君と夢見た明日へと ──トップウマドルを目指して☆──   作:キビタキ

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【第10話】それぞれの門出 ⑥芝のち砂のデビュー戦

『各ウマ娘、一斉にスタート!』

 

 ゲートが大きな音を立てて開かれた瞬間、雪崩を打って飛び出す出走者たち。最も力強い最初の一歩は、芝を地面ごとえぐるほどの勢いだ。

 自慢の脚力で大地を蹴るスマートファルコン。しかし、その足元はまるで覚束なかった。

 見えざる手が足首を掴んでくるような感覚。それがじとりとまとわりついてより一層不快感を増長させる。少し前までここを走っていたなんて、今の彼女にはとても信じられないことのように思えていた。

 それは夏合宿明けの感覚によく似ていた。あの時も芝が重くて重くてたまらなかった。

 その度に無理矢理芝に足を慣らそうとして…そして夏合宿ですぐ元に戻って…学院生活はそれの繰り返しだった。

 ダートを走っていくと覚悟した後だから言えるが、こんな底なし沼のような足場でトップウマドルを目指していたなんて、到底正気の沙汰とは思えなかった。

 

 本来であれば逃げの走りで一歩先んじるスマートファルコンも、鉛の靴を履かされてはそれも叶わなかった。すぐ隣を走る二番のウマ娘に抜かされないようにするので精一杯だった。

 あまつさえ、濡れた芝は非常に滑りやすい。そのスリップを無意識のうちに防ごうとして、少し前までは足の蹴り出す角度が自然と傾いていた。

 それはターフの代償。ダートを走る上では不要な癖。だが、芝を走る上では多少なりとも効果はあった。もちろん、今それは完全に取り払われている。

 つまり、今の彼女は芝の上で完全に無防備であるということでもあった。

 

『綺麗に横並びで駆け抜けていきます九人の…おっと! 一番スマートファルコン、体勢を崩したか!』

 

 前へ前へという意識が空回りしたのか、濡れた芝に足を取られ、たたらを踏むかのごとくつんのめった彼女。何とか体勢を整え直すものの、完全に出遅れる形となってしまった。

 焦りが彼女の心に芽生えていく。

 

 スタートして十秒ほどして、草色と砂色の境界線にようやく差し掛かる。

 舞い上がるものが芝の破片から泥へと変わり、足元で奏でられる激しい音も水気を含む。

 重りが急に消えて無くなったようにふっと軽くなる足。芝から砂地に変わりながら走ることなど初めてであり、その感覚はまるで地獄から天国へと舞い戻るようであった。

 与えた力がそのまま跳ね返ってくる走り慣れた砂地。鉛の靴を脱ぎ捨て、風の翼を身にまとう彼女。

 これなら前に行けると思った時、彼女は愕然とする。周りは既に囲まれてしまっていたのだ。左には柵、前方と右にはウマ娘。前に出る余地はどこにもない。

 しかも、砂地に移行したことで変わったのは足元の感触だけではなかった。

 

「…っ!」

 

 不意を突かれ思わず漏れた声。

 跳ね上がった泥が彼女の頬を叩きつけたのだ。幸い目や口には入らなかったため怯むことはなかったが、それは次々と襲いかかってくる。

 蹴り上げられるのは砂塵ではなく大小様々な泥の塊。純白を思わせた彼女の姿を、容赦なく茶色に汚していく。

 逃げを得意とし、先頭をひた走るはずの彼女にとって、それはこの上なく屈辱的な状況であった。

 レースはまだ序盤であり、密集した状態で詰まるのは仕方のないことであった。バ群が伸びてスペースができたところで抜け出そうと彼女は考えた。それまでの間、顔に泥がかからないことを祈りながら走るしかなかった。

 

 一方、大外の九番からスタートしたメジロアルダンは快調に飛ばしていた。

 芝の適性も持ち合わせていた彼女は、ターフの上を伸び伸びと駆け抜ける。大外という開放感にあふれたポジションは、彼女をトップに押し上げるのに十分な余裕を生み出していた。

 

『スタート直後の混戦から抜け出したのは九番メジロアルダン! 外側から悠々とトップに躍り出ます! このまま一番人気の華麗なる走りを見せられるか!』

 

 向こう正面、バックストレッチをひた走る彼女たち。

 水色の髪の少女を先頭に徐々に縦に伸びるバ群。この時、スマートファルコンは七番手に甘んじていた。

 ようやく生まれたスペースに、彼女は軽やかに滑り込む。間隙を縫うように巧みにバランスを取りながら、湿った空気と泥と化した砂地をかき分けていく。

 ダートに舞い戻った隼にとって、それはとても容易なことだった。

 

『一番スマートファルコン、ここで一気に順位を上げていきます! 最初の転倒を取り戻す勢いですが、後半体力が持つでしょうか!』

 

 芝でのアクシデントと序盤での加速。当然のことながら、これらは彼女のスタミナを余計に消費していた。

 本人もそのことは自覚しているが、焦燥感に駆られた彼女に下位でいられる冷静さはなかった。近くに誰かいる状況が彼女の性分に合わないというのもあった。

 そして、何より…。

 

『一番スマートファルコン! 圧巻のごぼう抜きです! 二着につけてなお、先頭のメジロアルダンに猛然と迫ります!』

 

 目の前を行く少女の存在が、彼女を奮い立たせていた。

 優雅に、そして高貴になびく水色のそれ。誰の後塵も拝しなかった少女のそれは、汚れ一つなく美しい輝きを放っている。トップスピードにさらされ、流線を描いてしなやかに、そしてたおやかに揺れる髪と尻尾。

 メジロアルダンの前では、本物のアクアマリンさえくすんで見えてしまうのではないか。スマートファルコンが思わずそう感じてしまうほど、本当に綺麗な姿がそこにはあった。

 

 最初のコーナーへと差し掛かる先頭集団。先頭のメジロアルダンのすぐ斜め後ろにスマートファルコンが陣取る形。それは紛れもなく驚異的な猛追であった。

 奇しくも、春のファン感謝祭のダートリレーと同じような展開。あの時と違うのは、スマートファルコンの方が体力を消耗した状態で残り千メートルを残していることと、あれから二人がどれだけ成長したか未知数であったことだ。

 ダート千六百メートルのコーナーは第三コーナーと第四コーナーの二つだけ。第三コーナーにはあの大ケヤキがある。

 コースの内側という一見そぐわない場所で、一際目を引く大木。どうしてここがレースのターニングポイントになるのか、つややかな栗色の髪の少女には何となく分かった。

 

『おーっと! スマートファルコン! ここで外側から強引に仕掛けた!』

 

 それは多分、レースはもう残り半分もないのだと、ありありと現実を見せつけてくるからだった。数字だけがぽつり記された寂しげなハロン棒とは比べ物にならないほど、鮮明に、そして凄烈に。

 

『今日も何かが起きます大ケヤキ周辺! 先頭は九番メジロアルダンと一番スマートファルコン! 横並びのまま最終コーナーへ!』

 

 恐るべき追い上げを見せるスマートファルコンを目の当たりにして、メジロアルダンは心底驚嘆していた。彼女がダートに滅法強いことは百も承知だったが、あの状況からここまで立て直すとはさすがに思いもよらなかった。

 普通に競っては勝てない相手ということは分かっていた。ベストタイムに一秒近い差があるのだから。

 この時点でのメジロアルダンの実力を正当に評価するなら、レース展開次第ではトップもあり得なくはないが、本命には程遠い存在…であった。実力的にはそれくらい不利な状況でスタートしたレース。

 そんな中、レース展開に恵まれた形でここまで先頭を維持してきた彼女。この千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかなかった。

 メジロアルダンはそのたぎる思いを水色の炎に変えて、可能な限り激しく揺らし、燃焼させた。

 

『メジロアルダン、決して前を譲りません! 何という熾烈なトップ争い! 熱いデッドヒートが繰り広げられています!』

 

 そのままの状態で二人は最終コーナーを抜ける。残すはホームストレッチの五百メートルだけであった。

 とはいえ、その地点からおよそ二百メートルは、約二メートルもの起伏を有する上り坂になっている。ラストスパートをかける出走者にとって、ここはまさに正念場であった。

 高まっていく会場の熱気。歓声が沸き立ち、レースが終盤に差し掛かったことを嫌でも二人に認知させる。

 膝から下は、元々茶色の靴下だったのではないかと思わせるほど泥にまみれている。

 ちらりと横を見やる水色の髪の少女。同じく視線を真横へ飛ばす栗色の髪の少女。

 二人は確かに目を合わせた。もちろん、表情を変えたり声を出したりする余裕はない。

 お互い後続のウマ娘たちなんて眼中にない。自分か相手か、どちらかがトップになる。それは明らかであったし、文字通り一騎打ちの様相を呈していた。

 

『残り四百メートル! ここでメジロアルダンが少し前に出たか!』

 

 メジロアルダンが前に出たというより、スマートファルコンが少し遅れたのが実際のところであった。峻烈な上り坂によって、彼女のスタミナは切れ始めていたのである。

 最初のアクシデントが強烈に尾を引いていた。初めてのレースゆえ、冷静さを欠くのは仕方のないことだったかもしれない。これまで何度も練習してきたレース運びやペース配分は、ほとんど意味をなさなかった。

 メジロアルダンだけを見据えて、あらん限りの力を全面に押し出すだけのごり押し。それはまさに泥臭い走りであった。

 負けたくない、ただその一心で後先考えず前に進み続けていた。今その付けが回ってきたのである。

 一方、メジロアルダンはここまで比較的冷静なレース運び。ここまで詰め寄られたことに動揺の色は隠せなかったが、それでもまだわずかにスマートファルコンよりは余力を残していた。

 

『残り三百メートル! 差は一バ身に開きました! メジロアルダン、このまま逃げ切るのか!』

 

 スマートファルコンは焦燥感に埋め尽くされていた。一度も単独の先頭になれないレースなんて、これが初めてだったからだ。

 逃げウマが誰かに先頭を許すということ。それはすなわち敗北を意味していた。ただ、それは最後に追い抜かれての逆転負けがほとんどであり、レース全体で一度も端を切ることなく終えるのは稀だった。逃げウマにとって、これほどまでに屈辱的な敗北はない。

 このまま引き離されて終わってしまう。そんな絶望的な未来が、もう間もなく現実のものになるとしか思えなかった。

 

 右側に広がる観客席。一瞬だけ視線を送ると、そこには大勢の人がいて、割れんばかりの歓声を発していた。

 そこには自身の担当トレーナーもいるし、ミサキちゃんもいる。それはとても心強くて、嬉しいことだった。

 けれど、それで全ての寂しさを拭えるわけではなかった。いつも両親が見に来てくれるというメジロアルダンが、やはり羨ましくてたまらなかった。

 もしここに両親が…お母さんがいてくれたら…そんな身も蓋もないことを考えてしまう。

 不意に、スマートファルコンは母親のことを思い出した。彼女の学院生活の中で、たった一度だけ訪れてくれたあの日のことを──

 

 

 それは彼女が入学して二年目の春のファン感謝祭のことだった。

 この日、スマートファルコンは芝の障害物競走に出場していた。

 母がいられる時間はたったの一時間。娘の出場するそれを見るためだけの来訪であった。その一時間は、多忙を極める仕事の中で運良く捻出することができた、本当に貴重な時間だった。

 障害物競走の結果は八着。残念ながら、最下位に終わってしまった。

 しかし、母はそのことに触れなかった。穏やかな笑みを浮かべて、元気に走り切った娘を労った。

 

「お疲れ様。ファル子が頑張ってる姿を見られて嬉しいわ」

 

「あはは…でもせっかく来てもらったのに最下位じゃしまらないね」

 

 頭をかきながら半分恥ずかしそうに、半分申し訳なさそうに彼女はこぼした。

 

「そんなことないわ。走り終わってからも笑ってたじゃない。楽しそうにしてるみたいで安心よ」

 

「えへへ☆ だってお母さんが見ててくれたんだもん」

 

 今度は半分嬉しそうに、半分誇らしげに彼女は笑った。そんな娘の姿を見て、母は満足そうに目を細めた。

 形のよく似た二組の耳が、どちらもいそいそと上下に揺れている。

 

「でも不思議ね。あんなに砂が好きだったファル子が芝の上を走ってるなんて…」

 

「そうかな? そりゃ、砂の方が好きだけど…ファル子の夢は芝じゃないと叶えられないから…」

 

 彼女の言った夢とは、もちろんトップウマドルになること。それは彼女が子供の頃、母に連れられて初めて見たレースがきっかけだった。

 

「今のはお母さんの独り言よ。ファル子は好きなように過ごしなさいね。誰もファル子の将来を強制なんかしないんだから…生活には苦労してない?」

 

「うん、全然平気っ! トレセンってすっごく楽しいの☆ 走りの方はやっぱりレベルが高くてなかなか厳しいけど…友達もたくさんできたし、卒業まではいさせてほしいな☆」

 

 笑顔で言い終えて、おそるおそるこう付け加える。

 

「そっちの仕事が問題なければだけど…」

 

 不安げに揺れる毛づやの良い尻尾。

 娘を元気づけるように、母は優しい声を響かせた。

 

「こっちのことは心配しなくていいのよ。お父さんも皆も、ファル子のこといつだって応援してる。でも…もしファル子がどうしても苦しくなったら戻っておいで。うちにいる皆、ファル子のことが好きなんだから」

 

「うん…ありがと☆」

 

 彼女は嬉しかった。帰れる場所があることもそうだが、家族が自らの夢を応援してくれていることが何よりも嬉しかったのだ。

 ふと、腕時計をちらりと見やる母。

 その時が訪れたことを察し、スマートファルコンは寂しげな声を漏らす。

 

「…もう帰る時間なんだね」

 

「今日は本当に運良く時間ができたからね。帰ったらすぐまた公演が待ってるから」

 

「うん、それは分かってるけど…」

 

 そのことは嫌というほど理解していた。たった一時間のために来てくれたことにも感謝しているし、そもそも来れたこと自体が幸運であったことも。

 それでも、およそ一年ぶりに再会した母との別れは辛いものだった。

 

「そんな寂しそうな顔しないで。お客さんには常に笑顔を見せないと…でしょ? 最後にファル子の好きなあれ、歌ってあげる」

 

「ほんとっ!? わぁ〜、久しぶりだから嬉しいっ☆」

 

 幼子のように無邪気に喜ぶスマートファルコン。

 母は大きく息を吸い込むと、高らかに歌い始めた。

 

「〜♪」

 

 そこは人通りの決して少なくない通路の片隅。人目も憚らず清らかな音階を奏でていく。

 最初は何事かと訝しんでいた周りの人たちも、その玉を転がすような美声が鼓膜を優しく撫でるものと知るや、うっとりとその人を見やる。

 どんな困難や苦悩も忘れさせてくれるようなメロディに、胸のつかえが下りる思いがする。

 

「〜♪」「〜♪」

 

 いつしかそれはデュエットへと変わっていた。

 

 彼女は思い出していた。好きで好きでたまらないその歌。今でも時たま口ずさんでしまう、心に安らぎを与えてくれるその歌を──

 

 

『残り二百メートル! メジロアルダンがトップをひた走ります! 差は二バ身!』

 

 実況の甲高い声に意識を戻されたスマートファルコン。

 母親との思い出が清涼剤のように体中に駆け巡り、動揺しきっていた心を沈めていく。いつしか彼女は冷静さを取り戻していた。

 まだ出し尽くしていない力がある。落ち着いたことでそれを思い出し、実践する。

 

『あーっと! スマートファルコンここで食い下がる! じりじりとその差を詰めていきます!』

 

 その力とは、担当トレーナーから何度か指摘を受けながら、度々怠ってしまう尻尾の動かし方。

 普段の上下幅の少ないそれではなく、体重移動に合わせてより高く、より低く、極端に躍動させる波打ち方だ。

 効率的な尻尾の動かし方はウマ娘によって様々で、それは本能的に自ずと身につくものである。

 だが、彼女は先天的に尻尾の扱いが不得手だった。それゆえ、自然と身についたそれは、スピードという観点から見ると非効率さをわずかに残していた。すなわち、尻尾が生み出すスピードに対してスタミナが余ってしまう…言うなれば燃料を余らしている状態だったのである。

 しかし、それは尻尾のスタミナを消費しすぎないというメリットも併せ持っており、一概に悪いとは言えなかった。

 今実践しているそれは、一時的ではあるものの、推進力を爆発的に増加させる動かし方。言うなれば、ニトロエンジンのようなものであった。

 足にスタミナは残っていなくても、まだ尻尾にはそれが残っていた彼女。力の限り上下に揺らし続ける。

 尻尾のダイナミックな躍動は、手と足へ連動して強制的にそのパワーを増加させる。

 息を吹き返したようにメジロアルダンとの差を少しずつ減らしていく。

 

『残り百メートル!! 差はわずか一バ身!! 差すか! 差されるか! 勝つのはどっちだ!!』

 

 熱の入った実況。手に汗握る展開。会場全体がざわめき立ち、固唾を呑んでその瞬間を待っている。

 メジロ家のお嬢様があんなはしたない顔をするなんて…ウマドルがこんなみっともない顔をするなんて…そう言われてしまいそうなほどお互い必死の形相。目を見開き、歯を食いしばり、死物狂いで呼吸し、手と足と尻尾をただ懸命に動かしていく。

 彼女たちを突き動かす源は、体力ではなくもはや気力と意地であった。

 泥を蹴り上げ、風を切り裂き、猛スピードで迫るゴール板。

 刹那、つややかな栗色とアクアマリンのような水色が決勝線を駆け抜けた。

 

『一着はスマートファルコン!!! 最後の最後で見事に逆転勝利を収めましたー!!!』

 

 最後の瞬間、頭一つ飛び出したスマートファルコンが先にゴール板を横切っていた。それは肉眼で確認できるぎりぎりの差。時間にしてコンマ一秒ほどであった。

 全てを出し尽くした二人がそろそろと減速していく。テンション高く鳴り響く実況が、勝者の名を高らかに宣言していた。もしそれが聞こえなければ、お互いの勝敗は本人たちにはいまだに分からなかっただろう。それくらい際どい差であった。

 歓喜と悔恨がそれぞれの心を渦巻く。しかし、それを外に出す体力すら残っていない。

 息も絶え絶えに、転倒にだけ気をつけて道なりにトラックを進んでいく。それは、ウィニングランというにはあまりにもみすぼらしく、弱々しい走りだった。

 それでも、ウマ娘の息の入りは早い。バックストレッチに到達した頃には、会話できるほどにまで回復していた。

 ここまで付かず離れず併走していた二人。それはお互いにかけたい言葉があるからだった。

 先に口を開いたのは水色の髪の少女だった。

 

「おめでとうございます。完敗です…」

 

「ありがとう…☆ アルダンちゃんとのレース、すっごく楽しかった」

 

「ええ、私もとても楽しかったです」

 

 楽しかった。それがお互いに伝えたい言葉だった。大切な人のために全力でレースに挑む約束。それを果たし、二人は充足感に満たされていた。

 勝敗という形で明暗が別れはしたものの、そこに遺恨や後腐れは微塵も存在しなかった。

 真っ直ぐに続く砂色の大地を見つめながら、メジロアルダンは優しげな声で言った。

 

「ファン第一号さん、今頃きっと大喜びしているでしょうね」

 

「そうだね…☆ あの子に勝ちをプレゼントできてほんとに嬉しい」

 

「…残念ながら、私の両親にはまたもどかしい思いをさせてしまいました。ですが、次こそ喜んでもらえるよう頑張ります」

 

 言い終えて、その発言が今相応しくないのではないかという不安に駆られ、慌てて付け加える。

 

「あ…気を悪くしないでくださいね」

 

「ううん、勝っても負けても恨みっこなし…って約束でしょ?」

 

「ふふ、そうでしたね」

 

 和やかな雰囲気に心地良ささえ感じながら、二人は併走する。観客席のざわめきも、最も離れたこの場所からはとても静かなものだった。

 いつしか第三コーナーを迎え、左手に大ケヤキが迫ってくる。

 レース中はいかめしく見えたそれも、今は三女神像のような柔和さを、スマートファルコンはそこはかとなく感じていた。

 

「ごめん…私がこんなこと言ったら怒っちゃうかもしれないけど、言わせて」

 

 落ち着きを払った声でそう切り出した彼女。それは、メジロアルダンが発した、両親にもどかしい思いをさせてしまったという言葉に対してのものだった。

 

「アルダンちゃんのお父さんとお母さん、今日のレースを見てきっと喜んでると思うよ」

 

 耳をぴんと逆立てて目を丸くする水色の髪の少女。耳飾りにつけた真っ赤なスカーフが湿った風になびき続けている。

 何も言えなかったのは、そんなことを言われたのは初めてだったからだ。

 つややかな栗色のツインテールを揺らしながら、スマートファルコンは昔を懐かしむように語り出す。

 

「レース中にね、お母さんのこと思い出したの。二年生だった時に、ファン感謝祭に一度だけ来てくれたんだ」

 

 第四コーナーに差し掛かると、いよいよ歓声が強まってきた。勝者を温かく迎え入れる大歓声だ。

 それに負けない声で、彼女はしっかりと言葉を紡いでいく。

 

「障害物競走に出たんだけど、びりっけつでさ…正直恥ずかしくて仕方なかったよ。これじゃ逆に心配かけちゃうんじゃないかってびくびくしてた。それでもお母さんは喜んでくれたの。頑張ってる姿を見ることができて嬉しかったって…☆」

 

 観客たちには目もくれず、メジロアルダンの紫苑色の瞳だけを見つめながら彼女は続けた。

 

「メジロ家のことは何にも知らないけどさ…自分の子供が精一杯頑張る姿に喜ばない親なんて、いるわけないよ」

 

「…そうですね。ファルコンさんの言う通りだと思います」

 

 同じくスマートファルコンの金色の瞳を見つめ返しながら、彼女はしとやかにその声を響かせた。

 

「ウイニングライブが終わったら、両親に来てくれたお礼を言いにいきますね」

 

「私もファン第一号に挨拶しなきゃだね…☆」

 

 にこやかな笑みを浮かべ合う二人。メジロアルダンはその柔らかな眼差しを、スマートファルコンの後方へと向ける。

 

「ファルコンさん。ファン第一号さんだけでなく、皆さんがあなたの笑顔を待っていますよ」

 

 その言葉が合図だったかのように立ち止まる二人。つややかな栗色の髪の少女はゆっくりと振り向いた。

 

「…わぁ〜♪」

 

 そこにあったのは、大勢のお客さんに埋め尽くされた、観客席という名のプレビュースタンド。熱い視線が大接戦を劇的に制した一人の少女に注がれている。それはどこか懐かしい感覚で、彼女の心を喜びと嬉しさで満たしていく。

 

「みんな〜っ!! ありがと〜っ!!」

 

 満面の笑みで観客たちに手を振るスマートファルコン。その視線の先には、ファン第零号とファン第一号の姿が確かにあった。

 勝者の帰還に沸き立つ会場。全身茶色に染まったその少女に、惜しみない拍手が贈られていた。




お疲れ様でした。
レースシーンを書くのは楽しいですが、なかなか難しいですね…。
次回は小分けして三連投(三日連続投稿)するかもしれません。
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