「『グラスミキサー』」
ツユリが出した技の指示を受けたのは、彼女の斜め前に立つポケモン、ダーテング。
彼は相手の攻撃を受けてよろめいた身体を立て直すと、俯き、目を瞑りながら高下駄のような足をさっと横に出した。葉の形をした腕を大きく扇げば、彼の周りを風に乗った鋭い木の葉が飛び回る。
そして、顔を上げ目をカッと見開き、今度は前へと腕を振り抜けば、木の葉を乗せた突風は目の前のルクシオへと襲い掛かった。
「『じゅうでん』しろ!」
当然、そのルクシオのトレーナーであるロウが、黙って見ているわけもない。
相手のトレーナーに対して後手の指示にはなったが、攻撃が届く前に、ルクシオは体中の電気を高めきった。
それは、ダーテングからの距離の余裕と、『グラスミキサー』の指示から攻撃までに存在したタイムラグのおかげだろうか。
「『スパーク』!」
そして、高め上げた電気を迸らせながら、迫りくる『グラスミキサー』へと突進した。攻撃をその身に受けながら、ダーテングとの距離を詰めにかかる。
猛然と向かってくるルクシオに、ダーテングは余裕のある動きで構えの体勢に入った。今は、彼女の選択を待つのみ。
ツユリは、ダーテングとルクシオ、その後ろに立つロウを目で捉え、大きく口を開く。
「『リーフブレード』!」
指示を受けたダーテングは、力を込めた腕を払うように横へ構えると、ルクシオを迎え打つべく地を蹴った。
対するルクシオも、どれほどの痛みを受けようと攻撃を完遂せんと、鬼気迫る表情のまま駆け、ついに両者がぶつかる。
先に相手の身に届いた攻撃は、ダーテングの『リーフブレード』だった。鋭い緑色の刃が、ルクシオを斬りつける。
しかし、その攻撃はルクシオを倒しきるには至らなかった。
執念の全てが浮き出たルクシオの形相は、戦いが始まったときに彼の鋭い目が飛ばした『いかく』をダーテングに思い出させ、その身を幾らか萎縮させるには十分な迫力を持っていた。
斬りつけられながらも、彼は勢いのままに電気をまとった全身をダーテングに叩き込む。
まともに食らったダーテングは吹き飛び、地面に身体を打ち付けた。
だが、『じゅうでん』によって威力が高められていようと、『スパーク』はでんきタイプのわざ、くさタイプのダーテングを倒しきるほどのダメージは期待できない。
それを表すように、ダーテングは身体を起き上がらせ、身体に力を入れる。
「『でんこうせっか』」
そこをロウの指示と、目にも止まらぬ速さで突っ込んだルクシオが確実に咎める。
立ち上がったばかりのところでバランスを崩したダーテングはしかし、再び立て直すだけの余力などなく、倒れ行く自分をどうしようもない。
そして、その横で四本の足で地をしっかりと踏みしめて立っているルクシオを見れば、勝敗は明らかだ。
「今日は私の負けですね」
ツユリはダーテングをモンスターボールへ戻しながら、同じくルクシオにボールをかざすロウへ向き直り、尋ねる。
「綺麗でしたか?」
「いや全然」
少年は食い気味に返した。
「どこが良くなかったですかね」
ポケモンの治療をしながら、ツユリが聞く。
彼女の正面で岩に腰かけ、端末を操作するロウの表情は、不満げだ。
先の戦いにおいて、ロウはツユリを相手に勝利した。経験の差や、ルクシオが未だ進化を残したポケモンであることを考えると、不満が起きる理由はよくわからない。
「舐めプするところ」
「舐めてなんかいませんよ。だいたい私、負けていますし」
「だから余計にムカつく。さっきだって勝ててたじゃん」
ロウの手持ちがルクシオ一体であることを考えて、手持ち一体ずつで行うのが、毎週の決まりとなっている。もしかしたら、まだ手持ちがいたのだから勝てていた、という主張がしたいのだろうか。今さら考えにくいが。
ピンときていない様子の彼女に、ロウがしびれを切らした。
「最後『ふいうち』されてたら、ルクシオがやられてた」
「ああ、そうですね」
最後、『スパーク』を受けたダーテングが起き上がり、そこへルクシオが『でんこうせっか』で追撃をかけたあのとき、ロウは己の敗北を覚悟していた。
ポケモンリーグのファンでもある彼は、戦いに関する知識も並の同年代の少年より持っている。ダーテングというポケモンに詳しいわけではないが、あくタイプのダーテングが『ふいうち』を選択肢として持っていることは十分考えられた。
『でんこうせっか』と『ふいうち』はどちらも相手より先に繰り出すことのできる技だが、素早さにおいてはダーテングに分があるため、もしそれらが同時に繰り出されれば、先に届くのはダーテングの『ふいうち』だ。
それゆえに、威力を高めた『スパーク』で落としきれず、ダーテングに体勢を立て直された瞬間に、負けた、と思ったのだ。
しかし、ツユリは『ふいうち』の指示を出さず、結果としてルクシオの攻撃がとどめを刺した。
ダーテングというポケモンが『ふいうち』を覚えない可能性も考えられたが、そうでないことは先ほど端末で確認済みだ。
「ごめんなさいね、『ふいうち』はねえ」
「は?」
その言葉にこもった意味は、ロウには伝わらない。否、うっすらと理解はしているのだろう。しかし、彼はそれを認めない。
「何で本気で戦わねえんだよ。強いのにさ」
それが、ツユリに対する彼の一貫した主張だった。
ツユリはあのような、ロウに言わせれば勝負を舐めているような戦い方で、なおあれだけの強さを発揮している。
数えているわけではないが、彼の勝率は七割といったところだった。優勢ではあるが、三割であの舐めた戦い方をするツユリに負けているという事実は、気に食わない。
強さは認める。だから先の戦いについても、そもそも彼女は『ふいうち』の選択肢をあの場面で思いつかなかったのではないかとか、あのダーテングは『ふいうち』の技術を持っていないのではないか、などとは考えなかった。
だがそれゆえに、それがあるからこそ、彼女の戦い方を認められない。
「バッジはいくつ持ってんの?」
「ホウエンのもので良ければ、八つです」
その言葉を耳にしたロウの肩がピクリと動く。次いで、端末に向けていた顔を上げた。
先ほどまで不平不満を垂れていたことが嘘のように、目にはキラキラと興味を宿らせている。
「マジで?え、リーグは?ツワブキダイゴと会ったことある!?」
「そんな急に…リーグには進みませんでしたし、ダイゴさんと会ったこともありませんよ」
遠目から見たことはありますけど、と続けるツユリに、ロウは更に輝いた瞳を向けてくる。
先ほどとは打って変わって素直な態度に困惑しながら、ツユリは続く話題を探す。
「あ、でもミクリさんとは知り合いですよ」
「ホント!?ミクリと!?すげえ!」
現ホウエンリーグのチャンピオンでありながら、ポケモンコンテストではコーディネーターとして多くの賞を搔っ攫う。ルネシティのジムリーダーも務めていた、あのミクリと、彼女は知った仲であるという。
さらなる情報に興奮を隠しきれないロウは、ツユリが今まで見たことがない、年相応の無邪気な少年だった。
彼女は、自分たちを見てこういう目をしてほしいのだけど、と思ってしまう。
綺麗なものを見せつけるツユリより、有名トレーナーの知人であるツユリに価値を見出されていることが、なんとなく気に食わなかった。
「彼とは付き合っていました」
「え!?え!?は!?」
なので、少し驚かせてみることにした。
「ウソだろ!?」
「ウソです」
「ぶっ飛ばすぞ」
期待通りの反応だ。悪戯が成功した子供のようにクスクスと笑うツユリに、ロウは呆れたような視線を向ける。
そこには、くだらない冗談で興奮が冷めてしまったことに対する非難の意味も込められていた。
「大人げねー。子どもかよ」
「まさか子どもに言われてしまうとは」
知り合って初めの頃のツユリは、もう少し取り繕った大人のようだった。
スクールの教師と話す母親の態度に似た、不自然なほどの礼儀正しさがあったはずだ。ロウは、その頃のツユリを気味の悪い奴だと思っていた。
しかし、未だ笑みを残した彼女の顔に、当時のそのような面影は半分も残っていない。
ロウは、どちらかと言えば今のツユリの方を好ましく思っていた。そのわかりやすい人間性を感じることができる。
付き合いを続ける中で、何よりも気に入らない考えも感じ取ってしまったが。
「ミクリさんと知り合いなのは本当ですよ?」
「…ホントかよ」
ついさっき騙されたことから警戒して疑いを示すが、ツユリはしっかりと頷いて答える。
「これは本当です。実物のミクリさんはすごいですよー」
「やっぱ強い?」
「ええ、まあ強かったですし、とても綺麗でしたよ、あの人は」
「へえ」
記憶を思い起こしているのか、宙に見つめて話す彼女に、ロウは軽く相槌を打った。
途端に、ツユリが「あ」と声を漏らすと、首をぐるりと回してロウへと向き直る。
「あと、これはホントに、一回実際に見ないと分かりにくいんですけど」
「う、うん」
突然こちらへ向けられた強い眼差しと、トップトレーナーの話であるという事実に、ロウは少しの緊張感を持った。
ツユリが告げる。
「あの人ね、すごく脚が長いの」
「あっそう」
興味の失せたロウが適当に返事をすると、ツユリはわかりやすく、むすっとした表情を浮かべた。
どうやら反応を間違えたらしい。しかし、ならばいったい何と返せばよかったのだ。ロウがトレーナーのビジュアルの良さに興味を示すとでも思ったのか。
そのようなロウの心情など知らず、不満げに頬を膨らませるツユリを見て、彼は、子どもかよ、と思わずにはいられない。
結局、ツユリによる実物のミクリの脚が如何に長いかという演説は数十分に及び、彼女がおおよそ語りつくす頃には、空は赤くなり始めていた。
ロウの心に、もはや不満はない。ただただ、この苦痛から一刻も早く逃れたい、もう帰らせてくれという思いで埋め尽くされていた。
「何でしたら今度ルネまで…」
「なあ」
「はい?」
「もう、帰んなきゃだから」
「あら本当、じゃあまた来週ですね。気を付けて帰ってください」
ロウはよろよろと立ち上がると、ツユリに軽く手を振りながら歩きだす。
彼の胸中にはとてつもない解放感と、今度はもう少し興味のありそうな反応をしてやろうという反省があった。
そうして歩いて、歩いて、もうヨスガシティの近くまで戻ってきたときだ。
彼の頭上に冷たさを感じさせるものがあった。
触ってみれば、髪が少し湿っている。雨だろうか。
「雪…」
右肩を見れば、そこには白い雪が乗っていた。
シンオウ地方においては、珍しくもなんともないものだ。少し季節外れな気もするが、まあ、そういうこともあるだろう。
特別何かを感じるでもなく、ああ雪だ、と思った彼は、また冷たさを覚えた。今度は背中だった。
だが、それは雪の冷たさではない。肌が温度差を感じ取ったものではなく、心の底まで届くような寒気だ。思わず身が震えるような、悪寒と言っていいものだった。
ロウがその寒気を感じた背中へ振り向くと同時に、ガサリと、茂みの中で何かが動いた音がした。
「っマジかよ!」
茂みから現れたのは、じゅひょうポケモンのユキノオーだ。
その体はところどころ傷ついており、見ていて痛々しくもある。
それでも、ギラついた二つの目はこちらをはっきりと捉えており、今まさに右腕を振り上げようとしていた。
「クソが!」
ロウの行動は早かった。後ろに足を引きながら、目の前にルクシオを繰り出す。
咄嗟の判断ではあり、他に選択肢が限られてもいたが、現状においては悪くない選択だっただろう。
しかし、頭上から見下すユキノオーに精一杯の『いかく』をするルクシオを見ながら、ロウは気づく。
「やっべえ」
ツユリとの戦いのあと、ロウがルクシオの治療に使ったのは、キズぐすりの一本のみだった。
お小遣いの限られる少年にとっては、キズぐすり代とてバカにならない。できることなら、無料で提供されているポケモンセンターの回復サービスを利用したいのだ。
だから彼は、キズぐすりで最低限の治療をして、ポケモンセンターで万全に戻してもらうつもりだった。
この状態のルクシオでも、町の近くでよく見る野生のポケモン程度であれば、どうとでもできただろう。実際、今まではどうとでもなった。
しかし、ユキノオーほどのポケモンともなると話が変わってくる。本来町の近くになど生息しないはずのそのポケモンを相手に、万全でないルクシオでどこまでやれるか。
ツユリが差し出してくれたまんたんのくすりを、あのとき素直に借りておけばよかったという考えが頭をよぎるが、今それを後悔しても仕方がない。
ルクシオの『いかく』によって、ユキノオーからのダメージは幾らか抑えられるだろう。それでも、今のルクシオがそれを耐えきれるだろうか。
否、ルクシオは、迫りくる大木のような腕に「耐えられない」と感じている。
また、そのトレーナーであるロウの感性も、「耐えきれない」と彼に告げる。
「『ほえる』!」
それでも、彼らは諦めなかった。
己の感覚が出した答えを理解したうえで、それを無視して、目の前の外敵を退けることを選ぶ。
ロウは、半ば祈るようにルクシオの底力を信じ、ルクシオもまた、ロウを悲しませないためにも、この一撃を持ちこたえる決意を固めていた。