君と夢見た明日へと ──トップウマドルを目指して☆── 作:キビタキ
開演三分前。雨音がしとしとと響く薄暗い空間に、十数名ほどが集まっていた。
デビュー戦前日の高架下ライブ。観客たちの話し声がざわざわと残響し、何とも言えない緊張感を醸し出している。
主役の登壇を今か今かと待ち受けるのは様々な面々。そこには親しい間柄の人もいれば、そうでない人もいる。
二ヶ月前には考えられない光景だった。
「わわっ…人数最多記録だね」
口に手を当てながら、尻尾を定め無く振り回す担当ウマ娘。この日のために集まった観客を少し遠巻きに見つめている。
「色んな人がファル子の頑張りを見てくれてる証拠だ」
彼女の隣でささやくように言うと、頬をうっすらと赤らめて耳をひくつかせる。
「やっぱりそうなのかな…」
「ああ、俺が保証する。だからもっと自信持っていいんだぞ」
「うん…! 今日は胸張って頑張るよ。こんなにお客さん来てくれたんだもんねっ♪」
今にも決めポーズをしてしまいそうなテンションと、胸がすくほどに澄んだ笑顔。
数多のファンに待ち望まれている彼女は、まさにウマドルらしく輝いている。その横に付き添う俺は、さながらマネージャーとでもいうべきだろうか。
観客の数が増えるほど、そしてその瞬間が近づくほど、彼女はよりリラックスしていくように見えた。それは彼女が持つ、人前で物怖じしないという天性の才によるものだろう。
(皆ファル子に心を奪われたんだよな…)
集まった面々に視線をやる。
皆勤賞のミサキちゃん。ようやく来訪が叶ったサイレンススズカ。スペシャルウィークにメイショウドトウ。直接話したことがあるのはこの四人だが、観客は他にもいる。
掛巣トレーナーと江永トレーナーそれぞれの担当ウマ娘たちが、全員駆けつけていたのだ。話によると、ライブパフォーマンスの勉強会と称して見学を指示されたのだという。
カヤクグリとキンクロハジロが顔を見合わせて驚いていたところを見ると、決して示し合わせたわけではなく、偶然二人のトレーナーが同じ指示を出したということらしい。ライバル同士なのに考えることが一緒なのは、宿命の好敵手ゆえの運命なのだろうか。
その他の観客としては、トレセン学院とは無関係の一般の人たちが数名。きっかけはおそらく春のファン感謝祭、あるいは…。
「SNS始めといて良かったろ?」
「そうだね☆ こんなに反応があるなんて思わなかった」
おそらくあの中には、SNS経由でファル子を知った人も含まれていると思う。
まめな投稿もさることながら、やはり最も反響を呼んだのは、春のファン感謝祭でMVPを受賞した時のスピーチの動画だ。あれをきっかけにフォロワーはかなり増えたし、ファル子を応援するメッセージも多数寄せられていた。
その甲斐あって、デビュー前にもかかわらず、数人ではあるが高架下ライブを一般の人が見に来てくれるようになっていた。
スマホをちらっと覗いて時間を確認する。開演まで後一分だ。
「準備は…万端だな」
彼女の顔を見て、そのことを瞬時に悟る。
ツインテールがふわっと跳ねるほど大きく頷くファル子。きっとそれは緊張からではなく、わくわくが頂点に達して居ても立っても居られないからだろう。
真っ直ぐに逆立つ両耳。めらめらとやる気の炎をたぎらせる金色の瞳。彼女はまなじりを決してステージを見据えていた。
開演といっても、別に何か大層な仕掛けがあるわけではない。レース場のようにステージがせり上がってくるわけでも、スポットライトに照らされるわけでもない。ファル子が元気よく登壇して挨拶をする。本当にただそれだけの、質素な開演。
彼女が立つステージも、土手沿いのたまたま小高くなっているだけ場所。決してライブを見越して作られた環境ではない。
観客席に見立てたスペースも、そこかしこに雑草が生い茂り、石もごろごろと転がっている。普段はただの空き地だ。
頭上の高架も、演者と観客を雨から守るために作られたものではなく、単なる道路に過ぎない。
だが、ファル子にとってそこは立派なライブステージだった。
幾度となく過ごしたそこは、学院から少し離れたトレーニング施設のようにさえ思えてくる。
実際、間髪入れずに激しいダンスを何曲もぶっ続けで踊るのは、かなりの体力が必要だ。彼女にとって、まさにライブは楽しくこなせるトレーニングでもあったのだ。
スマホに表示される数字。その下二桁がどちらも零に変わった瞬間、担当ウマ娘は軽やかな足取りでステージへと向かい始める。
つややかな栗色の尻尾をたおやかに揺らし、両手を高々と振りながら、満面の笑みを浮かべて。
ステージに立つやいなや、口に手を添えて叫ぶように声を張り上げる。
「こんにちは〜☆ 梅雨の鬱陶しさも何のそのっ! あなたの心を照らします☆ スマートファルコンです☆」
明るく朗らかな音色が、全員の耳に心地よい感覚をもたらしていた。
マイクも音響機器もない高架下。観客の鼓膜を揺さぶる手段は、自らの声帯から生み出すそれしかない。
ただ、高架下で発せられた音は例外なく、頭上のコンクリートに跳ね返され、あたかも複数のスピーカーから発せられたかのごとく残響音となる。本来ライブとは一切無縁のこの場所で、唯一それらしく感じる要素だった。
次いで、拍手の音がぱちぱちと響き渡る。高架下特有の残響効果で、人数以上に大きく聞こえた。
それに気を良くしたのか、彼女はいつになく得意げな顔で、いそいそと尻尾を揺らしていた。
「みんな〜☆ 今日は集まってくれてありがとう☆ こんなにお客さんが来てくれたのは初めて☆ ファル子めちゃくちゃ感激してま〜す!」
ライブ用の衣装に身を包むファル子。トレセンが休日の時の高架下ライブは私服で行うのがお決まりだった。今日は後輩たちとの共演もあり、特に気合が入っているのか初めて見るコーデだ。
白のリバーシブルブラウスの上に羽織るのは、コントラストを生み出す黒の七分丈ショートジャケット。濃いピンクのフリル付きミニスカートという涼しげな下半身には、漆黒のニーソックスとのコラボレーション、通称絶対領域という名の肌色がきらりと光っている。
可愛らしさを残しつつも、どこか大人びたエレガントさも感じさせる…そんな俺好みのコーデだった。
「気合い入れてライブしちゃうよ〜☆ いつも来てくれてるあなたも、今日初めて来てくれたあなたも、最後まで楽しんでいってね♪」
緊張の"き"の字もないステージ上のファル子。水を得た魚のごとく生き生きとしている。
レースはさておき、アイドルに専念したらたちまちブレイクするのではないか。すらすらと言葉が出てくる姿はそんな未来を予感させるし、その強心臓っぷりには本当に恐れ入る。担当トレーナーとして、いや、将来の売れっ子アイドルのマネージャーとして、山のように舞い込むであろう仕事をさばけるのか不安になってしまうほどに。
「早速一曲目いってみよ〜! 最初は何にしようかなぁ☆」
にんまりと微笑みながら、彼女は観客席を見渡す。
基本的にファル子の歌う曲は決まっていない。その時の気分や観客のリクエストによって決まるのが常だった。
「それじゃあ、一曲目は『夜空を舞いし砂の羽根』歌っちゃいます☆ この曲知ってるかな? 大井レース場のウイニングライブで歌う、とっても切なくてかっこいい曲なのっ!」
それはファル子と観戦したナイターレースで、カヤクグリがセンターに立ったウイニングライブの曲。きっと彼女とキンクロハジロの姿を見て思いついたのだろう。
曲名を聞いた途端、二人は白い歯を見せ合っていた。
(この曲、ライブで歌うのは初めてだな…)
スマホで音楽を流す役は俺が担当している。トゥインクル・シリーズで使用されるものだけではなく、ローカル・シリーズの各レース場の定番曲も可能な限り収集した。
ほぼ全てのライブ曲を集めてみた…というタイトルでまとめ動画をアップロードできるほどの手持ちだとは思う。
スマホスタンドに音量最大のスマホをセッティングして、グーサインをする。
それを見て、ファル子はウィンクをしながら掛け声を発する。
「せ〜のっ☆」
「う〜っ、ファル子!!」
それは俺とファル子の始まりのコール。
ライブでの役割は音楽を流すことだけではない。コーレスを先導するのも俺と決まっていた。ファン第零号の定めか、ステージ近くで率先して声を張り上げるのが使命であった。
正直に言えば恥ずかしい。人前で声を上げることなど何度やっても慣れないし、徐々に人数の増えていくライブで先陣を切らなければならない現状は、俺にとって過酷な試練に他ならなかった。
いっそ、酒を飲んで臨んだ方が良いのではないか、最近はそんなことさえ思ってしまう。
(他のファンに定着するまでの辛抱だ…)
天の救いか、小さな女の子のコール…ミサキちゃんの可愛らしい声も最近は含まれるようになってきていた。さすがファン第一号だ。
ようやく流れ出したイントロ。これを聞くのはあのナイターレース以来だ。
その鋭いリズムに合わせて、キレのあるターンとステップを披露するファル子。その動きは美麗且つ優雅で、カヤクグリがセンターで舞ったそれとは全く違う魅力を秘めていた。
寂しさと切なさを含んだ音楽は、彼女の力強い歌声をまとって確かな熱を帯びる。
いつの間に練習していたのだろう。大井レース場のローカルライブ曲であるそれを、彼女は完璧にマスターしていた。出会った頃には絶対にレパートリーに入らなかったであろうその曲。胸が熱くなる時にも似た、不思議な気分にさせてくれた。
私の夢 あの月に照らされるよ
望むまま羽ばたいて その手を伸ばしたら
ゴールはすぐだよ
希望にあふれた歌詞で締めくくられた曲。その金色の瞳は満月のように、観客たちを温かく照らしていた。
音楽が終わるのと同時に湧き起こる拍手。彼女の歌と踊りを初めて間近で見たであろうサイレンススズカも、楽しげな面持ちで目を細めていた。
ステージ上の少女は両手を振りながら明るい声を響かせる。
「拍手ありがと〜☆ 初披露の曲だったけど合いの手も完璧☆ ファル子ノッてきたよ〜!」
うきうきと尻尾を振り回すファル子の視線は、最前列に陣取る俺とミサキちゃんに向けられていた。
この曲に合いの手を入れるのは初めてだったが、もはや破れかぶれであった。恥ずかしい自分を捨てることが、彼女の担当トレーナーたる俺に課せられた運命なのだと腹を括るしかなかったからだ。
そんな中、ミサキちゃんが見様見真似でついてきてくれることには、感謝してもしきれない思いだった。
その後、ノリノリで何曲か披露したファル子が、一際元気な声でこう切り出した。
「良い感じに盛り上がってきたかな? 次が最後の曲なの…しょんぼり…してちゃダメだぞ☆ ここでファル子からサプライズなお知らせ☆ なんと! 今回は特別ゲストを呼んでいるのだ☆」
その言葉に、耳をぴくりと反応させた二人のウマ娘。
スペシャルウィークとメイショウドトウ、彼女たちはダンスレッスンを兼ねて、このライブで『Make debut!』披露することになっていた。
「しかもしかもっ! 二人も来てくれてます☆ スペちゃんとドトウちゃんです! 拍手で迎えてあげてね〜♪」
ファル子に促されるように、おそるおそる登壇する二人。焦茶色の髪の少女はわくわくとした表情で、垂れ耳の少女はおどおどとした表情で。
対照的な面持ちの二人がステージに上がると、高架下は温かな拍手に包まれた。
踊りやすさを重視してか、二人ともトレセンにいる時と何ら変わらない、ジャージと短パンの見慣れた姿。さすがに、ファル子のようにライブ慣れはしていないだろうし、無難な選択だろう。
(というか、ファル子の服装が派手過ぎるんだよな…きっと)
見慣れて感覚が麻痺してしまっているが、多分そうだと思う。たとえ私服で来てと頼んだとしても、二人はファル子のような路線にはならないはず。
我が担当ウマ娘ながら、なかなかに飛び抜けた感覚だとは思う。
センターにファル子、その両隣に後輩二人というポジション。
にこにことあふれんばかりの笑顔をたたえて、センターの少女は少しだけ顔を赤らめていた。
「えっへへ…知ってる人の方が多いかもだけど、私たち、明日東京レース場でメイクデビューします☆」
再び響き渡る拍手。ステージ上の少女たちは、恥ずかしそうな笑みを浮かべたり、頭をかいたりして照れ隠しに苦労しているようだった。
「二人にはデビュー戦に向けて、抱負を語ってもらおうかなっ☆」
まさかの振りに、尻尾を大きく揺らして動揺する二人。特にメイショウドトウの反応が大きく、水平だった耳が瞬く間に垂直に変化するほどだった。
おそらくファル子自身は無茶振りとは思っていないのだろう。むしろ当たり前のことのように、軽い気持ちでそう言ったに違いない。
ダンスを披露するだけと思っていた後輩二人のうち、戸惑いの色が先に消えたのはスペシャルウィークだった。
次の瞬間には、一歩前に出て凛とした眼差しを客席へと放っていた。
「初めましての人は初めまして! スペシャルウィークっていいます! ファルコン先輩と同じで、明日がデビュー戦です! 第三レースの芝二千メートルを走ります!」
はきはきとしゃべる彼女。
次いで、垂れ耳の少女の隣へと回り込み、肩を並べるように寄り添う。
「実はドトウさんと同じ組で走ることになっちゃいました…だから一着はどちらかしか取れません。でも、全力で走ります! どっちが勝っても恨みっこなしです! もし良かったら、先輩のついでに私たちのレースも応援に来てください!」
純真な笑顔で言い放つと、その決意に呼応するかのごとく熱い拍手が巻き起こった。次いで、観客たちの視線は、自然とその隣の少女へと向けられる。
自分の番だと察して背筋を伸ばすメイショウドトウ。なかなか切り出せずにいたが、真横でにこりと微笑む親友の顔を見るや、意を決したように口を開く。
「はわっ…わ、私、えっと…スペさんが言ってましたけど、あの、同じ組で出走するんです。どっちが勝っても負けても、終わった後は笑い合うって…スペさんと約束してます。だから、どっちも応援してくれたら、嬉しいです」
どこか弱々しいが、決して小さくはない声。その場にいる全員には十分聞こえるボリュームで、最後にこう付け加えた。
「あ…きっと大丈夫ですけど、もしどっちも負けたら、その時はごめんなさい…」
笑いと拍手が同時に起きる。
恥ずかしさのためか、彼女は顔を両手で覆っていた。
どこにも恥ずかしいと思うところなんてない。そう思わせるほどに立派な抱負だった。
最後に、ファル子が明るく大きな声を響かせた。
「ファル子は第五レースのダート千六百メートルを走りますっ☆ 実は感謝祭のリレーでアンカー同士だった、アルダンちゃんと同じ組なの☆」
人差し指を立てながら、彼女は流れるようにウィンクを決めてみせる。
「でも安心してね♪ スペちゃんとドトウちゃんみたいに、全力でレースに挑むけど、どんな結果になっても仲良しでいるって約束してるんだ☆ だから何の心配もいらないの☆ 心置きなくどんどん応援してね〜♪」
満面の笑みで手を振るファル子。
メジロアルダンと仲直りできたと、昨日のトレーニングが終わった後、彼女は嬉しそうに言っていた。きっとそのことは皆に…特に後輩二人に伝えたかったのだと思う。
「さて☆ これから踊るのは、勝っても負けても私たち三人が明日披露するダンスだよ☆ 準備はいいかな?」
はっとした表情で元の位置に戻るスペシャルウィーク。同じ表情で慌ててスマホを準備をする俺。
セッティングが完了した時には、ステージ上の三人は張り詰めた空気をまとわせていた。
「それじゃあ、聞いてください☆ 私たちの『Make debut!』」
しんと静まり返る高架下。雨音だけが静寂を支配し、眠ってしまったように目をつぶる三人。
続き、スマホの奏でる音楽によって覚醒し、笑顔の花を満開に咲かせる。
そして重なる三つの歌声。普段聞き慣れたそれとは全く別の声へと姿を変え、心地良さを耳へと運んでくる。
仲良しな三人による共演。合いの手も忘れて思わず見入ってしまっていた。
一糸乱れぬ動き…とはいかないかもしれない。ライブ慣れしたファル子と比較すると、やはり後輩二人の動きは少しぎこちなく見える。とはいえ、比較対象が洗練され過ぎているだけであって、単体で見れば十分に及第点に思われた。
ウイニングライブは観客への感謝の意を示すために行われるパフォーマンスだ。そこに必要なのは弛まぬ鍛錬と誠意。後輩たちの踊りにはダンスレッスンに費やした努力の跡が確かに見える。
(これならきっと大丈夫だ)
三人の少女による華麗なライブは、本当にあっという間だった。楽しい時間はすぐに終わるというが、まさにこの瞬間こそがそれであった。
「ありがとうございました☆」
「ありがとうございました!」
「あ、ありがとうございました…!」
観客へと一礼するステージ上の少女たち。今日一番の拍手が鳴り響いていた。
心配されたメイショウドトウの転倒その他諸々のアクシデントも起こらず、有終の美を飾った高架下ライブ。
誰がセンターに立つことになっても、安心して見ていられる。そんな素晴らしい仕上がりのパフォーマンスだった。
ステージ上にあるのは眩しすぎる三つの笑顔。それを無邪気に振りまきながら、今日も明日も、きっと見る人に元気と希望を与えてくれるはずだ。
満足げな面持ちでステージを降りる後輩二人。残された先輩はテンション高く締めくくる。
「最後にいつものいっくよ〜!! ファル子が逃げたら〜?」
「追うしかな〜い!!」
俺のごつい声と小さな女の子の可愛らしい声が響く。恥ずかしさなんて、とうにどこかへ消え去っていた。
「デビュー戦にも駆けつけて☆ スマートファルコンでした☆」
何度見たかも分からない決めポーズ。大きな拍手と共に、この日の高架下ライブは幕を下ろしたのだった──
傘を片手に帰路につく観客たち。
帰り際のお客さんに手を振り、最高の笑顔とお礼の言葉でお見送りするファル子。その横で、ファル子が用意したフライヤーを一人ひとり手渡していくのは俺の担当だった。
「先輩! 今日はありがとうございました! おかげで明日の自信がつきました!」
拳を握りしめて力強く言い放ったのは、焦茶色の髪の後輩。
「あ、ありがとうございました…足を引っ張らなくて本当に良かったですぅ…」
ドジを踏まないかひやひやしていたであろう垂れ耳の少女は、顔全体に安堵を張り付けて胸を撫で下ろしていた。
「二人ともお疲れ様! 今日は来てくれてほんとにありがと〜☆ おかげで最高に盛り上がったもん☆ 明日のレース、頑張ろうね♪」
「はい…!」
綺麗に重なる二つの返事。一見すると対照的な二人だったが、その声に満ちあふれている確かな決意だけは、双子のようにそっくりだった。
傘をさして遠ざかっていく二人の姿。
次いで、ミサキちゃんの元気な声が聞こえてきた。
「ファル子お姉ちゃん! 今日も素敵だったよ! 三人で踊るのが一番楽しかったなぁ♪ ミサキもいつか一緒に踊っていい?」
高架下ライブ皆勤賞のファン第一号は、この日も瞳をきらめかせてずっとファル子を見つめていた。
手を膝に置いて、担当ウマ娘は目線を合わせながらウィンクする。
「もっちろん☆ いつでも待ってるからね♪」
「えへへ、約束だよ」
とても嬉しそうに頷く女の子。それはいつになく微笑ましい光景だった。
(ミサキちゃん、最近かなりファル子に似てきたような気がするな…)
それはしゃべり方や見た目など、全体的な印象だ。最近はその長い黒髪を二つに結うことが増えてきた。言うまでもなく、今目の前にいるウマ娘のような…。
やはり憧れの存在の真似をしたいと思うのは、誰しも同じなのだろう。
「明日お母さんと応援に行くからね!」
手を振って別れの挨拶。小さな女の子は名残惜しそうに黄色い傘を広げ、見えなくなるまで何度もこちらを振り返っていた。
最後に残った観客は二人。そのうちの一人は意外なメンバーだった。
「カヤちゃん、今日は来てくれてありがとね♪」
「ううん、こちらこそありがとうだよ。メンバー一同勉強させて…いや、楽しませてもらったし」
にこやかにそう答えたのは、黄褐色の髪の少女、カヤクグリだった。
最後まで残っていたのは何か訳があるのだろうか。そう思った矢先、彼女は背筋を伸ばし改まった。
「ファル子ちゃん、お願い…というかただのわがままなんだけど、良かったら聞いてもらえる?」
「お願い?」
「うん、無茶なお願いって分かってるし、もちろん断ってもらってもいいから」
カヤクグリの神妙な面持ちに身構えるファル子。
「実は私の大親友がね…」
そこまで聞こえたところで、背後から俺を呼ぶ声がした。それは最後まで残っていたもう一人のそれ。
「お疲れ様でした」
反射的に体を翻す俺。自分でも驚くほどの速さで振り向いてしまったのは、その声の静やかさにどきっとしたからだ。
高架下を吹き抜ける湿った風が、目の前にある朱色の髪をしなやかに揺らしている。
「噂には聞いてましたけど、とても楽しいライブですね」
なびく髪に手を当て微笑するサイレンススズカ。指から漏れた朱色のそれが、彼女の意思に逆らうようにたおやかに舞う。
おそらくそれは無意識の動き。俺にはこの上なく奥ゆかしい仕草に見えた。
「今日は来てくれてありがとう。君が来てくれてファル子も本当に喜んでると思う」
「いえ…ずっと前から誘われていたのに、なかなか来れなくて申し訳なかったくらいです」
風が収まり、見慣れたヘアスタイルでこちらへと視線を送る彼女。緑色の耳カバーに覆われた小さな耳が、ちょこんとお辞儀するように垂れる。
「差し出がましいことを言うようで恐縮なんですが…このままファンが増えていくとしたら、場所を変えた方が良いかもしれませんね」
「場所を?」
「はい。あ、その…嫌味に聞こえたらごめんなさい。私にはたくさんのファンがいるから分かるんですけど、多分ここだと手狭になると思います」
そう言われて、さっきまでライブ会場だった高架下を見渡す。
あまり広くはないこの空間。観客は頑張っても数十人が限界だろう。
「デビューして名が知れたら、ファンはどんどん増えていきます。先輩はきっとすぐに頭角を表すでしょうから…」
「全くそこは考えてなかったな…気づかせてくれてありがとう。早めに別の場所を考えてみるよ」
「お礼を言われるようなことは何も…先輩のこと、どうかよろしくお願いします」
静やかに、そして涼やかに頬を緩める彼女。まるで三女神様が具現化したかのようだった。
その後、カヤクグリとサイレンススズカ、どちらにも別れの挨拶を告げ、ついに今日のライブは完全にお開きとなった。
「おつかれさま〜☆」
手と耳と尻尾を上へと突き上げ、全身を気持ち良さそうに伸ばすファル子。達成感と充足感に満たされるこの時間は、何物にも代えがたい至福の瞬間だった。
ふと、配り終えて余ったフライヤーに目を通す。そこには、定番キャラクターとなった謎の四足歩行動物『オウマサン』のイラストと共に、ライブの題名として『祝メイクデビュー出走&勝利"?"記念☆』と書かれていた。
よく見ると、『"?"』が不自然に窮屈そうにしている。あまりの肩身の狭さに思わず同情してしまうほどに。
「この『"?"』、後から付け足したのか?」
「てへ☆ ばれちゃった…さすがにそこまですると自惚れ過ぎかと思って」
舌を出してあからさまに照れる彼女。
「ファル子にしてはなかなか謙虚だな」
「あはは…でもトレーナーさんはいらなかったって思ってるんでしょ?」
「てへ、ばれたか」
同じように舌を出してほくそ笑む俺。
「きゃは☆ トレーナーさん可愛い〜☆」
「ファル子よりも?」
「う〜ん…そうだね♪ 二人でアイドルグループ組めちゃうかも☆」
「よし、メイクデビューの後はアイドルデビューだな…っておいおい」
他愛のない冗談を言い合う、本当に何気ない一時。かけがえのないこの時間が、俺にはたまらなく幸せだった。
二人の笑い声が、雨音に紛れて高架下にひっそりと響く。今この瞬間だけは、明日への不安も、高ぶる思いも、全て忘れさせてくれたのだった。
お疲れ様でした。
今回のファル子ちゃんの私服は単なる作者の趣味です(汗)
次回、ようやくデビュー戦当日を迎えます。