君と夢見た明日へと ──トップウマドルを目指して☆──   作:キビタキ

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【第3話】鉛の靴 ②人参色の洋菓子

 ゼッケンをつけた体操服姿のウマ娘たちが、スタートブザーを合図に、一斉に千メートルのターフを駆け抜けていく。

 容姿も身長も千差万別。皆、我こそはと言わんばかりの表情で、その自信をたぎらせている。

 一方のトレーナーたちも、メモを取ったりタブレットを操作したりしながら、有望なウマ娘を見つけようと目を光らせている。

 長い時間を共にするであろうパートナーを見つけ出す大切な日。ひいては人生を左右するかもしれない運命の日なのだ。両者とも真剣にならないはずがない。

 気合に満ちた彼女たちの走りを最も見やすい場所、ゴール手前付近に俺は陣取っていた。

 

(ファル子はもうそろそろか…)

 

 左手に持つタブレットに目を落とす。現在走っている組が終われば、ようやく彼女の出番らしい。

 ここまで十回ほど計測が行われたが、今のところ特に心を惹かれた娘はいない。

 

 スタートからゴールまではコーナー無しの直線コースだ。

 テストの回転を早くする観点から、スターティングゲートは不使用。同じ理由で複数の生徒を同時に走らせるが、一着を争う競走ではないためレースの駆け引きは無い。念のため、各生徒との間隔は離しており、他者の走路にはみ出さず真っ直ぐ走るよう指示もしている。つまり、単純な直線だけの徒競走である。

 静かな風が吹く晴れの日、そして良好なバ場。学年や適性によって変わってくるものの、この状況であれば六十秒がひとつの足切りラインになるだろう。

 

 目の前を韋駄天のごとく横切る生徒たち。その風圧は芝をなびかせ、間近で熱い視線を送るトレーナーたちの髪をも揺らす。

 たった今駆け抜けたそれをゴールまで見届けると、すぐさまスタートラインを凝視する。

 

(どうやら一番手前側らしいが…)

 

 ついにファル子の順番が回ってきた。

 ここから見る彼女は豆粒よりも遥かに小さい。目を凝らせばかろうじて、肉眼で捉えることができるかどうかといった距離だ。

 彼女は一体どんな走りを見せてくれるのだろうか。息詰まる思いでその瞬間を待った。

 

 遠方から鳴るかすかなスタートブザー。それと同時に一斉に駆け出す生徒たち。正確には、距離の関係でブザー音の方がそれより二秒ほど遅れて聞こえる。

 彼女たちの走る速度は時速約六十キロメートル。一時的には七十キロメートルに達することさえある。人間が自らの足で到達することはおろか、想像することさえできない猛スピードだ。

 徐々に大きくなっていく彼女たちの姿。

 二百メートル、四百メートル、六百メートル。距離を重ねるにつれ、形勢が詳らかになっていく。たとえそれが、俺にとって厭わしい事実だとしても…。

 

(遅いな…)

 

 当初の期待とは裏腹に、ファル子に抱いた印象は限り無く最悪に近かった。

 併走する生徒たちとの差が、見る見るうちに広がっていくのが分かる。

 駆け引きも何も存在しない事実上の単独走。ウマ娘にとっての千メートル走は、人間にとっての百メートル走に例えられる。すなわち、全力疾走に近いペースで走り切れる距離なのだ。それゆえ、区間によってペース配分に極端な差は無いとされている。

 

(いや…もしかしたら後半伸ばしてくるのかも…?)

 

 半ば祈るように神がかり的な展開を想像した。だが、そんな急ごしらえの儚い願いが花を咲かせることなどあるはずもない。

 トレーナーたちから見て最も近い走路を、彼女は併走する者無くただ一人、何の迫力も無ければインパクトにも欠ける走りで駆け抜けていった。

 終わってみれば、ファル子は全員の後塵を拝していた。

 

(いや…最下位だったけど、最終的なタイムを見るまではまだ分からない…よな?)

 

 もしかしたら他の娘がとてつもなく速く、それで相対的に遅く見えただけかもしれない。

 もはやそれは奇跡でしかないが、この状況で彼女の結果を好意的に見るためには、そんな神頼みくらいしか残されていないのも事実だった。

 おそるおそるタブレットの更新ボタンを押した。

 

(61.1秒…)

 

 それが彼女のタイムだった。

 設定した足切りラインから一秒以上も遅い。こうなった原因として何らかのアクシデントが考えられるが、走りを見た限りそんな感じはしなかった。

 ほどなくして、次の出走を告げる音が聞こえた。

 だが、それどころではない。とにかくファル子の姿を目で追っていた。

 ゴール直後、彼女は力無く減速して、膝に手をついていた。彼女の表情と心境は分からない。ただ、望まぬ結果に対して、がっくりとうなだれているようにしか見えなかった。

 

 彼女の班は次のテスト会場へと向かうため、俺の近くを通り過ぎようとする。

 ファル子は張り詰めた顔をしていた。耳はぴんと立っているものの、尻尾は元気がなさそうに垂れている。

 俺はわざとらしい咳払いをした。約束通り近くで見ていることを伝えたかったからだ。

 狙い通り、ファル子はこちらに気づいてくれた。

 声は出さないまでも、すれ違いざまにぱっと笑顔を浮かべて、手を軽く振ってくれた。ただ、その動きが心なしかぎこちなく感じられたのは、単なる気のせいだろうか。

 遠ざかっていく彼女の後ろ姿を、じっと見つめることしかできなかった。

 

(まぁ、こんなもんだよな…)

 

 真後ろを突風が吹き抜ける。

 しばらくの間、彼女のタイムとにらめっこしていた。

 

 

 ファル子の受けたテストを全て見届けた後、食堂で昼休みを過ごしていた。

 昨日とは打って変わって、生徒たちのほとんどが体操服姿だ。テーブルの向かいに座るその娘も例外ではない。

 

「それでさ、どうだった? ファル子の成績」

 

 つややかな栗色の髪をしたツインテールのウマ娘。その表情は自信に満ちあふれたものではないが、決して悲観的なものでもない。

 キャロットケーキをフォークで一口大に切り分け、口に運んでいる。

 

「そうだな…良いところもあれば悪いところもあった」

 

 食事をとうに終えていた俺は、タブレットを操作しながらそう答えた。

 

「それじゃあ、ファル子の良いところ、教えてほしいな〜」

 

 彼女は二皿目のキャロットケーキの解体に取り掛かっていた。

 よく食べるなと感嘆しつつ、素直な感想を述べた。

 

「坂路のタイムはなかなか速かったし、持久力も悪くない。鍛えれば中距離路線を狙えるくらいにはなりそうだ。まぁ、中でも一番良かったのはやっぱり脚力だろうな」

 

「でしょ〜! ファル子もそこは自信ありありなの☆」

 

 得意げに笑みをこぼす彼女。嬉しそうに揺れ動く尻尾が、テーブル越しからでも見て取れる。

 

 いわゆるパワーと総称される筋力に関して、彼女には目を見張るものがあった。特に脚力は平均を大きく上回り、全体の上位にすら食い込むレベルだ。

 この数値が高いということは地面を強く蹴り出せるということであり、必然的にスピードにも好影響を与える…はずなのだが。

 やはり一つだけ大きく気になる点、それは…。

 

「悪いところは聞きたくないか?」

 

 その言葉に反応して、フォークの動きは唐突にスローモーションになる。

 

「ん〜、できれば聞きたくないけど…あれだよね…」

 

 それが何か、本人も既に分かっているようだ。

 今日の身体テストで唯一、足切りラインをオーバーした項目。

 

「ああ、芝の千メートル走のタイムだ…」

 

「やっぱり気になっちゃうよね…」

 

 耳がしおれた花のように萎えている。彼女の感情の起伏はとても分かりやすい。

 先入観を持ちたくなかったため、午前のテストが終わるまでは、あえて前回以前の記録は見ていなかった。それをついさっき確認したところ、芝千メートル走は毎回、今日と同じようなタイムだった。

 それを知った上で鎌を掛けてみた。

 

「今回はたまたま調子が悪かったのか?」

 

「えっと…うん、多分、そんな感じかも…?」

 

 何か隠し事でもしているように、俯き加減ではっきりとしない返答。

 キャロットケーキをフォークで半分に切って、それをまた半分に切って、どれも口に運ばないまま、またそれを半分に切って…ひたすらそんな動きを繰り返している。

 

「選抜レースは確か芝のコースか。それも、芝の千六百メートル」

 

「うん、まぁ、一応ね…」

 

 芝という言葉を強調すると、ますます歯切れが悪くなっていくような気がする。

 

(どうやら間違いなさそうだな…)

 

 芝のコースが苦手であることを、本人も自覚しているようだ。

 ただ、ちょっと意地悪に言い過ぎたかもしれない。

 その場の空気を変えようと席を立った。

 

「ちょっとお手洗い行ってくるよ」

 

 彼女のいる方とは反対方向へと歩む。

 返事は全く期待していなかったが、後ろからかすかに聞こえた「行ってらっしゃい☆」の言葉に、振り返らないまでも右手を軽く上げた。

 

 ウマ娘はその名が指し示す通り全員女性である。つまり、トレセン学院は事実上の女子校といえる。

 となれば、それは必然かつ当然。男性用トイレは圧倒的少数派に立たされていた。

 ただ、非常に幸運なことに、数少ないそれは食堂の近くにひとつ存在している。使用者の絶対数が少ないだけに、まず混み合うこともない。

 

(これだけ人が多いと、お手洗いも一苦労だな…)

 

 女性用トイレの前で順番待ちをしている生徒たちを尻目に、がらがらのそこへと一人足を踏み入れるのだった。

 

 お手洗いでの用を済ませ自席へ戻る途中、ある考えにふけっていた。

 実は気になることがもう一つあった。それは、ファル子が芝を苦手にしていると確信した材料であると同時に、彼女に見出した大きな可能性。

 芝の千メートル走とダートの千メートル走のタイムが、ほぼ同じだったのだ。

 一般的に、同じ距離を走った場合、ダートコースの方が芝コースよりも数秒遅くなる。それは、ダートが文字通り『砂』の上を走るため、芝と比べると足抜きが悪く、必然的に脚力をより必要とするからだ。例えるなら、砂浜を走るようなものである。

 また、バ場状況が良いと芝のタイムは速くなり、ダートは遅くなるとされている。そして、稍悪や悪のバ場では、これが逆転する。前者は水を含むとぬかるんだり滑りやすくなったりするためであり、後者は逆にある程度水分を含んだ方が砂が固まるため、力が伝わりやすくなるからだ。

 今日はどちらのバ場も良だった。なおのこと、普通に考えれば芝のコースの方がタイムが短いはずなのである。

 それにもかかわらず、両方のタイムがほぼ同じということは、彼女は適性的にダート向きであると考えるのが自然だ。

 実際、さっき見たダートの走りは芝ほど悪くはなく、平均を上回るタイムだった。おそらく、その強靭な脚力が砂地に適しているのだと思う。普段のトレーニングでダートに走り慣れていないことを考慮するなら、ちゃんと鍛えれば今後伸びる可能性は十分に考えられる。

 

(でも、そんなことってあるのか…)

 

 それは新人の俺でも気づくようなこと。今まで教官が、ましてや本人が気づかなかったわけがない。

 それでも選抜レースに芝のコースを選び、ダートのダの字も口にしない彼女。それにはきっと、何か理由があるのだろう。

 

 いつしか自席へと戻っていた。

 相変わらずデザートタイムを楽しんでいる様子のファル子。さっきまでと明らかに変わっていたのは、彼女の目の前に置かれた皿の数。いつの間にかおかわりしてきたであろう五皿目のキャロットケーキを、たった今ぺろりと平らげたところだった。

 

「お・か・え・り☆」

 

 彼女のツインテールがふわふわと揺れる。決めポーズの時のように、満面の笑みでウィンクを決めていた。

 さすがに何も言わないわけにもいかず、ぎこちなく「ただいま」と返した。こういうのはもう少し親密な仲でやるものではないだろうか。ここは満席の食堂、やはり周りの目が気になってしまう。ファン第一号だからと言われれば、それまでかもしれないが…。

 何にしても、さっきのことはもう気にしていないようで安心した。

 ただ、今度はそれより別のことが心配になり始めていた。

 

「そんなに食べて、選抜レースは大丈夫なのか?」

 

 彼女は六皿目のそれを今まさに完食しようとしている。その隣には七皿目と八皿目、そしてミルクが添えられたコーヒーまである。

 

「へいきへいきっ! だってファル子のレースは二十一番目だからまだまだ時間あるし、午前中に使ったエネルギーを補充しておかないとね♪」 

 

 彼女の手元で、茶褐色の水面が乳白色に染まり、次第にキャラメル色に溶けていく。

 

「そうか。それならいいんだけどな…」

 

 確かにそれは一理あると思いつつも、それを美味しそうに平らげる本人が言うことだけに、不安を完全に拭えるわけでもなかった。

 やはりウマ娘の食事量というのはどうにも感覚が掴めない。人間からしたらどう見ても食べ過ぎだが、彼女たちにとってはこれくらいがちょうど良い塩梅なのだろうか。

 

「トレーナーさんもたくさん食べなくちゃ! 本当にニンジン足りてる? 男の人だからもっといけそうに見えるけど」

 

 そして、例外なくニンジン好きだ。

 そんな彼女たちからしたら、人間は皆少食に見えるのだろう。

 

「まぁ、腹が減っては戦はできぬって言葉もあるしな」

 

「そうそうっ! よかったら、お一ついかが?」

 

 手が指し示す先には赤みを帯びた洋菓子が二皿分。間もなく彼女のお腹に収まる予定だったそれである。

 ここはその言葉に甘えることにした。

 

「せっかくだし、一つ頂こうか」

 

「えへへ…何だか半分こしてるみたいね☆」

 

 無邪気なその笑顔が、この時は不思議と可愛く思えた。

 初めて食べる食堂のデザート。それは確かに癖になる美味しさで、ほんのりと甘い味がした。

 最後の一皿は、お互いゆっくり時間をかけて堪能したのだった。




お疲れ様でした。
サブタイトルをどうするか迷ったのですが、美味しそうな名前にしてみました。
ちなみに、人参色は実在する和色です。
次回、新たなウマ娘が顔見せします。
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