君と夢見た明日へと ──トップウマドルを目指して☆── 作:キビタキ
その日はいつもより早く目覚めてしまった。
落ち着かない心に急かされるように、早々に出勤の準備を済ませてトレーナー室へと向かう道中。
トレセン学院はすっかり梅雨の装いで、この日も当然のように雨模様。愛用の青い傘にしとしとと打ちつける雨音を頭上に感じながら、重い足取りで歩んでいく。
脳内に渦巻くのは、今日の午後六時から予定されているそのことばかり。掛巣トレーナーと江永トレーナー、そして俺。三人で行われるダート千六百メートルの勝負だ。
それはもちろん、非公式ながらトレーナーとして初めて挑む、勝敗が問われるレース。
桐生院さんを始め、他のトレーナーとの模擬レースはこれまで何度か行ったが、それはあくまで練習やトレーニングの範疇。勝ち負けは重要ではなかった。
しかし、今日はそうはいかない。担当ウマ娘にとって大事なものが懸かっている。おめおめと引き下がれるような戦いではなかった。
とはいえ、実際に走るのはファル子本人だ。トレーナーの俺にできることは、レースに際して助言することと、始まった後は勝利を祈ることくらいだ。
(俺がしてあげられることは、それだけなのか…)
レース本番は、担当ウマ娘を信じて送り出すことしかできない。そんなことは分かっていた。いや、分かっていたつもりだったと言うべきだろう。
いざレースが始まってしまえば、トレーナーは本当に無力だ。レース中に指示することも、代わりに走ってあげることもできない。ただ見守り、応援し、祈ることしかできない。それまでどんなに全力を尽くしても、最も大事なその場面では、あたかも蜃気楼のように実体なき存在へと変わってしまう。
その心境に初めて至り、改めてトレーナーとしての自らの無力さを痛感するのだった。
ふと、前方を見やると、自販機の前でうごめく黒い傘があった。それに隠れて顔までは見えないが、その見慣れたジャージ姿が誰であるのかはすぐに分かった。
がこんと音を鳴らす自販機。
黒い傘の持ち主はすっと腰を曲げると、おそらく熱を帯びた微糖のそれを取り出した。
振り向きざまのその人と偶然にも顔が合う。
「おはようございます」
反射的に朝の挨拶が口をついていた。別にその人と何か話そうとは思っていなかった。
「おはよう。掛巣と江永とレースするらしいな」
しかし、その言葉に思わず引き止められてしまった。
歩みにブレーキをかけ、おもむろに向き直る。
「知ってたんですか…」
「ああ、あの二人のレースはよくある話だが、そこに新人トレーナーが混じるってのは珍しくてな。昨日からその話で持ち切りだ」
手に持ち続けるには熱すぎるであろう缶コーヒーを、片手だけで器用にいなしている。もう片方の手にはもちろん傘が握られている。
「一体どこからその話が広まってるんですか…」
昨日のことを知っているのは、本人たちを除けばプールに居合わせた十数人しかいないはずだ。
犯人探しをしているわけではないが、耳が早い理由を単純に知りたかった。
「さぁ…噂好きの生徒も多いからな。この狭いトレセンだ。ちょっとしたことでもすぐニュースになってしまうのさ」
それとない答えを述べながらにやりとほくそ笑む。
やはり片手だけでは対処できなくなったのか、トレーナー長は熱々のそれを自身のポケットへと突っ込んでいた。
「しかし、どうしてそんなことになったんだ?」
黒い傘を反対の手に持ち替えながら、訝しげに首をひねる大先輩。
「はい…実は昨日…」
前日のプールでの出来事を詳らかに話していく。
青と黒の傘にとめどなく降り注ぐ雨。ぽつぽつという音が絶えず紛れ込んで、少しばかりしゃべりにくく、そして聞き取りにくくする。
それでも、鳥林さんはうんうんと頷きながら最後まで聞いてくれた。
「そうか、ファルコンがそんなことをな…あの娘らしいな」
聞き終えて、最初に発したそれはいつになく優しげな口調だった。傘の奥に見えたその目は、何か実の子を見るような穏やかさを含んでいた気がした。
「掛巣さんと江永さんは昔からああなんですか?」
「そうだな…あの二人はトレセンに入った頃からずっとライバル同士だ。おまけにどちらも切れ者で実力伯仲ときたもんだ。対立が激し過ぎて目に余ることも確かにある」
そう言って、幾分か冷めたであろう微糖のそれをポケットから取り出し、傘は体に預けながら蓋を開ける。
「あいつら自身が取っ組み合うなら何の問題もないんだがな…」
どこか遠くを見つめながら、鳥林さんは傘を持ち直して缶コーヒーを口に含んだ。
「まぁ、今日のレースは私も見届けよう。どうせ立会人が必要だろうし」
そこにあるのはトレーナー長の頼りがいのある表情。心なしか期待感を含んでいるようにも見える。
「すみません、よろしくお願いします」
「気にしなくていいさ。トレーナーの面倒を見るのも私の仕事だ」
いつもと変わらない精悍な眼差しがこちらへと向けられていた。
その気遣いはこの上なく頼もしかったが、同時に申し訳なさのようなものも感じさせた。それは、この事態を招いたことへの自責の念。
「でも、正直言えば…不安でいっぱいです。そもそも、あの時傍観しかできなかった自分が情けないです。本当なら、自分が真っ先に止めに入らないといけなかったんじゃないかって…」
「気持ちは分からんでもないが…仮にそうしていたところで無意味だっただろうな」
鳥林さんはすげなく断言した。
「ことライバルに関しては、あの二人は私にも平気で反発してくるくらいだ。新人の君が割り込んだところで一蹴されていただろう。むしろ、ファルコンが間に入ってくれたことで好転したというべきか…彼らとてトレーナー、生徒の意見は無下にできんからな」
二口目を口に含むと、ふっとため息をついて厳しい顔をする。
「気負い過ぎるなよ。スペシャルウィークとメイショウドトウのことは私の方でも何とかできる。いや、もう私が動くまでもないかもしれないが…」
意味深な言葉の後、間髪入れずにこう続けた。
「とにかく、今日のレースは単純にデビュー戦に向けた実戦トレーニングだと思えばいい。気楽にいけよ」
いつの間にかその表情を柔らかくして、気さくにそう言ってくれた。
しかし、不安感を拭い去るのは容易ではない。俺はともかく、ファル子のプレッシャーたるや尋常ではないだろう。それを少しでも和らげてあげなければと、一層身が引き締まる思いがした。
「それじゃ、またレースでな」
ぐいっと手に持つそれを飲み干すと、慣れた手つきでゴミ箱へと放り込んで、鳥林さんはやおらに立ち去っていく。
トレーナー長という立場だから当然かもしれないが、何かにつけていつも気にかけてくれていることは単純に嬉しかった。
(気楽にいけ…か…)
心の中でその一言が絶えず残響する。
遠ざかっていく黒の傘を追いかけるように、雨打ちつけるその道に足跡を刻んでいった。
◆
その日の昼休みは、作戦会議と称してファル子と過ごすこととなった。二人きりかと勝手に思っていたが、彼女は他の娘を引き連れていた。
四人テーブルには俺と、その隣に担当ウマ娘、そして対面に座する後輩の二人。
昨日の今日でこんな目につくところに一緒にいていいのかと不安に思わないでもなかったが、そう思ってしまうこと自体間違っていると、ファル子に厳しく指摘されてしまった。それと同様に、二人の後輩も粘り強く説得したらしい。
全くその通りだった。友達同士が一緒に食事をすることの何が悪いのだろうか。そう言わんばかりに、テーブルには和気あいあいとした空気が流れていた。
「食事が終わるまでは昨日のことは何も話さないで」
ファル子は全員にそう言い含めていた。それは気兼ねなくいつもの楽しい時間を過ごしたいがゆえの申し出。皆がそれを守ってとりとめのない話題に盛り上がる。それはいつもと変わらない、年頃の女の子たちが見せるごくごく平凡な、それでいてかけがえのない日常風景。
スペシャルウィークの食事量だけが尋常ではなく多かったのが唯一気になったが…。それ以外は何の変哲もない仲睦まじい友人同士の相席。トレーナーの自分が混ざっていいのかと不安に思ってしまうほどだった。
(本当に仲良しなんだな。三人は…)
各自、食後のドリンクに手をつけている。
ファル子は大好きなにんじんとバナナのスムージー。スペシャルウィークは王道のにんじんジュース。メイショウドトウはおしゃれにホットレモンティー。そして、目の前にはありきたりなホットコーヒー。
それぞれに個性が出ていてなかなかに面白い。
食後のドリンクが食事に含まれるかどうかは微妙なところだが、少なくとも彼女にとってはそうではなかったらしい。いや、きっと早く言いたくてうずうずしていたのだろう。
レモンティーをたたえたカップを見つめながら、垂れ耳の少女は唐突に口を開いた。
「あの…先輩。昨日は…ありがとうございました」
つられるように、焦茶色の髪の少女も声を上げる。その思いの強さは二人とも変わらなかった。
「私も先輩のおかげで助かりました…! ありがとうございました!」
それを見て、ファル子はいつもと変わらない朗らかな声を響かせた。
「ううん、気にしないで! 困ってる後輩を見過ごせなかっただけだから☆ 今日はお昼に付き合ってくれてありがとね」
彼女の言葉によって安心感に包まれるテーブル。
直後、不意に訪れたしじま。それは意図していたものではないのだろう。各人がそれぞれの飲み物をひとすすりしている。
次は誰が話し出すのだろう。様子見で飲み物へと無意識に逃げた、そんな風にも見て取れた。
それでも誰も話し出さないのを見て、気になっていたことを後輩二人に尋ねた。
「二人はトレーナーから"相手"のことで何か言われたり指示されたりしてるのか?」
"相手"とはもちろん、デビュー戦で競い合うことになった親友のこと。
レモンティーの入ったカップを持ったまま、先に答えたのは目の前に座するメイショウドトウだった。
「そ、その…別に、スペさんと会っちゃいけない…とは言われてません。でも、トレーナーが江永さんと競い合ってるのは凄く分かるから…ちょっと怖くて…」
言い終えて、レモンティーを一口含んでテーブルに置く。
それがバトンパスの合図だったかのように、今度はスペシャルウィークがにんじんジュースの入ったコップを手に取る。
「私のトレーナーも掛巣さんには負けられないって意気込んでますけど、ドトウさんとの接触を禁じてるわけじゃないです。ただ、どうしても雰囲気的に厳しいかなって…」
そしてコップに口をつけると、たちまち体内に消えていく人参色の液体。残りはもう三分の一もない。
「だからこうして一緒に食事してるのも、本当はちょっとびびってるっていうか…あっ、別に嫌なわけじゃないですよ。皆さんといるととても楽しいですから! 昨日のことがあるから、もう開き直ってますし」
どこかぎこちない口調ながらも、スペシャルウィークは確かに白い歯を見せていた。
「そうだったんだ…二人とも優しいから会うのを遠慮しちゃったんだね」
ファル子はそう言うと、自身のスムージーにささったストローを口元へと運んでいた。
スペシャルウィークとメイショウドトウは、それぞれ顔を見合わせ、何を言うでもなくはにかんでいた。
やはり二人はそれぞれのトレーナーの空気を読んだ結果、不本意ながらもお互い距離を置く形で気を利かせようとしていたのだ。
直接指示されていないにしても、そうしないといけないと思わせるほどの対抗心と雰囲気。二人のトレーナーがそれを放っていることは間違いない。
(俺も知らず知らずのうちに、ファル子を萎縮させてることがあるんだろうか…)
そんな不安がふとよぎる。ファル子の性格からすると嫌なことは遠慮なく言ってきそうではあるが、実際のところは分からない。もしかしたらある日突然、溜まりに溜まったそれが大爆発することも…。
そんなことをびくびくと考えながら、コーヒーをひとすすりした。
「でも、二人とも今度のライブ来られなくなったのは残念だなぁ…レースの前日だから仕方ないけど…☆」
ファル子の発した言葉に耳を逆立てて反応したのは、焦茶色の髪の少女だった。その顔は隣に座る垂れ耳の少女へと向けられている。
「え? ドトウさんライブ行かないんですか?」
「あ…はい、前日も練習になっちゃったんです…スペさんも…?」
「はい、私も前日がトレーニングになったんです。翌日に備えて調整とダンスレッスンをしようって」
「そ、そうなんですね…私の方も全く同じです…」
二人して同じような状況に目を丸くしている。
(犬猿の仲だけど、考えることは同じなんだな…)
似た者同士というのだろうか。ライバルにもかかわらず、本質的な部分は結局同じなのかもしれない。それが不思議でもあり、興味深くもあった。
後輩の言葉に反応して、ファル子はこちらへと質問を投げかけた。
「ダンスレッスンかぁ…そういえばトレーナーさんとダンススタジオで練習したことないよね?」
「そうだな…ファル子は俺と会う前からダンスが上手だったし、ダンスレッスンも高架下ライブで事足りてるからな。今度のデビュー戦も完璧だろ?」
「もっちろん☆ 今度のライブでパーフェクトな『Make debut!』をお披露目しちゃうんだから☆」
満面の笑みでウィンクを決める彼女。それはまさにドヤ顔で、自信に満ちあふれていた。
これまで何度となく見てきたファル子の『Make debut!』。見る度にキレの良さが向上し、完成度が高まっている。改めてダンスレッスンなどしなくても、十分過ぎるパフォーマンス力を誇っていた。
そんな眩しすぎる先輩に、スペシャルウィークは目をきらきらさせている。
「凄い自信ですねっ! 先輩のライブパフォーマンス、やっぱりデビュー戦の前に一度見てみたいです。どうせダンスレッスンするなら、そっちの方が参考になりそうですし…」
「あは☆ スペちゃんよく分かってるね♪ ライブのことならファル子にお任せだよ☆」
メイショウドトウも同様に、憧憬の眼差しを先輩へと向ける。
「わ、私いつも肝心なところでドジ踏むから、どんなにダンスの練習しても自信がつかなくて…だから私も先輩のライブ見てみたいです…」
「だったら今度一緒にライブしてみない? 三人で!」
二人の後輩は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐさま別々の表情を浮かべる。
スペシャルウィークはわくわくに満ちたそれを、メイショウドトウは不安げなそれを。
「最近少しずつだけどお客さんが来るようになったんだ☆ 本番には比べものにならないけど、練習にはぴったりじゃない?」
「わぁ、面白そう! でもステージに立ってもいいんですか?」
いかにも乗り気な感じで反応した焦茶色の髪の後輩。ファル子ほどではないにしても、きっと人前でパフォーマンスするのを楽しく感じるタイプなのだろう。
「全然オッケーだよ☆ ファル子の親友なんだから! たまにはサプライズ出演があった方が盛り上がるし…ドトウちゃんもやってみるでしょ?」
「わ、私はこけちゃうかもしれないですし…」
一方、耳をへなへなと不安そうに倒す後輩。人前に出るのが苦手というより、そこでドジってしまうことに怯えてしまっているようだ。
「大・丈・夫! ファル子がしっかりフォローしてあげるからさ。本番のステージすってんころりんしちゃうより、ファル子のライブで慣れておいた方がよくない?」
「そ、そうですね…それなら是非。もしやらかしたらフォローお願いしますぅ…」
「ドトウさん、その時は私が隣についてますから安心してください!」
いつか訪れるであろうその日の話に、わいわいと盛り上がるテーブル。いつの間にか全員の飲み物も空になっていたが、それさえ気に留めないほどに。
やはりとても仲が良いのだなと、その光景がどこか羨ましくもあった。
ふと、我に返ったような面持ちで、大きな窓の外へと視線を飛ばすファル子。そこには曇天がどこまでも広がっている。
「二人に来てもらえたら本当に楽しいライブになるのになぁ…」
それは心の底から漏らした声に聞こえた。
もしライブの翌日にデビュー戦がなければ全員揃ったのに…そう言っているようにも見えた。日程を恨めしく愚痴っていたファル子の姿が、不意に思い出されてしまう。
続けざま、彼女は飲み干したスムージーを名残惜しそうに見つめた。
「ファル子先輩とダンスレッスンのためにライブに行きたいです☆ って言えば許してくれるかな? な〜んて、さすがに無理だよね…ファル子のトレーナーさんになら、ずかずか頼んじゃうんだけど」
そう言いながら、小悪魔のような笑顔と共にこちらを見やる。今まさに「何とかならない?」と、ずかずか頼まれているような気がした。
助け舟を出す…とまではいかないかもしれないが、わずかな可能性を求めて、後輩たちへこう問いかけた。
「掛巣さんと江永さんはライブのこと知ってるのか?」
目の前の少女、次いでその隣の少女の順で答えが返ってくる。
「い、いえ…ライブの日は元々休日だったから…特に話してません」
「私のところも同じです」
そうであれば、ライブに行くのを禁止されたわけではない。しかも、元々休日であったなら相談の余地はありそうに思える。
「うーん、きちんと話せば許可してくれるかもしれないな。全く聞く耳を持たないわけじゃないんだろう?」
基本的にトレーナーは生徒の要望や意見、相談を蔑ろにはしないはずだ。五人もの担当を持つベテラントレーナーなら、なおさらだろう。
「そうですね…トレーニングはいつも厳しいですし、掛巣トレーナーのことになるとめちゃくちゃ熱くなりますけど、話はちゃんと聞いてくれる人ですね」
「それなら大丈夫そうだな」
スペシャルウィークに注いでいた視線を、メイショウドトウへと向ける。
「掛巣さんに至ってはあの物腰の柔らかさだ。ドトウでも話しやすいんじゃないか?」
「は、はい…本当に優しい人です。私なんかの話もちゃんと耳を傾けてくれます…ただ、江永さんのことになると、少し厳しくなりますけど…」
「だったら二人ともちゃんと頼めば通るかもしれないぞ。実際のお客さんの前でパフォーマンスすることも伝えれば、俺ならオッケーを出すけどな」
もしファル子が同じことを言い出したら、二つ返事で許可すると思う。それはきっと、トップウマドルを目指す夢のための提案に違いないからだ。
「まぁ、二人が一緒ってことは伝えない方がいいかもしれないけど…」
最後にそう付け加えると、何とも言えない重たい空気に包まれてしまった。言った後に、心の中で「余計な一言だった」とほぞを噛んだ。
困惑の表情の一歩手前、そんな面持ちで言葉に詰まる二人。結局どうすればいいのか、そんな雰囲気をまとわせて迷っているようだった。
さっきまで全く気にならなかった食堂の喧騒も、今ではとても騒がしく聞こえてしまう。
「今日のレースでファル子が勝てば解決でしょ?」
その沈黙を破ったのは、担当ウマ娘の快活な声だった。そんなの全然大したことないと言わんばかりに、にんまりと微笑んでいる。
「ファル子が勝ったら二人とも堂々とライブに来られるんだから、ね?」
両耳をぴくぴくと上下させながら、凛とした眼差しを後輩たちへ送っている。それは二人を安心させようと、気丈に振る舞おうとしたからに違いなかった。
続き、その眼差しはこちらへと向けられる。
「それでさ、今日のレースなんだけど、ファル子はいつも通り走ればいいんだよね?」
「ああ、この前の通りなら、カヤクグリは先行、キンクロハジロは差しで来るはずだ。逃げが被ることはないだろうから、いつもの走りをすればいい」
あのナイターレースのタイムを調べてみたが、今のファル子のベストタイムとほとんど変わらなかった。となれば、勝機は十分にあるはずだ。
「オッケー☆ ゴールまでずっと追いかけられちゃうよ〜っ!」
茶目っ気たっぷりにピースサインを見せる彼女。それは余裕の現れか、それとも自らを鼓舞するための虚勢か。
どちらとも取れる所作に、不安を全く感じなかったと言えば嘘になる。
「気楽にいけよ、ファル子」
それは、今朝鳥林さんにかけられた言葉。「負けたっていい」とまではさすがに言わないが、気負い過ぎて焦ってしまうのだけは避けたかった。
そのためには、トレーナーの俺がプレッシャーを与えてはいけない。それだけはきっと間違いなかった。
彼女は何も言わず、ただにっこりと頷いた。
お疲れ様でした。
今回の登場人物、全員何か飲んでますね…(特に深い意味はありません)。
食後のドリンクのチョイスは、各ウマ娘に対する作者の勝手なイメージです。