君と夢見た明日へと ──トップウマドルを目指して☆──   作:キビタキ

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【第11話】北の大地で ③故郷の風景

 一両編成の列車が、故郷の最寄り駅に到着した。その駅舎は小さく簡素だ。

 

「やっぱ故郷の空気はうまいっぺ〜」

 

 先頭を切って降車した彼女。体と尻尾をあらん限りに伸ばしながらリラックスしている。

 

「わぁ〜、綺麗な景色だねっ☆ こういうところに来たの久しぶりかもっ!」

 

 つられるように担当ウマ娘も明るい声を上げる。

 高く澄んだ空一面の青色に、綿菓子のような雲がぽつぽつと浮かんている。

 辺り一面見渡す限りの山。なだらかな丘陵地帯にある人家もまばらで、まさにノスタルジックな風景。

 いかにもな田舎はとても久々に来た気がする。日本中どこにでもありそうなのに、意外に足が遠ざかっていたような場所だ。

 とはいえ、ここは北海道。季節が変わればその景色は一変するのだろう。

 

「ここも冬になると雪が積もるんだよな?」

 

「ですよ〜! うんざりするってくらい降り積もります!」

 

 得意げに答えるスペシャルウィーク。とてもうんざりしているように見えないのは、故郷に帰ってきた嬉しさに満たされているからだろうか。

 

「この暑さだととても信じられないけどな…」

 

 照りつける日差しを手で防ぎながら、それは思わず口をついていた。

 一見涼しそうなロケーションではあったが、あいにくの無風状態ということもあり、思いの外体感温度は高い。

 ウマ娘二人も、おそらく無意識のうちに耳と尻尾をぱたぱたとしきりに動かしている。

 勝手なイメージで、北海道といえば避暑地という印象があった。だが、八月というほぼ真夏の時期では、それは盛大な思い違いであるようだった。山の中とはいえ、けたたましいセミの鳴き声に衰えを知らない日差し。先日まで過ごしていた夏合宿との違いが、どこにも見当たらないように思えた。

 

「お母ちゃんが車で迎えに来てくれるので、それまで駅舎で待ちましょう」

 

 その一言に促され、陽光から逃れるようにそこへと入る三人。さっきの列車で降車したのは、俺たちだけだった。

 掘っ立て小屋のようにぽつんと建てられた駅舎。その小さな見た目の通り、中は当たり前のように無人だった。あるのは簡易なベンチと発車時刻表、そして券売機といくつかのポスターだけ。本当に質素な空間だった。

 

「次の便、一時間後だね」

 

 ファル子が時刻表を見ながらつぶやく。同じ物に目を通すと、次の次の便が二時間後、さらにその次の便が三時間半後だ。

 秘境駅とまではいかないが、便数の少なさが人里離れた地であること物語っていた。

 一方、駅舎の入口付近できょろきょろと外を見やるスペシャルウィーク。

 

「お母ちゃん、いつも時間ぴったしに来るんですけどね。近所のお手伝いでもして遅れてるのかも…」

 

 不安を漏らした後輩へと、先輩は気さくに語りかけた。

 

「別に急いでないし、気にしなくてもいいよ☆ ね? トレーナーさん」

 

 明日レースを控えているとは思えないほどの余裕を見せるファル子。元々無理なお願いをしたのはこちらなのだ。多少のアクシデントが起きたとしても、それは問題なく許容できた。

 

「ああ、のんびり行こう」

 

 額からしみ出る汗を手で拭いながら、そう相槌を打った瞬間だった。

 

「あっ、来た来た!」

 

 歓喜を含ませた声が響いた。その声の主へそろそろと歩み寄る俺とファル子。

 視線の先には一台の白い車。ナンバープレートは黄色である。

 そう、それはこの郷愁あふれる景色に最も似つかわしいであろう、軽トラだった。

 駅舎の入口前へと無造作に停められたそれ。矢も盾もたまらず駆け出していくスペシャルウィーク。

 

「お母ちゃ〜ん!」

 

 颯爽と運転席から出てきたのは金髪の女性だ。臙脂色のキャップを逆さに被り、その長い髪は後ろで一つ結びにしている。

 農作業でもしていたのだろうか、ボロボロのジーンズの裾には土が付着している。

 

「おかえり。元気そうだね。さ、乗って」

 

 その手は助手席へ座るよう促している。まだこちらには気づいていないようだ。

 

「お母ちゃん、実はお友達が来てくれてて…」

 

「えっ? あんた、お友達って…」

 

 そこへすたすたと入り込んでいくファル子。

 

「はじめましてっ☆ スペちゃんとダートリレーで同じメンバーだった、スマートファルコンです☆」

 

 ステージに登壇した時のような前口上で、彼女はすらすらと言ってのけた。

 一方、母親は突然の出来事に目を白黒させていた。

 

「スマートファルコンって…あのスマートファルコンちゃんよね…?」

 

「できればファル子って呼んでほしいなぁ…なんて☆ いつもスペちゃんにはお世話になってます☆」

 

 俺の自己紹介を挟む余地もなく、ファル子がぐいぐいと突っ込んでいく。初対面の人でも気にせず向かっていく姿は頼もしく見えた。

 

「…あっ、そうそう。この人は私のトレーナーさんです☆」

 

 そう言って、ようやく俺の出番。まるで何かのおまけのような扱いが腑に落ちないが、担当ウマ娘に目立った粗相でもない限り、今回はあくまで裏方に徹するつもりでいた。

 

「どうも、はじめまして。ファル子のトレーナーです。今日は突然押しかけてしまって、すみません」

 

「あ、はい、スペシャルウィークの母です。娘がいつもお世話になっております」

 

 慌てて頭を下げるその表情には困惑の色が見て取れた。目まぐるしく進展する状況に、まだ理解が追いついていないようだった。

 だが、その困惑の原因は、娘の友人の予期せぬ来訪によるものだけではなかったようだ。

 

「…あの、感謝祭の時にチラシ配ってたトレーナーさんですよね?」

 

「チラシ…? あっ、もしかしてあの時の方ですか!」

 

 記憶の深海にかすかにたゆたっていた断片。チラシの一言でそれは鮮明に思い出された。

 春のファン感謝祭の日。挨拶兼チラシ配布係として、なぜか男は俺一人という男女比でトレセンの入口に駆り出されていた。あの時、話しかけてきた金髪の女性がいた。

 記憶の中の顔と、今目の前にある顔が一致する。北海道から来たと言っていたその人が、まさかスペシャルウィークの母親だとは思いもよらなかった。

 何せ今と違ってキャップも被っていなかったし、他にたくさんのお客さんがいたからすぐには思い出せなかったのだ。

 

「まさかスペのお母さんだったなんて…奇遇ですね」

 

「本当にその通りで…でもどうしてわざわざこんな片田舎に…?」

 

 さすがあまりにも舌足らず過ぎたので、ここまでの顛末を掻い摘んで話した。

 

「なるほど…それでわざわざ。ファル子ちゃん、ありがとね」

 

「どういたしまして☆」

 

 今日のファル子は妙に礼儀正しい気がする。トレーナーや先輩にも割と遠慮せずずかずかいくのに、この時ばかりはしおらしい。学院関係者以外にはこんな感じなのだろうか。

 

「お母ちゃん、この後だけど…」

 

「もちろん、こんなところまで来てもらってこのまま返すわけにはいかないべさ」

 

 娘の言葉に、母親は背筋をしゃきっと伸ばした。

 

「自宅の方に来ていただいてよろしいですか? お時間が大丈夫であれば…」

 

 いえ、お構いなく…とはもちろん言えなかった。それもそうだ。ここまで来て軽い挨拶だけで終わるわけもない。最低限おもてなししたくなるのが人情というものだ。次の電車まで時間もあるし、ここは素直に言葉に甘えることにした。

 

「お気遣いありがとうございます。お邪魔させていただきます」

 

 金髪の女性は微笑みながら頷いた。

 ただ、ここで一つ疑問が生じた。当然のことながら、軽トラの座席は運転席と助手席の二つしかない。

 唐突に、軽トラの荷台でどすんと音がした。スペシャルウィークが自身の旅行カバンを放り込んだようだ。

 

「お母ちゃん、私は走っていくよ…!」

 

 駆け足のポーズを取りながら、気合に満ちた表情を浮かべている。

 

「そりゃ当たり前だっぺ。明日レースのファル子ちゃんを走らせるわけにはいかねーべさ」

 

 言い終えて、申し訳なさそうにこちらへと振り返る。

 

「もちろんトレーナーさんもですけど…」

 

「俺は荷台に乗りますよ」

 

 見たところ、荷台にはまだまだ十分なスペースがある。全員分の荷物を乗せても余裕があるくらいだ。

 それに、俺は相も変わらず上下ジャージのいつものスタイル。軽トラの荷台がぴったりだろう。

 

「それならファル子も荷台に乗りたいな〜」

 

 担当ウマ娘の朗らかな声が不意をついた。

 毛づやの良い尻尾を盛んに振り回して上目遣いをしている。

 

「せっかく初めての土地に来たんだもん。見晴らしの良いところで楽しみたいなって☆」

 

「うーん、俺は別に構わないけど…」

 

 そう言いながら、焦茶色の髪の少女へと目線を移す。

 

「それならスペに助手席に座ってもらうか」

 

「えっ、いえいえ、私は走りますから、先輩が助手席に乗ってください…!」

 

 手を激しく横に振って遠慮するスペシャルウィーク。しかし、ファル子はそれでも動じなかった。

 

「ううん、平気☆ スペちゃんはお母さんの隣に座ってあげて」

 

「…だってさ。スペ、助手席に乗って」

 

「え…でも」

 

「いいからいいから」

 

 渋々といった様子で、母親に指示されるまま助手席へと乗り込んだ後輩。それを見て、荷物と共にひょいと荷台へとお邪魔する。

 

「ふっふ〜ん♪ 一度ここに乗ってみたかったの〜☆」

 

 ファル子はその身体能力を生かして、鈍臭い俺よりも軽やかに乗り込んでみせた。

 

「窮屈ですみません。しかもこんな軽トラの汚い荷台で…もし分かってたら普通の乗用車で来たんですけど」

 

「気にしないでください。急に押しかけたのはこちらですし」

 

「十五分もすれば着くんで、それまでよろしくお願いします。座る時はそこの新聞紙を使ってください。なるべくゆっくり走りますから」

 

 そう告げるや、運転席へと乗り込み、ばたんと閉じられるドア。その間際、「お友達連れてくるんだったら、早めに連絡せんと駄目だべさ」と娘をたしなめる声が聞こえた気がする。ただ、それは単なる叱責ではなく、どこか嬉しさが込められた照れ隠しにも感じた。

 

(きっと喜んでくれたよな…)

 

 娘が友達を連れて帰ってきたこと、そしてファル子が伝えたかった感謝の気持ち。それはきっと胸を打つはずだと、そう思いたかった。

 スターターが鳴り響き、うなりを上げるエンジン音。次いで、じりじりと動き出した軽トラ。何かのアトラクションみたいで楽しい。ファル子も同じように感じているのか、耳をいそいそと上下させながら笑っている。

 軽トラの荷台には農具やキャリーボックスが乱雑に置かれていた。その片隅にあった新聞紙を敷いて、キャビンを背もたれにして座り込んだ。

 ちょうど二人が座れる幅。今まで色んな場所で隣同士で座ったが、軽トラの荷台はもちろん初めてだ。

 

「〜♪」

 

 聞き慣れたあの鼻歌を口ずさむ彼女は、いつになくうきうきとしていた。

 荷台に飼い犬を乗せて走る軽トラは田舎でよく見る光景だが、まさか自分たちが乗る側になるなんて思いもしなかった。

 がたがたと揺れる荷台。信号なんてない農道をノンストップで進んでいく。日差しこそ防げないが、暑さにもだえていた体をちょうどよく冷ましてくれる。そんなスピード。さながら遊覧船に乗っているかのようだ。こちらに配慮してゆっくりと走行してくれているのだろう。

 お世辞にも乗り心地が良いとは言えなかった。その振動は、時折舞う柔らかな風と共に彼女のツインテールを常に揺らした。それに合わせて、彼女愛用の洗髪剤の香りが鼻をくすぐった。

 見渡す限りの田舎の風景。耳を澄ませば風の歌が聞こえる。

 ファル子は目をきらきらさせて自由気ままに振る舞っていた。身を乗り出して青と緑に埋め尽くされた景色に食い入ったり、助手席に座るスペシャルウィークとキャビンの窓越しに手を振り合ったり、無邪気な少女の姿をありありと見せつけていた。

 

「ここがスペちゃんの故郷なんだね」

 

 進んでも進んでも変化に乏しい景観。それでも彼女にとっては新鮮に映るらしい。感慨深げにそう漏らしていた。

 

「ファル子の故郷はどんな感じだったんだ?」

 

 彼女が幼少期から転校を繰り返していたことは知っていた。その上でそう問いかけていた。

 

「う〜ん、これだっていうイメージは無いんだよね。都会でもないし田舎でもないし…」

 

 やはり明確な故郷の印象というのは持ち合わせていないようだった。仕方ないこととはいえ、どこか可哀想にも思えた。

 それでも、彼女は自信満々に言った。

 

「お父さんとお母さんがいるところがファル子の故郷かな。場所なんて関係ないよ☆」

 

 曇り一つないその笑顔に、一瞬どきりとした。それは、彼女の言うことが紛れもなく真理だったからだ。

 

(いつか直接見せてあげないとな。ファル子のご両親に彼女の晴れ姿を…)

 

 娘の元気な姿を見て喜ばない親はいない。そう、もたれかかる真後ろで、楽しそうに語らっているあの母親のように。

 澄み渡る一面の青を見上げながら、そんな明るい未来を夢見ていた。

 

 しばらくしてたどり着いたのは、山間にぽつんと佇む一軒家だった。いかにも日本的な平屋の木造建築。二つ前の年号の時代以前に建てられたことは間違いないであろうそれは、このノスタルジックな空間に違和感なく溶け込んで、貫禄さえ感じるほどだった。

 

「お邪魔します」「おじゃましま〜す☆」

 

 導かれるまま横開きの玄関をくぐり、案内された和室のテーブルの前で正座する。出力全開の扇風機が休みなく往復を繰り返している。

 その部屋には仏壇があり、写真が備えてあった。それは焦茶色の髪をしたウマ娘の写真。スペシャルウィークよりも大人びた印象を受ける優しい笑顔。どことなく彼女の面影があるように見えた。

 同じ物をファル子も黙って見つめていた。心の中で「あれがスペちゃんのお母さんなんだね…」とつぶやいているような気がした。

 スペシャルウィークの産みの母が、彼女を産んですぐ亡くなってしまったことは、ファル子から聞かされていた。

 

「すみません、お待たせしました」

 

 お盆にお茶を乗せて現れたのはスペシャルウィーク。二人の視線がそこへ向けられていることを知るや、やにわに声を上げた。

 

「あっ、それもう一人のお母ちゃんです」

 

 テーブルの側に膝をついて、湯呑みを丁寧に配っていく。

 

「最近お母ちゃんに似てきたって言われるんですけど、似てますか?」

 

 そう言われて、まじまじと写真の女性と目の前の少女を見比べる。

 

「目の辺りとかかなり似てるよな」

 

「うんうん、そっくりだよね☆」

 

「あはは…やっぱりそうなんですね。自分だとあんまりよく分からないから…」

 

 頬を赤らめながら、焦茶色の髪の少女は照れ笑いしていた。

 次いで、金髪の女性もお盆を手に現れた。臙脂色のキャップはもう外してしまっていた。

 娘と同じように丁寧な所作でお皿を配膳する。小さなそれ一つ一つに乗せられているのは、見るからにふわふわとしたカステラ。それも、少し赤みがかっているところを見るとにんじんカステラのようだ。

 

「こんなつまらない物しか出せませんけど…」

 

「いえいえ、とんでもないです。ありがとうございます」

 

 まるで来客を知っていたかのような上等なお菓子。もしかしたら、それは帰ってきた娘と家族水入らずで楽しむためのものだったのかもしれない。

 そう思うと喉がつかえそうになるが、残すわけにもいかないし、ありがたくいただこうと意を決した。

 フォークを使っておそるおそる口に運ぶ。

 

「…美味しい」

 

 口に手を当て、思わず漏れた感嘆の声。

 芳ばしい香りと絶妙な味わい。口の中でほろりととろけて、にんじんの持つ甘さ、砂糖の甘さ、蜂蜜の甘さが織り成す素敵なハーモニー。

 

「わぁ〜☆ これトレセンの食堂のより美味しいんだけど☆」

 

 ファル子もすかさず黄色い声を上げていた。彼女の大好物であるキャロットケーキ、それに勝るとも劣らない美味しさがそこには秘められていた。

 

「うーん、やっぱお母ちゃんの作るにんじんカステラは最高にうまいべ…!」

 

 思わず耳を疑った。もちろん、普段の彼女なら聞くことのできない方言にではなく、これがお手製であるということに対してである。

 

「これ、手作りなんですか…?」

 

「ええ、お客さんにお出しするには恐縮ですけど…味の方は、まぁ自信がありますから」

 

 金髪の女性は満足そうに頬を緩めていた。語尾に込められた力強さが、その自信を物語っていた。

 

「もし良ければ、おかわりもありますよ」

 

 その得意げな眼差しは、俺にではなくツインテールの少女へと向けられていた。

 

「ありがとうございます☆ とっても美味しいからよろしくお願いします♪」

 

 彼女らしくない語尾だが、しゃべりはいつものおちゃらけたファル子だった。

 ふっと目を細めて、金髪の女性はささやくように言った。

 

「ファル子ちゃん、ありがとね」

 

「…?」

 

「スペはそそっかしくて、都会のこと何にも知らないもんだから心配してたけど、何とか上手くやってるのはファル子ちゃんやお友達のおかげなんだよね」

 

 その傍らで、俯き加減に頭をかいている娘。それを一瞥して、最後にこう付け加えた。

 

「これからも娘と仲良くしてあげてね」

 

 そう言って、彼女は部屋を後にした。

 残されたのは、恥ずかしそうに耳を垂れるスペシャルウィークと、同じく面映そうにはにかむファル子。目を合わせて、声を出さないまでもくすくすと笑い合っている。

 

(微笑ましいな…二人とも)

 

 何とも言えない心地良い空気に満たされて、そのしじまはおかわりのカステラがやって来るまで続いた。

 

 テーブルの両脇にウマ娘、対面に金髪の女性。自然と形成されたその配置。お茶を一口すすり終えて、対面の女性はいまだにんじんカステラを堪能するファル子へと声をかけた。

 

「材料のにんじんと卵はうちで取れたものなの。蜂蜜は近所で養蜂してる人からもらったんだけど、これがなかなか相性が良くてね」

 

「へぇ〜、材料も地元の物なんだ…すっごいなぁ☆」

 

「一応、うちは農業とか畜産で暮らしてるからさ。ご近所さんからのお裾分けもあるし、大概の物は買わずに済んじゃうのよね」

 

「それに、お母ちゃんは魚釣りも上手だから本当に何でも揃っちゃうんです…!」

 

 人差し指を立てて自慢げに話すスペシャルウィーク。

 彼女が"どさん娘"であることは知っていたが、ここまで自然豊かな北海道らしい暮らしをしていたのは驚きだった。

 

「ファル子は畑仕事も魚釣りもしたことないよ。こういう生活もちょびっと憧れちゃうかもっ☆」

 

「自然と付き合いながら自由気ままに暮らせるけど、その代わり毎日が仕事みたいなもんだからね。それが苦じゃないならやっていけると思うよ」

 

「あは☆ 何だかファル子に似てるかも。ウマドルはファンのために毎日トレーニングとライブ練習だし、子供の頃からお休みなんてあってないようなものだったから」

 

 にこにこと自らのことを語らうファル子。

 そこへ届いたのは予期せぬ言葉だった。

 

「そういえば、先輩のご両親って何されてるんですか?」

 

 後輩はそう問いかけていた。それは話の流れで飛び出した、何の他意もないであろう普通の質問。

 だが、その問いかけに俺は思わず息を呑んだ。ファル子の方を見ると、案の定「えっとね…」と逃げるように湯呑に手を伸ばし、それを口に含みながら少し困り顔をしていた。

 おしゃべり好きなファル子は、言いたいことはいつも自分から話してくれる。そんな彼女も、家族の仕事のことだけは不思議と口にしなかった。周りの友達が家族の話をし始めても、俺がそれとなく振っても、そのことだけは明かそうとしなかった。

 それはたまたまなのか…もしそうでないなら多分理由がある。だから、そのことは今まであえて聞かないでいた。

 一呼吸置いて、彼女はとつとつと答え始めた。

 

「何ていうのかな…色んな人と集まって各地で公演してるの。劇団ってわけじゃないし、雑技団…とも違うけど、強いて言うなら旅一座って感じ?」

 

 どこか浮世離れした回答に、一同きょとんとしている。もちろん、世の中にはたくさんの職業があるし、それで生計を立てている人がいることも何となく知っていた。ただ、そういう人が身近にいるかと言われれば、ほとんどがノーと答えるだろう。

 

「たまにやって来るサーカス団みたいな感じですか?」

 

 後輩がそう問いかけると、ファル子はうんうんと頷いた。

 

「お仕事の流れはあんな感じかな。何ヶ月か同じ地域に留まって公演するの」

 

「へー、珍しいお仕事ね」

 

 後輩の母の言葉に、いつもなら考えられないほどしおらしく彼女は応じた。

 

「あはは…皆からそう言われるね…☆ お父さんは座長をしててさ。もちろんお母さんも座員で、物心ついた時にはちょこちょこ公演に出させてもらってたんだ」

 

「めちゃくちゃ凄いじゃないですか…! それじゃ、こう…ジャグリングみたいな技とかもできたり?」

 

 スペシャルウィークが両手をぽんぽんとお手玉のようにジェスチャーしている。

 

「座員にはそういうのができる人もいるよ。まぁ、私は曲芸はからっきしだったけど…☆ だからダンスとか歌でお手伝いしてたの」

 

「なるほど…! 先輩がライブパフォーマンス上手なのって、小さい頃からだったんですね!」

 

「やっぱり子供の頃からやってると堂に入るものだよね。スペには畑仕事も魚釣りもやらせてきたのに…何でかなぁ」

 

「もうっ、お母ちゃん…!」

 

 笑い声と共に楽しげな雰囲気に包まれる和室。そんな状況でも、俺は黙ったまま考え込んでいた。

 初めて聞くことばかりだった。まさか座長の娘として生まれて、幼少期から本番の舞台に出演していたとは夢にも思わなかった。

 しかし、これで合点がいった。ファル子が人前で全く物怖じしないのは、幼い頃からステージに立っていたからだろう。それが当たり前の環境で育てば、緊張とは無縁になるわけだ。

 その後も質問攻めにあうファル子。その顔は戸惑いながらも、確かに嬉しさが垣間見えていた。どうやらまんざらでもないようだった。

 

 話に花を咲かせていると、あっという間に時間が過ぎていく。明日のことなんて忘れてしまいそうになるほどに。

 「次の便に乗るつもりならそろそろ出発しないとね」と、スペシャルウィークの母の一言で我に返る。今から帰れば日の入りくらいには札幌駅に着く。今夜宿泊するホテルは駅のすぐ近くだ。

 

「お邪魔しました」「おじゃましました〜☆」

 

 横開きの玄関を抜け、振り返る。まだまだ青味の残る空と、情緒あふれる家屋。またここに来ることはあるのだろうか。

 ふと、目の前で車が停まる。窓が開き、そこには金髪の女性。いつの間にかキャップをかぶり直して、意気揚々と言い放つ。

 

「さ、乗って。今度の乗り心地は保証するよ」

 

 それは軽トラではなく普通の乗用車。それは安心感と共に、どこか寂しさも感じさせた。ただ、宣言通り快適な送迎であったことは確かだった。

 ほどなくしてたどり着いたのは、さっき見たばかりの小さく簡素な駅舎。夕暮れに近いせいか、最初に持った印象よりも物悲しさを帯びている。

 それを背に、別れの時を迎えた。

 

「今日は突然お邪魔したのに、迎えてくださってありがとうございました」

 

「いえいえ、こちらこそありがとうございました。これくらいのことしかできなくて…トレセンでは、どうか娘をよろしくお願いします」

 

 深々とお辞儀をする大人二人。

 続き、ファル子が挨拶する。

 

「スペちゃん…と、お母さん。たくさんお話できて楽しかったよ☆ にんじんカステラとっても美味しかったです☆ ありがとうございました♪」

 

「先輩! 今日はありがとうございました! 明日はここから応援してますね」

 

「ファル子ちゃん。本当にありがとう。これからもスペのことをよろしくね。明日のレース、頑張りなよ!」

 

 母子の温かな声援を受けて、ファル子は大きく手を振った。いっぱいいっぱい振り続けていた。車が見えなくなってしまう、その瞬間まで。

 もう片方の手には、お裾分けしてもらったにんじんカステラ入りのビニール袋が、ぎゅっと握りしめられていた。

 

 列車が来るまで後数分だろうか。

 閑散としたホーム。その時を待つのは俺たち二人だけのようだった。

 相変わらずの暑さだが、けたたましかったセミの鳴き声は、日が傾くにつれて落ち着いてきたような気がする。それは穏やかな環境音となって、鼓膜を滑らかに撫でていく。

 聞こえる音はそれだけ。なぜか二人とも口を開かない。隣同士こんなに近く立っているはずなのに、あたかも他人のようによそよそしい。

 それは楽しかった時間が終わりを告げた切なさもあるだろう。だが、彼女がまとわせる空気は至福の余韻に浸るそれではない。

 何か知られたくないことを知られてしまった、そんな喪失感にも似た不安の残滓。それを確かに漂わせていた。

 

(やっぱりあのことだよな…)

 

 思い当たるのは一つだった。それはファル子の両親の仕事のこと。しかし、気落ちする要素はどこにもないように思える。確かに珍しい職業ではあるが、別に恥ずかしい内容とは思えない。それどころか誇ってもいいくらいだ。

 ましてや、ファル子本人も実際のステージに立ったことがあるという。それは自慢してもいいほど凄いことのはずなのに。

 実際、スペシャルウィークの実家でその話をしていた時は、彼女はどこか誇らしげでさえあった。

 

 ちらりと、少女の横顔を見やる。どこか儚げで、無機質な目線をどこか遠くへ向けている。

 

「ファル子…何か気にしてるのか?」

 

 あえて心当たりを伏せて問いかけていた。

 

「ううん…気にしてるっていうか、ついにトレーナーさんに知られちゃったなぁって」

 

「ご両親の仕事のこと?」

 

「うん。別に隠してたわけじゃないけどさ…なかなか言い出せなくて」

 

 予想していた通り、そのことが彼女に影を落としていた。

 しかし、なおさら気落ちする理由が分からない。今度はストレートに疑問を投げかけていた。

 

「そりゃ、珍しい職業だけど、そんなに知られたくなかったのか?」

 

 ふっと俯いて、彼女は片方のつま先をとんとんと地面に打ちつけた。次いで、後ろに手を回し、やはりまたどこか遠くを見つめながらぽつり漏らした。

 

「だって、そのことを教えたら…トレーナーさん、家族が見に来れるレースを提案するでしょ?」

 

「…駄目なのか?」

 

「そりゃ、私だって見てもらいたいってすっごく思ってるよ。だけど…それって何か違う気がするの。私のわがままっていうか…」

 

 しおれる耳と垂れる尻尾。どうしてここまで頑ななのか、正直分からなかった。

 以前調べて知ったことだが、彼女は帰省制度をこれまで一度も使ったことがなかった。本人いわく、一度帰ると居心地が良すぎてトレセンに戻りたくなくなってしまうかもしれないから…とのことだったが、おそらくそれは違う。きっと遠慮しているのだ。自分にも、両親にも。

 友達のためなら平気で身を挺したり無理を言ったりする彼女が、いざ自分のこととなると途端に遠慮がちになる。その献身的な優しさに、俺はいつしか惹かれていた。

 そして、何とか彼女自身が報われる日を迎えさせてあげたいと思っていた。

 

「わがままなもんか。親に元気な姿を見せるのも、子供の立派な役目だ」

 

 彼女ははっとこちらを見た。助けを求めるような瞳で、ただずっと俺の目を射抜いていた。

 

「スペのお母さんの笑顔、見たろ? どんな手紙よりも、どんな電話よりも、本人の姿を間近で見ることに勝るものなんてない…家族とはもう何年も顔を合わせてないんだろ?」

 

「そうだね…二年生の時の感謝祭にお母さんが来たのが最後だよ」

 

「やっぱり随分会ってないんだな…あれからせっかくデビューしたんだ。ファル子の晴れ姿を家族に見せてあげないか?」

 

 そう伝えるや、出し抜けに顔を逸らして、また何かを真っ直ぐ見据える彼女。その尻尾は定め無くゆらゆらと揺れている。

 俺は続けざまに告げた。

 

「両親が見に来てくれるレース、一緒に考えような」

 

 気のせいだろうか。その寂しげな横顔が、ほんの少しだけ微笑んだように思えた。

 ふと、遠くから伝ってくる音。列車が線路を震わす金属音だ。

 

「トレーナーさん。ホテルについたらさ…」

 

 彼女の声が不意をつく。ビニール袋を掲げて、いつもと変わらない明るい笑顔と共に。

 

「これ一緒に食べながら考えよ?」

 

「ああ、そうしようか」

 

 ブレーキ音を立てながら目の前で停車する列車。つややかな栗色の髪が、横切る微風に揺れていた。

 それは北の大地で迎えた、ある夏の日の一時だった。




お疲れ様でした。
スペちゃん親子の方言とか、お母ちゃんのしゃべり方はあまり自信ありません(汗)
ファル子ちゃんの両親のお仕事はこんな感じかな…と、こちらも完全に作者の妄想です^^;
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