君と夢見た明日へと ──トップウマドルを目指して☆── 作:キビタキ
【第11話】北の大地で ①嬉しい偶然
『この飛行機は、ただいまからおよそ二十分で新千歳空港に着陸する予定でございます。ただいまの時刻は午前十時三十分、天気は晴れ、気温は二十七度でございます。着陸に備えまして、皆さまのお手荷物は、離陸の時と同じように上の棚など、しっかり固定される場所にお入れください』
穏やかで丁寧な女性の声が響く。それはキャビンアテンダントによる機内アナウンス。
整然と敷き詰められた座席。そのほとんどは埋まっている。機内のスクリーンに目をやる人もいれば、黙々とスマホをいじっている人もいる。中には毛布を被って寝ている人も。
東京羽田空港から新千歳空港までおよそ一時間半だ。映画鑑賞には短過ぎるし、雑誌に目を通したり一眠りしたりのちょっとした退屈しのぎでは長過ぎる、そんなフライト時間。
ところどころから聞こえてくる話し声。それはキャビンアテンダントによるドリンクサービスも含まれているが、そのほとんどは家族や知人同士による談笑だ。
俺の隣に座る少女は、このフライト時間をひたすら会話して過ごしていた。
「もうすぐ到着だって☆ 北海道に行くのは久しぶりだなぁ〜」
感慨深げにそうつぶやいたのは私服姿の担当ウマ娘。夏に合わせたピンク色の半袖Tシャツと、淡いブラウンのミニスカート。ちら見えする絶対領域の先で白のニーハイソックスが広大な面積を覗かせつつ、足元は茶色の靴で締めくくられる。彼女が最も気に入っているコーデである。
ファル子の視線は彼女から見て通路を挟み二つ隣の窓際座席、そこに映る澄み渡った空とたなびく白雲を確かに捉えている。飛行機の翼も少しだけ見えているだろうか。
ここからでは見ることは叶わないが、眼下には北の広大な大地が広がっているのだろう。
景色を最も楽しめるその特等席には、目をきらきらさせながら故郷の大地を見下ろす焦茶色の髪の少女の姿もあった。
こちらへと目線を戻して、担当ウマ娘は俺にしか聞こえないであろう小さな声でぼやいた。
「くすん…ファル子も窓側が良かったなぁ…」
続き、物寂しそうにちらりと上目遣いをする。何とかしてあげたいという衝動に駆られるが、いかんせん手の打ちようがない。
「そればっかりは俺に言われてもな…」
同じく小声で答える。
飛行機の窓側席が人気なのは百も承知だ。それは言わずもがな、高度一万メートルから臨む景色は圧巻で、滅多に体験できるものではないからだ。
もちろん、どちらか一人でも窓側の座席であればそちらを譲ったが、残念ながら俺たち二人にあてがわれた座席は真ん中部分だった。どうあがいても、外の景色をじっくり堪能することは不可能だった。
(スペに頼めば代わってくれるんだろうけど、その手はさすがに使えないよな…)
窓際で外を眺めている焦茶色の髪の少女。それはファル子の後輩で、ダートリレーで一緒のメンバーだったスペシャルウィークである。淡い青色のショートジャケットに、花柄が散りばめられた薄桜色のワンピース。健康的な肌色を経て、最下には黄土色のスニーカー。意外にも、彼女の私服姿を見たのは初めてだった。
北海道は彼女の故郷だ。瞬きすらせず見つめている故郷の大地に、きっと家族の姿を思い浮かべているのだろう。うっすらと微笑みを浮かべながら、その瞳をきらめかせている。
ファル子もそのことはよく分かっている。だからこそ、席を変わってなどと頼めるわけもなく、俺以外にはおくびにも出さないでいたのだ。
飛行機が時折がたがたと音を立てながら揺れている。少しずつ高度を下げているのだろう。気流の影響か、時折ふわりとした感覚を催すことがある。
そんな時、一際上下に揺れた機内。ひとしきり続いたその状態に、手と足に力を込めながら思わず声が漏れていた。
どうにもあのジェットコースターのようなふわりとする浮遊感は苦手だった。
出し抜けに、ファル子が肩をつんつんとつついてきた。
「もしかしてトレーナーさん、ジェットコースターとか苦手?」
俺の漏らした声の異質さを、彼女は聞き逃さなかった。その表情は、探偵が犯人の決定的な証拠を掴んだ時のようなそれである。
「あんまり好きじゃないな…」
そう答えたものの、実際はかなり苦手な部類だ。苦手という言葉を出さなかったのは、彼女に対するせめてもの強がりだった。
「ふ〜ん、そうなんだ。ファル子はとっても好き☆ あの迫力と浮遊感がたまらないの…! あれぐらい速く走れたらなぁって、いっつも思っちゃう☆」
いまだ揺れる機内の振動に合わせて、ふわふわと舞うツインテール。いつになくうきうきとした顔がそこにはあった。
「…というわけで、今度友達と遊園地に行こうと思うんだけど、トレーナーさんも来ない?」
唐突な誘いに面食らう。普通に考えれば同い年くらいの女の子だけの集まりのはず。そこに男のトレーナーが現れるのはさすがに場違いすぎる。
「いや、友人同士の集まりなんだろ? そこに俺が混ざるのもおかしくないか」
「大・丈・夫☆ トレーナーさんは引率兼荷物持ちっていう重要な役割があるからっ☆」
「…ああ、なるほどな」
引率という言葉でだいたい察した。おそらく、事前申請なしの門限である午後八時に帰寮が間に合わなかった時の、保険要員ということだろう。
門限を午後十時まで伸ばす事前申請には、名目上やむを得ない事情または生徒としての本分を果たす正当な理由が求められる。例えば本人のレース出走や見学としてのレース観戦などだ。以前、サイレンススズカが大井レース場に来てくれた時は、後者として申請していたはずだ。
遊園地を遊び尽くしたいという理由では、さすがに通るわけもない。
つまり、ファル子の言わんとするところは、早い話が夜遅くまで遊びたいから一緒についてきて、ということである。
(トレーナーは保護者じゃないんだけどな…)
トレーナーや職員の同伴があれば、事前申請なしで午後十時まで外出できるし、帰寮時に書き込む書類に適当な理由を見繕っておき、口裏を合わせておけば大丈夫という寸法だ。それは言ってしまえば"ずる"、とどのつまり不正行為である。
とはいえ、そんな小細工を弄して親や教師をちょろまかした経験が、自分の学生時代に一回もなかったわけでもない。
そう考えると、担当ウマ娘の一度のわがままくらい聞いてあげるのは、やぶさかではないようにも思われた。
「まぁ、引率はいいとしても…荷物持ちは納得いかないな」
「どうして? ミサキちゃんのお店で、『生徒に持たせるわけにもいかない』って言ってたのに」
「随分昔の話を持ち出してきたな…」
あれは確かミサキちゃんのお店に初めて入って、ファル子と鉢合わせした時のことだ。
(一応、ウマ娘より俺の方が非力なはずなんだが…)
真面目な話、成人男性といえど筋力や持久力ではウマ娘に到底かなわない。トレセン学院に通う生徒ならなおのことである。
当然、男として女の子に荷物を持たせるのは気が引けるが、限度もある。
「ファル子だけの荷物持ちなら構わないけど、他の娘のも持たされるのはな…」
「その友達がスズカちゃんでも?」
にやにやと不敵な顔をする彼女。見知ったその少女の名前を出されると、さすがに迷いが生じた。
「スズカの…? うーん、まぁ、それなら…」
「トレーナーさんが荷物持ってくれるってさ、スズカちゃん☆」
意地悪そうに微笑みながら、ファル子は通路を挟んで隣に座る少女へと目を向けた。
「ふふ…二人は本当に仲が良いのね」
静やかな声を響かせたのは朱色の髪の少女、サイレンススズカだった。涼しげな藍白のシャツに、浅葱色の膝丈スカート。一際目を引く黒のタイツの先端には真っ白なシューズ。
外の景色に夢中になっているスペシャルウィークの隣で、たおやかに座していた。
ついさっきまではウマ娘同士で賑やかに話していたが、ここ数分は聞き役に徹していたというわけである。
そう、ファル子の話し相手は俺だけではなかった。三人のウマ娘による談笑プラス時々俺という構図。これによってフライト時間は意外にもあっという間に過ぎていた。
「スズカちゃんも一緒に遊園地遊びに行くよね?」
「…そうね。予定が合えば行きたいわね」
その話題には、先ほどから外を眺めてばかりだったスペシャルウィークも食いついてきた。
「それ、私も混ざっていいですか…!」
「もっちろん☆ トレーナーさんがついてるから何も心配いらないよ〜」
もう完全に参加メンバーに組み込まれている。ファル子お得意の自分のペースに巻き込むやり方だ。
「それなら私、ベタですけどダービースターランドに行ってみたいです! 友達が夜のパレードとかイルミネーションとか最高って言ってて」
ダービースターランドとは、世界的に有名なウマ娘アニメーターによって創立されたテーマパークである。世界中にいくつも存在するが、日本では東京ダービースターランドという名で建設され、国内を代表するレジャーランドの一つとなっている。
「そうなんだ☆ 安心して! トレーナーさんが引率してくれるから夜遅くなっても平気だし☆」
あれよあれよという間に話が進んでいく。こうなるとサイレンススズカの常識的な意見に一縷の望みを託すしかないが…。
「面白そうね。なかなか夜のイベントって見られないもの。日没が早い時期なら楽しめるかもね」
額に手を当ててため息をつく。
何ということだろう。最後の砦と思っていたサイレンススズカまで賛成に回ってしまった。これはもう腹をくくるしかなさそうに思えた。
キャッキャウフフと計画を練る三人のウマ娘たち。その楽しそうな雰囲気を前にして、帰寮が午後八時を過ぎた時の"体のいい理由"を既に考え始めていた。
(もしダービースターランドに行くなら、中山レース場の見学ってことにすれば距離的にちょうど良さそうだな…)
いつになるか分からないが、その時になったら一肌脱ごうと密かに覚悟を決めていた。
しばらくして、シートベルト着用サインと共に機内アナウンスも入った。もう十分と経たないうちに着陸だろう。
俺の隣では、その時が待ちきれないのかいそいそと耳をぴくぴくさせるファル子。通路を挟んでその隣では、目をつぶってリラックスしている様子のサイレンススズカ。そして、さらにその隣では、いつの間にかまた外を眺め続けているスペシャルウィーク。
「外は何が見えるの?」
ぐんぐんと高度を下げていくのが分かる窓の外。好奇心に負けてか、ファル子は焦茶色の髪の少女へと問いかけていた。
「海と山ばっかりですね! でも、もしかしたら故郷の町が見えるかなと思って…!」
「スペちゃんの実家って田舎の方って言ってたっけ」
「はい、それこそ山の中ですね…でもすっごく良いところなんです!」
そう誇らしげに話す彼女の顔は、ファル子とはまた違う明るさを確かに秘めていた。
三人のウマ娘は、それぞれ違う目的で北海道へと訪れていた。しかも、同じ日、同じ飛行機を利用して。
それに気づいたのは、先日まで過ごしていた夏合宿でのことだった──
八月も下旬を迎えた、晩夏の砂浜。
眩しすぎる熱い日差し。じりじりと照らされる砂浜。どこまでも広がる青い海。それはまさしく夏の醍醐味ともいえる光景。
毎日見ているとさすがに感動も薄れてきたが、それでも非日常感には事欠かない。日陰でさえ汗ばむほどの陽気に、体は水分と冷涼な感覚を常に欲している。思わず海に飛び込んでしまいたくなるような衝動は絶えることを知らない。
トレーニング用水着を着用した数多くのウマ娘たちが、各々練習に励んでいる。
砂浜でランニングしたり筋トレに励んだりはもちろん、海辺でしかできないであろう遠泳やビーチバレーに勤しんでいる姿も見受けられる。中でも、巨大なタイヤを体にくくりつけて、単身歯を食いしばりながら引いている生徒の姿は圧巻の一言だ。
基本的に、担当トレーナーを持つ生徒はトレーナーの下で、それ以外の生徒は教官の下でトレーニングを行っている。ファル子は俺の組んだトレーニングを日々こなしている…が、この日は少し趣が違っていた。
「ファル子ちゃん、無難に勝ち進んだわね」
横から聞こえてきたのは女性の声。それは江永トレーナーのものだった。
「本人から強いとは聞いてましたけど、まさかここまでとは思ってませんでした」
そう言いながら見やる先には、うつ伏せになってスタートを待つ六人のウマ娘たち。
次の瞬間、号砲が轟くと一斉に反対方向へと駆け出してフラッグへと飛びつく。
つややかな栗色の髪の少女は、難なくフラッグの一本を掴んでいた。
「まだまだ余裕そうね」
「今回こそは優勝って意気込んでましたから…」
そう、ファル子はビーチフラッグ大会の決勝へと駒を進め、今まさに優勝を争っている最中だった。
それは夏合宿恒例の行事となっていて、希望者は誰でも参加できる。彼女はこれまで欠かさず出場してきたという。
以前、本人からもビーチフラッグは強いと自信満々に聞かされていたが、この快進撃にはさすがに舌を巻くしかなかった。
ルールは簡単。フラッグのある場所から反対を向いたうつ伏せ状態から、号砲によってスタートしてフラッグを取り合う。フラッグは常に走者より一本少ないので、椅子取りゲームの要領で一人ずつ脱落していくのである。
走者からフラッグまでの距離はわずか二十メートル。ウマ娘の身体能力であれば、それこそ一回当たり三秒も経たず終わってしまう。
たとえそんな短距離であっても、やはりバ場適性というのは影響してくるらしい。ダートが得意な娘の方がビーチフラッグにも強い。その傾向があるのは明らかだった。
賞品も何もないその大会。得られるのは栄誉だけではあるが、参加者およそ百名の頂点というのはさぞかし誇らしいだろう。
ちなみに、ファル子に誘われスペシャルウィークとメイショウドトウも参加していたが、前者は二回戦敗退。後者は…やはり素晴らしい転倒を見せての初戦撃沈であった。
「いっつも思うけど、ファル子ちゃんってどうしてあんなに強いの? 毎年必ず準決勝以上に進むのよね」
江永さんが感心とも怪訝とも取れる声を発しながら首を傾げていた。その答えはダート適性を持っているということくらいしか思いつかないが、他に思い当たることがあるとすれば…。
「子供の頃から砂の上でよく遊んでいたとは聞きましたけど…」
「そっか…生まれ持っての才能もそうだけど、幼少期の過ごし方も影響してるのかもね」
その答えで納得がいったのか、彼女なりの結論に達していたようだった。
もちろん、実際はうつ伏せから反対方向へ体を翻す上手さが最も大事で、そこに反射神経の良し悪しや運が絡んでくるといった具合だとは思う。そこにダート適性が加われば鬼に金棒というところだろうか。
うつ伏せ状態の五人のウマ娘と、四本のフラッグ。灼熱の陽光が彼女たちの背を容赦なく照りつけている。残り四レースで最後まで残った生徒が優勝だ。
号砲が鳴り響き、ファル子はまたもや順調にフラッグを獲得した。
「そうそう、この前カヤちゃんから聞いたわ。カヤちゃんの大親友が、ファル子ちゃんの元クラスメートだって」
「そうなんですよ。意外な繋がりですよね」
「それも北海道の小学校だったんでしょ?」
「ですね。ファル子は転校が多かったらしいですから」
それはデビュー戦前日の高架下ライブ終了後のことだった。カヤクグリから何やら話しかけられていたファル子。それはカヤクグリの大親友であるミコアイサというウマ娘に、もし機会があれば会ってほしい…というお願いだったそうだ。
ミコアイサとファル子は元クラスメートで、とても仲が良かったらしい。カヤクグリからその名前を聞いて、すぐに容姿や性格を思い出せたほどだ。
ミコアイサは以前アップしたMVP受賞動画経由でファル子のSNSをたまたま発見し、同時にトレセン学院に通学していることを知ったという。
そして、連絡先を知っていた大親友のカヤクグリの伝手で、ファル子にその話が伝わったという流れらしい。掻い摘んで言えば、もし北海道に来ることがあればまた会いましょう…という内容である。
(世間は意外に狭いんだな…)
思わずそう感じてしまう。幼少期に転校を何度も繰り返したというファル子。全国には彼女を知っている同級生がたくさんいるのかもしれない。
ちなみに、実はカヤクグリもミコアイサと同じ小学校にいたのだが、その時たまたまクラスが違っており、ファル子とはまさかのニアミスだったようだ。
四人のウマ娘と、三本のフラッグ。
号砲が鳴ったかと思えばあっという間に終わる一戦一戦。この瞬間、ファル子のトップスリーが確定した。
江永さんが面白くなさそうな顔をしている。それは勝ち残りにライバルの担当ウマ娘、キンクロハジロの姿があるからだろう。カヤクグリは残念ながらキンクロハジロに破れ、準決勝敗退だった。
ちなみに、掛巣さんはこちらから見て反対側からビーチフラッグを観戦している。この二人の位置関係はだいたいいつも正反対だ。
「北海道といえば、スペの出身もそうでしたよね?」
その気を逸らそうと、額の汗を拭いながらとっさに話を振ってみた。
「そうね。来たばっかりの時は全然都会慣れしてなかったけど、最近は垢抜けてきたわ」
「確か札幌から少し離れたところに実家があるって言ってましたね」
「らしいわね。結構田舎の方みたいよ。ただ、明日から帰省制度を使って実家に帰っちゃうのよね、スペちゃん」
国内はもとより、海外からも生徒が集うトレセン学院。年端もいかない生徒たちの心情を考慮し、帰省制度が設けられていた。行事や自身の日程と相談しながらではあるが、生徒が任意のタイミングでまとまった休日を取れるという制度である。
もちろん、スペシャルウィークがこの時期を選んだのはたまたまに過ぎないだろう。
「えっ、そうなんですか」
ただ、ちょっとした偶然に驚いてしまった。それはファル子も明日、先ほどのミコアイサの件で北海道へ遠征に行くことになっていたからだ。
「実は俺とファル子も札幌レース場のレースに出走するんで、明日が移動日なんですよ」
それを聞いた江永さんも、自身のポニーテールを揺らすくらいには驚いていた。
「それ本当…? だったらもちろん飛行機で行くわよね。スペちゃんと同じ便だったら、とんでもなく近い座席になるかもしれないわよ」
「そうなんですか…?」
「学院って出走でも帰省でも、同日に申請があったらひとまとめに座席取っちゃうから。そのおかげで掛巣君のグループと隣同士になった時は、さすがに気まずかったけどね…」
苦々しい目で、反対側に佇む深緑色の眼鏡をかけた男性トレーナーへと視線を送っている。送られた側は、それを知ってか知らずか穏やかな笑みを絶えず浮かべ続けていた。
(ファル子にスペのことを教えたら、きっと驚くだろうな…)
二人の先輩トレーナーには悪いが、今はそのことで頭がいっぱいだった。
優勝決定戦への切符となる二本のフラッグ。
合図の音が鳴り終わる頃には全てが決していた。
ファル子のにこやかな笑顔が見える。緊張感を微塵も感じさせないそれは、ただ無邪気に遊んでいる…そんな表情だ。
ちらっとこちらを見て、手を振る余裕さえあった。こちらも手を振って応えると、いつもの決めポーズが帰ってきた。それは優勝した時のために取っておくべきでは…というのはいらぬ心配だろうか。
連日の晴天で健康的に日焼けした肌に、砂粒が満遍なく付着している。何度も砂にダイブしてきた彼女は、当然のことながら顔も髪も尻尾も砂にまみれていた。
「私はファル子ちゃんを応援するわね。というか決勝が始まってからずっとしてたけど」
きっぱりと断言する江永さん。それもそのはず。最後に残った二人は、ファル子とキンクロハジロだったからだ。
うつ伏せになった二人。そして一本だけのフラッグ。最後の一戦を固唾を呑んで見守る観衆。
普通なら心臓がばくばくと脈打つところだが、不思議と落ち着いていられた。それは、ファル子自身が落ち着いていて、優勝を目指しているというより単純に楽しんでいるように見えたからだ。もちろん、俺のただの思い込みかもしれないが。
刹那、号砲が砂浜に轟いた。
勝負はまさに一瞬。ほんのわずかなスタートの差が明暗を分けたのかもしれない。
栄光のフラッグ、真っ先にその手で触れたのは…。
──
空一面の夕焼け色。西に山を構えるこの場所で水平線に沈む太陽は見られないが、橙色に照らされるゆらゆらとした水面はいつだって美しい。
憂愁に満ちた黄昏時。照明設備のない砂浜では、夕方の訪れがトレーニング終了を告げる。
ウマ娘たちの喧騒も今ではほとんど聞こえない。心を落ち着かせる潮騒の優しいメロディが、波打ち際でとめどなく奏でられている。
砂浜に腰掛け、ほんのわずかに暗みを含んできた水平線を見つめる一人の少女。つややかな栗色の髪は赤みを帯びて、ツインテールは穏やかな潮風に揺れている。
彼女にとって、今年の夏合宿は今日が最後だった。楽しくてたまらない砂浜でのトレーニング。芝のことを気にせず打ち込めたそれは、砂地に愛された彼女にとってまさに格別であった。
「また来年だね…」
誰に言うでもなく、彼女は無意識に独り言ちた。
ふと、そこにたまたま通りかかったもう一人の少女。天から降り注ぐ橙色の光が、彼女の朱色の髪をより深く鮮やかに染め上げている。
「あ、先輩、お疲れ様。ビーチフラッグ大会、準優勝だったらしいわね」
真後ろからの声掛けに彼女は体をびくっとさせたが、その声が友人のものであると悟ると、ゆっくり振り返った。
「あは☆ もう知ってたんだ。最後の最後で負けちゃった…☆ でも楽しかったから気にしてないよ♪」
さっと立ち上がりながら、彼女はあからさまに強がってみせた。悔しくないと言えば嘘になるが、また来年の目標ができたと前向きに捉えていた。
「そうだったのね。来年の優勝を祈ってるわ」
「えっへへ…応援ありがと☆」
そう言って、水平線を見やる彼女。朱色の髪の少女もつられるように同じものを見つめる。二人に共通していたのは名残惜しいという感情であった。
「この景色も今年はこれで見納めね…」
「え? スズカちゃん、夏合宿今日までなの?」
「ええ、明日から遠征に出かけることになってるから」
顔を見合わせる二人。先輩は目を丸くして言った。
「ほんとに? それじゃあファル子と一緒だね。ファル子も明後日レースがあるから、明日は移動日なんだ。何のレースに出るの?」
「札幌記念よ。札幌レース場で明後日行われる重賞競走ね」
「ええ〜っ!?」
驚きの声と共に大きく跳ね上がる尻尾。
彼女は耳を疑った。それは自身の行き先と全く同じだったからだ。
サイレンススズカの札幌記念出走は先日発表されていた。しかし、合宿所というある意味隔離された状況でトレーニングに打ち込む日々では、他者の出走について知る機会は少なく、スマートファルコンにとってはこれが初耳であったのだ。
「ファル子たちも札幌レース場で明後日レースだよ! スズカちゃんと違ってただの一般レースだけど…」
「そうなの…? まさかそんな偶然があるなんて驚きね」
片や大きく尻尾を振り回し、片やリラックスしたように尻尾を静かに揺らし、反応が対称的な二人。
いまだに自身の耳が信じられないのか、逆立つそれをぴくぴくさせながらスマートファルコンは問いかけた。
「もしかして、明日は九時二十分の飛行機に乗るとか?」
「そうね…確かその時刻だったはずよ」
「あれあれ! もしかして同じ飛行機かも!? だとしたら座席も近いのかな☆」
「かもしれないわね。学院は座席を一括で予約するから、同じ便の隣同士になりやすいっていうし」
まさかの展開にスマートファルコンは胸を躍らせていた。トレーナーと二人きりの遠征になると思っていたところに、ずっと一緒とはいかないまでも友人と同伴できるとなれば、嬉しくないはずがなかった。
「わぁ〜☆ 同じレース場にスズカちゃんがいるってだけでとっても心強いなぁ」
「そうなのかしら…? でも、そう言ってくれて何だか嬉しいわ。ありがとう」
夕暮れ時の涼やかな空気をまとわせながら、サイレンススズカはにこりと微笑んだ。
「だってだって、スズカちゃんはファル子の憧れだもん☆」
後輩のその笑顔に負けじと、スマートファルコンも頬の端を吊り上げた。
次いで、得意満面に数十分後の未来を妄想する。
「トレーナーさんにスズカちゃんのこと話したら、きっとびっくりするだろうなぁ…☆」
「ふふ、でしょうね」
先輩の楽しそうな様子に、後輩はくすくすと笑いながら同意していた。
潮騒というメロディに、話し声が詞となって歌を紡ぎ上げていく。
辺りが暗くなるまで、時折水平線を見つめながら二人は語り合ったのだった。
お疲れ様でした。
これで50回目の投稿となりました。
ファル子ちゃんだけで100回を超えるかも…?
ダービースターランドという名前は、ゲームアプリのサークルメンバーが考えてくれました。
登場するウマ娘たちの出走するレースですが、ゲームアプリや史実はあまり気にせず、作者の思うように展開します(さすがにその娘を代表するG1レースには出す予定ですが…)。
また、小説内にて特筆すべきことがない限り、適性はゲームアプリに準拠します。