始終をアップロードしよう。そんなことを密かに考えていた。

 

「それと理事長さん。ひとつお願いがあるんだけど☆」

 

 マイクを返しながら、彼女は何やら理事長に耳打ちしていた。

 

 

 春の夕暮れ。それはとても穏やかに過ぎ去っていく。

 あんなにも慌ただしく歓声にあふれた一日が、今思えばあっという間に思えてしまう。

 トレセン学院を後にするお客さんたち。子供たちに一本一本にんじんを手渡しする桃花チームのダートリレーメンバー。

 ファル子からそれを手渡されたミサキちゃんの喜びようといったら、世界中探してもそれ以上のものはなかった。

 春のファン感謝祭は、日没と共に和やかに幕を下ろした。

 

 片付けに追われる職員たち。もちろん、トレーナーも例外ではない。

 飾り付けの撤去や、屋台の解体、しかもそれらが広大な敷地に点在している。とにもかくにも人手がいるという状況だ。

 それらが一段落する頃にはすっかり夜が更けていた。

 明日は生徒たちの振替休日。一方職員たちは出勤日。大人たちだけの片付けはしばらく続きそうだ。

 

「トレーナーさん、どうしたの?」

 

 その時、真横から聞き慣れた声がした。

 中庭に設置されたベンチに佇む二人。隣に座っているのは、つややかな栗色の髪の少女。服装は変わらずジャージと短パンのハイブリッド。さすがにもう靴は履いているが。

 

「ああ、月が綺麗だなって」

 

 それは門限の数刻前、担当ウマ娘との語らいの時間。

 夜空に浮かぶ満月が、噴水の水面に妖しく輝いている。

 

「あれ…? そのフレーズって、何かの翻訳だったよね? どっかで聞いた気がするんだけど…」

 

 もちろん、そこに他意はなかった。単純にそれが彼女の金色の瞳のように美しく見えた、ただそれだけだった。

 

(まぁ、俗説だし、真に受けることもないだろうな)

 

 『月が綺麗ですね』というのが、" I love you "の日本的意訳であることを思い出していた。

 少し前の自分なら焦っていたかもしれない。しかし、彼女の一笑に付す姿が容易に想像できてしまう今は、特段気にならなかった。

 

「ロブロイに聞いたら分かるよ。あの娘、本のことに詳しいから」

 

 スマホで検索をかけても知ることができるが、元となった逸話も含めて、彼女に聞くのがベストな気がした。

 

「ロブロイちゃんって図書委員の娘だよね? 図書室なんて何ヶ月も行ってないなぁ…読書なんて滅多にしないし」

 

「だろうな…」

 

 呆れ気味に同意したが、彼女にしては珍しく何も言い返してこなかった。

 ゼンノロブロイがファル子のことを「活字に興味がないお方」と言っていたのを、ふと思い出す。ファル子自身、活字が苦手な自覚はあるらしい。

 

 不意に訪れたしじま。

 昼間の暖かさは徐々に薄れ、冷涼な夜風が中庭を吹きすさぶ。月明かりに照らされる三女神像は、いつになく神秘的な空気をまとっている。

 今日は色々なことがあった。入場者への挨拶とチラシ配布に始まり、借り物競争で予想外の娘に手を引かれて、担当ウマ娘がリレーで大活躍してMVPに選ばれた。

 そして、帰り際に見たあどけない少女の笑顔。

 

「ミサキちゃん、とても嬉しそうだったな」

 

 ファル子から手渡しされたにんじんをぎゅっと握りしめて、ミサキちゃんは大満足といった様子だった。

 

「うん、見てるこっちも嬉しくなっちゃった☆ ミサキちゃんのためってわけじゃないけど、にんじん配って正解だったね♪」

 

「あの提案はさすがだと思ったよ」

 

「そう? だって、私一人だけもらったって食べ切れないし、その方が皆喜ぶかなと思って」

 

 MVPの挨拶を終えて、ファル子は理事長にある提案をした。それは、来場した小学生以下の子に、進呈されたにんじんを一本ずつ配ってほしいというものであった。

 その提案に理事長をとても感銘を受けたらしく、二つ返事で首を縦に振った。そしてすぐさまその準備と手配を執り行い、見事に完遂させた。その辺りのフットワークの軽さと実行力には、毎度のことながら舌を巻かざるを得ない。

 一年分のにんじん。その具体的な量までは分からないが、一日一本だとしても三百六十五本。重さにして約六十キロ。一日二本ならもちろんその倍。

 

(ウマ娘基準なら一日三本は堅いか…?)

 

 そうだとして千本ほどだ。それだけあれば来場した子供たち全員には行き渡ったように思う。

 ウマ娘の子も何人かいたが、もしかしたら将来ここの生徒になるかもしれない。そうなったら、あの時こんなことがあった…という話をするのだろうか。

 何にしても、子供たちの笑顔は見ていて元気になる。

 

「というか、一年分いきなりもらっても一人で食べ切れないよな…」

 

「そうそうっ! もう配ること前提になってるよね〜。もしかして、誰に配るか試されてたとか?」

 

 腰の辺りに巻き付くようにしていた尻尾がぱたぱたと波打ち、街灯の光をほんのりと反射している。

 あながち、その推理は間違ってないかもしれない。もちろん、何の根拠もないが。

 

「理事長の考えてることは俺にもよく分からないからな…まぁ、何にしても、MVPの挨拶は凄く良かった」

 

「あは☆ さすがでしょ?」

 

 したり顔でウィンクを決める彼女。そこには慎ましやかさの付け入る隙もない。

 

「伊達にいつも人前でパフォーマンスしてないなって思ったよ。普通だったらがちがちに緊張して、しゃべるのがやっとだろうな」

 

 もし自分だったら間違いなくそうなっている。だからこそ、ファル子の凄さが身に沁みて分かるのだ。

 

「動画に撮ったけど、SNSにアップロードするよな?」

 

「もちろんそのつもり☆ あ…でも理事長さんの許可が必要かな」

 

「そう言われればそうだな…がっつり動画に映ってるし。まぁ、俺が確認してみる。データは後で送っておくよ」

 

 このことを忘れないよう、タブレットの『教えて!たづなさん!』のアプリを立ち上げ、一旦画面を消す。正直あまり使いたくはないが…。

 

(かといって、理事長に会うのも面倒くさいしな…)

 

 理事長室は気軽に入れるような雰囲気ではないし、そもそも留守にしていることも多い。やはりたづなさん経由で聞いてもらう方が効率的だろう。

 

「今のアイコンたづなさん? 何か…面白い顔してたね」

 

 タブレットを覗き込んでいたファル子から発せられた意外な言葉。面白いと言った割には、どこか引き気味なテンションなのは気のせいだろうか。

 

「便利な質問アプリなんだけど、なんであの顔をアイコンにしたんだろうな…」

 

 アプリアイコンの得意げな表情、いや、ドヤ顔と称するべきか。筆舌に尽くしがたい何かを含ませたそれである。どうやらファル子も俺と同じ感想を抱いているようで、心底安心した。

 

(そういえば、あれを出しとかないとな…)

 

 思いがけず、ドヤ顔アイコンを見て思い出したことがあった。それはたづなさんに提出すべき書類のことだ。

 

「なぁ、ファル子。明後日登校する時に印鑑を持ってきてくれないか?」

 

「どうして?」

 

「メイクデビュー出走届、提出しよう」

 

 一瞬だけ固まる表情。彼女はすかさず首を横に振った。

 

「まだ不安か?」

 

「そうじゃないよ。明後日とは言わずに今日でも明日でもオッケーって意味☆」

 

 頼もしさすら感じる彼女の笑顔。

 唯一の懸念だったターフの代償は解消されつつある。そして、裸足とはいえあれだけの走りを見せた今、前に進む以外考えられなかった。それはファル子も同じようだった。

 

「善は急げって言うもんな。まぁ、さすがに今日は無理だし、明日は休日なんだから自由に過ごしてほしい。明後日二人でたづなさんに提出しような」

 

「わぁ〜☆ 二人で提出するなんて何だか婚姻届みたい☆ だったら証人は誰にする? スペちゃん? ドトウちゃん? それとも教官さんとか?」

 

 もちろん出走届にそのような欄はない。それに、証人は成年でなければならないとされている…が、そんな堅苦しいことは抜きにして、もし誰かに証人になってもらえるのなら…。

 

「スズカにはお願いしたいな」

 

 サイレンススズカはファル子にとって憧れの存在。ファル子にダートで走ってもらおうと考えた時から、彼女には色々と助けられていた。

 

「いっけないっ! スズカちゃん忘れるとこだった」

 

 口に手を当て、まさにしまったという表情。どうやら一人は確定したようだ。

 

「もう一人はやっぱりファン第一号ってことで、ミサキちゃんとかどうだろう?」

 

「おお〜☆ ミサキちゃんにも祝ってもらえたら最高だよね」

 

「よし、これで決まりだな」

 

 門出を知ってもらいたい二人がこうして決まった。

 

(あれ…何の話してたんだっけ…)

 

 そんな欄なんてないのに、真剣に考え込んでしまった。

 思い返してみれば、色んな人に助けられていることに気づく。いつかその人たちに成長した姿を見せられるだろうか。

 

「…というか、時間は大丈夫なのか?」

 

 少しだけのつもりが、すっかり話し込んでしまっていた。さっきタブレットに映っていた時刻はかなり進んでいたように思う。

 

「やば、もうこんな時間☆」

 

 デコパーツだらけのピンクのスマホを取り出し、案外余裕そうにつぶやいてみせるファル子。

 液晶の明かりがほのかに彼女の顔を照らしている。ちらっと見えた待ち受け画面は、いつの間に撮ったのか、ファル子とサイレンススズカのツーショット写真だった。

 

「それじゃあトレーナーさん、明後日一緒に提出ね?」

 

「ああ、来月中までだから絶対明後日じゃないと駄目ってわけじゃないけど…」

 

「でも、善は急げなんでしょ?」

 

 その言葉に思わず面食らう。ふっと笑みを浮かべて、黙ったまま頷いた。

 彼女もまた、同じように微笑んだ。

 

「えへへ…それじゃあ、ま・た・ね♪」

 

 さっと立ち上がって、夜の帳が下りた生徒寮へと向かうファル子。その姿が見えなくなるまで、ただじっと目を注ぎ続けた。

 

(婚姻届みたい…か)

 

 奇しくも、それはかつて自分も連想してしまったことだった。もちろんそこに他意はないが、彼女もそう評してくれたことに、そこはかとない気恥ずかしさと嬉しさ感じていた。

 

 静けさに包まれた中庭で、清らかな水の音だけが優しく耳を撫でていく。

 どこか遠くを見つめる三女神像は、柔らかな表情を浮かべながら、夜空のきらめきをその身にたたえていた。




お疲れ様でした。
ファル子ちゃんの家族もいずれ登場すると思います。
かなり切りのいいところですが、第8話はもう少しだけ続きます。
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