小さい頃から、ポケモントレーナーになるのが夢でした。ポケモンのことが好きだったことも理由の一つではあるでしょうが、それ以上に、ずっとプロのトレーナーである父を近くで見てきた影響が大きかったのだと思います。だからでしょう。酔っぱらった父から、お前にプロのトレーナーは向いていない、なんて言われたものですから、もう、頭が真っ白になってしまいました。それは十歳を少し過ぎた頃、周りの子どもたちから、ぽつりぽつりとトレーナーを志して行動に移す子が出てくるくらいのときで、トレーナーになるという夢が私の中で現実的になっていた頃でもあって、当時の私には余計にショックでした。
酔っ払いの戯言と流すことができればよかったのですが、チャンピオンや四天王には届かなかったといえども、父は確かな結果を積み上げ、その実力を認められてきたプロのトレーナー。片や私は素人の小娘。私にはそのときの父が、酔っぱらって本音をこぼしてしまったプロの姿であるようにしか見えず、それはもう、思いきり落ち込んでしまいました。きっとひどい顔をしていたのでしょう。アルコールで顔を赤くした父が少し慌てた様子で私に何か言ってきました。それは「ポケモンと関わる仕事は何もトレーナーだけではない」とかそういった内容だったと思います。実は、その部分はあまりはっきりと憶えていないんです。そのときの私は「トレーナーじゃなきゃ意味がない」なんて思いながら、父の言うことを受け入れようともしなかったからでしょうね。でも、そのあとに続いた言葉は、今でもだいたい憶えています。
「トレーナーっていうのはな、『自分が一番強いんだ』とか『絶対に負けたくない』としか考えられないような連中の集まりだ。俺の知ってるトレーナーのほとんどはそんな奴らだ。周りのことなんて考えちゃいない。人を笑顔にするだとか夢を与えるだとかは、極論、俺たちからすりゃあオマケみたいなものなんだよ。そんな自己中どもの集まりだ。でも、お前はそうじゃない。ちゃんと周りのことを考えられる、いい子だ。だからお前には向いてない。もっと直接誰かを笑顔にする仕事のほうが向いていると、俺は思う」
そんな、トレーナーを夢見ていたその時の私では考えられなかったようなことを、聞かされました。夢を否定されて、今度は私自身のことを褒められて、そうして結局、夢を否定される。まだ私も小さかったですから、急にいろんなことが起きて、わけが分からなくなって、とりあえず「うん」と頷いたと思います。
それから自分の部屋に戻って、ベッドで横になりました。少し気になって、ふと、窓の外のバルビートたちの光に目を向けました。私の地元は結構な田舎で、近く綺麗な川が通っていたので、その光景は、季節になればそれほど珍しいものでもありません。けれど、この日はそれに妙に目を引かれて「綺麗だな」なんて思って。その複雑な模様を描く光をぼーっと見ながら、父の言葉を頭の中で反芻させていました。そうしていつの間にか眠ってしまって、起きると、「まあ、そういうものなのかな」と、ぼんやりとですが、思うことができました。そんなことがあってからは、そこまでトレーナーという職業に興味を抱かなくなりました。こうして思い返してみると、昔の私は少し素直すぎますね。でもそれだけ、父の存在が大きかったんです、多少衝撃的な言葉でも、寝て起きたら簡単にその言葉を信じてしまうくらいには。それに結局、父の言葉は間違っていませんでした。
トレーナーに強い憧れを持たなくなってからも、ポケモンに関わる仕事をしたいという想いは変わりませんでした。けれど、ブリーダーなのかレンジャーなのかスクールの教師なのか、どれを選べばいいのか分からなくて、ひとまず、バッジを集めてみようと思い、家を出ることにしたのです。バッジをとれるだけとってみて、それで、自分にどれほどの戦いの素質があるのかを判断しようと思ってのことでした。そうしてジムを巡っている途中で、あるとき、とても綺麗な技を操るポケモンを見たんです。隣の男性の合図に合わせてキュウコンが放ったほのおのうずに目が釘付けになって、当時の私はそのうつくしさを表現する言葉なんて知らなくて、ただ「すごい」とだけ思っていました。いつかに見た、自然が生んだともいえるバルビートたちの光の動きと違い、彼らが私に見せたものは、ある意味で人工的で、調和のとれた、素晴らしいものでした。後から、彼がコーディネーターでもあると知って、居ても立ってもいられずに、コンテスト会場へ向かいました。もう一度あれが見たいと、ただひたすらに欲していました。
そのまま何も考えずに会場に入ったものですから、誰もいない観客席のシートで、開演まで50分くらい待つことになってしまいました。別にそこで待っている必要なんてないのに、なんだか、別の場所で待つということが、何かに対してとても失礼なような気がして、じっと席に座って待っていました。途中、掃除に入ってきた職員さんに怪訝そうな目を向けられたのを憶えています。それからずっと待って、ようやくステージが始まったのですが、舞台上にさっき見たコーディネーターはいませんでした。あの人がどの部門で、どのくらいのランクなのかも知りませんでしたし、どころか、部門やランクなんて言葉も知らなかったのですから、当然なのですけどね。結局、あのとき見たコンテストは、どの部門の何ランクだったのでしょう。日付と時刻は憶えていますし、今度調べてみようかしら。
ああ、そう、コンテストの話でしたね。私はついさっき見たすごいものが、目の前で何度も何度も、出来についてはより良いものが、繰り返し起こるので、もう、呆けっぱなしでした。きっと、ひどい間抜けな顔をさらしていたでしょう。けれど、ついさっきまで「こんな綺麗なものがあるのか」と思っていたものを、ああもいっぺんに目に映しては、呆けてしまうのも仕方ありません。そうして、綺麗なものの連続に目を焼かれた間抜け面のまま、私は安宿に戻って床に就いて、ふっと、昔を思い出して、窓の方を見やりました。窓の外の街燈の光が、なんだか、いつもより眩しく感じられました。そうして次の朝起きたときに、昨日見たものを思い出して「ああなりたい」と、思っていました。
それから私は、コーディネーターを目指し始めました。毎日のようにコンテストに通い、勉強にも取り組みました。バッジ集めも一応続けました。初志貫徹という言葉もありますし、読んでいた本に「バトルでの経験は少なからずコンテストでも役に立つ」と書いてあったことも大きかったです。だんだんとバトルの方が片手間になっていきましたが、バッジは八つ、集めきることができました。自分にも案外、戦う能力があったのだなあと、他人事のように感じていた憶えがあります。この時の私は、コーディネーターになることしか眼中にありませんでした。
それで、一度地元に帰って親に自分の想いを話した後、コーディネーターとしての第一歩を踏み出したわけですが、ここで、一つ、大きなショックを受けました。このときの私は、見てくれる人に素晴らしいものを見せよう、あの時の私みたいな人間の目を焼いてやろう、と意気込んでいたのですが、周りはそうではありませんでした。審査員から少しでも良い点をもらって、少しでも早く上のランクに上がろうという野心のようなものが、全身からあふれ出ていたのです。良いパフォーマンスをすれば、自然と評価されるだろうに、どうしてこの人たちはこんなにもギラついた目をしているんだろう、それに何の意味があるのだろうと、当時の私は、どこか冷めた目で彼らを見ていました。私も若かったのですね。
最初の頃は何も知らず、楽しかった。ただ、観客に喜んでもらえるようなパフォーマンスを考えて、練習して、披露して。そうしているうちにそれなりに評価されて。周りは素晴らしい才能だ、なんて言うけど、私だっていろいろ考えているのだ、努力しているのだと、その賛辞を受け入れようとはしませんでした。相手にそう返すと、きまって相手は、子供を見るような、哀れみに近いものが込もった目を私に向けながら、愛想笑いを浮かべます。それがとても不満で、ますますその賛辞を受け入れなくなって。この時の私は、やりたいことができて、それが評価されているのに、どこか、息苦しさを感じていました。多分このあたりから、家でミミロップに愚痴を言い続けるようになりました。向こうから言葉が返ってくるわけでもなく、頷きながら話を聞いてくれるだけでしたが、いくらか心が軽くなりました。あの時でも既にだいぶ長い付き合いでしたが、ほんとうに、よく付き合ってくれましたね。私だったら嫌になりますもの、愚痴ばっかりの相棒なんて。
そんな風にもやもやしたものを抱えながらコーディネーターを続けている中で、ここは一度初心に戻って、久しぶりに観客として、コンテストを楽しんでみようと思い立ちました。コーディネーターになってから観客席に座っていない、というわけではなかったのですが、コンテストを見ていると、どうしてもコーディネーターとしての視点が混じってしまうので、そういうものを頭から追い出した状態で、コンテストを見ようと思ったのです。そうして見に行ったステージで、私は、バルビートを見ました。実家の窓からよく見たバルビートとイルミーゼは、私にとって、ある意味で一番なじみ深いポケモンです。彼のパートナーであるコーディネーターは、若く、指示や仕草にもまだ拙さがありました。けれど、このときの私には、それらのすべてが、なんだか懐かしく感じられて、そして、彼らの演技を見ながらなんとなく、父の言葉を思い出しました。
トレーナーとは名を上げることを考えている人間で、私はそういう人間ではない、だから、私はトレーナーには向かない。何も知らなかった頃の私に語り掛けられたそれを思い返しながら、コーディネーターも、トレーナーと同じではないかと、考えました。きっと彼らは、自分こそが一番うつくしいのだと、それを世界に証明することだけを考えて、コンテストに挑んでいる。その考えは、胸にストンと落ちて、だから彼らは、あんな目をしていたのだなあと、ようやく納得がいきました。コンテストの世界も、戦いなんだ。気づくのに随分と時間がかかってしまいましたが、そう思うと、なるほど、私に向かないわけです。私は、コーディネーターになりたかったのではない。あのバルビートや、キュウコンになりたかったんだと、この時ようやく気づけました。そうやって意識をどこかに飛ばしている間に、ステージは終わりを迎えていました。
そこからは早かったです。コーディネーターをやめて、いろんな場所で、自分の技を見せつけてやることにしました。その夢を自慢するように周りのコンテスト関係者に話すと、たいてい止められたのですが、それを聞き入れるつもりもありませんでした。何が何でも勝ってやる、という目をした人たちに囲まれて生きるのは、もう、やめにしたかったのです。やはり父の言った通り、勝つとか負けるとかの世界に身を置くことが、私には向いていませんでした。コーディネーターの登録を削除して、家に帰ってから、ミミロップが微笑みかけてくれました。あまり自分から感情を表に出す子ではなかったので、すこし珍しいものを見たな、なんて思いながら、その一番の相棒に笑顔を返しました。
そんな風なことがあって、今に至ります。前に比べて、私のことを見てくれる人も、収入も減りました。もともと、コーディネーターとしても有名だったかと聞かれれば、微妙なくらいの知名度でしたから、そりゃあこんなことをしていれば、ねえ。でも、今すごく楽しいんです。目の前にいる人たちの目を輝かせて笑ってもらえるということが、こんなにも嬉しいことだなんて、思ってもいませんでした。こんなに楽しいことがあるだなんて、思ってもいませんでした。きっと私はこれからもずっと、こうやって生きていくと思います。