君と夢見た明日へと ──トップウマドルを目指して☆──   作:キビタキ

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スマートファルコン編 第3章 メイクデビュー
【第9話】梅雨空の願い ①読書家のレコメンド


 今日は特別な日だった。

 六月の初め。この日の午後三時、ある発表が行われる。

 それを今か今かと待ち侘びているのは、今年メイクデビューを迎える全国のウマ娘たち。その数は数千人にも及ぶ。もちろん、ここトレセン学院でも百人を優に超える生徒たちがメイクデビュー出走届を提出し、その瞬間を控えていた。

 そう、この日発表されるのはメイクデビューとなるレースの詳細であった。

 デビュー戦は、全国のレース場で六月から順次行われる。出走届に記した希望レースや所属する学校などから、組み合わせはランダムに選ばれる仕組みだ。

 ただし、場所に関しては近場になる傾向がある。トレセン学院所属であればURA管轄のレース場から選ばれるため、東京や中山レース場になることが多いといった具合だ。しかし、生徒によっては中京だったり京都だったりすることもあり、必ずしも近場になるとは限らない。

 いずれにせよ、今年デビューする娘にとって、六月というのはまさに節目の月である…のだが、トレセン学院の図書室の片隅。メイクデビューを控えた二人のウマ娘とその他の面々は、別の話で密かに盛り上がっていた。

 この日は生徒たちの休日であった。

 発表まで後十五分とない中、そのテーブルには三人のウマ娘と一人のトレーナーが座り、談笑していた。

 

「ドトウちゃんと一緒に発表を確認してもいい?」

 

 事の起こりは、今朝発せられたファル子のこの言葉にまで遡る。

 元々ファル子と二人で発表の瞬間を待つ気でいたが、そこに加わりたいとメイショウドトウからお願いされたのだという。どうやら一人では心細いからだそうだ。

 もちろん、ファル子も「ドトウちゃんの担当トレーナーと一緒に確認したら?」と提案したが、この日は残念ながら不在ということであった。

 もし仲良くしている娘と走ることになってしまったら…その不安が拭えないのだという。何とも彼女らしい話だとは思った。

 ただ、これから何度も競うことになるのにそれでいいのかとも思ってしまう。

 そして、それはファル子も同じこと。仲良しの友人がレースで最大のライバルになる可能性は今後十分にある。そのことで彼女が臆することは毛ほども考えていないが、やはり複雑な気持ちにはなるかもしれない。

 

(友人が最大のライバルになる…か)

 

 トゥインクル・シリーズは突き詰めれば個人同士の対決になる以上、同じ学校に所属する近しい相手がライバルになることもあり得る。そこから生まれる葛藤というのも、過去にはたくさんあったのだとは思う。

 とはいえ、そこはスポーツの世界。必ず優劣は決まってしまう。ある意味残酷ではあるが、勝者になるということは誰かを敗者にするということに他ならない。それはもうどうしようもないことだった。

 

「えっと、ドトウちゃんの誕生日っていつ?」

 

 そんな厳しい現実をもうすぐ目の当たりにするかもしれないのに、目の前の少女たちは楽しく語り合っている。

 

「三月二十五日です…」

 

 もしかすると、それは発表の緊張感から逃れたいがゆえの虚勢なのかもしれない。

 

「へぇ〜、ファル子は四月四日だから十日くらいしか離れてないんだね♪」

 

 と、思ったが、少なくともファル子は素で楽しんでいる。それは担当トレーナーの直感としてすぐに分かった。

 

「あっ、それなら私の方が近いですよ…!」

 

 不意に得意げな声を上げた鈍色の髪の少女は、この部屋の賢者のような存在。図書委員としての仕事をするために来たからか、いつもと変わらない制服姿だ。

 

「えっ! いついつ?」

 

「三月二十七日ですね」

 

 黒縁眼鏡を押さえながら、きりっと答えてみせた。

 

「おお〜! 二日しか違わないんだ!」

 

「そ、そうだったんですねぇ…!」

 

 一際大きな声を上げて盛り上がる三人のウマ娘たち。こんなにうるさくしても大丈夫なのかと、思わず不安になってしまうほどだ。

 そう、本来であれば、図書室は静かにしなくてはならない。だが、今だけは特別であった。なぜなら、この日はそもそも休室だったからだ。

 それではなぜ中には入れたかといえば、図書委員のゼンノロブロイのおかげであった。

 

 メイショウドトウとは校内で落ち合ったのだが、この日はあいにくの雨で中庭などの屋外のベンチは使えなかった。どこかゆったり過ごせる場所は他にないか考えたものの、生徒寮だとトレーナーが入れないし、食堂もこの時間は準備中で閉まっている。当然、教室の類は休日なので鍵がかかっている。トレーニング施設は空いているが、そこもやはりトレーニングに励んでいる他の娘の目があり使いづらい。

 そうこう迷っているうちに、たまたまゼンノロブロイと鉢合わせし「もしよかったら図書室使いますか?」と声をかけられたわけである。そこはまさに図書室の目の前であった。

 彼女は図書委員の仕事として、本の整理やデータベースへの登録などを行う予定だったらしい。本人いわく、図書室が一番落ち着くので何かにつけて入り浸っていたい…とのことらしいが。

 

「…ってか、ロブロイちゃんの誕生日、ファル子の友達と同じだ☆」

 

「そうなんですね…! これだけ生徒がいたら同じ誕生日の娘もたくさんいるでしょうね」

 

 楽しげに話していたファル子たちがやはり気になったのか、ゼンノロブロイはいつの間にか同じテーブルに腰を下ろして輪の中に加わっていた。

 とにもかくにも、組み合わせが発表されるまで図書室で過ごせることとなった。利用時間外であれば、声量もあまり気にしなくていいらしい。

 ふと、担当ウマ娘の視線がこちらへと向けられる。

 この時期には暑そうに見えるピンクの長袖セーターに、淡いブラウンのミニスカート。それは見慣れた私服姿だ。

 

「トレーナーさんは誕生日いつなの?」

 

 唐突な質問に思わずきょとんとした。まさか振られるとは思っていなかったからだ。

 テーブルの上には、ある一冊の本が置かれている。それは耳の色と形、そして生年月日から性格診断を行うという、ウマ娘専用の誕生日占いの本だ。

 皆が集まっているということでゼンノロブロイが急遽紹介してくれた本なのだが、これからまさにそれを手に取って各々の結果を見ていくものとばかり思っていた。

 それゆえ、本とは関係のない俺へと誕生日への問いかけが飛んでくるのは、まさに寝耳に水だった。

 

「ファル子の予想だと一月辺りかな。トレーナーさんって何かイメージが冬っぽいし…」

 

 初めてそんなことを言われた気がする。ただ、他の二人も頷いているということは、意外とそういう印象なのかもしれない。

 驚いたことに、誕生月の予想はドンピシャだった。

 

「よく分かったな。しかも俺のは覚えやすいぞ。一月一日だ」

 

「え〜っ! 元日なんだ! 確かにもう忘れられないかも☆」

 

 生まれてこの方、その日に生まれたメリットといえば、覚えてもらいやすいことと年齢を数えやすいことくらいだったが、それだけでも十分すぎる効果ではあるとは思う。

 しかし、俺の話で盛り上がられても反応に困る。話題を逸らそうと、気になっていたことを口にする。

 

「というかファル子、スズカの出てたウマ娘ライブショーの日が誕生日だったんだな」

 

「そうだよ。あれ? 言ってなかったっけ?」

 

「ああ、確か当日には言ってなかったよな…」

 

「そっか…トレーナーさんに教えたのって契約書とか出す時だったっけ」

 

 彼女の言う通り、ファル子の生年月日を初めて知ったのは契約書を提出する際に聞いた時だ。

 つまり、そのタイミングで見たり書いたりしたのは間違いないはずなのだが、なぜか今までそのことに思いが至らなかった。

 ライブショーの日といえば、彼女にチケットをもらったり、買い物帰りに荷物を持ってもらったりした日だ。

 

(何にもしてあげられてないどころか、世話になりっぱなしの日だったな…)

 

 知らなかったとはいえ、申し訳なさにも似た気持ちが込み上げてくる。

 その胸中を見透かしたように、ファル子はやにわに猫なで声を上げる。

 

「や〜ん☆ もしかして誕生日プレゼントくれるとか? 年中受け付けてるからいつでもどうぞ☆」

 

「ああ、また今度な…」

 

 両脇には面白いものでも見るようにくすくすと笑う、垂れ耳の少女と黒縁眼鏡の少女。どうにも気恥ずかしくてたまらない。

 しかし、彼女を改めて祝ってあげたいと思っているのは確かだ。

 

(…って、また俺の話に戻ってるし)

 

 気づけば元の木阿弥になってしまっていた。再び話を変えようと、テーブルの上に置かれたそれに目を注ぐ。

 

「それより、占いの結果を早く見たいな。ロブロイのおすすめ本らしいし」

 

 図書室を知り尽くしている彼女が選び抜いたであろうその本。どれくらい当たるのか気になって仕方がない。

 全員の目線が同じ物に向けられたタイミングで、すかさずゼンノロブロイはそれを手に取った。

 

「これがよく当たるって評判なんです。例えば私なんですが…」

 

 そう言って、本の使い方を手解きする。

 

「誕生日が三月二十七日で、耳の色は黒系、形は…」

 

 彼女は自らのそれを指差す。そこには真上にぴんと逆立つ長い耳があった。

 

「力を抜いて自然体にしてください。この時の角度で決まります。私のは真っ直ぐ上に向いてるので直立型ですね」

 

 次いで、ページをぺらぺらとめくっていく。

 

「ということで、私はこれになります」

 

 そこには『おだやか&まじめタイプ』と書かれていた。彼女は得意げに概要を読み上げていく。

 

「あなたはおおらかなウマ娘です。誰にでも優しくでき、同時に相談されやすい気質です。また、しっかり者の性質も併せ持ち、誰からも好かれる傾向にあります。一方、自分のこだわりや好きなことに強い思い入れがあり、それに関してはとても神経質。仲違いの原因にもなるので、相手に事前に伝えるなどして線引はしっかりしましょう…」

 

 即座に反応したのはファル子だった。

 

「わわっ、前半部分はほんとに当たってるね! こだわりってやっぱり読書?」

 

「そうですね…! 図書室は静かにするとか、本は大事にするとか…」

 

 それを聞くやいなや、謝罪の言葉を口にしたのはメイショウドトウだった。

 

「はうぅ…あの時はごめんなさいでした…」

 

 図書室で本をばらまいた日のことを思い出したのだろうか、申し訳なさそうにか弱い声を響かせていた。

 ファル子と同じくこの時期には暑く見える白地のセーターに、花柄のロングスカート。彼女の私服姿を見たのは初めてだった。

 この中でファル子だけはあの一件を知らない。それゆえ、一人だけ不思議そうな顔をしている。

 そんな彼女を尻目に、鈍色の髪の少女は占い通りの優しさをメイショウドトウに披露した。

 

「もう気にしてませんよ。あれから気をつけてくださってるのはよく分かってるので…! これからも気軽に図書室に来てくださいね」

 

「は、はい…よろしくお願いしますぅ…」

 

 より一層和やかな雰囲気に包まれる図書室。既にわだかまりが解けているようで安心した。

 他の娘から聞いた話だが、借り物競争での一件以来、二人は仲良くやっているらしい。メイショウドトウは本を借りによく訪れるようになったし、ゼンノロブロイは一緒に本を探してあげるそうだ。

 

「あはは…☆ よく分かんないけどそれで仲違いしたこともあったんだね。ファル子も図書室行く時は気をつけないと!」

 

 一人意気込む彼女へ、冷静な一声が飛んだ。

 

「ファルコンさんは私の知る限り、片手で数えられる回数も来ていないように思いますけど…」

 

「うっ…ファ、ファル子活字苦手だし〜」

 

 苦笑いを浮かべながら、ぱたりと耳をしおれさせる担当ウマ娘。

 メイショウドトウと違って、ファル子とゼンノロブロイの絡みはなかなか増えないかもしれない。

 

「それよりもさ、次はドトウちゃんの調べてみようよ」

 

 旗色の悪さから逃れるように、ファル子はそそくさと垂れ耳の少女の方へ本を向ける。

 

「え、えっと…三月二十五日で…耳は褐色ですね。形は…どうなってます?」

 

「いつも通り垂れ耳だね☆」「いつもの垂れ耳ですね」「いつもと変わらない垂れ耳だな」

 

 三人が一斉に同じことを言った。

 聞くまでもなく、彼女のそれは柳の枝のように重力でたわんでいる。もはやトレードマークですらあった。

 信じられないのか、彼女は自らのそれをぺたぺたと撫でるように触れ、自分でも確認していた。

 

「本当ですね…鏡の前では上を向いてるんですけど…」

 

 ようやく納得がいったのか、垂れ耳型ということに決まり、おもむろにページをめくっていく彼女。

 普段から鏡の前だけは自信がたぎっているのかもしれない。

 一枚一枚丁寧にページを刻み、ようやく行き着いた先に書かれていたのは…。

 

「『がんばりや&うっかりやタイプ』ですねぇ…」

 

「あは☆ いかにもドトウちゃんっぽいね♪」

 

 ファル子は茶化すように微笑んだ。まさに彼女を言い表していたからだろう。

 先ほどのゼンノロブロイに倣い、本人が概要を読み上げていく。

 

「あなたは努力家で、根気強いウマ娘です…どんな苦難にもめげず、立ち向かう勇気を持っていて、そのひたむきさは、いつかきっと実を結びます。一方、大事なところが抜けていて、思わぬミスを招くことがあります…また、焦りや不安から、必要以上に気負ってしまうことも…普段から注意力を働かせることを、意識しましょう…」

 

 それを聞いた三人全員が頷いていた。異論を挟む余地もない。

 

「あ、当たってます…前半部分以外は…」

 

 自信なげな彼女に、すかさずフォローが飛び交う。

 

「いや、前半部分も当たってると思うぞ」

 

「そうですね。ドトウさんは根性ありますよ」

 

「だよね〜、リレーの時だってやり遂げたし」

 

 本人は謙遜しているが、彼女の粘り強さを皆が知っている。もっと自信を持てば、きっと輝かしい未来が待っていると思う。

 もちろん、たまに見せるおっちょこちょいなところが直ればだが…。

 

「あ、ありがとうございます。ちょっと自信出てきました…」

 

 とつとつと控えめな声を漏らしながら、面映そうに両耳を少しだけ逆立てていた。

 

「最後はファル子の番ね♪」

 

 ツインテールをふわりと揺らし、身を乗り出して本を自らの方へと向ける。

 

「誕生日は四月四日でしょ☆ 色は栗色で、形はどうかな?」

 

「直立よりも少しだけ斜めですかね…」

 

「わ、私もそう見えます…」

 

「標準型じゃないか?」

 

 というわけで、標準型に決定した。

 その本によれば、直立を八十度から九十度として、六十度から八十度が標準型とされている。ちなみに、四十五度以下で垂れ耳型なので、メイショウドトウの水平以下のそれは超垂れ耳といえるだろう。

 以上の条件から導き出されたページをおそるおそるめくるファル子。

 

「結果は…じゃじゃ〜ん! 『ようき&きまぐれタイプ』だって! 気まぐれ…?」

 

 本人としては気になるワードが含まれていたようだが、俺は心の中で一人頷いていた。

 どこか訝しげな表情をしながらも、ファル子はそれを読み上げる。

 

「あなたはとにかく明るいウマ娘です☆ あなたの笑顔にいつも誰かが癒やされているはず☆ どんどん笑って元気を振りまきましょう♪ 一方、仕事や勉強では得意不得意がはっきり分かれるタイプ。気分屋でもあり、自分の好きなこと以外は興味が薄く、なかなか手につきません…頼れる人にアドバイスをもらいながら乗り越えましょう…」

 

 前半部分は高いテンションで、後半部分は弱々しく語尾をすぼめて、非常に抑揚のある朗読だった。

 

「だいたい合ってるな」

 

 その言葉に二人のウマ娘が頷く。

 

「え〜、ファル子的には苦手なこともちゃんとやってるつもりなんだけどなぁ」

 

「この前の授業、確か補習になりかけたんじゃなかったか?」

 

「ギクッ…やっぱり当たってるね、これ…」

 

 頬を指でかきながら、参りましたと言わんばかりに苦笑いしていた。

 

「というわけでトレーナーさん! これからもファル子のこと助けてね♪」

 

「どうした急に?」

 

「だって『頼れる人にアドバイスをもらいながら乗り越えましょう』って書いてあるし」

 

「ああ、そのことか。占いなんて関係なしに、いつでも俺に頼れよ? 何でも力になるから」

 

 そう伝えると、彼女はにこりと笑顔を浮かべた。それは何か企んでいる時の不敵な笑みだ。

 

「ありがと〜☆ それじゃ宿題手伝ってほしいんだけど…☆」

 

 思わずどきっとしてしまいそうになる上目遣いでこちらを見やる。もちろん、冗談で言っているのは見え見えだが。

 

「そうだな、アドバイスを一つ。宿題はまず一人でやること」

 

「あ〜、何でも力になるって言ったのに…! トレーナーさんの意地悪」

 

 そっぽを向いて膨れる彼女。当然それも計算済みだ。きっと彼女もそれを分かって演じている。お互いそんなやり取りが楽しくてたまらないのだ。冗談を言い合ったり、ちょっと喧嘩じみたやり取りをしてみたり、些細な変化や衝突にも喜びを感じている。

 ただ、周りの目がある時は気をつけないといけないが…。

 案の定、当事者以外は不安そうな面持ちでこちらを見ている。

 幸いにも、それを打破する秘策を持ち合わせていた。というより、たまたまそのタイミングが訪れただけではあったが。

 

「おっ、そろそろ時間だな」

 

 図書室の掛け時計に視線をやる。時刻は二時五十九分。発表まで残り一分だ。

 トレセン学院支給のタブレットを取り出し、予め用意していたページを開く。そのあまりにも質素な白地の画面には、たった一文『本日午後三時発表予定』とだけ素っ気なく書いてあった。

 タブレットを皆に見えるように、占いの本を押しのけてテーブルの中央に置く。

 掛け時計の秒針が刻一刻と真上に向かっていき、ついにその瞬間が訪れる。

 更新ボタンを押すと、さっきまでの寂しかったページが一気に賑わいを見せ、ずらずらとウマ娘の名前と共にレースの一覧が表示されていた。この何百、何千の中から目視で探し出すのはさすがに困難なので、名前で検索をかける。

 どちらを先に探そうか決めてはいなかったが、身を乗り出して画面に食い入る担当ウマ娘の姿に何となく気圧され、まずは『スマートファルコン』と打ち込んだ。

 膨大な文字から瞬時にそれを見つけ出しスクロールするページ。

 

「ダート千六百メートル、東京レース場、六月十三日、第五レース」

 

 とつとつと読み上げるそれは、もちろん希望通りのレース場とコース、そして距離である。

 東京レース場になることは既に分かっていた。なぜなら、URA管轄のレース場でダート千六百メートルが開催されるのは、そこしかないからだ。

 

「やった〜☆ その日ならミサキちゃんにも見に来てもらえるかもね♪」

 

 さっきまでの膨れっ面はどこへやら、両手を上げて喜ぶ彼女。

 ミサキちゃんのお店が休業する日ならきっと見てもらえるはずだと、専らそのことばかり気にしていたからだろう。

 そう、ダート千六百メートルを希望した最大の理由は、ファン第一号であるミサキちゃんに初陣を見せたかったからである。

 ただ、東京レース場のダート千六百メートルには、そのコースの特性上一つだけ心配な点があるが…。

 

「あ…これ、見てください…」

 

 メイショウドトウの声が不意をつく。彼女はファル子が走る第五レースの出走者に指を差していた。

 各レースのウマ番と枠番も既に決まっている。出走者は九人。一番と記されたファル子の対極、大外の九番にはあの名前があった。

 

「あっ、アルダンちゃんと同じ組なんだ…」

 

 そこにはメジロアルダンが名を連ねていた。

 

「あの娘もダートで走るんだな…」

 

 名門のメジロ家ゆえ、順当に芝のレースに挑むのかと思っていただけに、それはあまりにも意外だった。

 鈍色の髪の少女が心なしか不安げな顔で問いかけてくる。

 

「アルダンさんと何かあったんですか?」

 

「春のファン感謝祭のダートリレーでアンカー同士だったんだよね。走る前にちょっと色々言い合っちゃってさ…」

 

「そういえばスタート前に何か話してたよな」

 

「うん、お互い負けないよとか、どん底だよねとか、バチバチしちゃってたかも」

 

 さらっと言ってのけたファル子だが、そこには不穏な単語が行き交っているように思えた。

 あの時、メジロアルダンと話していたのは見えていたものの、内容はあえて聞かなかったし、今まで全く知らなかった。

 ファル子自身がバチバチと表現するくらいだから、実際はかなり激しいやり取りだったことが容易に想像できる。

 ゼンノロブロイはもちろん、あの時必死に走っていたメイショウドトウにとっても初耳で、目を丸くしてその話に聞き入っていた。

 

「トップを争うアンカー同士でしたし、お互い気が高ぶってたんじゃないですか…?」

 

 黒縁眼鏡をかけた少女の、それは至って冷静な分析だった。

 

(その前の借り物競争で、俺をアルダンにかっさらわれてしまったのもあるんだろうけど…)

 

 そのことは少し恥ずかしくて、さすがにここでは言えなかった。

 メイショウドトウとゼンノロブロイはちょうどあの時保健室に行って不在であり、そのことは知らないはずだ。

 

「実はね、その前の借り物競争で、アルダンちゃんにタッチの差でトレーナーさんを借りられちゃってさ…」

 

 こちらの気持ちとは裏腹に、あけすけに真実を語り出すファル子。その口調はどことなく張り詰めているように感じる。

 淡々と事の顛末を話しているものの、その落ち着きぶりが逆に違和感を増長させているような気がしてならない。

 そして、最後にはこう締めくくった。

 

「トレーナーさんに手を出す娘には容赦しないから。ね? トレーナーさん☆」

 

「…ああ、頼もしい限りだ」

 

 頼もしさよりも、そこはかとない威圧感からそう答えていた。宿題に対するアドバイスへの意趣返しなのか。あるいは、この場にいる他のウマ娘に対しての牽制なのか。

 ふと、垂れ耳の少女がおずおずと口を開いた。

 

「あ、あの…私のも見てもらっていいですか…?」

 

「あっ、ごめんごめん☆ ドトウちゃんのも見ないとね♪」

 

 彼女がこちらへと目配せする。すかさず『メイショウドトウ』で検索をかけると、画面は再び大きくスクロールする。

 

「芝二千メートル、東京レース場、六月十三日、第三レース」

 

 先ほどと同じように読み上げる。場所も最寄りの東京レース場で、ファル子と同じ日にレースがある。これならお互い観戦もできそうだ…と思った時だった。

 刹那、メイショウドトウが耳と尻尾を大きく逆立てた。

 

「えええーっ!!」

 

 普段の図書室なら出禁を言い渡されかねないほどの声がこだまする。

 頭を抱えながら、瞳孔がさようならをして白目をむくメイショウドトウ。見るからに血の気が引き、そのまま微動だにしない。顔面蒼白とはまさにこのことだろう。

 

「だ、大丈夫!? どうしたの!?」

 

 ファル子でさえたじろいでしまうほどの変貌ぶり。その原因はゼンノロブロイによってほのめかされた。

 

「もしかして、出走者に親しい方がいらっしゃるのでは…?」

 

 そう、メイショウドトウは元々、仲良くしている娘と走ることになってしまったらという不安から、ファル子の同伴を希望していたのだ。

 つまり、この反応はそれが現実になってしまったがゆえのもの。

 慌てて出走者一覧に目を凝らす。二番メイショウドトウの五つ隣、七番に見慣れた名前を見つけた。

 

「えっ! スペちゃんと同じ組なの…!?」

 

 一足先にそれを見つけたファル子がその名を口にしていた。

 

「あ、あ、あうぅ…す、スペさんと走るなんて…」

 

 ようやく落ち着きを取り戻してきたのか、真っ青だった顔はいつの間にか血色を取り戻していた。

 しかし、声と体の震えは一向に止まらない。

 

(さすがに様子がおかし過ぎる…)

 

 リレーで苦楽を共にしたスペシャルウィークと走りたくない気持ちは分かる。デビュー戦及び未勝利戦は、一着しか次のステップに進めないのだからなおさらだ。

 それにしても、この反応は単に仲の良い友人とかち合ってしまったショックだけではないように思える。

 

 次の瞬間、図書室の入り口から若い男性の声がした。

 

「失礼します」

 

 その場にいた全員がそこへと顔を向ける。

 

「あ、いたいた」

 

 優しげな声を響かせながら、その男性はすたすたとこちらへと歩み寄る。

 その姿を間近で見たと同時に、メイショウドトウの動揺の謎は氷解した。

 

「こんにちは、皆さん。仲良くお話し中に邪魔してすみませんね」

 

 そこへやって来たのは、深緑色に縁取りされたおしゃれな眼鏡をかけた男性。黒のミディアムヘア、白のラフなワイシャツに群青色のジーンズ。見るからに好青年という印象を与える。

 彼は先輩トレーナーの掛巣さんだった。

 三十代前半ということらしいが、二十代と言われても納得できるほどの若々しさと清潔感を漂わせている。

 メイショウドトウを含め、現在五人のウマ娘を担当している新進気鋭のトレーナーで、若手の中でも特に有望視されている。

 

「ドトウさんを探しに来たんです。たづなさんからここにいると聞いたものですから…」

 

 図書室に入る直前、ゼンノロブロイがたづなさんと話していたのを思い出す。おそらく図書室に入るという報連相だったのだろう。

 掛巣さんは凛々しい顔つきと物腰の柔らかい雰囲気から、生徒たちから人気もある。後輩の俺にさえ敬語で接してくれる人だ。

 あの弱気なメイショウドトウとも相性は悪くなさそうに思える。

 

「あ、あれ…? 今日はどこかお出かけしていたんじゃないんですか…?」

 

 垂れ耳の少女の問いかけに、童話の読み聞かせのように丁寧な語りで答える掛巣トレーナー。

 

「ええ、理事長と東京にんじん農園のお手伝いをしていたんですが、思ったより早く終わりまして…さっき戻ってきたところです。これならデビュー戦の発表を一緒に確認できたかもしれませんね」

 

 そして、にこりと微笑んでこう続けた。

 

「その顔だと…どうやら組み合わせを知ったようですね」

 

「は、はい…」

 

「まさか"彼女"の担当と当たるとは驚きでしたが…心配いりませんよ。きちんとトレーニングを積めば、君の力ならスペシャルウィークさんに勝てます」

 

 メイショウドトウは何も言わず、ただこくりと頷いた。

 続けざま、掛巣さんはこちらへと視線を送った。

 

「すみません。僕の担当ウマ娘がお世話になったようで」

 

「あ、いえ…とんでもないです」

 

 軽い会釈をして、当たり障りのない言葉を返す。

 先輩風を全く吹かせないその人。誰に対しても接し方を変えず、いつも穏やかな笑みをたたえている。

 次いで、その温和な眼差しはメイショウドトウへと向けられる。

 

「ドトウさん、ちょっと早いですがミーティングを始めたいので来てもらえますか?」

 

「あ、はい…分かりました…」

 

 返事と共に、褐色の髪をふわりと揺らしながら立ち上がる少女。そのまま担当トレーナーの近くまで歩み寄ったところで、掛巣さんはこちらへと一礼した。

 

「それでは、失礼します」

 

「み、皆さん。今日はありがとうございました…」

 

 担当トレーナーに倣い、同じく頭を下げる彼女。二人はゆっくりとした足取りで、図書室を後にした。

 

 姿が見えなくなって何秒くらい経った頃だろうか。静寂を破ったのはファル子だった。

 

「大丈夫かな…ドトウちゃん」

 

 しんとした図書室に心配そうな声がか細く響く。

 それはスペシャルウィークと当たることではなく、掛巣トレーナーが発した意味深な言葉が気がかりだったからだろう。

 

「あの…もしかしてスペシャルウィークさんの担当トレーナーって…」

 

 ゼンノロブロイが持ち前の推理力を働かせて答えに行き着いたらしい。あのやり取りで、スペシャルウィークの担当トレーナーは一人しか思いつかないはずだ。

 

「ああ、江永さんだ…」

 

「それって、どういうこと?」

 

 いまいち要領を得ないファル子を尻目に、俺とゼンノロブロイは表情を曇らせていた。

 その視線の先には、タブレットに映し出される無情な白と黒の世界が広がっていた。




お疲れ様でした。
ようやくメイクデビュー編の始まりです。
新しく登場した先輩トレーナーの名前は、もちろん野鳥(カケス・エナガ)から取っています。
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