君と夢見た明日へと ──トップウマドルを目指して☆──   作:キビタキ

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【第3話】鉛の靴 ③憧憬の少女

「おまたせ〜☆」

 

 校舎から飛び出して来た一人の少女が、明るい声を響かせながらこちらへと駆けてくる。

 体操服姿なのはさっきまでと変わらないが、ゼッケンが選抜レース用の物に変わっている。それは実際のレースで使われる物と何ら変わらない仕様で、彼女の名前もしっかりと記されている。

 

「ごめんね。ちょっと時間かかっちゃったかも…」

 

「いや、まだ間に合うさ。それじゃ、行こうか」

 

 心地良い暖かな日差しの下、目的の場所へと歩き出した。

 もうすぐ始まる選抜レースを見にトラックへと向かう俺に、彼女がついてきた形だ。その途中、思い出したようにゼッケンを取り替えるのに付き合わされ、それを待っていたというわけである。

 

(これじゃまるでファル子の付添人…いや、トレーナーだな…)

 

 もし担当になったら色んな意味で振り回されそうだ。

 物憂げに彼女を見やる目が、不意にゼッケン番号を捉える。

 

「そう言えば一枠一番だっけ。ウマ番には恵まれたな」

 

 白色のゼッケンには大きく『1』と書かれている。

 

「うん、一番になったのは初めてかな…このチャンス、ものにしないとだね」

 

 二つの拳を握りしめながら、彼女は毛並みの美しい尻尾を振りかざしていた。

 芝のレースでは、最も内側から出走する一枠一番が有利とされている。ゴールまで最短距離で走れるという最大の利点を生かし、統計的に見ても好走する確率は高い。

 気合十分な彼女に直球をぶつけてみた。

 

「今日は勝てそうか?」

 

 その言葉に、一瞬考え込むように俯く彼女。ほんの少しだけ間を置いて、その顔を上げた。

 

「う〜ん、ほんとのこと言うと、わかんない…でも、やれるだけのことをやるしかないよねっ!」

 

 力強さを秘めた金色の瞳が、さっとこちらへと向けられる。

 

「そ・れ・に、今日はずっとファル子を見てくれる人がいるから、思ったより頑張れちゃうかも☆」

 

 いつもと変わらない笑顔がそこにはあった。

 選抜レースが間近に控えているとは思えないほど、リラックスしているように見える。

 緊張してがちがちになってしまうよりは、何倍も"マシ"ではあるが…。

 

(まぁ、それは俺にも言えることだけどな…)

 

 他のトレーナーは今頃どうしているだろう。

 身体テストの結果から、注目すべき娘を導き出しているのだろうか。あるいは、気になった娘にアプローチをかけているのだろうか。

 昼休みの食堂でも、生徒たちと話すトレーナーの姿を何人か見かけた。きっとその娘たちに何か光る物を見出したのだろう。

 

 一方、俺はといえば、ファル子としか話せていないし、他にこれだと思える娘を見つけられていない。

 ファル子に可能性はあるし、ファン第一号としてすぐ側で応援してあげたいと思っている。ただ、結果的にそれが叶わないことも十分考えられる。もし俺に、彼女の夢を背負えるだけの力が無かったら…。

 考えたくもない未来だが、お互い最悪の結果は早い段階で覚悟しておく必要はあるだろう。

 仲良くなりすぎてからのそれは、正直辛い。

 鳥林さんのアドバイスを実践するには、俺はもっと精神面の強化が必要なのかもしれない。

 

「ファル子、もしもの話なんだが…」

 

 昨日ファル子と出会ったのは全くの偶然。そこには何の打算もなければ駆け引きもない。

 

「…なに、話って?」

 

 だからこそ、忌憚なく本音を話すことができる。

 

「いや…その」

 

 そう思っていた。

 

「……」

 

 しかし、それは逆だった。

 何の打算もないからこそ、彼女の夢と弱さを知ってしまったからこそ、放っておけなくなってしまっていたのだ。

 

「…もし、自分のグッズをプロデュースできるなら、何を作りたい?」

 

 その時たまたま目に入ったグッズ販売スペース。思いつくままとっさに誤魔化した。

 昨日組み立てたテントは一夜にしてファン垂涎の空間へと姿を変え、それを求めて長蛇の列ができていた。

 

「ん〜とね、やっぱりライブグッズかな! ペンライトとかラバーバンドとかいいかも〜☆ ファル子がセンターのライブでそれを使ってくれたら最高だよねっ!」

 

 早口に夢を語る彼女。

 何とか上手く取り繕えたようで、ほっと胸を撫で下ろした。

 

 午後から一般客の入場が可能となっていた。学院内に入れる機会は年に数回しかなく、それを楽しみにしているファンも多い。

 トラックに近づくにつれ、行き交う生徒や職員の中に一般客が多く混じっていく。開場して一時間と経っていないが、既にそれなりの数が入っているようだ。

 

「結構賑わうんだな」

 

「いつもこんな感じだよ。今日は新入生が初めて走るレースだから、お客さんも多いみたい」

 

 契約を勝ち取らんとするウマ娘たちの勇姿。それを一目見ようと、大勢の人が詰めかけているのだろう。

 学院内でのローカルなレースとはいえ、将来のスターウマ娘がここから誕生するのだ。その第一歩を見てみたいと思うのがファンの心情というものだろう。

 彼女の言う通り、特に今回の注目度は高いはずだ。

 

「これだけお客さんがいたら、路上ライブしたくてうずうずしてるんじゃないか?」

 

「そうっ! それそれっ! 禁止されてなかったら今すぐにでもライブスタートしちゃうんだけどなぁ…」

 

 膨れたような困ったような、そんな複雑な面持ちで不平を鳴らしている。

 どうやらそういう規則があるらしい。

 

「でも、あれはオッケーなんだな」

 

 視線の先には大勢のファンからサイン攻めにあっている制服姿のウマ娘。既にデビューを果たし、名の知れた娘なのだろう。

 

「わぁっ! スズカちゃん…!」

 

 ファル子の尻尾がすかさず跳ね上がる。

 示し合わせたように二人は立ち止まる。

 

「スズカ…? あの娘がサイレンススズカか」

 

 端整な顔立ちと朱色のストレートロングヘア。その毛先は綺麗に整えられていて、涼やかな上品さを感じさせる。

 穏やかな笑顔を振りまきながら、手慣れた様子でサインペンを振るう。

 彼女こそ、昨年の秋天の覇者、サイレンススズカだった。

 

 選抜レースは、トレーナーと契約していない生徒だけが出走可能なレース。裏を返せば、契約済みの生徒にとっては自由時間である。

 自由といっても、人気の生徒は学院内をおちおち出歩くこともできなさそうだが…。

 もしかしたら彼女は、この時間をファンサービスに充てているのかもしれない。

 

「さすがだよね〜。ファンの数も凄いけど、ファンサも慣れっこみたい」

 

「そうだな、お茶の子さいさいって感じだ」

 

 見たところ、事前に用意されたサイン会というわけではなく、場当たり的なファンサービスのようだ。

 それにもかかわらず、数多のファンが我先にとならず落ち着いているのは、彼女がまとう物静かでクールな雰囲気の賜物だろうか。

 慌てず騒がす、両手を使ってしっかりと握手したり、小さい子には目線の高さを合わせて優しく話しかけたり、一つ一つに動きに余裕ともてなしの気持ちが感じられる。

 

(こんな対応されたら、ますます応援したくなるよな…)

 

 ここに勤めていると感覚が薄れるが、あんなにもあでやかな美少女と目を合わせながら握手できたら、普通はそれだけでのぼせてしまいそうだ。

 真横に佇むもう一人の美少女をちらっと見やる。

 ファル子にそういうつやっぽさみたいなものを感じないのは、良くも悪くも瞭然としたアイドル的振る舞いのせいだろうか。あるいは、サイレンススズカの飾り気のない物腰が、あまりにも自然体過ぎるからなのか。

 いや、もしかするとツインテールが子供っぽさを感じさせる原因なのかもしれない。彼女のように髪を結わなければ、もっと大人びた印象になって、あだっぽさも出てくるのでは…。

 

(…って、ただの俺の好みの話だな)

 

 自分でも苦笑いしたくなるような、そんな下らないことを考えていた。

 

「彼女とは仲が良いのか?」

 

「普通…かなぁ。たまにトレーニングで一緒になったりはするけど、そこで少し話すくらい。プライベートではほとんど絡んだことないよ」

 

「せっかく同じ学院にいるんだから、もっと積極的にいけばいいのに」

 

 彼女の社交性があれば、それくらい簡単な気がする。あんまり行き過ぎると嫌われそうだが。

 

「ダメダメっ! だって、憧れの人のプライベートはそっと見守らないと。それがファンの鉄則だからね☆」

 

 人差し指を立てながら力説する彼女の目には、朱色の髪を春の微風になびかせるその人。

 

「スズカちゃん…ほんとにきらきら輝いてるなぁ。ファル子もいつかあんな風に…」

 

 名残惜しそうに、サイレンススズカが作り出す人集りをゆっくりと横切っていく。ファル子は終始、その光景に憧れの眼差しを向け続けていた。

 彼女たちが見えなくなる頃合いを見計らい、気になっていたことを尋ねた。それは、ファル子が熱い視線を憧れの人に注ぐ理由。

 

「ファル子はどうしてウマドルを目指してるんだ?」

 

 彼女の耳がぴくりと反応する。

 心なしか遅くなる歩調。

 両手を後ろに回し、何かを思い出すように虚空を見つめている。

 

「えっとね…小さい頃からアイドルに憧れてたの。いつも可愛くて、どんな時も笑顔で、たくさんのきらきらを振りまいてたから…自分もいつかアイドルになれるって、子供ながらに信じてたっけ」

 

 どこか気恥ずかしそうな、それでいて穏やかな笑み。

 持ち前の明るさは鳴りを潜め、思い出を噛みしめるよう優しげに語ってくれる。これが素の彼女なのだろうか。

 

「でね、ウマ娘がアイドルみたいに歌って踊るステージがあるって、お母さんから教えてもらったの。それで興味が湧いて、レース場に連れてってもらったんだ」

 

「お母さんはレース経験者だったのか?」

 

「ううん、そんなことないよ。だから私もレースのことなんて全然知らなかったし、どうして競走なんかしてるんだろうって最初は思ってた。でも、全力で駆け抜ける姿にすぐ夢中になったの! 勝った娘は笑顔にあふれてて、負けた娘は涙を流してたけど…ありったけをぶつける彼女たちに、私のドキドキは止まらなかった」

 

 いつの間にか胸に手を当て、感慨深げに瞬きを繰り返す彼女。その表情は子供のようにあどけない。

 

「しかも、それで終わりじゃなかった。レース後のウイニングライブ…ほんとに素敵だった! 皆がアイドルみたいにきらきら光り輝いて、弾ける笑顔がとても眩しくて…! 雷に打たれたみたいだった。これが私の目指してるものなんだって…あの日、心の底から確信したの」

 

 夢にたぎる金色の瞳は、いつにも増してきらめいているように見えた。

 

「そうか。だからレースとライブがワンセットで、ウマドルなんだな」

 

「そういうこと☆ ファル子のきらきらで、見に来たお客さんを皆魅了してあげるの☆」

 

 狙い澄ましたウィンクを決めてみせる、そんないつもの彼女に戻っていた。

 どちらのファル子も可愛いが、素の彼女の方がいじらしくて好みかもしれない。

 

「それにしても…夢を目指したきっかけが、何だか俺と似てるな」

 

 彼女の目に驚きの色が浮かぶ。

 

「もしかして、トレーナーさんもレースを見て?」

 

「ああ、テレビ観戦だったけどな。子供の頃に初めて見たレースとライブに感動して、トレーナーを目指したんだ。まぁ、俺のは一着だったその娘の笑顔に魅せられたんだけど」

 

 すると彼女は「どんな娘だった?」といかにも興味津々な様子で、さっきとは別の意味で目をきらめかせながら答えをせっついた。まるで恋愛話に盛り上がる女子高生のようだった。

 夢の中で躍動する憧れの少女について、思い出せる限りのことを話した後、俺は自らの記憶の不明瞭さに不満をこぼしていた。

 

「その娘の容姿は何となく覚えてるのに、肝心の名前だけは分からないんだよな。子供の頃の記憶だから仕方ないんだろうけど…」

 

「ファル子もあの時どんな娘が走ったかまでは覚えてないなぁ…でも、その姿に心の底から感動したのは覚えてる。私もいつか、あんな風にきらきら輝いてみたいって」

 

 何だかお互い同じようなことを話しているような気がする。

 どこまでも広がる澄んだ青空を見上げて、そっとつぶやいた。

 

「俺たちって似た者同士かもな」

 

「…?」

 

「初めて見たレースに一目惚れしたってところがさ」

 

「…ほんとだね♪」

 

 また少しだけ分かり合えた、そんな気がした。

 自然と軽くなる足取り。

 選抜レースの舞台がようやく見えてきた。

 

「よ〜し! 全力全開☆頑張るからね♪ 目を離しちゃダメだぞ☆ ファル子、ファイト、お〜っ!」

 

 自らを鼓舞するかのように、右手を高々と突き上げる。

 穏やかな春風は、そんな彼女のつややかな栗色の髪を、そっと揺らしていた。




お疲れ様でした。
スズカちゃんは今後もちょくちょく出てきます。
次回はいよいよ選抜レースです。
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